赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

姉歯欠陥マンション事件と教育

2006年06月29日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
姉歯事件も配筋竣工図が消費者一人一人に手渡されていたなら問題は未然に防止出来た筈だ

なんのなんの。どうしてどうして。思うに、姉歯事件というのもIT時代の申し子のようなものである。記録や法文に金縛りになって、暮らしや生活を基とする現実感覚から出してくるべきはずのまっとうな論理が動かない現象である。実に陳腐な現象であり事件であった。数日前に、姉歯物件になる某マンションでは、すったもんだの末の末に、建て替えが決定されたそうだ。一軒あたり1000万円の持ち出しである。首都圏に建つ当該姉歯マンションはぶち壊されて一件落着なのだそうだ。だが考えて見なければならないのは、この事件が取り沙汰されてからもすでに半年はたつ。この間、何度か震度3程度の地震に見舞われてきた。見れば、当該姉歯マンションはびくともせずに立派に突っ立っているではないか。それらしく震度3の地震に耐えられず崩壊寸前というなら、話も理解でき候や。法制上では震度5に耐えられない設計施工であったればこその問い沙汰である。それは本当なのか。誰が検証したのだ。

姉歯建築士の肩を持つわけではないのだが、震度5違反というのは、口先だけではなかったのか。揺らしてみればよい。揺らしてみろ揺らしてみろ。びくともしなかったら、その法や制度は、どういうものだと聞いているのだ。鉄筋の数が基準を満たしていないと言う。馬鹿なことをもうすでない。民家の多くが鉄筋なんぞ一本たりともへぇっていやしまい。震度5の地震が来れば、3割方は家を失うのは、大昔からの自然の摂理だ。それにしても姉歯マンションは、震度5に耐えられないのか。本当なのか。誰が見てきた聞いてきた。

子どもが襲われる事件が三つ四つ報道されるとパニックにおちいり全国津々浦々、対策が講じられ、タスキガケで、おまわりさんごっこに明け暮れる保護者の面々。馬鹿だとは思わないのかね。付和雷同の尻馬根性。諸悪の根源は社会幻想道にまい進する国民だ。IT化とは自然科学だけのことではない。カールマルクス以来、社会も十分に科学されてきた。社会こそ科学の対象である。IT化の最大の目的地。それは社会主義である。人のロボット化である。社会の学校化である。学校の工場化である。家庭の社会化である。

話はやや変わるが、一昔前のことだった。「教師のサラリーマン化」というお題目が流行した。実のところはどうなのかは分からないし、風評の類だと思って見過ごしていたが、あれなどが要するに「教師パッシング」の嚆矢となっていた感がある。少なからず学校というものが大きな変革を迫られていた時だったように思われる。その中で教師の仕事における本質も、かなり変遷を遂げてきたことは事実だろう。以後、どのような方向に鞍替えされたかといえば、以前どなたかが示唆していたように、あらゆる面におけるプラグマティズム(実用主義)の採用である。

教育とは何かなどと問うひまもない。そもそも、そうした原理的問題は不毛な問いかけだったのかも知れない。教育とは現場にしかない。もう誰も、教師と生徒で交流される倫理や精神などは問題にもしなくなってきた。実際、子どもたちに坊主くさい説教などいくら聞かせても、なにがどうなるものでもないはずだ。そんな時間があるなら、勉強勉強また勉強だ。まれにスポーツという手もある。または音楽や絵画という手もあるにはあるが、いずれにせよ子どもたちの学力向上一本やりである。学力神話という言葉があるが、教育行政も、保護者も教師も、この一点に一丸となって傾注してきた。
 
他のことはおろそかにされたわけでは必ずしもないのだろうが、冒頭に言ったように人は、見えやすい形に置き換えてしか、ある概念なりを議論することはできない。また評価することも定義することもできない。こうしてますます確固たる物差しが必要だった。実体はともかく批評するためにも教育問題を議論するためにも、物差しが必要だったのだ。学校の物差しといえば、子どもたちの学力以外のなにものでもない。学力は競争の産物である。学校と学校が比較され、地域と地域が比較された。比較する必要から指標や基準が導入される。教師の仕事に、新しいさまざまな物差しが、次々と導入されてきた。同時期、学校だけのことではなくあらゆる労働現場がIT化されてきた、その経緯に同じことだろう。
 
IT化とは、もちろんコンピュータをのぞいて考えることはできないが、ようするに人の動きの効率化のことであり数値化こそ客観的事実となる。誰でも一様に見ることができるだろう。評価を下す側の現場主義にもとづく信仰である。最終的には教師や生徒の心理にまで及んで数値化することである。あらゆる都市型の労働現場はそうなってきた。結果はもちろんのこと動機もやる気もポイント化される。もとより道徳や精神というあいまいな世界は、教育には似合わなかったのかも知れない。
 
IT化は新しい宗教である。いまや国教である。教組も不平不満をつぶやく教師の声を集めた程度で雌伏した。教組といえど全体として世の中の趨勢には抗えず、あえなく解体してしまった。教師も、学習塾のアルバイト講師も、その労働になんの違いがあるだろう。子どもを守り、将来を思いやる気持ちに、変わりはないと思うほかはない。学校神話は、今や意外なことにパラドックスのように崩壊した後の祭りである。昔のようには、教師の美談は生まれにくくなってきたということだけが、かろうじて見えているだけだ。
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父と子

2006年06月24日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
梅坂史郎さんが詩の形で以下のように書いている。梅坂さんについては私はいまだかつて一度も褒めたことはないと思うが、下の一文には率直に共感したことを伝えておきたい。

バイトで働いている子どもを待っている
いまだ帰らず
深夜は時間を空間に分解し
感受性を時空のかなたに覆いこむ


私も昨日らい息子のことについて長々と書いたが、梅坂さんも私の息子と同じ年頃の子どもさんがいるように聞いた覚えがある。常にお子さんのことを気になされている心優しい父親の万感の思いがつたわってくる。つくづく思うに、家族というものは、良いものだとか、面倒なものだとか、物差しを当てた上での白黒はつけがたいのではないだろうか。親子の関係には、悲しい宿命のようなものがあるらしい。街で写真を撮りながら感じるのだが、とくに母と幼い子どものツーショットには、どうしても哀愁と言うか、ある種もの悲しい感覚がかぶさってくることを、いかんともしがたいのである。親子の関係にまつわる感情は、夫婦がそうであるように、決して単純なものではない。いわく言いがたい歯がゆい気持ちに襲われることもある。これを安易に公言してしまうと、やれ自慢していると言われ、やれ卑下しすぎだといわれ、どっちにせよ誤解されてしまう場合が多いのである。社交辞令風に言うなら、次のようになるだろう。「えっ、私の息子なんて、お宅様に比べれば馬鹿なものですよ。はっはっはっは」「なんのとりえもありませんよ。家でぶらぶらしていますよ。ニッチもさっちもいきませんよ。はっはっはっはっ」等々である。こうした言葉の特徴は、モノの贈答の際の礼儀に同じようにひどく日本的なものにも感じるが、外国のことを知らない以上、なんとも言えないのである。やはり梅坂さんのように「詩」にでも書いてみるのが真意が伝わる最もよい方法なのかもしれない。我が子のことを、何の疑問もなくへらへらと自慢できるような親も、反対に本気で自分の子どもが成り立ち行かない馬鹿な息子だと思っているような親も、滅多にいないのである。いくつになっても、我が子は我が子であり、とーちゃんはとーちゃんである。この強い絆からもたらされた宿命には、誰も逆らえない。決して自由になれない。子どもとの関係が幸とでるのか不幸とでるのかは、二人はもちろんその他の人間も、誰も知らないのである。子どものことは考えれば考えるほど、不思議な気持ちに満たされて、言葉を失うばかりである。
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▼「代表的日本人」 内村鑑三

2006年06月22日 | ■歴史的なあまりに歴史的な弁証法

 

 


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いつぞや、どなたかが、よく分からない明治の思想家だとして内村鑑三について触れられていた。そのときは、私もほとんど寡聞にして内村の文章をまともに読んだこともなかったので、口出しはしなかったのである。

大手の出版社などが明治以降の近代文学全集と銘打って浩瀚な書物を世に出すさい、その冒頭の第一巻を飾るべき文学者は誰であろう。漱石でも鴎外でもない。決まって福沢諭吉の「福翁自伝」か鑑三の「余はいかにして基督教徒になりしか」をもって第一巻とされている。双方ともに小説でも詩歌でもない。だが、まぎれもなくわが国の近代の第一歩を記した文学書である。

わたしは、最近気がついた。 わが国の文学関係者やジャーナリズムも捨てたものではないと。鑑三は札幌農学校の二期生として卒後、ただちに米国に自費留学を果たした。在学中に上級生より強引に洗礼させられていたという。鑑三の同級生には新渡戸稲造がいる。3年間の留学を終えて帰ってきた鑑三は、欧米の文化文明を唾棄すべき野蛮だと糾弾しているのである。鑑三は基督教徒だが、決して欧化主義者ではなかった。むしろ、過激な日本主義者であった。

近代文明によって堕落した欧米に宗教が根ずくはずもなく、わが日本にこそキリスト教が花開くことを願っていた。鑑三の心に宿った、この願望ははなはだしくさえもあって、多くの誤解を受け続けてきているのである。 今でもそうだ。仮に、鑑三の人生に真実というものがあるならば、それは近代文学全集の巻頭を開いてみればよい。そこに鑑三自身の肉声、すなわち鑑三の裸の文(あや)が伝わってくるはずだ。

彼がどれほどわが国の歴史にあこがれていたか。わが国の宗教と倫理に頭を下げていたか。高崎藩の江戸屋敷に藩士の子として生まれた鑑三は、後に名著「代表的日本人」のあとがきに次のように記している。

 私は宗教とはなにかをキリスト教の宣教師によって学んだのではありませんでした。その前に日蓮、法然、蓮如など、敬虔にして尊敬すべき人々が私の先祖と私とに、宗教の真髄を教えてくれたのです。 何人もの藤樹(中江)が私どもの教師であり、何人もの尊徳(二宮)が農業指導者であり、また何人もの西郷(隆盛)が私どもの政治指導者でありました・・・・私は、サムライの子のなかでももっとも卑小なる者・・・であります。それにもかかわらず、現在の自分のうちにあるサムライに由来するものを、無視したり等閑に付したりすることはできません。 まさに一人のサムライの子として、私にふさわしい精神は自尊と独立であり、狡猾な駆け引き、表裏のある不誠実は憎悪すべきものであります。キリスト教に比して勝るとも劣らないサムライの定めでは、「金銭に対する執着は諸悪の根源なり」であります。近代のキリスト教が公言してはばからない、もう一つの律法「金銭は力なり」に対してサムライの子であるからには毅然として異議を唱えるのは、私の当然の務めであります。

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町内のアジサイを写す

2006年06月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
紫陽花が最盛期をむかえている。今日は半日をかけて町内の紫陽花というアジサイをしらみつぶしにカメラに収めてきた。
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母を訪ねて田植えを見る

2006年06月04日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
母の入っている病院にいく。病院は隣県の山里にある。駅からは、そうさなぁ、5,6キロは離れているだろう。徒歩で往復すると、それだけで3,4時間かかる。だが、写真を撮るには徒歩に限る。今日も完歩した。滅多にこれない農村の風景が街道沿いに広がっているので、歩くそばからシャッターを切っていく。街道沿いに広がっている水田の大部分が田植えが終わったばかりで人影もなく植えられたばかりの可愛い稲が水面から顔だけのぞかせて風にそよいでいたのだが、途中、息子の勤め先も今日は日曜日ということか、家族総出で田植えをしている人たちがいた。

計200枚以上の写真を撮ってきた。母に会いに行ったのか、写真を撮りに行ったのか、自分でも分からない。母は86歳になる。ボケがすすんでいるのか、昨年から、ほとんど話をしなくなった。声が出てこない。だが、とても元気で体調もよいらしい。今日も私がコンビニで買っていった野菜の煮っ転がしなどを箸でこまかくしながら、口に運んでやると大きな口を開けてパクパクと音をたてて食べているのである。これをそばで見ていた看護士が、やはり息子さんに食べさせてもらうと、いつもとは口の開け方が全然違うと笑っていた。妹が二年前に没したことを母はまだ知らないのである。今日も伝えられなかった。
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