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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

幸運は時には降ってわいてくる

2013-12-22 | 感涙記

 僕のつれあいは時間にはうるさい方だと思う。時間に関しては事前に何度も確認して、ほとんど信じられないくらい早い時間から準備をするよう強いられる。以前の僕は遅刻の常習者だったけれど、そういうわけで散歩の時間が増えたり読書の時間が増えた。
 今回の事件もそういうことで、いわばつれあいの言う時間を信用していた。しかし間違いは起こった。
 息子の合唱の発表会の時間は16時開場、16時半開演だと聞かされていて、場所は大分だったから余裕をもって昼頃家を出た。そうして2時半には着いてしまって、会場を確認して街をぶらついて時間をつぶした。ゆっくり買い物してあんまり覚えはないが、二人で久しぶりに喫茶店でお茶を飲んだ。
 それでもやはり会場には時間前に着いて待っていて、ところが16時を過ぎても会場の敷居をあける様子が無い。中の学生らしき人は見えるので、しびれを切らして聞いてみると、開場は6時からです、とあっさり言われて、それでやっとこちらの間違いということに思い当たった。チケットを初めてみるとPM6:00と書いてある。Mの右端のところを1と見間違えたらしい。お互い最近は老眼が進んでいて苦労することは多くなった。特につれあいは非常に目が良くて、以前は2.0くらいは見えていた可能性がある。そうすると老眼の進みが激しくなるものなのかは知らないが、そういう見えていたギャップもまた大きいのだろう。
 仕方が無いのでさらに2時間時間をつぶし、やっとのことで息子の合唱を見ることが出来た。退屈なものもあったけど、正直感動して生きていてよかったと思った。少なくとも僕は学校行事のようなものにはあんまり興味がないし、息子がかかわらなかったら一生縁のない世界だったことは間違いなかったろう。実に得難い体験といわねばならない。
 実のところ18時半の開演だと最初から分かっていたら、絶対に観に行こうなどとは考えなかったとつれあいはいう。そうであればこのような体験もすることが無かったはずである。年を取って見間違えてくれたお蔭で、このような素晴らしい体験が出来たのだ。幸運というのは、そのようなことを言うのだろうと思う。
 これを機会にもう少し時間にルーズになってくれたらなあ、と思うが、まあ、遅刻をしても何か楽しいということもないので、それは諦めるしかないのであろうな。
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迂闊に振り向いてはならない

2013-12-13 | 感涙記
 福岡で北島三郎の公演を見た時に思ったのだが、以前見たものと違った演目の演劇をやっていたにもかかわらず、驚くほど同じものを見たようなデジャブ感があった。基本的には水戸黄門みたいな勧善懲悪というだけで無くて、観終わって残る感慨というか余韻というか。劇中で近くの人が啜り泣いて感動している様子なども含めて何となく同じなのだ。これは子供の頃にも既に経験していたような既視感があって、そうだ「シェーン」だったな。と思った訳だ。つまり子役の「シェーン、カンバック」があるから、西部劇なのに日本人の心的な名画であるものと一緒なのだ。
 実際劇中に子役はしつこく慕ってくるのだ。最初は本当の父だと聞かされてないから「おじちゃん」と呼んでいる。文章では上手く言えないが、この「おじちゃん」のアクセントが独特で、語尾が必要以上にあがって、非常に甘ったるい。そうして最後は「おとうちゃん」となるのだが、基本的に同じだ。あれ程秘密をばらしてはいけないと言っていたのにあっさり母親は打ち明けているのだが、しかしそのことは簡単にうやむやになり、恍惚の「おとうちゃん」連呼があり、子役は北島から離れようとしない。
 しかしこの子役の単純な演技が、確かに涙を誘うのである。悲しいのである。そうして本当に素晴らしい演技に見えるのである。平日の公演なので学校はどうしているのだろうという疑問が無いではないが、もし就学前の子供だとしてもそれはそれでたいしたものだが、もし学校を早引けしたりしてこの演劇に出ているのなら、さすがにたいしたものだと言わざるを得ない。もちろん遠くて顔など良く分からなかったし、後にパンフレットなどで名前を確認したりもしなかったが、深い印象を残して人々の涙を誘ったことは間違いが無い。
 子犬やひよ子などがクンクン、ピヨピヨ鳴いていると、母親(だろう)が甲斐甲斐しく世話をしているように見える訳だが、あれは本能だということであるのだが、そのような動物にもあるような信号のスイッチを入れるものとして、やはり人間にもその様な感情と母性やら父性やらに火をつける発声というものがあるのではなかろうか。あのような話にまったく感化されそうもない自分自身であっても、うかつに感情に火が付きそうになるのを抑えきれない。つまりこれはある一定以上の年齢になると芽生える本能に訴えかけるものなのではあるまいか。
 そんなことは分かりきっているが、しかし、子役から目を離せない人もいるだろう。演技というものは、そういう本能に訴えかける方が本来の演技力以上のものを発揮できるということなのかもしれない。やはり子役は恐るべき力を持っているのであろう。
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答えられないなんて、そんなのは嫌だ

2013-10-19 | 感涙記

 知らないことはあんまり書くべきではないのだが、アンパンマンの作者やなせたかしさんが死んだというニュースがあんがい盛り上がりを見せていることに不思議な感覚を持った。それだけ国民的な漫画家だったということなのだろうけれど、個人的にまったく実感がないせいだろう。
 大正生まれということだから、お亡くなりになったことに意外性は無い。まだまだという声は、単なる社交辞令か、本気なら逆に残酷だろう。
 子供がお世話になった、というのは分かる。僕のうちでもそうだから。でも個人的な事情もあって、その実感はやはりない。それというのも、ほとんど見たことがないから。30分くらいのアニメ一本を、通し続けて見たことが無い。見続けるにはつらいというか、どうしても興味の持てる雰囲気ではない。子供が喜ぶというのでさえ、本当に不思議である。
 遅咲きの作家ということもあって、僕の子供時代にはまったく目にしたことが無い。一部では人気があった可能性が無いではないが、僕はまったく知らない。そういうこともあるかもしれない。なじみのないもので、新規のものというのは、タイミングを逸してしまうと、どうにもならないのかもしれない。
 やなせさんが亡くなったということで改めてアンパンマンの歌が流れていて、歌詞のあることを初めて知った。あの曲は歌詞を歌っているような意味のあるものだったのだ。そうしてさらに驚いたのは、その歌詞の哲学的内容だ。「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは いやだ」
 愕然とするというのはこういうことかもしれない。アンパンマンってそういうお話なのか?
 自分の顔を食べさせることは知っていたから、自己犠牲のある物語なのかもしれない。それ自体は悪いことではないかもしれないが、なんとなく鼻につかないではない。僕はそのようなひねくれた大人である。しかしこの歌詞はなんなのだろう。僕なんて、答えられないけど、嫌じゃない。けれど、嫌だという気分はよく分かる。答えられる人生というのは、たぶんしあわせなのかもしれない。
 亡くなられたことは、僕には大した感慨などないのだが、そういうことに気づかされたことには、感謝をしたいと思う。遅ればせながら、ご冥福をお祈りいたします。
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草間彌生的混乱と熱狂

2013-09-16 | 感涙記
 草間彌生を見て来た。
 草間彌生を最初に知ったのはごく最近のことで、NHKで特集か何かをやっていたからだ。いや、少しくらいは噂に聞いていたかもしれないが、まったく興味がわかず、知らなかった。
 テレビの草間は奇矯なだけでなく、非常に病的に思えた。まあ、それは僕の職業からの経験上の感覚かもしれない。そうしてさらにしばらく見ていくと、その通り、精神を病んでいる人だった。
 やっぱりね、という話で終わるものではない。そうであるからこそ素晴らしいというのがあるのである。同情心とか意外性ということでは無くて、本当に天才の到達点というのは、そうでなければならないのではないか。そういう必然として草間に備わった能力として、精神病ということが本当に大切なのである。さらにさらに作品も素晴らしいのだけれど、草間彌生自体が作品そのものなのである。

 ということで、どんなものかお見せしよう。先ずはこんな感じ。





 写真を撮っていい部屋はこれだけだったので、絵の方はネットなどでご確認ください。

 白黒の細かい絵も凄いけれど、どこか可愛い。
 原色たっぷりの絵もまた凄まじい狂気だけど、でもやはり非常にポップだ。

 デカイ顔の三作品が並んでいたが、これがまた素晴らしかった。悲しげで寂しげで、しかしぶっ飛んで可愛らしい。そんなことが同時にありえる顔があるなんて、素晴らしすぎる。

 光を用いた部屋では、ブルース・リーの戦いの部屋みたいだった。単純そうでいて奥行きが深く、楽しいのだった。

 観賞が終わって外に出ても、こんな感じ。





 僕ら以外の人たちも思い思いに一所懸命写真を撮っている。





 たぶんカボチャなんだろうか。ま、そうでなくてもいいんだけど。



 外にはこんなものも並んでいた。





 場所は大分の美術館。



 たぶん、ツアーのようなもので全国を回っているのではなかろうか。お近くに来たらお見逃しなく。今のタイムリーな価値も大切なのである。


 あんまり長く観ていると自分も少しきてしまいそうになるが、それも含めて本当に素晴らしいです。


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精霊流の海賊たち

2013-08-14 | 感涙記

 子供の頃の盆の思い出というのは悪いものではない。親戚が集まるだけでも、なんだか楽しげなひと時だったような気がする。大人になってみると盆だから楽しいとは思わない訳だが(当たり前だ)、しかしそういう子供の頃の気分のようなものは仄かに残っているものと見えて、少しだけ何かを期待しているような、そんな事を思う。
 長崎でも市内ではない地区に住んでいるので、比較するとたいしたことが無い程度ではあるが、やはり精霊流しというのがある。今は何かの規制があるのだろう、本当に船を海に流すことはしなくなったが、子供の時分にはちゃんと精霊舟を海に放った。当たり前だが、そうするから精霊流なんだろうし。
 これが楽しかった。何故楽しいかといえば、船を追いかけて真っ暗な海に飛び込んで泳ぐのである。流した船にはいろいろとお供え物が積んであって、そうしてそのお供え物目当てに子供たちが船に群がるのである。西瓜とかミカンとか果物が多かったように思うが、時折メロンなどがある。メロンを見つけると歓声が上がってさらに子供が群がる。まるでチビの海賊集団である。岸まで持ち帰った戦利品を切ってもらってパクつく。よその家の船も襲撃したことだろうが、特に咎められることも無かった。大人の中にも一緒になって海賊ごっこをするような輩もいて、今思うとそれなりに危険な海水浴だったような気もするのだが、何故かのどかで、しかし心躍る出来事だった。
 盆には人が集まるのに、地獄の釜の蓋が開くとか何とか脅されて、海水浴が許されていなかった。たぶん大人も忙しいのでろくに子供にかまえないのに、水遊びなどをされるとそれなりに危険だということもあったのかもしれない。そうであるのに危険度の高い夜の海では泳いでいいのである。そんなことも、精霊流を良い思い出にしている理由があるかもしれない。
 その後変遷があって、精霊舟は一か所に集められ盛大に焼かれるということに変わった。それはそれで爆竹も一緒に焼かれてやかましくて楽しかったのだが、海賊ごっこよりははるかに劣った。さらに今度は燃やすのも駄目ということになって、ただ一か所に集められるだけのことになってしまった。これでは単に船を捨てに行くだけの行事ではないか。
 少子化で悲しんでいる子供の数自体は少ないとは言えるかもしれないが、やはり何となく可哀そうな気がしないでは無いのである。その分安全だとは言えるかもしれないが、安全が楽しい思い出なんてことが、さらに悲しいのかもしれない。
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貧困と幸福

2013-07-19 | 感涙記

 以前同級生K君が昔話をしていたのだが、彼は家庭の事情があって子供の頃は貧乏だったらしい。それで辞書を買ってもらえなかったということだった。そんなことがあったなんてまったく知らなかったので、なんだか現実感が無いままそれなりに意外に思った。最近は貧乏な人はどうなっているんだろう。
 考えてみると貧しかったことは無かったのだが、イメージとしては何となく分かるものがある。親が昭和のヒトケタなので、彼らは戦後の貧しさを嫌というほど味わった世代である。病気をしたり怪我をしても、親のことを思うと我慢して言いだせないという話を聞いたことがある。つまり痛い思いをしても、お金のかかるかもしれない病院に行くなんてとてもできなかったらしい。なるほど貧乏というのはそういう感じなんだろうなと、子供心に恐怖したものである。もちろんすぐに忘れて小遣いをせびったりするのだが…。
 手塚治虫の漫画に学生時代の自伝的なエピソードものがあって、好きな女性とデートの約束があったにもかかわらず、隣の部屋ですき焼きをやるらしいということを聞きつけて、結局デートをすっぽかしてしまうという話がある。実はガセネタだった訳で、腹も満たされず、女性との関係もおじゃんになったということなのだろう。どうして腹が減るんだろうと、若い手塚は嘆くのだが、それが貧困というものらしいというイメージが、僕の中で固定したようだ。
 つまり貧困というと飢えるということと同義のようにも感じていたが、現代的に言うとそういう状態のものは、そう多くはなさそうにも感じる。腹が減って餓死してしまうような人というのは、最終的に引きこもりであったり、羞恥心のようなわだかまりがあって、助けを求めなかった人のような特殊性を感じる。
 最近では低所得層の方がいわゆる金持ちよりも肥満度が高いのだという。ジャンクフードが安く手に入り、健康に対して鈍感になるということにつながるらしい。金持ちはヘルシーな食材を高くても買うような人たち、ということなのだろうか。
 それでもやはり、金に困っている人というのは、現代社会の中では多数に上るかもしれない。必ずしも貧困という状態を指している訳で無くとも、金に困る状況というのは生まれてしまうものである。だが、そのために空腹に耐えるという状態は、やはりかなり難しくなっているのだろう。
 実は我慢が出来る人と社会的な成功者ということには、相関関係がある。目の前の快楽を後回しにして一時でも辛抱できる性格の人と、社会的な成功を収める人の性格は関係があるらしい。子供の頃に辛抱することを覚えることができた子供は、かなりの確率で、その後の人生が開ける可能性が高まるのだそうだ。
 貧困というのは強制的に、何かを我慢させられる状態ということは考えられないだろうか。誰もが貧困だったからこそ、日本のような高度成長を遂げることが出来た可能性は無いのか。もちろんそんなに単純化させることはできないが、戦後の貧困という社会現象が、日本人のメンタリティーに影響を与えていないはずは無いとも思う。
 つらい経験がその後に生きてくるというのは本当だと思う。つら過ぎて精神が曲がってしまうのも困る訳だが、つらく無かった人がそのまましあわせなのかは大いに疑問だ。
 つらい経験の対象として満足できる幸福感があるとしたらどうだろう。貧乏だったような人には、ぜひともそうあって欲しいというような願望も無い訳ではないが…。
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当たり前の過酷さ

2013-01-05 | 感涙記
COWCOW「あたりまえ体操#1」




 僕にとっての正月の最大のイベント、箱根駅伝が終わった。
 ほとんど誰も予想してなかった(恐らく本人たちも)日体大の総合優勝というのは、本当に見事だった。山の服部の走りが素晴らしかったのはもちろん凄かったのだけど、終わってみると、やはりそれだけでは無い、見事な完勝だったことがよく分かる。
 最初からよく頑張っていたのは見て分かっていながらも、どこか伏兵として見ていた自分が如何に分かっていなかったのか痛感させられた。人は事実を目の前にしながら、見えないことがたくさんあるのだ。
 戦前に予想されていた東洋・駒沢の二強というのは、間違っていた訳ではない。選手の実力や層の厚さを考えても、この二校は特に力があったことは事実である。実際にも2位3位という位置でまとめられた事も、これだけのアクシデントのある中の戦いにおいて、見事であったというべきなのではなかろうか。全員が力通りに必ずしも走れる保証の無いレースが駅伝であり、さらにその中でも特に各人の距離が格段に長い箱根において、実力の力技でここまでまとめることが出来たということも、やはり素晴らしい事なのだと思われる。
 そうであるからこそ、今回の日体大の優勝というものが、いかに抜きん出て凄かったのかということも言えることだと思う。風などのコンディションの悪さが高速レースの展開を阻んだ事が、有利に展開したという見方も出来るかもしれない。しかしやはりそれは、出場したチームはどこも同じ土俵で戦っているのである。結局は全員で大崩れしない粘りや、準備を整える事の地道さがこれほど光る事だとは、多くの場合本当には考えられていなかったということだろう。
 焦点が当たっているのは、名門である日体大の昨年の19位という惨敗が、今回の精神力の起爆剤になっているということがある。事実もそうだったのであろう。昨年の東洋の圧倒的な記録を作った力も、一昨年の僅差での優勝を逃した悔しさだったことも、やはりそうなのだろう。その様な悔しさをバネにする精神性は、長距離走の様につらく長くきつい練習を必要とする競技には、必要なことなのかもしれない。本番以上に、その様な気持ちを長く保つことで、過酷な練習を耐え抜く事を可能にする事が出来るのかもしれない。
 だがそうなってくると、今回誰よりも悔しかったものが、やはり来年は有利という論理になってしまいかねない。過酷な練習が思いだけで何とか乗り越えられるというような事になってしまうと、かえって故障者を生むような、難しい調整になってしまう危険をはらんでいくだろう。
 もうひとつの焦点になっているのは、日体大の監督も述べている通り、日常の当り前さにあることも間違いあるまい。生活態度を当たり前と思われるような決まり事を守る事を大切にするということらしく、インタビューでは、例えば外出から帰ると手洗いやウガイをするなど、と答えていた。なーんだ、というようなことだが、しかし、それこそが全員が守るとなると、大変に難しい事だということなのだろう。もちろん個人においてもそうであって、この当たり前の徹底というのは、本当にやろうと思えば実は過酷な課題であるということも言えるのかもしれない。最初から決して守れないような高いハードルでは無い。しかし、本当に守る人間というのは、実はごく少数に過ぎないという事実が、このような偉大な結果の土台なのであろう。実に正月らしい、見事な教訓だったのではあるまいか。
 もちろん、そのことの証明だけのために日体大が優勝できたわけではなかろう。来年も連続して優勝できるという保証は何にもない。そうであっても、やれることをやるしかない。本当の強さは、そのような生真面目さということの積み上げでしか成り立たないということなのだろう。
 駅伝の方は、これからは戦国時代のような事になりそうな予感がする。誰もが当たり前に気付いた以上、さらにしのぎを削る戦いは続くだろう。その方が見る方には楽しいに違いないが、監督のような指導者の立場を考えると、少しばかり同情を覚えるのも事実である。高い自覚と継続が必要とされ続けるのであれば、彼等は仙人になるより他に無いのではないだろうか。


追記:駅伝などの競技は、もちろん相手があって競り合うことで、相乗的に力が出るということもいわれている。それは必ずしも間違っていることではないのだが、日体大の往路の戦いぶりをみると、いかに一人でありながら自分のレースをするのかということが大切であることも考えさせられた。昨年の東洋の復路の区間賞の多さも、やはり一人の戦いの積み重ねが功を奏したものだとも考えられる。
 一般的には追うものは前を目標に追っていき、そのままの勢いで何とか粘り切り、最後にまた力を振り絞りスパートするような事が言われるが、それが本当に良い結果を生む作戦として正当なのだろうか。むしろ、どんな展開にあろうと、練習のプラン通りに忠実に走ることを心がけた方が、結果的には長距離においてはいい成績を収められるということは言えないだろうか。もちろんそれは駅伝に限らない可能性もある。そのような展開をするために前半の働きがあるということも言えるのかもしれないが(心の余裕として)、ミスを取り戻すというような事を早めに捨てて、それでも愚直に自分の走りをすることが出来るのかということを考えた方が良さそうな気がする。繰り返すが、これは駅伝に限らない真理なのではあるまいか。
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今夜の仕掛け、頑張ってください

2012-12-24 | 感涙記

 お袋がクリスチャンなので、我が家ではクリスマスはそれなりに重要な行事だったような気がする。西洋映画のものとは違うまでも、クリスマスの特別な空気は、これまでの日常生活とはまるで違ったものであったように思う。なんだか分からないけどものすごく期待するものがあって、そうして確かにしあわせなのだけど、しかしそれは寝てしまうと終わってしまうようで恐ろしいという感じもした。
 サンタクロースについては、居るとか居ないとかではあまり悩まなかったようにも思う。姉や兄とも年齢が離れているから、随分長い間信じていたのだけれど、しかしよく考えてみると、幼稚園の時にネタばらしをして教えてくれる親切なのか迷惑なのか分からないおせっかい者が居て、だからそれは実際には知っていたはずなのだ。だから知らなかったというのは実は演技をしていたようなもので、騙されていることが快感であったのかもしれないとも思う。みんなして演技をしていて、その役割としてあたかも騙されている役を演じている。騙している方も騙されている方も、そのことの秘密に酔っているというような、耽美な約束を守っているということなのではなかったか。
 実は小学生の3年だか4年だかそのような年になって、サンタは親であると発言する奴がいて、言い争ったかどうかして、結局僕はそいつを殴ってしまった。そのことは少しばかり話題になって、殴ったことについて先生から咎められることも無かったと記憶している。僕自身も悪いことをしたとはさらさら感じていなかった。今となっては遅ればせすぎるが、正直者で正しかった彼は僕に殴られ損だった訳だ。申し訳ない。
 つまり必死で何かを信じているふりをしている事が心地よかった訳で、そうしてその気持ちには偽りはなかったのである。サンタクロースは親だというのは現実的には本当かもしれないが、しかしそれとは別にサンタクロースが本当に居る世界であっても現実として存在するということも信じられたのだ。それは今になってみると何となく理解できるが、人間の性質として、サンタクロースという存在を作り出す癖があるだけでなく、信じることができるということの方が、はるかに価値が高いということなのだろう。
 もちろんその様な嘘が、上手く馴染めない年頃であったり、理解できない人というのも現代人には多いのではないかとは思う。しかしサンタクロースはやはり、居なくなるということは無いのではないか。たとえ正体が親だとしても、それで現れなくなるような存在なのでは無いのではないか。
 サンタが居なくなったとして、プレゼントの習慣のみを残すということの方が、逆に欺瞞が隠れているのではないかとさえ思う。ある意味でその様な正直な態度こそ、サンタクロースに対する不正直な態度であることの告白なのではないか。それは宗教的な馴染の感覚なのかもしれないが、形の無い「愛」というようなものを理解する上では、やはり演技としてサンタクロースの存在を残しておくべきなのではあるまいか。
 もちろん、年頃の僕の息子たちも、早くからサンタの存在を信じなくなっている事とは思う。しかしながらはっきりしているのは、恐らく彼等は自分の子供に対しても、サンタクロースを演じることになるはずなのである。それがいつかは分からないけど、本当は彼らだって、サンタクロースが居ることを本能的に知っているからに違いないからである。
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大切なことは外からやってくるのではない

2012-11-12 | 感涙記

 インドに「裸足の大学」というのがあるらしい。動画は検索して簡単に観ることができるので、ぜひ見てほしい。
 なんでこういうことができるのか、ということはとうぜん色々考える。インド人が素晴らしいからというのは当然そうだと思うが、のちのアフリカでも素晴らしいことは可能なようだ。ひるがえって日本も素晴らしいじゃないかという意見もあるわけで、しかし日本の田舎で同じようなことが起こるかといえば、どうなのだろう。いや、起こりうるとは考えられるのだが、しかし同時にやはりちょっと難しそうだというのも分かるはずだ。人間の能力の違いではないことは明らかだが、しかし、これが能力の違いを生みだしてしまっているらしいことも事実らしい。
 実際にはインドの方が困難が多いだろうことは明らかだ。平たく言うと恵まれていない。そのままだと餓死する人も出るかもしれないし、このような素晴らしい学校があっても、その素晴らしさに触れることもできない人が、さらに居る可能性もある。悪循環はおそらく現在だって続いているはずで、根本的に貧困の解決に至っているとはいえないのではなかろうか。しかし大きく貢献しているし、その鍵も握っている。そうしてこの成功は必ず将来にも続いているだろう。
 日本において一番問題らしいのは、実はこの段階はすでに脱してしまっていることだろう。衰退する田舎は存在するが、その上ほとんどの場合再生などはたぶん不可能だが、しかしそれでもこの状態まで将来的に落ちていくまでは、やはりそれなりに時間稼ぎはできそうだ。もちろんそこまで来たら、単に取り返しのつかないということは言えるだろうが。
 さらに一番大きな問題は、激しい危機にありながら、ある意味で本当に放っておかれていないという逆説的な問題があるのだと思う。インドはいくら声を張り上げても助ける人に声が届きはしない。そういう冷たさが、自分の力を磨かせているのかもしれない。だからごくごく弱い立場にいるおばあさんのような存在が、一番重要だったりする。少なくともその場で出稼ぎなどができずに縛られている女性が、大きなカギを握っている。また、政府や意識も含めて、がんじがらめの規制がうまく働いてもいない。歯の治療を字の読めないおばあさんが行っていたようだが、そういうことは、日本ではおそらくどう転んでも不可能だ。実際に確かな技術が認められたとしても、逮捕されるのがオチだろう。
 夢物語に思えるようなものが現実に存在するのは、実は存在できるだけの自由がそこに存在するからだ。自分の力以外頼るものが無いからこそ、自分の力を大いに伸ばすことが可能なのだ。もちろん分野においては恵まれた環境下でなければならない問題は数多くあるだろう。そのようなものには大いに助成なりの公的な援助が必要なことは間違いが無い。しかしながらそうでないものが必ずしもすべてダメだということではない。そのやり方は必死になって自分たちで考えるよりほかにない。外の世界を知ることは重要だとは思うものの、外の世界から助けを借りるだけでは根本の解決など最初から望めない。
 裸足の学校の存在が、裸足の学校以外の人にも大きな希望を与えるとしたら、それはやはり自分自身への勇気につながっているからに他ならない。今立っている自分の周りこそ、本当に見つめなおすことから始める必要があるということなのだろう。


 追記:「裸足の学校」じゃなくて「裸足の大学」でしたね。本文は訂正しておきます。先に読んだ方ごめんなさい。
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壮絶なチャレンジの記録

2012-11-08 | 感涙記

 日本アルプス大縦断というドキュメンタリーを見た。
 日本海の富山湾から太平洋側の駿河湾までを8日間以内で駆け抜けるという超人レースだ。その間に何があるのかというと、日本の屋根ともいえる3000メートル級の山々が立ち並んでいるわけで、ひとつの山に登るだけでも大冒険なのに、ものすごく無理をした設定だということが分かるだろう。距離は420キロ、登りの累積は27,000mにも及ぶという。着替えやテントを背負いながら(食料などは山小屋などで補給できるようだ。しかし宿泊はできない)、過酷な環境を昼夜を問わず駆け抜ける。これだけ苦労するのに、賞金や賞品は一切ないそうで、酔狂もここまで来ると崇高になるという見本のような苦行レースなのである。
 日頃から鍛えている精鋭の28名の参加があったようだが、当然ながらリタイアの連続である。山の天候は大荒れになるし、命を懸けているといっても過言ではない過酷さなのだ。時間に追われているので、ろくに睡眠もとれない。体力的には限界に違いないし、睡眠不足も重なって、精神的にも相当に負担がかかるもののようだ。レース中に奇行にも似た行動をとる選手もいるし、トップの選手からそれを追う選手、最下位に至る選手のすべてに、レースそのものの重みが否応なくのしかかって押し潰そうとしてくるのである。
 レースに臨む者にとって、このレースにチャレンジし、記録を作ったり完走したりということに意味を見出そうということになるのだが、レース途中を見る限りにおいて、その苛酷さの中で、それぞれの選手がその目的そのものを見失いかけているようにも見えた。あまりの苦しさに、そしてそのレースをしている最中に、自分が何をしているのかさえ分からなくなっているのではなかろうか。自分がいったい何をしているのか、気力を振り絞り前に進もうともがきながら、どんどん分からなくなっていく姿を見て、過酷過ぎるということになると、人間というのは苦しさそのものに意味というものが呑み込まれていくのではないかという気がした。
 しかしながらそれでも(普通の人では成し遂げ得ない)ものすごい速さで持ってゴールする者もおり、苦しみながらも次々に完走する選手もいる。最後には残念ながら制限時間に間に合うことができなかったにもかかわらず、自分なりに完走するということを成し遂げた人もいた。意味というものを見失いかけても、ひとそれぞれにゴールというものは存在する。途中でリタイアした人であっても、その選択を勇気を持って決断した人もいる。あまりに頭抜けた過酷さの中にあっても、人々はその意味をどこかに見出していくものなのかもしれない。もちろんこれを見た人にとっても、このレースに参加することとは違うものかもしれないだろうにせよ、このレース自体に参加する選手たちを見て、人間の不思議さを考えるわけだ。
 何か大きなチャレンジをするということは、人間にとって大きな意味合いを持つ。時にはその苛酷さが気の迷いを生んでしまうにせよ、最終的にはその中でも新たな意味を見出そうとするということになるのだろう。それが成功するにせよ失敗するにせよ、何かをやろうとするということに、大きなカギが隠されているということなのかもしれない。
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問題は知覧から帰った後だが

2012-10-19 | 感涙記
 訳あって鹿児島に行ったので、用事が済んだら当然のようにまた知覧に寄ってきた。本当はそれだけの目的のためだけでも行くべきところだとは思うけど、諸事情あってなかなかそうもいかない。
 知覧を意識したのは松山会頭が挨拶の中で話をされているのを聞いてからだから、十二三年前だと思う。お話では知覧に行って心を清めるというか引き締めるというか、そういうことだったように思う。知覧や鹿屋の特攻隊の話は以前から知ってはいたのだけど、それはまあ、あくまで教科書的な程度のことであって、今思うと知っているということにもならない程度だった。松山会頭の話では、(そうとう忙しいに違いない方なのに)何かの節目の様な時にはわざわざ知覧に行くようにしているということのようだったので、やはり、それは僕も行ってみなくては分からない事なのだろうと思ったことは間違いない。そうしてタイミングが良かったのは、そういう話を聞いて数ヵ月後に鹿児島に行く用事がちょうど出来たということも大きかったかもしれない。その時も用事を済ませて、とにかく帰りが遅くなるだろうけれど車を回して寄ってみた。そうして確かに、何故今までここに足を運ばなかったのかとも思ったし、それでも遅ればせながら寄ることが出来て本当によかったとも思ったのだった。
 特攻隊については、僕も戦後教育を受けているので、いわゆる日本軍の狂気と不幸な歴史とセットになって記憶しているにすぎなかった。もちろん、それはそうではあるのだろうけれど、今となっては自分より随分若い人たちが、いわば、今生きている自分たちのために尊い命を散らしたのだということを、少なくとも僕は知らな過ぎたのだと思う。現実にそのような人たちの残した手紙を読んで、それも知覧のような、今となってはその飛行場姿もほとんど分からなくなった場所に行って、初めて分かるということがあるのだった。
 特攻作戦というのは本当に罪な愚の骨頂とも言うべき狂気の作戦に過ぎないのだが、そのような狂気の時代にあって、その後おそらく日本は戦争には負けるのだということはほぼ分かっておきながら、志願して死んでしまった人たちをどう考えたらいいのだろうか。結果的に犬死させてしまうような戦争そのものを憎むということでもあるだろうし、本当に犬死させていいのかという今の時代の人たちの生き方の問題でもあるという気もするのである。少なくとも僕は軍国青年では無い訳だし、これからもそうなることは考えにくい。そうではあるが、彼らの死の後に同じ国に生まれてきた人間としては、やはり相当な覚悟そのものは、受け止める必要があるのではなかろうか。
 そういう訳で、その後何度かは足を運ぶようになり、同じく鹿屋にも行ってみたりもした。おそらくこれからも機会があればまた訪れることにはなるのだろう。

 今回は同行の人がそのまま語り部の人に話をしに行かれて、自分だけこのような話を聞くのはもったいないということで、地元の講演会を開催する相談をされていた。その行動力には驚きはしたのだが、なるほど、分からないではない。
 実は僕も同じようにまた決意を新たにするところがあって、帰ってから金融機関などとも面談したりしてしまったのであった。事業のためとはいえ借金するのが怖くなくなったということが言えて、そういう場合にはこの場所はちょっと危険だったかもしれないな、と思ったりもする訳だ。まあ、僕の場合そのまま散る訳にもいかないので、もう少し綿密に計画を練る事にはなる訳ではありますけど…。とにかく、頑張ります。
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文化を継承するために変えなければならないこと

2012-10-09 | 感涙記

 日曜日は日本酒のイベントだった。スタッフとして関わっているので思い入れが強いのは当たり前だけど、なかなか盛況で、そうして来てくれたお客さんたちの笑顔を見ていると、本当によかったなあという気分に浸れた。みんなが飲んでる時間帯にしばらくお預け状態は正直それなりにつらいのだけれど、その後の打ち上げは当然ながら大盛り上がりだ。まあ、ちょっと遅くまではきつかったけれど…。

 ところで僕が日本酒が好きになったのは比較的最近のことだ。先輩O畑さんとのかかわりでお招きいただいた日本酒の会で素直に目覚めたといってよくて、今では晩酌に日本酒が無くてはどうにも寂しいという感じになってしまった。ライフスタイルが変わってしまったようなもので、我ながら本当に不思議な気分にすらなる。
 その日本酒の会で出会ったお酒そのものが旨かったというのは確かに一番の要因なのだけど、実はいわゆるその酒を飲むスタイルそのものが、僕には非常にすっきりと気持ちのいいものだったのも大きいと思うのだ。
 それは多少はついでもらったりもするとはいえ、基本的には手酌で勝手に飲むというもの。さらに追い水も時々頂く。そうしたルールは参加者がすぐに馴染んでしまうもので、各自がいろんなお酒を自分の意思でチャレンジしてみたいということの背景もあるのだけれど、いわゆる日本の宴会の日本酒を飲むあり方とはまったく別のものだという気がする。日本酒は会話の潤滑油として、さして注されて杯を傾けるという行為を伴う事が多かったからだ。日本的な人間関係にはそのことは必要であったこともあるのだけれど、正直言ってそういうスタイルの中で若い頃に先輩たちに執拗に飲まされ過ぎた記憶が、日本酒との距離を作ってしまった原因になっていたことは間違いなかろう。日本酒の味はともかく、そういう宴会場の設定そのものが、いまだに嫌な感じとして僕の体に染み付いてしまっているようにも思う。
 ところが基本的に手酌で飲むということになると、たったそれだけの事なのに、酒の味をまったく別のものに変えてしまうのである。もちろんそこに純米酒というデリケートな味の日本酒である。飲んでいる場が楽しいだけでなく、いつもお酒とちゃんと向き合うことができるのである。
 僕はいまだに純米酒で無い座敷宴会は苦手なままである。一般の人に向けて、酒を飲むといっても特に日本酒が好きということも公言しない。うっかりそういうことを言うと、ビールで乾杯した後に、気をまわして醸造酒を燗つけて持ってきてくれたりしてしまう。「まま、どうぞ」と言われても、実は心の中ですっかり酒を飲む気持ちは冷めてしまっている。または例え純米酒でも、小料理屋なんかで、やはりここは久保田の万寿で行きましょう、などともったいぶって飲まされたりする。いや、不味くは無いんだけど、結局さしつさされつで飲むのがいけないのである。せっかくなのにもったいない。
 日本酒が二日酔いになりやすい酒であるというのは、経験上は正しいことのようには感じられることだ。二日酔いの苦しさは酒の種類によっては確かに違うような印象はある。後悔先に立たずということわざは、二日酔いという体験においてはまさに見本のような教訓である。しかしながら、二日酔いの原因はほかならぬ飲み過ぎである。飲み過ぎる酒の種類が原因であるというのは、原因の確定の誤りの可能性は無いだろうか。どうして飲み過ぎるのかの本当の原因は、第一には酒の飲み方の方が大きいのではないか。飲ませる事がもてなしのような文化があるとしたら、そうしてそのような作法があるとしたら、本来はそのような習慣の方が断罪されるべきことではないのか。最大の原因を改めないまま、スケープゴートにさせられた酒の種類があるとしたら、それこそ本当に日本酒の不幸と言うべきではないだろうか。日本酒を飲むときにセットになっている日本の作法こそが、本来は改められるべきものでは無かったのだろうか。
 純米酒を飲むようになって日本酒の奥深さや幅広さを実感するようになったとはいえ、日本酒の消費というのは本当に斜陽化しているというのが現実である。純米酒には勢いもあるし将来性は間違いなくある。そのポテンシャルの高さは、本当に日本の文化としての誇りであるといっていい。しかしながら、日本酒という全体的な立ち位置を考えると、非常に危機に立たされている中に、かろうじて光を指している部分と言っていい程度なのではないか。だからこそこの純米酒に取り組んでいる蔵元は、本当に必死になってその技術に磨きをかけて、丹念に真摯に酒造りを行っている。そうして結果的には、非常にデリケートでありながら、見事な個性を放っている。
 日本酒はその伝統を守って現在の地位をかろうじて守っているのではないのだと思う(もちろんそういう部分はあるにせよ)。相当な危機感を持って、あえて攻めの姿勢で攻勢をかけ、そうして新たな境地を獲得しようとしているのである。そのような姿勢を飲む側も真摯に受け止めるとしたら、よく分からない慣性として続いてきた習慣を、自ら見直す事も考えるべきなのではなかろうか。そうやって自由に豊かに酒を飲む文化を構築していくことこそ、本来的な文化の継承と言えるのではないだろうか。
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パンダと日本の暑い夏の日

2012-08-25 | 感涙記

 訳あって和歌山に行って、さらに訳あってアドベンチャー・ワールドに行って来た。あたりまえだけど和歌山っていうのは結構広くて遠かったなあという感じ。やっとたどり着いて駐車場の車の数を見て、これは思ったよりえらいところに来たのかもしれないということに初めて気がついた。すでに3時過ぎていて、日光の力はまだまだ強力なんだけど、時間的に夕方に近づいているという時間帯にもかかわらず人々はどんどんここにやってきている。夏休みなんだなあということはあるにせよ、えらい人気の場所であることは間違いない。なんというか、まあ付き合いというか、気楽にやってきた身の上としては、なんとなく身構えてしまう感じだった。
 施設自体もそれなりに洗練された現代風の娯楽施設という感じで、入ってすぐに池の中でペンギンが泳いでたりする。動物園と遊園地が合体してディズニーランドとは違う空間を演出しているという感じ(どんな感じ)かもしれない。
 それなりに通路には屋根があるにせよ、とにかく暑い。吹き抜けに海風が通るとはいえ、熱気という感じでぜんぜん体が冷やされるという感じではない。そういう中をどんどん目的に向かって僕らは歩いて行く。というか僕はついて歩いている。なんとなく行きたい場所は分からないではないが、よく聞いてなかったのでそれほどまでの引力があるとは理解してなかった。どんどん歩いて行ってやっと目的の場所にたどり着いて、プラカードを持った青年の後ろに並ばされた。そのプラカードには「ただいま45分待ち」と書いてあった。パラソルが並んで設置されているとはいえ、ぎっしり並んだ行列には、まだらに強烈な日差しが射している。そうして最後列に並んだ瞬間から、その熱気の中で体温は温められ、額から背中からあちこちから、ドッと汗が噴き出してくる。列が少しずつ進んでいくのだけが僅かばかりの望みで、それ以外は何にも考えられない。ただ汗を流し時間をやり過して我慢大会に参加している気分になる。本当にこのままで僕の体力は持つのだろうか。思わぬ消耗戦に、先に精神のほうがどんどんまいって追い込まれていく。残されているわずかな体力で冗談を言おうとするが、ウケずにさらに消耗する。まったく悪循環だ。子供の泣き声と、若いカップルの小言などを聞きながら、つらいのは僕らだけじゃないと自らを励ます。そうだ、みんなつらいのに頑張っているのだ。このまま一生並んでいるわけじゃないんだ。終わったらきっとビールを飲んでもいいんだ。
 後は省略するが、とにかくに並んでパンダを見た。パンダは無邪気にゴロゴロしたり歩き回ったり、ただ寝てたりしてた。子供が生まれて一般公開された初日だそうで、それでみんなが集まって来たのだという。もちろん僕らもそれで来たんだって。人の話はよく聞かなくてはいけない。目的意識が薄かったのでつらかったのかもしれない。
 そういうわけで最大のお目当てのパンダの赤ちゃんだけど、母パンダが抱きかかえた姿勢で後ろを向いてガードを固めていて、まったく拝むことができなかったよ。みんな残念がっていたけどボードに写真が飾ってあって、まるでパンダというより毛の少ない鼠という感じだった。ある程度大きくならないと、パンダとしての可愛らしさは無いようにも思ったが、まあ、残念ではあった。
 でもまあ、そのような母パンダの姿というのは、ある意味で一所懸命このような心無い人間から守っているということでもあって、けなげというか感動的ではあったと思いました。そういう野生や母性は尊重してしかるべきだ。見られなかったことこそが、パンダ愛に出会えた証明ということにしておこう。
 いきなりメインは済んだので、後は帰る道すがら、イルカのショーを見たりペンギン見たりラッコ見たり白クマ見たりした。本当はもっと広いところみたいだったけど、痛風で膝は痛いし、歩くのやっとだったから、単に苦行という感じだった。エントランスの椅子に若いお父さんが荷物番をしながら、股を広げて爆睡する姿を見て、みんな大変なんだよなあ、と日本の暑い夏を満喫したのでありました。
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最後においらはなんと言うだろう

2012-07-06 | 感涙記

 子供たちも大きくなってきたんで、僕ら夫婦ももうしばらくしたら死ぬだけだな、というような会話が多くなる。世間的にはまだまだということも言われないではないが、少なくとも今まで生きてきた時間以下であることはほぼ確実で、元気に過ごせるという時間を考えると、もうそんなには無いだろう。それでいいのかというのは別の話だが、まあもう残りの方が少ない組に入っていることは間違いなかろう。人間の一生なんて、あんがい短いもんだね。まあ、十分と思えるくらいに達観出来てないだけの話かもしれないけれど。
 とまあ、気分はぜんぜん若々しくない夫婦なのだが、僕個人的には、やはりそんなに死に急ぎたくはない。もちろんつれあいより長生きもしたくないが…。そうして気分が寂しくなってくると、どういう訳か今聡を思い出す訳だ。
 今聡の作品自体が素晴らしいものだし、僕は遅れてきたファンではあるにせよ、その才能には驚愕するばかりだ。クリエイターというのは作品がすべてだから、その私生活はどうでもいい話だというのも、話の上では理解している。そうではあるけれど、今聡の最後のブログは、やはり作品としてというより、かなり強烈な印象の残るものだ。

KON’S TONE「さようなら」

 そうしてやっぱり、こんなようにカッコ良くは、とても生きられないな、と思う。もう少し駄々をこねながら時間を潰すのももったいない話ではあるし、考えどころではあるかもしれない。これはやはり、もう少し修行をさせていただかなくてはなるまい。
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ちょっと不貞腐れていたが…

2012-05-30 | 感涙記

 今頃になって金環日食のドキュメンタリーなどを数本観る。改めてうらやましい限り。もともと部分日食しか見られないことは分かっていたが、その夢さえもついえた曇りと雨空に叩きのめされた天然現象体験だったために、時代に見捨てられた人間としてひねくれていたのである。25年ぶりとか900年ぶりの機会にこの体験ができなかった人間は、夢と希望を失って当然である。生きている資格すら無いかのような衝撃であった。
 ところでやはりそのうらやましい現象を体験できた映像は素晴らしくて、テレビの映像でもかなり感動的だった。今回は地球と太陽との距離が遠いということで見事な金環ぶりになったということらしい。ちなみに近いと皆既日食になったということで、実はこれの体験をしたいという思いの方が強いのだが(いわゆる暗くなるので動物が騒いだりして楽しいような気がする)、さて生きているうちにどこで起こるものなのだろうか。
 昭和33年の小笠原での日食観察の映像なども紹介してあった。当時はガラスに蝋燭の煤などをつけてグラスを自作したものらしく、皆片目をつぶってその黒い部分を使って観察している様子が映されていた。今回の観察映像などを見ると、恐らく学校などで同じグラスを配られていたというのも多かったように見えた。それはそれでいいが、このような準備をするものとは明らかに期待度は違うのではあるまいか。うっかり煤を触ってしまうなどということもやらかした子供もいただろうことも想像出来て、時代とはいえやはり観察の気分は微妙に違うのではあるまいか。
 部分日食なら今までにも数度見たことがあるような記憶がある。それぞれに日食グラスを自分で持っていたような記憶があるが、空を見上げて観察しているのはほとんど僕一人という感じが多かった。僕がグラスを覗いている様子を見て近づいてくる人がいるという感じで、あんがい日食というのはみんなあんまり関心が無いのかもしれないと思っていた。今回のような感じというのは、やはりかなり特殊な部類ではあったのだろう。
 今回の観測で、太陽の大きさがかなり正確に分かるようになったというのもトピックとして大きく報じられた。比較的近い星であっても、誤差が数千キロもあるというのがそれなりの驚きであった。今回は数キロまでの精度に高められたということらしい。
月の凹凸でも日食の見られる境界の予測にかなりの差があったことも分かった。NASAなどの予測より、近年の衛星データを用いた日本の研究者の予測の方がより正確だったことも証明されたようだ。太陽の大きさは変化しているという説もあり、今後も観測が続けられることにより、そのあたりの謎も将来的は解明されることにもつながりそうだ。
 多くの人が空を見上げたことによって、宇宙観測の技術が将来的に大きく飛躍する可能性も高まったのではないかとも考えられる。奇しくも日本では天体ブームというか宇宙への関心が高まっていると考えられる。イトカワ観測から映画(というか漫画も)の宇宙兄弟ブームもある。関心を持つ人が増えると、それだけ関心を持つベクトルも高まり、将来的にさまざまな謎にチャレンジしていく人間も出てくるというものだ。そのような謎というか、好奇心の尽きない舞台へ進んでいく人が増えることで、長生きする甲斐のある未来が保障されていくという訳である。今回の無念さは、そのような期待で帳消しするより無いではないか。
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