カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

読めない頃合い

2008-05-17 | ことば
 若者言葉とか俗語や隠語のようなものを熱心に覚えるつもりはないが、まったく知らないとそれなりに不便なことにもなる。話題になる言葉が必ずしも若者が頻繁に使っているものではないにしろ、お互いに会話の中で何気なく伝わるニュアンスに誤解が生まれることがある。もちろんそれでもそんなに深刻に神経質になる必要まではないとは思うが、話題性として面白いからということであえて使われるということはあるのかもしれない。
 その代表として適当なのかどうかはわからないが、いわゆる「KY」なんていう表現がよく聞かれるようになった。もうなんというか、ちょっとなんか言うと頻繁にこの言葉を聞くようになった。僕自身は若い世代との付き合いは少ないが、それでもこの言葉を聞く機会が多いということは、すでに若者言葉ではない可能性が高いと思われる。話題になって普及したころには世代によっては死語になっているというのはよく聞くことだから、若者言葉という表現を借りた年寄り言葉(というか中年言葉)なのかもしれない。
 女子高生のメールのやり取りから派生したといわれているが、2ちゃんなら「空気嫁」ということだろう。今や意味を知らない人の方が少ない気がするが、どうしてこのように普及したかは僕にはわからない。仲間うちの異常な連帯感の維持を必要とする若い世代には必要な概念なんだろうなあと思うだけである。知らず知らずに使ってしまうものかもしれないけれど、独特の嫌な感じは僕世代から上には感じられるのではないかとも思う。それは世代間の拒絶を意味しているような感覚があるからであろう。空気読めないのは自分ではよくわからない問題かもしれない。ひょっとして、という恐怖感も手伝って、覚えておかなければならない言葉になってしまったのではないだろうか。僕は堂々と空気の読めない人間だけれど、そう宣言する方が楽だからそう言っているだけで、実は空気ぐらい読めているという気分はないではない。おそらく僕世代より上の人がKYを話題にしたがるのは、読めているという自負の表れもあるらしい。
 しかし実際のところ、場を読むということを重視するのは僕より上の世代の方が強いのかもしれない。団塊の世代ということで疎んじられて(彼らは上からも下からも嫌われているようなところがある。人数が多い勢力は、それだけ脅威なのかもしれない)いるところもあるにせよ、おおむね若い世代の人が社会に出ると、まわりから注意されるのはKYなのかもしれない。何しろその空気を知らないのだから読みようがない。つまりKYとは、いつの間にか若い世代批判に非常に便利な言葉になっているのである。
 僕は新人類といわれた世代で、上の層との断絶の激しかった記憶があるけれど、僕らより下は宇宙人といわれていた。世代というのは多かれ少なかれ断絶しているという状態の方が正常なのではないか。老人になればなるほど、「近頃の若い者は…」と考えてしまうものらしい。古代エジプトの文字で書かれてある文章を解読したら「近ごろの若者はなっていない」という意味だったという話もある。若者は努力していづれ場や空気を読めるようになってゆく(単に年をとるということかもしれないが)。結局いつまでも若者を理解できないのは、上の世代の方の問題なのではないだろうか。さらに本当は、若者なんてわかりたくないというのが本音なのではないか。まあ、分からないのが以上のようなわけで正常なのだから、早めにあきらめた方が精神衛生上はいいとは思うのだが…。
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