goo blog サービス終了のお知らせ 

カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

闇の錬金術は人に教えない

2023-05-10 | 時事

 投資を騙る詐欺まがいの勧誘が、若者の社会で被害を広げているという。「闇の錬金術」と言われているらしい。僕は知らなかったが、そういう命名はそれなりに有名になっているようで、「闇の錬金術」という単語を聞くと、若者の多くは「ああ、その事か」という顔をする。「オレオレ詐欺」みたいなものなのに、それでも騙される人がいる、ということなのだろうか。
 投資詐欺というのは、もちろん比較的お金を持っている人の資金をだまし取るのが一般的で、おもなターゲットはこれまで家族の為であるとか老後資金などで貯めてあるお金を狙ったものが多かった。それはそれとして今でもあると思うのだが、特に若者がターゲットになっているというのは、どういうことだろうか。
 要するに若者の多くは、そのような投資に対するリスクのことをよく分からないままに、言葉巧みに言いくるめられるためであるようだ。若いうちにはそれほどため込んだ資金が無いので、借金を強要されてまで投資資金を工面するために、問題が大きくなるのだという。社会背景としては、将来に向けての投資は若いうちから、というセミナーだとか、給与などこれからの社会構造として簡単に上がらないだろう、という不安に付け込んでいるもののようだ。またそれらで集められた資金の多くは、暗号資産として行方そのものが分からなくなる方法があるようで、警察の捜査でも、実際に投資に使われている資金であるのならば違法性を問いにくいという面が、どうもあるようだ。実際に暗号資産として海外等で運営されているのであれば、リスクを伴った投資の一形態だ、という認識も可能になるということなのだろうか。そこのあたりは僕にはよく分からないところだったが、お金を集めた首謀者は逮捕されるものがいるものの、集めた金額の割には軽微な罰金刑であったり(それより多額の資金を集めて儲かっている犯人たちには、十分支払い可能だろう)するだけで、肝心の預けられた被害のお金が、被害者の元へ戻ることは難しいのだという。元本は戻らないまま、借りた先の返済は何年にもわたって被害者の若者の肩にのしかかってくるわけだ。既にその被害者の中には、失意のまま自殺した者まで居るのだという。
 一般的にこのような詐欺まがいの投資というのは、騙されたものにも落ち度があるように言われることがある。そんな儲け話に欲がくらんだツケのように思う人もあるかもしれない。しかしながら僕が若いころのことを考えてみても、そのような勧誘というのは、それなりにあったものである。投資詐欺というよりも、基本的にはねずみ講で商品を買わせるものがほとんどだったが。いわゆるネットワークビジネスと言われ始めた時代が僕らの若い頃で、いまだにそれで逃げ切った企業もそれなりに存在する。
 当然僕も何度となく勧誘を受けた。まずあるのは、久しぶりに会う友人からのものだ。会う約束をすると、そこにはもう一人知らない人が来ている。そうしてネットワークビジネスで一儲けしようという話を聞かされる。怪しいとはわかっているが、すでに友人はそのビジネスを始めており、実際に小金を手にしているともいう。今加わると、実に美味しいことになるという。しかしいくらから始めるのかという話になると、数十万ということらしくて、そもそもそんな金は工面できるはずもない。そう言うと、親に頼めとか、借金しても、すぐに取り戻せる、とか言うのである。そもそも僕はねずみ講のことはうっすらとは知っていたので、基本的にはこれは詐欺ではないか、と何度も確認するのだが、お前の古い知識では知らないだけのことで、まったく新しいビジネスなので、違法性はみじんもないのだという。
 さらに頭に来るのは、そういう勇気もない男なのか、とか、頭が悪いから理解できないだけ、だとか、みんなやっていることなんだよ、とか、まあまあいろいろ言われることである。おそらくそれなりに訓練を受けているらしいとは後で気づいたが、何を言っても言葉巧みに反論してきて、実際には納得いっていないのだが、いつまで話しても逃がそうとしないで食いついてくるのである。ああこれはまいったな、もう金でも払うから開放して欲しい、と思ったくらいだったが、実際に金など無いので助かっただけである。
 その後も別の友人から、集会のようなものに呼ばれたり、遊びに行ったグループに、勧誘員が混ざっていたりしたこともあった。これも後で考えてみると、サクラが混ざって集団で参加者を落とし込む手法が使われていたり、そもそもシナリオがあって、それに沿ってターゲットを落とし込もうとしたりするものであるようだった。当時はまだネット環境なども無く、自分でそれらの詐欺的手法を調べる手立ても無かった。しかしながら僕は、算数でねずみ講のことは面白く勉強したクチだったので、結局は必ず破綻するねずみ講に過ぎないことは、頭の片隅に知っていた。もっとも結局は貯金も無かったし、お金を貸してくれるような信用のある若者では無かったし、借金するのも怖かったので、結果的に騙されなかっただけのことであるように思う。
 そういう数々の経験を積んだおかげで、僕なりに考えるところがあって、このような勧誘のほぼすべてが詐欺的であることを学んだ訳だ。そもそも儲かる話を人に話してしまう時点で、基本的には詐欺である。考えてみると、単に資金を出させようとしているだけのことだからである。少ない資金で儲かるのなら、自分自身が隠れてでもやっているはずで、そんな美味しい話を人にしても儲けを減らすだけのことである。儲かる話を独占しない人間は、詐欺なのである。
 話を戻すと、若者がそのようなことを知らずに詐欺にかかりやすいことは、至極当然のことである。問題はそうして罠にはめる方にあることは明確なのである。法整備がどうだということもあるのかもしれないが、少なくとも資金集めのために借金を強要するなどの行為は、厳しく処罰する方策がとられるべきであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誤りは、誤った人には正せない

2023-04-21 | 時事

 未遂に終わったとはいえ、またテロ事件が起きたことのショックは計り知れない。安全だと思われている国日本で、白昼堂々と選挙戦の真っただ中にこのようなことが起こる。まさに信じられない思いだ。その信じられない異常さこそ、日本でのテロの影響の大きさにつながっている。テレビの報道画面を見ていて、僕の周りの人々の反応はさまざまではあったが、驚きとともに一番多く聞かれたのは、日本の警備はお粗末だ、ということだった。僕自身はまったくそんなことは感じていなかったので、まずはその反応や怒りのようなものに、かなり違和感を持った。その後ネットから爆弾が放り込まれた瞬間の映像を見た。すぐに爆発しなかったのが幸いしているとは感じられるものの、いわゆる警備の人が必死で素早く行動している様子が分かる。もちろん爆弾の精度が悪いのか(手作りだし、実際のところは分からないが、おそらくすぐに爆発するはずのものだったが、失敗したのではなかろうか)、結果的にはそのような状況にあって、大きなけが人は出なかった様子だ。皆が気づく反応の遅さはあるように感じるが、あのような状況であれば、それは致し方ないようにも思う。いったいなんだ、と状況が分からない人々にとっては、そのように分からないものへの確認の方が先にあって、思うように逃げることすらできないのではなかろうか。爆弾が持ち込まれないような警備でない限り、対処としてはあれ以上のことが本当にできたのかは疑わしい。爆弾を投げた犯人の周りの人々も、実に素早く行動している。何か妙な行動をした人間に対して、その反応が素早いもののように思える。すべてが警備の人では無かったらしいことも驚きだが、結局は犯人のたいして緻密でなかった行動もあって、最悪の事態は未然に防ぐことができた。ある意味でそれは、過去の経験に学んだこともあるだろうとは考えられそうだ。
 結局は、それにしても不可解で不思議な人間が、まだまだくすぶっているのではないか、という不穏な気分ではなかろうか。安倍さんを殺した犯人は、最大限のテロを成功させただけでなく、多くの世論を味方に付けてしまった。結果的に今回のテロを呼び込んだと言っても過言では無いだろう。統一教会という闇があったのは、いわゆるずいぶん昔から公然と知られていたことにもかかわらず、タイミング悪くオウム事件が起こり、勝手に人々はそれを長期にわたって忘れていただけのことである。その後も統一教会の家族が過激に対応する応酬の出来事は、ときどき漏れ伝わっていたが、人々はそれらは一部の人々の不幸だとくらいにしか受け止めていなかった。おそらくだが多くの人は、いまだにそんな人たちがいるなんてことは確かに忘れていたけれど、それに似たことが他でも行われていることくらい、ふつうは気づいていたはずだ。宗教の自由は保障されるべきだと思うが、病気や貧困にはびこるこれらの闇は、いまだに大きく根を張り広がっているのである。
 残念ながらこのようなテロは、政治とは無関係な個人的な屈折した思いが原因であるようだ。さらにそうであるならば、未然に防ぐのは不可能である。よって前回の山上のような人間を擁護するような政治的な気分というものこそ、しっかりした認識で紐解いていくことが肝心だと思われる。明らかに誤解したままで政治の悪を追求する愚かさを、改める必要がある。それは政治家を守るためというよりも、自分たちの社会を健全に保つための賢さに他ならない。間違っている人間に、その間違いの愚かさを理解させる必要がある。間違った認識を持った人が、その誤りを正すことなど不可能に近いのである。それがこのような事件を呼び込んでしまった日本社会の責任でもあるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンダは静かに暮らせない

2023-03-21 | 時事

 ちょっと前まで連日上野のパンダが中国に帰るというニュースを、ひっきりなしにやっていた。日本で生まれたのがいると聞くが、そういうのも帰っちゃうんですね。ちょっと不可解な感じもしないでは無いが、そういう決まり事なら仕方がない。嫁とか婿とかがこちらでいっとき住むことになって後に子が生まれたからと言って、やっぱり里帰りするといいだして子も一緒に帰るのは、道理かもしれない(そういう話かどうかもよく知らないが)。
 パンダは可愛いので好かれる訳だが、そうして好かれているのがいなくなると、やっぱり寂しくはなるものだ。変わらず中国で元気でいることだろうが、離れてしまうといつでも会えるわけでもなくなるわけで、情が移って悲しむ人が大勢いるのだろう。難儀なことである。
 パンダは何億というレンタル料が支払われてこれまで居たもので、その期間が過ぎたら返還するシステムなんだろう。レンタル料は延長できなかったのか。パンダがいることでの経済効果はそれよりはるかに多いという試算もあるらしく、それならまた借りたらいいのにな、と思うが、これもいわゆるパンダ外交というものが影響を受けているのかもしれない。国がどんな話し合いをしてパンダのレンタルを決めているのかはよく分からないのだが、その分仲よくしようということなら仲良くしていいのだけど、仲良くできない理由はパンダ以外の事情がありそうで、なかなかに難しい問題なのである。国との付き合いは、基本的には人間関係と似ていなくも無いが、内容的にはもっと複雑なので、分裂症気味なのである。
 ところで、パンダ外交があるのなら、どうしてゾウ外交とか孔雀外交とかは無いのだろうか。いやそれに似たようなことは無いではなさそうだが、パンダほど露骨に外交に利用するようなことが無いのではないか。何かの友好のしるしとして動物やら記念品などを相手国に送るようなことはあるはずなのだが、それはその時の関係者にはよく知られたことかもしれないが、やはりパンダほどのインパクトを持たないのかもしれない。それほどパンダというのは特殊かもしれないし、さらに中国は特殊なのかもしれない。パンダというのはその姿形が可愛すぎる上に、なおかつ希少なために、結局は人間に利用される。せっかく氷河期から生き残ったにもかかわらず、ひっそりと暮らすことの許されない存在なのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地球環境を考えるための逃げ道

2023-02-17 | 時事

 「クロ現」見てたら、航空機燃料に廃油(使用済み食用油など)の再利用をしたSAF(※持続可能な航空燃料、という意味らしい)というものを混ぜて使うことにより、二酸化炭素を削減する取り組みが過熱していることを特集していた。航空機というのは、自動車などの運送用機械の全体としては排出量が必ずしも大きくは無いが、一機が飛ぶ排出量としては、二酸化炭素の排出量が突出しており、取り組み方によっては削減量を減らす余地のあるものであるらしい。そこで化石燃料でないSAFを使うことで、SAF自体が植物などの経由した由来から作られることから、80%の二酸化炭素削減になるとされ、燃料としては最低でも3倍以上の価格がありながら欧州の航空機はこれをほんの数パーセント燃料に混ぜて使うことで、二酸化炭素削減に貢献しているとのことである(日本ももちろん少しだけやっている)。
 ところがそのような取り組みがあるために、日本の廃油の引き取り値段が高騰し、海外からの買い付けに回されている実態が明らかになる。既に業者取引は仕組みとして品薄で、家庭用の回収に力が入れられるまでになっている。それでも完全にいきわたったとしても足りないのだが。その為にこれまでリサイクルとして成り立っていた家畜の飼糧としての再利用が、困難になっているという。そもそもそれだけでは燃料として不足しているので、他の原料の開発が急がれている現状があるようだ。卵などの価格が高騰している後押しに直接つながっている訳で、既に私たちの生活に影響が出ているのである。
 ヨーロッパの航空会社が経費を過分に掛けてもこれをやっている背景は、表向きは将来の二酸化炭素削減に向けてと言っているだけだ。何故なら根本的に二酸化炭素の排出を止めて旅客機を飛ばすエネルギー源を確保する技術が、現代には無いのだから。実際の話は、顧客が長距離鉄道などに取られている危機感があるからである。二酸化炭素をたくさん使う航空機を使うことは、一般的な感覚として「恥ずかしい」とことされるまでに人々の意識が変化しているためだ。社会のために個人が取れる「良い行い」として、不便やコストや時間をかけても、飛行機に乗らない「善行」を人々は嬉々として行っている。さらにヨーロッパは陸続きということもあり、陸路で国境を超えることもできる。一二時間の航空機の移動距離であれば、陸路で一晩で済む、というのもある。国内線は航空便を禁止にする動きさえあるという。また、日本で言うと、このような取り組みをしない国として、航空便を停止するかもしれないという脅し付きである。
 SAFの成り立ちで二酸化炭素を削減できるという理屈は、単純なので理解できる。しかし燃料として使う以上、二酸化炭素を排出することに何の変りもない。要するに、前提が詭弁なのである。その上でコストを過分に掛けるので、厳密な排出量がどれくらいかは計算する能力が僕には無いが、複雑であればあるほど、二酸化炭素の排出量は増えるのは当然である。さらに高価なので金持ちににしかできない上に、いわゆる途上国へのハードルを上げていることだろう。植物経由の燃料として問題とされている上に、東南アジアに負担を強いているパーム油の問題も無視している。パーム油に限らず、再利用のコストは安価な労働力の方が有利なのは明らかなので、そのような負担は階級的な別の国への負担に変わっている仕組みが透けて見える。その為にヨーロッパ以外の国での森林伐採も、加速度的に進むことだろう。
 馬鹿げているが、それがヨーロッパを支配しているメディア思想なのである。もちろん日本もそれに追従しているわけだ。これらの発端となる理想主義が、ある意味その純粋さゆえに暴走してしまう。現実との乖離を埋めるために、結局は欺瞞的な手法を生んでしまうのである。それはおそらく時間の経過とともに、大きなほころびを作り出すことになる。それに気づくには、それなりの破壊を伴う代償が必要だろう。僕たちは、もう取り返しがつかない流れだということを、傍観しているに過ぎないのかもしれない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスク問題はつづく

2023-02-09 | 時事
 本日は趣向を変えて。


 ちょっと気になったのは日浦市郎という将士さん。再三注意を受けたにもかかわらず改めなかったので、反則負けになったという。それもこれで三回目。勝負しないで三回も負けてしまった訳である。まあ、何か考えを持っている確信犯であろう。さらに、完全にマスクをしていなかったわけではなく、鼻を出した状態で着用していたというから、それも何かのサインではないか。実際の話、そんな人よく見かけますが、まあ、何か事情があるのかな、とは思ってました。マスクは一応しているけど、今俺は鼻息が荒いんだからね、とか。外から来たばかりだから、鼻出さないとめがねが曇っちゃうんだよね、とか。またはそれ以外かもしれないが。
 そういえば日浦八段以外にも、確かマスクで反則負けになった人がいたな、と思ってたら、過去に昨年10月にも佐藤天彦9段が対局中マスクを外した行為が問題となり反則負けになっている(休憩中に外した行為が問題になったともされる)。これも当時少し話題になったが、なんとなく立ち消えになっていた。
 聞くところによるとこの事件に関しても、日浦さんは怒っておられた、という情報もある。確かにまじめに将棋を指し、マスクに関するもやもやしたルールに対して異議のある考えを強く持っておられる人にとって、耐え難い蛮行に思えたのではあるまいか。やりすぎだけど、業界としては外向けにそんな態度取ってしまったんだもんね、という問題だろう。まあ、空気を読んだというか。
 しかしまあそのために、自分の通らない信念をこのようにまた通そうとされているわけである。人間にはつらい生き方というものがあるのだ。

 さてそうして、こういうのもあった。

 よく読むと昨年の事件らしいが、虐待というかいじめ問題というか。指摘した保護者がいそうなので、さらなるいじめ構図もある可能性もある。
 マスク問題は事実上各自にゆだねられているようなことになったけれど、独自ルールはその世界で生き続けることにはなるだろう。自分の方針を通したところで、法的にどうということができるのか、明確でないままに恣意的なルールはいたるところで様々なレベルで展開されることになろう。人間社会の軋轢を生みだす問題として、対立の国日本で、どのような分断の出来事が噴出していくことになるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わらなくなった戦争

2023-01-08 | 時事

 まったく目にしなくなったわけでは無いが、比較的大きなニュースであるにもかかわらず日常的には気にしてない風になってしまったものが、ロシヤとウクライナ戦争かもしれない。「紛争」という表現も聞かれるし「侵攻」も使われている。相変わらずひどい状況に変わりなく、ならず者国家であるプーチン・ロシヤを嫌悪する言動は増えたものの、だからと言って膠着を解くカギは提示されていない。どちらがどう止めるかという理由さえ分からなくなってしまった(それでも、どちらかの勝利しかないと考えている人がいるのだろうか)。どちらも戦闘を止める理由が無く、ともに勝利という言葉しか使わなくなった。どちらがどういう状態になれば勝利なのか。例えばウクライナがロシヤが一方的に併合した地域を奪回した場合、それは領土の再侵攻とロシヤが捉え核を使う理由になるとされ、それは西側でさえ望まない勝利になっているのではあるまいか。
 ウクライナは西側の代理戦争として戦う図式を得ているが、要するに戦費は米国などの民主的な支援国が賄っているということになる。米国などの国家予算にこの戦争のものが含まれている訳で(もちろん日本もだが)、そういう意味では我々も間接的に既に戦火にある。その先にある核の脅威を含め、起こりうる危機の度合いは可能性として高まっているはずである。痛みを伴いながら様々な圧力をかけてロシヤの戦意を削ごうということになっているが、中国やトルコやインドは、今後もロシヤから天然ガス・石油などを輸入し続けるだろう。予想されていた(期待されていた)ロシヤの国家破産というのが無いのであれば、プーチン政権の転覆もなさそうだし、ポスト・プーチン・ロシヤが、さらに強権国家になる恐れさえ出てきた。冷戦時代よりさらに、世界は恐怖と不安定の波の中に漂うことになったのかもしれない。このことで、夢物語だったはずの人類滅亡のシナリオさえ、ふつうに描けるようになった。少なくとも合理的ではないことが行われ続けた結果、数時間で数千万人という命が失われるリアリティが、今そこにあるのである。
 長い冷戦の後にレーガンとゴルバチョフは、核兵器削減にサインするに至った。ある意味で既に大国を維持できなくなるほどソ連は衰退し、米国との経済格差が広がったためだと、ざっくり考えることはできる。今は状況がまったく異なり、経済的にはまだまだにせよ、資源国である上に軍事力の脅威はそのままにいる。しかしウクライナには勝てないロシヤであることもまた事実だ。人々は、戦争は短期間で終わると思うからこそ支持できる。過去にはそれで何年も戦争をしつづけた国が腐るほどある。今考えられることというのは、いつまでも戦争が続いて疲れて懲りてどうにもならなくなるまでくらい膠着しなければ、次が見えないかもしれない可能性かもしれない。考える前からうんざりしてくるが、本当に核が使えない非合理だと分かっている(はずの)プーチンに期待するよりないのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱すぎるロシヤだが、厄介であることに変わりない

2022-09-22 | 時事

 ロシヤのウクライナ侵攻が始まって半年以上が過ぎてしまった。時に情勢は伝えられるものの、膠着したものも感じられる。インドがロシヤに「戦争なんかおやめなさい」といったところ、ウクライナが話に応じない(ので停戦できない)、と答えたらしい。インドも凄いなと思うが、やっぱりプーチンも変人である。やめどころが分からないというのが本音のようにも感じるけれど、そういうことは決して言わないのだろう。
 北朝鮮とも繋がりを強化したり、中国とも会談をしている。北とはかなり親密にならざるを得ないところがあるが、かえって北の外交のしたたかさに従わざるを得なくなったようにも見受けられる。本来はここまで親しくしなくても良い仲間なのに、今は親しくしてくれるところなんて少ないのだから、いいとか悪いとか考える余裕すら失っているのではないか。
 中国は、今回はかなり距離を置いたままだとも言われている。過去に恩義があるとはいえ、このまま親密に同胞であり続けるかは思案のしどころということなのか。中国は今回のことで、改めてロシヤの弱すぎる姿に驚いているともいわれる。考えてみると、いつの間にかロシヤは中国の8分の1ほどの経済力しかない国であった。国土の広さはともかく、改めて大国ではなくなった国との無理なつきあいとのリスクを考えなければならないということかもしれない。もちろん核を持っているので、本当に弱いとは言えない筈なのだが、核をちらつかせることができても、それを本当に使うのは、事実上の破滅に過ぎない。NATOの別の国とも戦う余力のために弱いロシヤを演じているのだとする説もあるが、その前にウクライナに勝てないことには、話にならないことである。エネルギーは持っていても買ってくれるところが無ければ意味は無い。つまりそういうところでは付き合うことができるものの、アメリカの共通の敵としての同盟であるという認識は緩やかに保ちながら、国際社会で完全に欧米と手を切ることの困難さは一番理解していることだろう。地政学的に分かち難い関係や利点がありながら、やはり一定の距離は置こうということになったのではないか。
 さて、日本なのである。いちおう構図の上では西側と協調する道を選んだと言えるのだが、それは他でもなくアメリカがあり、台湾がある。そうして対峙している、ロシヤというより、やはり中国なのではないか。中国は予定通り超大国に事実上伸上がり、米国と対峙する図式になっている。ところがロシヤとは協和性が強いにもかかわらず、一定の距離を置いてはいる。ロシヤはインドとも対話をしており完全な孤立ではない道を探っているように見えるが、ヨーロッパと米国網は、完全にロシヤを包囲する形で牽制している。そこでロシヤはロシヤの傀儡国家のベラルーシ経由で欧州とは付き合い、中東やアジア、東南アジアなどへ手を伸ばしているように見える。これらの国は日本とも関係が無い訳でなく、要するに日本に影響が無いわけではない。今は止めているようだが、ロシヤの液化天然ガスの最大の輸出国は日本だったわけで、売り先を迂回させてでも日本に売りたいというのはあるのではないか。もちろん本音では、日本は買いたいということであろうし。
 今回のことは、かなり驚きをもって傍観せざるを得ない状況に見えていたわけだが、長期化し、多少落ち着いてきたところにあって、かなり膠着しながらも新冷戦としての足固めがなされてきているようにも思われる。関連しての北朝鮮との拉致問題などは凍結してしまったし、北方領土問題は絶望的になってしまった。この期に及んで、なんと日本では国葬問題や統一教会なんだという。やはり平和な国なのかもしれないが、それなりの取り返しのつかない問題が着々と周りに火種を作り、時には固められて行っている。いくら騒ぎがあろうとも、とりあえずすぐに選挙になるわけでもないし(今解散するわけがないじゃないか)、基本的には何も変わることなんて無いのだろう。水槽の中の金魚にとっては、ということではあるのだが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バスのあおり運転

2022-09-17 | 時事

 地元の新聞を読んでいたら、県営バスの運転手が、子会社の県央バスにあおり運転をしたとされ、懲戒処分として停職6ヶ月に処されたというのがあった。飯盛の県道で片道一車線。法定速度30キロのところを24~27キロで走行していた前車両のバスにイライラして、2キロ、6分間にわたり、車間を詰めたり反対車線に出てパッシングしたりクラクションを鳴らしたりした。さらに赤信号で停車時にはバスを降りて前のバスの運転手に「なぜ道を譲らないのか」と怒鳴りつけた。二人に面識は無かった。
 気になったのはこれが3月のことで、処分された運転手は7月になって道交法違反で反則金7千円を支払ったという。「事件」の発覚は前を運転していた運転手(33)が上司に相談したというのだが、それはいつのことだったのだろうか。ともあれ、この告発から下ること五か月後に反則金を支払った上に停職になったもののようだ。この間に何かあったような気がしないではないが、このことが表に出た一番大きなことになったということなんではなかろうか(憶測)。つまりこの男には余罪があるような気が、ものすごくする。そこをすっ飛ばしてあおり運転にだけ注目してしまっているのではないか。
 それにしてもなんだが、これは業務中のことだし、会社が処分するのは何かが怖かったからだろうと思うものの、やはりあおり運転というものが、社会的に注目されている「悪事」であるから、大きな(枠は小さいニュースだけれど)ニュースとなったと思われる。
 そういう前提があるにせよ、山道で大型のバスやらトラックが、必要以上にノロノロされるのは困ったものだよな、とも思うのである。どうしても遅くなる車両があるのは分かるのだが、そういうのが前を走っているのは、不運としか言いようが無い。このあおられたバスにしても乗客が2名乗っていたというから、さらに慎重になっていたのかもしれない。でもまあ24キロだというから、あおり運転まではしないまでも、イライラはよく分かる。後続の県営バスの後ろにも1台車がいたともいう。譲ってもらえる猶予があれば、そうして欲しいところだったのかもしれない。
 そういう訳で、普通だったら、多少の同情の余地がありそうなのだが、6ヶ月の停職というのは、退職を促すもののようにも感じられる。会社側としては、あおり運転を重く見てもいるが、懲戒退職までには至らないと逃げた可能性がある(処分が重すぎる不当解雇として)。これを機に自主退職してくれたらいいということではないか。要するにこの運転手を厄介払いしたかった、という考えがあったのではなかろうか。こういうニュースを見て気になるのは、そういう一連の隠れているような人間関係にあるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐賀と長崎の火種になりませんように

2022-09-05 | 時事

 僕は曲がりなりにも長崎県に住んでいるので、新幹線問題は通って当たり前世論の中に住んでいると言っていい。しかし佐賀が反対しているので、妙な具合になって新幹線としては非常に中途半端な形になって、残念という図式である。だけど目先のことにはとりあえず喜んでおけ、ということで、中途半端開通でもおめでたい、と言っておこうということである。なかなかに複雑だけど、これがダメだったらますます駄目ループに落ち込んでいって、そういうことを喜ぶ人々の思うつぼである。もうこれは、いろいろあるが、前を向いて行こう、なのである。
 こんなことを書くとサンクコストを無視している経済音痴みたいだが、実際はこの機会にこれを活かす方が建設的だと言いたいだけである。それでも失敗なら、そんときは撤退しましょう。
 ところで、そういうことで、佐賀の反対には困ったことだと思うものの、しかし、これはこれで佐賀としては仕方のない面もあるのだということも、知っているのである。そもそも新幹線問題のようなプロジェクトに、地元同意を必要とするシステムにしていることが問題なのであって、このような状態になってもなお、話を進めなければならなかった政治動向に、欠陥があるのである。これは地元の負担を求めていることとも関係があり、正当な負担ではないという判断を佐賀が示している為である。地元のためにならないプロジェクトなのに、賛成をしなければならないのは理不尽だからである。ということは、どのような負担なら公平性があるのかということだが、そもそも立地条件が違うものが同じ条件になりえるはずが無いのである。それがまずはスタート地点である。つまり負担条件は異なる必要があったのだろう。そのうえで、佐賀のためだけになるような利己的な問題ではないということも、最初から前提にすべきなのだと思われる。そもそも新幹線は佐賀のためにあるものではない。しかし佐賀を通らざるを得ない立地があるのである。さらに佐賀県を通る距離がそれなりにあって、いわば福岡と長崎のバイパスとしての場所となってしまっている。そういうものは新幹線以外にもたくさんあって、必要だが迷惑施設と言われるものなどにも、似通った状況ということもいえるかもしれない。そうである場合は普通であれば、それには一定の政治的な配慮もあって、いわゆる紐がついていたりする。これで吞んで欲しい、という政治的な了解ができる利益もあるわけだ。それは十分では無いだろうにせよ、何かのうるおいである。
 しかし今回は、時間がかかる上に、今の判断が将来の利益とは直結していない。初期段階で佐賀が条件として呑んでいたものでもない。いつの間にかスルスルと様々なことが困難になり、違う条件になった可能性が高い。それで態度が硬化していった経緯があるということだろう。そうして折衷案で使えないものが(少なくとも新幹線としてはかなり惜しいものだ)出来上がって、ますます変な状況になってしまった。既成事実は積み上がったので、駄々をこねた結果がこうなったと見えやすくなった。つまるところ経緯で詰めるべきところが詰められなかったのである。
 これはたいへんに不幸なことであって、政治的な失敗であることは明らかだ。そうして佐賀だけが悪い訳ではないのだ。
 いったい何年先の話になるのかは分からないが、何らかの仲介が入ったのち、全面開通ということを期待するよりない状況だ。別段福岡に行くだけのことを問題にしているのではない。その先からくる人々のことをもう少し考えるべきだろう。それは佐賀にもやって来る人々であるはずだからだ。でもまあ、それも程度問題で、やはり試算上は厳しいのかもしれないけれど。
 ということで、佐賀と長崎の仲が悪くなるためのものではない。佐賀は仕方が無かった。でもなんとかならないものか。それはこれからの話であるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国が買われていくらしい

2022-08-17 | 時事

 ハウステンボスの売却の報を受けて、地元では動揺が広がる、というような報道を目にしたことはある。親会社が海外旅行を中心に事業を行っている会社だから、コロナ禍で苦しくなったことは目に見えている。買ってくれるという会社が香港の投資会社とのことで、外資が救ってくれたということなんだろうな、と思っていた。日本にも景気のいい会社も無いではないが、ハウステンボスを買って運営して利益を出せるようなところは、見つからなかったということなのではないか。もっとも最近は業績を回復させているということなので、こういうものの相場がどれくらいなのかという見極め方を知らないが、比較的高く売れるからこそ売却に踏み切ったということなのではないか。さらにIRの計画もここで進められているわけで、もちろん抱き合わせて盛り立てていこうという思惑もあるに違いない。香港の会社だから、もちろん中国からの旅行客を持ち込める強みも感じているだろう。お互いにとって悪くない話だからこそ、大きな取引にも応じられたと考えられる。要するにこれは、いい話なのかな、という印象が僕にはあったわけだ。
 ところがこれが問題だとする人の声を聞いて驚いてしまった訳だ。さらにその理由が、香港と言ったら中国であり、要するに日本が乗っ取られる布石になるのではないか、という不安らしいのである。具体的にどう乗っ取るのか、というのはちょっと分からないのだが、北海道のリゾート地も中国人が買い占めて大変なことになっているらしく、南の、それも長崎から、そのような事態がさらに展開されていくに違いない、ということらしい。
 北海道の問題はまったく知らないわけではないが、要するに地元の商店などが潤うことなく、リゾート地を買い取った中国企業のホテルや店舗などで完結して観光客を取り込むシステムになっていて、儲かっているのは会社のみであり、ますます過疎の町が衰退することになっている。という図式のことをさしているのだろう。まだまだ中国などのアジアの会社などは、団体客、団体行動の海外旅行客が多いためにそうなっている可能性があり、この機会に個人旅行客を取り込めることにつながるならば、もう少し様相は変わるはずである。もっとも中国人だけの団体客が押し寄せる場所に、他の人たちが来るのか? という問題はありそうだが。まさに昔の日本の団体旅行客(外国人がノウキョーという言葉を覚えたとされている)が海外から批判された時代の裏返しのようなことである。
 さてハウステンボスだが、IRはカジノだけの問題では無いにせよ、基本的にインバウンドを見込んだ事業展開が望まれているわけである。そういう中で香港(要するに中国)資本を取り込めるというのは、話としてはまっとうで、さらに打ちスジ自体が悪くない。税収を含め地場産業の相乗効果も、それなりに見込めることなのではないか。もちろんこれまでの付き合いのあったところとの関係の見直しなどは起こるかもしれないが、そういうことも含めチャンスと見るところも多いはずである。ただのハコがあれば事業が成り立つものではない。税金を含めた多くの投資が集まる先には、その事業そのものが盛り立てられる必要があろう。日本が乗っ取られるとしたら、それだけ日本に力が無いだけの話なのではなかろうか。この先買ってももらえなくなるような国になるよりは、はるかに良さそうなんじゃなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縮む社会の公平の在り方

2022-08-12 | 時事

 日本の人口が726,342人少なくなった。日本の都道府県で44番目の徳島県以下4県のどれかが、毎年消えている勘定になる。特に今年の問題は、東京都でさえ人口が減ったことである。東京は移動も激しいが、流入人口があるからこそ、成り立っていると言っていい。地方都市の人口が少なくなろうと、人材は都市部に集中するから効率化する面もある。だから逆の問題も起こるわけだが、原動力となる都市人口の日本代表まで、減っているというショックは大きい(まあ、コロナもあって外国人が減ったからだけど。日本人の単なる勘違いと臆病の所為でそうなっているが、脱線するのでこれはまた別に)。
 さらに衆議院の一票の格差問題で、10増10減の原案がまとまったのだが、それでも2倍以上の格差が残る場所があるということが判明した。計画を練っていた当初には、2倍以下であったものが、今回の人口減と将来予想を通して考えると、さらに人口減の影響を受けて、完全是正ができなくなってしまったのだ。
 裁判所の判決であるし判断であるから仕方のない面はあるが、彼らはそもそもの政治というものを知らないのでこういう判断を下している疑いがあるのだけれど、それはそれとして投票における一票の格差があるという考え方そのものには、一定の理解はある。それが2倍以下であればいいというのも、乱暴ではあるのだが……。人数合わせをするために、地域がまとめられたり、組み込まれたりすることで、さらに地域の声が国政に届きにくくなることは考えが及ばない人々というのは、国民差別的な負の現実には目がいかない人々なのかもしれない。裁判所の人間は特権階級なので、地方に住む(都市部は投票にもいかないが)下々の人のことを考えたことが無いのだろう。
 新聞では減らされたり合区されたりする議員などが反対していると書いているが、実際問題としては、そういう議員の都合の悪いためであるという議論そのものが、ちょっと本筋とは違うような気がする。都市部の投票率は地方のそれより低くなっており、要するに組織票が生きる土台となりつつある。いわゆる一匹狼のような、俺一人でも選挙に出て何かを変えてやる! というような人間が出たところで、何にも関係なくむなしい響きになる場所が都市部である。今はいろいろ騒いでいる本筋と違う人々は更に気づいていないが、旧統一教会などが活動しようがしまいが(事実上、もう統一教会なんてボロボロだろう)、そんなものよりもはるかに大きな組織のある宗教団体の方が多い訳で、そういうところの組織票が活きてくるということである。労働団体なども以前なら有利だったかもしれないが、さて都市部の団体が上手く連携できているのだろうか。
 そうして地方である。見ず知らずの土地から出た人間を支持できる人が、本当に一定の塊を保つことができるのだろうか。地方においても、また違った要因で投票率を下げることになるのではあるまいか。広域で活動できる人間もまた限られており、都市部よりも激しい公認争いになることは間違いない。せっかく政治の道を模索しようとする人間が居たとしても、その前の選択に漏れた時点で、夢は破れることになろう。
 人口減社会と投票システムの問題は、政治をやる以前から格差を引き起こす問題になりつつある。現にそうなっている可能性も無いではないが、仕組みを考えることがその内容を左右させる可能性がある限り、もう少し研究を進める余地があるのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妄想で人を恨める人々

2022-08-03 | 時事

 毎日新聞のよると安倍元首相の国葬について、世論調査の半数を超える人が反対しているのだという。日本の場合どういう人が国葬になるのかというルールが定められておらず(以前はあったが無くなった)、事実上岸田総理がそう決めたから国葬になった形になっている。そういうところを議論してもどのみち時間がかかりすぎるし手遅れなのでそうなった可能性が高いが、吉田茂以来の国葬であるということもあって(あの人でもそうなのだから、と僕は考えてしまうが。いまさらだが吉田茂が国葬にふさわしいとはとても言えない)、そもそものハードルが高すぎるというのはあるかもしれない。日本は首相になった人が多すぎるので首相経験者だからという理由だけで国葬にするには都合が悪いのかもしれないが、外交上そのような人が亡くなると、国葬級にしなければ、それなりに混乱するだろう。事件の衝撃度などの背景もあるが、安倍元首相が国葬であるのはふつうに当然だろう。むしろやらなかった場合の方が歴史に汚点を残すことになろうし、とにかく大変な騒動になろう。そうしてこれが一つの基準になるので、今後このレベルの人物が亡くなれば国葬であるというのが、だいたい決めやすくなるのではないか。活躍してどのくらいの時間の経過があって亡くなるのかという問題もありそうだが、このような問題は、たとえ家族の意向がどうであれ、執り行われることの方が当たり前だということによって、そうなるということであろう。しかしながら自民党内でも誰が挨拶するのかだとかいうことだけでもごたごたして迷走したりして、だんだんとケチがついて収拾がつかなくなっている感じでもある。モリカケ疑惑があるとか、そもそも安倍元首相とあまり関係が無かったことが明らかであることをいまだに持ち出すマスコミあるわけで、本当に可愛そうな人だったのだという気もする。殺された理由も、基本的に何の関係もない団体に対するとばっちりと勘違いと妄想のためである。さらに殺された上に、このように執拗な嫌がらせを受けることになる。公人だからそうなるのではなく、日本の社会の仕組みの中で、日本人の心根に関わる問題でこうなっていることを考えなければならない。日本人というのは、基本的に犯人の山上と同じレベルだということなのかもしれない。そうでない人が少数であるというのは、やはりもうどうしようもない問題のようにも感じられる。今は元統一教会との関わりを問題視する流れが生まれている。他にいくらでも怪しい団体が実際に存在する中で、それすら気づけないままこんなことになっている。今現在でも悪徳宗教などで苦しめられている人は、ごまんといるだろう。ちょっと周りを見渡せば、ふつうにいるでしょ、そういう人たちが(当人なら気づかないかもしれないが)。世の中というのは、そもそもがそういう危険をはらんだものなのである。目覚めているのは、いったいどれくらいの人なのであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏は踊る季節なのかもしれないが

2022-07-24 | 時事

 勘違いしている人が多すぎるので、メモ的に記しておく必要があるのかもしれない。
 こういう時は原則に立ち返る必要がある。死の危険がある感染症だから、国が規制してでも広がりを抑えなくてはならない、という話だったはずである。亡くなる人がいることは確かだが、これはトレードオフの問題があって、病気で亡くなるより規制することによって亡くなる人が多くなっている可能性が高い現在において、どちらかを選択する必要がある(はっきり言うとコロナを規制したせいで亡くなった人のほうが、病気で亡くなった人より遥かに多い可能性のほうが高いのである。今後はその差がさらに広がりそうだ)。他国が規制を緩めている理由は、合理的にそういう事である。非合理ならばそういうことはしない。さらにそれを理解できる国民性があるということか(実際に日本人は聡明でない可能性が高い。今のところそのような反応をしている人々が、比較して明確そうな証明しかない。なにが国民として劣っているかは、今後とも考える必要がある)。そもそも総量で感染者が何人であるという執拗な報道をしている国は少数であろう。だからこそまずやめるべきは一日の感染数のみをスクープしないという落ち着きだろう。
 さらに規制緩和が必要なのは、濃厚接触者である。これは政府が冷静に判断して、定義を変えた。どうしても過剰反応して無症状でも陽性者が出ている現状があって、さらに濃厚接触者が社会を停滞させるわけで、いわゆる踊らされるだけのことで何もできない人々を生んでしまう。冷静に考えると、症状がない人までの規制は、これまでが過剰であった反省であろう。
 さて、しかし感染者が増えているではないか、医療現場は大変である、というのがある。それは感染症や病状の結果である。現状が規制することにより、そのような現状を緩和できる可能性があるのであれば、やるべきかもしれないという議論はある。しかし、そのような可能性において規制強化が有効でなかったことしか、これまでの経験で分かったことは無いのである。特にその水準を今後は越えてくる(ピークがよくわからない)。だからこそ必要なのは、冷静になって重傷者に真摯に向き合う事である。命の大切さを本当にまじめに考えるならば、ふざけた恐怖感ややじうま根性で揶揄するのではなく、必要な人に届く政策を精査して行う仕組みの再構築にあるとしか言いようがない。なに、何も難しいことは無い。すでに日本以外の多くの国は、そういうかじ取りを切ってそれなりの時間経緯を得ている。日本人の狭窄視点を広げるだけで、世界は変わるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勘違いの対象にならないように

2022-07-12 | 時事

 安倍さんを殺した山上徹也の動機が明らかにされつつある。母が入信し、信者として多額の寄付をして破産したとされることで、その宗教団体である統一教会を恨み、その復讐として安倍さんを撃ったと供述している。安倍さんは統一教会の信者ではないし、この団体との関係もない。団体から呼ばれて挨拶をしたビデオがあるようだが、そりゃあ政治家としては、呼ばれたら何か言うだろう。要するに勝手な勘違いと妄想をしているようで、何らかの精神の問題もありそうである。そのような理由が本当だとしたら、何ら政治的な意図はなく、言論を封じるテロではないということになる。まったく脱力感のある話だが、無関係な人間を勝手に殺したということであれば、安倍さんは残念なことに無駄死である。
 間違って殺されたのだから迷惑な話である以上に、このような妄想に巻き込まれた何らかの社会的な背景による、妄想を助長するものがあったとも考えられる。安倍さんは政治的に数々の業績を残した歴史に残るだろう政治家だが、その為なのか、数々のマスコミの妄想による誹謗中傷の絶えない人だった。辛抱強く耐え忍んで、何の関連もない事象を否定し続けたにもかかわらず、そのような印象を残した人たちが一定以上居そうである。山上の個人的な妄想だったということであるにせよ、このような妄想に安易に結びつくような素地を作った一定の世論操作に、問題が無かったとは言えないだろう。ゆがんだ個人攻撃を長年にわたって執拗に繰り広げてきた一部のマスコミについては、検証が必要であろう。
 それにしても実際に人を殺してしまうほどの強い殺意を作り出した理由が、勘違いというのはひどい話だ。母親の破産は、山上個人としては大きな問題だろうとは思うが、その恨みの攻撃対象に、何故素直に復讐しなかったのだろうか。実際には統一教会の一定以上の責任者と接触が難しかった所為だろうと考えられるが、そのために比較的接触が簡単そうに見える著名な政治家を関連付けして、復讐を遂げようとしたという安易さに逃げたのかもしれない。しかしながらそうであるならば、これは政治家に限らず、一定の著名な人であれば、一般の人との接触の容易な状態を作りやすい環境に置かれることは、非常にリスクが高い行為と隣り合わせであるということにもなりかねない。今は政治活動で一定の警戒リスクを検証することになりそうだが、実態としては、芸能人などを含めた著名な人間の警備体制まで含めた、リスクを考えるべきであろう。
 今のところ山上との関連のある団体や個人が連動して行動を起こすとは考えづらいが、山上のような一匹狼で、何か個人的な恨みをゆがんだ形で表明したい模倣犯のような人間が、何らかの刺激を受けて動きを見せる可能性が無いとは言えない。コロナ禍で長期的にそのような機会が閉じていた反動が、選挙という開かれた動きを、さらに妄想につなげた可能性は無いのだろうか。ちょっと恐ろし気な妄想に終わって欲しいが、しばらくはイベント警備など、注意や警戒を強める必要があるように思える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愚かだと自覚できればの話だが……

2022-07-10 | 時事

 梅雨も明け、暑い夏がまさにやってきたわけだが、そういう中で節電要請がなされている。こうなるだろうことは事前にわかっており、政府が対策を怠ったのは明確である。怠った理由は世論が怖かったからで、要するに日本国民の多くがこの危機を招いた原因だと思われる。多少電気代が上がっても、国民は我慢すべきだという議論は散々なされていたわけで、それが現実のものとなり、迷惑極まりない。
 一番現実的で、かつ一番安全なのは、原発の再稼働であるが、一番簡単であるがゆえに、政治判断が難しいものなのかもしれない。多くの国民の命が脅かされてもなお、反原発アレルギーは治まらないからである。
 では老朽化した火力発電を再稼働させるかだが、実際そういう処置はとられているものの、危険度も高く綱渡り状態だ。新たな火力発電所を作るよりない、とも言われているが、国際情勢もある中で、長期的にはいい筋の打ち手ではない。それに今の状況には、すでに間に合いもしない。
 円安になると日本に製造業が戻ってくるともいわれていたが、電力供給がおぼつかない国に工場を移しても仕方がない。なおかつ電力もまだまだ値上がりする。日本の工場の自家発電機能も進んでいるとされているが、あくまで一時的に止められないバックアップであり、常に供給を賄うものではない。医療現場なども同じだろう。止められない現場は一時的なコストをかけても守るという事であるに過ぎない。
 夏場の停電で最も困るのは、冷凍設備だろう。ある程度の電力対応を進めているといわれるコンビニ業界などでも、冷凍冷蔵ストックを完全に守ることはできそうにないといわれている。そのほかにもスーパーや食料品等を、事実上大量に市場にストックしているのが我々の生活である。長期の停電は、そのような社会インフラを直撃するだろう。すぐに多くの人が餓死するとは考えられないが、さらなる値上げにもつながることは間違いなく、この影響がどこまで広がるかは未知数だ。せっかくコロナ禍を乗り切って(まあ、今なお精神的にのりきってない人も多いけれど)消費が回復基調にある中、水を差されている状態だ。
 当然だが、熱中症対策という事も叫ばれている。節電しようにも、止めるに停められない事情のあるエアコンはたくさんあることだろう。日の陰る夕方から夜にかけて、毎日電力が逼迫する状態が続くのかもしれない。ほとんど運まかせである。
 もちろんこのような危機は、世論を動かす可能性もある。冬場はさらに電力が足りないことも、すでに明白にわかっている。危機感の中で物事を備えるというのは、人間として賢い生き方ではないとはっきり言えることだが、なに、日本人は賢い生き物としては、そもそも該当しない。愚かな国民性は、愚かなりに考えて今を歩んでいくよりないのである。

※このブログの記事は、だいたい何日も前に書かれたものを自動で掲載するスタイルをとっております。今回もおそらく一週間以上前に書いたものをあげています。今の状況に完全に合わないものはボツにすることはあるのですが、今回はそれはそれで、という事であげました。選挙との流れも無いとは言えませんが、それはたまたまだという事ですし、私のブログを読んでいる方の多くはなんとなくわかっているとは思うのですが、そういう訳でそのまま掲載することに致しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする