赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼小伝馬町にあじさい咲けり

2017年05月28日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.05.28 中央区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼渋谷パーラー田吾作事件

2017年05月27日 | ■今丼政幸君との対話

<2010.03.11 川崎市>

 

以下、赤煉瓦掲示板より



 

田吾は次のように云ふ・・・・

>わたす的にはモコモコ爺は偽証していない。
>確かに3時20分以降、モコモコ爺は、渋谷パーラーにいたのさ。

何度も聞くが、これタゴよ。君は、当のパーラーに行ったのだろう。君自身で、爺さんが、その場に居たのか居なかったのかを見てこなくてなんとする。爺さんや私が、なんと言おうと、君が、他人の言に左右されることはないのではないか。君は、現場に行っていないから、爺さんがああいった、こういったという世迷言に乗っかっているだけではないのかね。あるときは爺さんの言を、排除し、あるときは、爺さんの言を、そのとおりだと持ち上げる。君は、現場を見てきていないから、そういうことになるのだ。君はパーラーには行っていない。君はウソをついている。

しつこいようだが、これタゴよ。わたしが問題にしているのは、どこかのじいさんやばあさんのことではないのだ。君自身の当日の行動なのだよ。そもそも君が発起して、知人さんに願い出て、計画した物事だ。君は姫の疑問(タゴと知人さんが同一人物であるやなしや)を、渋谷にいって、知人に会いさえすれば、解明できると、こいてきた。誰一人として、そんなことを行為化してみても、姫の疑問と、それは別問題であることは知っていた。

だいたい姫の疑問が、そんなところにあるかどうかさえ、もっと深く姫の言辞を解釈してみなければわかったものでもないのであった。姫を同席させもせず、結果、いくらタゴと知人が会ったと、後日、掲示板なりで、法螺を吹くつもりであったのだろうが、これまた言葉の上だけの話であり、一向に、姫には遠い話である。まっ、どうなることやらと、当日の成り行きを見ていたところ、知人が約束の時間に遅れて、タゴは会うことができなかったのである。それだけの話だ。


わたしが疑問なのは、タゴは、事前に知人の一時間遅れるという通知を、知っていて、渋谷には行かずに、仮に行ったとしてもパーラーには行かずに、引き返してきたのではないのかと、そのように主張しているのである。だからといって、別にどうこうという問題ではない。こんな有様になることは、当日を迎えるまでもなく、わかりきった話である。冒頭に申したように、知人にとっては、タゴに会うなんぞは、なんのうまみもない話なのである。

最初から、まったくもって自分には関係のないどこの馬の骨ともしれない姫さんとやらの疑念を解明するために重い腰をあげて、これまた初対面になるタゴのとってつけたような理由のためだけに首都郊外から渋谷まで出て行く、その理由が当日まで何度考えても出てこなかった。よって、婉曲に、遅刻する旨を、掲示板に、直前になって、書き入れ、タゴにもそれとなく知らせておいた。一時間遅れの通知といいタゴに伝わるか伝わらないかの微妙な刻時を選んだのは、ま、知人の頭のよさかもしれない。告知しておきさえすれば、後々約束違反の非難は免れる。


わたしは、タゴには何度か聞いた。君は知人の遅刻通知を、見て知っていたのではないのかと。タゴは、それは見なかったと言い募る。で、実際に、約束の時間とおりに現地、すなわち渋谷パーラーを訪れたと強弁している。ここに実際上の矛盾が、多々生じてくるのである。

タゴの住居は横浜郊外の保土ヶ谷署裏である。渋谷から、ここまでは優に一時間は所要する。わたしが、タゴのケータイに電話を入れたのは、ちょうど4時であった。彼は、自宅に居たのである。当初、知人との約束の時刻は、渋谷パーラーにて午後3時である。タゴは言う、30分は、パーラーで知人を待っていたと。待っても待っても知人が現れず、しかたなくパーラーを後にしたのは、午後3時半ぐらいということになる。3時半に渋谷から電車にのって4時に、神奈川県警保土ヶ谷署裏の自宅まで、舞い戻っているというのは、ありえない話なのである。午後3時に当初の約束通りに、パーラーに行ったというタゴの証言は、真っ赤なウソなのである。まず、午後12時半に、タゴは職場から「これから渋谷に行きます」との書き込みをした。

だが、その後もしばらく掲示板で誰がどのように自分の行動に反応するかが気になって職場を出なかったと思われる。知人の遅刻通知が書き込まれたのは午後1時過ぎ。これをタゴは職場のパソコン上で見た。

知人の記事は、約束時間から一時間ほど遅れるとの通知だが、ようするに今日の会合には行きませんという意味を十分に内包しているものだった。これをタゴは、これ幸いとして読み取った。

では、自分も渋谷には行かないですみましたという按配である。そして意気揚々と職場を後にした。新橋から渋谷方面の電車をやりすごし、通勤に使っている通いなれた横浜方面の電車に乗ったのである。時刻は、午後二時過ぎだった。繰り返す。タゴは、知人の書き込みを、リアルタイムで見ていた。そして、その意味から瞬時にして知人と会合中止に合意したのである。タゴがどれほど、このときの知人の言動に感謝したか計り知れない。


さきほど、タゴは自分の掲示板で、言い直してきた。知人を30分も待っていたのではなくて、それは15分だったという。では、もう一度、時間の経過を丁寧にたどってみよう。

タゴは午後3時15分までパーラーに居た。パーラーから東急東横線のホームに入るまでが、以外に時間がかかる。10分はかかるだろう。渋谷を電車で出発したのは3時半になっている。タゴの東横線最寄り駅は横浜駅だろう。渋谷から横浜までは、急行でも30分はかかる。横浜駅で、すでに午後4時だ。ここからタクシーで神奈川県警保土ヶ谷署裏のタゴのアパートまで飛ばしたとしても、やはり、ここだけでも30分近くはかかってしまうのである。タゴが超人でもないかぎり、午後3時15分にパーラーを出て、45分で、自宅に舞いも戻れる方法は、あり得ないのである。嘘をつくんじゃないのだぞ。これタゴよ。

そもそも君の発案が、途方もないものだったということなのだよ。知人も、うすうす気がついていた。当日になって、君に同調して渋谷まで行く、バカらしさに気がついた。気づいていないのは、タゴだけだ。タゴの行動とは、なにをやっても、こんな調子だ。ネットで姫に自慢したいが、ための行為にしか過ぎないのである。君の計画、行動、すべてが漫画だ。


今日になって、タゴは次のように強弁している。

>わたすと知人さんとが別人であるとの立証は、二人の「差異」が姫に認知できたらことはそれですむから、同席は必要としない。わたすは姫の電話番号を知っとるから、姫に電話をいれ、知人さんと姫とを会話させたらそれで姫には、わたすたちが別人だと判明するのだよ。ばかたれ。

当日、渋谷パーラーにて、知人に会った上で、知人から姫に電話をかけさせ、知人から、タゴとは別人であることを姫に対して縷々説明していただこうという腹づもりであったらしい。それがタゴの本当の目的だった。何度も言うが、知人とタゴは面識がないのである。知人と姫も面識がないどうしで、赤の他人だ。ネットなりで話し合ったこともないのである。いかにタゴという男が、漫画レベルのことしか考えられない男であるかが、よくわかるだろう。もちろん、上のような計画も、今日になって、たまたま思いついた言い逃れじみた強弁の一種にすぎない。

数年前は、知人に会いさえすれば知人とは別人であることが姫に証明されますたと、こき。その次の年になると、渋谷に行きさえすれば、それだけで姫には、自分の思い・・・知人とは別人である・・・は十分に伝わるはずだと、こいていた。これらに比べれば、知人から姫に電話をかけさせるという具体案はやや前進はしているようだが、それにしても自分勝手で、はなから他人の気持ちなど、痛痒にも感じていない点が、相変わらずの脳タリンなのである。


わたしは、界隈ではただ一人、知人とタゴの双方に面識があった。知人が界隈に登場してきた匿名は、「かもめの知人」である。わたしの友人という立場で、登場してきた。その知人とタゴが会おうという算段になった。その意図すると笑止ではあったが、知らぬ同士が会うということは、悪いことではない。それほど会いたいのなら、お二人に、ご協力申し上げるのが、拙者の立場というものである。わたしもまた、自宅のパソコンを見やりながら、知人が出入りしていた鈍角板と、タゴ主宰の、赤レンガ板の双方を見やりながら、やきもきしていたのである。

午後12時半タゴは、これから職場を出て渋谷に向かうと宣告してきた。いよいよ両巨頭というか、両初心者というか、ま、お二人の歴史的会合の時間が迫ってきていた。ややあって、鈍角板を見れば、なんと知人が一時間遅れるとの書き込み記事があるではないか。タゴは午後3時を目指して、いまは渋谷に向かっているところであろう。この書き込みを、見ることができるかどうか。

わたしはご両人は、会えないのではないかという心配が募ってきた。やがて午後3時なった。やがて午後4時になった。そこで、わたしは、タゴのケータイに電話を入れて、会えたのか会えなかったのかを確かめてみたのである。知人の遅刻通知を見たのか、見なかったのか。まだ見ていないというなら、いまからパーラーに行ってみろと、さらに知人の風貌なりを、詳しくタゴに教えてやるつもりであった。それも、渋谷近辺にタゴがいるのであればの話だ。わたしは、そう思った。約束の時間からは、まだ一時間しかたっていない。この時点で、タゴが、まさか、神奈川県警保土ヶ谷署裏のアパートに、すでに舞い戻っていた後の祭りだったとは、夢にも思わなかったのである。

タゴは言う、それなら午後3時の段階で、わたしがタゴのケータイに電話してくれればよかっただろうと。それもそうかもしれない。だが、終始二人の大人の問題だ。わたしが二人を、合わせようとしているわけでは毛頭ない。どうしても会いたければ会えるはずである。今から思えば、タゴも知人も、会いたくないから、会うことを避けたというだけの話なのである。

思えば最初の計画からタゴの話は途方もない自分勝手なものだった。知人の気持ち姫の気持ちなど、一向に忖度しようとはしなかった。最初から漫画といえば漫画だった。

されば知人の遅刻通知は上出来だったと言うほかはない。まかり間違って、この二人が、実際に会ったということになったりしたら、この先、どのような破天荒な漫画がおっぱじまるかと想像すると、夜も眠れなくなってくる。姫さんもアンドの胸をなでおろしているところだろう。世のため人のためには、タゴと知人は結果、会えなくて、それでよかったのである。これタゴよ。正直な気持ちを話してみなさい。お前も最初の最初かっら知人さんには会いたくなかったのだろう?


何度も言うが、そんな他愛もないタゴ固有の問題解決のためだけに、タゴとも姫とも面識のない第三者が半日を使って渋谷まで、ひょこひょこと出かけてくる動機が見当たらない。あまりにもタゴの説明は稚拙なのである。当日、知人との会合の実現を、どこまで本気で考えていたのかどうかは、知らないが約束時間の一時間前、すなわち午後二時前に、知人によって遅れる旨の通知が某掲示板に、書き込まれたのである。土曜日であった。タゴは新橋郊外の職場に出勤し、昼間で仕事があった。

タゴが職場から、ではこれから渋谷に向かいますと、これ見よがしに自分の掲示板に書き入れたのは12時半である。以後、この日は夕刻まで、タゴによる書き込み記事はない。思うに、このときのタゴの記事を、そのまま信じてよいのだろうか。つまり12時半に、タゴは、これから職場を出て渋谷に向かうと、たしかに、そのように書き記してはいるのだが、実際は、職場にとどまって、パソコンを前にして、掲示板を見ていたとするなら、どうだろう。

タゴの職場から、渋谷までは一時間弱である。約束時間の午後三時までに渋谷に行けばよいとするなら、午後二時頃までは、職場でネットを見ていることも可能だ。知人の書き込みは二時前だった。タゴが書き込んだとおり、12時半には職場を出ていたとするなら、タゴはすでに車中の人となっており、知人の記事を見る機会は、なかったかもしれない。だが、職場にいたとするなら、十分に知人の記事を、見ることは可能であった。知人の遅刻記事は、渋谷には行きませんという婉曲なタゴとの会合を断わってきた通知であることは、誰でもわかるものである。

とすればタゴは、この時点で渋谷には、まったく足を向けることもなく余裕綽々として新橋から横浜行きの電車に乗り午後三時過ぎには、神奈川県警保土ヶ谷署裏のアパートまで引きかえすことも、可能である。

繰り返すがわたしがタゴに電話を入れたのは午後4時ちょうどであった。この時、意外なことに、タゴは自宅に帰ってきていたのである。それも、たった今帰ってきたという口ぶりでは、ぜんぜんなかった。インスタントラーメンをたらふく食べおわって、誰にたいする不満もなく、すべてこれ、自分の思うとおりに、世界は回っているという調子で、この世の春を謳歌している最中だった。今日の、出来事も、なにもかも予定通りに、進んでいますという調子だったのである。タゴは言った。もちろん渋谷に行ったのだったが、知人がいないので、さきほど自宅に帰ってきたところだすと。これで、わたすの計画は、すべて順調にことが運んでおりますて、大満足だったのだったと。


ようするに知人の遅刻通知からは、会合拒否の中身が透けて見えている。知人が億劫になった以上に、当日に至ればタゴも、こんな不毛な会合は、できれば回避したかった。タゴにとっては、知人の遅刻通知は、渡りに船ともいうべきものだったのである。面倒なことを回避できてアンドの胸をなでおろしていたに違いない。どれほどタゴは知人の遅刻通知に、救われた思いだったか。頭のよい知人に感謝したことだろう。こうして、不毛にして無意味な田吾作の行動計画は、回避されたのである。おそらく、タゴは、午後二時すぎには、渋谷には足を向けることもなく、新橋から直接、横浜方面行きのJR線に乗車したのである。

繰り返しておくのだが、知人とタゴは、知人の遅刻通知によって、瞬時に合意が成立していた。こうして、この不毛な会合を回避することができたのである。その際、知人の常識的な判断(遅刻通知)によって、という点をわきまえておくことが、大切だろう。知人が、無意味さを感じたように、タゴも内心、どうなることやらと、ひやひやしていたに違いない。

できれば、自分で発案した会合とは言え回避したかった。だが、この時もタゴのほうからは、なにひとつ、このバカらしい無意味な会合から、自分たちの良識を守ろうとする善行にいたる行動はなされていない。行為におよぶ痕跡は、まったくもって見当たらない。

今にいたるも、この古バケツのような男は稚拙な言い訳と見え透いたウソを並べられるだけ並べ底の割れた強弁にまい進して見苦しい孤独な虚言を構築するに大汗をかいている。

 

 <2010-03-11 記>

 

 

 

 

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▼あらためてトーホグ写真集

2017年05月26日 | ■今丼政幸君との対話

 

以下、赤煉瓦掲示板より(但、当記事の時系は下から上に向かってござる)


 

 

▼角館

 花の色が都会とはまるで違っていた。

 

そうか、おれもあんなふうにやりたかったのだと気がついたのがそうするには、それ相応に金がかかると思い直した。

 

当地の名物であるしだれ桜がまだ咲き残っていた。

 

 

 

▼盛岡

 
もりおか歴史文化館前

桜は北国の桜に限ると耳にしたことがある。はなみずきも同様にちがいない。

  

 

黄金週間が終わろうとしているときだったが市中にはまだまだ観光客がたくさん歩いていた。

 

 

 ▼三陸海岸

海の色は美しかったが陸の上ではあちこちで大堤防の工事中で土けむりが舞っていた。

 

 

 


▼遠野

人より猫に出会うことが多かった

 

遠野ではたくさんの写真を撮ったが上の写真が一番だったと自画自賛

 

 

 


▼八戸

のんだくれて飲み屋の女将と喧嘩になりはぐった

 

 

 


▼岩手山

上は、インスタントではない。本物の岩手山だ。
二週間ほど前に盛岡市郊外の国道四号線ぞいから撮ったものである。
元来、拙者はかような絵葉書のような写真は好きではないが、ま、許せ。
この山の姿にほれぼれとしてしまったのだ。

わたしがつかっているレタッチソフトはなんとかというフリーソフトだ。十年来これを使用している。それにしても込み入った使い方は知らぬ存ぜぬで、縮小、トリミング、まれに全体を明るする等々のみのこと。元がたいしたことのない画像ならどのように加工しようとたいした結果が出てくるはずがない。できるだけ加工はさけたいというのがわたしの本音だ

 

 


▼ん?ばかもめは・・・今井政幸 

写真投稿サイトのインスタグラムを知らないのか。
マジで。

 

 

 ▼インスタントとは何事だ・・・かもめ 

おい、今井。

上のうどんはインスタントじゃないぞ。

立ち食いだが立派な讃岐うどんだ。


 

 

 

▼知り合いが、インスタグラムをやってるから・・・今井政幸 

見に行ったら、知り合いの友達の写真がとっても綺麗。
あの写真は、一眼レフで撮ったか聞いたら、iPhoneで撮ったのだという。
それでも信じられないから、なんでiPhoneの写真があんなに綺麗になっているのか聞いたら、
インスタグラムについている画像加工ソフトで加工したのだと。

さっそくインスタグラムのソフトを呼び出したらいろとかシャープさとか、いろんな加工ができる。
暖かさというのもあった。このソフトは凄い!

ばかもめもインスタグラムで投稿すれ。

 

 

 

 

 

 

 

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▼神保町のかき揚げうどん

2017年05月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.05.24 千代田区

 

外でうどんを食するのは久しぶりだった。同店は立ち食いそばの看板通りにそばが目玉商品なので、入るときはだいたいそばを食するのだが今朝はうどんにしてみた。これが実にうまかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼わたすのホームシアター<成瀬巳喜男監督作品集>

2017年05月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

「放浪記」(1962年)より 高峰秀子

レンタルの映画ソフトをまとめて4本も借りてきて、うち三本を一日で観てしまった。残った、もう一本は、原節子主演の「めし」だが、これは明日にでも見ることにしよう。いずれも戦後まもない映画全盛時代に制作された傑作ぞろい。今日借りてきたソフトは、女性を撮らせたら右にでるものなしと定評のある成瀬巳喜男監督による作品ばかりだった。

 


 

 

 

 

 


以上「女が階段を上る時」(1960年)より 高峰秀子 仲代達也

 

 

 

 

 

 

 

 

 


以上「山の音」(1954年)より 原節子

 

 

 

<2011-01-25 記>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼トーホグの山と海と町と人

2017年05月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

一週間の予定で東北地方を車で旅行してきました。単独行のことで旅程計画はほとんど未定のまま川崎市の自宅より出発したのですが以下いくつかのおおまかなルールを自分に課しておきました。

●できるかぎり北上すること

●有料道路は使わないこと

●かなうかぎり写真をとること

●宿はとらずに車中泊に徹すること

●ラーメンの類は食わないこと

 

以上、では出発しましょう。

 

  まずは・・

●栃木県・・・矢板市

 

長峰公園では毎年恒例のつつじ祭りが挙行されていた。
この公園の近くに高校生時代を過ごした私の家族のアパートがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●福島県・・・白河市

 

 

●宮城県・・・仙台市(一泊目)

市街には入らず郊外のコンビニにて第一泊目をすごす。

 

 

●岩手県・・・岩手山

さらに四号線を北上し盛岡市を過ぎたあたりから左手に残雪の岩手山が見えてきた。

 

以下、『日本百名山』 深田久弥著 (新潮文庫)より

北へ向かう急行が盛岡をでてまもなく左側にポプラ並木の梢ごしに見えてくる岩手山は日本の汽車の窓からあおぐ山の姿のなかでもっとも見事なものの一つだろう・・・・かつての名門盛岡中学校の少年たちは、これをあおぎながら学びかつ遊んだ。石川啄木もそのひとりであった。後年流離の生活をおくった彼の眼底にはいつも北上川の岸辺から望んだ岩手山の姿があったに違いない。

ふるさとの山に向ひて

言ふことなし

ふるさとのやまはありがたきかな

 

 

 

●青森県・・・八戸市(二泊目)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●岩手県・・・三陸街道

 2017.05.08  八戸より宮古に向かって南下する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●岩手県・・・宮古港

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●釜石市


「鉄の歴史館」に入りて観覧していたところ窓から見える岬の向こうに煙があがっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の朝、地元紙を買い求める。釜石の山火事は延焼が広がっていた。 

 

 

 

 

●陸前高田市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●遠野市(三泊目)


釜石線にそって遠野にむかう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●盛岡市(四泊目)

 

 

 

 

 

 

 

 


盛岡城址

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大通り商店街のカラオケ屋に入りてロシア民謡を歌う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●秋田県・・・角館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次はとりあえず日本海に出ようと秋田市をめざす。

 

●鳥海山


酒田市付近

 

ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ・・・・斉藤茂吉

 

 


小雨ふる午後のことで山頂は見えなかった

 

 

 ●山形市(五泊目) 
市街には入らず。国道ぞいのコンビニ駐車場にて夜を過ごす。明日はまた太平洋側に出ようと心した。

 

 

●いわき市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駅前のカラオケ屋に入りてナポリ民謡を歌う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●日立市(六泊目)

 

 

 

 

 

●那珂川

 

 

 

 

 

 

 

●大田原市

 

 

 

 


●矢板市・・この小学校をわたしが卒業したのは55年前になるだろうか。もちろん当時は木造の校舎だった。

 

 

 

さあ帰ろうとふたたび四号線に出て一目散に東京を目指した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼ヴォーカル大好き<生まれかわって天竜の水に>

2017年05月01日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

2016.11.26

 

 

ここ数日というもの「東京大衆歌謡楽団」の動画に夢中なのである。

https://www.youtube.com/watch?v=_smJ9m57bRw

当動画は、四年前のことである。このとき、彼らは最高の芸能団であったに違いなかった。だがその後、ご多聞にもれず当楽団は「有名」となり、やれCDを出しました、やれラジオテレビに出ていますと大手メディアに引っ張りだこになってしまった。そうなると必然のことながらエレキによるマイクを強制され電気拡声器を使い出す。こうして無残にもせっかくつかまえた「芸能」の本質から、どんどんと遠ざかっていってしまうのではないかと案ぜられる次第。 

ちなみに、タイトルの「生まれ変わって天竜の水に」とは、股旅物の流行歌『勘太郎月夜唄』の二番にある歌詞の文句なり。

 

形(なり)はやくざにやつれていても

月よ見てくれ心の錦

生まれ変わって天竜の水に

写す男の晴れ姿

 

 

 

2017.04.10 葛飾区

 

 

  2017.04.15 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

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