赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼少年から言葉を奪わん 弁護士某の運動

2016年08月15日 | ■風評加害の露店犯

 

<2005.07.15 記>

 

FCは、介護者の「こっくりさん」であり、本人の表現法ではない。まして、読み書き能力を開発するメッソトではありえない。

滝本太郎弁護士には何度も言ってきたことだけんど決めつけなんだよね。あなたの場合もR少年と同じ様な障害をお持ちの方だというから、実際にどれぐらいFCについて知っているのか、または経験しているのか。その結果として「こっくり」さんだという結論に至ったのか。それを聞きたかったのですがね。ところがあなたの話はなぁんだということになる。素人のわての認識とほとんど大差はない。

TVを見ただけなんでしょ。それならわても見たよ。本人たちは確かに子どもが言葉を出していると確信している。わてもそう思いましたよ。あの番組から「こっくり」さんだというのは、わてなどより、よほど裏付けがあるのかと思ってね。お聞きしたまでだす。ところで、ひとつお聞きしたい。R少年の言葉を全面的に否定するなら、R少年の今後の読み書きを中心とする教育ということでは、いかように考えますか。

どのようなリハビリその他に励めば、誰からも認められるようなコミニュケーション手段。または言語活動というものが可能となるでしょう。それを示さずしてて今少年が使っている手法を否定するのは、あまりにむごいことだと思うわけよ。人でなしだよね。代替法が想定されるから、あなたも全面否定しているのじゃないの。それとも、R少年のような場合(?)は言葉を使わないほうがよいとでも言うのかな。それをいっちゃおしめえよ。だからね。わてもT弁護士などに言ってきたのよ。先生は「少年から言葉を奪う」運動をしているのだよとね。いかがぞな。

少年から言葉を奪う運動ではないです。残念だけれど、自信を持って。その母から、「少年の言葉と思い他に対しては発言する習慣を奪う」ということでの問題は感じていますが。大切なことなので、偶に、かもめさん相手だが、レスしちゃいました。たまに相手をしただけのことで、引き続いて、アラシさんに相手をする義理もなし

どもっ。大切なことなので、偶に、かもめさん相手だが、レスしちゃいました。
>その母から、「少年の言葉と思い他に対しては発言する習慣を奪う」ということでの問題は感じていますが。

あなたもう少しまともな日本語使えないのかね。何を言いたいのかね。何を言っているのかね。オラ、さっぱり意味がつかめねど。オラも相当のテイノウ痔だからな。あなたの責任ばかりではないのかもしれないが、少しは共通語のなんたるかを分かって書いて欲しいものだ。ようするに何が言いたいんだべか。なんとなく重要な事に触れているような気もすっと。もう一度、かみ砕いて説明してちょうだいね、弁護士さん。そんな文章しか書けなくて、滝本はん、仕事になってんのけ。あきれっと。念を押すが、再度レスちょうだいね。弁護士先生。

子供って社会の中で育つ訳でしょ?自分の子供だけ可愛がったり特別にしても何も解決とかになんないと思うんだよね。

実は、君の上の文章がずっと気になっていたんだわ。オラ、異論があるだよ。「子どもって社会の中で育つ」・・・そりゃそうだ。「育つ」という語彙にそもそも「社会化」されていくという本意が含まれているわけだしな。だがよ。オラが言いたいのは、この場合の社会というものをどう保護者なり教師なりが捉えておくかだわ。ここが大事だでや。よく話を聞いてみるとよ。一人一人大きく違っているようだんべや。自分が抱いている社会のイメージを一般化することも、他人に押しつけることなどなおさらできないものさ。

社会とはこういうものであるなどと、決めつけることはできないものだんべな。ねっ。オラげの息子は不登校だったんべな。毎日毎日家に引っ込んでいたと言っても、また違うんだなや。これが兄弟つーてもよ。性格が違うつーう面白れこともある。上の息子は出歩くのが好き。下の息子はそれこそ一人でいるなら何週間でも、なんちゃってなや。いずれにしても、どこかに書いたが、ガッコいかねんならば、オラがセンセ替わりになってやっか?と覚悟を決めたんべば。ほしたら、その家庭内勉強が面白れこと、面白れこと。ムキになる必要はない。幸いにして大きな障害がなかったからだとも言えるけど。楽しい会話ができればよ。おめ、読み書きは別にしてもよ。言語教育なんつーのは、この楽しい会話から始まってっぺな。これも出来なくて、なにが読み書きベンキョになるってんだんべなや。

話が面白くなると、子どももこっちの指図をある程度は受け入れてくれるように納豆。だからよ。オラ毎日、新聞を読んでやったり、本を読んでやったりしたもんだべさ。これがえかったなや。最高の気分だったなや。なにが、どうえがったのけ、なんて混ぜっかえされると、答えに詰まるんだがよ。受験の勉強ではないのだしな。役立たずと言われれば、その通りかも知れねけんどよ。強いていえば、オラと息子との信頼つーうところからよ。さらに確信を持てるのは、これから互いに元気なうちは、なんのかんの言ってもよ。一緒に学びあう、共に楽しく支え合う、そうした共生感覚じゃよ。それも依存じゃないんだよ。

それぞれ実に自立心旺盛だんべな。互いの先行きに指図はしない。自分の先行きは自分の眼だけで見る。そこに家族とはいえ他人のまなざしを考慮しては大きな間違いを犯す。そういうことだんべな。親とはいっても金もない。出きることも出来ないこともある。だからと言って何か文句たれることはなかんべよ。子どもが喜ぶなら、財産なげうっても子どものためにやってやったらよかんべ。見上げた親心。誰が文句言えるか。オラ、根っからビンボだったがよ。この思いは金持ちにひけはとらないぜ。有り金すべて子どもにつぎ込んでやれるものなら、それはそれで立派な親心と言えるだろう。

ただよ。親だったて飯だけは食わなくてはならんばい。子どもが腹一杯だと言っているのに、もっと食えとか言う親がいるらしいが、こういうヤツだなバカ親つーうのはよ。有り金叩いて有名学校入れたのだから、ベンキョせいベンキョせいと無闇に背中押したりな。ま、程度問題だんべけどよ。中には、有名ガッコいれたのに、オラげの息子がなんで出来が悪いのかとガッコに文句つけるバカ親もいる。どうしょうもないわな。こういう精神におけるビンボ人はよ。長くなったのでやめっぺ。オラが言いたいのはよ。意識するにせよしないにせよ言葉というならよ。いわば言語教育というならよ。90%ぐらいは親が伝えているんとちゃうやろか?どんなご立派なガッコにへぇったからって、そうは変わるものでないよ。

確かに新しい知識、資格などが欲しければガッコいくのが一番だんべな。それを否定はしなかんべ。だけんどよ。おおもとの根っこのところの「教育」つーうならよ。意外なことに親なり保護者なりがやってしまっている、つーうことだんべ。それが分かるとよ。不登校なんて屁でもなくなるな。面白れぞ。親が教師がわりしてやるとよ。何やったってよかんべ。英語が面倒ならば中国語、イタリアンなんちゅーてよ。散歩するのも野外学習。なんとでもなっぺな。子どもと料理作ったりしたのも今や楽しい思いで話。こうしてよ。育っていくのとちゃうけ。これがオラが思う「社会化」ちゅーうことだんべな

あの少年。こんな形での意思表出の可能性を、そこまで行かなくても少しづつの意思表示の可能性を、あのドーマン法と、FCが奪っているのではないか、と心配です。

単なる「心配」だけで団扇配ったり国会質問させたのか。半年前から言っているだろう。見てこい。会ってこいと。それをやるのが滝本さんに与えられた役目だったと思うよ。会ってきもしない、よく知りもしないうちに糾弾本出版。あきらかに少年と家族をいじめるための運動だった。いまさら「心配です」もないものだ。この先まだまだ家族に圧力をかけたいのか。それほどいじめたいのか。

ああ、いろんな車椅子ができてきているのだから、まずそれを習得することが本人の喜びになるはずであり、なんで直立歩行のあのキツイ訓練を延々とさせるのか。

車椅子を使おうと自力で歩けるための訓練に時間をつぶそうと、その人の自由、勝手の範囲ではないのですか。あなたに指図できるなんの権利資格があるのですか。あきれるほどの人権意識欠乏症。それでよく仕事が続けられる。

私は何度も言うようにドーマンについてもFCについてもよく知りません。R少年のTV放送を見て、その番組を批判するために出版された「異議あり」(同時代社)という本を読んだ程度です。でもわかることはあるのです。それは、他人が人の暮らしぶり話しぶりなどを偏見からくる予断のもとに全面的に否定をしてはいけないということです。自分個人としては拒否することはできる。だが社会的に抹殺し亡き者にしてしまう権利は誰にもありません。もしFCによってなんらかの被害を被ったというなら、それは個々の問題として処理すればよいのであって、その人が個別的に訴えるなり賠償を勝ち取るなりする以外にはないと思っています。

例えば日本の義務教育学校はほとんどダメになったという話は、あなたもよく聞くでしょう。だからといって学校を全面否定できますか。学校をつぶしてしまえという話につなげてしまうのは、あまりと言えばあまりな話。過激どころの話ではないでしょう。学校が嫌いだから、嫌いな者が集まり徒党を組んでつぶしてしまえというような運動に加わる正当性ってあり得ますか。義務学校とは言っても個人的になら拒否することはできる。これを不登校と言うのですよね。最近では最初から子どもを学校には行かせないで、親が責任持って教育的メニューを考え出して、自分が教師替わりになって子どもと日がな一日一緒に過ごすという方も増えてきているようですよ。こうした学びの方法をホームスクーリングと言ってアメリカなどでは就学児童の約1割が選択していると聞いています。

さてあなたは、以前お子さんのためにドーマン法を実践されていたことがあるとお聞きしましたがFCでどういう被害をうけたのですか。被害の実態があるなら堂々と相手先を訴えて賠償金でも勝ち取るというのが一市民としての真っ当な行動というものだと思いますよ。または身近に、そのような方がいる場合は支援していくということもある。繰り返しますが、あなたに被害があったとしても、相手はリハビリ方法の一つというなら、やはり全面的否定に及ぶ理屈はそれだけでは無理というもの。R少年の場合ばかりでなく、成功事例があるわけですものね。もちろん、私も一見してR少年がTVで実演していた文字盤(FC)は見たことがないだけに独特な手法と道具だとは思いましたよ。独特であるからこそ、人からなかなか理解されないということがあるのでしょうね。聴覚が不自由等の理由から発語できない人たちが手話を交わして会話しますが、この場合の手話にとても似ているとも思いました。

手話というものを見たことも聞いたこともない人は、ああして言葉を交わしているとはとても理解できないのではないでしょうか。声を出してしゃべるということを空気のように機能させて無自覚に暮らしている者は、発声できない人がいる事実さえ教えてもらわなければ分からないものです。見たことも教えてもらったこともなければ手話を見ただけでは、あれで会話しているとは思いもつかないのではないでしょうか。このように、上手に発声できな人たちがいる事実を深く理解していなければ、彼らに対する偏見は蔓延してしまいます。中には、しゃべれないということを持って即座に言葉がない、または言語能力がないとまで断定してしまう。これは外見からしか人を見ることができないからでしょう。無知からくる差別が起こります。この場合など、こうした人の存在をよく知らないままでいる「健常」な人たちのほうこそ罪があるように思いますよ。

> FCは、障害のある人たちが用いている単独のコミュニケーション
> 手段とはまったく別のものです。このことは、R君と同じように
> ドーマン法の訓練を通して、FCを取り入れた友人本人が
> いっていますので、私的には明らかに検証された事実です。
> どういうものかというと、本人に触れただけで言いたいことが
> 全部母親に伝わるのです。だから、文字盤を母親が動かしながら
> R君は全く文字盤を見なくても母親のコントロールで
> 文字がさしていけるのです。

「単独のコミニュケーション手段」とは一人っきりで話せる手段ということなのでしょうが、言葉のもつ性質や原理から言えば、一人きりということで成り立つ部分は少ないように思います。発語する最初の部分からして、単独性はそうそう大切なことではないような気がします。声にしても手にしても道具であると理解しておいて始めて言葉が他人に伝わる形になってくるのではないでしょうか。

どのように豊かな脳が存在していても、手だてがなければ決して言葉は外には出てこないものです。脳波を読みとるだけで明確な文章というものが構築できる可能性があるのかどうかなど、現在の研究がどこまで進んでいるのかは知りませんが、私の実感から申せば言葉とは、むしろ道具に付随して、たゆみ無く連続的に生み出されてくるような気もするのです。私の場合など、パソコンといつも使っている仕様の入力装置(キーボード、モニター等)がなければ、おそらく一頁たりともまともな文章は書けないと思いますよ。筆記道具があるなら、ある程度は可能ですが、もう10年来、文章を書くと言えばパソコンでしたから鉛筆をわたされて、さあ書けと言われてもノートや原稿用紙に向かったまま頭をかかえているに違いありません。筆記道具らしきものが一切ない場合。頭の中だけで人は文章を書けるでしょうか。一行づつなんとか思い描きつつ辻褄をあわせながらも次の文章を書いているうちに前に書いた文章はどんどん忘却していくでしょう。

道具がなければ、よほど特殊な能力のある人でなければ、一頁たりともまともな文章は構築できないと思います。このことをR少年にあてはめていけば、放送で見られたように少年の場合は、まぎれもなく文字盤と母親がセットになって言葉を繰り出す道具となっているのでしょう。もちろん、訓練次第で、どちらも代替は可能でしょうがね。私にしても鉛筆で書くしかなくなれば、難渋することは分かっていても、徐々にまた慣れてくるでしょう。いずれにしても、脳の存在をもってしても道具(喉、声なども道具)がなければ、たいした言葉は生成されていないと思われるのです。

ここで私が言いたいことは、その人が普段つかっている道具を取りあげたり、変えたりしてから、その人の言語能力を計ることはできないということです。出来たとしても能力の一面が結果として出てきているにすぎないということです。私の祖母は無筆の人でしたが、非常におしゃべりが好きで、また上手で興に乗れば、それこそ落語家のように1時間でも話をしてくれました。それも起承転結のけじめのある一編の物語りのようにです。この祖母に筆記試験を与えてみて彼女の言語能力のなにが分かるでしょう。答案は白紙のまま提出されるでしょう。おそらく祖母は、言語能力ゼロと「烙印」を押されて世間に広言されるのが落ちなのです。

> (FCは)普通のコミュニケーション手段でないことを聞いています。

誰だって喉の調子がよければ、発声してしゃべってもみたいでしょう。当たり前ですよね。聴覚が不自由で日本語等の言語体系を音声からは習得出来なかった人、またなんらかの事情により発声ができない人など、聴覚をもってコミニュケーションが出来ないから手話等を使うわけですよね。視覚の不自由な人には点字というものもありますね。先にも言いましたが健常者の場合は二つの感覚機能を上手に使い分けている。だからと言って、これが「普通」のものだと一般化して誰しもに押しつけることはできない話だろうと、私は主張しているのです。しゃべることの困難な人。書くことの困難な人。いろいろいるのです。別の方法をなんとかして編み出したのではありませんか。手話は「普通のコミニュケーション手段」ではないとでもお考えですか。通訳はどうです。点字はどうです。アイヌ語はいかがです。既存の言語体系に正しく従うことよりも、今の気持ちを必要な人に、身振り手振りをふくめてなんとしても伝えることのほうが人にとっては大事なことではないでしょうか。その身振りが見たこともないとか、マナーに反するということで禁止してしまったり、無視したり、一切読みとろうとこちら側の努力を放棄していたのでは、どういうことになるでしょう。コミニュケーションは不全です。いつまでたっても。障害者とのコミニュケーションに困難が出てくるのは、障害者のせいばかりではないのです。彼らの固有なコミニュケーション手法を読みとろうという努力が、われわれに足りない場合が多いような気がしますよ。明瞭に話ができなければ聞く耳持たないというのでは、永遠にコミニュケーションは成立しません。

以前、私の祖母のことを少しお話しました。彼女は無筆であるかわりにおしゃべりが上手で得意だったと。でも、朝から晩まで四六時中くっちゃべって暮らしているわけでは、もちろんありませんでした。気持ちが乗っているとき、それに周囲に気に入った人がほんの二三人いるときに限られていましたね。話が上手だからといって、本格的に講壇に座らせ、さあ時間はたっぷりあるから好きなことをしゃべれなどと言われては、かえって一言もしゃべれずに泣き出してしまうのではないでしょうか。こうした様を見ただけでは、彼女の中には優れた言語能力があるなどと誰が分かるでしょう。そして、こんなことばかり続けていたら、祖母はいっさいしゃべることをやめてしまうかもしれません。まっとうに言葉を使うということと、自分のしゃべくりに格差を感じるからです。しゃべることに罪を感じてしまうのです。ましてや北関東のべぇべぇ言葉。共通語でなければ誰も振りむきもしない、誰も祖母の話など面白く思わない、ということが祖母に伝われば、祖母の言葉は死ぬでしょう。いたって簡単なことです。二度と発信されてこなくなる。

言葉には、こうした側面があるということです。祖母の場合など、聞き手でさえ補佐役なのです。言葉がコミニュケーション手段であればあるほど、言葉は人を選んで、時には寡黙になり、時にはとうとうとあふれるように出てくるのです。ひとえにこちらの発する言葉がよく受け止められ、容認され、喜ばれる予感のもとに、質量豊かなことばが発信されてくるように思われます。いつかTVで見たのですが、30歳になる自閉症の息子さんの様子が写されておりました。視聴者のわれわれには息子さんの言葉の意味がほとんど分からないのです。極端な言い方ですが、ただ、わめいているようにしか聞こえない。でも30年間連れ添って、愛情をかけて育ててきたお父さんとお母さんにだけは、彼の発語の逐一が明瞭に伝わっているようでした。こうしたお父さん、お母さんにこそ私はいろいろな意味から自然と頭が下がるのです。

548 名前:takitaro2000投稿日:02/06/19 19:28
目的は、NHKのまともな検証番組と、流奈君の本の全ての絶版。
見込みはわからんけれど、するしかないっと。
それから、本(「異義あり 奇跡の詩人」)は、「流奈君と一家の叩き」
では決してないです。たぶん、温かい本にできたと思う。


そこまで分かっているなら、もう少しきちんと認識したらどうだ。少年は言葉を発しているんだろ。最初から、そのようにすんなりと納得しておけば、すべて辻褄があってもくるのだ。君の邪推も解決するんじゃないのか。少年から言葉が出ているはずがないというのは、感情論からくる抗弁、詭弁に過ぎないよ。少年の問題ではない、君の言語をつかさどる君自身の脳内問題なのだ。有るものを無いと証明するには、君のように詭弁弁証法が用いられる。有るものを無いと抗弁するには、困難だ。説得力が出てくるはずもない。私も、少年の言語活動を疑問に思う君の気持ちも、多少ならば分からないではない。だが、そうなると現実に写された事象の、なにもかもを否定しなければならなくなる。このたびの運動は、君のような邪推から発せられた感情が組織され運動としてZNHKの番組否定として始まったわけだ。見てごらん、彼らは半年経っても理屈も論理も一歩たりとも進まない。現実と自分の脳内邪推の辻褄があわないからさ。事実としてすでに有るものを無にはできないからさ。こうして君の主張も底が割れてきたじゃないか。

君の結論は強引すぎる。事実として現出してきたものを否定にかかるというのは論理的に言っても容易なことではない。いずれにしても「言葉」というなら、本人の自己申告を容認する以外に科学的検証などという方法はないのだから。こっちが読みとれるかどうかにかかっているようにおもうのさ。言葉は記号だよ。子どもにとっては泣いたり笑ったりすることでさえ、最初の言葉だとは思わないのかい。今回の少年についてオラが最も懸念をしていたのは、例えば国をあげて少年の言葉は少年のものではないと、事実などどうあれ政治的に決着してしまう・・・・ようなことがあれば、それはそうなってしまうのさ。今まで言葉を出していた少年が、二度と言葉を出すことができなくなる、ということはあり得る話なんだぜ。それを政治というんだろう。こうしたセンスに欠けていたのが滝本弁護士だ。想像力が欠如している。自分たちの運動が大きくなってやがて多数派となる夢を見ているだけなのさ。先日国会で某議員から政府NHKに質問が出されたが、あれが運動一派のねらいさ。まかり間違って、国会でなにか決議されたりしたとしたらだよ。少年はどういうことになるのかね。少しはこうしたことを想像してみればよい。

さてかように、事柄を政治的に見るなら、一人の子どもの「言葉」など吹けば飛ぶようなものなのさ。言葉ばかりではない子どもの命がそうであるように、子どもの言葉も社会の庇護のもとにあるとオレは思っている。公社会もそうだが、直接的には親なり保護者なりの力によってかろうじて明日の命が保障されているのが「子ども」というものだ。誰かが守っておかなければ「子ども」は世に出てこないばかりでなく、ときには完全に海の底か社会の底に押し込められてしまうのだ。


 

 

 

 

 

 

 

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▼祖母のことなど

2013年10月17日 | ■風評加害の露店犯

いまから八年前ほどになるか。

NHKテレビで「奇跡の詩人」と題されたドキュメンタリ番組が放映された。

幸いなことに、わたしは何一つ予備知識もないまま、その番組に感動した

まま見終えた。当事、インターネットが普及してまもなくのころであり、

2ちゃんねるなる掲示板は隆盛を極めていた。当サイトを見れば、

この番組を根本的に否定する一群の輩たちが、大騒ぎをしていたのである。

番組は足も手も思うようには動かせない、12歳になる重度の障碍を得た少

年が、母や父やの協力を得て、このたび本を刊行するという。その手法が

独特だった。

少年は、発声できないのである。

よって、母親が少年をひざに抱き、後ろから少年の眼前に「あいうえお」が

配列された文字盤をかかげ、片方の手で少年の手をささえ、一文字づつ、

少年が書き綴る手差しを、母親がまた、読み取って口承するのである。

これが少年と家族が獲得した言葉の全面的方法だった。

すぐ、そばに父親がいて、母親が一文字づつ読み上げる「文」をワードプ

ロセッサーに入力しているのである。

番組は、少年が繰り出す作文が本になる過程を追っていた。

それだけのことである。

ネットでは、これは嘘だと、そんなはずはないという者たちが大威張り。

こんな虚偽がテレビでまかり通させてはなるものかと勇んでくる専門家も

多かった。その双璧が滝本太郎弁護士と自称ジャーナリストの有田芳生氏で

あった。

わたしは、彼らを相手に、その主張がいかに間違っているかを力説するのが、

面白かった。

 

++++++++++++++++++++++++++++++++

 

どのように豊かな脳が存在していても、手だてがなければ決して言葉は

外には出てこない。

脳波を読みとるだけで明確な文章というものが構築できる可能性がある

というような研究もなされているとは聞くが、私の実感から申せば言葉と

は、脳の存在論的な機能よりは、むしろ道具に付随して、たゆみ無く連続

的に生み出されてくるような気がする。

私の場合など、パソコンといつも使っている仕様の入力装置(キーボード、

モニター等)がなければ、おそらく一頁どころか三行たりとて、まともな文章

は書けないと思うのである。

その他筆記道具があるなら、ある程度は可能だろうが、この10年来、文章

を書くと言えばパソコンでしたから鉛筆をわたされて、さあ書けと言われても

ノートや原稿用紙に向かったまま頭をかかえてしまうに違いない。

さらに筆記するための道具が一切ない場合。

頭の中だけで、人は文章を書けるだろうか。

一行づつなんとか思い描きつつ辻褄をあわせながらも次の文章を考えてい

るうちに、事前に記憶しておいた一行は忘却してしまうのである。

道具がなければ、よほど特殊な能力のある人でなければ、一頁たりともまとも

な文章は構築できない。

このことを流奈少年にあてはめていけば、放送で見られたように少年の場合も、

道具があってこそ文章も書け、それをさらに推敲し、編集し、本にもなるのであ

る。

流奈さんの場合は、文字盤と母親と、ワープロを打つ父親が三人一組がセットに

なって言葉を繰り出し、出版にもこぎつけたのである。

いずれにしても、脳の存在のみで、道具(喉、声なども道具)がなければ、人間、

たいした言葉は生成されて来るはずはないのである。

ここで私が言いたいことは、その人が普段つかっている道具(方言なども広義に

いえば道具である)を取りあげたり、変えたりしてから、その人の言語能力を計る

ことはできないということだ。

出来たとしても能力の一面が結果として出てきているにすぎないということである。

私の祖母は無筆の人だったが非常におしゃべりが好きだった。

お話が上手で興に乗れば、それこそ落語家のように1時間でも二時間でもぶっ続

けで話をしてくれた。

それも起承転結のけじめのある一編の物語りのようにである。

この祖母に筆記試験を与えてみて彼女の言語能力のなにが分かるだろう。

答案は白紙のまま提出されるだろう。

おそらく祖母は、言語能力ゼロと「烙印」を押されて世間に広言されるのが落ちである。

朝から晩まで四六時中くっちゃべって暮らしているわけでは、もちろんない。

気持ちが乗っているとき、彼女が話をするのは周囲に気に入った人がほんの二三人

いるときに限られていた。

話が上手だからといって多勢の聴衆を前にして演壇に座らせ、さあ時間はたっぷりあ

るから好きなことをしゃべれなどと、命じられては、かえって一言もしゃべれずに泣き

出してしまうのではないだろうか。

こうした様を見ただけでは、彼女の中には優れた言語能力があるなどと誰が分かる

でしょうや。

かような環境が日々続いていたとなれば、祖母はいっさいしゃべることをやめてしま

うだろう。しゃべることに、罪を感じてしまうからである。

彼女は、黙して語らなくなるに違いない。

言葉には、こうした側面があるということです。

祖母の場合など、聞き手でさえ道具なのです。

いつかTVで見たのですが、30歳になる自閉症の息子さんの様子が写され

ていた。

視聴者のわれわれには息子さんの言葉の意味がほとんど分からないのです。

失礼な言い方だが、ただ、わめいているようにしか聞こえない。

でも30年間連れ添って愛情をかけて育ててきたお父さんとお母さんにだけは、

彼の発語の意味が逐一明瞭に伝わっていた。こうしたお父さん、お母さんには、

いろいろな意味から自然と頭が下がる。

 

<2004.02.20 記>

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▼親こそ最良の教師たれ

2007年04月17日 | ■風評加害の露店犯

だらしないジャージー姿の教員が跳梁跋扈する地元の学校へ誰が我が子や孫を行かせる物か!
 
言うは易し、行なうは難しってわけでもあるまい。だが、考えてみれば、意外なことに、わが子の学校選択という面だけのことなら方法はいろいろとあるものだ。それを知らないで声高に全国一律の基準を求めて、わめいている衆愚があまりに多すぎる。運動で教育は解決せん。教育問題は、わが子の問題だ。全国一律の制度が、わが子の教育となんの関係がある。戦後民主主義だかなんだかは、知らないが、問題のすり替えがなされた。日教組運動や市民運動が悪かったとは言わないが、公私の見境がつかなかったとは、言えるだろう。四半世紀前は、今になれば、いかに見苦しい要求運動であったがわかるのだが、悪名高き高校全入運動なるものが、全国に公然と立ち上がったのだ。これが日本の悪いところだ。

考えてみろ、金があるのか知恵があるのかは、知らないが、さっさと私学に入れてご満悦しているご立派な親御さんたちもいる。さすれば、周囲からなんと言われようと全国にある名のある良き学校を求め、ツテをたどって隠密にわが子を越境させるのも悪いことではあるまい。中にはどうしてもわが子が心配だからと、周囲からの非難の声にもめげず、わが子の通学に、わが身を賭して毎日送り迎えを欠かさない熱心な親もいる。そればかりではないぞ。学校の中まで親が入って、わが子の学校生活、勉学に付き添っている親もいた。やむなくそうしたのか、望んでそうしているのか、それは他人には関係のないことだ。話題の乙武洋匡さんの場合も、親はそのようにして彼を地元の区立学校に通わせたと彼の著である「五体不満足」に書かれていた。彼も立派だが、彼の親御さんの見識こそ見事と言うべきものなりや。体を張って、彼を教育したのだ。それができるのは親の特権にござ候。
 
さらに、学校なんぞ面倒だと、いっさい通わさないで、家でホームスクールに励む、独特な親もいる。自慢じゃないが、わたしは最後の手法を選んだ。願ってそうしたわけではないが、なんとなく、そうなってしまった。学校なんぞ、行こうと行くまいと、教師が立派であろうとなかろうと、親さえしっかりしていれば、子どもは立派に育つという自説を持つにいたった。だが、人にはなかなか、わたしの自説は伝わらない。そりゃそうだ。なにも理屈にしたがって実践してみたわけのことではない。たまたま、私の子どもの15歳あたりまでの、暮らしぶりが、そうであったというに過ぎない。親はわが子の感性に、したがっていたというだけだ。私の息子の場合は、少なくても15歳までは、学校はこれっぽっちも必要がなかった。それだけのことにござ候。

> 私の息子の場合は、少なくても15歳までは、学校はこれっぽっちも必要がなかった。
 
などと豪語したが、明らかにこれは言いすぎどころか誤っている。学校に、行こうと行くまいと、学籍はある、というのが義務教育制度の良いところだ。原則6才になれば、誰でも学校に通いたければ通う権利を有しているというのが、義務教育である。子どもにとっては市民権、または国籍のようなものである。
 
これが保全されていることを知って、親たるわたしも安心して、子どもを無理に通学させる必要はないと心得たのである。つまり、ほとんど学校を休んでしまっても、卒業できるという免罪符のようなものである。原理的に議論するなら、ここにはさまざまな問題が浮き彫りになる。学校に来ない、明らかに学んでいない、教育を受けていない子どもを、なにゆえに卒業させることができるのか、という問題がある。
 
だが原理的には、この問題は永遠に解決しないだろう。曖昧模糊のままのほうが、当事者は助かるということがある。なにもかも数値のもとに基準を立てて、厳密に検証すれば、なにか良いことが出てくるというものではない。まじめに学校に通ったからといって、相応の学力がついたとも限らないのだし、ほとんど学校には通ってこないからといって、まったく学んでいないと、誰が決め付けられる。
 
そもそも学校に通わなかったら欠陥人間にでもなってしまうのか。そんなことはまったくないのである。特別の場合を除けば、読み書きソロバンの基礎程度は家庭生活や遊びの中で、多くの子どもは習得してしまっているのが通常だ。
 
本を読む習慣?
馬鹿なことを言うんじゃない。そんなスローガンは本屋と学校が結託した販促用の謀略だ。
 
高等数学?
勘のいい職人の技に数学が勝てるか。数学なんぞ、何ひとつ腹の足しにもなるまい。

そこで、貴公の根底にある物の考え方というものを考えてみた。結論は、なぁんだということだ。君も制度ほしがり、またはお上頼みという点では、日教組と同じじゃないか。どっちが表か裏かは白根山。ちょうどよい、メダルの表裏をなしている。
 
日教組の主張にしても君の主張にしても、根は同じじゃないか。箱物政策以上には出ないのだよ。建物さえご立派に見てくれよければ、それで人々は、幸福だろうという近代の迷信だ。教師のありようも、建物を評する以上には出まい。学校や教育を、政治的に語って、なにが出てくるのかね。制度をもって人個人の幸不幸は測れない、ということを知らねばならない。
 
第一、カリキュラムからして、幻想の産物ではないか。なぜに日本の子どもは英語を学んでいるのかね。二十億の人々が使っている隣国言語の存在を、よくも忘れていられるものだ。おそらく英語を学ばせるなんてのも、多数決の原理以上のものではないのだ。さもなければ明治以来の、行きがかりか。かように、学校で採用されているカリキュラムからして、夢物語の如しなり。ほったらカリキュラムに従おうと、そうでなかろうと、人生になんの関係があると申すのだ。

人の親たるもの、そうした原理的なことを、少しは歴史的に考えてみる習慣をつけたまえ。いつまでも目先の現象にたぶらかされたまま二項対立の黒白漫才に明け暮れているから、ピーピーピーピーと不平不満がやまないのだよ。口から出てくる言葉といったら、朝から晩まで、お上頼みの人頼みだ。子どもの教育がごとき、自分でなんとかしようとは、決して思わない。すべて社会の責任だと、言う。それは人生の価値を社会に転化することだ。幸不幸の実感を無にすることだ。
 
苦労を毛嫌う。苦労は社会のせいだという。なんという、だらしない人間ばかりを作ってきたのだろう。いっそ子どもなんぞ産むな。現代のわれわれは、もはや子どもを産んだり育てる生物学的な才覚がないのかも知れないね。

コメント (2)
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▼自立と介護と福祉と教育

2003年05月22日 | ■風評加害の露店犯

支え合うのも人間社会のええところだべ。電動車イスもええ、だが人に押してもらう車イスもええものだべ。こっちのほうがええというのは個々人の判断だ。だからと言って片方は自分にとっては用なしだからと排斥するのは大人のやることではあるまい。相手を認めることを「受容」とか「理解」というのじゃないのか。

それも能力のうちだというなら、理解の程度は相手を思いやる想像力が試される。排斥の方向ではなく寛容な態度を保つ心を持たねばにゃ。子どもに向かって「人に優しくしろ」とよく言える。大人たちのやっていることをみろ。その有様では、いつまでたっても世の中はよくならないぞ。

つい先だってなんぞ、若さを誇るご隠居はんの自分でしならない健忘症をわざわざ指摘診断してやったところ、えらく感謝されちまったところでごわす。なにせ年寄りは大事にせねばのぉ。

それにしてもさすがmtはんだすな。ほれ「受容」というキーワードの料理法のことさ。もう少しご高説をお聞かせ願いたい。ただ、素人のオレがおもうに、言説だけでは間に合わないよな。行き着く先を「方法論」求めだけにしてしまったんでは、誤るのでなかんべか。

「受け入れる」にしても「突き放す」とか「自立」にしても、根は同じことのように思うぜ。瞬時に相手の出方によって、感受するこちら側の対応も変化させていく・・・というのがコミュニケーションあらかると。そうそうどっちかに決めつければええつうものではあるまい。

とりわけ我が子の障害がとても重度であるというような場合。これはもっと深部に及んで、出方論を使い分けていかねばならないのだろうね。それについてはオレも、保護者のみなみなさまには頭が下がるよ。深い感性を鍛えておかねば、受容と言っても自立と言っても混濁するばかりで、明晰な意味は失せていく。ガッコの集うバカ親たちが、子どもを誉めるのがよいか叱るのがよいか、なんてバカ話に花を咲かせていた馬鹿な80年代後半があったぜ。

それよりいっそ、保護者の目の黒いうちは、ずっと我が子の世話をしていくということもあり得る話だよ。我が子次第ではね。それに、おおざっぱな言い方でわりいがよ。
 
基本はそこだろ。障害の有無にかかわらず、オラはそう思っているだよ。そのうち自立っぽいことをやる、または親に見切りをつけて、家出していっちまっただ、なんて現象をして「自立」ということなんだから。別にご立派なことではないよ。自立とかカッコつきの教育なんてね。

この世話をしなければならない部分が、技術や専門家や施設や、介護システムなどによって、多少肩代わりできているちゅうことだろうがね。もちろん進展することを望まないわけではないんが、我が子とはいえ一人の人間だ。すべての局面を全面的に他者に依存したがる心性のほうこそ、問題があるんじゃなかろうか。

極論めくが、全面的に依存するということは、恐ろしい話だよ。話が、こうした社会化の方向に行く傾向こそ、気をつけたいと思ったまでのこと。親が支え合うという言葉が聞こえはよいし、美談だが、一方、そうしたことが苦労だと言ってだ。たしかに、それは苦労だが、我が子の世話を他力に依存してしまうということは、親子の関係が薄くなることは確かだ。つっぴな言葉を入れてわりいが、社会が病院化されるということだよ。

高齢者は、家族から引き離されてホームなりに入る・・・現代は、その傾向がある。これは老人だけでない。インフラの整備というかけ声でハコモノが作られる。これは何を意味するか・・・家族がバラバラにされていくことじゃないのか。それでよいのか、という心配がつきないわけさ。

だから、受容とか自立というのは、方法論だけの問題じゃないよ。方法論ばかり求めていると、赤信号みんなで渡れば恐くないの、人でなしになっちまうような気がしてならないわけさ。もちろん自助努力だけでやりくりしろなどと言っているつもりはないのだがね。

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▼親こそ最良の教師なり

2002年11月14日 | ■風評加害の露店犯

アタシには、辛いリハビリを強いられている彼の目が、悲鳴を上げているように見えてならなかった。

クラスちゃんこんばんは。上のことだけどね。あなたがここに情報板からわての記事を無断コピペしてきた中に書いておいたんだけどねぇ。コピペしてきた当人が読んでいないんじゃしょうがないわよねぇ。もちろん、あなたのお気持ちは重々わかるのよ。でもね。なにかに夢中になっていたり、明確な目標に向かって打ち込んでいたりするときって、子どもだって、それこそ目をむいてがんばるものだと思うのよ。そういう子どもを他人が見ると、おうおうにしてクラスちゃんみたいな感想が漏れたりするけどさ。そこはこらえなければね。もちろん滅多に見られないことで、それが現代の子どもたちの不幸とも言えるわね。

義務学校の授業などで、こうした有様を期待することは絶望的だわよ。嫌いだ嫌いだと言いながらも、やらなければしょうがないということが勉強一般になってしまっているものね。もちろん学校によって、教師によって、また子どもによっては全部が全部そうだとは言えないけれどね。ここがまた大事なところよね。ほとんどの子どもが辛い苦しいことだと思っている教科の勉強なども、外れたところに活路を見いだしているというような子どもも結構いるわけよ。私の息子などそのよい例を見せてくれたわよ。不登校のことは何度もお話したけれど、中学校当時など学校にいかずに家で、ものすごい勉強していたのよ。誰に言っても信じてもらえないのよね。こういうことって。じゃ、どうしてましな高校に入らなかったとすぐ言われるわけよ。

今は18歳にして定時制高校に通っているのね。何を一人で勉強してきたか。いくつかあるけどね。言えることは受験勉強ではなかったようよ。そのやり方でどんなに面白く飲めり込むように勉強しても、高校受験には一切役には立たないというような事だったと思うのよ。そういうところに結構、子どもって目の色を変えて本気になってがんばってしまう、ひとつの鍵がある。それを親なら親が許せるかということもあるでしょう。私の場合は、不安だったけれどね。そりゃ、私だって役にたたないようなことに頭つっこんでいるとなれば、不安がつのるばかりだものね。

でもね。それを取りあげたら、彼の場合は学校にもいっていないのだし、もう死ねと言われるようなことではないかしら。許してやらなければいけないと思ったわよ。すると見る見るその方面(大したことではないけどね)での才能を伸ばしていったわねぇ。嬉しかったわね。私も当時から会社をやめて家でお仕事するようになったから、息子と二人でずっと毎日そばにいることができて、滅多にない幸福を感じちゃったわよ。今は夕方から通学しているけれどね。その勉強はね。今でも続けているよ。その集中力たるや、すごいよ。ただ私の場合は、子どもが障害児ではないのでね。少し話をずらせて聞いてほしいのだけれど。似ているような気がするのよね。教育の本質はね。だから少しなら参考になるかと思ってね。長々と申し訳ないけど、耳を貸してちょうだいね。

さて、それとは別に一緒に毎日の時にね。私は本を読んであげたのよ。二年間つづいたわ。そうね毎日2時間から3時間。かかさずだったから、その本が今でも彼の部屋に胸の高さまで届くほどに積み上がっているのよ。息子と私の勲章ね。彼には黙って読了した書名、頁数などの記録をパソコンに打ち込むのが私の楽しみ。本の形はいろいろだけど、百冊まではいかなったけど80冊ぐらいだったかな。計2万頁を数えたわよ。それも息子には、黙って私の前に座っていてもらうだけでよいとしてね。何の課題も与えなかったの。ひたすら私の朗読を聞いてもらうだけだったわ。

読み書き能力のなんたるかは、私もよく分からなかったけどね。今になって息子にとってよ。それが何の役にたっているのかも明確ではないけれど。大きくて確かなものが息子の心に醸成されていたことだけは、分かったわよ。喜びだったわよ。上の子のときにも、こうしてやればよかったとつくづく思っちゃったわ。上の子もやはり同じように学校には行き渋っていたけれど、やはり一日でも多く学校に行かせることばかり考えていたからね。出来なかったわけよ。休むことが本心からは許せなかったのよね。ま、上の子も悪くはならずにね。良い青年に育ってくれたのは、なにより彼自身が克服してきたものが大きかったということなのよね。親にはできることできないことがある。気がついていること、知らないこと、いろいろあるもの。それは仕方ないことよね。他の方でどんなに良い学校とかプログラムがあっても、それに乗っかるかどうかは、また子ども個々ですものね。だからと言って幸いだったかどうかも、いわば死ぬときにならなければ誰も何も言えないような気がするわ。

ムキになってもね。さんざんにお金を使ってもね。子どもが今元気に生きていることに比べたら、何の価値があるでしょう。私は、生涯子どもと支え合って生きていこうと思っているし、子どももそう思ってくれているようでね。ま、良かったと思っているのよ。子どもに関しては、何の不足もないのよ。二人とも私と同じで実質中卒よぉ。大学行かせればよかったとか、全然思わないもの。良い教育を与えることができたと、そう思っているのよ。まあ、こうしたことも、他の人にはよく理解できないようね。だからと言って他の家の子どもに学校には行かないほうがよいとは、言えないし、言う必要もないでしょう。また進学しないほうがよいとかね。そんなバカなことは言わないし、言えないし、私だって隣のお子さまが入学試験合格なんて耳にしたら、お祝いしちゃうのよ。いいでしょう。人それぞれ、その人と家族が喜んでいることなら、誰が余計なお節介できるでしょう。ほらよくおばあさんやおじいさんが、若夫婦の子育て教育に口をだすってあるでしょう。まさに老婆心って言うものだわよね。これはやめなければいけないわよね。ああ長くなってしまったわ。私ももう寝なければ、若くはないのだし。じゃあ、クラスちゃんお休みなさい。

以上2002.11.10 記

 

以下2005.10.10 記

さて、「奇跡の詩人」が放送されてから3年が経ちましたが早いものです。あの番組の主人公日木流奈さんも今年は15歳になられた。その後も執筆活動を続けていることと思います。いい本を書き続けてほしいと思いますね。

書くということを行為的に理解するための第一義には、世間でよく言うような才能という問題ではないと思っています。むしろ流奈さんに限っては、すでに何冊も自著を出されているのですから、これはもう彼の場合は職業と申してもよいように思います。

年少の子どもが、あのような言葉は使えるはずもないとか、あのような本を書けるはずもないという、二束三文の馬鹿者どもの的外れな言動がありましたが、そんなことはいくらでもあるのです。

私の経験ですが、次のようなことがありました。小学生の頃だった。夏のある日、町の広場にやぐらじたての舞台がし立てられ演芸大会のようなものがありました。当時はまだカラオケというもののない時代でしたが、さすがにマイクやスピーカーはありました。私は舞台からだいぶ離れた駄菓子屋さんの店頭で友達などとたむろしていた、そのときスピーカーから色っぽい失恋の演歌が聞こえてきたのです。

とても上手に歌っていました。それで、どこのあねさんが歌っているかと舞台近くまで行ってみると、なんと同級生のK子ちゃんでした。不思議な感慨に打たれたものです。私に同年の子どもが、思い入れたっぷりに恋の歌を歌っているのが、不思議でならなかったのです。それにK子ちゃんは、普段は実におとなしい目立たない子でしたから。

歌詞の意味する実態については無経験でありながら、歌詞の意味が、これ以上ないほどに、よく伝わってきてしまうのです。言葉のもつ魔力といいましょうか。さらに言葉に音楽がつくと、とても強烈ななにものになるのです。それは書き言葉、それ自体にも内在されているものではないでしょうか。

歌い手が歌詞の意味をよく知らなくても、ひとたび「歌」という形式に載せて表現してみると、大人の歌い手以上にその意味内容が美化されて誇大に観衆に届いてしまうのです。こればかりは、善悪の問題では計り難いところでしょう。少なくても私には、驚嘆すべき奇跡的な出来事でした。

さて、ネットなどを見ると、いまだに、02/04/28に放送された「奇跡の詩人」という番組は「異常に見えた」とか「いかさま」だと言っている人がいますが、私は素朴に感動を覚えました。

お涙頂戴とも根性物語とも違う、いたってさわやかな感動です。それはまるで大リーグに移籍して活躍しているイチローとか松井選手に代表されるスポーツ選手が一人もくもくと練習に励んでいる姿を見て感動を覚えるのによく似た感覚でした。

最近のその種の番組は、わきでナレーターが、どんどん物語を作ってしまうのではなく、できだけ主人公に話をさせるような傾向にあるようで、これはよいことだと思います。

インタビューに徹する。力士などもそうですね。マイクを向ければ、みんさん、率直によく話をしてくれるようになったからでもあるでしょう。イチローにはイチローからしか、聞けないような話をしてくれる。

これが感動を呼ぶのでしょう。私はスポーツは何もやりませんが、TVで見るのは大好きです。嫌いな種目はありません。見るだけなら、すべて好きです。

すっかりドラマが低調になってきましたから、TVも見てみたいものがないのです。どういうわけか活躍されている選手のみなさんには、知性的な感じがするものです。

昔からスポーツ選手は、ひとかどの話を持っていたのでしょう。自分だけの練習方法を編み出すなり、必ず誰と違った手法のようなものを持っている。そうした自分だけに特化した手法、または考え方を見つけた選手だけが成功していくような気がします。

これはスポーツ選手だけではなく、職業というものすべてに言えることのように思います。誰かが教えてくれるものではない、それだけではおっつかないという場面に立ち入ったとき、別途自分で何かを発見することが、最上の喜びなのです。

自信をもって大人になり、一市民になっていくような気がします。

「奇跡の詩人」の日木流奈さんの話に戻しますと、私はあの番組から、スポーツ選手の隠れた苦労話を聞いたり見たりしているときに感じるものとなんら変わらない感動を覚えたということです。

あの番組について私は予備知識のようなものは全くありませんでした。日曜の夜だったでしょう。

大河ドラマが終わって、すぐ後の番組だったと思います。そのままぼんやりと画面を見ていたら「奇跡の詩人」という番組が始まり。最後まで食い入るようにして見終わったのです。

たいした子どもがいるなぁと思いました。同時に確信をもって親御さん自らの体で、子どもとじかにふれあい、子育てと教育を行っている。一日中ですよ。頭が下がりました。

なぜ、そのように思ったのかというと私の場合は息子がいわゆる不登校で、その番組の放送される二年前までは、数年間にわたって滅多に外に出ることもなく、ずっと家にいたのです。

いろいろと迷いました。それでよいのだろうか。親の務めが果たせたと言えるだろうかと自分の責任を問う毎日でした。でも息子は、学校らしきものには、絶対に通いたくないとガンとして言うことをききません。途中から私の意識と考えが徐々に変わってきました。

ついには、息子の場合は、家にいたほうが、よく育つ。それが息子の場合の教育なのだと思えるようになったのです。

そう思えば、いろいろとやれることもある。無理して外に連れ出さなくてもよいのです。

以後、私が家にいるときは、本を読んで聞かせました。私が朗読し、彼は目の前に座っていてくれればよいという設定です。黙って私の朗読を聞いていてくれればよい。彼も私の朗読が好きになり、続きを読んでくれとせがんでくるようにさえなったのです。さあ、本を読もうかと問うて、一度も嫌がったそぶりをみせたことはありませんでした。

これが二年半に及びました。毎日毎日、2時間から3時間は読みました。約百冊、計2万ページ。終わりにしたのは、息子が定時制高校に入学したときだったと思います。

読み聞かせとか、対面朗読という言葉を後に知りましたが、その言葉だけでは満たされない何かがあった。私は昔から読書はまあ好きでしたが、声を出して読むということは、滅多にやったことはない。

これほど日常的に声を出して本を読むということは、誰しもないことでしょう。これがどれほど、言葉や文学という概念を私の中で新しくしてしまったか。

いまだに明言することはできていないのですが、文学や言葉というものに対する私の意識を根底から変革させてしまったことは、間違いありません。私の中で何かが大きく変わったことは確かです。

「理解」ということで、面白い経験をしました。不登校している息子と対面朗読の話を、友人たちや、同じような不登校の問題を抱える親御さんの集まりなどで、お話しすると、私の意に反して、多くの人が理解できないようでした。そんなことは教育的ではなく、やめるべきだという人もいたほどです。

つまり彼らが言うところをかいつまんで解釈すれば、中学生にもなって親から本を読み聞かせられて喜んでいるようでは成長が遅すぎる。まずは学校に通わせるべきだろうという意見です。私は、もう彼らに理解を求めることをやめました。

これは私たち親子だけが発見した教育方法にしておけば、それでよいと心した次第です。確かに自慢できるようなことはなにもない。無理に理解してもらう必要はさらさらないと得心しました。それにしても、私のほうがよほど楽しかった。

短編をいくつも読むというのは、どうも骨が折れるものです。なるべく長い物語を何日もかけて読むようにしたのです。新田次郎の「孤高の人」、新田氏の夫人である藤原ていさんの「流れる星は生きている」もこのとき読みました。

読んだ本の中でも「レミゼラブル」などは長い物語でしたが、長い物語だからこそ、その後の印象も深く強烈に残り、思い出も長く続きます。

レミゼラブルを全巻を読了したときは親子して、なにか大きな仕事をやり遂げたかのような満足感にひたりました。以後しばらくは、われら親子の会話は、いつもジャンバルジャンの行く末が心配になったり物語中の挿話を引き出しては、何度も語り合ったものです。中学校は卒業式にも出ずに卒業し、どこぞの通信制高校に入りましたが、半年でやめました。

次の年、入学した都立の定時制高校が望外なことに彼の気持ちにぴったりあっていたのでしょう。それに、その学校には小学校以来の地域の友達も通っていまして、実は入学するにあたって彼の強力な後押しあったのです。

入学試験には彼が父兄役で、息子をたたき起こし、連れて行ってくれました。親たる私はなにもしなかった。ノンキなものです。息子にしてみれば、喜んで入学したというわけでもなかったのでしょう。わけもわからず旧友に勧められるままに入学してみたというあたりです。だが、入ってみれば、それはそれは彼の気持ちにマッチした学校だったということのようです。

こうして4年間ほとんど欠席することもなく一昨年に卒業し今は私大に通っています。最終学年には先生方のおぼえめでたく生徒会長を務めたほどです。小学校の4年生から中学校の3年間、計7年間も家に閉じこもっていた子が・・・ですよ。立派なものです。親ばかちゃんりん。

以上の時のことが私には学校とか教育についての考えを血肉化されて規定しているようです。必ずしも学校に行かなくても教育はできるのだという自信がついたと申しましょうか。最後のころになると私は、息子と一緒に家にいることが喜びにさえなってきました。

自分が本を読んでやる。読み終わるとひとしきり本の話を材にした会話ができます。驚いたのは、子どもは記憶力がよいと言いますが、ストーリーの細かなところも、登場人物もすべてフルネームで暗誦できてる。実にきちんと頭に入っているのです。こうして家庭教育というものも隅におけないものだという確信を得ました。奇跡の詩人の流奈少年も学校には行かずに親御さんが、ずっと育て教育していらっしゃる。

そのことにまず、私の場合と似たような環境に共感を覚えたわけでした。子どもの良く見れば一人一人実に個性的なものです。学校に行かないというのも、なにかのきっかけがあってそうせざるを得なくなったのだとは思いますが、それならそれでよいと腹をくくれるまでには、なかなか行きません。

本音はやはり学校に行かないと心配でならない。学校で駄目なら、学校らしきものでもよいとか、弁解しながら探して歩く。とりあえずは、そうしたことはいっさい必要がないと決心しました。家にいて元気にして入ればそれでよいだろうと納得したのです。まだまだ10数歳の子どもです。二十歳に近くなれば、子どもの考えも変わるでしょう。いずれにしても正規の学校に通う、または入学する、卒業するとうとうの形式はできるだけ押し付けないように心がけて、様子を見ていたというのが真相です。

このように取り立てて障害らしきものもない子どもでも、ずいぶん違っているものです。ましてや心身に障害を抱えた子どもとなれば、肉体的な見てくれからしても、さまざまな個性というものが自ずと、他人や親御さんの目にも触れているわけです。これをどう理解するかという問題があるように思います。

われわれ個人に与えられた「私」性などというものは本当に狭い視野しか持っておりません。自己正当化や保身が強ければ視野はますます狭くなります。

だが、実際の世の中は、これまで逢ったこともないような新しい才能や見たこともない諸相をしめす人たちが、どんどん登場してくるのです。古風な固定観念に囚われているわれわれが新しき人間的諸相を、受け入れることができずに反発しているだけなのです。

 

 

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