赤いハンカチ

てぇへんだ てぇへんだ この秋はスズメがいねぇトンボもいねぇ・・・何か変だよ

▼大江戸の大みそか

2016年12月31日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016,12.31 千代田区 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   〃  港区

 

 

 

 

 

  〃  品川区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼年金で並木通りのカラオケや

2016年12月26日 | ■今丼政幸君との対話

 

2016.11.22 横浜市

 

 

 

南京ハゼ

 

 

 

 

 

本日、わたすがカラオケで歌ってきた日本の歌は以下のように多岐にわたった。
 

名月赤城山

勘太郎月夜唄

潮来笠

雨のオランダ坂

高原の駅よさようなら

上海帰りのリル

赤いランプの終列車

お富さん

哀愁列車

月よりの使者

緑の地平線

涙の渡り鳥

サーカスの唄

東京の灯よいつまでも

ああ上野駅

夢淡き東京

東京ラプソディ

東京の花売り娘

東京だよお母っさん

鳳仙花

津軽のふるさと

越後獅子の唄

ラバウル小唄

若鷲の歌

雨のブルース

別れのブルース

カスバの女

人の気も知らないで

 

などなど・・・・

 

上記のように私の場合は相変わらず懐かしのメロデー専門ですがわたしが心地よく歌える一番新しい歌としても戦後まもなく流行した「お富さん」とか「潮来笠」ぐらいなもので、だいたいが戦前から戦後も1960年ぐらいまでに作られた歌なのです。わたしが小学生の頃といえば、なんといっても文化全般がテレビに占領される前のことでしたのでラジオを中心にたくさんの歌謡曲が生まれてきたのです。巷では都会でも田舎でも大人から子どもまでそれこそ全国民がいつでもどこでも、なんらかの歌を口ずさんでいたのです。現代人には信じられないでしょうが当時の人々は、それこそ一日中自転車に乗っていても歩いていてもまた家事をしながらでもはなはだしきは便所からさえ歌声が聞こえてきました。民謡あり軍歌あり童謡あり、もちろん流行歌あり老若男女の誰も彼もがそれこそ四六時中なにがしかの歌を口ずさんでいた時代でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼目に射れり夜勤あがりの大判小判

2016年12月25日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.12.03 千代田区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼売れた本に良書なし

2016年12月20日 | ■文芸的なあまりに文芸的な弁証法

 

一年ほど前に刊行された石原慎太郎著『天才』がよく売れているらしいですね。まもなく100万部に到達する勢いであるらしい。うたい文句は田中角栄を一人称で描いた自伝的小説とのこと。わたしも買って読みました。だが、残念ながら批評するに足るような本ではなかったですね。

ところがですよ。ところが私は十年ほど前より、石原慎太郎さんが好きになってしまったのです。政治スタイルからだと思いますがね。彼は根っからの徒党主義者ではない。そこが良いのです。二流三流の作品に過ぎない「天才」を読んだ後でも彼に対する、この気持ちはいまだに変りません。

ときに逆の場合もありますね。若い頃読んで傑作だと思いこんでいたのですが著者が時代とともに高齢化して耄碌はさけられない。よからぬことばかりメディアの上で口走るようになる。彼に対して失望を禁じえない。するとどうしたわけか、ずっと以前には絶賛していたはずの彼の傑作もまた実にくだらない作品だと思えてきてしまう。

まっ、人間の批評眼なんてもんは、こんなものなのではないのでしょうか。いかが?

そうそう、ふた月ほどまえに芥川賞受賞作の『コンビニ人間』という作品を読みました。面白かったですよ。でも、それだけだった。物足りませんでした。筋が突拍子もなく大胆なのですが、肝心なものが欠けているような気がしたのです。

そう言う、わたしにも、何が欠けているのか、それが何なのかはぼんやりしたままで、明確に指摘することができないのです。その欠けているものの正体について、いまのところ、はっきりしていることは技術やら手法の問題ではないということですね。この本も売れているようですよ。とすれば世間というものは本物よりは、いくらか欠陥のある二流作品のほうが、よほど需要があるということになりますね。

 

 

 

 

 

 

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▼蒲田散歩のハンチング

2016年12月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

今日は、心して蒲田まで完歩してみようと志して家を出たのである。梅雨も半ばだというに、今日の日差しはいくらんなんでも禿げ頭にはきつかった。それで、陽光にあぶられて、頭の中身が、ぼうふら状態になりながら、ふらふらしながら、なんとか財布と相談しつつ蒲田まで行き着いた暁には、きっと帽子を買おうと今日の散歩の目的を不承不承にイデオロギー化して、自らを励まし励まし、歩み進んでみたのである。蒲田に行けば帽子が買える。こうして他愛もない目的が、われとわが身を励ました結果、久しぶりに蒲田まで歩きとおせた按配だった。さて、蒲田に着いたはよいが、どこの店に行けば、帽子が買えるのか、それがとんと分からなかった。行き当たりばったりで駅の周囲をうろうろしていたところ、ラブホテルの横に、じいさん婆さん相手の洋品屋があったので、よもや帽子はあるまいと冷やかし半分で入ってみたところ、それが暗に反して、年金おっさん用の帽子が三つ四つ、かもいの上のほうからぶらさがっていたので、いやいやながら、ためしにその一つをひっかぶって見たところ、拙者の禿げ頭に生地の肌がぴったりきて、摩擦が少なかった。頭に載せた布生地の具合が、夏本番にむけて、ますます良い心持がするに違いないと踏んだのである。これぞ拙者の夏用に作られた帽子に違いないと確信し、それで店主を相手に値引きにかかったが、負けてもらえたのは、たったの150円。こうして思わぬ大枚をはたいて、かぶって見た以上、引くにも引けず、しかたなく買って帰ってきたのであった。おかげで今日は久しぶりの二万歩記念日、老体にまたぞろ鞭うってムキになって歩いてしまった。ああ、足腰が痛い。


<記 2008.06.16 大田区>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼梅雨の晴れ間の大ガエル

2016年12月10日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

2011.06.24 世田谷区

 

 

 

 

 

 

 

上は5年前に撮った写真なのですが、当サイトを見て下さるみなさま方の多くも大いに蛙好きらしくこのところのこのカエル写真が記事別閲覧数ではダントツの一番なのです。そこで本日、最上段に再掲載させていただきました。写真としての出来不出来は私には分かりませんが実にハンサムなカエル君であることは、みなさまもお認めくださることと思います。愛情が沸いてきたと申しましょうか、ぜひとも彼に再会したいとの思いが募ってきましてカメラを携え何度か同所に出向いたのですが、いまだに会えずじまいのままなのです。そうした夜は彼のことが気になってよく眠れません。よもやトラックにひき殺されたのではあるまいか。さてまた近所の悪ガキどもに棒で叩かれ半殺しの目にあっているのではあるまいかなどなどと心配がつきません。今となっては写真のことなどどうでもよいのです。せめて息災であってほしいと祈るばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

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▼東京タワー美人説の由来を訪ねて

2016年12月06日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

<以下、2014.02.16 記>

 

 一昨日降った残り雪を踏みしめながら東京駅から日比谷通りを新橋そして芝公園と向かって歩いた。

 

2014.02.16 東京駅

 

 

 

有楽町

 

 

  

新橋

 

  

 

三田

 

 

 

 芝公園

 

  

 

二年後の冬のある夕暮れ時に別のカメラを携えて同じ道を歩いた。

 

 2016.01.22 御成門

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼仮説王 カール・マルクス

2016年12月05日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

 

 

科学は無誤謬である、などとたわけたことを言う人が多いが科学とは仮説のことだ。すべての科学が仮説だ。数も仮説だ、仮説を寄せ集めた数式も仮説だ。数学は仮説の化け物だ。もちろん「真理」などというものも仮説にひとつに過ぎない。正義も真理も仮説の範囲の中で、青息吐息で生息している概念だ。いっそ「真理」は無いと断言しておいたほうが哲学的には正しいのである。誤謬はあるが、無誤謬はない。生は「有」だが、死は「無」と言うに同義だ。誤謬=生であり、無誤謬=死を意味する。

仮説ごときをありがたがっている君のような意識が大手を振って歩いているのが現代である。結局人類はうぬぼれたまま、自滅していくしか道はない。

いわしの頭もなんとやらと言うが仮説も同じだ。どんな対象であれ信奉しはじめたところから、それらは「迷信」となる。迷信はいわしの頭だけじゃないぞ。さんまでも腐ったさばでもなんでもよい。もちろん宗教だけはない。憲法も教育基本法もすべてが迷信のなせるわざだ。迷信にだまされるのも、だまされたふりをするのも、結構けだらけ猫はいだらけってなものさ。

それもまた世間のいいところだ。いちいち迷信だからと取りざたしていると、世間を狭くする。人生がつまらなくなる。だが、かようなことを田吾作に話しても甲斐もないことか。田舎っ屁には理解の遠い話だろう。われわれが遭遇するあらゆる世界に誤謬はあっても「無誤謬」などということは、あり得ない。

ヘーゲルとマルクスの関係を知らないのはご愛敬としても、マルクスが唯物論で、ヘーゲルが唯心論つーくらいは知っとけよ。

偉そうに君は言うが、そのような図式を与えたのが、そもそもマルクス、エンゲルスであった。マルクスはもっと端的に言っている。「ヘーゲルは逆さだ」と。つまりヘーゲルは君の言う「唯心論」に陥っていると。だが「心」を「物」に、ひっくり返して説明してみれば、論理も理屈も使い物にはなることに気がついたのだ。ヘーゲルの「逆さ」とはマルクスの自説に近似していることの発見だった。全体を壊す必要はないということだ。いわばヘーゲルは逆さだと述べたマルクスの心境たるや、ヘーゲルに対する共感であり、絶賛していたとも言えるだろう。そこで、マルクス、エンゲルスはヘーゲル「唯心論」の中核的概念として、彼の著書にあふれかえっている「神」や「宗教」をはじめ、いくつかの重要な概念を別の言葉に、ちょっくら入れ替えてみたというわけさ。いかにも旧体制の社会意識を説明している「神」や「宗教」を、別の言葉に置き換えた。

その際、「数理」を使って説明する近代「科学」の手法、その結実としての「経済学」だ。後の世になってマルクスの後継主義者らが、どいつもこいつも偉そうに、マルクス以後の左派理論の正統性を「科学的社会主義」と自称し自慢しているではないか。いうまでもなく「唯心論」の「心」とは神と宗教を意味し、「唯物論」の「物」とは現実社会の人間的諸相の分析をもって説明するということである。

すなわち社会は科学をもって説明できるとしたのである。唯心論と唯物論に分別することは、マルクス主義の最初の出来事である。あらゆる過去の哲学を唯物論か唯心論に二分することだった。早い話レッテル張りだ。そして「心の叙述」を旨とする宗教を初めあらゆる「唯心論」を糾弾し廃棄した。哲学といい社会学といい、その叙述においては「心」に向かう方面は捨て去る。「心」や「神」をいくら説明しても社会の進展はみられない。よって「物」を基軸とする。新しい哲学は人間と社会がおりなす現実的諸相を対象とする。これが「唯物論」である。いわば唯物論とは、そのまま科学の総称ともいえるだろう。

 茫洋とした人類の歴史も「現在こそ最高である」と明言しているヘーゲルにならえば、歴史科学は、もう一歩のところまできていた。あとは数値を当てて実証してみればよい。より「物」的な論証を重ね、さらに数字を当ててみれば誰から文句のこない説得力が備わってくる。歴史は時間であり、経済や政治は空間上の出来事である。いずれも区切れるだけ区切ってみる。既成概念をさらに分断分析するのである。区切った部分に定義を与え名称を与え分類し、新しい概念をあたえ、価値に応じて数値を与える。これらをさらに結論に向かって思い通りにきったはったと統合し抽象化してみればよい。これらいっさいが科学というものだ。

 人類の歴史と政治経済を対象に、この科学的手法が投入されマルクスは「資本論」に結実させたのである。だが、「心」から「物」への視点変更もまたマルクスかエンゲルスかは忘れたが、どこかで書いていたように、やはりヘーゲル自身が残した文章の中にあったという。うろおぼえだが、最高の到達点(現代のわれわれ)から見れば、過去の未到達地点というものが、まざまざとよく見えるのだが、その反対はあり得ないというようなマルクスのセリフを思い出した。これぞ、ヘーゲルが「現在こそ最高である」と言ってのけた素朴な観念論の焼き直しではないのか。

マルクスは、現在という時間的基準をヘーゲルの「現在」に比べれば、わずかに先延ばししているようにも見える。先延ばしするための担保はなにか。芸術家の場合は想像力だ。マルクスの場合は経済学である。科学の力こそ、未来の現実を十分に予測させてくる。よって人類の最高地点は、現代の、さらに先にあると保証したのである。やがて搾取された労働者が革命を起こし天下を取り、商品が大手を振ってあるいている資本主義は終わるだろうと。これまでの歴史は前史にすぎない。人類の輝かしい「正史」は階級のない社会が訪れた暁(革命)から始まるのだと。

ヘーゲルこそマルクス主義の母である。そしてこれまで言われている以上に、この母子の相貌は酷似しているようだ。

こんにちは。日共の欺瞞性とは同感にて、その通りですが、そのような言いかたをするなら、なんとでも言えるのではないでしょうか。揚げ足取りにござるよ。
政治とは、ようするに「勝てば官軍」なのですから。負けてしまえば、当時の説も理もゴミ同然ですよ。ましてやキレイ事を積み重ねていれば、勝てるという道理はどこにもない、それが政治でしょう。共産党の誕生からして、考えてみれば、なんの深い道理もなかった。ロシア革命の影響でしょう。

扇動されていただけですよ。ロシアのような社会主義を憧れていただけでしょう。マルクス主義とはいえ、たいした理屈を最初から分かっていたわけではない。平等社会すなわち社会主義や革命に対する行動的憧憬があった。それが各国に共産党を誕生させた。欧州の党以外はすべて、単純な憧れから発生している。

で、二十年前にその網元共産党が解体しちまった。で、世界の共産党はつぶれた。これも当然至極のことなりや。現在、日本にあって青息吐息でやりくりしている党は、もはやマルクス主義でもなんでもないでしょう。残りかすか、死骸の尻尾みたいなものざんしょ。はっきり申して、ロシア共産党が解体された時点で、社会主義は終わったと見なければ話は先には進みません。わたしはそう思います。

日本共産党は往生際が悪い。その点、社会党はいさぎよかった。ミヤケンは俗物以上には出ないでしょう。舎弟の不破、上田兄弟は、なんとか穴埋めしようと腐心していたようだが、世の流れには逆らえない。社会党を壊した、土井たか子氏はいさぎよかった。ミヤケンなんぞにくらべれば、なんぼか立派だったと思う。

近年の政治闘争を振り返ってみて注目するのは、政治スローガンに見る「反対」表現を好み、粉砕表現を嫌う裏意図である。

それは院内闘争と院外闘争の腑分けの問題ですよ。議場内でデモっては、票がのびない。かりにも議会制民主主義を奉じる公党が、国会の議場でデモってみたり、いちいち粉砕をさけでいたんでは、国民からそっぽを向かれるでしょう。テロは通用させない、これがマルクス主義のもう一つの主張だったことは、あなたもよくご存知のはず。よって共産党は革命を捨て、いまや欺瞞に満ちた体制内政党だと非難され続けた。当然のことなりや。これも政治ですよ。わたしはなんにも言わない。
テロは、金輪際許されないとも思わない。
それほど革命がすきならテロしかないでしょう。
選挙なんぞ行く必要ない。勝手にやってみればよい。
飛行機をぶん取って東京タワーにでもつっこんで見ればよい。
後世に賞賛されるだろう。
政治とは、そういうものさ。ちなみに、おおっぴらにはいえないが、数年前のNY貿易センタービル事故の映像を見た瞬間、私の内心には快挙を叫ぶ声があったね。他の人間がどう言おうと私はかまわない。命を賭した彼らの民族主義的志を、わたしは褒めておきたい。あれは形を変えた特攻隊精神だと思ったね。一種の武士道だと思ったね。わたしはできないが。できると思っている人はゴタゴタ言っていないで、やってみればよい。それが革命というものだ。人にやらせようとしたり、革命もせず、革命的言辞をもてあそんで、人をして下働きさせておき、自分は椅子にふんぞりかえっているような奴は愚劣だ。それがミヤケンのすべてだったと見ている。言及するにも値しない男だ。

極端な言い方ですが、マルクスを生かすなら共産党を捨てる。共産党を生かすならマルクスを捨てる。旧ソ連崩壊後の社会主義は、このいずれの選択が迫られていた。自慢するわけではないが、わたしは前者を採ったと振り返ってみてそう思います。ただし、マルクスも仮説に過ぎないということが最近分かってきました。そればかりではない。理屈や学説さらに科学と称されているあらゆる言辞言説が、仮説なのです。その意味ではマルクスに責任はありません。レーニン以下、マルクスを神聖視して人々に押し付けた有象無象の能無しが馬鹿すぎたという単純な話です。神聖視するとは信仰の対象にするということです。われわれが語っているマルクス主義とは宗教としてのイデオロギーのことですよ。仮に歴史や社会の一現象を説明するにマルクス主義が優位だという面があるなら、それはいよいよ仮説であることを証明しているのです。

分かりやすい説は、みな仮説です。人間というものは安易だ。真理や真実というものは、人の手の届かない深い部分に隠されているということを知らない。真理や真実に到達するためには、どれほどの労苦をかけなければならないのか。それを知らない。偉そうな専門家の話などを耳にすると、たちまち自分の頭がよくなったような気がして、彼に傾倒し心酔がはじまる。仮説もよいところの、仮説の一片を手にしただけで、人々はさも真実を知ったかのように大喜びだ。人間とは馬鹿なものよのぉ。

ソ連崩壊以前のん十年前から、ソ連の在り方が本来の社会主義のものになっていない、むしろ社会主義運動の敵対物になっているとは早くから指摘されていた訳で・・・

問題はここにある。つまり本来の社会主義とは何かという認識、あるいは学説でもよい。社会主義というものが、そもそも仮説でしょうと言うのです。本来もへったくれもない。ロシア革命も仮説です。一揆というならまだ分かる。大昔から反乱、謀反、一揆はあった。それらはマルクス主義なんぞとは、なんの関係もない。ロシアの場合は一揆にいたる庶民の熱情を、レーニン一派が社会主義の路線に盗用したのです。つまり一揆以後のロシア社会は、マルクス主義の実験場になってしまった。

人々は実験されていたのですよ。たかが仮説の証明のために、ロシア人民は実験にさらされていた。それだけのことなりや。社会主義建設、すなわち科学的社会主義の実現という美名のもとに、何百万という人びとが共産党に殺され収容所に送られたでしょう。単なる仮説ごときを奉じたからですよ。ことごとく強引だった。半世紀以上にわたって思想信条におよぶ人々への無理やりの押し付けが続いたのです。それでも結局は仮説の体制に過ぎなかったわけで、最後はボロボロになって破綻したのです。

1917年の一揆(ロシア革命)に参加した人々にしてみれば、それはいつでもそうだが、ロシアの場合も、王の首さえ取れば、それで人々の熱は冷めたはずです。それ以後のことは知らぬ存ぜぬ。しばらくは内乱状態でしょう。それは仕方がない。しばしすれば新しい支配者が決定して、世の中はそれ相応に落ち着くのです。

マルクス主義であろうとなかろうと統治者がいなければ社会は収まりませんよ。誰かが政治をしなければ社会とは呼べません。誰かが王にならなければね。その点、ごらんのように社会主義こそ王らしい王が生まれてきたではござらんか。くだんのミヤケンも天皇と呼ばれて恐れられていた。北はどうですか。へちゃむくれたような王がいるでしょう。あれでも立派な王様だ。社会主義こそ王権を欲するのです。王様でなければ酋長でもよい。

 

<2007-01-06 記>

 

 

 

 

 

 

 

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