鹿児島第36回カントリーフェスタ
年に1回鹿児島のカントリー・ミュージック好きの人達が集まって開く手作りの演奏会に参加して数曲歌わせてもらった。いつも手作りのプログラムがあって、その中に私自身の Country & Western への道を下記の題名で投稿記事として書いたので、今回はそれに補足しながら新しくして載せることにしました。 私の手元には案外写真が残っていなくて、3人で写った写真は今から4~5年前のフェスタの時に撮った写真(バンジョーのHarry 樋口君、ベースのWoody 庵地さんと)
” 遥かなる西部への道 そして カントリー&ウェスタン音楽 ”
今回は恐らく皆さんが不思議に思っておられるであろう ”あいつは何でこんな音楽が好きになったんだろう? ” ということについて述べようと思います。 私は団塊世代の真っ只中の昭和24年に鹿児島県国分市( 現在は霧島市 )に生まれました。小学校高学年~中学の頃やっとテレビが普及してきてまだ日本製番組が未熟だったこともあってアメリカ製のドラマがたくさん放映されていました。そんな中、男の子達にとって西部劇は大きな魅力でした。「 ライフルマン 」、「 ローハイド 」、「 西部の男パラディン 」・・・・とかね。 主演のスター達の魅力も大したものでしたが、流れる主題もかっこよくてネ。特に当時のポピュラー歌手フランキー・レインが歌う ”ローハイド ” は圧巻で子供から大人まで魅了されたものです。今聴いてもウキウキします。そして音楽好きな男の子達は乏しい小遣いを貯めて主題歌の入ったシングル盤レコードをやっとの思いで買うんです。私も買いました・・・・つたないポータブル蓄音機( プレーヤーなんて云わなかったナア )でひとしきり聴いて、さてB面の曲を聴く・・・・と、これがまたいい曲なんですよ。曲名を見ると ”エル・パソ ”となっていて歌っているのがマーティ・ロビンスと書いてある。オッなかなか上手いじゃないか、カッコイイじゃないか・・・・と気になる。マーティ・ロビンスてどんな歌手だろう・・・・といつまでも気になる。パソコンなんかない時代だから調べようがないんですよ。当時楽器屋さんにレコード・マンスリーという無料の小冊子が置いてあった・・・・こんなのに歌手の情報が載っていたりするんですね。どうもカントリー&ウェスタンというジャンルの歌手らしい・・・・なんてことが判ってきて、他にどんな曲を歌っているのかなあ-と興味がわいてくる。そうこうするうちに、ある本屋さんの棚に「 ウェスタン音楽入門 」という本があるのに出逢った・・・・アッ、Country & Western のことが沢山載っている!!と狂喜・・・・お正月のお年玉かなんかで買ってね、眼光紙背に及ぶくらいに読んだ。「 カントリー&ウェスタン88曲集 」 という楽譜本を買ったのも同じ頃だったかなぁ。
( 今でも持っている ”ローハイド ” のシングル盤、”アラスカ魂 ”はB面が Jimmie Driftwood の歌で有名な ”ニューオーリンズの戦い ”をジョニーが歌っているものでした・・・・残念ながら紛失してしまってここに載せたのは後年買ったもの。本もレコードもみ~んな自分と一緒に年をとってきているーsmileー)
歌手の名前もたくさん覚えてね・・・・こうして知識だけは豊かになっていったのでした。 当時のカントリーではスリーハンクといって Hank Williams( 当時既に故人 )、Hank Snow、Hank Thompson が既に大物スターだったのですが、私よりか先輩方は知っていたでしょうが情報がなくてマーティ・ロビンス、ジョニー・ホートンが先だったなあ。でもレコードは簡単には買えない時代でした。ベンチャーズのエレキ演奏とかブラザーズ・フォーなんかのアメリカン・フォークソングなども魅力があってね。とても買えない・・・・だからよくラジオを聴いたもんです。当時はホントに色んなジャンルがありました。 最近、作家の五木寛之さんの 「 わが人生の歌がたり/昭和の哀歓 」 という本を読んでいたら ” 私はいまの音楽で寂しいと思うのは一つが主流になると、ほかのものが影をひそめてしまうことなんです。百花繚乱いろいろな音楽の花が開いていた時代、全部一緒に時代の中に共存していた。今思えばそれがすごくうらやましくてすばらしいなと感じますね ”・・・・・と書いてある。 私も同感で、歌謡曲・シャンソン・カンツォーネ・ジャズ・ハワイアン・タンゴ・ラテンそして隅っこにカントリー&ウェスタン。 映画音楽だって印象に残るものが沢山あったものネ。 DJにも幅広いジャンルをカバーできるような人が多かったですよ。 下の写真は 故 Hank Thompson のデビュー25周年記念アルバムの中に収録されていたもので1951年テキサス州ダラスで撮られた3Hank が一緒に写った唯一と思われる写真とのこと、左から Thompson、Snow、Williams です。みんな若くて輝いている時代ですね -嬉-)。 次回に続く
その頃,”グランド・オール・オプリー”を聞き始め,さっぱり判らず、それでも、西部劇マニヤとして、聞かねばと、無理してました。もう、ハンク/ウイリアムスの孫の時代!
私も音楽之友社刊の『ウエスタン音楽入門』を熟読していました。当時('70年前後)は来日公演も少なくレコード発売も少なかったと思います。丁度、ライブハウスなるものが現れ始めた頃でしたが、まだ高校生だった僕が出入りできる場所ではありませんでしたし、WoodStock で盛り上がったニューロックやフォーク、フリージャズの全盛期(?)で、友人知人にも同好の志はおりませんでした。まぁ本邦C&W界にとっては不遇の時代と言えるかと思います(息を吹き返したと思えるのは、“団塊”以上の世代の方々が「現役(職業)生活」から退かれた最近のことでしょう…)。古い世代の方々は「ウエスタン音楽」として西部劇と一緒くたんに看る傾向が強かったため、僕も最初はウエスタンのテーマ曲程度の認識でした。その頃聴いたラジオ番組では淀川長治氏が出演されて、延々と西部劇映画の解説のついでにテーマ音楽を流していたのを覚えています。まぁソレが僕にとってカントリーを愛好し始める切っ掛けとなったわけですが…。実際にカントリーアーティストのLPジャケットを見ても、ソレっぽい格好をしていて紛らわしかったから、西部劇音楽と混同していたのも当然だったかと思いましたが…。