ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

沖縄集団自決訴訟で不当判決

2008-03-30 09:42:43 | 歴史
 28日、大阪地裁で沖縄集団自決訴訟の判決が出た。この訴訟は、沖縄戦で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書『沖縄ノート』(岩波書店)などの記述をめぐり、元隊長らが出版差し止めなどを求めたもの。大阪地裁は大江氏側の主張をほぼ認め、原告の請求を棄却した。
 深見敏正裁判長は、「書籍に記載された内容の自決命令は、ただちに真実と断定できない」としながらも、「(命令の)事実については合理的資料や根拠がある」と認定し、大江氏らが命令説を真実と信じた相当の理由があったとして、名誉棄損を否定する「真実相当性」を棄却の根拠とした。

 この判決は不当である。原告側はただちに控訴する方針とのこと。軍命令説を最初に書いたのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風』(昭和25年)だが、本書は、GHQが厳しい検閲を行なっていた占領下に刊行されたものである。日本人に戦争犯罪を信じ込ませ、沖縄住民を反日親米化させる宣伝工作の一環として出版された可能性が高い。大江氏は、本書に書かれた軍命令説を『沖縄ノート』に引用した。
 しかし、作家の曽野綾子氏が現地に取材してノンフィクション『ある神話の背景』(昭和48年)を出版し、『鉄の暴風』『沖縄ノート』等の記述に疑問を提起した。
 その後、この疑問を裏付ける実証的な研究が進んでいる。例えば、座間味島の生存者の女性は、生前に「軍命令による自決なら遺族が年金を受け取れると説得され、偽証した」と語っていた。軍命令は集団自決した住民に援護法を適用するために創作されたという証言がある。自決に失敗した人々が赤松隊長の所に押しかけ、治療を受けており、自決命令と住民への治療は矛盾する。梅澤隊長が忠魂碑前に集まっている人々を「解散させよ」と解散命令を出していたという証言もある。もはや軍命令説の根拠は崩れているのである。

 今回の大阪地裁判決は、こうした実証的な研究、当事者の証言を十分踏まえずに下されたものである。沖縄集団自決は、歴史教科書の記述をめぐっても、重大な問題となっている。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20071227
 控訴審では徹底した審理を行ない、適正な判決が出されるよう期待する。
 以下は、関連情報。

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●沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会のサイト

http://blog.zaq.ne.jp/osjes/

 同会代表・南木隆治氏の掲載文から一部引用

 「赤松隊長の所へ自決に失敗した人々が押しかけ、治療を受けている。これが事実です。どうして自決命令を出しておいて、その治療をするのか。また、梅澤隊長が忠魂碑前に集まっている人々を解散させよと「解散命令」を出していたという有力な証言まで出ています。これは結審後、判決までに出た新証言なので、高裁ではこの証言も必ず審理されます。
 軍は、自決に失敗した人々の治療をした。また、自決するなと言う命令を出すという「関与」はした。これは皆「良い関与」をしたのでです。
 それから、日本軍のいないところでは自決は起こっていないと、馬鹿げた意見をこの裁判官は取り上げていますが、米軍や、ソ連軍等の敵軍がいないところでも自決は起こっていません。逆に、日本軍がいても戦闘にならなかったところでは自決は起こっていません。敗戦と共に多数の方が自決されたが、軍は国民に自決せよと命令したのでしょうか。樺太真岡の電信員たちの自決についても、最初は軍命によるとされていました。このことは当裁判にも参考になることです。『鉄の暴風』発刊当時の米軍占領下ではすべて日本軍が悪かったことになっていたのです。」

●産経新聞記者・阿比留瑠比氏のサイト

http://abirur.iza.ne.jp/blog

 阿比留記者は、「軍命令は集団自決した住民に援護法を適用するために創作された」と証言した照屋昇雄氏に独自にインタビューし、取材記録をサイトに掲載している。その部分を引用。

 《私 沖縄タイムスは照屋さんのことを「捏造」証言の元職員と書いたが、沖縄タイムスから取材はあったのか

 照屋氏 とんでもない。私には聞きにきません。あの記事は、どこからか、「照屋さんの話は捏造だと書いた記事がある」と聞いた。その後、いろいろと分かったが、裁判で被告側が出してきた私の証言が捏造だとする証拠文書はどんなものか。職名がなく、伏せられているし、全部庶務係となっている。あんな書類の作り方はないんです。被告が出してきた書類の方が捏造ではないかとの疑問がある。

 私 沖縄タイムスはその後、訂正やお詫びはしたのか

 照屋氏 やりませんよ。新聞は記事でウソを言って頭からやりこめる。私は援護課、社会福祉事務所…と異動しましたが、当時そこに在籍した人に聞けば、私が分からない人なんていないでしょう。私は主任(旧軍人軍属資格審査員)をしていたのだから、知らない人はいない。逆に、沖縄タイムスが、私の話は捏造だという記事で出してきたKの証言が捏造です。彼は高校卒業後、謄写版刷りのアルバイトをしていました。それがね、私たちが極秘で行った問題(※集団自決を軍命令だったことにして援護法適用を申請すること)を耳にしていた、ということがおかしい。局長ほか数名しか知らんのに。

 私 ちょっとその間の経緯を説明してもらえますか

 照屋氏 確か、昭和26年に本土で特措法ができ、27年に南西諸島にもカネを出そうとなった。その処遇規定の中に、取り扱い要綱があり、22項目があった。戦死した者、スパイ嫌疑でやられた者、部隊から脱走したとされたが、実は脱走ではなくて突撃したもの、道案内…。その中で、集団自決という問題が出てきた。また、軍務に服せない16歳未満の取り扱いの問題と。
 渡嘉敷、座間味の集団自決が問題になり、私らはこの人たちを法律の中に適用するかしないかが大変だった。適用範囲にはめ込むのに苦労した。適用するしないの調査が僕の仕事だった。最初は認められなかったが、次第次第に拡大され、責任ある上司の「命令」があれば適用できるとなった。それが問題でね。私も昭和29年か30年ごろ、一週間渡嘉敷に泊まって調査した。
 戦時は島民は究極の人間の心理状態にあった。あんな小さな島を千数百隻の船が囲み、1万2、3000人の住民を3万人の米軍が包囲した。それは精神状態は異常になる。赤松隊長はそれを落ち着けようとして、敵の姿が見えないところに住民を誘導している。
 私は調査で、住民一人ひとりから「(自決の件は)お父さんがやったのか、お母さんが死のうと言ったのか、隊長が命令したのか」といちいち聞いた。沖縄には死んだらお墓で一緒に、という文化があるしね。本当に隊長の命令があったのか尋ねたが、そう答えた人は一人もいない。これは断言するよ。

 私 照屋さんは、赤松隊長は立派な人だと言っていますね

 照屋氏 十字架を背負うというのは、彼の行為のことだと思うよ。実は渡嘉敷の村長は私の友人だった。彼とも話し合い、「隊長が命令したという一言があれば、8000人~9000人の島民が全部、援護金をとれる」ということになった。だから、赤松隊長は神様なんだ。それで村長が赤松隊長から一筆もらった。昭和31年1月15日の閣議に出さないといけないから持ってこいと厚生省からは言われていた。間に合ってよかったねと、村長と二人でお祝いしたよ。

 私 そうした照屋さんの経験を地元紙は取材し、話も聞きにこないと

 照屋氏 (大江氏の沖縄ノートが引用した)沖縄タイムス刊の「鉄の暴風」は、本土に対する「沖縄をほったらかしにして…」という感情もあって、悪いやつらが流言飛語で流したことがもとになったんじゃないか。あの本の著者の一人はサイパン帰りで、サイパンで見た話とミックスしたのではないかと思う。その「鉄の暴風」を盗作して話を大きくした大江氏は、裁判でかけて罰するべきだと思うよ。沖縄タイムスは、自分たちの本(の正当性)を守るために、沖縄県民100万人以上
に、今も誤解を与え続けているのだと思う。》

●産経新聞 平成20年3月29日付

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080329/trl0803290218000-n1.htm
【主張】沖縄集団自決訴訟 論点ぼかした問題判決だ
2008.3.29 02:17

 沖縄戦で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、元隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟で、大阪地裁は大江氏側の主張をほぼ認め、原告の請求を棄却した。教科書などで誤り伝えられている“日本軍強制”説を追認しかねない残念な判決である。
 この訴訟で争われた最大の論点は、沖縄県の渡嘉敷・座間味両島に駐屯した日本軍の隊長が住民に集団自決を命じたか否かだった。だが、判決はその点をあいまいにしたまま、「集団自決に日本軍が深くかかわったと認められる」「隊長が関与したことは十分に推認できる」などとした。
 そのうえで、「自決命令がただちに事実とは断定できない」としながら、「その(自決命令の)事実については合理的資料や根拠がある」と結論づけた。
 日本軍の関与の有無は、訴訟の大きな争点ではない。軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決といえる。
 訴訟では、軍命令は集団自決した住民の遺族に援護法を適用するために創作された、とする沖縄県の元援護担当者らの証言についても審理された。大阪地裁の判決は元援護担当者の経歴などから、証言の信憑(しんぴょう)性に疑問を示し、「捏造(ねつぞう)(創作)を認めることはできない」と決めつけた。
 しかし、本紙にも証言した元援護担当者は琉球政府の辞令や関係書類をきちんと保管し、経歴に疑問があるとは思われない。これらの証言に対する大阪地裁の判断にも疑問を抱かざるを得ない。
 集団自決が日本軍の「命令」によって行われた、と最初に書いたのは、沖縄タイムス社編「鉄の暴風」(昭和25年、初版は朝日新聞社刊)である。その“軍命令”説が大江氏の「沖縄ノート」などに引用された。その後、作家の曽野綾子氏が渡嘉敷島などを取材してまとめたノンフィクション「ある神話の背景」で、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」の記述に疑問を提起し、それらを裏付ける実証的な研究も進んでいる。
 今回の判決は、これらの研究成果もほとんど無視している。
 判決前の今年2月、座間味島で日本軍の隊長が集団自決を戒めたとする元防衛隊員の証言も出てきた。控訴審で、これらの新証言も含めて審理が尽くされ、適正な判断を期待したい。
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