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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

パワーショベル、川をゆく

2012-04-15 | 感涙記
Saigon River (Excavator rowing Boat) Ho Chi Minh City


 豪快と言えばそうだし、強引といえばそうだし、しかし妙にのどかで、そしてダンスを見るような、そのような優雅さが無いでは無い。パラソルが何となくおしゃれでもあります。
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ねえ、知ってる?

2012-03-28 | 感涙記
All mameshiba episodes! [english sub]


 つい豆知識が増えちまったぜ。
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勝負決まらず延長戦みたいな気分です

2012-03-20 | 感涙記

 今年は自分の母校の卒業式に三つ出た。ひとつは大学(僕の頃は短大だったけど)。自分の頃はこんなだったっけ?などと不思議な気分だった。なんか行きがかり上出ることになってしまったのだけど、なかなか面白いとは思った。僕らの頃とは全然違うセレモニーになっていて、そうして少しばかり洗練されたようにも感じた。来賓の中国総領事さんの挨拶が、何となくよかった。大学生の卒業式だから、ある意味で大人になっているようにも見えるが、やはり大部分の人たちは若くて、まだ可愛らしいなあという感じだった。社会人になっても頑張ってください。
 二つ目は中学校。これは来賓祝辞を言わなくてはならないので仕方なく出た。朝からトイレでスピーチの練習をして臨んだので、本番もまずまずしゃべることが出来た感じでよかった。目の前に座っている少年が数名、終始けっこうケタケタと笑いながら僕を見ていて、なんだか大して面白い話をしている訳でもないので、不思議な子たちだなあ、と思いながらしゃべっていた。終わったらホッとしてちょっと足がガクッときた。やっぱり緊張してたんでしょうね。終わっちまって良かったぜ。
 三つ目は小学校。来賓として呼ばれるのはたぶん最後だから、自分の母校に行くことにした。やはり祝辞には目がいくもので、会長さんは僕の同級生でもあるので、なおのこと注目してお話を聞いた。なかなか立派なだけでなく、そんなことがあったのか、と少しばかり驚くようなエピソードも交えたいい話だった。やはり気合を入れて考えたんだろうね。お疲れさまでした。
 僕らの頃と同じような別れの言葉のやり取りがあったけど、よく聞いてみると、微妙にエピソードや言い回しが違うらしいことも分かった。歌っている歌もちっとも知らないものだ。このような雰囲気が好ましいという教育界の考え方というのが段々と分かってきたけど、僕もしかしこのような世界からはおさらばである。そう思うとやはり段々と感慨深い気分がわいてきた。僕も同じように卒業しますって感じかもしれない。
 実を言うと、完全にこのようなやくざな世界から足を洗うことは叶わないことが決定してしまった。本当に悲しいけれど、役割だから仕方が無い。でもまあ、また卒業式は見るような機会があるということかもしれない。特に好きなセレモニーってわけでもないけど、役割から卒業できなかったということで、僕がまだまだ未熟だという証拠なのだろう。勉強が足りないならまだやるのみである。延長戦だと思って適当に頑張ります。
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イルカの大群

2012-03-12 | 感涙記
Dana Point Dolphin Stampede Dana Wharf


 加津佐のイルカウォッチもこれくらいいると楽しいかもね。
 もっともこれだけいれば、漁師が獲る魚は居なくなってるでしょうけど。
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世知辛い世の中にあって

2012-03-11 | 感涙記

 北米にホオジロシマアカゲラという種類のキツツキがいる。雄雌区別がつきにくいが、時々オスの頭の後ろに赤い毛が見られる。松の木に穴をあけて巣を作るが、巣穴の周りもまんべんなくつついて松ヤニだらけにしてしまう。こうすると巣穴の中の卵や雛を狙って登ってくる蛇が、松ヤニが邪魔になるのか落ちてしまうのだ。なかなか賢いやつのようである。
 このキツツキがさらに偉いのは、ツガイで子育てをするばかりか、関係のない第三者の仲間までも、一緒に餌を運んで雛を育てるのである。どういう習性でそうなのかはよく分からないけれど、ひょっとすると社会性があるのだろうか。
 別に擬人的にどうこう言いたい訳ではないのだが、素直に偉いものである。子供を社会で育てようなんてことになっても、議論の上で個人の問題として放置しがちな国とは大違い、という感じはする。
 もっともホオジロシマアカゲラは絶滅危惧種と言われており、やはりそのような奇特なことをするような生き物は、少数なのかもしれないが…。
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水泳猫

2012-03-07 | 感涙記
Cat Goes for a Swim in the Sea


結構あるんですね。以前地中海かどこかの国に泳ぐ猫が居るらしいという噂があったけど、泳がせると泳ぐものなのでしょう。犬と猫はご先祖が同じなので、犬の出来ることは基本的に猫も出来るようになるのかな。わかんないけど。少なくとも人間に付き合わされる動物は、いろいろやらされて大変なのであります。


泳ぐ猫マリンちゃん♪


でぶねこ泳ぐ 泳ぐ猫1  swimming fat cat


海で泳ぐ子猫-*+*-/ (1)Strange short hair cats swim in the sea of Japan
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財布を拾う時が…

2012-01-06 | 感涙記

 録画していた談志の芝浜を観た。これが泣かずにいられるか。
 屈指の人情噺ということになっているが、まあ、それはそうなのだろうが、僕が最初芝浜を観た時は、何となくひどい話だと思ったものだ。僕は嘘が嫌いなのです。そうして誰だったか、談志でない芝浜だったが、それを観て、ひょっとするとこの男、最初から酒をやめることを考えていたのではないかという疑問を持ったことがあった。僕も酒飲みだから酒を飲むのは好きなのだが、毎日酒を飲んでいると、飲むことに怖くなってやめたくなる時が、ほんのたまにだが、ある。酒がまずいんじゃなくて、飲んでいる自分が嫌になるというか、そんな感じ。それとまあ、酒飲みの仲間の中には、明らかに酒が過ぎるやつが出てくる。大抵はあらかた飲むと娑婆に帰ってくるようにはなるが、戻ってきにくくなるやつが出てくる。病気になってしまうとそう簡単に戻れないが、病気に近くなるというやつだろうか。もう本人はやめたいが、飲むことをやめるのは、そのふんぎりをつけられるだけの何かが欲しい。そういう自分自身だけの力じゃなくて、特別なものが欲しくてたまらないのである。芝浜というのは、ひょっとすると、そういう話なんじゃないか。
 江戸時代にアル中がいたのかは知らない。まあ、しかし酒があったんなら、いた可能性もあろう。アル中になってしまうと、二度と酒を飲むことはやめた方がいい。たぶん生物的に適性に欠いていると思うしかない。思うしかないが、酒は大人のたしなみとして飲んで悪いものではない。まわりの人間は病気なら治ることがあると思っているから、しらふになったら飲んでみな、と勧める。そうして適性に欠いた人間の病気が再発する。
 もちろん江戸時代は病気とは思っていなかったろう。病気だと知っていたのは、恐らく本人だけなのではないか。そんな話ではないのは分かっているが、そうかもしれないと思っていたということだ。
 さて、談志の芝浜。これはやはり病気の話ではない作りだ。そうして強烈な夫婦愛。人間の業。年末年始にこれを聞いて、そうして明けると仕事に励む。これ以上の人間への励ましは無かろう。しかし、やはりどこか怖いところがある。そういう恐ろしさもわかった上で生きていくよりないということか。落語は屁のように馬鹿馬鹿しいが、やはり深いものは深いのであった。合掌。
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ボールペンを捨てる

2011-12-31 | 感涙記
 メモ魔の僕の年末の楽しみは、今年インクの切れたボールペンを捨てること。
 黒だけ残ってる場合は本をよく読んだ(赤で線を引くから)場合が多く、赤が残っている場合は会議がつまらなかった(資料にたくさん書きつけるから)場合だとかが多く、何故か青は先に切れることが多くて困らないが(請求書をたくさん書いたとか)そういう感じでインクの残っているボールペンは、それこそ山のように机の引き出しに眠っている。キャップをなくしてしまったものとか、時々書けなくなっているかもしれないと思って書いてみるけど、年々ボールペンの性能はあがっているものと見えて、なかなかそういうものが出てこない。書けるもの(まだ使える)を捨てるには忍びないので、使い切ったものを堂々と捨てられることに快感を覚えるのだろうと思っている。漱石は年末になるとたまった手紙を庭で焼いて喜んでいたそうだが、そういう気持ちは何となくわからないではない。書けなくなったボールペンには感謝しつつもお別れできて大変に嬉しいのであった。
 そうしてまた、新しいボールペンを手にすることの喜び。胸のポケットに新しいボールペンをさすことの快感は、そのたびごとに気持ちをリフレッシュさせるのであった。

追伸:筆ペンがなくなるのは不幸が多かったのかお祝いが多かったのか、その両方が多かったからに違いない。
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ウサギさんのお仕事

2011-11-26 | 感涙記
Rabbit open letter!?


 ウサギってこんなに便利だったんだ! 職場で雇いたいです。
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小琳ちゃん、逝く

2011-09-21 | 感涙記

 思い起こせばいろいろあり過ぎる。小さい頃はGTSみやげのタイの枕の狭い面積の上に寝ていたりした。当たり前だがまだ顔も丸く日本犬のようだった。ミニダックスだから体も長いのだけど、顔がだんだん長くなるのもなんだか不思議だった。お袋はそれが不満で、もう長くならなくていいと言い聞かせていた。
 気まぐれなところが多くて、散歩に行く前はぴょんぴょん跳ねて喜ぶくせに、家から離れていく道を選択すると、ごろんと横に寝て拒否した。抱っこして僕が散歩するという感じになって、長時間になると重かった。リードを外すと逃げ出すが、追いかけると途中で諦めてごろんと横になった。降参という意味らしい。
 食べ物に対する執着は強く、テーブルの上にも何とかしてよじ登るようだった。一家の晩御飯が全滅することもあったようだし、しかし食い過ぎると吐くのだった。ゴミ袋も漁るし、ティッシュを細かく千切ってまんべんなく部屋を散らかすのも得意だった。叱ると逆切れして唸った。ライオンのような顔になり恐ろしいのだった。トイレは何度も教えたが、結局最後までまともに覚えることができなかった。上手くいきそうになっても体が長いためか、トイレの的を外してしまうのだった。いろいろ飼ってきたけど、そんな犬は初めてだった。頭も良くなかったのだろう。もちろんお手などの芸も、すべて出来なかった。
 血管の病気があるらしく、体が弱いらしいと後で知った。考えてみると運動はそういう訳で得意じゃなかったのかもしれない。最近は階段から落ちたりしていた。寝起きにフラフラして足元がおぼつかないことがあった。僕の鞄の中に入って寝ようとして大事な書類を破いたり、中にあるものをかき出して、僕が忘れ物したりした。しつこく舐めるので却って煩わしくなり邪険に扱うこともあった。なんだか済まなく申し訳ないと、いまさら思う。元気な頃は手首にかみついてじゃれて遊ぶのが好きだったが、そんな遊びもいつの間にかしなくなっていた。手羽先などを食べていると、寄こせという意味だろう、激しく吠えて要求した。もちろんその期待には応えられなかったのだが。
 朝から様子がおかしく、いよいよかとは思っていた。帰宅すると息が荒く目を開いたまま舌を垂らして寝ている。さすってもろくに反応が無い。嫌いな爪切りもさせるがままだったのだという。昏睡というか、意識は無かったのではあるまいか。
 息が苦しそうになると体をさすったり体位を変えたりして見たが、だらんと力無く張り合いが無かった。足を伸ばして口を半開きにし、最後は目玉をむいて息切れた。9時1分頃だった。次男坊が帰ってくるまでもたなかった。見開いた眼は硬直してもなお、なかなか閉じることができず、見ているのがつらいのだった。
 朝から隣の畑の蜜柑の木の西側に穴を掘った。雲行きが怪しく、雨になる前に埋めた方がよかろうと思った。畑にはいろいろと花が咲いていて、手向けるのには不自由が無かった。土を掛ける前に体をうずめるように手向けてやった。パンダの小さなぬいぐるみと、口元にドッグフードも置いた。
 小琳という名前は、大切な玉のように貴重だという意味がある。もちろん音の響きもかわいいので、女の子だしふさわしいと思ってつけた。犬にとってどのようなあの世が待っているのかは知らないが、どこに用を足しても怒られないようなところだとよさそうである。
はっきりと冷たくなったので自覚しているはずだが、そしてこの手で埋めたのだから間違いないのだが、本当に家に居なくなったのかは怪しいような気がする。たぶんしばらくはこの寂しさとつきあいながら暮らさなくてはならないのだろう。


 追記:家人から、小琳ちゃんだって芸を教えたら覚えたはずだ、と苦情があった。芸など教えるなと言ったのはあなたであって、小琳ちゃんはその機会を失ったのだという。まったくその通りで、何も覚えなくていいとは思っていたし、あえて教える必要など無いと言っていたのは間違いが無い。人間の言うことを聞かない犬であろうと、それでいいと思っていたのかもしれない。そういう訳で、芸が無かったのは僕のせいです。小琳ちゃんの名誉のために訂正しておきます。また、お座りくらいは出来たんじゃ無かったかな。
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広島はいいところじゃけん。

2011-08-27 | 感涙記
 訳あって広島へ行ってました。ま、知ってる人も多いでしょうが。
 なぜか縁あって、広島へはよく行くとまでは言わないまでも、結構何度も来てるんですよね。古くは中学の修学旅行から、友人のお宅をたずねたり、出張で訪れたり。遠いながらも10回近くは来てる気がします。記憶が怪しいので大げさかもしれませんが。
 広島の方言のきつさもあるのかもしれないですけど、ちょっと荒っぽい土地柄のような印象があるとは聞く話ですが、ぜんぜん僕にはそんな感じは無いんですよね。
 昨日も分科会の帰り(廿日市というところです)に駅までの道を尋ねたら、乗せてってあげますといわれたんですよね。人数が多かったのでお断りした次第ですが、本当にありがたかったです。ちなみにウッドワンという会社の社員さんでした。お名前をお聞きしませんでしたが、本当にありがとうございました。そのお気持ちで十分僕の心も豊かになったような気がいたしました。送れないことに残念そうなお顔をされていたことが、申し訳なかったです。こちらの一方的なわがままで申し訳ありませんでした。
 それは個人的な体験に過ぎなくて相対的な広島は違うのだという意見があるかもしれません。たとえそれが事実であろうと、僕にとっての広島は、そのような暖かい人柄の街なんですよね。今後ともよろしくお願いします。絶対また行きますからね。普通に。(つづく、たぶん)
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カンディンスキーを観に行く

2011-08-01 | 感涙記

 カンディンスキーを観に行った。抽象画が特に好きということでも無いようだけど、何故かカンディンスキーが昔から好きなのだ。藤子不二雄がマグリット好きというのは有名だと思うが、たぶんそのような頃に不条理な絵というのに興味を持ったのがきっかけだったと思う。そういう中でカンディンスキーの絵を正に「発見」したような気になった。当時適当に有名でもなさそうなことと、近代絵画よりは古い感じのくせに、しかしやっぱり斬新、というのがいいと思った。それに何より、見ている気分が何故か楽しいという感情に結びつくというのが不思議で魅力的なのだ。どうしても自分では説明できないのに結果的に楽しくなれるというのは、恐らくカンディンスキー自身が狙っていることでもあって、それって凄いことじゃないか、と思ったわけだ。その後しばらく忘れていたけど、池谷裕二の本を読んでいて、彼もカンディンスキーが好きだというのを見つけて、なんだかものすごくうれしくなったのを覚えている。脳のことを研究している人でも(だからこそかもしれない)、このようなカンディンスキーの魅力に取りつかれてしまうのだ。
 でもまあ、いつもいつも思い焦がれているようなことでも正直言って無かったのだけど、山口県立美術館にやってくるというので、かなり気になっていた。近くにやってきたとはいえ、それなりに遠い。しかし子供たちは夏休みのはずだし、つれだすにはいい機会じゃないか。願わくば近くの温泉場にでも一泊旅行なんかできるといいな、と考えたわけだ。しかしながらそんな思いつきはもろくも崩れる。子供たちだってそれなりに忙しいし、全員が揃って一泊できる予定がつかないことが判明する。縁の無い間柄だったと諦めるより無いな、と思っていたところだった。
 何の夏休みの予定も無いなんてつまんないじゃないかと子供のように駄々をこねていたのかどうか、日帰りだったら行けるんじゃないかという話に突然なった。じゃあ明日の日曜じゃなきゃ難しいようだということらしい。それでも次男坊は既に予定があるという。しかしまあ行ってくれば、という大人の態度である。むむ、これは脈が出てきたしめしめということで、そのまま僕は深酒して寝てしまった。
 朝からも本当に行けるのかどうかちょっと怪しい雲行き。資源ごみを出す日だし、出発はそれ以降だ。つれあいは予定通りご飯を準備できるかという問題もある。僕はいつものように風邪気味で、鼻水がなかなか止まらない。飲みながらうたた寝でもしてしまっていたのだろう。長男は、何だ、やっぱり行かないのか、と言ったらしい。たぶんそれが決め手になって、9時過ぎに出発できた。自家用車は長時間運転に不安があるので、車はある筋から借りることにした。距離にして約270キロあまり。往復540キロ小旅行である。
 無計画なりになんとかなるのは目的がはっきりしているせいである。とにかく美術館に絵を観に行くだけのことである。途中ひょっとして休館日なんかもあるんじゃないかという話になったが、夏休みの日曜にそれは無いだろうという話になった。ネットで調べるのが怖いのでやらなかったが、後でメモに開催期間と休館日が記されているのを発見して安心した。たどり着くのか不安が無いわけじゃないけど、たぶんどうにかなるだろう。事故さえ起こさなければいいのだ。
 ただひたすら走り続け、関門橋で記念撮影したりして目的地へ向かう。昼時になって飯も食わなくちゃいけない。結果的には偶然寄った喫茶店のような洋食屋さんで前売り券をゲットして美術館へ入館できた。
 事前にたいして下調べしていたわけでもないし、好きだと言ってもカンディンスキーに関することなんてほとんど知らない。抽象画以前の油絵なんかも観て、ちゃんとした絵も描けるんだな、などと思ったりした。しかしどんどん絵柄の線や色使いは崩れていき、子供でさえ描きそうにない展開を見せていくのだった。
 正直に言うと僕の好きなカンディンスキーは、厳密にコンポジション・シリーズ(といわれるもの)だったようで、今回は来ていないのだった。少し残念だったけれど、そんなこともぜんぜん知らないで好きだった思いも確認できたし、抽象画が生まれていく過程をなんとなく目の当たりにして、不思議な感動を味わえたのは確かである。見ているものは見ているが、どんどん感情的になっていくというか、そうしてそのようなある意味でデフォルメと再構築が力を持つまでに葛藤していく、人間の生々しい苦悩のようなものさえ感じられる。その後にあの不思議なオーラを発っする抽象画へと、変化を遂げていくのであろう。人間の発明というのは不思議なものだ。今となっては当たり前に抽象画の力を信じて描く人や観る人がいるわけで、しかしその発見をなんとなく信じながら完成させようとする人たちの思考錯誤が無ければ現代も無かったのではなかろうか。もちろん人間の可能性としては、誰かがいつかは成し遂げられたことかもしれないが、たとえそうであってもパイオニアとしてこの道を発見できたということに大きな価値があるように思えるのだった。
 それにしてもある意味で、久しぶりの酔狂を成し遂げることができたというのが何より楽しかった。付き合わされたつれあいに息子は、多少迷惑だったかもしれないし本当に楽しめたのかどうかも分からない。結果的にサザエさんのじゃんけんにも間に合って帰ることもできたし、強行軍なりにコンパクトな一日の出来事ではあった。それにまだまだ夏は終わってもいない。正直体は疲れたけれど、そういうものがまったく関係なくなる別の力が生まれたような、そんな気分なのである。
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車に求める楽しみ方

2011-07-21 | 感涙記
Toyota Window to the world - multimedia system


 素直に凄いです。
 いろんな意味で、以前まではなんとなく当たり前だと思っていた未来が楽しいというイメージが、どんどん失われているような印象がある。しかしながら、そういう気分を払拭するのはやはりテクノロジーなのかもしれない。
 もちろん、僕が若くなくなって、そういうものに気付かなかっただけなのかもしれない。遅れてきた期待のようなもの、なのだろうか。
 少なくとも自動車という乗り物に求められているものは、だいぶ違うものになっているということなんだろう。
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パンが無ければ、ケーキを食べたらいい日

2011-07-15 | 感涙記



 年を取ったということに関しては、なるほど愕然としてしまうわけだが、しかしながら誕生日が嬉しくないかといえば、別にそんなことは無い。これからも永遠にそうなのかは知らないけど、自分の生まれた日がスペシャルであることは間違いない。
 フランスではパリ祭で盛大に花火が上がるらしい。そういうことを小学生のころに知り、フランス人でも無いくせに嬉しかった。ブラボー!フランス。なんとなく監獄を襲撃したくなるが、助け出したい人もいないのが残念だ。
 朝からはご飯で年齢をかたどったスペシャルプレートに蝋燭が灯されお祝いを言われた。実はちゃんと忘れていた(そろそろということは知っていたはずなのに!)ので少しびっくり。蝋燭の数は省略して一本であったけど。まあ、ちゃんと並べたら火事になりかねないが。
 日中もいろんな人から祝福される。何故かポップコーンを貰ったりした。facebookにもメッセージやコメントをいただいた。どうもありがとうございました。
 仕事の方ははかどらなかったけど、節目となるくらいには片付いた。しかし懸念していた事案は解決した。これで少し嬉しく開放感があった。
 つれあいからプレゼントも貰った。Tシャツと携帯ホルダー。いまどきはオジサンしかこういうものを使わないらしくて、探すのに苦労したそうである。でもやっぱり携帯するんだから必要だよね。ありがとう。
 理事会ハネて家に帰ると、休肝日なのに特別に発泡酒500mlであった。日中は暑かったし、実にクールに素晴らしい。もちろんその後日本酒飲んで、焼酎の水割りも飲んだ。焼肉と冷奴と蛸刺しとチーズも食べた。
 そういうわけで残りの寿命も楽しくありたいものであります。




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三色ボールペンとペンカット

2011-06-20 | 感涙記

 昨日は父の日ということで息子たちからプレゼントを貰った。一人からはジョットストリーム三色ボールペンを二本。すでにストックは数本持っているけど、僕は一種のメモ魔なのでいくら買い置きがあっても大丈夫。酒がいくらあっても邪魔にならないのと同じである。いつかはちゃんと無くなってしまうのだから。
 そしてもう一人からはペンカットという携帯ハサミだった。
 嬉しくてすっかり舞い上がってしまっていろいろ切りたくなる。一夜明けても熱が冷めなくて不必要にチョキチョキ切ってしまう。まあ普通に切るなら専用のハサミの方がよく切れるようだが、いちいち変形させてハサミにする動作が無いと落ち着かなくなってしまうのだった。
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