父の日というのはあることは知っていたけど、やはり母の日のようになじみはない。僕自身父の日に何かした記憶がない(父の日に父が家にいたことがまれだったのではないか)のだから、当然といえばそうである。
自分が曲がりなりにも父になって、父の日だよと言われても何となくこそばゆいような、しかし単に飲む口実にはいいような、そんな感じの日のように思っていた。
そういう訳で調子よく飲んでいたわけだが、なんと息子が肩を揉んでやるというではないか。
こういうのは肩を任せるというのだろうか。時間にすると5分くらいだったかもしれないけれど、嬉しいというか、感慨深いというか。ずいぶん肩をつかむ手がでかくなったもんだなあ、と、妙に感心してしまったのであった。彼は僕の肩をもみながら、何を考えていたのだろう。
僕は肩こりには人並みに悩まされたことはあるけれど、散歩するようになって、ずいぶんそういう悩みは緩和されて、そうして基本的にはこりをほぐすということを諦めたら、肩こり自体をあまりしなくなったように思っていたのだけれど、息子に掴んでもらうと、確かにそれなりに凝っていたようで、大変に心地いい。肩がこるのもなかなか捨てたもんじゃないとも考えたのだった。
さて、来年も肩を揉んでくれるものかはわからないけれど、父としても区切りの日なんだということらしいですね。子供の成長もはやいことだし、あと何年このような時間を楽しめるのだろうと思うと、切ないものであります。