現時点ではわからない(わかりえない)ことが多すぎるのだが、衝撃の大きさも今後の展開も含めていくつかメモ的に考えてみることも必要かもしれない。もちろん保険的に外れることも期待していることも含んでいることも、恐れずに考えてみるべきだろう。
まず、選挙戦の最終追い込みがどのようになるかだが、投票日そのものの注目度は上がる可能性が高い。そもそも与党勢力は圧勝の形だが、さらに積みあがるのではないか。テロリストは政治犯の可能性が薄そうだけれど、結果的に政治犯として歴史に残りそうだ。
拳銃による犯罪だが、あれは何という拳銃に属するのだろうか。報道も錯綜していたが、映像で見ても、あれが一体何なのか、結局よくわからない。もう捜査上は分かっているはずなのだが、一応まだ言わない。何か言わないことになり難しそうだとされているが、製造に関しては、簡単な方法があるのかもしれない。これは新しい専門家が登場しそうな感じもする。
山上徹也という容疑者は、すでにかなりクレイジーだが、元海自だという事ばかり報道されているが、ずいぶん昔の話だし、だからという関連性は怪しい。元海自だからそんなことをするという根拠があるとは考えづらい。であるとすると、いったい何が? となるが、ひょっとするとこのクレイジーさで逃げ切る算段が、最初から本人にありそうだ。これは司法を考えてのことだろう。捕まるときの冷静さを考えると、計算済みだろう。
では組織だったものでは本当にないのか。今のところそういう可能性は薄そうだけれど、それは、分かりえない。いったん政治活動をやめたところも多かったようだけれど、それはそれでどう扱うかという問題に変わっていくだろう。短期中期で、そのあたりが騒がしくなるに違いない。デマも飛び交うだろう。
一応の方向性としては、民主主義との挑戦ととらえるような言論の方向性は見て取れるが、そういうものではおそらく違うものだろう。そういう分かりやすい論点のほうが怒りを表明しやすいという事であるだけで、安易である。しかしながらその分かりにくさの解説こそが大切なのであって、そのことに慎重に向き合うべきだろう。分かりにくいからわからないだけならば、それは人間性の放棄である。我々はそういうものに向き合う必要があるのである。
残念ながら、このテロによる影響力は小さくはないだろう。選挙明けの憲法改正問題も進むだろうし、戦争が行われている現実を前に、防衛費などの議論も進むだろう。それはいい事でもあるにせよ、さて、いずれぶり返しもあろう。圧勝しすぎる政局の行方は、強すぎるゆえの不安定さを抱えていくだろう。それは日本なりの変な精神性だとは思うものの、強いは弱いのである。安倍さんのご冥福はお祈りするものの、さらにこの衝撃を受けての倦怠感のようなものついて自分なりに説明のつかないものは感じているものの、この事件の不条理な衝撃の強さによっての社会の変わりようのようなものに、さらに不安がつのることを避けることはできない。大衆というものの姿を、僕らはもう少し冷静に見る必要があるのではなかろうか。