カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

それでも幸福という気もする

2014-11-15 | net & 社会

 某たかじん周辺騒動というのがあるようだ。人気作家の作品になったり、未見だがテレビ番組なんかにもなった模様だ。で、その若い奥さんが怪しい人だという証拠が、消されているにもかかわらず、ネット上のアーカイブからどんどん発掘されていくという図式だ。過去が消せないものになったというのが、現代の象徴的な現象として明らかになった。これと関係ない人々だっている、という意見もあるだろう。しかしまあ、情報はどこからだって湧いて出てくる。以前なら作家なり記者なりの地道な取材でしか明らかにしようがなかったことが、膨大な情報網から勝手にモノが集まってくるということのようだ。面白いといえばそうだけれど、恐ろしいといえば、かなり恐ろしい。これでは迂闊に死ねないではないか。
 批判はごもっともいうか、僕のような部外の者にとっても、何とも残念な感じはある。それでも法的には守られるところがあるだろうから、良かろうが悪かろうがある程度は逃げられはするかもしれない。ほとぼりが冷めるまでどこかに消える財産くらいは、手にしていることだろう。むしろこの騒動で、それなりに印税まで増える可能性だってあろう。狙った筋書ではなかったかもしれないが、結果として合理的に勝利は収められるかもしれない。もちろん精神的には代償が大きかろうが…。
 もっとも僕は、死んでしまった某たかじんが、かわいそうな人だったとは思えない。ああいう人でも寂しかったのかな、という気持ちはあるにせよ、それで死ねたのならもうよかったのではないか。馬鹿だったとも思えないし、代償として適当かどうかということくらいしかいうことが無くて、さらにもうどうにもならんのでしあわせだろうとさえ思う。もしくはあるいは騙されているということも(それが騙しかどうかは僕には判断できないが)、考えにあったはずだとさえ思う。それでもあえて選択した結果がこれだったということじゃないか。小説になることまで予想していたかは分からないが、あとは自分で何とかしてくれ、そういう気分くらいのものじゃないだろうか。
 問題としては、ごく近しい人や娘さんなどということになるだろう。こればっかりは、そういう人と近しかった運を呪うより無いだろう。そういう人が、妙に不幸にならなければ、この話は早く消えてしまった方がいい。金が残ることに娯楽があるだけで、すさんだものしか残りようがない。
コメント
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