つい先日、バタやんの愛称で長く親しまれてきた歌手田端義夫氏の姿を久しぶりにTVで拝見した。1919年生というから、私の母に同年で、いまや80歳もなかばになられている。TVでは元気に彼のトレードマークというべきギター片手に「波の背にせに揺られてゆれて」を歌っていた。確かに声は往年の美声は失われている。私が注目させられたのはギターである。たしかエレキだった。それもニスがはげて傷だらけであった。いかにも懐メロ歌手といういでたちだったが、そうした様にもまた感銘を深めたところである。私が物ごころついた頃、10年前に没した父がよく口ずさんでいたのがバタやんの、「かえり船」だった。当時はTVがまだ普及中のことであり、ラジオと映画が庶民文化の全盛だった。戦後10年から20年。昭和30年代から40年代。田端氏をはじめ流行歌の全盛時代と言っても過言ではないと思う。田端氏にやや遅れて「三波春夫でございます」とか、「高校三年生」などの流行歌がラジオで流れ始めた。田端義夫氏の歌などを耳にするたびに、父のことなど、私の子どもの頃などをあれこれと思い出す。
<2006.08.31>
サトキマダラヒカゲという蝶の夏型ですね。この蝶は花の蜜をあまり吸わないのです。おもに樹液を吸うのです。それと動物の排泄物も吸います。その写真ではちょっと見にくいのですが道路上のなにかを吸っているようにも見えます。もしそうだとしたら犬猫の小便とか大便の跡を吸っているのかも知れません。幼虫の食べ物は竹とか笹の葉ですから近くに笹林や竹林があると考えられます。
サトキマダラ姫 投稿者:かもめ
翁さん、こんにちは。わたしはタテハ蝶の仲間以上のことは知りませんでしたが、そうですか。サトキマダラヒカゲと言いますか。それも夏型ですか。なにか古事記に出てくる神々の名前のようでもありますね。いつもお知らせくださりありがとうございます。勉強になります。近所の路上でのことでした。それも瞬間でした。風の強い日で、まるで枯葉のように飛び降りてきて一時羽を休めていたのです。タイミングよくシャッターを切れたのですが、そのときの路上はいたって乾いておりました。そしてまたすぐに風に吹かれて中空に舞い上がっていったのです。時々、アオスジアゲハや黒アゲハなどが、湿った路上や地面に下り立って吸水しているところを見かけます。それから先日、教えていただいたヒゲコガネは、毎日見かけるほど当地にはたくさん出没しています。どうした理由があるのか知りませんが、植物などもそうですが、その年によって、ある特定種ばかりが異様に目立つということが。しかし、これは私の気のせいかもしれません。
本日8/22のかもめ氏絵日記はオオシオカラトンボの写真だった。世田谷ではあるがその撮影個体の近くに池か沼か湿地か水田かゆるやかな流れの溝川があるはず。シオカラトンボは明るくひろびろとした水域が好きではあるがオオシオカラトンボはややうす暗い小水域を好むとされる。そしてシオカラトンボとオオシオカラトンボは明確に棲み分けていることが観察されている。成熟成虫の♂と♀は色具合が全く異なるので識別は簡単。♂はその写真にある個体の色具合。♀はシオカラトンボの♀(いわゆるムギワラトンボ)に似ている。
「ゆるやかな流れの川か溝川があるはず」とは図星です。写真のすぐ横を丸子川という溝川が流れているのです。これは有名な「六郷用水」の別名で、もう少し下流に行って大田区に入ると現在でも「六郷用水」呼ばれて親しまれています。江戸の初期に作られらた灌がい用の用水路で、狛江市あたりの多摩川から取水したそうです。現在は事実上、ところどころで寸断されていて側溝だけが残っているのですが人工的に通水しているのです。世田谷部分も治太夫堀と呼ばれて残されているところがあり、ここだけはきれいに整備され観光名所となっております。こうして多摩川本流に沿って世田谷を通し、えんえんと大田区の池上、蒲田方面まで流れ江戸湾に注いでるわけですが、当時大田区は天領で、天領の田を潤すためだけが目的で作られた用水路とのことで、世田谷地域にはなんの恩恵もなかったそうです。そうした事情からか、大田区の六郷用水は保存史跡として区を挙げて整備が進みましたが、私の住んでいるあたりは丸子川という名が示すように、ただの溝川です。暗渠にされていないのが、まだしも幸いでトンボやその他の昆虫も結構生息しています。
某掲示板より・・・私は、新任以来、この「ごんぎつね」の研究授業を数十回やった。自分の学級だけではなく、多くの他の学級で「飛び込み授業」もさせてもらった。そして、今のところ自分として、たどり着いた究極の問い(子供たちに投げかける課題)は、「ごんは、不幸だったか、幸せだったか」である。この問いを投げかけ、真剣に考え始めた子供たちは、それは大人もたじろぐほどの議論を展開し、深く深く作品の世界に入り込んでいく。そして、もちろん、子供なりの言葉ではあるが、「生きることの悲しさと切なさ」「「他者とつながり合うことの喜びと難しさ」などを、語り、あるいは綴っていくのである。そして、こんな世界を共有できた時から、その学級は確実に変わっていくのである。
一つの童話の読みと解き、生徒の感想あれこれとあるから「国語」の授業ということでしょうが、最後は、ようするに「ごんぎつね」は幸福だったか不幸だったかと生徒に問うたとある。その質の拙劣さが学校教育の限界を示しているように思いますね。少なくても私には、小学校の授業の手法なんていくら聞かされても、教師の法螺話にしか聞こえませんよ。なぜ、生徒に無理やりに感想文を書かせようとするのか。ここからして、そも作品から得た感興を、誤操作させているような気がしてくる。 昔、耳にした話では、学校で読書感想文を書かされるから、読書を毛嫌いするようになったと言う子どもたちが多いと聞いた。なるほどと思った。そりゃそうだろうと思った。読書感想というのもテストですからね。生徒にしてみれば。教師から褒められるような答え方を探すのですよ。真性からの感想なんて、そうはやすやす言葉にできるものではないでしょう。作品が傑作であればあるほど、疑問を残すのです。その疑問の大きな印象が、生涯、忘れられないのです。文学なんてものは、そこから始まっていると言ってもよい。 さいわい「ごんぎつね」は、勧善懲悪の黒白漫才ではないようだが、おっつけ早々に結論が出てくるようなものは、二束三文の駄作ですよ。それを言うなら教科書に取り上げられた、その時点で、傑作も駄作に成り下がるという逆説もありそうな気もしている。ここが難しいところです。生徒が教師の狙い通りに感想文を書いてきた、なんてのは、言葉の世界の豊饒性に比してみれば、ずいぶんあっけないことです。それで良しと思っているなら世話もないのです。教師の自己正当化に他ならないでしょう。
私の住まいは世田谷区で、水田はないのだが近くには森もあり畑もある。すぐそばには多摩川の広い河川敷が広がっている。まだまだ豊かな自然に恵まれている地域と、言えるだろう。だが、いつかも書いたけれど、昔はよく見たカエルや蛇などは、この数年まったくお目にかかることができなくなった。多摩川にはたくさんの鯉が泳いでいるが、その他の魚もいるとはあまり聞かないのである。先日TVで聞いた話だが、どういう理由でそうなってしまったのか。多摩川の鯉はメスばかりになっているのだそうである。これをメス化と言うらしい。オスは十匹に一匹ぐらいなのだそうだ。ふーむ、人間もやがて、メス化して、オスは滅亡してしまうのだろうか。
さて、ここらで目につく、その他の虫といえばクワガタ虫やカミキリムシなどが、ほんのたまに飛んできてはコンクリートの建物の廊下などに仰向けにひっくり返っていたりする。だがその種類は限られている。セミもアブラゼミはたくさん見かけるが他の種類は滅多に見られない。
誰が書いたものであれ現代文章なんぞ、一般にゴミだとタカをくくっておいたほうが、間違いは少ないし、なによりの精神衛生と言うものである。読むべき価値が発見できるのは、かろうじて古典のみである。古い書物であればあるほど、これぞ文章だと思えるものがある。
人間、伊達に年をとっているのではない。歴史は伊達に古くなっていくのではない。文章というもの、古ければ古いほど、そこに人間に関する、あらゆる真実が隠されている。人間というもの、ときに利口に見えるのは歴史が人間を庇ってくれているからだ。生き恥さらしながら苦労を重ねている人間個々など虫けら同然である。これ以上の馬鹿な生き物もあるまい。