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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

円安で景気が良くなるって以前は言われてたのに

2024-06-08 | 時事

 最近の円安水準をめぐって様々なトピックが生まれている。以前なら当然のように日本の牛肉は高価で海外産とは価格差が開いていたが、ロース肉に関しては既にアメリカ産が日本産より高くなっているという。100円ショップでは品数が減り、100円以下で仕入れられる商品が激減。文房具では例えばノートなどぺージ数が減らされ、かご等の取っ手が無いなどのシンプルなプラスチック製品に様変わりしている。そもそも既に100円均一ではない、という形態の店だったりすることもある。
 一世帯当たりの支出が、昨年比10万円を超えるという試算もあり、海外旅行は激減。特にこれまで好まれてきたハワイは、人気ランキング圏外に墜落。代わりにハワイ物産展などの催しは盛況で、そのようなイベントの売り上げは伸びている。行けないのだから、せめて国内でハワイ気分を、という事らしい。九州で北海道物産展が盛況なのと、似ているということか(違うかも)。
 円安傾向の理由として、そもそも米国との金利格差がある。日本円で預金するより米国ドルで預金した方が、金利差額で有利なのだ。100万円の預金が日本では年1万にもならないが、米国だと4万円ほど増える。個人はともかく、大きなお金を動かしている企業など、持っているのならドルへ転換するだけで利益が増えるわけだ。
 円安傾向により大企業の多くは、大きな利益を上げている。必ずしも国内生産で輸出を伸ばしている企業のみではない。これは詳しくはないのだが、利益を出しているところは、海外で再投資をしているという事らしい。そうやって日本円がさらに逃げていくという構図になる。そうするとせっかく利益を出していても、日本自体に還元されにくくなるということもあらわしている。
 日本では人不足にあえいでいる訳だが、そういう意味では、日本人向けのサービスをしているところのみ、人手が足りていないという事でもありそうだ。一般的に人手不足なると賃金は上昇する。しかしながら大企業と中小企業との賃金格差は開いているとされ(一般的には賃金上昇は比例して当然なのだが)、中小が賃金を上げられないのは、賃金を上げて利益を確保できないからなのである。輸入資材や輸送その他諸経費高騰がある為に、安易に価格を上乗せすることもできず、利潤幅が無いから、人件費もあげられないのだ。賃金の上がらない世帯が、インフレの商品を買えないのは明らかで、消費が伸びてもいかない。格差の開く中の負の循環が生まれようとしている。
 という訳で面白くない話なのだが、僕らは円安が進む中で相対的に国際社会の中の国として貧しくなっている。でもまあ日本人全体がだいたいにおいて等しく貧しくなっているように見える間は、そう大してその貧しさに気づかないものかもしれない。問題は、明確に日本人同士に格差が開き、その差が努力で縮めることが出来ないと感じられるようになることだろう。そうなると、最悪は日本人同士でテロが起こるようになる場合もあるかもしれない。これは政府がどうのという事ではなくて、意地でも賃金を、価格を、上げるより仕方ないのではなかろうか。
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日本人は変な趣味の人が多い

2024-03-29 | 時事

 ジャニー喜多川がふだん演歌を聞いているらしいと聞いて、思わず笑ってしまったことがあったのだが、考えてみると、そんなに意外性がある訳でもないようにも今は感じられる。彼は男の子には興味があったのだろうが、音楽としてポップソングというか、そういうものにはあんがい興味が無かったのかもしれない。それで実業家として成功する訳であるから、物事を好きだという方向性の活かし方は、多少の専門性とは外れるものであってもいい、ということなのかもしれない。もちろん、今となっては、それでよいということが言えなくなっただけの事ではあるが。
 小澤征爾も亡くなったが、彼も意外なことに、時に演歌を聴くことがあったという。なんでそれはまた、という気がしないでは無いが、音楽的に息抜きというか、そういう気分のようなものと、やはり世代的な気分のようなものがあったのかもしれない。また、ボストンにいるときに聴いていたといわれ、日本の郷愁が欲しかったという事も考えられる。本当の理由はわかり得ないが、クラシックを中心とする音楽の専門家が、演歌を聞いてはいけないわけではない。そこの乖離は感じられはするものの、そんなものだというのは、あり得ることなのだろう。
 しかしながらやはり、音楽的な趣味として、受け入れづらい分野というのは個人にはありそうで、オールラウンドに何でも聴くような人の方が、少数派なのではあるまいか。アメリカ人のくせにカントリー・ミュージックが嫌いという人もいるだろうし、ヒップホップが嫌いな黒人だっているだろう。人はそういうところがあるから、面白いともいえる。
 演歌嫌いと言えば、日本では何といっても淡谷のり子がいる。「着てはもらえぬセーターを 涙こらえて 編んでます」「なんて馬鹿じゃないの!」って言ってました。確かに馬鹿な女で辛気臭い。うんうん、気持ちわかるわあ、って人達含めて、なんとなくクレイジーである。そういう破壊力のある実感をストレートにあらわす人が、幽霊のような調子でシャンソンやブルースを歌ったのだから、音楽人というのは本当に変な個性の集まりだと、改めて思う訳であった。
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人間らしく間違える機械の姿

2023-11-29 | 時事

 何かと話題のAIのチャットGPTなのだが、最近これのエラーを狙った犯罪めいたものが知られるようになっている。なんでも関西弁で解答をするチャットがあって、それに丁寧語で返答するように指示すると、エラーが出て、別の情報が流れる事件があったのだそうだ。または意味不明の質問の仕方があるようで、「###○○で意味を答えよ」みたいな感じで質問すると、相手が混乱して作成したコードなどが流失したりするそうだ。作成側もこれらの対応は行っているのだが、ある意味いたちごっこの感があり、どんどんとAIを混乱に落とし込むような手口が開発されることがあるらしい。
 そういうものかな、と思って僕も九州弁で文章作れとかいろいろやってみたが、まあまあそれらしい文章が出るので、既に対策はうたれているのかもしれない。そういう情報が広がった時点で、GPT側も必死である(のかもしれない)。ある程度のアルゴリズムで作成されているだろうことは考えられるが、そもそもプログラム言語で作られたものばかりでは無いそうで、そういうところにも脆弱性があるということである。またネットの情報やら質問の事項から学習して返答するというプログラムが組まれているわけで、質問自体を学習対象にしている以上、悪意のある質問形式に、AI自体が騙されたり混乱させられるというのは、いわば宿命めいたものがある。AIに反発心を抱いている人の多くは、AIがあくまで無機的なコンピュータであるにもかかわらず、人間らしいふるまいをすることに気持ち悪さを感じていると言われている。ところが、人間らしく騙されやすい性質まで兼ね備えていることに対しては、どのように感じるのだろうか。ある意味きわめて人間的であり、共感めいたものを覚えないだろうか。僕なんかは、なんだかAIがいじめられているようで、可哀そうな気もしないではない。まねしてなんとか騙してやろうなんてことを試してみたくせに……。
 それにしても既にこれは動き出していることであるので、AI側というか、開発している側は困っているわけだ。これを開発している会社のみではなく、これを支援している国の機関なども、これらの対策に追われることになっているという。今やAIの将来性が、私たちの働き方の行方まで左右しているとまで言われている。コンピュータやロボットなしに、我々の将来は描けないのである。具体的にどうなるという予想もたくさんあるけれど、人間の代替であるAIは、結局人間的なエラーを繰り返す存在のようだ。という事であれば、これまでの人間社会の延長上にある未来と同じである。それってそんなに脅威なことなのだろうか。いや、人間らしいから信用できないのなら別なのだが。
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進化し続けるストリップ

2023-11-15 | 時事

 雑誌で牧瀬茜さんという人がコラムを書いていて、この人は現役のストリッパーで25年も舞台に立っている人だそうで、そうしてこれからも踊り続けていくことに、ワクワクしているのだというのだった。ちょっと僕が意外に感じてしまったのは、これは偏見もあってのことでけしからんことだとは承知しているが、ストリップダンスというものにおいて、そのダンサー側の感情を、まったく考えたことが無かった、ということなのである。その上に、楽しんで仕事をしておられるなんて、ちょっと想像だにしてなかったな、と感じたのだ。はっきり言うと、ある意味ではお金のために仕方なくやっているはず、のような感覚があったかもしれない。多くの客は、いわばスケベ心をもってダンスを見て、いわゆる欲情をかきたてるようにして観ているはずである。そういう視線にあって、楽しんでダンスをしている人がいるというのが、ちょっと想像できなかったのかもしれない。すいません。
 いまだにストリップ小屋があるところというのを、不勉強で知らなかったのだが、全盛期は300はあったと言われていたものが、今や全国で18館しかなくなってしまっているのだという。さらにコロナ禍で、休業も余儀なくされていた。そうではあったが、また復活して踊る日々に戻ったという事であって、もっともっと踊りたいということなのである。
 以前はもっぱらエログロであったり、花電車(女性器を使って矢を飛ばしたりなどの芸。花電車は客を乗せないことから、いわゆる売春でない芸をさしているらしい)、SM、レズ、タッチ(踊りよりも、触らせることを中心にしているということらしい)、本番、天板(客が舞台に上るもののようだ)、白黒ショー(白いカーテンの後ろで影絵のように男女の様々な結合状態を見せることが由来のようだが、そのようにしないで実際にいろいろ致すところを見せるものもあるという)、などなど、とバラエティに富んだものがあったそうだが、今は猥雑なものは減っていて、客も男性客ばかりとは限らず、さまざまな人が来るようになっているという。そうして今は圧倒的に自ら望んでストリッパーになる人ばかりなのだそうだ。そうして、脱ぐという行為だけでなく、さまざまなこうあらねばというような呪縛やプライドなども脱ぎ捨てて、踊りというのはまだまだ進化しているということなのだ。
 確かにショービジネスや芸術のようなものというのは、なにか先を見据えた考え方のようなものが必要なのかもしれない。ストリップというものは、まったくそれと同じような、というか、また表現としてはそれ以上のものがあるものなのかもしれない。田舎には無いものなので見届けることはできないが、これからも頑張って下さい。
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日本的エンタメ性「鉄板焼き」

2023-11-02 | 時事

 特に米国人なんだろうけど、「鉄板焼き」と言えば、日本的なニュアンスがかなりあるらしい。それは何と言っても、鉄板焼きを派手なパフォーマンスで演出するレストランが全米に亘ってチェーン展開しているのが、日本人の創業の店だからだ。僕は子供のころに映画で観て知っていたが「ベニハナ」と言って親しまれている。なんとなく日本人にはピンとこないところだが、沖縄なんかにもそんなスタイルの店は結構あって、米軍や日本人観光客も楽しめるレストランになっている。日本人から見ると、たとえ創業者が日本人だからとはいえ、実にアメリカ的な店のように見える。基本的には肉を焼いたりシーフードのバーベキューだったりもするし、炎も派手に上がる。日本の店でも外国人にウケる演出であることは間違いない。最近は京都なんかに炎が上がるラーメン店なんかもあるというから、こういうのは外国人観光客ウケを狙った演出であることは間違いない。
 そうとはいえ、このような客と対面式の接客スタイル自体は、寿司店を参考にして編み出したともいわれている。確かに日本の寿司店の多くは(回転寿司ではない場合)、カウンターを隔てたオープンキッチンの料理人と対面式が多い。客はマスター(大将でも何でもいいが、一般的には何というのだろうか?)と対話しながら、寿司を握る技を含めて、食事を楽しんでいるともいえるかもしれない。一概には言えないまでも、一般的な割烹店より寿司屋の方が割高なのは、そのようなパフォーマンス料も含めてということなのだろうか。よく分からんが……。
 鉄板焼きにも実際には様々なスタイルと料理があるが、やはり縁日なんかで見かける「焼きそば」というのも、なじみ深いものだろう。外国人はこれをアニメなどで見て、あこがれるのだという。確かに日本のアニメはそのまま海外でも人気だというし、日本に来る観光客の中に少なからぬアニメファンがいるのだという。鯛焼きも人気ではあるが(あれはいったいなんだ? という意味で)、日本の祭りで焼きそばを見かけると感動するものらしい。そうして食べてみて、それなりに美味しいので二度感動する。まあ、確かにああいうのを買って食べるのは楽しい訳で、それをなんで祭りでやっているのかはともかく、僕らも外国人も共通して楽しめる食べ物なのかもしれない。
 後はやはり「お好み焼き」があるのだが、僕の子供のころには基本的に大阪風というのが定番だったように思うのだが、今は広島の勢力も拡大している模様だ。ちょっとというかかなり違うスタイルで、広島風は作るのが難しいというか技術が必要なので、基本的に店の人が作ってくれた完成系が目の前に出されるが、大阪風だと、自分で具材を混ぜ、自分で焼いたりする。これを「なんで客が作らなければならんの?」と思うところが面白いらしい。そんな料理、他の国ではまず考えられない発想らしい。まあ、そうかもしれませんね。
 大阪風のお好み焼きは、そういう意味では違った意味でのエンタメ性があるのかもしれない。日本の鉄板焼きの多くは、そのようなエンタメを楽しむ要素がウケている要因だというのが、実は日本的という不思議なものになっているようだ。シャイだと言われ、自己表現が下手だと言われる日本にあって、なんだか不思議な日本的なのではないだろうか。
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ジャニーズと統一教会はつづく

2023-11-01 | 時事

 いまだにジャニーズ問題と統一教会は、居酒屋の話題で続いている。だいたいはひどい批判が大半なのだが、これをなんとなく擁護する人もたまにいる。何が言いたいのか大抵わかりにくいのだが、要するに好きでやっている人がいる限り、そこまで批判する必要があるのか? という疑問のようなものがあるらしい。うーん、まあ個人の意見なのでそれはそれでもいいのかもしれないが、やはりそれであっても問題があるような気がしないではない。
 まずジャニーズだが、ジャニーズに限らず芸能界には、枕営業は昔からあるらしいことは分かっていることだ。そうやって仕事を取って来るという意識が本人にあるのなら、いいではないか、というご指摘としよう。しかしそれで仕事を取ることが、果たして許されていいのか、ということを先に考えなければならないのではないか。いわゆるフェアではない。またそれで仕事を与えられるという立場の人が、それを利用するという場合は、それもやはりアウトである。さらに強制の場合があって、ジャニーズは基本それにあたる。そうすると、そもそもダメダメなのでダメで当たり前なのである。あまり議論の余地はなくて、あるとするとジャニーズさん本人は逃げ切ってしまった、ということだろう。では会社としてどうするか。今はココであって、皆が娯楽として叩いて遊んでいるのは、そうやって会社が傾くまでやって欲しい、ということだろう。それがさもしいという意見であれば、それはそれでまあ、聞ける範囲かもしれない。確かにそれは、いじめであるのだから。
 統一教会の方だが、この間テレビで彼らの近況などやっていたが、解散命令という状況になってなお、直に韓国にお金を持っていくようなひとはいるのだという。まあ、呆れますね。そうして二世の信者の問題があって、信仰は続けていきたいのに差別だ、とか言っていた。いや、続けていってはいけないのであって、あきらめてください問題である。信仰は別にできるというのであれば、別のものをまったく別の形で、韓国と関係なくやっていれば問題ないと言っているのである(たぶん)。そういう具合にオウムもやっているわけで、あちらも問題は残っていると言えばそうかもしれないが、参考にされてはいかがだろうか。
 基本的にどちらの問題にしても、僕としてはだいたい予想の範囲で推移していると思われる。あまり情報を自分から集めていないにもかかわらず、これらはほとんど勝手に向こうから飛び込んできて知ることができる。そういうことを鑑みると、世の中の話題というのは、案外限られたものの焼き増しが一定期間いかに大量に出回るものなのか、ということが分かる。要するに飽きてしまうまで。それが人間の欲求そのものなのであろう。
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金利はやっぱり上がるのだろうか?

2023-10-18 | 時事

 長期金利の上昇を受けて、固定金利が少しだけ上がっているのだという。一般的な住宅ローンの借主は、ほとんどは変動金利を利用していると言われる。ネット銀行などは、超低金利で貸し付けており、言っちゃあなんだが、金利はタダの状態に近い。そのようにしてお金を借りてしまっている人々には、少しの金利上昇の兆しが見え始めただけで、かなりの不安に陥ってしまうものらしい。もちろん僕もその一人ではあるのだけれど……。
 お金を借りたら返さなければならないというのは、別段ユダヤ人が発見しなくとも、誰かが何らかの形で課しただろう発想だと思う。いかにも人間らしいものごとの捉え方だからだ。物々交換であっても、等価であるから行われるというよりも、どちらかか、どちらかともに、これを価値以上に思っていたから行っていたものと言える。場所によっても、ものの交換率は違ったはずで、それは貨幣への考えの基本となったことだろう。ものの価値が貨幣と交換できるようになると、ものよりも交換可能な貨幣自体を貸し借りするということが行われる。それに時間を掛け合わせて金利を編み出すところに、確かにしたたかさを感じさせるところがある訳である。貸した金以下の回収しかできなければ商売にならないので、貸した金以上はかえってこなければ貸す意味がない。超低金利だからと言って貸した以上は返してもらいますからね、と約束させられていることに変わりがない。もっとも貸し倒れは貸した側が最も恐れることでもあるから、そのあたりのさじ加減を考えると、借りている方もいくらか心理的な防衛ができるのではあるまいか。
 報道にあるように国の長期金利の上昇を受けて、固定金利のみが連動をみせている訳だ。貸している側が独自に金利上昇をさせる可能性は、極めて低いのではないか。超低金利でも利益を出しているところを見ると、相当の資金を相当の広い範囲に貸し出していることは間違いない。利幅が少なくても、ネットなどのコストを掛けずに貸し出した資金をバラまいていたわけで、それらが少しでも焦げ付いて回収が滞ってしまうと、そのためのコストがさらにかかることになって、やっぱり金利を本格的に立て直して上げるようになる、ということも無いではない。借りている方がむやみに動揺せずに返していけるようなら、大きな金利変動へと動きにくくなるものとも考えられる。まあ、そうあっても欲しい訳だが。
 今のところ変動金利においては、あまり反応していないように見える。それだけ資金はだぶついているわけだが、そうするとひょっとすると、というのはバブルがある。限界が来るまでは調子がいいのは間違いなくて、はじけると一気に上昇し、次々に破綻してしまうことになる。考えにくいことだから、皆が考えないだけのことで、そうなっていないことを祈っているしか、ないのかもしれない。少なくとも借りている期間が終わるまでは……。
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合理化を突き詰めて考えるとどうなるか

2023-09-29 | 時事

 日本の農業の危機なのだという。米をはじめとする農産品の価格は上がらないまま、経費がかさんでいるためである。肥料は7割、燃料は5割、畜産関係の飼料が3割、高騰しているという。さらに生き残りをかけるために大規模化した農家も、設備投資の負担がのしかかっている。肥料を減らすと収量が減ってしまう。しかし経費がかさんで利益が出なければ、結局は赤字を増やすだけになる。必死で耐えたところで、その先に明るい兆しが見えない。そうすると後継者に継がせるわけにもいかない。離農廃業する人が続々増えていく。作り手の高齢化と、離農者が増えることで、田んぼや畑は荒廃していくばかりなのである。
 問題は深刻なのだが、価格に転嫁できないのであれば、確かに壊滅を待つばかりになるだろう。今のところ燃料などに助成金を出して、延命させるより処置しようがないのだろう。これまでも日本の農業には問題が山積していたこともあったわけで、今回の状況によって、日本の農業は事実上壊滅する可能性もあるということかもしれない。
 結局は助成金頼みでしか解決の道が無いのだろうか。もちろんこれまで通りのやり方を続ける限り、もう道は少ないということだろう。
 ということもあり、逆に有機農業へシフトする動きもあるという。有機農業によって化学肥料を減らし農薬も減らせる。しかしながらこれまでも有機農業の取り組みはあったはずで、実際にチャレンジすると、大変な労力を必要とし、採算が合わないとも言われていた。ところが今度の有機農業のやり方はちょっと科学的な取り組みで、これまでとは違うものなのだという。
 まず土の成分を分析して、その土地に足りないものを最小限足すことはするのだという。一般的に窒素、リン酸、カリウムが農産品の育成には欠かせないとされていて、肥料というのはそのような成分を配合して作られている。その中の足りないものだけを補充するので、それだけでも経費を抑えられるわけだ。またその成分の生成においても、再利用で作られている安価な肥料があるといい、そうしたものを適宜上手に利用することが重要ななのだという。これにより収量を減らすこともなく、これまで通りかそれ以上生産を行っている農家も出てきているのだという。
 非常に合理的なのだが、このような動きが本当に広がるのかどうかである。有機農業というのは、農家仲間からも嫌われる傾向もある。農薬をあまり使わないというのは、虫や病気の発生を止められないこともあるからである。そのようなものを近所の田んぼや畑で呼び込むようなことになると、被害が広がってしまう恐怖もある。それだから農業というのは、一定の協力のもと、同じように農薬を使うというのが、暗黙の了解にもなっている。水の問題もあるが、一つの農家だけがチャレンジすることはハードルが高いのである。
 しかしながらこのような危機を迎えて、いわばそれ以外に選択の余地がなくなったために、協調して有機化が進んでいく可能性があるのかもしれない。そうであるならば、日本の農業の大改革起こるという事もあるのだろうか。
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一度全部壊れる必要がありそうだ

2023-09-12 | 時事

 いわゆる「#Me Too」運動のさなか日本でも枕営業は芸能界に普通にあるらしいことは言われていて、本人がそうでも問題はありそうだが、いわゆる強要して役をちらつかせるようなことをしている人は相当いるだろうと考えられた。実際にそれで干された映画監督なども何人も出た。キャンセル・カルチャーには行き過ぎたものも多くて、必ずしもすべて同調できるものではないが、人気稼業にはそもそも機会が無ければどうにもならないわけで、人間がそれらを選好する以上、そのようなことは繰り返される構図になりやすいと思われる。それでいいとは言えないが、だからこそ表面化した場合、それなりの社会的な制裁が科されるという事になったのだろう。
 しかしながら表面化するには、今回のように顔出しをした告発が必要そうで、非常にハードルが高い。いわゆるセカンドレイプといわれるような苦痛を伴う代償が必要になるという事だろう。被害者のそもそもの心の傷もあることであろうし、今の生活もある。被害にあったにもかかわらず、あの人とどういう事をしたという事が、まことしやかに広がることになるのである。多くの人が泣き寝入りする現実があるのは、ことが大きければ大きいほど、それらの苦痛の大きさにあるとも考えられる。首謀の本丸の死後にこのような騒ぎになったのは、いろいろと事情はあろうと思われるものの、基本的には被害者の苦痛の大きさと社会問題化するだろう影響力の大きさにあるという事になるだろう。
 結局そうやって本人は逃げ切った後に、それらをかばいながら隠し通してきた人たちに責任が転嫁されたことになる。僕はこのような世界に何の興味もないので、実際にはどうでもいい事なのだが、しかしながらタレント事務所とテレビ業界の癒着というような構造がこの度かなり明らかになって、はっきり言って腐りきっている日本の社会構造の縮図でもあることが、理解できたわけである。社畜として内部に抱え込んで奴隷化する構造は、タレント業界でも日本の会社でも、そんなに違いはないのではないか。
 しかしながらこれだけのハラスメントがまかり通っていた(さらに業界で公然と隠蔽していた)というスキャンダルが表面化したにもかかわらず、その構図が生き残ることには、かなりの問題があるのではないか。どのように保障していくのかというのもあるし、体質を改善したのちに、そうして再発防止のためにどのように監視するのかという問題は、今の対応を見る限り道のりがあまりにも程遠いように感じられる。他にも似たような芸能グループはたくさんあるようだし、それらも業界で抱え込んでいる構図が残っている訳で、今のプロダクションとテレビ業界の在り方まで変えない限り、再発防止は不可能だろう。クラブ活動みたいに見えている芸能社会には、今も少なからぬ被害が残っていないはずが無いのである。
 結局はタレントを守って闇を作らないためには、もっと大胆な再構築をやるよりないのは間違いない。もっともそんなことが出来る業界なのであれば、こんな問題にもならなかったのかもしれないが……。
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政治的な揺らぎ問題では無いのかもしれない

2023-09-06 | 時事

 平和教育の教材でもあった漫画の「はだしのゲン」が削除されたとして、波紋が広がっているという事であった。平和教育の副教材として使われてきた歴史がある訳だが、効果的とする意見が半数以上を占める中にあって、検討する会議においては削除の方針が決定されたという。理由としては当時の子供が浪花節を歌うシーンがあるとか、池の鯉を盗むなど道徳的に不適切な部分などがあるためであるという。戦時中の特殊で貧しい時代背景にあって、説明の上で伝えることは可能であったという教員の意見もある中で、会議の上ではそのような諸々の理由での削除決定がなされたことへの疑問の声があるということなのだろう。
 「はだしのゲン」という漫画の平和教育においての有効性というよりも、これはおそらく政治的な配慮のうえでの判断があると匂わせてあった。はだしのゲンの内容の中には、天皇の戦争責任の言及など、左翼的な意見なども散見されるものである。歴史の事実に反するものも、内容の一部にはあるという指摘もある。そもそも左翼的な政党や団体などの支持もあって、平和教育の教材に使われるようになった背景もありそうだ。長らく教育現場においては、そのような勢力の方が強く、それらに対しての批判はずっと続いていたと考えられる。では、今度は右翼的な団体の勢力が強まったのだろうか? そういう懸念をもって問題視する声がある、というのだろうか。
 ところが事情は少し違って、そのような右翼的な圧力がまさったというよりも、そもそも平和教育に対する重要性が下がっている現実があるということらしい。教えている教育現場においては、むしろこの問題に冷めている教員の方が多数派なのである。そのようにして決められたのであれば、それはそれでいいとする許容派の方が多いのだ。むしろ日常の業務の忙しさの方に関心があるのであって、子供に教える内容には関心が薄れている。その為にこのような問題に言及して抵抗するような流れにはなっておらず、そうであれば事勿れ的な配慮によって、いわばなんとなく削除の方向性が決められてしまったということのようだ。
 政治論争に巻き込まれるような題材を使い続けるようなリスクよりも、別のものでも可能であるということの方へ、シフトしているということだろう。
 僕らの子供のころにはだしのゲンが教材として使われていたかはよく覚えていないのだが、子供時代にこの漫画を知らない人はあまりいなかったとは思う。平和教材として知っていた訳ではなく、いわゆる戦争ホラーとして、子供たちはこの漫画を回し読んだ。戦争描写の残酷さは際立っていて、多くの人たちが最大限に苦しんで死んでいく。この漫画がトラウマになったというような意見は、ふつうに聞かれることだった。原爆で火傷して皮がむけた腕を前に出してゾンビのように歩く人々とか、とにかく水を求めて苦しんで死んでいく人々というのは、おそらくこの漫画によって常識として僕らは知っているはずである。そういう意味では、本当の原爆の恐ろしさや、戦争の愚かさは「教育的」には学んだことかもしれない。かなり強烈ではあるが、作者の実体験をもとに描かれているだろうことは間違いなさそうで、それは漫画としてのデフォルメがあったとしても、戦争を伝える人間の真実があると考えていいのではなかろうか。本来はそこが教材としてふさわしいかどうか、ということのようには思う。
 しかしながらこのことは、政治的な対立の終わりの始まりなのかもしれない。そのような対立軸に使われてきた「はだしのゲン」という存在の役割が終わったのかもしれない。それが今の時代の政治的な「正しさ」としてどうなのか、ということを考えるべきなのかもしれない。
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風評が楽しいのは、いじめっ子だと思っているからか

2023-08-27 | 時事

 10年にもわたって勝手に保留していたものにもかかわらず、やってもよかったという何でもないことを先送りし続けて、しかしそんなことをやっても他にもっと深刻なことがあって逃げられない状態になってしまって、そうであるにもかかわらず理解はされない一部のものがいる限り、結局は問題になる。というか、風評被害だとわかりきっているにもかかわらず、騒いで風評被害を広げているという事実がある。それに対しては莫大な金がかかるし、その負担は、結局は受益者が払うように先々ではなるという事にもなるし、その損害は、風評批判を起こした側は一切負担はしないのである。要するにそれはいじめであるだけのことで、被害が起こりえないことが分かっている事象に対して、被害を作り出す構図をあえて作り続けているだけのことなのである。それが風評批判というもので、いまだに議論が足りないから、もしくは十分ではないなどと言って逃げている訳で、じゃあこの10年は何だったのだろうか。
 そうであるから騒いでいいという構図に乗って、圧力をかける国はある。自分たちのやっている事よりもはるかに小さいことに対して、それは今は日本のほうが騒ぐだろうという事を見越したうえで、困るだろうという一点に絞って圧力をかけている。卑怯極まりない愚劣な行為だけれど、それを批判する側が同調するに違いないからやっている。いじめている外側だから何の問題もないことが分かっている。いじめられている側が、何らかのことをしない限り石を投げ続けても何も言われない。だから投げ続けているだけのことである。一言やめろ、というか、何やってんの? と反撃する人もいない。ちょっとはいるが声は小さいし、聞こえないふりさえしていれば、何にも悪くないので悪ふざけをし続けるだけである。その上に、悪ふざけをやめるために、かえってお金をもらえるかもしれない。結局そういう論理に近いものであろう。
 問題ではないものだから、せめて一面で報道をやめるだけでいいかもしれない。そもそも問題にする意味さえいじめのため以外にない。日本という国は、困る人にはいじめていいという事を卑劣に続けることを実践する、卑怯者国家である。そういう心根の貧しい人々の集団が日本国民のようである。そうでないというのなら、即刻やめるのが筋であるだけだ。しかし、そんなことは卑怯者にはできはしない。だから10年も先送りし、さらに伸ばしていじめのお祭りを続けようとする。これを愚かと言わずなんというのだろう。
 もちろん実際には何も起こらないのだが、小さい不関連な出来事が、それらしくあるようなことを子細に確認し続ける人々が群がって何かを見つけ出そうとするわけで、そういう期間が、またしばらく続く。貧しい人々が行きつく先というのは、つまりそういう先送りの行く末なのだろう。その船に乗っている自分のことを、呪うより外にやり場が無いのである。なんでこんな国に生まれてきたのだろう。親ガチャだって? その前に日本だろう。
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やってはいけなかったことが発見された!

2023-07-31 | 時事

 連日ビッグモーター騒動。最初は何のことかと思っていたが、いろいろ解説してくれる人が多くて、というか、今の話題がこれ中心になっていて、どんな話もビッグ関連になっていく感じだ。皆さんなじみのある会社であるらしいことと、それなりに思うところの多い問題なのかもしれない。
 面白いと感じるのは、僕は新聞くらいしか情報源が無いが、メディアのほうは怒っているニュアンスが強いのであるが、一般の人というか、僕の周りで教えてくれる人の反応は、結構面白がっていることである。ずいぶんへんな会社があったもんだなあ、と僕が言いうと、たいていの人は「いやいや、これ、どこでもやってるでしょ!」というのである。さすがにここまでやってた会社は特殊な感じだとは思うものの、皆さん最初から織り込み済みで信用してなかったのか? そういう反応に二次的に驚いているのだが、そうするとこれは、やはり他にもあるある問題であると考えてもいいのかもしれない。
 僕は一度だけビッグモーターには行ったことがある。多良見店だったと思う。それは単純に車を見に行ったのである。広い敷地にたくさんの車が置いてあるんで、見本として見に行ったというのがある。現物を確認して、知り合いの業者に頼んでその車種をオークションで買ったのである。利用してすいませんでした。若い店員さんの感じも良くて、マニュアルで鍛えられてるなあ、と思った。たぶん歩合制なのではないか、と思った。
 しかしまあ、このような中古車販売店は、値段が高いことは情報としては知っていて、最初から買う気はなかった。いろいろオプションがついてきて、場合によっては新車より高いともいわれていた。しかし客は、ここで喜んで買うのだ。そういうのって面白いな、とは感じていて、人というのは、やはり対面情報に価値を見出しているのかもしれない、と考えていた。
 今回の騒動で、この会社は相当のダメージを受けているはずである。自業自得じゃないか、と言われればそうかもしれないが、この影響で大きく利益を得るところがあるはずである。必死でたたいているところは、そういうところを考えているのではないか。
 また、先に紹介した、「どこでもやってる」のではないか、という感じ方というのにも、おそらく根拠がある。せっかく修理をするのなら、ちゃんと保険を使いたいと考えている顧客がいるのではないか。そういう要望と、会社の利益は相関する。そこに普通は保険会社は立ちはだかるものだが、そこにも顧客獲得の誘導が働いたとすると、まあ、納得しやすい。ことは案外単純なのである。だからその分かりやすさとして、辞任した社長の発言は信用されないわけで、しかし認めると裁判でひどく負けるという将来のことを考えると、ああ言うよりない、というのも分かっているのだ。
 要するに茶番であるわけで、やっぱりそうだったんだな、という通りのことが、次々に明るみに出ている訳である。そうして街路樹が枯れていたりして、行政まで絡んだような問題になった。もっと叩いて懲らしめなければ、という事である。大衆の快感のために、ものすごく適当な存在が立ち現れている。やくざ国家日本の、見本のようなやっちゃった会社が、今崩れ落ちている過程にあるのであろう。
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ロシヤの動きに期待すると……

2023-07-14 | 時事

 ロシヤのプリゴジンという人の動きがよく分からないのだが、なんとなく手打ちに済んだということになっているという。それでベラルーシに行ったと言っていたが、しかしロシヤに留まっているともいう。贅沢な暮らしぶりだったという家の映像なども暴露されていて、おそらくロシヤ政府はプリゴジンの悪者としての世論操作をしているらしいともいう。それは裏返せば、それなりに国民的な人気のある人である可能性もある。そもそもプーチンとも仲が良かったから信頼もされていたフシがあって、仲間割れというか、内輪喧嘩だったのかもしれない。そういうものであったにせよ、ロシヤのプーチン体制が一枚岩ではない可能性が示唆されたわけで、これに西側が大きく反応しすぎているかもしれない可能性がある。できればロシヤが内部崩壊してくれたら助かるからである。少なくともプーチンは、かなり誤った行動を取ったということが確定したのであって、そのまま西側はプーチンと付き合い続ける道が絶たれてしまった。それはそれでいいと言えないところが地政学的な諸事情であるので、この戦争を止めることと相まって、その後の展開もある程度道筋をつけたいところである。今のところ、すべてがそれ以前の話になっており、たいへんに不安定だ。なんとか核戦争にはならないようにという制約付きでウクライナに頑張ってもらって、最終的には和平を結んで欲しい訳だが、ウクライナの国内だけでの戦闘に留めたうえで、なおかつある程度ロシヤが納得する和平案というのが本当にあるのか疑わしい。ロシヤとウクライナは、衝突する前線で均衡しながら、しかしロシヤは時々ミサイルを他のウクライナの都市部に定期的に打ち込んで不安をあおっているとしている。厭戦気分を醸成させて、政治的な転覆も図っているのである。ということは、長期化させる構えがあるということになる。なんともやりきれないが、ウクライナが勝ちすぎると核の脅威があり、西側はおびえるばかりなのかもしれない(それは我々も同じだが)。そうすると、ロシヤ内部の崩壊頼みということになって、今回のワグネルの動きに、それなりに大きな期待と可能性が無いのかを、考え出したということになる。
 さらに今回個人的に驚いたのだが、ロシヤには軍事的な民間会社がいくつもあるということだった。数十あるというし、90くらいあるともいう。少なくとも40くらいはロシヤと関係する様々な国へ派遣されてもいるし、この戦争でも駆り出されているという。プリゴジンという人は、その中でも特に大きめなワグネルだけでなく、数十社と関係があるという。プリゴジンは、ときどき刑務所に出向いてリクルートして傭兵を集めるとされているので、要するに民間の軍事会社に入ると恩赦のような制度があると考えられる。どのような刑の人が選ばれるのかはまではよく分からないが、軍人とはいえ外に出られるうえに、それなりの魅力が無ければ、要請に応じないだろう。ウクライナでは激しい拷問をしたり強姦を繰り返す兵隊が多いらしいことからも、そういう類の囚人が多いのかもしれない。まったく迷惑な話である。そうしてこういう会社には、ロシヤが雇うのでそちらからの資金頼みであることは間違いないが、さらに民間の会社、例えばガスや石油会社が資金を提供しているとされ、それは警備会社としてでなく、ということを考えると、いったいそれはどういうことなのか。もちろんそれらの会社はロシヤ政府とのつながりの中で資金を出しているということかもしれず、そうなると税金のようなものとも考えられるが、ロシヤという国の仕組みというのは、やはり日本のような国の予算の使い方とは、考えられないくらいの違いがありそうだ。いちおう選挙はやっているようだけれど、一人一票で多数決というものですら、おそらく違うのではあるまいか。
 プーチンは、我々からするとふつうに悪党だが、失脚すると、おそらく命の危険があることだろう。それはおそらく家族や仲間を含めてのことであろう。まるでヤクザの一族だが、そういう人でないと率いることができない国家が、ロシヤなのかもしれない。そうなると、次に出てくる人は、プーチンより強い人かもしれない。まったく頭の痛い事ばかりなのである。
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信用できないのは、人間の方だから

2023-07-09 | 時事

 マイナンバーカードの騒動を見ていると、なんというのだろう、ほとほと疲れるというか、コロナもそうだったかもしれないけど、何か敵がみつかると一定の人というのは興奮するのが分かる。確かに問題あるよなあ、という感じなんだが、中身を見るとたいしたことは無い。ヒューマンエラーなので問題が無い、という説明の仕方に引っかかるものが無いでは無いが、確かに信用できないのは仕組みではなく人間であるらしい。ということで信用が傷ついたということは言えるにせよ、それは説明を理解できるならば、なんだそういう事か、ということに過ぎない。それくらいのエラーは当初から折り込み済みというか、起こりうることだったというのであれば、妙に絶対安全だとか言わなければよかった問題、ということなのだろうけど、そんなこと言うと最初から通らないので、結局まずい対応に追われているということなんだろう。日本は人口が多い国なので、一斉に何かやろうとすると、特に各人の同意を取ろうとすると、そもそも何もかも不可能になるというだけのことなのだろう。
 ということで、そういう経過を経ながらも、特に騒いでいる人にとっては、いったい何の意味があるのかさえ分からない。あなた個人の問題と何ら関係すらありゃしない。関心があるのなら、どうしてそういうことは気にしないのだろう。
 まあ、過去には反対した有力な政治家もいたわけで、それは脱税をしていた金丸さんのような人だったわけで、そういう人は確かに怖いよなあ、というのは分かる。そもそも(金を)持ってない人が、何を怖がる必要があるんだろうか。税金をちゃんととって公平にする基本の制度なので、準備には苦労はあろうけど、そういう悪を逃がさないためには、なんとかのりきって活かさなければならない苦難の路なのである。税の使い道には厳しくなる可能性はあるので、それを嫌うという心情というのであれば多少は分からないではない感情だが、政治家以外の人が、それも市井の人たちが、この制度を嫌う必要があるはずが無いのである。今の扇動に乗って不信感をあおられているのだというのは分かるが、それは単に自分の理解力が足りなくて、それらの悪い人たちのカモになっているに過ぎない問題だ。搾取される方が、搾取する側を援助するなんてことは、悪い冗談としか言いようがない。
 ということで、サクサク進んで次に行きましょう。
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台湾有事は起こりうることなのか

2023-06-10 | 時事

 台湾有事が取りざたされて、日本は難しい立場にある。何しろ近いしお隣だし。関係も悪く無いので、とうぜん日本は台湾の側に立たされる。そうすると中国と対峙して戦わざるを得ないことになる。後方には米国がいて、事実上の中米戦争になるということになろう。
 そういう事が起こる理由として、そもそも中国は朝鮮戦争の勃発する二日後だかに、台湾に侵攻する予定にしていた過去があるとされる。実際朝鮮戦争に軸足を取られ、当時の同盟国であるソ連と足並みを揃えるしかなかった。多くの力を使ったために、台湾進攻は先延ばしされつづけたということだ。
 しかしながら時代は変わってきた。台湾は中国よりも先に大きな経済発展を遂げ、小さな存在ではなくなった。国土は小さいが、ヨーロッパの国と比肩しても小国とはいえない存在である。同盟関係の国々も数多く、中国が圧力をかけて国と認めさせないでいるだけのことで、存在感は十分に大きい。同じ漢民族がまじりあっているうえに言葉も通じる間柄だが、さらに経済的にも結びつきは強くなっているにもかかわらず、政治的には対立を強めている。
 もっと大きな問題になっているのは、ほかならぬ中国そのものが巨大国家になりすぎていることである。既にアメリカと実際にがっぷりと対峙する存在になった。もともと巨大国家であったのだが、近代はずっと寝ていたために取り残されていただけのことであって、再び世界的な覇権国家になってしまった。今であれば、アメリカと揉めても、十分に戦える力を備えたという自信もついているのではないか。またアメリカは警戒するあまり、露骨に中国をいびって揺さぶりをかけてくるようになった。面白くなくなっていることは間違いなくて、アメリカに泡を吹かせてやりたくて、しょうがなくなってきているのではないか。そこで、そもそも中国の一部である(と主張している)台湾を今取り込むことで、自分の力を証明することになるのではないか。実際のところアメリカが介入すると厄介だが、太平洋の反対側国家が、本当にまともに台湾を守る気になれるものなのだろうか。その為に米国人の血を流す犠牲を出すつもりが、本当にあるのだろうか。それは日本もしかりなのだが。
 多くの識者は、台湾有事はあり得る自体になった、と認識しだすようになっている。あんまりやる気の無いように見える日本が、実際に軍備などに着手しだしたことは、自分の意志であるというよりも、米国の圧力や、現実的な対応を迫られている証左であるとみて間違いないだろう。そのような抵抗無しに、有事を食い止める術は、すでに無くなっているのだろう。
 ところでそういう状況を理解する必要があるにせよ、ロシヤのウクライナ侵攻を中国がどのように捉えたかというのは、重要な試金石であると思う。当初中国は、西側に完全に同調したとはいえないにせよ、それなりに距離を取り続けていたように見えた。今や力の上では自分の方が上であるとはいえ、兄貴分のようなロシヤに完全に同調したわけでもなさそうだった。それは現在のロシヤの状況を冷静に見るならば、ウクライナ侵攻の判断は、失敗したものだと感じているのではないのか。もしそうであるのであれば、同じく台湾有事というものは、踏みとどまることになるのではないか。そもそも戦争を仕掛けたところで、核なき戦闘においては、かなり難しいものになっていることが見て取れる。いくら党の独裁的な政治体制であるとはいえ、そのような判断を下せる状況にあるのだろうか。
 つまるところそういうバランスにおいて、台湾有事が現在起こっていないというに過ぎないのかもしれない。それがいつまでも、ということは、わかり得ないことなのだが。
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