もう煙草をやめてずいぶんになる(18年?)のに、いまだに時々火を貸してくれ、といわれることがある。煙草を吸わなくてもライターを持っている人もいるのかもしれないが(アウトドア関係とか)、いわゆるタバコを吸う同志として声をかけられていることは間違いないと思われる。何故ならふつうに歩いているときに呼び止められて、「火」といわれるからだ。さらに多くの場合、若い女性である。喫煙率自体は下がっていると聞くところだが、働く女性の一定の割合に、喫煙者が必ずいるという実感がある。良いとか悪いとかいう問題ではなく、社会進出と関係がありそうな気もする。まあ、とりあえずそういうことを言いたいわけではないが、要するに火を借りる相手として、僕は声をかけやすい可能性があるのではないか。
ということで何故だろうと考えていたのだが、実はこれは、あんがい当然のことだったのかもしれないと思い当たった。それというのも、僕は散歩を趣味にしていて、会議とかの休憩時間にも、ホイホイ外に出て歩くことが多い。今まで気にもしてなかったけど、僕のように休憩になると外に出る人々というのは、ほとんどの場合喫煙者の割合が多いのだ。そういう集団に混ざって外に出ると、ああ、あれは仲間だな、と思われるのではないか。それに僕は、いわゆるこわもての男ではない。ついでに「火」といいやすいオーラのようなものがあるのかもしれない。
まあ、休憩に限らず、ふつうに散歩してても声を掛けられる場合があるが、まあ田舎において散歩している暇人も少ないので、たまたまそういう機会にのこのこ出歩いているということなんであろう。