カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

妄想で人を恨める人々

2022-08-03 | 時事

 毎日新聞のよると安倍元首相の国葬について、世論調査の半数を超える人が反対しているのだという。日本の場合どういう人が国葬になるのかというルールが定められておらず(以前はあったが無くなった)、事実上岸田総理がそう決めたから国葬になった形になっている。そういうところを議論してもどのみち時間がかかりすぎるし手遅れなのでそうなった可能性が高いが、吉田茂以来の国葬であるということもあって(あの人でもそうなのだから、と僕は考えてしまうが。いまさらだが吉田茂が国葬にふさわしいとはとても言えない)、そもそものハードルが高すぎるというのはあるかもしれない。日本は首相になった人が多すぎるので首相経験者だからという理由だけで国葬にするには都合が悪いのかもしれないが、外交上そのような人が亡くなると、国葬級にしなければ、それなりに混乱するだろう。事件の衝撃度などの背景もあるが、安倍元首相が国葬であるのはふつうに当然だろう。むしろやらなかった場合の方が歴史に汚点を残すことになろうし、とにかく大変な騒動になろう。そうしてこれが一つの基準になるので、今後このレベルの人物が亡くなれば国葬であるというのが、だいたい決めやすくなるのではないか。活躍してどのくらいの時間の経過があって亡くなるのかという問題もありそうだが、このような問題は、たとえ家族の意向がどうであれ、執り行われることの方が当たり前だということによって、そうなるということであろう。しかしながら自民党内でも誰が挨拶するのかだとかいうことだけでもごたごたして迷走したりして、だんだんとケチがついて収拾がつかなくなっている感じでもある。モリカケ疑惑があるとか、そもそも安倍元首相とあまり関係が無かったことが明らかであることをいまだに持ち出すマスコミあるわけで、本当に可愛そうな人だったのだという気もする。殺された理由も、基本的に何の関係もない団体に対するとばっちりと勘違いと妄想のためである。さらに殺された上に、このように執拗な嫌がらせを受けることになる。公人だからそうなるのではなく、日本の社会の仕組みの中で、日本人の心根に関わる問題でこうなっていることを考えなければならない。日本人というのは、基本的に犯人の山上と同じレベルだということなのかもしれない。そうでない人が少数であるというのは、やはりもうどうしようもない問題のようにも感じられる。今は元統一教会との関わりを問題視する流れが生まれている。他にいくらでも怪しい団体が実際に存在する中で、それすら気づけないままこんなことになっている。今現在でも悪徳宗教などで苦しめられている人は、ごまんといるだろう。ちょっと周りを見渡せば、ふつうにいるでしょ、そういう人たちが(当人なら気づかないかもしれないが)。世の中というのは、そもそもがそういう危険をはらんだものなのである。目覚めているのは、いったいどれくらいの人なのであろうか。
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