赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼帽子が似合う老母の肖像

2017年06月25日 | ■文芸的なあまりに文芸的な弁証法

 

 

2012.12.27 秦野市

 

 

 

 


秦野市役所

 

 

明けて2013.01.10 〃

 

無事に年が明けたと思った正月4日。入院中なる母の主治医から電話があった。どうやら気管支炎にかかっているようです。微熱が続いているのが心配です。もちろん10日の退院、その後の在宅介護は、当分は無理でしょうと。

病院にかけつけてみたところ、母は、覚めているのか寝ているのか薄目をあけ点滴状態で、ベッドに横たわっていた。青息吐息の状態だった。内科医の説明によれば、何かウイルスに感染している風でもなし、他に悪いところはありません。きっと良くなると思いますと。だが、当分の間、入院生活に変わりはあるまい。それ以上のなにができるか。主治医も内科医も余命うんぬんの話はしなかったが、わたしにはよく分かる。

92歳になる母の場合、もはやベッドから立ち上がる力はないことを。風邪だか気管支炎だかは、よく知らないが。今回ばかりは致命的なダメージを受けたに違いない。一ヶ月前のスプーンを持って、ミキサー食を、ぶっちらかし放題で口に運んでいた元気な姿は、見られないだろう。点滴状態からは、もはや抜け出せないということを。こうして私の在宅介護による親孝行の夢は、あえなくついえてしまった。秦野市に借りた古屋は撤退することにした。母が退院してくるのを待って、この先古屋の家賃を支払いつつ、はたまた入院費を支払う余裕はなかった。

レンタカーを借りて、こまごまとしたものを運び出し貸家にカギをかけた。大家に、恥ずかしながら、そのようになった次第にて出て行きますと電話した。庭先にいた野良が一匹、わたしのいささか傷心した姿を見送ってくれていた。その後小康を得た。

 

 

 

2015.03.20 熊谷市

大正九年生まれの母は当年とって95歳か6歳になる。太平洋戦争終了時、母は25歳か6歳だった。わたしが彼女の下に生をなしたのは終戦から三年後のことだった。いまや認知症でボケていて長男のわたしが見舞いにいっても上の空。それでよいのだ百まで生きろ、おふくろさん。 

 

 

 

2016.01.25 熊谷市

青息吐息の母を見舞った。先生、わたすの老母もあと半月ほどで九十六歳となります、なんとかそこまではよろしくお願いしますと主治医に頭を下げてきた。

 

 

 

 

近くの農業用溜池が結氷していた。

 

 

 

病院に来たときはいつも寄る街道沿いの食堂では石油ストーブが炊かれていた。

 

 

 

 

 

死亡時刻 平成28年1月30日 午後11時30分  老衰
大正9年2月11日生 享年95

 

1月31日  熊谷市  母の亡骸を病院から運び出した頃には夜が明け始めていた。

 

 

 

 

 

 

2月3日午前10時 葬式不要戒名無用、荼毘に付す

 

 

 

2月15日 多摩川

 

 

2月16日  病院に行き先月の入院費支払いを済ませ残っていた粗末な私物のいくつかを引き取ってきた。

 

わたしが生まれたのは昭和23年。半年前には太宰治が入水心中をしたその年の暮れのこと。もちろんまだテレビのない時代。敗戦から3年しかたっていなかった。栃木県北部の農村にてオレの父ちゃんは母ちゃんのおなかにおれを孕ませてまではよかったが親兄弟から結婚を反対されて母ちゃんと腹の中のおれを置いて東京に逃げ出してしまったのだった。父ちゃんは23歳。母ちゃんは28歳になっていた。母ちゃんはオレを出産して後、幼いオレをおぶって東北本線に乗って上京し、さっそく父ちゃんの行方をおった。つてをたどって父ちゃんを見出し無事婚姻届と出産届けを都下の調布市役所に届け出た。いや当時は調布も市ではなく町だったのかもしれないが。

父ちゃんは、そもそも世の中の常識からだいぶ外れているところがあって後に分かったところによれば精神と神経に重大な病気を持っていたのであった。それでおれの名前は母ちゃんがつけてくれた。当時飛ぶ鳥を落とす勢いで神童、天才の名をほしいままにジャーナリズムに登場してきた若者が三島由紀夫だった。実はおれの父ちゃんと三島は昭和元年生まれの同年なのだ。敗戦年当時両名ともに二十歳で徴兵検査の対象だった。徴兵検査までは済んだようだが兵隊として戦地に送られるすんでのところで敗戦となったのである。

さてオレの母ちゃんには若い頃から文学少女じみたミーハー気があったようで婦人雑誌に掲載された小説なども少しは読んでいたようだ。それで三島のことなども知っていたのだろう。はじめて生まれたオレに天才であれという思いが高じ三島由紀夫にあやかって由紀夫という名をつけたのだと母がなくなる数年前に明かしてくれた。母ちゃんは一昨年に九十五で没したが母ちゃんがつけてくれた由紀夫の名には今でもわたしは誇りに思っている。だがわたしもこうして鳴かず飛ばずのまま馬齢を重ねるばかりになり母ちゃんの期待には今にいたっても何ひとつ応えることができずに申し訳ない思いで胸がいっぱいになることがある。

 

 

 

 

  

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▼ヴォーカル大好き<雨降りお月さん>

2017年06月22日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

 

2017.05.29 横浜市 

 

 

 

> おい、かもめ。おめさんの夜勤バイトの時給って3000円くらいが??

それがよく分からないのだよ。仔細はおれを雇っている八丁堀の親分に聞いてみてくれ。雇用契約書には在る時払いの催促なしと書かれている。また65歳以上の被雇用者には古物半値の五割引と特記されている。で、その文意がよく分からずに口角泡を飛ばして親分に問いただしてみたのだがよするにそれは被雇用者おのおの方の解釈しだいでどうにでもなるとのことだった。元来おれはカネには執着しない性格で云われたとおりに一所懸命に働くタイプだからにゃ。それが親分に可愛がられている所以なりと忘年会の二次会ですっかりのんだくれた先輩が一緒に便所に行った帰りにおれのハゲ頭をなでてくれた。


> おい、かもめ。ふんなら余裕でカラオケスナックにいげるべや!!(爆)

カラオケスナックというものは最近は大嫌いになった。だいたい一部屋しかない。舞台なんぞをしつらえてゴテゴテと仰山に飾り立てているものだから昭和時代からのなじみの年寄りたちの常連客の一団しか出入りしていないようだよ。何度か入ったのだが次は何の歌を歌いますかといちいちママさんが聞いてくる。これがうるさい。こっちが一曲歌い終わるたびに心にもないお世辞を言ってくる。お上手ですねぇ~と。これが気持ち悪い。声楽と音楽の王道には決してふさわしくないと気がつき以後カラオケスナックには入らないことにしたのであったのだった。

そこにいくと、カラオケボックスは、一人きりで自由だ。歌おうと歌うまいと、マイクを使用しようと、すまいと歌わずに新聞を読んで過ごそうと勝手だ。昼間なら時給300円というところだな。夜勤ともなれば、倍の時給が課せられる。おれも最近は年をとりなにかと衰えてきた、それで他にやることもなく連日のようにカラオケボックスに通っているのだが楽器の練習をするためにカラオケボックスを使っている若者がきているね。

以前から何度かみかけた高校生らしい娘さんは今日もまたバイオリンケースをかついで受付にいたし、別のある男性はフルートを持ち込んでいた。アコースティックギターはもちろん何度もみかけたしエレキギターはないだろうと思っていたが、これも見たことがある。その他、オーボエ、ホルンなども見た。これは歌といえば演歌とのど自慢大会ぐらいしか思いつかないような旧態依然たる厚化粧のスナックママの音楽観では決しておっつくことのできないカラオケの最新事情なりけりよっと。

 

> ばかもめカラオケ店を破壊 逮捕の報

さすがに逮捕まではいかないが、この間のカラオケ店との交情を通して拙者の場合だいぶおかしなカラオケおじさんであることは店員諸君にも周知されてきたらしい。まっ、それらいろいろあるなかでいろいろとありはありながらいずれカラオケ店員の主観的範囲なのであり、こちとら店内ルールを守っている以上なんの文句もつけられないことはゆめゆめ承知の介なり。

ふんで今日は、いつものように30人収容のパーティー・ルームを所望した。あいていさえすれば貸してくれるのが当店の良心だ。店員が云ふ。今日は日曜日のことですし、この後込み合ってきますから、あなた様にお貸しできるのは、一時間だけですと宣言せり。もとより承知一時間あれば十曲は歌える。

この部屋は和室仕立てだからソファやらその他ふわふわした物がなく自分の声が生の反響に生まれ変わり耳にも心地よくマイクなしでも声がよく聞き取れてそれが音楽的自己満足をいっそうに誘ってくれる。当ボックスが空いてなければ「あっそうですか」と帰る算段。ふんで今日拙者が歌うたカラオケ歌曲は以下の九曲なり。

 


●雨降りお月さん

●湖畔の宿

●雨のブルース

●別れのブルース

●マロニエの木陰

●勘太郎月夜唄

●街のサンドイッチマン

●サンタルチア

●ともしび

 

 

だいたい、歌謡曲というものは、同じ曲想で三番までの歌詞がそろえられている。思うに物覚えがわるい拙者のばあい。なかなか歌詞を空では覚えられないのである。

現在までのところ、三番まで空で覚えた歌とはいってもほんの数曲のことなれば、とくに気に入って空でごくごく最近覚えた歌が大正14年、作曲:中山晋平 作詞:野口雨情の「雨降りお月さん」である。当歌は二番までしかない。それが記憶に奏功したのかもしれないが、なんと、当歌は一番と二番のメロディーが異なっているのであったのだった。あせ あせ。それにしても名曲である。詞にも曲にも哀歓とユーモアが満ち溢れている。

 

雨降りお月さん 雲の陰

お嫁に行くときゃ 誰といく

一人でからかささして行く

からかさないときゃ 誰といく

シャラシャラシャンシャン 鈴つけた

お馬にゆられて ぬれてゆく

 

いそがにゃ お馬よ 夜が明けよ

手綱のしたから ちょいと見やりゃ

お袖でお顔をかくしてる

お袖はぬれても干しゃ乾く

雨降りお月さん 雲の陰

お馬にゆられて ぬれてゆく

 

 

 

 

 

 2017.06.07 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼街道のラーメン屋

2017年06月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.10.23 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

  

 

 

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▼『安部公房とわたし』 山口果林

2017年06月14日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

果林とは芸名で彼女の本名はごくごく平凡な山口静江であり、最初の舞台に上がるにあたって当時男と女として付き合っていた20歳年上の小説家安部公房が彼女に「果林」という名を与えたもうた。NHKTVでの朝の連続ドラマ「繭子ひとり」に抜擢され、彼女の名は全国に知れわたるところとなる。

思い出すに1971年のことだった。三島由紀夫事件の次の年である。果林さんは24歳。わたしは23歳。東京は下町の共産党支部に所属し半狂乱状態で赤旗配りにまい進していた。だが、わたしのことはどうでもよい。そのわたしにとっても当時から果林という名とともに、なんともいえない愛くるしい表情と、その演技が強く印象に残っていた。それにしてもと思うのだが、どうもわたしの話は年代やら年齢やらの話ばかりに終始してしまう。ようするに、わたしが言いたいことは「繭子ひとり」から、早40年余りが経ってしまっていたという感慨に他ならない。

だが、せめて感傷しているつもりはない。40年という月日を、ある個人の中に精神と肉体をもって日々がしびれるように経てきたことは、誰にとってもゆめゆめ無下には出来ないことだ。あまた時間が過ぎ去る中にとどめておかねばならない痛切な歴史的回顧が読者おのおのの胸中に悩ましく去来してくるだろう。さて今年が終われば果林さんは66歳になる。わたしは65歳だ。墓を作るより本を作れとはこのことだ。老いて二葉亭四迷は当面まっぴらごめんなすってと本を閉じつつ拳を固めた。

 

 <2013.10,21 記>

 

 

 

 

 

 

 

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▼買い茶づとめの老人嫌い

2017年06月11日 | ■今丼政幸君との対話

 

以下、2008.08.05 記

 

わたすの友人今井政幸君も、わたしが昨日、某掲示板で紹介しておいたNHKスペシャルを観てくれていたそうで、さっそく以下のように番組の感想を書いていた。だが読んでみれば、 あいかわらず今村氏の考えというものは、仮想中流意識のお世間馬鹿以上には出ることもなく失望を禁じえなかった。今村氏たるや、まだまだ若いだろうに早くも生きることを億劫がって年金生活の夢を見ている若年寄のようだ。神は細部に宿るという。生活の細かな工夫の中にこそ人生の幸いがあるというものだ。

ムキになって賃労働に勤しみ、金を得ることだけが人生に豊かさをもたらすばかりではないと思う。いかに限られた収支金品を糧とした個人生活の中で、さらに自分で工夫を凝らし、生活の細部を膨らませて人生を堪能するかということも大事なことだと思っている。人生の知恵とは生活の知恵のことに他ならない。さて今井君の投稿文を見てみよう。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
偶然見たけど、93歳の社長さん、一人暮らしで可哀想。なんで、娘は親の面倒見ないのだ?いくらなんでも93歳で自炊はないだろ。あれじゃ、まるで、姨捨山じゃないか。会社も社員も、一生懸命面倒みてきたちゅうに、あの仕打ちかい。そりゃ、ないだろ。日本はどうなってしまったのか。60過ぎても働けてる社員は嬉しそうだったが、肝腎の社長が一人暮らしで自炊生活は違うと思うな。世の中、間違っておる。幸せの大本は家庭にある。いまでは娘婿が社長をやってるのだから、娘がもっとしっかりせにゃアカンじゃないか。なんか、戦後個人主義の家庭崩壊を見てるようで哀れだったい。娘でも、娘婿でもどっちでもいいが、自分達もそゆ目にあったとき、それでも、我慢してやっていけるんかすら。わたしゃ、娘夫婦は絶対やっていけやしない、って方に賭けるね。うちらどこかで歩んだ道を間違った、とは思うよね。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

「世の中、間違っておる」とお田吾ちゃんは大威張りだが、間違っているのはお田吾ちゃんの頭だ。古腐れた君の頭では、新しい人間的現象を受け入れることができないのさ。ガラクタでいっぱいになっちまった狭量な君の頭が、これまで経験したことのない、見たことも聞いたこともない人間の現実的存在を目の当たりに見せられて、あたかも自分の考え方が批判されているように感じ、とりあえずは拒否したがっているというわけさ。より深く、この問題をわがことのように考えを深化させてみるのが億劫だから、今日のところは、とりあえず排斥しておきたがっているのさ。君の記事を好意的に読んだとしても、思考停止の宣言に他ならない。思考よりガラクタをいじくっていたほうがなんぼか楽だと言うなら一理はある。

さらに君は「いくらなんでも93歳で自炊はないだろ」と非難するが、老人に出来るはずが無いという固定観念こそ旧来思想にすぎない。お田吾ちゃんにとっては番組の製作者の意図など、読み取ろうとさえしないのである。お田吾ちゃんが作品の意図を、読み取れない馬鹿であることは、大昔から天下周知の事実なり。さて、お田吾ちゃんの頭を横溢している固定観念とは社会通念のようなものだが、それを壊すためにこそ、製作された番組ではなかったのか。製作者の意図を、読み取れるかどうかは、そこにかかっている。

老人とはかくあるべし、またかくあるべきではないという、この種のタブーが、どれほど老人の生活を閉塞させてきたか。世は高齢化社会となった。まごまごしているとわれわれは、100歳までいき続けなければならないのである。生きるなら元気に生きるに越す価値はない。寝たりきりのまま古希を祝ってもらって誰が喜ぶのか。元気なお年寄りの姿を見ることは、私たちの視野と人生に対する考え方の根幹に及ぶ、なによりの学びとなる。われわれは元気な子どもの姿を見て心の根底から励まされてしまうように、また元気な老人の姿というものも、思想の根幹を揺るがしてくれるものなのだ。

子どもの姿というものは、奇跡的である。同様に90歳を越えて工場を経営し、さらに自炊しながら豊かに暮らしている老人の存在を、この目にするということもまた奇跡的なのである。脳が、固定観念に覆われてしまい、新しい視野を得ることのできない馬鹿者は、見たくない番組だったのだろう。有りうるはずがないと否定し、曲解した上で、自己の思想の温存を図るのである。結論もとめの代わりに誰かを犯人にしたて上げて、やっとのこと、かろうじて番組を理解したつもりになるものである。こうした現代人の馬鹿さ加減が お田吾ちゃんの言辞に、実によく現れている。

ところで、思い返せば今や昔の4年前。同じNHKスペシャルで放送された「奇跡の詩人」と題された番組があったが、あの時のことを考えた。お田吾ちゃんの言辞を並べてみると、今回と、その受け止められ方が、まったく同じ様相を呈していることに驚かされるほどである。察すれば「奇跡の詩人」の時も、 お田吾ちゃんのような古る腐れた固定観念者が番組で放映されたような事実と人間は現実にはあり得ないと邪推を働かせ、しきりに番組そのものを否定にかかった。とてもじゃないが受け入れられないと主張するのである。たちまちのうちに番組は虚偽の放送であると決め付けられ、当該番組のような虚偽放送を制作しこれを電波に流して国民をだまくらかそうとした犯人は誰だと、まるでネットは裁判所と化した。以後、二年間に渡って、ネットは馬鹿者たちによる犯人捜しに明け暮れたのである。

昨日のNHKスペシャルはお田吾ちゃんによれば否定しておきたい奇跡的老人の存在だったが、「奇跡の詩人」のときは、逆に有っては困る奇跡的子どもの存在が問題になったのである。番組の意図するところがまったく理解できず、むしろ逆の方向に曲解し、いちゃもんをつけ始めた馬鹿者たちの心証を計ってみるに欧化主義という近代のルールとイデオロギーに頭がおかされた、いわゆるガッコ万歳、制度万歳、明けててもくれてもお上頼みで人生をやりくりしようとする、骨の髄まで依存型になりはてた無知蒙昧の輩たちの存在が浮き彫りになる。

番組に登場する社長さんは、愛知県に住む今年94歳になる成瀬さんという男性だ。奥様を3年前になくされて、以来、一人暮らしであるそうだ。どうして子どもさんと一緒にすまないのかと、お世間馬鹿の 今村氏は疑問を呈しているが、それは成瀬さんご自身に聞きにいけばよい。成瀬さんが、一人暮らしで、誰が困っているのか。そんなことは番組では言及されていなかった。つまり、成瀬さん自身も独立して、他で暮らしているという子どもさんも、それで幸福だから、そうしているのだろう。何もしらないお世間馬鹿が、馬鹿のしきたりどおりに、老人は子どもが面倒をみるべきだとか、一人暮らしは危険がおおすぎるとか馬鹿な邪推を投げつけて、成瀬さんのポリシーを、嫌がっているだけなのである。成瀬さんは、一種の哲学者である。お田吾ちゃんらお世間馬鹿に理解できるわけがないだろう。

何度も言うが、成瀬さんは、30数名の従業員を雇用している社長さんである。工場にも事務所にも自宅にもコンピュータを入れていない。帳簿をつけるさいなども、いっさいコンピュータは使っていない。成瀬さんは言う。人間ができることは人間でやればよい。自動化は人類の敵だ。人間が駄目になる。だから、コンピュータを入れないのだと明解に答えている。また高齢のことで、今や歯が一本もないらしい。このことも、成瀬さんには理屈がある。歯があれば虫歯になって痛いものだ。歯がなければ痛くなることもない。歯茎だけで、肉でもりんごでも食っちまう。元気な証拠だ。また成瀬さんは言う。残業は厳禁している。

それに大企業からの下請け仕事は、できるだけやらないようにしている。下請けを下に見て、仕事をやらせてやる、という大企業の態度が気に入らない。大企業は、仕事より金が大事だ。成瀬さんは言う。私は金より仕事そのもののほうが、価値が上だと信じていると。成瀬さんのように、哲学を実地の生活に透徹させている男の物語などお世間馬鹿としてへいこらへいこら生き恥をさらしているチンチン労働者にすぎない お田吾ちゃんが理解するには到底無理な話である。

一昔前よく耳にした話だが、子どもたちが、みな都会に出て行ってしまって年月が経つと老人は伴侶をなくして一人すまいを強いられてしまう。誰が面倒を見るのかと、これが社会問題となっていた。老親は子どもが面倒を見る。子どもとしても、愛する親の面倒は見られるものなら、自分のそばで見て見たいだろう。人情だ。そこで都会で核家族生活をしている長男以下子どもの下に引き取られて行った。今でも、それはそうに違いない。だが考えてみるまでもなく、住環境をはじめ都会の暮らしは長年田舎で暮らしてきた老人には過酷なものがある。狭苦しいマンションの一室を与えられて満足できるだろうか。まったく庭もないという場合も多い。することが何もなくなりボケる一方だ。

何かしようとすると長男の嫁から、おとうさまは座っているか、横になって寝ていればいいんですと叱られる。最初から粗大ゴミあつかいは見え透いている。嫁っ子としても、老親に対して、それ以外の、何ができると言うのだ。教育熱心の親からいじめられている子どもが見ていられなく孫の教育に口を出したりしたら最後、徹底的に邪険にされる。今度は次男のところにおっ飛ばされる。次男がだめなら三男坊。子どもが何人かいれば、たらいまわしにされるのが落ちだ。早晩、施設行きがまっている。施設に入って二年もしないうちに寝たきりになる。ここでもまた同様に、やることなすことを奪われてしまうからだ。

都会に出てきて孤独にさいなまされて夜も眠れない老人を襲ったいくつもの悲劇が報道された。まずは、知り合いがいなくなる。老人は完全に孤立するのだ。人間、パンツさえはいていればよいというものではないだろう。洒落た柄のあるパンツさえはかせておけば、心も癒されるだろうと思うのは老人をコケにした話だ。パンツと人生は別物だ。よく考えろ。いくら洒落た都会風のパンツをはかされてみても、手に触れる自然や知り合いが、まったく無くなってしまっては生きた心地もしないものである。ここを、よく考えろ。田舎の老親の首に縄をつけて、無理やりに秋葉原のパソコン街を引っ張りまわして、おとっちゃんもインターネットをやれば、楽しい余生が送れるはずだと説教こいたりして何が楽しいのだ。

都会生活を上等に見る、この手の社会意識は、おそらく経済の高度成長期以後、国家を上げて加速されて喧伝されてきた社会意識だったが、今やこの誤りは誰の目にも明白である。あらゆる意味で都会は貧しいのである。自然のないところでは、人の心もすれっからしになる。この手の無意味で不毛な家族関係も最近は少しずつ見直され始めてきたようだ。伴侶を亡くし一人きりになった老親も、体さえ元気であれば子どもの世話にはならずに、寂しさは覚悟の上で、これまで通り田舎でのんびりと暮らしている事例が多いと聞く。なにがなんでも都会の子どもと一緒に暮らすというのは、どうしても無理が出てくる。一人暮らしは寂しいものだがゲンダイの寂しさは誰しも同じだ。都会に出てきてしまったら最後、多かれ少なかれ地獄を見なければならない。 今村労働者も少しは考えろよ。一人暮らしの年寄りを馬鹿にすると承知しないのだぞ。

お田吾ちゃんは言う。「一人暮らしで可哀想」と。ガラクタ集めに興じてその日ぐらしの君のほうが、よほど凄惨な貧困生活を送っているように私には見えてくる。君の生活は、都会生活者が強要されてきた生産するか消費するかの二項対立のせせこましい資本主義の範疇より外には出られない。まるで貧乏まるだしだとは思わないのかね。いっそ94歳の成瀬さんに弟子入りして、そのなまくらに粉飾されてしまった精神を叩きなおしてもらってこい。さすればおとっちゃも、 お田吾ちゃんを許してくれるだろう。大地を相手に格闘してきた百姓の根性を忘れるな。都会の二足三文。田舎がある者は幸せだ。

50にもなって、飯のひとつも炊くことができない半端な男は誰だ。もらった給料はすべて自分の腹に収めてしまう。田舎に仕送りしちょるのけ?ほなら少しは許してやるがのぃ。いずれにしても、田舎のおとっちゃんとしては、オタク三昧に明け暮れて能も芸もない息子の惨憺たる有様を嘆いていたというのもよく分かるのだ。田舎のおとっちゃんから米を送ってこられても、芋や米は嫌いだとわがままを抜かし、さっさと外食の豚足を食いに出かけてしまう。どこまでいってもないものねだりの不平不満だ。飯を炊く知恵がないものだから、田舎から米やらイモを送ってこられても面倒臭がって、段ボールの横腹に手をつっこんで好物の栗だけをまさぐるように、せしめておき、残りは箱ごとゴミに捨てっちまう都会暮らしの親不孝がいたと聞くが、あれは お田吾ちゃんだったのけ?

まずは成瀬さんのところにいって飯の炊き方から修行してこい。田舎住まいの親の恩をなんと思っているのか。米やらイモを無駄にしてそれで日本人と言えるか。成瀬さんを見ろ。飯を炊く前に数滴のゴマ油を釜のなかにたらしておくと、ご飯がおいしく炊け食べ終わった後、米粒が釜にこびりつかずに洗う手間がはぶける発見をしたとのことだ。このように93歳になっても、生活の隅々にまで気をくばってやまない。道具やモノを大切にしようと日々、知恵を働かせ工夫を怠らない。中古品やガラクタを集めてきては、部屋中ぶっちらかし放題で足の踏み場もなく、夜な夜な掲示板に出没して関係のない者にまでガラクタを自慢しては悦に入っては、おパソを使って「モノ」語りに打ち興じインテリぶっているオタク根性の現代馬鹿とは、精神のありどころが違うのだ。成瀬さんは心と行為が直結しているのだ。 今村氏のように心と体が、バラバラに捻じ曲がっているために、適当に口先だけで都合よく、くっつけたり離れたりはしないのだよ。

昨日は再放送とのことで、昨年5月に放送された番組以後の成瀬さんの様子が写されていた。それによると秋の頃、足を骨折してしまったらしい。なんと言っても94歳だ。無理はできない体だ。それを機に工場の経営は娘婿さんに譲ったとのこと。引退した後は、こんどはわたすは遊びまくるだよ、と鼻息あらく意気軒昂だ。最近はギターが趣味になったとのこと。「酒は涙かため息か」を上手とはお世辞にも言えないが、真剣に弾いて聞かせてくれた。 お田吾ちゃんは何か音楽はやっているのけ?ガラクタばっかり集めていないで、浜ちゃんのところに尺八でも習いに行ってみたらどうだ。そろそろ老後のことでも考えろ。いつまでもケツを青くして、飯も炊くことができずに、毎夜毎夜ガラクタ相手に法螺を吹いているだけでは人格が疑われる。完全に今村お田吾ちゃんは94歳に負けているよ。

そういえば同じNHKスペシャルのシリーズで、昨年11月の放送を思い出した。そのときも、成瀬さんと同じように元気にされているお年寄りが紹介されていた。一人暮らしを言うならこちらはもっと徹底している。

ユリさんは79歳になる北海道の女性である。何年か前までは夫と一緒に、番屋に来ていたが夫を亡くしてからは一人で番屋に来るようになった。毎年4月から9月までの半年ちかく、二匹の犬をつれて知床 半島の突端にちかい浜辺の番屋に移り住む。周囲には人っ子一人いない。半年間、この番屋にたった一人で寝泊まりしながらコンブ漁を行っている。浜に打ち上げられたコンブを毎日黙々と拾い浜の上で乾かし、乾いたコンブを倉庫小屋に備蓄しておき秋に子どもたちが迎えにきたときに、これを船に積み込み、町に卸すのである。もちろん番屋には水道も電気も電話もない。町からの道路もない。ここには、海伝いに船でくるより方法はない。沢から水を引き浜に打ち上がったイワシで食事を作る。流木を燃やして風呂を沸かしランプの灯りで夜を過ごす。

時々番屋近くまでヒグマが現れるが、ユリさんは驚かない。クマがいよいよ近づいてくると二匹の犬がユリさんを守ってくれる。どんなに便利な都会の生活よりも番屋暮らしが自分にあっていると言って、毎年春からのたった一人のコンブ漁を楽しみにしているらしい。子どもたちは母親の体が心配で、番屋生活はそろそろやめて欲しいと何度も頼むのだが、ユリさんは聞き入れない。まだまだやめるつもりはないらしい。知床の大自然と79歳のユリさんが一体になっているのだ。今や自然こそ、ユリさんにはなくてはならない伴侶なのである。

>わたす、人の絆をまったく評価しない一人暮らし志向には反対なんよ。

と、田子は言うがだからね、お田吾ちゃん。例の番組を素直に、きちんと見れば、それは逆でしょう。成瀬さんは人の絆をまったく評価しない一人暮らしだったのですか?そのように描かれていましたか。まったく反対だ。娘さんをはじめ、従業員、同業者、ダンス仲間など、数多くの人に囲まれて、人とささえあって暮らしていることこそが描かれていたはずだ。それに成瀬さんは、よくいるワンマン社長という性格ではない。君はどうして反対のことばかり言うのだろうねぇ。それは君が番組の意図をほとんど正反対に曲解しているからだよ。番組の意味するところを、ほとんどなにも読み取れていないからだよ。

>わたすは番組の主人公の姿に「無理」な姿勢を感じたから、可哀想だったの。

そもそも例の主人公さんは、番組収録時は93歳だった。再放送時点では社長を退いて94歳になっている。お田吾ちゃんは、主人公の年齢を批難しているだけなのだよ。年齢については、どうしょうもないだろう。いくら若く見えると言っても、元気でよかったねと言っても、93歳は隠せない。見てくれ上の衰えがあるのは当然じゃないか。番組の意図もそこにあった。 お田吾ちゃんは「映像」そのものにしか興味がない。番組が主張しているのは、93歳になっても、はつらつさと活動している老人の精神の描写だ。君にはそれが伝わらなかった。

「無理な姿勢」だと君が見たのは老人の肉体や外形のことだろ。だから可哀想だと思ったのだろ。無理を言っているのは君のほうだ。それが曲解だと言うのだ。 お田吾ちゃんの願望は「ないものねだり」にすぎない。今どき、米をといでいる姿など惨めに写ってしまう、それが都会肌で著名なお田吾ちゃんの生活観だ。私から言わせればそれは田舎出の成り上がり者がよく示す虚勢と虚飾の意識だ。

お田吾ちゃんは老人が薄暗い台所にたって米など研いでいる姿にまずは、納得できないのだ。そりゃそうだ、いかにも寂しげに写ってみえる。だが寂しいのは光景のことであり、そこで米を研いでいる成瀬さんの心はどうなのかね。 お田吾ちゃんには、心などは関係ないようだね。「絵」の映り栄えこそ、映画通たる今村ちゃんには最重要事のことなのである。だが、それは表層のことだ。外形から見えるのは皮相な部分だ。お田吾ちゃんは、一見みじめったらしい老人の姿から昔の「遅れた」生活を感じ取ったのだろう。お田吾ちゃんが可哀想に思ってしまったのは、まさに「絵」の暗さなのである。田吾作の頭は、モノクロ映画は古いと言って排斥する馬鹿同然の頭脳模様だ。馬鹿はどっちだ、お田吾ちゃん。映画通が聞いてあきれる。

油にまみれた工場の様子。隣接する老人の家も暗く写っている。これだけで、もう都会肌の映画通であらせられる お田吾ちゃんには番組の趣旨も、そこに登場してくる人物の気持ちも受け入れることは不能となっていたのである。なによりお田吾ちゃんは、老人の姿など観ても観なくても、これっぽっちも価値がわかない。老人とは、おしなべておいぼれのことである、くらばりぞこないである。百歩譲ってまれに老人がTVに出てきてもよいが、それならそれで、それなりの演奏能力を見せてほしいというわけだ。能力があるなら、老人でも許容できないことはない。能力主義よりは実績主義だ。能のある老人ならば お田吾ちゃんのおめがねにもかなうだろう。成瀬老人がギターを爪弾いていた。だが曲にもなっていないような弾きかただった。これじゃ箸にも棒にもひっかからないというわけだ。

実績主義のお田吾ちゃんには、ますます、くたばりぞこないの94歳にしか見えてこない。どこまで見せられても説明されても、お田吾ちゃんが見ようとしているのは、肉体と能力の美である。人間はそれだけだ。精神?心?気持ち?それはきちんと働いてから、主張してください、というわけだ。映像から読み取るべき最初の関心事は、なんといっても形と色と付随する音楽などだ。老人でも初心者でも許すには許すが、曲にもなっていないギターはTVで見せるべきものではない等々とうとう。これが お田吾ちゃんの番組評のすべてである。

精神?心?気持ち?そんなものは、観るに見えないではないか。食うに食えないものではないか。お田吾ちゃんには、どうでもよい抽象物だ。中古でも新品でも、現物に限る。腹の足しになる現物をもってこいというわけだ。人間は若いほうが元気だし美しいとは自明のことだ。わざわざ、ヨボヨボした老人をTVに写すことはない。見苦しいばかりだ。社会に役立っているのは若者と壮年男子、女性も美しいのは若いうちだ。こんなことは子どもでも知っているいる。それが証拠に、映画を見ても主人公はだいたい美しい若者である。映画であれTVであれ、若者を押しのけて老人がでしゃばってきては困り者だ。老人は、まして90歳以上の老人など、どいつもこいつもくらばりぞこないで、よいのだ。彼らは保護されるべき「可哀想」な存在で、彼らに一人暮しを許しているなど、世の中がどうかしている。

だから昨日、お田吾ちゃんに聞いてみたのだよ。主人公が老人ではなくぴちぴちしたカワイ子ちゃんだったら、君は可哀想だとは思わなかっただろうとね。図星だったようだ。成瀬老人が米を研いでいたのは薄暗い台所だった。その薄暗さが、君には「可哀想」に見えてならなかった。もっとモダンで明るいマンション風のキッチンだったなら「可哀想」には思わなかっただろうし、無洗米という便利なものがある現代で、米研ぎとは惨めったらしいと思った。そもそも主人公が93歳であるという事実、それが君には観賞するには、そもそも無意味なことだった。93歳という年齢を告げられたと同時に、君はほとんど思考停止し、番組に反目した。反目しながら、一応最後まで番組をしぶしぶながら観てた。それだけのことだ。

好悪や美醜を基準とした人を見る習性というものは何にも勝る心性である。いくら老人が元気だと説明されていても、お田吾ちゃんには老人が元気かどうかなど、ほとんど興味のないことだった。周知のとおり、 お田吾ちゃんは、お洒落な映画通である。TVとは言っても映画と同じだ。写し出されている人物、風景なりが、現代風に都会風に「美的」に感じられなければ、なんの意味もない。興味がわいてこない、映画と言い、TVといい、できるだけカッコよい主人公に越したことはない。それが映画だ。TVも同じだ。老人が元気にしていようといまいと、 お田吾ちゃんの興味はそこにはなかったのだからしかたもないだろう。老人はなにをやっても、みじめったらしくしか見えない、天下のTV番組に大手を振って、老いさらばえた姿など、見せるべきことでもない、と お田吾ちゃんはそう主張しているのである。

ま、意見は意見だ。人それぞれだろう。映画通録画マニア勧善懲悪お田吾ちゃん。これにくじけずに、がんばりたまえ。アニメならアニメ、マンガならマンガ、録画なら録画、ミーハーならミーハーなりにとことん徹底してみるのも人生の一興だ。 せっかくだ、次のお田吾ちゃんの書いた文章について質問をしておきたい。

どれだけこの番組を見たお方がいるかわたすは知らないが、番組の人が困っているかどうかは番組では関知していない。おおよそドキュメンタリー番組は、あるがままの姿を映すことをその倫理に掲げているから、「困っている風なこと」があるかどうかは視聴者の感想に左右される。で、わたすは、感想以上のことを語ってはいない。わたすが書いたのは、「可哀想」だ。

上記文の冒頭では、番組の主人公である成瀬さんが「困っているかどうかは番組では関知していない」と、お田吾ちゃんも認識しているわけだ。これは私もそう思し、番組制作者の意図も同じだと思う。にもかかわらず、君は可哀想だと明言した。そこを、もう少し詳しく聞いておきたいのだよ。 お田吾ちゃんの場合は、当の番組を見て、番組のどこから「可哀想」だという感想が生まれてきたのだろう。私はお田吾ちゃんとはまるで、反対の感想を得た。製作者の意図の通りに受け取ったと信じている。可哀想どころではないよ。93歳の高齢にして、工場を経営し、古い車や機械を修理しつつ、また奥さんがなくなられて以後、一人暮らしだが、自分で自炊している。

週に一度、社交ダンスの教室に通っている。すべて成瀬さんの意思に基づく。誰かに強要されて、そうしているわけではない。工場で働くことも私生活もすべて積極的に取り組み、いかにも楽しそうに暮らしている。93歳にして、あれだけ元気に暮らしていることは、視聴者の誰にとっても共感を与え、高齢化社会に向かって加速されている事実の前に、多勢の年寄りを少数の若者が面倒を見なければならないのかと懸念が広がっている中で、何歳になっても元気に一人でやりくりしている老人の姿は、誰にとっても喜ばしい事実ではないのだろうか。実際、番組の中の成瀬さんは終始ニコニコ顔で、やることなすこと楽しげに取り組んでいたはずだ。番組中、一言の不平も不満ももらすことはなかった。

ところがお田吾ちゃんは「可哀想」だと言うのである。私の感想はお田吾ちゃんとは正反対だ。お田吾ちゃんも確認しているように番組は成瀬さんが困っている風には描いていなかったのである。にもかかわらず お田吾ちゃんは可哀想だと言う。番組のどこをどう見て可哀想だという印象が出てきたのだろう。これを説明してちょうだい。成瀬老人のどういう所が可哀想だと思ったのか。または番組のどの箇所あたりが可哀想だと思ったのか。頼むよ、 お田吾ちゃん。よく胸に手をあてて考えてごらん。話は具体的に頼む。

私はその番組は都合二回見ているから、言ってくれれば場面は、すぐに頭に浮かべることができる。繰り返すが、私は番組中、一箇所たりとも可哀想だなどと思ったことはないし、また成瀬さんの姿が可哀想に見えた箇所もなかった。 お田吾ちゃんには可哀想だと見えたとういのが、どうも不思議でならないのだよ。印象はもちろん人それぞれだ。それを話してみて欲しいのだ。番組中、どの箇所を見て「可哀想」だと思ったのかね。どの部分が可哀想だったの。

わたすは、可哀想と感じた部分は2箇所。番組の主人公が(わたすっは実名を垂れ流すのは主義ではないから、こう表現する。)が、得意げに(?)、ご飯炊きの秘策を説明したところと、ラスト(正月版では以前放送したものに、いまの彼の姿を付け加えたものだ。)、いまの彼が手習い始めたギターの腕前を披露したところ。

おかしな人だね。無洗米を使わずにゴマ油をまぶしてご飯を炊いていた姿が「可哀想」に見えたのか。ギターを爪弾いていたことが「可哀想」に見えたのか。とりあえず額面通りに受け取っておくが、 お田吾ちゃんはそうとうの馬鹿だとは感じていたが、ここまでパーだとは想像しなかった。映画通が泣くぞ。

ご飯焚きでのごま油垂らしを見て、わたすは「可哀想」と思ったのであるぞよ。

それだけの理由で、「可哀想」だと思ったとは、実に短絡だとは思わないのかい。君の頭がだよ。何も語っていないだろうに。どうしてゴマ油と可哀想が直結してしまうのかを聞いているのだ。自分の言葉の出所を、よく見つめてみろ。何度言ったらわかるのだ。頭がパーやん。では君はメガネをかけているようだが、めがねをかけているから可哀想なのか。いささか腹が出ているが、出ているから可哀想なのか。そのように人から言われて、へらへらと喜んでいられるのか。デレスケ山が。よく考えろ。可哀想とは婉曲な言い回しにすぎない。君のつっぱった腹を人からああだぁこうだぁと言われることと同じように、君が発する「可哀想」言辞も誹謗中傷の一種に過ぎないのだと気がつかないのかい。

下手な演奏を、一生懸命、まるで、それが楽しいことかのように、何度も間違えた音程を引き流す姿を見て、わたすは、可哀想だったぞよ。

同上で、婉曲な誹謗中傷だ。簡単に言えば本人が楽しんでいるなら「可哀想」もクソもないだろう。君は当老人の親戚か?ギターの教師でもしているつもりかい。本人が楽しんでいる以上のなにを楽器に望むのかね、 お田吾ちゃん。仮に若い女の子が老人と同じようにギターを弾き、同じ曲を同じように間違って弾いていたとしたら、君はいかなる感想をもらすだろうか。君に限っては君だけは(笑)決して女の子の様を「可哀想」だとは言わないはずだ。そのことを、どう思う。そうした自分の心の底にあるものをよく見つめてみなさい。

こうして老人に対する君の偏見が丸出しに露呈されているのだ。ギターが問題ではない。老人がギターなんぞ弾くな!とすら言いかねない、古くされた頭の持ち主は誰だ。それが問題なのだ。君もタチを知りたまえ。 お田吾ちゃん。問題なのは、老人ではない。君の猥雑かつ矮小な醜い頭の中身のことだ。

人を外見からしか判断できない。完全に番組を曲解している。あまりにも偏った強引な印象だとは思わないのかね。見たままの印象ではなく、見た直後に君なりの邪推が沸いてきて、番組の意図を否定したがっているとしか思えないよ。無洗米を使っていないからという因縁をつけて、自炊している当人を毛嫌いするとは恐れ入った。そういう見方しかできないのかね。君は。モノを大切にすることは、都会人には一面、貧乏ったらしく見えるのはよく分かる。だが、修理しながら使っているというのは今日では美徳だよ。君はそうは思わないのかい。

新しいものを次から次へと消費し、古いモノは捨てまくるというのが、君のイメージにある生活観のようだが、それは疑問だね。しかし、君には驚いたよ。ほぼ想定しておいた通りの答えだったが、ここまで俗物根性に頭がやられているとはねぇ。君の根性は、いかにも現代風だが詳しくみるなら経済の高度成長期に特徴的だったものだ。今は、それすら古くなっている。スクラップアンドビルドの使い捨て俗物根性は相変わらずだが今はそれだけではやっていけない。同じ根性でも、もう少し複雑に語られているはずだ。それにしても君の脳みそは単純で分かりやすい。

「なにが悲しゅうて、そこまでして一人で生きていかねばならんの」などと君が成瀬氏を非難するのは曲解もはなはだしい。悲しい気持ちになったのは、画面に出てきた当人の年齢によるのかい。では何歳以上について、君は悲しくなるのかね。70歳までなら一人で生きていくのが正当だが、71歳以上の一人暮らしは、悲しいものなのかい。君は自分のことはどうなのかね。君の一人暮らしだと聞く。君の場合は、後何年ほど経てば悲しくなるのかね。現在子どももいない君は70歳になったら、老人ホーム行きが望みなのかい。ま、それも人それぞれだ。だが基本的に、「一人で生きている」以上の生きている喜びがあるとは思えないよ。

君は考え違いをしている。何歳になっても、それはそうだ。施設に入るのも、子どもの家庭に世話になるのも、体が動かなくなり、誰かの世話がなければ生きづらいという理由ができて、余儀なくして共同生活をするのではないのかね。元気なうちは、自分でやれることはやりたいものだと思うよ。何歳であれ。健康状態というものは、人それぞれだから、何歳になったら、どうしろとは決められないものだろう。そういうことをよく考えなさい。君も一人身とはいえ、いい大人なのだからね。分かったね。ああ、小学生を相手に説教すると、疲れがどっと出る。

高齢化社会という言葉はよく聞くが、問題は自己意識だ。われわれも未知の世界なのである。誰しも自分が90歳にして、ひょこひょこと結構元気に町を歩いているなどと想像外のことなのである。だが、現実は旧来の固定観念に閉ざされていた自己意識を、やすやすと超えていく。あっとい間に、若いと思っていた自分自身が70になり、80を超え、90に手が差し掛かるということも、不思議なことではない世の中となってくる。かなりの部分で、すでにそのような世の中になっているとも言えるだろう。理解より現実のほうが早く進んでいっている。人間の理解は、いつだって現実の後からついていく。

「事実は小説より奇なり」とは、そのことを言う。現実の諸断面を見せられて始めて真の現実に触れることができるのである。理屈は不要だ。理屈で現実を理解しようなどとはかったるい。新しい事物や現象に触れたときの、私の心構えこそ問題なのである。直視する勇気を持ちたまえ。うろたえるな。新しい現実は、どのようなものであれ、私は諸手を上げて歓迎する。人間は弱い。認識力も理解する能力も、自然に比べれば、すずめの涙だ。俺は、俺はの剛直な態度は現実からしっぺ返しを食うに決まっている。 お田吾ちゃんも、謙虚になりたまえ。これまでの歴史がそうであったように、明日なにが起こるかわかったものではないのだから。

さて、老人は社長の椅子を娘婿に譲ってから暇ができギターを習い始めたと番組で紹介されていた。引退したのは昨年秋のことだから、ギターを手にしたとは言っても、まだ間もない。楽器を習いを始めた当初は誰でも、そうは上手に弾けるものではないだろう。当たり前のことだ。それを君は下手だから、という一言のもとに片付けて下手だから「可哀想」だと、さっそく侮蔑する。彼は94歳だよ。それに、なにもギター奏者になるつもりで弾いているわけではないことは君だって承知の上ではないのかね。君はそんなことも分からないのかね。あきれた男だ。君は映画をだいぶ観ているようだが、いつもそんな調子で観賞しているのか。そんな嫌味な感想しか頭に沸いてこないのかい。情けない御仁だねぇ。あいた口もふさがらないよ。

やはりお田吾ちゃんには抜き差しならない旧態にして剛直な固定観念が脳みそを占領しているようだ。「老人というものは・・・かくあるべきである」という固定観念が邪魔をして新しい事実を見ても、 お田吾ちゃんには受け入れられないのだよ。だから自分の都合のよいように番組制作者の意図を曲解した上で観賞し、その後感想を語るしか方法がないのさ。番組を直視し、素直に見ることができない。「NHKスペシャルにんげんドキュメント」という放送はTV番組数ある中でも先進的に製作されていることでは定評がある。

同番組では、これまでも視聴者の常識を覆し、あっと驚くような生活をしている人たちが次々に紹介されてきた。古い考えに犯されて自省のできないた人たちには、番組そのものが受け入れがたいのだろう。このたびの放送も93歳の人間は、あんなはずではない。あの姿にはウソが混じっていると、ついつい誤解し、自分の間尺にあったように曲解して、嫌な番組のことを、やっと忘れることができる視聴者も全国には少なからずいるのかもしれない。 お田吾ちゃんのようにね。

実際の姿は、あんなものではないはずだという憶測を働かせる。事実は画面の裏にあるはずだと邪推を働かせる。93歳にしてニコニコできるはずがないという否定的きめ付けがはじまる。そんな老人は見たことも効いたこともないという経験主義。常識から考えても93歳ならば、その存在がそもそも「可哀想」な存在なのであるという従来観念。ここから発してきた当人を中傷してやまない数々の言辞言説。番組では確かに老人はニコニコしているが、別に喜ばしいことではないと強引に押しやってみる。見てみぬ振りを決め込む。どうしても語らなければならないときは、画面を正視できずにうつむきながら憶測を付け足しては、ぼそぼそと感想を語るまで。

老人は、今はやっている無洗米も使っていないし自炊といっても褒められたことではないという揚げ足取り。自炊するなら無洗米を使わないというのは「可哀想」な証拠だ、という短絡的断定。じっさい、ヨボヨボしながら米をとぎ、下手なギターを弾いていたではないかと、自分を納得させる。

なるほどお田吾ちゃんのヒューマニズムの性質と社会性というものが、とても良く分かりましたよ。それにしても笑うのだが、チミは精神がすっかり萎縮してしまったのか実に心の狭い貧しい男に見えるよ。映画通が聞いてあきれました。よく番組を見れば、成瀬さんの場合も、お田吾ちゃんが次のように言う通りだったのだよ。

なにかあったときはすぐ駆けつけることが出来る場

いわば味噌汁の冷めない距離というわけだろうが、成瀬さんの場合も、工場の経営は娘婿が後を継いだと説明されていたが、そこから分かるのは娘さんもごく近くに暮らしていることは明白だ。成瀬さんも、なにも子どもたちから、ほったらかしにされているわけではないのである。見ておくべきはやはり、成瀬さんの独自性だろう。93、4歳に至るまで、自分の考え方を貫いてきた潔さである。昨日も書いておいたが、社長として工場の技術的側面もそうだが、私生活の隅々にまで、こまかな気遣いを忘れない。

運転している自動車は30年前のトヨタ・パブリカだった。修理しながら乗っているのだ。もともと成瀬さんは自動車修理工だった。工場の工作機械もみな、工場を興した当時の30年前のものを使っている。注文機械の設計担当者も図面を手書きで書いてしまう。パソコンはいっさい使っていない。30数名の従業員の3分の1は60歳以上だ。新聞は3紙を丹念に読んでいる。読み終わった新聞紙は、古紙回収に来る近くの小学生のために、運びやすいように、1ページづつ切りとって、四隅をきちんとたたみ、きっちり一週間分づつ、紙テープで綴じておく。

ビニールなどを使うと、古紙リサイクルで、それを取のぞく手間が出来てしまう。だから子どもが持ちやすいように、そして取り除くものがなにもないように、自分が工夫して、そのように手間をかけているのであるという。また、数年前のことだが、同業者が倒産寸前になった折、成瀬さんに相談の電話を入れたところ、あれこれ聞き出すこともなく即座に借金を肩代わりしてくれ、工場を買い取って、その同業者さんにはいままで通りの工場で操業を続けさせてやったとのことだ。彼によれば、成瀬さんは窮地を救ってくれた命の恩人だという。武士の情けと申せよう。ぐだぐだいわずにやるときはやる、ただちに行動にでる。助けるときは全面的に助けてしまう。成瀬さんは学歴はない。小学校出だ。それが功を奏しているのだろう。人をして説教したり、理屈をたれたり、問いただしたり等々と、いっさい、がたがた言わないのだよ。信念にもとづいて行動している人にとって、言葉は限りなく不要になる。

週一回、社交ダンスの教室に通うのが楽しみだという。骨折してからは、通っているかどうかは知らないが、その教室で、休憩しているときの場面があったが、成瀬さんの真骨頂が出ていた。横に座ったおばさんが、茶を飲んでいる成瀬さんにテーブルにあったヨーグルトを勧める。成瀬さんは言う。わたしは英語の食べ物は、よう食わない。お茶は好きだ。お茶は日本語だと。英語嫌いで通している私もえらく同感したものだ。アメリカにノーと言える日本人、ここにありだ。溜飲を下げた。こうしたことは、単なる新旧の問題ではないと思う。

成瀬さんなりの哲学があるとしか思えないだろう。老いた親を一人暮らしにさせるのか、または子どもと一緒に同居させるのかという問題は、われわれみなが留意すべき重大な問題だが成瀬さんの場合は、悠々とその形而下的問題を超えている。番組のタイトルも「にんげんドキュメント」とあるように、老人問題一般ではなく、成瀬さんの独自的な生き方、考え方を、視聴者にも、分かって欲しかったのだと思うのだよ。 お田吾ちゃん。

言っておかなければならないのは、なんと言っても成瀬さんは93,4歳ということで、高齢も高齢、この元気さは、度が過ぎているように見えるのだ。これまでの常識では考えらない。これが視聴者に、ある種の反発を抱かせないとも限らない。つまり奇跡的な老人であるということだ。だが、私は思う。それは私たちに見えないだけなのではないだろうか。成瀬さんは、自分の姿など何ひとつ自慢することもなく、誰に見せるつもりもなく、こつこつと暮らしてきたのだ。確かに、70、80を越えれば、寝たきりになってしまう老人も多い。これからもそうだろう。

少子化は加速している。どこの街も田舎も老人だらけになってしまう。一方、全国には成瀬さんのように90を越えても、第一線で暮らしている老人も、案外に多いのではないだろうか。われわれの眼に入らないだけなのではないだろうか。成瀬さんの姿が放送されたことで、これまで奇跡的だと思われていたような現象の存在が示されたのである。であるならば、これからますます、成瀬さんのように元気なお年寄りも全国に増えてくるだろう。これは嬉しい予測である。

年を取ってくれば、誰でも足腰が弱くなり耳も目も遠くなる。だがそうだとしても、ほんの少々のことならば、最低限のことならば、できることはできるだろう。何ができるかできないかは、その人によるだろう。便所ぐらいは一人で行きたいものだろう。やらなければ出来なくなるものだ。助けてもらうのが通常だったら、二度と一人では出来なくなるという習性がある。こっちのほうがよほど老化を進めるという説もあるほどだ。やろうとしなければ、誰かが埋め合わせをしなければならない。何歳になっても、成瀬さんのように元気に暮らしていたいと思うのは誰しものことではないのか。

墓場に入る最後の最後まで、できるだけ人の世話にならずに自分のことは自分でやりたいものではないのか。成瀬さんは、人として生まれてきた以上、最後の最後まで人たるプライドや人格を保ちつつ暮らしていく可能性を実際にわれわれに示してくれたのである。80になったら子どもの世話になるばかりが能ではないのである。80になったら寝たきりになるよりしょうがない、のではないのである。

老いたら何もできないのではないのである。老いるという現象さえも人それぞれだ。

 

 

 

 

 

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▼街道の餃子定食に冷奴

2017年06月06日 | ■かもめ文庫

 

2017.06.06 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼鍵屋の中庭

2017年06月02日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.06.02 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼九段下のかき揚げ玉子そば

2017年06月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.06.01 千代田区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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