ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

集団的自衛権は行使すべし38

2008-03-11 08:53:55 | 日本精神
●安倍前首相が求めた具体的検討

 平成19年(2007)5月、安倍首相は、私的諮問機関として「有識者懇談会」を発足させ、集団的自衛権に関する検討を指示した。初会合の冒頭で安倍首相は、「日本を取巻く安全保障環境は格段に厳しさを増している。私は、より実効的な安全保障体制を構築する責任を負っている」と強調した。ここで首相の念頭にあったのは、中国の軍事大国化であるとともに、北朝鮮によるミサイル発射と核実験に示される新たな脅威の拡大だろう。
 安倍氏が自らの問題意識を込めて懇談会に検討を求めたものには、4類型ある。

①公海で米軍の艦船が攻撃を受けた場合、近くにいる自衛隊が何もできなくてよいのか。
②アメリカを狙った弾道ミサイルを打ち落とすことができなくてよいのか。
③PKOなどで、他国の部隊を武器を使いながら救援することができなくてよいのか。
④他国への後方支援を行う場合、今まで通りの条件が必要なのかです。

 このうち、①②は、日米の軍事面での共同行動に深く関わっている。
 ①の公海上の問題は、政府の解釈は、ケース・バイ・ケースの考え方であり、まだ確定していない。例えば、政府は、海上自衛隊の補給艦がインド洋でアメリカの軍艦に給油を行っている時に攻撃を受けた場合には、自衛隊が自分たちを守るために武器を使用することにより、結果として米軍に対する攻撃を防ぐという見解を示している。
 しかし、政府は一般的な見解を示してはいない。日米の船舶の互いの位置関係や、攻撃をしかけてきた相手が国なのか、重装備の海賊のような犯罪集団なのかによっても違うとしている。懇談会では、そうしたケース分けをどこまで詳細に行うのか、あるいは政府の憲法解釈を全面的に見直して、集団的自衛権の行使で説明する方向に進むのかが焦点となった。

 ②の弾道ミサイル防衛は、従来の政府解釈では、自衛隊が日本を狙ったミサイルを打ち落とすことは個別的自衛権の行使だが、アメリカ本土を狙ったミサイルの迎撃は集団的自衛権の行使にあたり、憲法上できないとしている。
 アメリカの国防関係者は、北朝鮮の攻撃を想定して、アメリカに向かう弾道ミサイルを日本が迎撃できるように、法的・軍事的体制の整備を要求してきた。法的体制の整備は、集団的自衛権の問題となる。安倍前首相が②を挙げたのは、この要求に応えうるかという問題意識だろう。軍事的体制の整備は、現在イージス艦に搭載されているSM-3では、高高度を飛翔する長距離ミサイルを迎撃することは技術的に不可能である。アメリカの要求に応ずるには、アメリカの防衛に必要なレベルのMDミサイル防衛システムを導入しなければならならいことになる。

 ③は、武器使用の問題である。現在のPKO協力法は、派遣された部隊の管理下にある要員の救出などに限定して武器使用を認めている。しかし、安倍前首相が提起したのは、他の国と同様に制限をつけずに救援活動に当たることができるように、国際的な基準に日本が合わせることが可能かということである。
 ④は、現行憲法が禁止している武力行使の範囲はどこまでかという問題として検討がされるものと見られた。武力行使をする外国の部隊にどこまでの協力をすると、わが国が武力行使をしたと見られることになるのか、その区別の条件を緩和するかどうかが焦点となる。
 ③と④は、米ソ冷戦の終焉後、わが国が国連を中心に各国の軍隊が協力して進める平和維持活動に参加することが、国際社会で強く要望または期待されるようになくなってきたという、大きな変化を踏まえた問題提起だろう。

 安倍氏は、上記の4類型について、有識者懇談会に検討を求めた。非常に重要な問題提起だったが、共産中国をも想定した検討とはなっていない。北朝鮮のミサイルと核兵器よりも、中国のミサイルと核兵器は、遥かに多数かつ強力である。中国は、北朝鮮よりはるか昔の昭和39年(1964)に核実験に成功した。昭和45年(1970)年4月には、人工衛星を打ち上げ、IRBM(中距離弾道ミサイル)が完成していることを世界に示した。わが国は、この昭和45年つまり1970年の時点から、中国の核の標的になっている。
 現在、中国は26発の大陸間弾道弾を保有するだけでなく、わが国に向けて300発ともいわれる核ミサイルを配備している。ボタン一つで自動的に日本全国の主要都市を壊滅できる破壊力を保有している。また中国は、わが国との領海問題で、強硬な姿勢を示し、海底油田の開発を進めている。
 だから今日、集団的自衛権の問題の検討は、中国への対応ということを抜きには考えられない。私は、安倍氏がそのことに国民の注意を喚起するような形で、集団的自衛権の検討を進めなかった点が不満である。

 次回に続く。