赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼古道具屋の帰り道 Ⅱ

2015年11月28日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.27 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2015.11.28 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼深秋のはなみずき

2015年11月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.23 葛飾区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  

 

 


 

 

 

 

 

  

  

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▼ヴォーカル大好き<落葉松>

2015年11月20日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

遠い昔の話だが、わたしが、そも小林秀雄の名を知ったのは今は半世紀も前のこと高校生の頃だった。ところが、その小林秀雄という有名人が文学畑なのか音楽畑なのかが混迷を深めるばかりだった。小林秀雄の本を求めて町の書店に駆けつけた。文庫本をめくってみると、次のようなページにでっくわす。これは、もう音楽家の小林秀雄に間違いないと思い込むだ次第。


新潮文庫「モオツァルト 無常という事」より

聞きしに勝る文芸評論家が、なぜに楽譜なんぞを原稿にしるするのか。こうした疑念は高校生のわたしには無碍なることだった。そしてほとんど中身を読みもしないで、ただちに断じた。小林秀雄とは音楽家に違いないと。この本を、きちんと読んだのは、ずいぶんと経った後年のことである。

彼は泣く。しかし人々が泣き始める頃には彼は笑っている・・・・モオツァルトの悲しさは疾走する。涙は追いつけない。涙のうちに玩弄するには美しすぎる。

 

落葉松  

詩:野上彰、曲:小林秀雄    八戸市立根城中学校合唱部
https://www.youtube.com/watch?v=Tjl1ymZfsAA

 

 

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▼カフェにて

2015年11月20日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

2015.11.20 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼南京ハゼの紅葉

2015年11月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.19 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼登戸のラーメン屋

2015年11月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.16 小田急線 登戸付近

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼ヴォーカル大好き<ラ・マルセイエーズ>

2015年11月15日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

昨日、パリで同時多発テロが起こった。数百名の市民が死傷した。

世界中の人々が哀悼の意をこめてフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」を歌った。

もう一度歌詞を読んでみよ。

かの歌は軍歌なのである。

「取れ武器を」と、ようするに暴力を謳歌して恥を知らない。

民衆に武器を取れと扇動している。

ようするに、それはテロリズムとなんら変わることはない。

革命もテロリズムも動機も手法も同じことなのだ。

そのことを重々とわきまえて後フランス国歌を歌いたいなら歌えばよい。

 


「青年歌集」(うたごえ運動 音楽センター刊 1978年)


エディット・ピアフが歌う「ラ・マルセイエーズ」
https://www.youtube.com/watch?v=lu3eSNi__4w

 

以下、話は政治的になるが、さてもさても一国どうしが開戦宣告をして正規軍同士が合いまみえる、いわゆる「戦争」という概念は古風となりつつある。第二次大戦当時の「戦争」概念は現代ではほとんど意味をなさない。

核抑止力のお蔭様なのか、はたまた「民主主義」や「人権主義」のお蔭なのかは知らないが、これ見よがしの国家間の戦争は、めったに勃発することもなくなった。

替わって登場してきたのが憎き敵国の誰彼かまわずに殺傷することを目的とするテロである。

テロリストたちは自爆を厭わない。これが怖い。また手に負えない。

それをどうするのか。誰が阻止できるのか。

そこを考えるのが軍事を含めた現代政治の要諦だ。

 

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▼麻生川の首飾り

2015年11月13日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.13 小田急線 柿生駅付近

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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▼新百合丘のラーメン屋

2015年11月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.12 小田急線


ワンタン麺に羽根つき餃子半ライスのセット・・・・・700円

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼落葉を踏んで

2015年11月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.09 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼向ヶ丘のラーメン屋

2015年11月08日 | ■教育年金管理人泥炭氏との対話

 

以下、教育年金掲示板より 


こんばんは。まずは終戦直前の米軍による日本人皆殺し作戦ともいうべき<原爆と大空襲>は、あなたの言うような深い意味はないように思われますよ。

単純な欧米人らに根深く宿っていたアジア人蔑視から発せられた、人を人とも思わない蛮行だったのです。太平洋戦争中に行われた蛮行の中でも、問われなければならない最大の戦争責任だと、わたしは思っていますよ。だからといって、いまさら公に米国に対して、この問題で議論しようとか、問い詰めるようなこともアホなことだとも思っていますがね。

70年も経ったのですから。ましてやわたしは戦後生まれ。憎しみもなにも、戦争についての感情的問題はどこを探しても出てきません。もちろん、あなたの言うように日中間の、友好的な民間交流が多々あることは否定しませんし、これらの現象は褒められこそすれけなされるいわれもないと思っていますよ。それはちょうど、たくさんの中国方面からの観光客が、日本製品を「爆買い」して行ってくれるとういう現象に似ています。大歓迎です。

おっしゃるとおり中国の人たちは、わたしが知る限りではいい人ばかりですよ。以前にもお話しましたが。わたしが居住する沿線には、各駅まえに各種ラーメン店があります。

この三年ほどの間に四、五軒の好みの店を見出しました。おいしいから通っている、ただそれだけなのです。かわりばんこに通いつめているのです。それらはラーメン店は、みな中国の人が経営しており調理しております。今日食べにいった向ヶ丘のラーメン店では料理中であれ、客が居ようといまいとおかまいなしに、家族同士で大声で中国語でやりとりしていますよ。活発にね。まるで喧嘩でもしているように。これが、田舎育ちのわたしには、なにか懐かしい感じがして、心が洗われるのです。

マナーがどうしたこうしたと気にしてばかりいる現代の日本人は彼らに比べれば、なにかこまっしゃくれた小人のように感じてしまいますね。

話は変わりますが、さきほどまでTVで浅田真央さんのフィギュアスケートの大会を見ていました。中国で開催されていた国際大会の中継だったのです。真央さんが優勝されました。二位がまた日本の本郷さんという19歳の方。両名の演技に対する観客の反応が、まるで国内大会をみているように盛大でしたよ。それにリンクを囲っているフェンスの広告が、意外でした。日本の企業の広告が圧倒しているようでしたが、カタカナ、ひらがなで企業名、製品名が大きく書かれていたのです。

観客の多くは中国の方々。どうして広告まで、こうまでも日本がのさばっているのかと、悲喜こもごも。まっ、これまた悪いことではありません。素直にめでたいことなのだと思うようにしておりまする。ただね。民間交流の深浅と、外交や政治は、また別問題だという面も、わきまえておく必要がありますね。

歴史を見る目はいろいろあるが、議論するなら、やはりここは、政治学的に見るほかは、ありますまい。脳が温暖化した齢七十二なる泥炭殿よ。

日米戦争のときもそうでした。当時は日本からの移民移住が盛んだったのです。たくさんの日本人が南米ブラジルをはじめハワイやカルフォルニアにも移住していました。日米戦争が勃発して、さて、どっちの味方をすればよいのやらと一番難儀したのは彼らだったのです。カリフォルニアでは収容所に入れられた。ハワイではスパイ扱いされて白い目で見られた。汚名挽回とばかりに二世の息子たちが武勲を立てんと米軍に参加して日本の敗戦時には、通訳その他。大きな役割を果たしたことは知る人ぞ知る物語でしたね。

 

 

2015.11.04 小田急 向ヶ丘遊園駅

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼十一月の窓辺にて

2015年11月07日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.07 葛飾区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼とある餅菓子屋の帰り道

2015年11月05日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.05 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼マンガ古本屋の帰り道

2015年11月05日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.05 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼猫と自転車

2015年11月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.11.01 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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