赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼夜勤上がりのラーメン屋

2016年02月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.02.29 葛飾区

もやしそば

 

 

 桜草

 

 

 自室にて

 

 

 

 

 

 

 

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▼古道具屋の帰り道

2016年02月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.02.27 文京区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼早すぎる春の散歩無題

2016年02月25日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.02.24 横浜市  同じものが一週間前にもここにあった。

 

 

 

2016.02.25 川崎市   桃ではなく早咲きの桜のようだった。

 

 

 

 

 

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▼「井上ひさし」を知りたもう

2016年02月24日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

<以下、2011.11.10 記>

数日前に素敵な女性が登場している動画を見たので、ここに紹介しておく。
http://www.youtube.com/watch?v=7WRJNIjl7pY
http://www.youtube.com/watch?v=rQEFoyGMMEw

西舘好子さんは日本子守唄協会という団体の理事長をなされているらしい。おそらく西舘さんが、発起人であり創設者なのだろう。この団体名を目にしたときに、わたしは西舘好子さんのことを一発で理解できたと思った。わが国に、何々協会とかNPO法人を名乗る団体は、何万何千とあるに違いない。だが、かくほどまでに美(うるわ)しい団体名は昨日まで、目にしたことも耳にしたこともなかった。

日本子守唄協会
http://www.komoriuta.jp/ar/A05090601.html

そこで本題に入るが、わたしもまた西舘さんの近著『表裏 井上ひさし協奏曲』を読んでみた。驚いたのなんのって、興奮のあまり二日ほど眠れなかった。最初わたしは西舘さんのことは何も知らなかったので、週刊誌などに、よく掲載されている有名人から捨てられた女が、私怨をかざして報復的に彼の知られざる生活を暴露する手記か、なにかかと思いつつ最初のページを開いてみたのだが、それがまったく、そうではなかった。

井上ひさしは、いまや伝説化された感すらあるNHKで放送された児童向けの人形劇『ひょっこりひょうたん島』の脚本を書き、これで世に出た作家である。直木賞も受賞した、自前の劇団も作った。たくさんのベストセラーを書いた。ここまで、なにもかも元妻の西舘さんと二人三脚でやってきたのである。

動画の中で西舘さんが言っている。人間、むしろ偉くなるとあさましい地金が出てきてしまうのだと。なんとか筆一本で食べられるように、世に認められようと夫婦して苦労しているときは、卑しい地金は隠れているものだと。誰でもそうだ。男はとくに、そうである。地位があがったり思わぬ金が入り始めると、それまでの、いと優しき善人ぶったメッキが、みるみるはげてくる。心根の底に隠れていた俗物性が表面に出てきてしまう。面子や沽券というものが、なにより大切になってくる。時には、なかなか凶暴になる。かといって、もちろん井上ひさしは悪党ではない。西舘さんは、一行たりとも元夫の悪口を書いていない。

昨年、井上ひさしは没した。新聞で見たのだが、井上ひさしを偲ぶ会の最後に挨拶に立たれた現夫人のユリさんは、「井上ひさしは天才です」と申していたそうだ。わたしには井上ひさしが天才であったのか鈍才であったのかは分からないし、知ろうとも思わない。彼の本は幸か不幸か、これまでに「米の話」と「日本語教室」という理屈っぽい、この二冊しか読んでいない。芝居も見ていないし話題になった「吉里吉里人」も古本屋で格安で入手したにはしたのが十行ほど読んで、つまらなくなり、押入れに放り込んだままである。

残念ながら、わたしには井上ひさしの諸本から、彼の知見に感銘をうけたこともなかったし文才を感じたこともない。そこで私なりに、西舘さんのご本を読んだ限りで井上ひさしという敗戦後の日本を駆け抜けた一人の流行作家を総括してみるに、何かといえば、「俺が俺が」とわめきつつ、ときには「誰のおかげでメシを食っている」などと妻子を恫喝して、これを励みに自分もなんとか一旗あげなければと思い込み、ひどく上昇志向にこだわる当時の日本なら、どこにでも転がっていた経済的高度成長期に特有の「愛すべき」普通のおっさんだったということだけは確認できた次第である。

 

 

 

 

 

 

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▼百姓漫画を読む

2016年02月21日 | ■軍事を知らずに平和を語る資格なし

 

図書館から借りてきた漫画を読んだ。なかなか面白かった。

「曽野綾子大批判」 kアンドkプレス 著者:佐高信・山崎行太郎 2014年刊

 

当漫画本に出てくるお二人が予想通りの漫画に出てくる馬鹿かアホかの典型的御仁であったので大笑いしながら読了した。読了感想を、かいつまんで申せば、著者たるご両人ともどもに、いかに自分が知識人の一員であるかと互いに吹聴しあい、承認しあっているだけのこと。互いが互いの小ざかしさを誇りつつ褒めあいながら、ああでもないこうでもないと不平不満をぶちまけている。

いかにも矮小な初老男が二人、テーブルを挟んで傷をなめあっている。二匹の老いたるブタが角突合せ口角泡を飛ばして戦後イデオロギーの残飯あさりをしている。これが笑わずにおられるだろうか。漫画なのであり、それ以上でも以下でもない。

ただし、巻末に20頁ほど載せられていた、江藤淳と佐高信の対談は、当漫画本の中で、唯一文学らしい趣きがあった。副題に「闘う批評とはなにか・・・文学と憲法のはざまで」(1993年)とある。この副題に含まれたのっぴきならない意味内容は、25年前はかけだしだった佐高とかいう薄っぺらの鼻ったれジャーナリストには何の関係もない。日本国憲法に内在されている大いなる矛盾と現代文学の錯誤を憂慮していたのは最後の文人たる江藤淳の根っからの主題だったのである。

江藤淳は侍だった。すくなくとも武士たらんと矜持した。そして彼は、ご多聞にもれず孤立した。比して佐高なにがしの思想と主張は今にいたってなお毀誉褒貶のポピュリズムに明け暮れているドン百姓のそれでしかない。

 

 

 

上の写真の二冊は昨年度拙者が読んだ数ある文学書の中でも忘れられない図書である。悪いことは言わないイデオロギーに脳がやられた百姓連中の君たちも、ここはだまされたと思って読んでみたまえ。現代政治に混濁させれられている諸君の小さな脳内喧騒も多少は整理がつくに違いない。

おい、今井。いい年をして、漫画ばっかり読んでいるんじゃあるまい。 たまには本を読め、本を。

 

左 「江藤淳の言い分」 斉藤禎著 書籍工房早川 2015.05.02刊
右 「沖縄戦「集団自決の真実」 曽野綾子著  (株)ワック 2014.08.14刊

 

 

 

 

 

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▼影の弁法

2016年02月09日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

以下、影を詠める歌数首。

見し人の影すみはてぬ池水にひとり宿もる秋の夜の月 (源氏物語「夕霧」)

見るとても嬉しくもなしますかゞみ こひしき人の影をとめねば (義経記)

けふまでとみるになみだのます鏡 なれにし影を人にかたるな (拾遺和歌集)

かたばみのそばにおひたるかゞみ草 露さへ月に影みがきつゝ (民部卿為家)

見し人の影もなければます鏡 むなしき事を今やしるらむ (法印澄憲)

身をわくる事のかたさにます鏡 影ばかりをぞ君にそへつる (後撰和歌集)

水かねやざくろのすます影なれや 鏡とみゆる月のおもては (七十一番歌合)

世中は憂身に添へる影なれや 思ひすつれど離れざりけり (藤原忠実)

 

 

<2008.09.08 記>

 

 

 

 

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▼夜勤上がりの東京メトロ

2016年02月07日 | ■かもめ文庫

 

2016.02.07 渋谷区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 そしていつものように多摩川を越えて帰宅する午前10時

 

 

 

 

 

 

 

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▼春よ来い帽子と歌と若人と

2016年02月05日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.02.05 世田谷区


等々力駅

 

 

尾山台の商店街休憩所で挨拶を交わし名刺を交換したミュージシャン(ギターと唄)の保利太一さん。
ギターを弾いているところを写真に撮らせてくださいとお願いしたら快く応じてくれた。

 

  

今日は等々力の役所まで戸籍謄本を取りに来た。
等々力から尾山台まで歩き、尾山台で保利さんに出会い、よい心持になって
商店街で新しいフェルト帽子を衝動買いしてしまった。そういえば詩人の中原中也もこ
んな帽子を被っていたではないか。われながらよく似合う。これからは詩でも作ろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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▼肉野菜炒めに半ラーメンセット

2016年02月02日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.02.01 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

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