●求められる北朝鮮・中国への対応
自衛隊のカンボジア派遣後、1990年代の後半から、集団的自衛権の再検討を要する事態が日本の周辺で発生した。一つ目は、平成6年(1994)の米朝間で「戦争一歩前」と言われた北朝鮮の核危機である。二つ目は、平成8年(1996)に行われた台湾史上初の民主的な総統選挙に対し、中国がミサイルで威嚇した中台危機であった。
これらの危機を背景として平成8年4月、橋本竜太郎首相とクリントン大統領との首脳会談において日米安保共同宣言が出された。これは「安保再定義」となるものであり、日米安保条約の目的は、それまでの「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大された。それに伴い、昭和53年(1978)11月に策定された「ガイドライン」(日米防衛のための指針)の見直しが明記された。
翌9年(1997)9月に策定された「新ガイドライン」では、「周辺事態」において日本が担う役割として、補給、輸送、警備、民間空港・港湾の米軍使用など40項目が列挙された。これを受けて11年(1999)5月に、対米支援を具体化するための周辺事態法案が成立した。
ここで「周辺事態」とは、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」と定義された。
「周辺」の領域とは「地理的なものではない」とされ、「事態」についても日米双方の「認識・調整・措置」によって定められるとされた。またわが国の米軍に対する支援は、「後方地域」において、「武力攻撃と一体化」しないことを前提に実施されるという定めであった。「後方地域」とは、「現に戦闘行為が行なわれておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行なわれることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範囲」と規定された。そして、 「近傍において戦闘行為が行われるに至った場合」は、支援活動の「一時休止」、危険「回避」がされると規定された。
「武力行使」という概念は、戦闘行為を意味するという狭い定義がされている。しかし、国際社会の常識では、後方支援つまり兵粘支援も「武力行使」の一環と理解されている。
●アーミテージ=ナイ・リポートで決断を迫られる
周辺事態法案が成立した翌年平成12年(2000)10月、元国防次官補のリチャード・アーミテージやナイを初めとした米国の超党派の知日派グループが「米国と日本――成熟したパートナーシップに向けて」と題する特別報告を発表した。この報告書は、21世紀において日米両国間で「共通の認識とアプローチ」を構築していく重要性を指摘した。またその文脈において、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟関係を制約している。この禁止が取り除かれれば、より緊密で効果的な安保協力が可能となるであろう」との要望を述べている。
彼らが日本に求めているものは、集団的自衛権の行使であり、武力行使を伴う共同防衛の実現である。この報告書を干渉的要請と取る見方があるが、私は一方的にアメリカが日本に軍事的支援を求めているのではないと思う。わが国自体が、中国や北朝鮮の軍事力の脅威にさらされており、主体的に自衛を考え、国防の整備を迫られているという現実があるのである。
かつて昭和30年(1955)8月、鳩山政権の重光葵外相が訪米し、ダレス国務長官と会談した際、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約(試案)」という安保改定案を提示した重光に対し、ダレスは、「憲法がこれを許さなければ意味がない」「自衛力が完備し憲法が改正されて、初めて新事態といえる」と答えた。ダレスは、安保改定の要請を受け入れるには、その前提として、日本がまず憲法改正を行うことが必要だと強調したのである。
その後、駐日大使ダグラス・マッカーサー2世によって、わが国の憲法改正と集団的自衛権への制限解除という課題を棚上げし、その実現を待たずに、安保条約を相互性のあるものに改定するという提案がされ、これを基本的な枠組みとして、安保条約の改定が行なわれた。昭和35年(1960)6月、岸信介政権のもとで新条約が締結された。それによって、安保条約の片務性は、一定程度改善された。しかし、あくまで現行憲法の規定の範囲内での改定だから、わが国の非保護国的な地位が根本的に改善されたわけではない。
旧安保条約の改定の交渉過程で、集団的自衛権に関する課題が浮かびあがった。ダレス・重光会談以来、実に半世紀以上にわたって、この課題は未解決であり続けている。それは取りもなおさず、現行憲法を制定時の規定のまま固守しているからこその事態なのである。アメリカの知日はグループによる「米国と日本――成熟したパートナーシップに向けて」は、この課題について、明確に指摘・要望したものだと言えよう。 このリポートに応じることは、必ずしもアメリカの都合で日本を変え、アメリカの言いなりになるパートナーとなることを意味しない。自らの意思で、独立主権国家としての主権を十全に回復し、アメリカと自主的に付き合い、もの申すパートナーとなることは可能である。従米か、自立かは、日本人自身の主体性にかかっている。
次回に続く。
自衛隊のカンボジア派遣後、1990年代の後半から、集団的自衛権の再検討を要する事態が日本の周辺で発生した。一つ目は、平成6年(1994)の米朝間で「戦争一歩前」と言われた北朝鮮の核危機である。二つ目は、平成8年(1996)に行われた台湾史上初の民主的な総統選挙に対し、中国がミサイルで威嚇した中台危機であった。
これらの危機を背景として平成8年4月、橋本竜太郎首相とクリントン大統領との首脳会談において日米安保共同宣言が出された。これは「安保再定義」となるものであり、日米安保条約の目的は、それまでの「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大された。それに伴い、昭和53年(1978)11月に策定された「ガイドライン」(日米防衛のための指針)の見直しが明記された。
翌9年(1997)9月に策定された「新ガイドライン」では、「周辺事態」において日本が担う役割として、補給、輸送、警備、民間空港・港湾の米軍使用など40項目が列挙された。これを受けて11年(1999)5月に、対米支援を具体化するための周辺事態法案が成立した。
ここで「周辺事態」とは、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」と定義された。
「周辺」の領域とは「地理的なものではない」とされ、「事態」についても日米双方の「認識・調整・措置」によって定められるとされた。またわが国の米軍に対する支援は、「後方地域」において、「武力攻撃と一体化」しないことを前提に実施されるという定めであった。「後方地域」とは、「現に戦闘行為が行なわれておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行なわれることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範囲」と規定された。そして、 「近傍において戦闘行為が行われるに至った場合」は、支援活動の「一時休止」、危険「回避」がされると規定された。
「武力行使」という概念は、戦闘行為を意味するという狭い定義がされている。しかし、国際社会の常識では、後方支援つまり兵粘支援も「武力行使」の一環と理解されている。
●アーミテージ=ナイ・リポートで決断を迫られる
周辺事態法案が成立した翌年平成12年(2000)10月、元国防次官補のリチャード・アーミテージやナイを初めとした米国の超党派の知日派グループが「米国と日本――成熟したパートナーシップに向けて」と題する特別報告を発表した。この報告書は、21世紀において日米両国間で「共通の認識とアプローチ」を構築していく重要性を指摘した。またその文脈において、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟関係を制約している。この禁止が取り除かれれば、より緊密で効果的な安保協力が可能となるであろう」との要望を述べている。
彼らが日本に求めているものは、集団的自衛権の行使であり、武力行使を伴う共同防衛の実現である。この報告書を干渉的要請と取る見方があるが、私は一方的にアメリカが日本に軍事的支援を求めているのではないと思う。わが国自体が、中国や北朝鮮の軍事力の脅威にさらされており、主体的に自衛を考え、国防の整備を迫られているという現実があるのである。
かつて昭和30年(1955)8月、鳩山政権の重光葵外相が訪米し、ダレス国務長官と会談した際、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約(試案)」という安保改定案を提示した重光に対し、ダレスは、「憲法がこれを許さなければ意味がない」「自衛力が完備し憲法が改正されて、初めて新事態といえる」と答えた。ダレスは、安保改定の要請を受け入れるには、その前提として、日本がまず憲法改正を行うことが必要だと強調したのである。
その後、駐日大使ダグラス・マッカーサー2世によって、わが国の憲法改正と集団的自衛権への制限解除という課題を棚上げし、その実現を待たずに、安保条約を相互性のあるものに改定するという提案がされ、これを基本的な枠組みとして、安保条約の改定が行なわれた。昭和35年(1960)6月、岸信介政権のもとで新条約が締結された。それによって、安保条約の片務性は、一定程度改善された。しかし、あくまで現行憲法の規定の範囲内での改定だから、わが国の非保護国的な地位が根本的に改善されたわけではない。
旧安保条約の改定の交渉過程で、集団的自衛権に関する課題が浮かびあがった。ダレス・重光会談以来、実に半世紀以上にわたって、この課題は未解決であり続けている。それは取りもなおさず、現行憲法を制定時の規定のまま固守しているからこその事態なのである。アメリカの知日はグループによる「米国と日本――成熟したパートナーシップに向けて」は、この課題について、明確に指摘・要望したものだと言えよう。 このリポートに応じることは、必ずしもアメリカの都合で日本を変え、アメリカの言いなりになるパートナーとなることを意味しない。自らの意思で、独立主権国家としての主権を十全に回復し、アメリカと自主的に付き合い、もの申すパートナーとなることは可能である。従米か、自立かは、日本人自身の主体性にかかっている。
次回に続く。