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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

日本のテロのゆくえ

2022-07-08 | 時事

 現時点ではわからない(わかりえない)ことが多すぎるのだが、衝撃の大きさも今後の展開も含めていくつかメモ的に考えてみることも必要かもしれない。もちろん保険的に外れることも期待していることも含んでいることも、恐れずに考えてみるべきだろう。
 まず、選挙戦の最終追い込みがどのようになるかだが、投票日そのものの注目度は上がる可能性が高い。そもそも与党勢力は圧勝の形だが、さらに積みあがるのではないか。テロリストは政治犯の可能性が薄そうだけれど、結果的に政治犯として歴史に残りそうだ。
 拳銃による犯罪だが、あれは何という拳銃に属するのだろうか。報道も錯綜していたが、映像で見ても、あれが一体何なのか、結局よくわからない。もう捜査上は分かっているはずなのだが、一応まだ言わない。何か言わないことになり難しそうだとされているが、製造に関しては、簡単な方法があるのかもしれない。これは新しい専門家が登場しそうな感じもする。
 山上徹也という容疑者は、すでにかなりクレイジーだが、元海自だという事ばかり報道されているが、ずいぶん昔の話だし、だからという関連性は怪しい。元海自だからそんなことをするという根拠があるとは考えづらい。であるとすると、いったい何が? となるが、ひょっとするとこのクレイジーさで逃げ切る算段が、最初から本人にありそうだ。これは司法を考えてのことだろう。捕まるときの冷静さを考えると、計算済みだろう。
 では組織だったものでは本当にないのか。今のところそういう可能性は薄そうだけれど、それは、分かりえない。いったん政治活動をやめたところも多かったようだけれど、それはそれでどう扱うかという問題に変わっていくだろう。短期中期で、そのあたりが騒がしくなるに違いない。デマも飛び交うだろう。
 一応の方向性としては、民主主義との挑戦ととらえるような言論の方向性は見て取れるが、そういうものではおそらく違うものだろう。そういう分かりやすい論点のほうが怒りを表明しやすいという事であるだけで、安易である。しかしながらその分かりにくさの解説こそが大切なのであって、そのことに慎重に向き合うべきだろう。分かりにくいからわからないだけならば、それは人間性の放棄である。我々はそういうものに向き合う必要があるのである。
 残念ながら、このテロによる影響力は小さくはないだろう。選挙明けの憲法改正問題も進むだろうし、戦争が行われている現実を前に、防衛費などの議論も進むだろう。それはいい事でもあるにせよ、さて、いずれぶり返しもあろう。圧勝しすぎる政局の行方は、強すぎるゆえの不安定さを抱えていくだろう。それは日本なりの変な精神性だとは思うものの、強いは弱いのである。安倍さんのご冥福はお祈りするものの、さらにこの衝撃を受けての倦怠感のようなものついて自分なりに説明のつかないものは感じているものの、この事件の不条理な衝撃の強さによっての社会の変わりようのようなものに、さらに不安がつのることを避けることはできない。大衆というものの姿を、僕らはもう少し冷静に見る必要があるのではなかろうか。
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遅れたアメリカ社会を糾弾する前に

2022-07-08 | 時事

 米国連邦最高裁が、妊娠中絶に関する判例を49年ぶりに覆した、としてニュースになっていた。南部ミシシッピ州法で原則妊娠15週以降の中絶を禁止しているものが違憲とはならない、という判断のようだ。詳しくはネットなどのニュースで確認して欲しいが、これを受けて女性の権利が奪われたとする側の主張が全米のみならず、それなりに広い世界で騒がれることになった。日本の新聞の報道でも、僕が読んだ限りの印象としては、米国にはいまだにこのような誤った判断をするような保守層の力が働いており、社会を分断させ、混乱をまねいている、という解説もあった。トランプ前大統領を支持するような、誤った保守層が、前近代的な思想で、女性の権利を縛っている、とされるものである。
 詳しく読んでもよくわからない点は、南部ミシシッピ州で開業している堕胎専門医院は州外に移転することになるだろうという事(一つだけあるらしい)と、この流れで、他州が追従することになるのかまで書いていない。中絶を希望する女性は、他州に移動しなければならないリスクを背負うことになり、母体にも少なからぬ影響があるようなことも書いてあった。という事は、やはり他州であれば中絶はこれまで通り22週くらいまでは可能であるらしい、とは読み取れる。
 日本でも22週以降には中絶はできない、とされている。主な理由としては母体に大きな影響がある、という事であるらしい。うろ覚えだが、胎児がどれくらい成長すると、いわゆる人間として認めるべきなのか、という議論もあったような気がする。それがはっきりしなければ、堕胎というのは殺人ではないか、という議論ともかみ合わなくなる。中絶行為は殺人とはならないことを考えると、その週までの成長段階までは、まだ人間として認められていない、という事になるのだろう。そう考えると、南部ミシシッピ州では、15週以降の胎児の人間性、という事も問うているようにも感じられる。これは宗教的文化的な背景も、おそらくあるのだろう。
 人間の性交の厄介なことは、妊娠を望まないものでも性交が日常的に行われていることだろう。ボノボも性的な行為をコミュニケーションの手段として行うという事は知られているが、交尾まですると、それはまた別の話になるようだ。生まれたのちに子殺しをする動物は複数あるが、それは子育てをしなくなったメスが、また発情をするようになるからである。オスが生まれてきた目的は、おそらくメスに射精する(遺伝子を残そうなどと考えているはずがないのだから、本能的なものである)という強烈なプログラムがあるのだろうと考えられるので、そうすることが合理的なのである。人間もそうなのかは知らないが、成熟した女性に強く惹かれる大きな理由ではあるだろう(様々なフェチはいるものの)。
 という事で、妊娠を望まない性行為という事は、人間の持っている新しい発明のようなものなのかもしれない。これによる問題も起こる可能性は高いが、強い絆を含め、コミュニケーション手段として、非常に強い作用を働かせることになろう。
 そういうことを考えると、女性の側のみ妊娠の可能性がある以上、女性の自由な性交の権利というものについて、一定の縛りが強くなるという考え方もできるのだろう。これはパートナーである男性も複雑には含んでいるような気もしないではないが、そういう議論はまた、ややこしくなることにはなるかもしれない。
 また所得などの理由による望まれない妊娠出産や若年齢による出産においては、子育てにおいて様々な問題を引き起こすともされている。特に日本のように赤ちゃんポストが熊本に一つしかないような社会では、個人の問題として救済される機会が少ない。そうして、先日も若い母親の子殺しがあったばかりでもある。生まれた後子育てが難しい環境にある場合、容易に里子に出せるような制度のほうを整えるべきであるのは明確である。米国やヨーロッパでは、そうした制度もある程度日本よりは整っているものと聞いているが(正確には知らない)、そういう社会であっても堕胎ができる判断の時間が短くなることに、危機感を感じている人が一定以上いるという事なのかもしれない。
 奇しくも今話題になっている是枝監督の韓国映画は、捨てられた子供を子供の欲しい人に売るという、ブローカーを描いた作品だという。ある意味で、こうした問題を直視していない社会に対して、問題提起している可能性も高い。アメリカ社会の保守的な考え方を非難するだけでなく、もう少し広く深く議論を広げるべき問題なのではなかろうか。
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困難な時代に入ったからこそもっと正確に

2022-03-28 | 時事

 会う人と少し話を続けると必ず出る話題が、完全にコロナからウクライナ問題へ変換した。僕もブログで取り上げてもいるし、そうして読んでくれている人からも言われることは、その後僕がどのようにこの問題を考えているのか、という事でもあるようだ。確かに二度ばかり取り上げて、その後はちょっとだけだが、書いていない。僕のブログは、ほとんど15日程度前に書いたものが多いのだが、時事問題だけは、たまに二三日くらいであいだにはさむこともある。だが、皆さんもご存じのように、いつの間にか一ヵ月になろうとするこの問題において、いわゆる明るい展望を開ける予想はたてづらく、僕が書くべきと思われるものもそんなにない気もしていた。ちょっと書きたくないようなことしか思い浮かばないし、調べても材料がだんだんと悪くなっている。僕はNHK以外にはテレビのニュースは見ないし、情報は新聞とネットしかないので普通の人より少ないことは間違いないが、しかし出会う人の話から聞くことによる情報の多くは、ミスリードが多い印象も強く受けている。日本のマスコミだから偏っていることは間違いないし、それを真に受けている人が多いのでさらに仕方ない事なんだが、聞いていて残念に思うことも多い。だからと言ってどこまで真実と考えていいのかを、そしてだからと言って言うべきことがあるのかという事も考えると、口が重たくならざるを得ない。ウクライナとかロシヤというのは、改めてそういう問題なのである。
 一番いいのはウクライナがロシヤに曲がりなりにも勝つことである。そういうと、「なんだ?」という反応をする人が多いが、NATOとか米国とか、いわゆる西側人間の思いは、実際はそうではなかったのだろうか? 
 プーチンを暗殺する方法があるはずだ、という人もいる。それはゴルゴ13の見過ぎではないかと僕は思う。他力本願というか。実際に画策しているとは考えられるけれど、どれほど実行可能性があるのか、というのは、やはりわかりえない問題だ。
 長期戦については、両方の見方がある。最終的にはプーチンは間違っていたのだから、いづれにせよ失脚し、ロシヤも崩壊する。まあ、願望でしょうね。そういってみたい気持ちは痛いほどわかるけど。
 逆にわざとロシヤは時間をかけてじわじわやっている、というのもある。時間がかかって困るのはドイツを含めて西側の方だ、ということだ。そういう見方の担保は必要だが、しかし両方困るのであって、もう少し天秤のかけ方の重量の違いを図る必要がある。
 国民が困ると困る国と、国民が困るけど困らない国がある。そもそも同じ価値観でさえない。今回改めて感じたのは、民主主義というのは、一定の地位にある人間にとって、生死を分けても厄介だという事なのかもしれない。付き合わされる我々大衆は迷惑だが、そういう平和を享受する間の時間に生きていただけの存在なのかもしれない。平和というのは、戦争と戦争との間の時間帯のことを言う、という人間の歴史を、今は体現しているということなのかもしれない。
 今は比較的地政学的に遠い場所の話のように思える日本人は多いと思う。戒めを言いたいわけではないが、それは多分間違いである。だから僕らは関心を寄せているわけであり、正確なことを知りたい。僕らが考えるべきことは、その正確な捉え方による行動倫理のようなことなのではないか。
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苦しんでいるが、自国崩壊はあるか

2022-03-16 | 時事

 西側から激しく経済制裁を受けているロシヤは、実質上かなり厳しい立場に置かれていることは間違いなさそうである。そういう状況が見えると、西側も勢いづくものがあるのではないか。しかしながら僕はテレビのワイドショーの類はみることが無いので、ひょっとするとそういうものも報道されているのかどうかは知らない。今はネットというのがあるので、現地で暮らしている人が映像をあげているようなものを、つらつらと眺めたりしている。
 当然だがウクライナのように攻撃を受けているわけではないので、人々の行動は、特に変わったものはなさそうにも見える。しかしやはり報道にあるように、西側のブランドショップなどは入り口のシャッターが下りていたりする。実際にロシヤ人店員に客もロシヤ人が大半だっただろうけど、営業を続けていることが西側に伝わると、西側の人々の反発を恐れての処置なのであろう。もちろんそういう状況をロシヤ人に考えて欲しい、という意思表示でもあるあるのだが、売ってないのなら客は他へ行くということなのではなかろうか。
 しかしながらロシヤの通貨であるルーブルは大暴落している。そうして少なからぬロシヤ国内の物価も上昇するものと考えられる。そのために今ロシヤ国内で売れているのは、車などの高価な耐久消費財なのだという。値段はどんどん上がっていくが、飛ぶように売れる。とにかく今持っているルーブルの価値は、おそらく時間ごとに減価されている。今の時点で買える値段が、おそらく短期的(もちろん長期的にも)には最安値のはずなのである。さらに店頭の目の前にあって、タイムリーに今の値段である必要があって、取り寄せるなどの時間の間に、とんでもなく値上げされていく可能性が高い。今を逃すと二度と買えなくなるかもしれない。そうして実際に車などを買っておくことによって、自分の資産価値を守っているということなのだろう。
 ウクライナのゼレンスキー大統領は、NATOや西側の支援に不満を漏らすようになっている。せっかく供与されている武器弾薬などは、輸送途中で襲撃を受けているものとみられる。戦闘機などの介入は断られているということで、持久戦に厳しさが増していることがにおわされる。さらに別の地区の市長などを拉致されたりしている。首都が容易に陥落できない現実にあって、周りからじわじわと圧力をかけ続けていく、ということだろう。
 プーチンの核の脅しは確かに効いていて、アメリカは軍事介入は基本的にはやらないことにしたようだ。武器などの支援は続けるが、直接介入は他のNATOの国に軍事行動が及んだ時だと明言した。事実上ウクライナは頑張って欲しいが、見捨てたということだろう。もっともなんとか長期化し、その間にロシヤの自国崩壊を待つ、ということなのかもしれないが。
 ロシヤは中国に協力を要請しているという話もある。今のところ中国が今件に表立って介入する可能性は低いと思われるが、中国もアメリカに対しては、あまり良くは思っていない訳で、これは揺さぶりの材料ということになる。かなり危ういが、これが具体的に何か行動を伴うことになると、かなりもっと広い範囲の脅威が共有される事態にも発展する可能性がある。
 西側の思うようなシナリオのようにならないための努力をロシヤは模索しているはずで、それがたとえ北朝鮮のような孤立化を招いたとしても、天然資源と核兵器を持っている強みを生かして、他の嫌われ者国家同盟を構築していくかもしれない。まさかそんなことは起こるはずがない、とは考えたいが、一方で、本当に市民が蜂起して国家転覆のようなことが起こりうるのだろうか。そんなことはまず考えられないと思うのだが……。
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狂気は正気か演出か

2022-03-04 | 時事

 現在も戦闘が続いている中で、なおかつ報道からしか情報を得られない立場で将来を見通すのはきわめて難しいが、ウクライナ情勢は本当に厳しくなっているように見える。その厳しさを増長させているように見えるのは、今のロシヤと対峙している我々も含めて、この事態を収拾させえるものが、よく分からなくなっている為だ。
 プーチンの精神状態を疑う論説も見られるけれど、間違いなくプーチンは、自分が考えていたシナリオの狂いを感じているはずである。もともとここまでやる必要もなかったにもかかわらず、実際に具体的な行動に出てしまった。もちろん事前に様々な抵抗を予想したうえでそうしたはずなのだが、今の状況は、当初の思惑とは違うはずだと思われるからだ。実際にいら立ちを隠せなくなっていて、さらに語る論理に破綻が生じている。
 西側諸国はかなり強硬にロシヤを締め付けているが、もうそう簡単に手を引くカードが残っていないし、そのタイミングも逸しかけている。ロシヤ経済は国際的にはほぼ韓国と同じ程度だが、制裁を受けて一気に国際経済でのやり取りでの資金の流れが、おおよそ半分になってしまったとみられる。そういう意味ではプーチン政権の終わりの始まりだという見方が長期的に可能だけれど、かれももう70歳である。まだ寿命はあるかもしれないが、残された命の間は、権力の座にいたまま持ちこたえられるかもしれない。自分が死んだあとなんてもうどうでもいい、という狂気に包まれるのならば、まだまだ世界は恐怖におとしめられるかもしれない。考えたくないシナリオだが、世界最大級の核保有国であることからしても、先の冷戦よりその脅威は増すのではないか。
 水面下で動いているはずだが、プーチンが体調を崩す、という可能性も無いではない。そのまま表舞台から退場したうえで、状況を整えるということだ。そういう仕掛けをどうやってやるかについては、プーチンがそれを飲まなければならないので難しいことかもしれないが、今が取り返しがつかないのであれば、考えるかもしれない。しかしその後の暗殺もあり得るので、簡単には飲まないだろうが。プーチンが安全でいられるのは、それよりも今のままかもしれないのだ。
 現在は主要な銀行の国際決済が止まったことのダメージが大きいが、実際の経済活動が完全に停止したわけではなさそうである。それは西側にとってもダメージが大きすぎて、すぐにはできない。しかし、その準備を含めて、制裁は強めてはいくだろう。そうして今の記憶は、そう簡単には忘れないようにするだろう。今は制裁の上で対話も停止し、さらに締め出しも厳しくしている。プーチンはますます暴走する理由を積み上げていくだろう。
 もちろん、その狂気を最初から演じていた可能性はある。北の将軍と同じように。だが、たとえそうであっても、これからの孤立からも逃れられないし、これからの国内世論とも対峙していかなければならないだろう。演じている狂気と自分とのバランスを、本当に保つことができるのだろうか。
 今となっては、何もかも手遅れになりつつある。今のような対峙の仕方では、うまくいかないということのようだ。このようなことが現代社会で起こり得るとは、おそらく誰も考えていなかったのではないか。日本にいる自分としても、これからの未来はこのように変わるとは予想していなかった。今のところ悪いシナリオしか思い当たらないが、状況を見守るよりほかに、何もできないのである。
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寒いのに大変そうだ、オリンピック

2022-02-11 | 時事

 混合団体ジャンプの失格者が相次いだショックは大きかった。僕はルールや政治などには感情を持ち込んではならないと思っている人間だが、高梨選手がかわいそうすぎた。他の国の失格した選手は激しく主催者側を非難する中、高梨だけは謝り続けた。日本人らしいということかもしれないが、個人に背負わせるには問題が大きすぎる。日本社会は、こういうところがダメなんだと、つくづく考えさせられるケースだ。それでも競技をし続けた他の選手と、ほかならぬ本人が二本目をちゃんと飛んだというだけでも最大限評価すべきではないか。
 それにしてもだが、スーツの規定違反は競技直前までの激しい筋トレや、低気温による筋肉の収縮とも関係があるのだという。事前に違反でなくとも競技後に違反になるケースが出たのはそのためという解説があった。しかしながらそうであるなら、そうした規定に問題があるわけで、競技前にスーツはチェックすることが可能なのだから、競技後に審査することの是非を考えるべきだろう。有利になる不利になるという議論は、事後のジャッジの前にできることで、競技そのもののジャッジとは分ける必要がある。このような公平性を担保する考え方は、もっとシンプルに透明にすべきである。これはドーピングなどのように、故意に冒したルール違反ではない。
 ということだけど、開催前まではいつものように無関心だったけれど、目に入るとくぎ付けになるのがオリンピック(スポーツ全般だが)というものだ。これだけ関心が無いにもかかわらず観たら面白いのは、やはり競技レベルがそれなりに高いからだろうと思う。ホッケーも日本以外のゲームを見たくなる面白さだし、いろいろあるスケートもよく分からないが面白い(フィギアだけはどうしても関心がわかないが、あれは本当にスポーツ競技なのだろうか)。雪や氷の上というのは、ただでさえ滑るので大変なのに、平然と高速でやってのけるのだから曲芸のようなものである。ショートなんかはコケる人が結構いるので(あれは接触も多いし)、やっぱり大変なんだと改めて感じる。それにやはりスピードが速すぎるので、あとで見返さなければよく分からないものも多い。こういうのはスタンドとか生観戦だと、観ている人だってよく分からないものなのではなかろうか。まあ、臨場感は半端なさそうだけど、寒い中で長時間というのは、観る人にも忍耐を必要とさせるだろうけど。
 ということでお隣の時差の少ない国での開催なので、テレビ観戦のしやすい大会である。録り貯めているものやみたい映画やドラマのある中で観戦してしまうのは、個人的にはとても痛い。まあ、コロナ禍なので出歩かないし、ちょうどいいと言えばそういう時期なのかもしれないが……。
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今年はどうなる?

2022-01-01 | 時事
みなさん、あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 さて、新年に当たり、おそらく思うところたくさんあるものと考えるところですが、こういう区切りにおいて、リセットすべきことはそうであっても、なんだかそうでないものもあるわけであります。少なくとも、僕の場合はそうかもしれません。だからどうという話ではないのですが、面白くもなんともないですが、とりあえずの目標は当面のところ、やっぱり継続かもしれないんですよね。
 今年がどうなるのか? ということでは、どうもインフレが始まって物価が上がる騒動が起こるというのが、前提にありそうである。ふつうはそれに沿って金利も上がるということになるはずだが、そうなると国の借金がもたないということもあって、ちょっとしたせめぎあいがありそうである。しかしながら預金等の資産が目減りするので、日本の貧しさが進むことになる。実質的な賃金も下がり続ける恐れがあり、物価と共に給与も上がっていた成長時代とは様相が変わっていくだろう。それがどこまで進むのか、またそのスピードがどうなるのか、ということで、被害の状況も違っていく。すでに企業が調達するものの価格は、実質上10%程度あがってしまっていると言われており、これがじわじわ消費者の負担に転嫁されていかざるを得ない。もう僕らには逃げ場がないのかもしれない。
 いやいや、なんだかめでたい気分がそがれていく……。おかしいな。
 ということで、気を付けなければならないところは何とかしなければならないが、これを個人の力で変えることはできない。だとするならば、他のことに注力して生きていかねばなりませぬ。お互い頑張っていきませう。
 という事でもあって、ぼくは今年は新しいこと、やりますよ。ほんとに。僕がやれることであれば、今やるしかないというのが本音ですね。じっさい、僕がやるというよりも、どんどん話が舞い込んでくるんですよね。断りながら、いいなと思っていることを選別しているだけの毎日だったのだけど、もうそういうことはやめて、やりたいことにしようかなって感じかもしれないですけどね。がんばろ。
 ということで、改めまして、今年もよろしくお願いします。
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今年も色々あったのに、なんだかもう色あせている

2021-12-04 | 時事

 なんだか毎年流行語大賞には文句を言っている気もするが、おそらくそれはどこに行っても恒例になりつつある現象ではないのか。興味は引くが、内容を見るとどんよりするというか。流行語大賞というアイディアは素晴らしく、これを企画したもの勝ちになっていると認めるが、肝心の内容の方は、かなり世間ずれしているというか、本当にそれでいいのか? という余韻を残す材料にしかなっていない。
 もちろんことは大谷翔平選手が凄いのは分かるが、まあ、彼は凄いのに可愛いだけでなくかなり変な人で、これまでの地球人と比較しても見当たる人がいない。当然いわゆる一般的な日本人ともかけ離れていて、国民栄誉賞を辞退するほど、これからの人生の方が凄そうな人だ。そういう目標設定の立て方と、自信であるとか、素直さと謙虚さが、日本だけでないスケールの大きさをあらわしている(でも日本人は喜んでいるわけだが)。リアル二刀流とかショータイムが流行ったというより、オオタニさーんの方がずっといい感じがするのだが、どうなんだろう。エンゼルスの勝敗なんてどうでもよくて、オオタニ選手打った? と何度挨拶代わりの言葉が交わされたことだろう。
 でもって今年に限らないことだったからかもしれないが、もう一人の可愛い青年が他でもなく藤井聡太クンではないかと思うが、これって何冠とか増えてしまったので、特定の定着語が無かったのかもしれない。今年もすごかったとしか言いようが無い。
 さて今年はオリンピックがあって、やっぱり盛り上がったと思うのだが(ネガティブな妨害も多かったが)、これも本当にスケボー選手などの方が、特に注目が高かったのだろうか? 確かに変な言葉で解説を聞くのは新鮮だったが、実のところそういう解説が無いと本当にすごいことをしているのかよく分からないところがあって、なんとなく新しい競技というのは「地味」なんだな、と思った。そりゃ難しくスゴイのだろうけど、体操選手がぐるぐる回ったりする方が何倍も迫力がある。そうして僕にはわかりやすい。柔道など兄弟愛の言葉もあったりして、そういう方が注目度が高かったようにも思うのだが、違ったのだろうか? かなり不思議な感じである。
 そうして相撲だけど、照ノ富士が何度も優勝して一番すごかった年なのに、横綱として初の優勝を決めた日に休場していた白鵬が引退を表明して、どよめいた。この感覚はやっぱり日本には無いなー、と思ったのだが、僕は日本人にいじめぬかれた白鵬をねぎらいたい気持ちもあるので、意趣返しだったのかもしれないな、とも感じた。まあ、考えすぎだろうけど。しかしながら相撲でいうと大栄翔が優勝した際に友人の娘さんの元クラスメートの高西君だということを知り、すっかり僕は「高西君」が相撲の流行語であった。個人的ですいません。
 そうしてやっぱり今年は政治の年でもあって、衆議院選もそうだけど、その前の総裁選自体も思わず盛り上がった。人の話を聞くとかどうとかもあったけど、政治ネタの言葉も多かった。これが完全にスルーというのもかなり違和感がある。年末には立憲民主党の代表選もあった。こっちも最近だったからか印象も強い。小川淳也の知名度がぐわーと上がって、やっぱりジャーナリズムが細かく報じると、強いんだなと思った。政治はちゃんと追うと面白いのである。
 僕はワイドショーは見ないのだが、どうも皇室関係の話題が根強く続いていたような気配は感じていた。昼飯の時などに職場の人間が話題にしているのも何度も聞いていた。月がどうだの、いったい何のことだったのだろう? しかしながらそういうのに嫌気がさして、日本に住めなくなった二人が本当に米国に渡るらしいと聞いて、やっと問題の深さに気づかされた。若い二人というのは、結局弱くも強いと思う。それにしても粘着質な日本人は、そう簡単に忘れないのではないか。それにその後成長する他の皇室の人々は、本当に日本人と付き合えるのだろうか。
 ということで、流行語のことだったのに言葉として何もふさわしいものを言ってないじゃないか、という感じだが。今の世の中、みんな違ってみんないいので、共通の流行語がある方が不自然だ。でもまあ、最近の感じで〆るとしたら、プロ野球だったかもしれない。ともに前年最下位だったチームが勝ち上がり、試合内容も素晴らしかったようだ。意味はちょっと日本語としてどうなのかとは思うが、「下克上シリーズ」というのはよく聞いたな、という印象である。でもまあ試合としては全然観てない。山本投手は好きですけど。
 本当は今年の初めに創価大学が駅伝で壮絶な大失速で印象を残したのに、秋になって東京国際大、駒沢と顔ぶれが変わった。もう来年の正月が楽しみなわけで、本当に時代が変わったなあと思う訳です。その前に高校駅伝があるんだった。振り返るよりこれからが忙しいのであります。
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英国の敗北を喜ぶ、が、それでもむなしいが

2021-11-26 | 時事

 英国でのCOP26での会議が終わってみると、素直な印象としてはいったい彼らは何をやっていたのかな、という感じであろうか。いちおうの形を作りたいとか、主導権を握って議論を進めたいという各国(特に欧州とUK)の思惑が強すぎて、最終最後で反感を食らって決別して終わってしまった。誰もが納得のいく話し合いなんて不可能だから、これもこれでいいと言えばいいのだけれど。むなしい風が吹き通っていったのだな、という感じである。
 いまさらながらだが、地球環境を語ると言いながら、地球の上の環境があまりにもさまざますぎるのである。いちおう温暖化による脅威の未来に備えるために、現在節制できるやるべきことを整理して振り分けて、実行してもらおうということであったはずだ。単純に考えるとそれは悪くないアイディアに聞こえるけれど、実際に何をするという段階になると、現在置かれている状況によって、ずいぶんと不公平な枠組みを押し付けあう戦いの場に変貌していくのだった。圧倒的に良い条件下にいる開催先進国の突きつける条件は、実現のために多くの血や汗を強要する脅しに変わっていった。その結果、本当にまじめにそんなことに付き合えるはずのないという本音がうっかり出てしまい、それが大きな共感となってぶり返して衝突した。結論ははっきりせず、そうして実行は不透明のまま、事実上持ち越しとなったと言っていいだろう。
 前半から中盤にかけては、一方的に日本は殴られまくった。前向きでないとして、失望のブーイングを受けまくった。そうしてダメな国としてレッテルも張られてしまった。いじめられ役として慰み者になり、一国がスケープゴートで終わるはずであった。実際の話としては、原発事故を起こしたうえに資源のない国であり、現実的な路線を素直に話しているに過ぎなかったのだが、新しい科学技術の研究の意味も理解されなかったし、将来性があるともみなされなかった。そうして現実の火力発電でしのぐしか方法がないにもかかわらず、それさえも悪の根源として嫌悪された。
 英国で動いている火力発電所は7基で、日本は150基である。同じ土俵で同じスケジュールで廃棄することの方がナンセンスである。ベースとなる電力が確保できないまま自然エネルギーを開発することはできない。他国から原発などによる電力を回してもらえる環境とはそもそも違うのである。
 さらに炭酸ガスを出す火力発電だからすべて悪いという思考停止に陥っているだけのことで、環境そのものを整える切り札としての将来性は、安全かつ膨大な資源で調達先が複数である火力発電が一定以上あることで、国際社会は安定して温暖化に備えられる可能性の方がはるかに高いことも分かった。災害に備えるためには、電力供給と貧困問題の方が重要なのである。
 さてそういう結論が読み取れた人がどれだけあったのか。やはり冷たい風が通っただけの会議だったのだろう。
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やっぱり今回の展開次第で、次世代はそれなりに変わるかも

2021-09-21 | 時事

 自民党の総裁選が活気づいている。内容的に本当は問題の隠れているものや、まだはっきり政策の違いが見えにくいものがあるものの、でもまあいろいろと今のうちに議論を戦わせることは、日本の将来を考える上では悪いことではない。また、この四人の候補の語りの誠実な感じは、今までの日本の政治家とは違う、時代の変貌をすでに予感させられる。
 現在の状況だから自民党の総裁が日本の首相になることは間違いない訳で、共和制の国でいう大統領選と同じことである。でもまあ国民の総てが投票できるわけではないので、ちょっとモヤモヤする人もいるかもしれないが、では日本で大統領選のようなことをすると、本当の政治家でない人の方が勝ってしまう気もするし、もうちょっと議論は必要かもしれない。国民主権ということにはなっているので、ルールを考えることは可能である気もするけど、今の政治家にはそういうことをやる気になる人はたぶんいないだろう(要するに不可能です)。
 そのあとに衆議院選があるので、あと二か月程度はずっと様々な選挙ドラマが展開されることになる。もともと自民党としても、その選挙対策のために人気のなくなった菅さんを下すことをしたので、このような展開になった。岸田さんとしては、菅さんとなんとか戦わなくては、と思っていたのに、違う敵と違う展開の戦い方を強いられることになった。決戦投票になると分があるとされるが、想像以上に高市さんの伸びもあるために、ちょっと苦しい戦いである。永霞会の後押しでなんとかして首相になってほしい岸田さんとしては、もともと引けなかったのだから、国会議員票を積み増して死守するしかない。おそらくトップは河野さんだろうから、そのあとの決戦投票で逆転して勝てば、民意とは違うと批判を受けることは必至である。そういう輿論やマスコミ批判などを見越して、実際の決選投票では衆議院選で苦しい戦いをしている議員が離反するかもしれない。
 ということになると、野田さんは一応残念だけれど今回は勝敗としては関係ないので(政策等魅力のある人だと思うけど)、河野さんと高市さんがどうなるにかかってくる。河野さんはとりあえず全体としてはかなり有利だが、過半数に届くほど人気があるのかは、どうなのか。石破さんの人気も取り込んでいるとはいえ(また小泉さんまで応援に回っている)、過去の言動から衆議院選で比較的楽に上がる古い議員からは不安視されているわけで、いわゆる人望がない。勝った後が大変で、足を引っ張られる要素が多い。政策的には現実的に路線を豹変させるだろうことは間違いなかろうが、本意ではないだろう。自分自身がそのことに耐えられるのだろうか(激しい性格のようだし)。
 となると、やはり誰が勝つのかのカギは高市さんということになる。安倍さんが推しているし、靖国参拝や夫婦別姓反対など、古い体質の自民党からは人気がある保守色が強い印象を持たれているけれど、そういう差別化という意味ではいいのかもしれないが、現実には必ずしも保守一色ではなさそうだ。日本初の女性首相に! という機運が本当に高まると、化ける可能性もあると思うが、そういう特色が本当に国民的な議論になるのか、という感じもする。結局は岸田さんと河野さんの運命を握る存在として、最後まで目が離せないということかもしれない。しかし岸田さんをひっくり返して二番目に入ることができると、決戦投票でも勝てる目はあるのだから、やはり可能性としては面白い存在である。
 しかしながら無理をして出たなら、とりあえず勝てた可能性の高い菅さんがここまで考えて総裁選を引いたとしたならば、その功績は大きい。もともと失言が少ないのと説明が最小限だからいいとされたのに、説明が足りずに理解がされなかったとか、誰がやっても日本ではワクチンも開発できなかった現状からおんなじことになっただろうコロナ対策を失策のように言われて(担当大臣は河野さんだし)、もともと嫌々ながらだったけど説得されて首相になったのに、さぞや面白くなかったことだろう。休まず働いて成果を積み上げながらそれは無視され逆に叩かれて、何も報われない日々だった。しかしながら自民党の台所事情として現在は議員さんが多くなりすぎていて、やはり誰がやっても勝てそうになかった選挙を前にして(これ以上自民党の衆議院議員を増やすのがそもそも至難の業で、今がピークなら減るよりない状態だったと言える)、事実上勝てる展開を作り出したことになるわけで、結果論だけど、凄い人だったかもしれない。なんだか日本人の感情からすると、ちょっとかわいそうになって人気も戻っているんじゃなかろうか。それでもやはりやめることには変わりなく、今後も何か強い影響力があるとは考えにくい。そういえば外遊どうするんでしたっけ?
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解説者も気合が入っている

2021-07-31 | 時事

 訳あっていろんな人と会って話をすることが続いたのだが、ご自宅や事務所などのテレビがつけっぱなしのままである。要するにオリンピックである。今どうなってますか? という感じで自然な話の展開があるし、なかなかに楽である。僕は新聞くらいは読んでいるが、だからと言ってその程度だから詳しい方とは言えない。真剣にオリンピックを見ている人というのは、そういう裏情報含めてよく知っているもので、会話で意外なことをたくさん聞ける。それと民放でもオリンピックは放映しているらしく、解説の人の顔ぶれがずいぶん違う。そういう人が誰なのか、そういうことも教えてくれる。元選手というのが多いのだが、現役を引退して、こういう芸能の世界に入るような人というのは、やっぱり一般の人より洗練されているものだな、と思う。テレビなのでスタイリストというような人が、それなりに整えてくれるのだろうと想像するのだが、やはり何か違うものがあるなと思う。解説してくれる人の話によると、彼らも売り込み時で、これでいい感じに顔が売れると、また仕事が増えるのだろうということだった。まさに稼ぎ時なのだろう。偉いですね。
 オリンピアンとは、もともと常人とは違う超人の域の人々なんだろうと思うが、やはり勝負に身をささげていただろう人々なので、そのようなものには長けているものがあるのだろうか。一定以上の一流選手というのは、だいたいにおいてあまり性格の良くない必要があると思っていたが、そういう性格がまた、テレビ・フレンドリーなところがあるのかもしれない。負けず嫌いで努力家なので、そういう場面にも動じない精神力があるわけだし、思い切って考えていることを口にできる。そういうところが魅力的なわけで、意見を引き出す方も使いやすいというのがあるのではないか。実際に選手として活躍している頃は、勝負の駆け引きを相手に知られたくはない。頑張ります、程度しか言えないのが実情だったろう。落ち着いたときに取材を受けて、いわば訓練されていた経緯もあるかもしれない。地元のスターなので、講演などにも呼ばれたかもしれない。スポーツ以外にも自信がついているので、このような時に解説するのにも役立っているのではないか。メダリストになると、報道も大々的で国民的な栄誉を受けて、全方位的に顔が売れる。そういう人がタレントになるのであれば、やはりこれから売り込まなければならない人間よりも、数段有利かもしれない。
 もっとも、やっぱり住む世界が違って、馴染まない人もいるんでしょうけどね。報道されなくなって、世間の関心から離れた生活に戻って、よかったなという人というのも、またなんとなく魅力的な感じもしないではない。収入の方が許せば、タレントにならなくてもいいのではないだろうか(なった方が断然儲かるだろうけど)。
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頑張れニッポン

2021-07-30 | 時事

 僕はオリンピックには興味がないと思っていた。しかしながらコロナ禍で、オリンピックは開催すべきでないという圧力一色なったマスコミを見ていると、やっぱり開催した方が正解なんだろうな、と思うようにはなった。いつだってマスコミは事実と反対のことばかりするからだ。要するに頑張っている人が困るのを見るのが楽しい、というのが報道の基本姿勢で、僕はそういうものを好まない。今でも何かありそうだと恐怖をあおる状態はキープしながらも、同時にオリンピックは熱心に伝えたりしている。ほとんど二重人格化しているのではないか。彼らには倫理観や矜持というものは無いのだろうか。感染者数が増えると、困りそうな人にマイクを向けに行っているようだが、だからと言っていまさら中止にする方がどうかしていることくらいは知っている。それでも関係者が、やっぱり無理しているとか、失敗したとでもいえば、喜ぶかもしれないけれど。
 しかし妙といえば妙なことにはなっている。昨年の今頃を考えると、やっぱり大して感染者はいなかったわけだが、次々にイベントなどは中止に追い込まれ、シラケたムードになった。なんだか失敗したのではないか、本来は今のタイミングでやるべきことは多かったのではないか、などと逡巡した人は多かったのではなかろうか。そうして秋になり、これまでも中止にしてきたのだから、やっぱり流れとして中止にせざるを得なかった。そうして寒くなってきて期待通り感染者が増えだしてホッとした。やっぱり危なかったかもしれないという気持ちが満たされたわけだ。
 そうだったはずだが、今は感染者の数だけ見ればたいへんに増えた。まあそれが当たり前になったということは言えるが(検査数が増えていて、一定の割合が感染者数だから)、やはりワクチンを打っていない若い人中心である。そうでない人もいるようだが、圧倒的に少数派になった。そう考えると、やっぱりワクチンの効果があるということは言えるわけで(それはそうである)、状況はどうなのか考えるまでもなく、緊迫感はそれほどでもないという感じもする。うちのまちでも(感染者が)出たらしいよ、と聞くが、以前のように特定はできない(狭い町なので知っている人は身近にいるものなのだ)。今までは恐怖のためにいじめに近い状況だったから、そういうことを反省する意味でも、それでいいのである。
 実際のところ、以前は知っている人のそのまた知っている人が感染していたわけだが、今は、実をいうと身近な誰が感染していたのだと後から聞く。ああ、やっぱり感染症なので、これは防ぎようがないなと感じる。その中で、単にラッキーなだけで、暮らしている。そうして暮らしていける。そういうことが分かりかけている人が増えたのではないか。まだまだ洗脳から解けていない人が多数派ではあろうけれど、解けている人もいるのである。
 それにしても炎天下でマスクは本当に苦しい。これで死んでいる人がいるはずなので、そういう人をカウントして、日々公表してほしいものである。
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結果は誰に聞くか、それが問題だ

2021-07-29 | 時事

 家に帰っておふくろに今日はどうだったかと聞くと、キツネみたいな顔した人だったけど、頑張ってよかったよ、とか。腋毛が少なかったけど、あれは男としてはどうかね、などという。何となく爆笑してしまうわけだが、だからと言ってそれが何だったのかは、結局妻に聞き直さないとわからない。まあ、会話の話題としてはありがたいのだが、いったいおふくろは何を見ているのだろうか? まあ、そういうのを相手に戦っているわけではないのだろうし、しかしそれが大会の本質かもしれない。僕としては、前の大会の後に生まれ、そうしてこの次は無いだろう。こういう感じを記憶にとどめ、楽しんでいこう。
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猿のコーネリアス

2021-07-24 | 時事

 小山田圭吾って人のことは知らないと思っていた。しかしながらコーネリアス? なんだか聞いたことがあるような……。録画して観ることがある「デザインあ」というのがEテレであるのだが、今年この挿入歌を中心とする演奏の映像が流れた。音の使い方が非常に上手くて、テクニックもすごい。さらにその曲の広がりも素晴らしい。日本人にもこんな人たちがいたんだなあ、と、かなり感心してしまった。僕の好きな分野とは言えないが、凄いことには変わりがない。音楽の可能性って、やっぱりいいなあって感じだった。こんな風に人の心を動かすことができるんだから。
 ということで、あの人だったのか。記事を読む限り、ずいぶん前から執拗に狙われていた人らしく、とうとうオリンピックの政争に巻き込まれ、事実上永久追放されてしまったようだ。いかにも現代人の単純正義らしい出来事だ。
 もちろんやったことの卑劣さが許されることではない、という話はもっともらしく聞こえる。そりゃそうだけど、そもそも過去のそういういじめ自体が、事実なんだろうか? 内容がひどすぎるし、盛っているんではないか、とも言われている。そうであれば、やはり事実究明が必要な案件ではなかろうか。たとえ過去すぎる問題だとしても、許されない行為であればこそ、そうすべきだろう。被害者が思い出したくなく、出ても来られない状況ならば、なおさらそのことも考えながらやるべきだろう。私刑は許されるものではないし、復讐も残念ながらやれるものではない。今のような状況で社会制裁することはフェアではないばかりか、悪質である。
 小山田という人が、なぜそのようなことを雑誌に語ったのだろうか。音楽を創作するということと、そのような強烈ないじめをしたという体験が、何かつながるようなことを考えていたのだろうか。人前でオナニーをさせたりうんこを食べさせたりするというのは、殴る蹴るという具体的な身体を傷つける行為以上に、その人を傷つける強烈な虐待である。しかしながら、いわゆる小説や若者向けのノベルものの中では、よく出てくる、言ってしまえばありふれた表現である。ふつうはいくら何でもそこまでのいじめにまでは至らない。似たようなところまでは行く可能性もあるが、あくまで密室であろうし、それが漏れると、学内でもそれなりに大きな問題に発展することだろう。だから事実ではないということではないが、少年であるとか子供の残忍性を見つめ直す時に、そのような心象風景というのは、実際にありそうな気もするのである。大人になれば絶対にやらないしやれないことであるが、そのような残酷な時代を経て、特殊な体験を経て、今の自分があるというのは、語られる意味のようなことを、何か含んでいるのだろうか。ものすごくいやな気分にさせることができることで、また、そのような表現を何かに応用できるようなことがあるのだろうか。
 人の気持ちを、そのようないじめ体験を語ることで揺さぶることができる。雑誌のような活字が残る媒体で、著名になった自分がそれを語る気負いがある。誰もが普通はそんなことはしないし、できもしない。いじめをやってきた張本人というのは、そのような悪質な部分を抱えていることをひた隠す方が自然である。それを武勇伝のように語れるというのは、その雑誌の方向性や演出を含んでいる可能性を捨てきれない。
 そもそもオリンピックというのは、きれいな大会ではない。そんなことは大人の誰もが知っている。しかしながらそういうものを強烈に含んでいるからこそ、表面的にはやはり強烈に人を動かす力を持っている。そういう様々な圧力やゆがみを、舞台裏から引きずりだして揺さぶろうとする力がある。少なくともこれで、これに関わる人の人生は大きく変えられてしまった。そういう意味では、この問題を忘れないでいるということにも、それなりに意味がありそうな気もする。この問題以外でも、退場したままの著名人は複数いる。沈黙を続けるよりないのだろうが、いったい何を思っているのだろうか。
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立花本は生きている

2021-06-24 | 時事

 立花隆が亡くなったという。すでに身内で4月には葬儀など済ませてのことらしい。そういえば、最近はあまり連載など見ないとは思っていたが、具合が悪いなど情報は聞いてなかった。とは思うものの、あまり驚くという感じではなくなっていたかもしれない。もちろん残念なことだが、長い間一線で活躍もし、晩年も「知の巨人」と称えられるなど、多くの痕跡を残した人ではないだろうか。もちろん人気があったということだろうけれど。
 実は僕はそれなりに影響を受けたと正直に思う。立花を崇拝する人もたくさん知っているし、実際そういう「凄い感」のある人であったことは間違いない。父の本棚にもたくさん彼の本はあって、拝借して読んだ。当時「サル学」の分厚い本を見て、ちょっとたまげたが、読んでみるとインタビューであって、中の人の方が凄い本だった。
 父の本棚にないやつとか、自分でも手に入りやすいものは買って読んだ。定番だが「「知」のソフトウェア」は読んで感心はしたものの、しかしアウトプットはインプット以上のものは出ないのかというと、必ずしもそうではないのではないか、と疑ったことは覚えている。実際作家などには碌にインプットなしでも書き飛ばす人はたくさんいる。しかしまあ、言いたいことは分かるのであって、要するに自分ほど勉強した人(もしくは情報収集をした人)などいないという自慢も含んだ話が多いのだった。この傾向は晩年にはさらに強くなる。
 しかしながら農協の実態は立花本で知ったし、アメリカの性事情というポルノまがいのレポートは、まじめに大量の資料を渉猟していることが見て取れて、こんな分野でもこのように調べることができるのだな、と変に感心した。
 立花本をいろいろ読んだ人なら共通して分かるようになるのだが、彼は興味の幅も広いし、確かにそれらに関して実に膨大な量の資料に当たっているらしいことは確かなのだが、しかしながら、それは実際に軌道を逸している感じがする。ちょっと多すぎるのである(まあ、そういう人は結構多いのだけれど。特に学者にはそういうタイプが多いが、しかし立花は学者ではない)。それだから「凄い」と感心してあきれるやら崇拝するやらしてしまうのだけれど、そうして本人もその方法はつまびらかに紹介している通りであるが、要するに膨大な量を飛ばし読みする達人なのであって、実際は本当に深いものなのかどうかは、怪しい分野も多い。いや、興味があるとはいえ、例えば脳死問題や、臨死体験のようなものを読んだところで、その背景となる様々な事象はみてとれるものの、つまるところどのように考えていいのか読んでも分からないものも多い。それだけデリケートだったり、境界の判断の難しい問題なのだということは分かるのだが、では一体それはどう考えたらいいのかという肝心なところは投げ出された感じになってしまう。もちろん学問分野というのはそういう慎重さが必要なところはあるのだが、立花はあくまでジャーナリズムであって、いい意味でも悪い意味でも興味本位が先に来て、結論は相手にあるという感じなのである。それだからいいといえばいいのだが……。
 ということで、僕も随分見習って飛ばし読んで、紹介してある面白そうな本を連鎖して読んだものである。本のバイヤーみたいなもので、そういう紹介に力のある人だったと思う。いくつもリストがあり、実にバラエティーな目配りで、立花の紹介で売れた本というのは数多いと思う。出版社などから「知の巨人」と崇拝されるのは、そういう力あってのものではないかと思う。しかしながらちょっと本棚を覗いて持っている本を拾い読みしてみると、やっぱり文章も面白い。なんというか、読ませる力がある。この辺りはジャーナリズムで鍛えた技のようなものがあるのか、長くなっても飽きさせないつなぎの上手さがある。途中途中に、興味や発見が分散して埋没してある文章とでもいうのだろうか。ちょっとしたミステリ作品を読んでいるようなものだろうか。だからこそ、最近は目にしなくなって寂しかったのである。具合悪くなってもちゃんと本を読んでいらしたのだろうか。そうであって欲しいが。
 最近は上京もかなわないので確かめにもいけないが、改めて猫ビルを見てみたいものである。蔵書が収められているというが、ふつうに考えて億単位の蔵書があるはずである。外側は行けば見られるだろうが、中に入れる人は限られるだろう。もしくは本の処分などに、またいろいろな人が関わることになるのだろうか。ちょっとした図書館ぐらいの物量の本が出回るということになるのかもしれず、それが立花文庫のようなことになると、また人の興味も引くことになるだろう。そういう意味では、しばらくは目が離せない問題かもしれない。(合掌)
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