赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼世界が共有する福島発『原発安全教科書』

2018年09月24日 | ■ヨニウム君との対話
 
 
以下、北海道電力のサイトより

https://twitter.com/Official_HEPCO


●現在、東北電力、東京電力、中部電力、北陸電力、中国電力、四国電力、九州電力、沖縄電力の各電力会社さまから、合計約700名の社員の皆さま、約150台の移動発電機車の応援をいただいています。ご協力いただいている電力会社の皆さまとともに、引き続き、全力で電力の安定供給に取り組んでまいります。

●道内の本日(9/11)19時台の電力需要は、地震発生の前日(9/5)比で「14.2%減(速報値)」でした。引き続き節電のご協力をお願いいたします。

 
↑ 上の短文は伊達や酔狂ではない。北海道は今や危機的状況にある。500万道民の命の問題がかかっているとわたしは読んだ。泊の「と」の字も原発の「げ」の字も発することを封印されて七年がたつ。地震から、この一週間、不眠不休でがんばっている北電社員および関係者の働く姿を日本国民なら、すこしは想像力を発揮してまぶたの裏にでも思い浮かべることができないものなのか。現場の彼らこそ誰よりもことの仔細をわきまえていているはずだ。そして願っているはずだ。泊原発が動き出してくれればと。心と心の不通した不実な現実の乖離の様をしてわたしは訴えているのだ。あまりにも理不尽な話ではないのかと。
 
それにつけても震源地にちかい最大出力の火力発電所が損壊したことにより道内全域が停電におよんだ事件のその後が心配だ。現地の事情を知りもしないで相変わらず反原発のイデオロギーをふりまわしている共産党国会議員小池晃のネット記事が顰蹙を買いさんざんにたたかれている。

https://twitter.com/koike_akira/status/1038315736039452672

文中誰かがコメントしているように道内唯一の泊(とまり)原子力発電所が七年前の東日本大震災以来たいした理由もなく停止したままなのである。こたびの地震にもビクともしなかった。なぜ泊原発を稼動させないのか。理不尽にもほどがある。電力不安定の中、五百万道民に対してこの冬をどう乗り切れと云ふのか。この期に及んでは政府内閣および北海道知事らによる政治決断が必要だ。一日も早く泊原発を再稼動させてほしい。北海道の冬は早くまた厳しい。

この件についてあだこだと述べている左巻きヒステリとの異名をとるヨニウム君の極端な意見に対して少し諌めておこう。以下。
 

世に倦む日日・・・原発が電源に必要などと、もう大昔の過去の話だ。民間の業者にとっては、それは政治の話で、市場の話ではない。ベースロードは、最新のLNGコンバインドサイクルで古い火力設備を置き換えて、フローは、どんどん技術開発が進む太陽光で賄えばいい。それが電力の今後の姿。原発が出る幕はない。

 

新聞も読まずに日夜スマホと、つぶれかかっているとの噂が絶えない安上がりの地上波テレビジョンにかじりついている左巻きヒステリと異名を取るヨニウム君は情報不足がはなはだしい。下の記事を見たまえ。

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2018/7/13 20:30・・・神戸新聞

豪雨で太陽光パネル崩落 住民ら不安の声 姫路

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ソーラーパネルは、きわめて風雨に弱いことがわかるだろう。上は今年7月の豪雨による損壊の模様だが、9月に入って襲ってきた台風21号によっても各地からソーラーパネルが壊れたとの報道があいついだ。そもそも山地を切り開き樹木を伐採し草も藻も生えてはならぬと、劇薬の除草剤を満杯にしてまきちらてなんぼのものだ。土壌汚染の浸透は想像するまでもない。それにしても、これだけの大掛かりな平面的装置を設置しておいて出力電力はスズメの涙だ。それも日照があるときだけに限られる。これで電車が動くのかい。各学校の各教室にエレキによる冷暖房装置を設置することができるのかね。よく考えろよ。80年代に出来上がったテレビっ子文化と安っぽいカルト風の徒党根性に溺れてしまった衆愚末裔の果ての果て左巻きヒステリと異名をとるヨニウム君よ。

世に倦む日日・・・ところがどうして海外の、特に新興国が原子力発電にアグレッシブになるかというと、これは電力の需要・供給のためではないですね。原爆の保有と維持のためだ。インドとかトルコとかサウジとか。bit.ly/2MzkOL4 ポーランドも計画しているらしい。ベトナムは中止したけれど。やめさせないと。

共産主義と拝金主義が合体して前代未聞の化け物国家となりつつあるシナでは百数十基の原発が計画中であり数十基が建設中だと聞く。世界の原発関係者(もちろん各国家政府科学者企業者技術者等々)は、七年前の福島原発事故を反面教師として大いに学習したはずだ。どうすれば事故を防げるかを、福島原発は身をもって世界にしめしてくれている。日々、5000人の作業員を投入して廃炉作業にいたるも世界は目を皿にして注視している。どこをどう改善すれば安全性が保てるか、その一点さえ施しておけば廃炉にいたるまでの道筋は完璧に近くなるとうとうと、世界の『原発安全教科書』は、まさに福島の現場から発信された科学と技術と作業員らによって日々新しく書き換えられていることを知りたまえ。

 

 <2018.09.15 記>

 

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▼「資本論」序文

2018年09月20日 | ■ヨニウム君との対話

>ある年代の日本人男性の場合、ともかく太宰・三島・小林・ドストエフスキーについて
>知ってることを書いたり言ったりすれば「文学がわかっている」という記号になるらしい。
>なんでやねんなぁ……。

おっしゃる通りだとは思いますよ。思いますし、それにひがんで言うのではないのですがね。やはり、売れた本に良書なしは本当のことのようですね。上のあなたの言の感想ですが単純にまた好意的に解釈すれば、あなた様が名を挙げておられる小説家各氏が残した作品が忘れがたい感銘を読者に与えてくるということに帰着するのではないでしょうか。小林が多喜二ではなく秀雄であった場合ですが。文学がわかっているという記号になるかどうかは知りませんが、たとえばドスト氏の大長編『カラマーゾフの兄弟』などを読み終えれば、そりゃ大仕事を成し遂げたごとくに自分をほめてやりたくもなるものです。他人は、読んだ読んだと自慢しているようにしか見えない場合もあるでしょうが、ま、そこは大人の対応です。なにしろ、すごいことですよ。あれを読了するのは。さて文芸作品とは違いますが、似ような位置と現象がみられるのが、カールマルクスの『資本論』ですね。ま、あれを読み通すのもかなりの労苦が必要とされるようです。そういえば、上の小林秀雄が『資本論』について面白いことを言っている。『資本論』?ああ、あの本は序文だけ読めば、それで済むと。わたしも小林秀雄の実に簡単な一言批評でマルクスについての全面評価は事が済んでいるような気がしますね。 草々

 

科学的批判にもとづくいっさいの意見を歓迎する。私がかつて一度も譲歩したことのないいわゆる世論なるものの偏見に対しては、あの偉大なフィレンツェ人の標語がつねに変わることなく私に当てはまる。汝の道を進め、そして人々をして語るにまかせよ。

ロンドン 1867年7月25日 カール・マルクス

 

 

 

 

 

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▼カラオケの帰り道<ロシア民謡特集>

2018年09月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2018.09.19 横浜市

 

「ウラルのぐみの木」は、知る人ぞ知る名曲だと個人的にはそう思っている。

 

 

 

「川岸のベンチで」

 

 

 

なんといってもロシア民謡といえば、この曲だ。「トロイカ」。

https://www.youtube.com/watch?v=-GJBw1Ch4jk

 

 

 

 

「ともしび」も、我々世代には、よく歌われてきた。

 

 

 

 

「赤いサラファン」

https://www.youtube.com/watch?v=_y1F5cVkpns

 

 

そして現在カラオケでわたしがもっとも熱中している「黒い瞳」はバスバリトンの恋心。

 

下はおそらく戦前の録音だと思うのだが・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=d8rXmOvVl0A

 

 

 

 

さてもカラオケから帰宅した自室にて

 

 

 

 

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▼秋の大会近し

2018年09月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2018.09.09 川崎市

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼売名坊主の刑法入門

2018年09月06日 | ■売名坊主の日記より

有田芳生(7月12日)・・・ この時間に目覚めたのは、先週に続きオウム死刑囚6人の執行があるのではないかという不安からです。死刑制度を問われると心情は曖昧でしたが、いまではハッキリ反対です。「麻原彰晃は仕方ないが、残りの死刑囚の執行には反対」でもありません。この一週間で完全に変化がありました。死刑は反対です。
 

売名坊主との呼び名も高い現参議院議員の有田芳生氏におかれては、昨日までは死刑もやむなしと思っていたのだが、今日になれば全面的に死刑廃止論者となりましたというわけですね。それにしてもずいぶんと自分勝手で虫のいい話ですね。いつものことで有田氏らしいといえばらしいのですが。

さてさて麻原一派によって殺害された多数の犠牲者の遺族の気持ちはどうでしょう。このたびの教祖と教義を守るためなら人を何人殺してもよいという悪魔の思想を身につけこれを実行してしまった極悪人らの死刑執行の報に接してすこしは気持ちも報われたのではないでしょうか。

国民の多くもまたそのように思っているはずです。極悪人の彼らに対する死刑判決が出てからの日時があまりにも長く、いつまでたっても言ったことを実行しないで、のらりくらりとごまかしている政府に対する不満はあったのですが、やっとこのたび司法判決が政府によって実行されたとの報に接して不肖なるわたしも内心で快哉を叫んだところです。

わたしは死刑は今のところ無いよりはあったほうがよいと思います。

人を殺したら死刑になる。人を傷つけたり人をだましたり人のモノを盗んだら牢屋に入る。これこそ刑法や裁判の実際を知る以前から日本人なら幼いころから頭に叩き込まれた第一の教育であり道徳でした。

この法の下に一億国民は我を通すばかりが能ではなく、少しは日本という「社会」および「国家」のことも考えようと自分の欲望を抑えてもなお自らを律してきたのです。死刑をふくむ現行刑法の懲罰規定はすくなからず悪や暴力の抑止となっているはずです。悪いことをなせば死刑もありえるという畏怖の感覚は国家安寧の根底にあるに違いありません。

 

刑法  第199条   人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する

 

ただし声を大にして言っておきたいことがある。それは「えん罪」の根絶だ。民主主義の世で、これほど理不尽にして不幸なことはない。永遠の課題かもしれないが「えん罪」だけは官民をあげて根絶せねばならない。昨夜、いわゆる「名張毒ぶどう酒事件」に関するネット上におかれた資料のいくつかを見て心が痛んだ。

 

<2018.07.15 記>

 

 

 

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