カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

詰んでいる可能性のある毎日

2023-02-27 | 境界線

 毎日のことではあるが、いつも何かを選んではいる。そんなことは当たり前かもしれないが、選択をすることが、生活そのものだともいえる。どうするか? もしくはどうしたいか? という問いは、ひとから言われるだけのことではなく、自分自身でも問うている。無意識の選択も無いでは無いが、そのプロセスとして、自分自身の道筋のようなものがあるように感じる。
 そういう中で、仕事のことを別にすると、僕が毎日選ぶことに疲れていることがある。それは何を見るか、ということである。いざ選ぶ段になって、なかなか選べないのである。若い頃には、面白そうなものが多くて困るというのが第一だったはずなのに、今はどれもそんなに面白そうにも感じられず、かといって何も見ないことの方が、時間的に詰まらないから、とりあえずそれらから、出来るだけ最適なものは無いか、と悩んでいる傾向がある。そうしてその選択後にも、何か観続けることができなくなって、中断して、別を選び直すことも多い。このような自分の不安定さが、さらに自分を不安にさせる。
 とりあえず映画で考えてみると、ネットフリックスのマイリストが31本あるようだ。どのみち見ないと思われるものは、性格上常に削除しているので、おそらく見るだろうリストだと言っていい(それでも観ないかもしれないが)。そうしてアマゾンのマイアイテムのプライムで見られるものだけで、46本ある。レンタルでなければ見られないものが、206もある。プライムになる期待があるが、そのままならないかもしれないのは、レンタルしてみるかもしれない可能性はあるが、とりあえず46本を優先する考えがあることを、今気づかされた。それでもこれらの合計から考えて、今年中に全部見ることは、ほぼ不可能だろう。
 これらの中から、毎日何かを見ようとはしている。すぐに映画を見る場合もあるし、別に録画している番組を見る場合もある。この録画のストックは、めんどくさいので数えていないが、5分で見られる料理番組や子供向け教育もの、ニュース解説や30分程度の番組ものや、特集物などのドキュメンタリーあわせて200本以上が、常時ストックされている。これももう全部見るのは不可能だろうから、酔った折に定期的に削除は繰り返している(酔ってないと削除する決断が難しい)。
 要するにこれらの選択肢の多さに、疲れ果ててしまっているのかもしれない。時期にもよるとは思うが、今は精神的な弱い時期とも重なっているのかもしれなくて、積極的に選び取る力が弱くなっている可能性もある。
 これに合わせて、常時読み止しの本がある。読もうと思って選別したストックが机に並べたり積んだりしているスペースがあるが、これが入れ替えながら50冊程度はある。今は図書館から借りている本が2冊だが、予約が一冊あるし、行けば読もうと思っているストックが、やはり50冊程度ある。鞄には持ち歩く文庫が二冊。今実際に進行中で読んでいる本は8冊ほどか。目次程度とか飛ばし読みしてちょっと目を通した本で、とりあえず棚に積んだものは数百冊はある。目が行くと、これもまた読むかもしれない。そうして毎月届く雑誌もあるし、まあ読むべき書類なんかもあるんである。やはり人生は限られているので、将棋で言えば、僕の毎日は既に詰んでいる。とは思うが、悪あがきしている。それなのに家に帰ると、また何を見るか考えなければならない。選べないのが当たり前だ。
 そういえば、そういうことを防ごうと思って、見るべきリストを作っておいているのだった。何本も線を引いているリストを眺めると、これが数ページにもわたっている。いったい何のためのリストであるのか。いつもこれを更新して、さらにリストが増えているのかもしれないし、以前に書いたリストが、すでにどこかにあるのである。やはり何かが詰んでいる。とりあえず何かを選択したら、集中することにしよう。
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