赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼今日の散歩の高校野球

2008年04月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
相変わらずデジカメ散歩だけは続けているのである。今日は渋谷から歩き始めた。青山通りを表参道から左折して神宮外苑まで足を伸ばした。明治公園では恒例のフリーマーケットが開催されていた。神宮球場では六大学野球が、となりの第二球場では高校野球の春の都大会の準々決勝が行われていた。第二球場に入った。帝京高校対専修大学付属高校の試合が始まるところで、3回の攻防まで見て帰ってきた。もちろん、帰りも渋谷まで歩いた。強風が吹き荒れる一日で、歩道の脇に置かれた自転車が、あちこちでなぎ倒されていた。
コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ▼婿殿をたずねる | トップ | ▼無題 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
渋谷 (渡辺 喜久雄)
2008-04-19 22:03:40
4月20日 渋谷の結婚式場で兄の子(姪)が結婚します。
姪は息子と同じ年に生まれ「可愛い女の子」でした。
彼女は早く結婚するのじゃないかと思われていた。

外国に旅行したり、車を乗り廻していたり
結構のん気に楽しく人生を謳歌していたようですが、
やはり この度 結婚と相成ったようです。

叔父として「まぁお幸せに」と願うばかりです。
返信する
「感応力」 (渡辺 喜久雄)
2008-04-19 22:27:12
だいぶ以前に「手かざし」(真光)を受けたことがある。
近所に「研修所(たまり場)」のようなところがあって、
一ヶ月ぐらい通った。

私は「体験」が欲しかった。
だが、信者達は私の入会を欲していた。

だから両者が噛み合うはずもなく、やがて彼らは、
私に「もう来られなくて結構」と宣告。

私が何故、一ヶ月も通ったかといえば、その「体験」が
強烈だったからだ。
誤解されてもいけないと思い、私の体験は
彼らにまったく伝えなかった。

ひとりの幹部から、手かざしを受けていたときのこと、
(私は彼女から非接触で手をひたいに当てられていた)
強烈な熱と光を感じるという体験をした。
もうひとつは翌日の排便が黄金色となったこと。

別の日、有力幹部から同様の手かざしを受けても
何らの反応もなかったときもあった。

彼らの説明によると手かざしによる個人差は存在せず
「盟主様」だか「大神様」だか何だか知らないけれど
手かざしは、こうした神様から賜った救いの光であり、
太古からの霊術なのだとのことだった。

私には個々に手かざししてもらったひとによって
だいぶ反応が異なっていたので「相性」とか「感応」の
程度の差ということで説明がつくのじゃないか、
そういうふうに認識していた具合だ。

まぁ、結局
ひとが集まったり、「エネルギー場」が形成されたりとか
あるいは「気」が満ちてくるとか
その場の雰囲気、興奮状態とか
さまざま微妙、絶妙にして、
おかれた環境・周囲のバランスなどによっても
「感応」現象には格差があるというのが私の結論。
返信する
「ささやか貧乏談義」 (渡辺 喜久雄)
2008-04-20 21:51:04
姪の結婚式・披露宴でテーブルの隣に座った長兄と「貧乏談義」に花咲いた。

長兄「自分は小学四年生のときからアルバイトをやっていた」
三男「初めて知ったよ」 注:三男=私

長兄「子どもが三人も四人もいたし、家がひどく貧乏だった」
三男「うん。それは俺も分かっていたよ」

長兄「弁当も麦ばかりで米はほとんど入っていなかった」
三男「小学生の途中から給食が始まったのでそれほどひどいという記憶がない」

長兄「バイト代は全部家に入れてたので小遣いはなかった」
三男「俺も小遣いはもらえなかったけれどやがて次兄からもらったよ」

長兄「みんな貧乏だったけどよく生きてきたな」
三男「うん。アニキも長男だからスゴク大変だったと思う」

我が家の場合、父親は働いていたし、両親ともに健康だった。
家族一同、特別の差別や偏見にさらされず、
そして当時としてはごく普通の貧乏状態だった。

しかしながら我が家族にあっては
「絶対的貧困」と呼称されるような状態でもなかったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%9A%84%E8%B2%A7%E5%9B%B0

現在兄弟で楽しく回顧できるというのはとても有り難いことであり幸いである。
返信する
「お金」崩壊 (渡辺 喜久雄)
2008-04-20 22:53:33
「お金も劣化すべし」
[この世に存在するあらゆる物理的存在は、私たち人間を含めて生まれたときから消費に向かって劣化し続ける。これを物理学で定式化したのが「エントロピー増大の法則」である。
ただし、人は十分な休息と栄養を与えられれば労働力の再生産ができるし、維持管理を徹底することでモノの劣化を遅らせることができる。
しかし、これには費用がかかる。このような追加的なコストを「持越費用」という。
ところがお金は自動的に劣化することもなければ、所有者が無視できる程度にしか持越費用が発生しない。
お金はほかのモノと違って「劣化」という時間の支配を逃れているのだ。このことが、お金にすべてのモノに優越した存在として君臨できる特別な地位を与え、人々に「お金がすべて」という考えを植えつけることにつながっている。

かつてこのお金の持つ優越性に真っ向から異を唱えた人物がいた。その人の名をシルビオ・ゲゼルという。ブエノスアイレスに渡って成功したドイツ人実業家であったが、1880年代にアルゼンチンを襲った深刻な恐慌を経験していた。この経験が動機となってお金の問題を追及したゲゼルは、最終的に「交換手段としての貨幣を改革したいならば、われわれは商品よりも貨幣を劣化させなければならない」という結論に達する。
そしてその実際的方法として、週に1000分の1、つまり年間通して5.2%「減価」する通貨、「自由貨幣」の発行を提唱したのであった。

マイナス金利が課されて自動的に減価し最後には消えてなくなるというようなお金は、プラス金利の世界しか経験していない私たちにとって容易に想像がおよぶものではない。
現時点では荒唐無稽に思われるだろう。]
        「お金」崩壊 青木秀和 集英社新書より
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-720437-7


「お金」は劣化すべし、まったく同感である。
ゲゼルが提唱しているように、もし人びとが「想像力」を働かせることができれば、私は可能だと信じたい。
返信する
エンデの遺言 (渡辺 喜久雄)
2008-04-21 06:48:05
ミヒャエル・エンデ(物語作家)も、この「劣化するお金」
「所有していると、どんどん価値の減るお金」に強い関心を持ち、 実現のためのさまざまな運動をしていた。
NHKでそのドキュメント番組「エンデの遺言」(鎌仲ひとみ)が放送され、話題となった。

 http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=566233

公開されているのでぜひ覗いてください。
返信する

コメントを投稿

■日常的なあまりに日常的な弁証法」カテゴリの最新記事