朝から引継ぎ事項など確認し、軽くミーティングをする日課である。内容的に連休前のあわただしさを覚える。それでいてなんとなく和やかで、spring has come なんだなあ、と感じる。仕事の関係上、完全連休となる人は少ないのだが、職員もそれなりに嬉しいのだろうと思う。仕事があって休みがあるのが幸せなんじゃないか、なんてふと考えた。休みばかりで退屈じゃ、こういう喜びもなかろう。
利用者のきょうだいさんの面談。ご両親は既に他界されており、一番上のお兄さんが身元引受人として代表的に契約者でもあったわけだが、体調を崩され引受人を代わられることになった。ごきょうだいが多く、それぞれ住居も遠いらしい。今回は下から二番目という方が自分が引き受けたいとのことで相談に来たわけだ。いろいろ事情はあるわけだが、ご本人の事を考えるとそれが一番いい選択であるように思われる。
仕事上の話は片付いたが、世話話となり、封建的なお兄さんの話になった。
弟さんが腰を悪くして診察を受けたが、症状が重く緊急入院しなくてはならなくなった。その旨お兄さんに伝えると、わがまま言わずに帰って来いと逆に叱られてどうにもならない。担当の医者から電話してもらって、なんとか納得してもらわなくてはならなかったという。万事そういうことで、振り回されて、自分には発言権などなく、気にはなっていたが勝手に話を進めるわけにもいかず、改めてやっとこちらに来ることができたということである。笑い話として話されたわけで、非難する意味で紹介しているのではない。ご両親を早くに亡くされ、一家を支えるという気持ちが強すぎる所為で、行き過ぎた封建的な態度を取られたのであろうと思う。今はそのお兄さんもご病気で床に伏しているという。弟さんとしては非常に困る存在だったには違いないが、やはりそれでも寂しいのだろうと思う。家族にもさまざまな環境の変化や節目があろう。何か大きな時代の変わり目のような、そういう気がして、こちらも感慨深くお聞きしたのである。
何か大きな力であっても、その力関係は、ある意味では安定していた時期もある。崩れそうになると、却って踏ん張って無理な力を出そうとするのではないか。今の時代の軋みは、そういう背景があるのではないか。
昼しばらくしてPTA総会。家からてくてく歩いて学校に行く。時間調整で遠回りする。考えてみると通学路を昼間に歩くことは少ない。子供のころと微妙に町並みは変わっているが、懐かしいような気分になる。しかし、日差しが強く背広では暑い。
学校に着いて、校庭にある二ノ宮尊徳さんを見に行く。携帯でパチリ。歩きながら本を読むのは態度として不真面目だ、といったのは養老さん。そういう不真面目な尊徳さんに愛着を持っている。勤勉さの象徴としてそこにいらっしゃるのだろうが、受け止める僕は違うメッセージを受信する。学校もいいところじゃないか。
体育館で総会。新役員の顔ぶれも、なんとなく初々しい。少し世代交代したかな。
つれあいを見つけて手を振ると、お隣のじゅんさんが、「わいどんは、嬉しそうやの」という。恥ずかしいが、確かになんとなく嬉しいような感じだ。
先生方の自己紹介の文法も、学校なんだなあ、という感じ。一般の社会人とは少し感じが違う。そういうらしさが先生という立場なのだろう。僕は子供じゃなくなったんだなと改めて感じる。
夜は懇親会。担任の先生とも話ができてよかった。お二人ともなかなかユニークな感じの先生で、それはそれでよかったと思う。お二人は先生同士でも仲がいいようで、そういう感じもあわせてよかった。
お母さん方ともいろいろと話をする。以前テレビ番組のドラマなんかででてくるPTAの親は、大抵感じが悪かったものだが、実際のこういうよりあいに参加するような人たちは、どちらかというと断りきれずに役を受けました、というような人の良さを感じさせる雰囲気を持っている。まあ、なかにはそうでない人もいるけど……。
同じ地区に住んでいるお母さんが、自分の家より近くに遠足に行くのは失礼だという。遠足については長距離歩かせるのはかわいそうという声があがって、随分距離が縮められたという。ちょっと前は岳の木場公園までとなり、自分の家はその又上にあるのに何てことだ、と思ったという。それだけでは飽きたらず、今は坂道でもかわいそうだという声があがって、森園公園になったという。そういう意見もあるだろうが、聞くほうは、何か自信がないのだろうな、と思う。決定したのは聞いた方だろう。それにしても、なんとなく煩わしいなあ。
確かに僕らの子供のころは雄ヶ原まで行って、ついでに琴平岳までひょいと登ったような気がする。帰り道は近くの家からバラバラに散っていく。僕は通り道に家があるので、自転車に乗って、まだリュックサックをからって下っているみんなを追い抜いて優越感に浸ったものだ。そういう気分は、たぶんもう子供達とは共有されない。そういうことが、時代の変わり目ということなのだろう。
利用者のきょうだいさんの面談。ご両親は既に他界されており、一番上のお兄さんが身元引受人として代表的に契約者でもあったわけだが、体調を崩され引受人を代わられることになった。ごきょうだいが多く、それぞれ住居も遠いらしい。今回は下から二番目という方が自分が引き受けたいとのことで相談に来たわけだ。いろいろ事情はあるわけだが、ご本人の事を考えるとそれが一番いい選択であるように思われる。
仕事上の話は片付いたが、世話話となり、封建的なお兄さんの話になった。
弟さんが腰を悪くして診察を受けたが、症状が重く緊急入院しなくてはならなくなった。その旨お兄さんに伝えると、わがまま言わずに帰って来いと逆に叱られてどうにもならない。担当の医者から電話してもらって、なんとか納得してもらわなくてはならなかったという。万事そういうことで、振り回されて、自分には発言権などなく、気にはなっていたが勝手に話を進めるわけにもいかず、改めてやっとこちらに来ることができたということである。笑い話として話されたわけで、非難する意味で紹介しているのではない。ご両親を早くに亡くされ、一家を支えるという気持ちが強すぎる所為で、行き過ぎた封建的な態度を取られたのであろうと思う。今はそのお兄さんもご病気で床に伏しているという。弟さんとしては非常に困る存在だったには違いないが、やはりそれでも寂しいのだろうと思う。家族にもさまざまな環境の変化や節目があろう。何か大きな時代の変わり目のような、そういう気がして、こちらも感慨深くお聞きしたのである。
何か大きな力であっても、その力関係は、ある意味では安定していた時期もある。崩れそうになると、却って踏ん張って無理な力を出そうとするのではないか。今の時代の軋みは、そういう背景があるのではないか。
昼しばらくしてPTA総会。家からてくてく歩いて学校に行く。時間調整で遠回りする。考えてみると通学路を昼間に歩くことは少ない。子供のころと微妙に町並みは変わっているが、懐かしいような気分になる。しかし、日差しが強く背広では暑い。
学校に着いて、校庭にある二ノ宮尊徳さんを見に行く。携帯でパチリ。歩きながら本を読むのは態度として不真面目だ、といったのは養老さん。そういう不真面目な尊徳さんに愛着を持っている。勤勉さの象徴としてそこにいらっしゃるのだろうが、受け止める僕は違うメッセージを受信する。学校もいいところじゃないか。
体育館で総会。新役員の顔ぶれも、なんとなく初々しい。少し世代交代したかな。
つれあいを見つけて手を振ると、お隣のじゅんさんが、「わいどんは、嬉しそうやの」という。恥ずかしいが、確かになんとなく嬉しいような感じだ。
先生方の自己紹介の文法も、学校なんだなあ、という感じ。一般の社会人とは少し感じが違う。そういうらしさが先生という立場なのだろう。僕は子供じゃなくなったんだなと改めて感じる。
夜は懇親会。担任の先生とも話ができてよかった。お二人ともなかなかユニークな感じの先生で、それはそれでよかったと思う。お二人は先生同士でも仲がいいようで、そういう感じもあわせてよかった。
お母さん方ともいろいろと話をする。以前テレビ番組のドラマなんかででてくるPTAの親は、大抵感じが悪かったものだが、実際のこういうよりあいに参加するような人たちは、どちらかというと断りきれずに役を受けました、というような人の良さを感じさせる雰囲気を持っている。まあ、なかにはそうでない人もいるけど……。
同じ地区に住んでいるお母さんが、自分の家より近くに遠足に行くのは失礼だという。遠足については長距離歩かせるのはかわいそうという声があがって、随分距離が縮められたという。ちょっと前は岳の木場公園までとなり、自分の家はその又上にあるのに何てことだ、と思ったという。それだけでは飽きたらず、今は坂道でもかわいそうだという声があがって、森園公園になったという。そういう意見もあるだろうが、聞くほうは、何か自信がないのだろうな、と思う。決定したのは聞いた方だろう。それにしても、なんとなく煩わしいなあ。
確かに僕らの子供のころは雄ヶ原まで行って、ついでに琴平岳までひょいと登ったような気がする。帰り道は近くの家からバラバラに散っていく。僕は通り道に家があるので、自転車に乗って、まだリュックサックをからって下っているみんなを追い抜いて優越感に浸ったものだ。そういう気分は、たぶんもう子供達とは共有されない。そういうことが、時代の変わり目ということなのだろう。