赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ところで 九条を守れとは憲法違反であるやなしや?

2024年03月29日 | ■ヨニウム君との対話

以下、またぞろ昔の記事の再掲で悪いのだが・・・

 

世に倦む日日・・・「『皆さんとともに日本国憲法を守り』と言わなかった新天皇」をアップしました。 critic20.exblog.jp/30256307/

世に倦む日日・・・天木さんがいつも言っているように、日本の国家の外交安保の政策方針は、憲法9条を基軸とするか、日米同盟を基軸とするか、その二つに一つなのだ。そして、前者が正しい道で後者が誤った道である。憲法9条を基本として政策を方向づけなければいけない。その方向に転換しなければいけない。 

 

上のヨニウム君の例による世迷言を見て、一言、思いついたことを申し述べれば現行日本国憲法も現在生きている日本人たるものの意識全般に及んでいるかもしれないが、よきにしろ悪くにしろ、日本国の歴史と文化に比すれば、だいぶ格下の言挙げにすぎないという問題があるのだろうと思っている。事実、憲法は、右であれ左であれ、権力からも人々からも、なかなかに、これで結構、あしざまに扱われてきたではないか。以下のごとくに、なかなかにこれで憲法違反が横行していた事実を見ておきたまえ。

私立学校には国費を費やすべからずとの条項がある。憲法第八十何条かなにかだ。だが、実際はどうだ。この教条をいまさら条文どおりに厳格に施行したばあい。どういう混乱が生じるのかは誰にもでわかる。よって、見てみぬ振りをしているだけではないのか。私学には国費を入れるなと云う憲法とおりの原則論だけで行くなら、どういうことになるのか。たちどころに私立学校は片っ端からつぶれるだろう。よってわが国の教育行政は破綻する。考えてみたまえ。すくなくとも、この場合憲法違反、または憲法無視でやっていったほうが、なんぼか正論だということになる。

日本国憲法 第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 

同様に自衛隊はまぎれもない軍隊であり戦力だ。共産党が言うとおり憲法違反の存在だ。だが、かれらの存在を誰が否定できるだろうか。自衛隊は、わが国にとって、なくてはならない存在であると、いまや国民全体に容認されている。この場合、憲法違反ではあるけれど、されば違反したほうが現実的な「正義」に沿っていると・・・国民が、そのように納得了承しているからに他なるまい。こりゃまためでたくも国民全体が憲法違反者なのであるからして「赤信号みんなでわたれば怖くない」式の、実におもしろき現象なりけりや。もちろん、拙者は、それでよいとは毛頭考えてござらんばい。一言そえておくならば、第九条というもんが、どれほど常軌をはずした「掟」だったのかということだ。まるで占領下が今でも続いているようではないか。アメリカに従属している?あたりまえだろう。手足をもぎとられ丸腰にされた状態をしてアメリカに頼るしか、一面焼け野が原にされてしまった列島の一億国民が生きる方便はほかになかったのだから。問題は、七十年たった今でも、この占領下の非常識な「掟」が生きているとはつくづくあいた口がふさがらないのである。

    〃   第九条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 


2015  足立区

 

昨日、元ウクライナ駐在大使(2005~2008年)の馬渕睦夫氏の話を動画でみた。上の話も、そのときの受け売りなのだが、さらに馬渕氏は次のように云ふ。明文化された憲法などより、よほど国民の意識また意識下にある「国体」意識、すなわち私なりにこれを言い直せば、ようするに自国に対する愛国心のほうが、よほど国体の深部に作用している場合もあると。さすれば憲法とはいえ国民にとって無用にして不要な念仏もどきの教条は片っ端から反古と化し空文化するのであるからして青筋たててムキになってかかる必要もなく案外にほっとけば、そのうち腐れ始めてくる、という説なども憲法と憲法の改正問題について新味があって実におもしろかった。

一週間ほど前のことだった。散歩修行者の拙者が降り立った私鉄沿線の某駅前に、例によって共産党のじいさんばあさんの数名が「9条を守れ」との署名活動を行っていた。拙者はにやにやしながら近づいていき。君たちのやっていることは「憲法違反だよ」とお伝えしたところ、われらの活動のどこが憲法違反だとうすハゲ頭のじいさんが、かみついてきた。そこで次のように、やさしく諭してやった。署名活動は憲法違反ではない。だが絶対に憲法を守れ、というご託宣が憲法違反なのである。憲法の最後の条文は憲法改定の手続きが記されている。ご存知のように国会で三分の二の賛意によって発議し、これを国民投票にかけ過半数を得たならば、改正可能であると。君たちの活動は国民投票を否定しているのであって極めて非民主的なものといわざるを得まい。なにがなんでも9条を守れとは、ようするに他の意見を頭ごなしに排除し、決して他の意見を認めようとしない、またそれを断固として国民に選択させない。これが憲法違反なのだよと。すると、おそらく教員あがりなのであろう、このうすハゲ頭は拙者にむかって怒鳴りかえしてきた。憲法のどこに、そんなことが書いてあるのかと。拙者はハゲ頭に向かって、どこに書いてあるかはオメさんが自分で探してみたらよいと捨て台詞を投げかけて、これ以上、ここにいては拳骨でもくらいそうなうすハゲ頭とその仲間たちの攻撃的な鼻息を感じて、そうそうに彼らから逃げてきたのである。 

    〃     第九十六条
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 

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▼ゆるやかな徴兵制のすゝめ

2024年03月27日 | ■かもめ文庫

以下、またぞろ昔書いた記事で悪いが・・・

●世に倦む日日・・・例えばね、「引きこもり」とか「ニート」とかレッテルを貼られて見捨てられている長期失業青年たちを、人手不足に悩む地方の農家で働いてもらうよう制度支援すればいいじゃないか。一人につき国が月10万補助するとか。それなら、農家戸別補償にもなって一石二鳥だと思うが、厚労省と農水省、どうだ。

 どうだも、こうだもねぇだろう。ヨニウム君もだいぶ行き詰まっているようで青息吐息だ。政治現象や政局ばかりを見て結果論を奉じてもそりゃ始まるまい。結局右も左もわけがわけがわからなくなってしまって理論的カスのクズ及び感情的ヒステリと指弾されている還暦おっさんよ。相変わらず誰それは左だぁ右たぁ~と腑分けして溜飲を下げていい気になっている口だ。そんなんじゃ、しばき隊元祖を自慢する例のイデオロギーのアンポンタン武蔵小杉のお弁護ちゃんに大差はあるまい。
 いいかい、ヨニウム君。丸山理論も司馬史観も今となっては漫画にすぎまい。口の減らないおっさんだ。カスみたいなことばっかり言ってんじゃあるまい。も少し歴史なりなんなり、きちんと勉強しろ勉強を。あ~ん。ニートの一人頭に十万円を与えるとな・・・そんなことをしたら日本のすべての青少年がニートになっちまう。十万円を使い果たした来月からは生活保護の申請手続きだ。
 逆なのだよ。君のような左巻きのアンポンタンには極論にしか聞こえんかもしれないが日本にも徴兵制のようなものがあれば彼らも救われるだろうぜ。半年間でよい。楽しい楽しい集団生活を経験させる。毛布のたたみかた。ゴミの出し方。野営の方法。包丁の使い方。ボタンのつけかた。雑巾を作らせ糸と針のつかい方を学ぶ。火のおこし方。ライスカレーの作り方。飯の炊き方、パンの焼き方。
 もっぱら教室では日本の地政と歴史を学ぶ。それに、彼らには日本語と文字を書く作業を復権させる。できればボールペンなどという貧弱な簡易式筆記用具は教室から一掃し常に万年筆を携帯させてせっせと日記を書かしめる。その他俳句を作らせ和歌を詠ませる。それらをすべて筆記させる。半年間の最後には卒業試験のかわりに手紙を書かせる。
 ん?誰宛に書くのかとお尋ねかい。そりゃ、おめ、まずは母上様または父上様あてに決まっているが、とてもじゃないが親などに手紙は出せないという変わり者には拝啓天皇陛下様でも前略総理大臣様でもよいだろう。なにごとも日本語の復権のためだ。よってこの半年間はスマホ、パソコンは厳禁となす。この間の彼らに課せられた必読文献は以下のごとしである。福沢諭吉『福翁自伝』、内村鑑三『代表的日本人』、新渡戸稲造『武士道』と、いずれも明治期の名著だが、この三冊だけはぜひとも彼らに読ませたい。
 ん?もう一冊なにか読ませろ、というのかい。ならばそれは決まっている。昭和の名著、会田雄次著『アーロン収容所』(中公新書)をおすすめする。
 ん?兵役はどうするのかとお尋ねかい。そりゃ、おめ、万年筆をもったからといって兵隊になれるわけがあるまい。かれらに兵役は期待しないほうがよい。どうしても兵隊に行きたいという一徹な頑固者のために、二年から三年間の養成期間をあたえる。ここで銃の扱いをはじめ徹底的にハイテクノロジーを学ぶ。国家の戦士とは、それは成績優秀者であることはもとより志願者の中からさらに選抜された、ごく少数者のみが勝ち得る栄冠だ。
 さてさて、この際「言葉狩り」と揚げ足取りに精を出すぐらいしかノウも足りない思想薄弱なる徒党連中の猿面冠者を相手に念のために言っておくのだが拙者の提案する「ゆるやかな徴兵制」に、まずは男女および出自貧富の差別はいっさいないことを明言しておく。いってみれば国家が国費でなさしめる義務教育の延伸とでも理解しておけばいいだろう。

●世に倦む日日・・・どんどんアイディアが浮かぶ。AI・ロボットの技術革新は、コンビニ・スーパー・外食の深夜労働をなくすために活用すればいい。深夜の店への立ち入りを、玄関でキャッシュレスカードでチェックするシステムにする。防犯OK。無人化OK。データ収集OK。一石三鳥。このアイディア、特許申請できないかな。

 そりゃ、おめ、早い話が自販機のことだろ。四角四面でのっぺりしているがAI概念はおおむね達成されている白物家電の完成型だ。雨の日も風の日も人の手は借りずに黙ってつったたまま文句ひとつ云わずに働いてくれている。こんなのが君の好みなのか。お世辞でも趣味がよいとはいえんぞ。だからよ、あんまし過信するなよ。AIとかロボット相手に。俺なんざ夜勤がなければ収入は三割減だ。夜勤とか残業があるから、こうしてなんとか、やりくりしていられんじゃねぇか。勤労をなんだと思っている。あ~ん。ものを知らない半端な文系インテリはこれだから困る。

●世に倦む日・・・最近、ずっとAIについて考えている。もう誰かが指摘済みかもしれないが、例えば、マクドナルド。あのファストフード業態って、ビジネスの形態そのものがAI・ロボット指向的ですよね。商品もサービスもきわめてシンプル。すぐに置き換えできそう。20年後は確実に無人化していると思う。 

 君の言うところの無人化とはヒト科があらゆる面で、それも限りなく無能化することに他なるまい。やればできることさえロボットに肩代わりさせて、てめぇは酒でも飲みながら、ふんぞり返ってなんぼのものだ。それでいいのかい。テメエの手だけは汚したくないとほざいて楽をすることばかり考えているヒトなんていう下等動物はいてもいなくても地球が平和であればそれでええということになるね。同感だ。

 

 

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▼ヴォーカル大好き<早春賦>

2024年03月25日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

三月も末となり、花はまだかと思うばかりにて、それにしても
ああ~、今年ほど春本番の到来が待たれてやまないことはない。
このところカラオケ屋に行けばまずは最初に歌う一曲は
文部省唱歌の『早春賦』である。

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

 

以下、むかし撮った写真・・・

017.04.06 川崎市  小田急線にそって生田駅から登戸駅まで歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.04.07 川崎市   南武線にそって府中街道を武蔵小杉駅より川崎駅まであるく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.03.23 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.03.25 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.04.08 品川区~大田区

池上通りはこぬか雨がふっていた。大井町から大森さらに東急池上線池上駅まであるく。その後多摩川のほとりまで出たようだが記憶に定かではない。今日はあるきながらいささか呑みすぎてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.04.02 上野  日光街道を千住より上野新橋まで歩く。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼春が来る古道具屋の帰り道

2024年03月16日 | ■かもめ文庫

例によって昔に撮った写真だが・・・

 

2017.03.18 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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▼カラオケ屋の帰り道

2024年03月07日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、あいかわらず昔の記事の再掲で申し訳ない。

 

2017.02.09 横浜市

 

 昨夜から、「蛍の光」が繰り返し脳裏を流れていた。時節柄か。そこで今日のカラオケは「蛍の光」を中心に唱歌を主として選曲し声を張り上げてきた。「蛍の光」「仰げば尊し」「荒城の月」「花かげ」「十五夜おつきさん」などなど。

 

 

 

2017.02.17 川崎市

 

  

 

 

 

 

 

2017.03.03 横浜市

 

 

>演歌は時代遅れ

その俗論はよく耳にするところですがカラオケの実態を見てみれば、世代にもよるのでしょうが実際に歌われている多くの曲がいわゆる懐メロや流行歌が多いのではないでしょうか。カラオケシステムに登録されている曲数は、どのメーカーのシステムでもおおよそ3000曲余りと聞きますが過半数は演歌・流行歌の類のようですよ。昔の流行歌は誰にでも歌い易くできているからでしょうね。さらに唱歌はもっと歌い易い。

わたしは中島みゆきのファンで彼女の歌はどれもこれも大好きですが、今のところは聞くだけですね。もちろんみゆきさんの曲はカラオケにも登録されていますが、いざ歌わんとしても難しくてとても自分では何一つ歌えません。


> それと演歌は日本の音楽ではない。

滝廉太郎の「荒城の月」にしても日本の音楽ではなく西洋の声楽だといえば言えなくもないのですから。明治以降、和洋折衷があらゆる文化芸能分野で計られたのですから。せんもないことです。日本的な音楽といえば、小唄、長唄、清元、浄瑠璃ぐらいなものだったのですから。楽器は三味線、尺八、笛、太鼓に限られています。各地の民謡、盆踊り歌なども多くは明治以降に作られたもので、すでに十分に「洋」が入っているのです。

 

 

 

2017.02.06 川崎市 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしのばあい、あと数年はカラオケ三昧だ。健康ならば75歳まではカラオケ声楽を満喫できるだろう。それが終わったらMOKU氏(『転居のいきさつ』新潮社)のように小説を書こうと思っている。これで生涯の総決算だ。言っておくが、あとは野となれ山となれが拙者のモットーだから葬式墓場は無用だ。

 

 

 

 

2017.02.23 横浜市

 

 

 

 

 

 

先ほど上のように書いたが、いくら健康であったとしても75歳から小説を書きはじめるのは遅すぎるような気がしてならない。今や夢中になっているカラオケも後二三年たてば飽きてくるにちがいない。そんな気分になったらもうけモノという按配で、そのときはさっそく小説を書き始めようと心得る。いっそ満七十を境にカラオケから文学へと転向するのがよいだろう。そんなことを考えていると、ますます、わが老後が楽しみになってくる。取らぬ狸の皮算用だという周囲からの声が聴こえてくるがまっ何が起こるかしれたものではない。

わたしの一人カラオケは、ただ歌うことを楽しんでいるというよりは、よほど音楽と声楽の訓練、またボイストレーニングであることを念頭においている。こうして連日カラオケに通うようになって半年ほどがたち自分から言うのもなんだが成長は著しい。

昨日もそうだったのだが最近はマイクを使わない。伴奏はスピーカーから流しておき歌声は生のままで勝負できるようになった。若い頃からのわたし持ち前の朗々とした歌声は、マイクなしでも部屋中に響き渡る。

また最近は声の調子さえよければほぼカラオケシステムが設定している通りの原曲キーのまま歌えるようになった。素人には高い音がでないものだから設定されているキーからフラット一度か二度は下げて歌うのが一般的だ。

さらに先日も申したことだが流行歌よりは唱歌を好んで歌うようになったのも音楽の妙に近づいてきた証拠だと思っている。流行歌は誰が歌っても上手に聴こえるようにそもそもがそのように出来ている。それは「こぶし」と「ビブラート」を多用しているからだ。

クラシックの声楽曲にこぶしやビブラートはまったくないとは言わないが過小である。あくまでも正規の音譜通りに声をどこまでも伸ばしていかなければならない。それに流行歌のばあい、音程差がすくない。たとえばナポリターナとして有名な「オーソレミオ」や「サンタルチア」にしても、その音程差は唱歌や流行歌の比ではない。

わたしの最近の成果は「荒城の月」をハイバリトンで歌い上げることができるようになったことと若い頃からの憧れの歌ナポリターナの何曲かをカタカナ風イタリア語で歌えるようになったことだ。

 

 

 

 

 

2017.03.07 川崎市

 

 

  

 

 

 

 

 

結局、今日はカラオケ屋を二軒はしごし、またぞろ唱歌を歌ってきた。



十五夜おつきさん

     作詞:野口雨情
     作曲:本居長世


十五夜おつきさん ごきげんさん
ばあやはおいとまとりました

十五夜おつきさん いもうとは
田舎にもられていきました

十五夜おつきさん かかさんに
わたしはもいちどあいたいな





替え歌を作った。


十五夜おつきさん 鈍角さん
屋台のおでんが大繁盛


十五夜おつきさん 泥炭さん
人付き合いにはこりごりしたと申します


十五夜おつきさん 渡邊さん
モクモク文書改編中


十五夜おつきさん やすまるさん
もいちどわたしはあいたいな


十五夜おつきさん ヨニウムは
ふんどし洗いに銭湯にいきました


十五夜おつきさん ピージーエムは
すべってころんで大分県


十五夜おつきさん かもめさん
数え70になりました


十五夜おつきさん 政幸君は
焼く肉食いにいきました


十五夜おつきさん MOKUさんは
田舎にもられていきました


 

 

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▼8300年前の人骨発見

2024年03月06日 | ■かもめ文庫

昔の記事で悪いが・・・おいらの原点はここにあり。古ければ古いほど良きものが沢山あってヒト科の真実が偲ばれる。 「指折り数えて」という言葉があるが昔は、みながみな、実際にそうしてきたのだ。それが、どれほど幸福なことだったかを現代人は忘れてしまった。

 

2016.12.10 産経新聞

 

上のような報道を見て、なにより思うのは、いったいいつぐらいから列島の人びとは言葉らしきものを使っていたのかと云う問題だ。国内において文字の最初が『古事記』と『万葉集』であることは周知の事実だが、このふたつの文書が編纂されてから今日までの日本の歴史はたかだか1300年ほどしかたっていない。

文字をもたずに「しゃべる」ことだけで、やりくりしていた歴史は、その数百数千倍に及ぶと見られる。いずれにせよ歴史とは未来にむかってなど、なんの意味ももちようがない。過去にむかって思えばヒト科の悠久な時間の経過が夢のように感じられるのである。

以下、小林秀雄の『本居宣長』からの受け売りだが、文字を持たない時代の人々の暮らしぶりや心持のことが『古事記』から随所にしのばれるという。文字がなければ見たこと聞いたことのいっさいを頭に叩き込んでおかねばならない。

現代人(江戸期)に比べても古代人とは、どれほど頭がよかったかと本居宣長は感嘆したと云う。人の名、土地の名、自然のあらゆるものの名。さらに暦と人事、また所有や政治にかかわる事柄のすべて。

文字がなければ記録もテキストも、どこにもない。いちいちを克明に自分の脳に記憶しておく以外に術はなかったからだ。

 

 

 

 

  

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▼吾輩は野良である

2024年03月05日 | ■かもめ文庫

以下もまた、だいぶ昔の記事で申し訳ないが・・・

 

二歳下と四歳下の弟がいる。九歳下に妹が一人いたが三年前にガンを患って亡くした。写真左がやや肥り気味の我輩で先ほど野良専門のカメラマンに写してもらったばかりだ。右が生前の妹である。ごらんのように色白の美形であった。享年四六だった。すぐ下の弟は高卒後東京に出て働きながら夜間大学に通った。しっかり者でかつ働き者である。自慢の弟である。

その下の弟は高卒後アングラ系の演劇活動に入った。舞台をつくるなら彼にまかせておけば間違いない。役者が足りないときは舞台にも立つ。彼も我輩に似てずいぶん世間を狭くした変わり者である。親類縁者からは我輩同様の鼻つまみものだ。だが根性は人一倍でなみなみならない。現在はアパートの片隅の便所のとなりの格安四畳半にて一世一代の長編小説を書いていると人づてに聞く。しばらく音沙汰もないので、この正月を無事越すことができたかどうか。この寒空に餅の一つも食えないまま腹をすかせてコタツの中でくたばっているのではないかと案ぜられてならないのである。電話したくても電話がない。

さても、この間、妹のために何もできなかった我が身を深く悔い、ほとんど食うや食わずで部屋に閉じこもって喪に服していたのである。気がつけば、はや三年が過ぎていた。我輩もすでに老骨の身なれども、もう一度気合と鞭を入れなおすためにも外気を存分に吸ってみたくなり、こうして三年ぶりに界隈路地裏をへめぐっているところである。それにしても運動不足がたたって足がふらふらする。我輩も当年とって数え六十とあいなった。おお、今朝は朝日が全身にふりそそいでくる。お天道様も我輩の門出を祝ってくれているかのようだ。されば心も晴れ晴れ意気揚々たる気分なり。

<2007.01.04 記>

 

 

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▼風評加害の露店犯

2024年03月04日 | ■静かなる解党のすゝめ

以下、むかし書いた記事で悪いが・・・

 

 

<2016.01.31 撮影>   


JR渋谷駅頭

 

昨日から、まだ一睡もしていなかった。昨夜、熊谷市にて母がみまかった。母の亡骸を某所に安置し終えて帰宅途中のことだった。渋谷は乗り換え駅である。私鉄に乗り換えようと山手線の改札を出たところ、上のようなデマゴギストの連中が路上宣伝を行っていた。

おそらく彼らは福島県には原発事故以来一度たりとも足を踏み入れてはいないはずだ。実際にはなにも知らないのである。にもかかわらず原発事故という、そのことをもって、鬼の首でも取ったかのように、福島の人々の本当の気持ちなど、これぽっちも思いやることもない。

 

 


3・5新宿デモ

 

こうしてあいも変わらず5年前の原発事故を出汁にした福島差別が続いている。彼らの信仰である「ダツ原発」とか「原発ゼロ」のスローガンを奉る上において「フクシマ」は汚染されつくした土地として逆の意味で聖域と化し、同時に廃墟と化されてしまったのだ。福島原発事故をして「政争の具」として持ち上げるために、知ったかぶったデマゴギーをこれでもかとこれでもかと誇大に喧伝するために動員かたがた懸命なのである。こいつら動員用じじばば連中及びデモ助デモ子ら、さらにはイデオロギーのゴクつぶし連中に言わせればもはや「フクシマ」とは人間の住むところではないらしい。

 

 

●世に倦む日日・・・2021.02.21・・・去年、三峡ダム崩壊の危機があったんですが、中国はそれをどうやって克服しようとしているかというと、長江上流の支流に巨大ダムと水力発電所をどんどん作っているんですね。烏東徳水力発電所とか白鶴灘水力発電所とか。八ッ場ダムで利根川の洪水を防いだみたいに。

 

笑うぞ。おい、二枚舌のテレビおっさんよ。君は、その例の八ッ場ダム建設に反対していた口ではなかったのかね。
いつから宗旨替えをしたのかね、あ~ん。
いいかい、よく聞けよ。一党独裁で力強く発展するユーラシア大陸の覇王、世界の工場たる呼び名も高き「中華人
民共和国」におかれては水力発電所の建設どころではない。今や何十か所に及ぶ原子力発電所を計画建設中だと聞く。
よかったな、ヨニウム君よ。
ポジショントーク以外には、一歩も足を踏み出すことはできない寒々しい薄ら左翼のアホの見本のおバカちゃん。

で、満足かい?

 

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▼ヴォーカル大好き<ウクライナは滅びず>

2024年03月03日 | ■ウクライナに栄光あれ

昔の記事で申し訳ないが・・・

 

 

2014.03.05 産経新聞

 

 

ウクライナの首都キエフを一望する(写真借用御免)

 

 

地図(ウキペッペより)

 

国旗

 

 

人口・・・・4500万人

首都キエフ・・・・250万(姉妹都市 京都、シカゴその他)

国歌・・・ウクライナは滅びず
http://www.youtube.com/watch?v=IS2dhMIlpm8

 

 

 

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