西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

ああ北の湖

2015年11月22日 | つれづれに
 
北の湖
新聞に ”憎らしいほど強かった ” と表現してあった大横綱 北の湖・・・・亡くなったのですね。いつもブスッとして愛想がなく、笑った顔など見たこともなかった北の湖・・・・・はじめは嫌いだった、でもいつの頃か好きになっていった力士でした。無愛想で相撲以外でマスコミを騒がせるようなことなんかなくて不器用な男という印象だったけれど 相撲一筋に自分を通していく姿勢に僕は ”ウーン ”と唸りながらだんだん好きになっていった力士でした・・・・北海道の男、昭和の男だった・・・・62歳、横綱在位63場所 横綱670勝は歴代1位だという・・・ 北の湖

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2 コメント

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北の湖親方 (凸椪)
2015-11-26 18:22:56
生まれ育ったのが東京の下町なので、北の湖部屋のある近辺も知っています。部屋の前も通ったことがあって、子供時代には丁髷を結った力士を見ることも珍しく感じませんでした。俗に云われる“フンドシ担ぎ”の下位の取り的はともかく、横綱・大関ともなると国技館の間近にある部屋からでもベンツで場所入りという豪華版。やはり相撲取りは強くならないと報われない商売ですね!?
北の湖関は中学生時代から部屋に住み込みで土俵を務めて来た立志伝中の人物ですが、以前には両国周辺の中学校には明らかに相撲部屋から通学する子弟が目立ちました。体格だけで一目瞭然で、教室では最後列に座って、早朝稽古の疲れのためか、授業中には寝ていた子が多かったです。教室の席には座れても関取になれるのは一握りですがね…。
北の湖サンが最初に理事長を務められた時に、相撲界の暴力指導問題や大麻事件が起こって、一旦は職を辞任。自身の部屋に所属する外国人力士が関わっていたのも不運でしたが、相撲部屋という世界は、当然ながら閉鎖された男社会、それも思春期真っ盛りの青少年達ですから、これまでも博打や金銭・女性に纏わる問題が多く、大部分は隠蔽されて表沙汰になることは稀だったのは、身近で聞き及んでます。決して純粋で品行方正なスポーツマンだけの集団ではなく、決して“反社会的”な集まりではありませんが、一歩間違えば、そちら側に属してしまう人間も混在していると思います。暴力事件と槍玉に挙がるケースでも、実際には力で部屋の中の内部秩序を統率していく必要に迫られての事ではないかと感じます。とにかく暴れ出したら抑えようのない男も少なくありませんから…。
閑話休題、今回の北の湖の急逝で思い起こすのは、現在の相撲解説者で元横綱の北の富士と双璧を為して、「北玉時代」を形成し他方の玉の海が亡くなった時のことです。玉の海は蔵前にあった旧国技館で、友達と出待ちをしていた際に、入場口に群がる他の子供の列に割り込みをしてサインをネダろうとした奴の顔を笑顔で睨んで嗜めた時の、彼の爽やかな表情が忘れられません。歯並びがきれいで、玉の海関は真のスポーツマンだと思いました。
北の湖、玉の海の両士に合掌!!
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北の湖2 (ハンク秋山)
2015-12-03 07:46:41
凸木並さんコメントありがとうございます・・・ここ1週間ほどパソコンにふれる環境になくて亀レスになりましたことお詫びいたします。  経験に基ずく貴重な話、面白く読みました。確かに相撲界というのは日本独特の特殊な閉鎖社会という感じがありました。私の知りあいの範囲にも何人か相撲界に入った人がいて、出世はしませんでしたが(無給なのに)結構羽振りのいい世界・・・という感じを持ったものです。文字通り裸一貫で突っ走る世界ですから大変な世界だろうなあ・・・と、外国人力士が多くなったのには何故?という思いがあります。やはり根本にはお金(稼げる)のことがあるんでしょうね。玉の海は小柄でしたから横綱までなるとは思っていませんでした・・・早世したのは惜しかったですね。 九州場所ではちょんまげ姿の下っ端の力士さんが電車に乗って携帯をチョコチョコいじったりしているのを見たりしますと時代だなあ-と感じます(smile)
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