赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼バイクと桃色の花

2009年11月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼落葉を踏む

2009年11月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼題して「墓場の花」

2009年11月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼商業写真に魅せられる<2>

2009年11月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<朝日新聞 2009.11.24>
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▼昼下がりの散歩道

2009年11月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼近場で紅葉を楽しむ<10>

2009年11月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼商業写真に魅せられる

2009年11月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<読売新聞 2009.11.20>
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▼光学通り<4>

2009年11月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼光学通り<3>

2009年11月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼光学通り<2>

2009年11月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼光学通り<1>

2009年11月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼わたしの公園Ⅱ

2009年11月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼わたしの公園Ⅰ

2009年11月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼ふりちん事務所訪問記

2009年11月15日 | ■今丼政幸君との対話
<田吾作>
かもめの持つ視野の狭窄さは、別の呼び方が「同時に」併存する二面性(二重性)を理解し得ない。だから、かもめの振りかざす正義は、同様・同量の、(かもめのいう)アンチ正義によって簡単に打ち消されてしまうのだった。作用・反作用の原理だ。かもめが力をいれて力説すればするだけ、同量の、反かもめ理論の証拠が出てくる。かもめがやっきになって悪口にはしればはしるだけ、かもめの悪事が顕わとなる。だから、かもめの漕ぐボートは、決して、一生懸命かもめが漕いでも、同量のアンチテーゼをくらい一歩も前に進まない。わたすがどゆ理由で事務所にいこうが、わたすが渋谷に行ったかどうかは、かもめの人生にいっさい関係ない(深い意味で)。すかす、かもめは、わたすが一人で事務所に行ってしまった能力や、わたすがいともたやすく知人さんとアポをとった才能に嫉妬する。かもめは、無能人間だから。嫉妬人間かもめの主張にまっとうな正論はなにもない。
爆なし。

<鴨目>
>鴨目が力をいれて力説すればするだけ、同量の、反かもめ理論の証拠が出てくる。

ふむふむ、それは望むところだ。退屈がしのげる。

<田吾作>
かもめは、わたすが書いたふりちゃん事務所訪問記などまるで信じていないウソだとこく。笑ってしまうのは、わざわざ、事実と違うとして登場するふりちゃん本人が、訪問記を否定しないことにかもめは頭がいかないことだわさ。当事者が否定しない事柄を、行きもしないかもめが否定出来る権利などないだろ。かもめは、わたすを卑劣扱いしたいがためにデマをでっちあげるのだ。いずれ、嘘こきでまこきかもめは、閻魔にその舌を抜かれることなのだ。爆なし。

<鴨目>
拙者が君のふりちん事務所訪問記を、否定しているとな。よく読んでごらん、むしろ肯定しているのだ。君は確かに訪問記とおりに、ふりちん事務所を脅しにいったのだ。アポはとったかとっていないかの箇所にいたれば、そりゃもう、大笑いだ。それからバケツの水を頭からかぶってきた話も上出来じゃないか。安心しろ。すべて、肯定済みだ。

<田吾作>
ん?かもめは二枚舌か?お前、わたすが書いた訪問記など信じていないと書いたじゃないか?都合が悪くなると次々にウソをこくのがかもめの本心かや。救いようがないな。

<鴨目>
そうか、最初は否定的立場だったのかい。どうも、寄る年波には勝てぬワイ。すでに10年も昔のことだ。自分で当時の自分のことが、一向に思い出せない。思い出すのは当日の夜、抜き足差し足忍び足で、泥棒猫のように、おそるおそるふりちん事務所に向かっている頬っかぶりをした田吾作の、こそ泥姿だ。そして、ついに黙ったまま挨拶もなしに玄関のドアを開けてしまった。で、待ち構えていたふりちんさんによって、バケツの水をぶっかけられ、田吾作は、ほうほうのていで逃げ出してきたのである。かように、一貫して、拙者は田吾作の当夜の行動を肯定しているのであったのだった。ま、たまに否定的な見方もあるやなしやだ。許せよ。

<田吾作>
許されるわけないだろ。世の中を甘くみているよな。かもめは絶対許されない。そゆ絶望的状況を見通せないからかもめはダメなのだ。後悔先に立たず。後の祭り。覆水盆に返らず。一度の失敗は、もう二度と取り返せない。ばかたれ。
コメント (1)
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▼題して「内心と暴言」

2009年11月15日 | ■今丼政幸君との対話
<今井政幸>
かもめの破綻は、悪の一味もそうであることだが、社会への反発心から、なにがなんでも屁理屈をこねて自己正当化をはかることだが、すると、普遍的・絶対的判断基準が必要となるにもかかわらず、ダブスタ、二重基準しか持ち出せ得ないことにある。かもめは、自分が卑劣なことなのに他人を卑劣として糾弾する。まともな感覚ではおよそ考えられないことだがかもめは平気でダブスタをやる。これは、普遍的・絶対的な正義(正しいこと)をまるで理解していない、かもめの特異な本質なことではある。

<鴨目>
実に田吾作らしいヨチヨチ歩きの文体が続いているが、上は、その典型的事例のひとつである。これらを称して、田吾の言語をつかさどる脳内状況と作文は、おおよそ小学四年生なみだと申している。

<今井政幸>
真理に年齢は関係ない。あほだらたわけ。 わたすのふんどしでしか相撲をとれないかもめさ。(爆)

<鴨目>
ふーむ、田吾作のふんどしには気がつかなかった。それほど、ふんどしが心地よいものなら、ちょっくら拙者にもレンタルして見ろ。いまや商店街のどこをほっつき歩いても、買うに買えない。売るにもわいせつ罪および軽犯罪法違反容疑が怖くて、保土ヶ谷署の監視下にある。政府は、ふんどしぐらい自由にしめさせろっつーのよね。あせ、あせ。

<今井政幸>
悪業のかもめは、むろん、天の監視下にあるのだ。かもめが何を言い、なにをやってきたかは、すべて、天が見ていることさ。爆なし。

<鴨目>
わたすのすべての言動は、当赤っ恥掲示板上のことなれば、天や神でなくても、田吾でも誰でも見ることができるのだ。田吾もすべて見ているはずだ。その田吾が率先して反論という行為化をせぬままに、なぜに「天」に申し送りしてしまうのかね。「天」にわたすへの反論その他、叙述の責任を押し付けて、自分の責務を放棄せんと計ってくる。まさに、ここに、いつもの田吾作の言動パターンが見えてくるのである。言い逃れこそ、田吾作の思想的柱となっている。こうして田吾は、事の次第を追求されると、いつでも相手に対して暴言を吐きつつ、本題から逃げていってしまう。脳の足りない馬鹿な男である。

<今井政幸>
かもめはアホだな。かもめの内心なんぞ天以外誰が知るのだ。だから言うのだ。天がすべてお見通しだと。かもめが口にすることどもは、すべてウソ。まやかし、誤魔化しにすぎない。嘘こきでまこきかもめはなんとでも弁明する。嘘こき、でまこきのかもめの言ってきたことなど信用出来るわけがない。すかす、かもめは、自分本人にはウソをつけない。自分の本音が何かはかもめだけが知っている。わたすは、優れているから、かもめの本音が何かは容易に想像はつくことだ。すかす、ネットで問い詰めてもかもめは決して本心を言わない。絶対言わない。そんなかもめを誰が相手なんかにするのだ。誰もが、劣等感でウソをこくかもめにうんざりして、匙を投げ、かもめを見捨てていった。かもめなんぞに関わっても時間と労力の無駄。なぜならかもめに真心がないから。かもめの主観的価値観なんぞ誰もかまっていない、つーの。かもめ、わたすがかもめなんぞをかまってあげているのは、わたすが優れた人物だからだよ。爆なし。

<鴨目>
「かもめの内心なんぞ天以外誰が知る」とは、いかにも難儀な話だ。君は拙者の内心が知りたかったのか。それは失礼つかまつった。だが、茨城県出身にして、いまや齢60になっちまっただ拙者の徴は、やはり鳴かず飛ばずの男の人生。こうした男の内心の有様など、知ってみたとて何になる。拙者の内心に似たもの同士は、それこそ全国のゴミ箱というゴミ箱にはいて捨てるほど、ごろごろと転がっているに違いない。田吾も興味があるなら、拾ってきて、じっくりとこねくりまわして、確かめてみたまえ。誰にとっても、内心なんてもんは、ありがたいもんでも、珍しいもんではないのである。つなみに、拙者が興味を持つ内心といえば、ソクラテスのそれか、イエスのそれぐらいなものだろう。こればっかりは、いくらギリシャやイスラエルのゴミ箱をあさってみても、やすやすとは見つかるまい。

<今井政幸>
かもめは往生際が悪いな。かもめの内心、つまり本音は透けてみえる、つーの。わたすから見たら。わたすが見るのは、かもめの虚飾ではなく、本心だからな。

<鴨目>
見えたことがそれほど自慢なら人様にも伝わるように、たまには君の目に見えた、ありのままを描写してみろ。文章に起こしてみろ。小学四年生程度の抜け作男よ。

<今井政幸>
ん?
かもめの劣等感についてはすでに述べておる。
かもめの、人様への激しいいちゃんもつけは、
かもめの無能さに端を発した反発心だ。
かもめに能が少しでもあって、裕福に暮らしていたら、
社会に対する激しい憎悪はこれほどまでになかったことだ。
かもめの無能さが、かもめのビョーキの大元さーな。すっとぼけても無駄。

ん?
かもめはバカか?
わたすがなにを反省するというのだ?
なんでわたすが謝るのだ?
ぼけかす野郎!
ふざけたことを抜かすな!
おたんこなす。
わたすに向かってエラソーな口を叩くな、
糞野郎!
ふざけたアホだな。
かもめ、おまえ、なんの権利があって、反省や謝罪をいうか、馬鹿野郎!
どたま叩きのめされたいのか!
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