●結びに当たって
これまで様々な角度から集団的自衛権について述べてきた。十数回のつもりで始めたが、結局40数回になりそうである。最後にまとめに入りたい。
私の考えは、わが国は独立主権国家としての基本的なあり方を十全に回復するために、憲法を改正して自主国防を整備すること、その上で集団的自衛権を行使すること、また専守防衛政策を改め戦略守勢政策に戻すことが必要だという意見である。
私は、集団的自衛権について憲法に規定すべきとし、その案を提示している。新憲法のほそかわ私案第4章安全保障から、中心的な部分を以下に引用する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
(国際平和の希求、侵攻戦争の否定)
第十三条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
2 前項の目的を達するため、我が国は国際条約を遵守し、国際紛争を平和的手段によって解決するよう努める。
(自衛権、国防の義務と権利の制限)
第十四条 日本国民は、国家の平和と独立、国民の生命と財産、自国の伝統と文化を守るため、自衛権が自然権であることを確認する。
2 わが国は、自衛権の一部である集団的自衛権を保有し、平和を維持するため、国際的な相互集団安全保障制度に参加することができる。
3 日本国民は、統治権を共有する者として、国防の義務を負う。また、国家防衛と治安維持のために、必要最低限度において、自由と権利の制限を受ける場合がある。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08h.htm
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
集団的自衛権は、憲法に明記したからと言って、軽々しく行使すべきものではない。重要なのは、政治的判断である。行使に関しては、我が国の国益という観点から徹底的な研究と検討をしておくことが重要である。そこで本文に記述していないことについて、数点補足したい。
●日本人は自分で自分を守るという気概を持とう
政府は、日本も主権国家である以上、集団的自衛権は国際法上、他の国と同様、集団的自衛権を有しているとしながらも、その行使は、憲法第9条の下に許容されているわが国を防衛するために必要な最小限度の範囲を超えるものであって許されないという解釈である。
この政府解釈では、何のために集団的自衛権が国際社会で認められているのか、一般の国民には理解できないだろう。わが国が集団的自衛権の行使にかかわるのは、現状アメリカだけである。それを具体的に考えて初めて、生きた意味を持つ。
政府解釈による集団的自衛権とは、アメリカが第3国から武力攻撃を受けた場合、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず、アメリカのために反撃を加えることができる権利という意味になる。これは、アメリカの戦争に巻き込まれるという意識が強い。しかし、集団的自衛権には、日本が第3国から武力攻撃を受けた場合、アメリカが直接攻撃されていないにもかかわらず、これを自国への攻撃とみなして、日本のために反撃を加えてくれる権利という意味もある。これは、日本はアメリカという同盟国を持っているという意味になる。そのことを政府は、明確に打ち出していない。自国と他国の間に、上記の両方の権利が成立するところに、本来の集団的自衛権が機能する。
自国の防衛に協力してもらうには、他国の防衛にも協力しなければならない。それがいやなら、他国と同盟を結ばず、自国だけでやっていくしかない。それには当然、憲法を改正し、自主防衛を整えなければならない。しかし、それもいやだということになると、あれもいやこれもいやという幼児のような状態である。大人の社会では、通用しない。他と持ちつ持たれつの対等の付き合いも出来ず、他に頼らず自立することも出ないような人間は、大人の社会では相手にされない。大人の社会とは、日本を取り巻く現実の国際社会のたとえである。
日本人は、まず自分の手で憲法を作り、独立主権国家としてのあり方を根本的に整え、また自分で自分を守るという気概を持たねばならない。それを実行しなければ、日本は自ら崩壊するか、他国に併呑されるかしかない。これは日本人一人一人の運命にかかわる課題である。
次回に続く。
これまで様々な角度から集団的自衛権について述べてきた。十数回のつもりで始めたが、結局40数回になりそうである。最後にまとめに入りたい。
私の考えは、わが国は独立主権国家としての基本的なあり方を十全に回復するために、憲法を改正して自主国防を整備すること、その上で集団的自衛権を行使すること、また専守防衛政策を改め戦略守勢政策に戻すことが必要だという意見である。
私は、集団的自衛権について憲法に規定すべきとし、その案を提示している。新憲法のほそかわ私案第4章安全保障から、中心的な部分を以下に引用する。
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(国際平和の希求、侵攻戦争の否定)
第十三条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
2 前項の目的を達するため、我が国は国際条約を遵守し、国際紛争を平和的手段によって解決するよう努める。
(自衛権、国防の義務と権利の制限)
第十四条 日本国民は、国家の平和と独立、国民の生命と財産、自国の伝統と文化を守るため、自衛権が自然権であることを確認する。
2 わが国は、自衛権の一部である集団的自衛権を保有し、平和を維持するため、国際的な相互集団安全保障制度に参加することができる。
3 日本国民は、統治権を共有する者として、国防の義務を負う。また、国家防衛と治安維持のために、必要最低限度において、自由と権利の制限を受ける場合がある。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08h.htm
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集団的自衛権は、憲法に明記したからと言って、軽々しく行使すべきものではない。重要なのは、政治的判断である。行使に関しては、我が国の国益という観点から徹底的な研究と検討をしておくことが重要である。そこで本文に記述していないことについて、数点補足したい。
●日本人は自分で自分を守るという気概を持とう
政府は、日本も主権国家である以上、集団的自衛権は国際法上、他の国と同様、集団的自衛権を有しているとしながらも、その行使は、憲法第9条の下に許容されているわが国を防衛するために必要な最小限度の範囲を超えるものであって許されないという解釈である。
この政府解釈では、何のために集団的自衛権が国際社会で認められているのか、一般の国民には理解できないだろう。わが国が集団的自衛権の行使にかかわるのは、現状アメリカだけである。それを具体的に考えて初めて、生きた意味を持つ。
政府解釈による集団的自衛権とは、アメリカが第3国から武力攻撃を受けた場合、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず、アメリカのために反撃を加えることができる権利という意味になる。これは、アメリカの戦争に巻き込まれるという意識が強い。しかし、集団的自衛権には、日本が第3国から武力攻撃を受けた場合、アメリカが直接攻撃されていないにもかかわらず、これを自国への攻撃とみなして、日本のために反撃を加えてくれる権利という意味もある。これは、日本はアメリカという同盟国を持っているという意味になる。そのことを政府は、明確に打ち出していない。自国と他国の間に、上記の両方の権利が成立するところに、本来の集団的自衛権が機能する。
自国の防衛に協力してもらうには、他国の防衛にも協力しなければならない。それがいやなら、他国と同盟を結ばず、自国だけでやっていくしかない。それには当然、憲法を改正し、自主防衛を整えなければならない。しかし、それもいやだということになると、あれもいやこれもいやという幼児のような状態である。大人の社会では、通用しない。他と持ちつ持たれつの対等の付き合いも出来ず、他に頼らず自立することも出ないような人間は、大人の社会では相手にされない。大人の社会とは、日本を取り巻く現実の国際社会のたとえである。
日本人は、まず自分の手で憲法を作り、独立主権国家としてのあり方を根本的に整え、また自分で自分を守るという気概を持たねばならない。それを実行しなければ、日本は自ら崩壊するか、他国に併呑されるかしかない。これは日本人一人一人の運命にかかわる課題である。
次回に続く。