赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ヴォーカル大好き<かえり船>

2006年08月27日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

つい先日、バタやんの愛称で長く親しまれてきた歌手田端義夫氏の姿を久しぶりにTVで拝見した。1919年生というから、私の母に同年で、いまや80歳もなかばになられている。TVでは元気に彼のトレードマークというべきギター片手に「波の背にせに揺られてゆれて」を歌っていた。確かに声は往年の美声は失われている。私が注目させられたのはギターである。たしかエレキだった。それもニスがはげて傷だらけであった。いかにも懐メロ歌手といういでたちだったが、そうした様にもまた感銘を深めたところである。私が物ごころついた頃、10年前に没した父がよく口ずさんでいたのがバタやんの、「かえり船」だった。当時はTVがまだ普及中のことであり、ラジオと映画が庶民文化の全盛だった。戦後10年から20年。昭和30年代から40年代。田端氏をはじめ流行歌の全盛時代と言っても過言ではないと思う。田端氏にやや遅れて「三波春夫でございます」とか、「高校三年生」などの流行歌がラジオで流れ始めた。田端義夫氏の歌などを耳にするたびに、父のことなど、私の子どもの頃などをあれこれと思い出す。

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▼イワシの缶詰

2006年08月25日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
昨日見た本(「聴くことの力」鷲田清一著 TBSブリタニカ)で次のような話を読んだ。とある父親から聞いた話として鷲田氏が同書のあとがきに記していたものである。父親には小学生高学年の息子がいた。息子が、ある日の学校の授業で経験したことを語っているのである。授業で教師がある図を示し、どちらの卵から食べるのが正しいでしょうと生徒に質問したのだという。図は、殻が割られた生卵がそれぞれの小皿に載せられている。事前に生徒は、教師から卵は黄身が盛り上がっているほうが新鮮で、古いものは黄身の張力が失われていると教わっていた。気をつけてほしいのは、どちらの卵が古いか新しいかという質問ではなかったのである。どちらから先に食べるのが正しいかというものだった。新旧の差は歴然としていたのである。その息子さんは、ためらわず古くなったほうの卵を指したのである。ところが、その子の答えは間違っていると教師は言うのであった。息子さんは軽いショックを受けて帰宅し、そのむねを父親の報告したのであった。父親は言う、我が家では卵ばかりでなく、食物は、古いほうから食べるものだと教えてきた。その通りに息子は学校でも答えたのであり、教師の質問に含まれた生活感覚のない無神経さが子どもに大きな誤解を与えてしまうことを訴えているである。そういえば、私にも似たような話がある。小学四年生のときだった。教科書に「いわしの缶詰」の図があったのだろうと思う。教師は生徒全員にいわしの缶詰を食べた人は手を挙げろと、言ってきた。驚いたことに、私を除く全員が手を挙げたのである。わたしは、どんなに思い返しても「いわしの缶詰」らしきものを食べたことがなかった。周知のように「いわしの缶詰」だけは、どうしてそのようになっているのかは知らないが、決まって楕円の平べったい独特の形をしている。母親が買ってきたこともない。食べたことはなかった。で、手を挙げなかったのである。私を除く全員が手を挙げたことが、まず不思議だった。教師はニヤニヤしながら、改めて嘲笑するように私に聞いてきた。おまえの家では「いわしの缶詰」を食べたことがないのかと。そこで、わたしは答えた。せめても言い逃れだった。「さんまの缶詰」なら食べたことがあります、と。 さんまの缶詰なら、以前食ったことがあった。はっきり覚えている。それは間違いなかったが、さんまの缶詰と言ったとたんに、さらに教師と生徒たちに、笑われたのである。5年生になったが担任は代わらなかった。よく考えてみれば、この教師からは何度かいじめられた。貧しさをターゲットにされたようなことが何度かあった。缶詰の話ばかりでないのである。私だけが授業中にもかかわらず、ささいなことを疑われ、この教師に問い詰められたようなことが何度かあった。 私は今でも、この時の担任教師ニシノという男を憎く思っている。今でも不思議なのは、生徒たちは、本当に全員がいわしの缶詰を食べたことがあったのだろうか。それとも、教室の中で浮き上がるのが嫌で適当に手を挙げたのだろうか。そういう者も何人かいたのだろうか。確かに私の家は極貧状態で、缶詰なんぞ滅多に食ったこともないが、生徒全員が、いわしの缶詰を食べているとも、信じられなかったのである。缶詰などは、4、5キロ離れた町にでも行かない限り、どこにも売っていなかった。いっそ私も深く考えることもなく、みんなに同調して手を挙げてしまえばよかったと悔やまれてならなかった。それにしても生徒たち全員が手を挙げたという実際が、いまだに納得できかねるところなのである。だがもう一度思い返してみて担任のニシノの気持になってみれば、そのときの質問は生徒たちが手を挙げようと、挙げまいと、さほど気にしていなかったのだと思う。用意はなかった。教師が「知っているか」と問えば、それについて知っている生徒は「はい はい」と声を立てて手を挙げる、というのが授業風景である。答えさせるために、特定生徒を指差し、答えてみろということは、あるときもあるが、ないときもあるのである。生徒の反応をみているのだろう。 そのときも全員一致の中、私だけが手を挙げなかったということに、ニシノとしては注目せざるを得なかったのではないだろうか。で、私に声をかけざるを得なかったというようにも解釈できる。手を挙げない生徒がたった一人だけいたという、よく分からない苛立ちがあった。非常事態が起こった。ニシノにしてみれば、せっかく調子よくいっていた授業が、一人の生徒の挙手拒否によって、邪魔されたという感触を持ったのかもしれない。他愛もない缶詰の質問など適当に手を挙げて、やり過ごしてくれれば、ニシノとしては、都合がよかったのではなかったか。ニシノの意図をつかめず、私はぼんやりしていたのかもしれない。質問を深刻に考えてしまったのだ。私は家が貧しいことを常々学校では、ひがんでいたようなところがあるから。この種の教師の質問には、異常に敏感に処せざるを得なかった。だが、子どもとは、そういうものだろう。ニシノが私の、家庭事情を知らないということはなかったはずだ。ニシノは、分かっていて、私に嫌がらせをしてきたのである。時には私のぼろい服装を授業中に冷やかしたり、からかったりした。ニシノは学校が所在する、すぐとなり村の出で自宅から通勤していた。私の育ったところは北関東で、あそこらへんは「え」と「い」の発音が区別できない。江戸っ子が「し」と「ひ」を混同するようにである。国語の時間だった。彼は堂々と黒板に「蝿」を「はい」と書きしるして、気づくこともなかった。わたしは、よくある間違いであることを知っていたが、もちろん指摘したりすれば何を言われるか分からないと思い黙っていた。

<2006.08.31>
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サトキマダラヒカゲ

2006年08月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
本日の絵日記 投稿者:祝鶏翁
サトキマダラヒカゲという蝶の夏型ですね。この蝶は花の蜜をあまり吸わないのです。おもに樹液を吸うのです。それと動物の排泄物も吸います。その写真ではちょっと見にくいのですが道路上のなにかを吸っているようにも見えます。もしそうだとしたら犬猫の小便とか大便の跡を吸っているのかも知れません。幼虫の食べ物は竹とか笹の葉ですから近くに笹林や竹林があると考えられます。 

サトキマダラ姫 投稿者:かもめ
翁さん、こんにちは。わたしはタテハ蝶の仲間以上のことは知りませんでしたが、そうですか。サトキマダラヒカゲと言いますか。それも夏型ですか。なにか古事記に出てくる神々の名前のようでもありますね。いつもお知らせくださりありがとうございます。勉強になります。近所の路上でのことでした。それも瞬間でした。風の強い日で、まるで枯葉のように飛び降りてきて一時羽を休めていたのです。タイミングよくシャッターを切れたのですが、そのときの路上はいたって乾いておりました。そしてまたすぐに風に吹かれて中空に舞い上がっていったのです。時々、アオスジアゲハや黒アゲハなどが、湿った路上や地面に下り立って吸水しているところを見かけます。それから先日、教えていただいたヒゲコガネは、毎日見かけるほど当地にはたくさん出没しています。どうした理由があるのか知りませんが、植物などもそうですが、その年によって、ある特定種ばかりが異様に目立つということが。しかし、これは私の気のせいかもしれません。
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オオシオカラトンボ

2006年08月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
祝鶏翁さんが別途掲示板で私が今日撮ってきた上の写真を以下のように分かりやすく解説してくれました。

本日8/22のかもめ氏絵日記はオオシオカラトンボの写真だった。世田谷ではあるがその撮影個体の近くに池か沼か湿地か水田かゆるやかな流れの溝川があるはず。シオカラトンボは明るくひろびろとした水域が好きではあるがオオシオカラトンボはややうす暗い小水域を好むとされる。そしてシオカラトンボとオオシオカラトンボは明確に棲み分けていることが観察されている。成熟成虫の♂と♀は色具合が全く異なるので識別は簡単。♂はその写真にある個体の色具合。♀はシオカラトンボの♀(いわゆるムギワラトンボ)に似ている。

「ゆるやかな流れの川か溝川があるはず」とは図星です。写真のすぐ横を丸子川という溝川が流れているのです。これは有名な「六郷用水」の別名で、もう少し下流に行って大田区に入ると現在でも「六郷用水」呼ばれて親しまれています。江戸の初期に作られらた灌がい用の用水路で、狛江市あたりの多摩川から取水したそうです。現在は事実上、ところどころで寸断されていて側溝だけが残っているのですが人工的に通水しているのです。世田谷部分も治太夫堀と呼ばれて残されているところがあり、ここだけはきれいに整備され観光名所となっております。こうして多摩川本流に沿って世田谷を通し、えんえんと大田区の池上、蒲田方面まで流れ江戸湾に注いでるわけですが、当時大田区は天領で、天領の田を潤すためだけが目的で作られた用水路とのことで、世田谷地域にはなんの恩恵もなかったそうです。そうした事情からか、大田区の六郷用水は保存史跡として区を挙げて整備が進みましたが、私の住んでいるあたりは丸子川という名が示すように、ただの溝川です。暗渠にされていないのが、まだしも幸いでトンボやその他の昆虫も結構生息しています。
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都内大規模停電

2006年08月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
今朝ほど停電があった。停電とは近頃めずらしいことだった。TVがつかないので少々不安になり外に出てみると、同じように外に出てきた人が私を見るや、「ここらへん一帯がぜんぶ停電しているそうですよ」と教えてくれた。家に戻って、しばらく使っていないバッテリーで動く小型の携帯ラジオをつけてみると丁度8時のニュースの時間で、都内のかなりの地域が停電していて、いまだに原因不明とのことだった。電気がこなくて一番困るのが冷蔵庫である。冷凍庫の氷がどんどん溶けていく。もちろん夜なら照明がつかないことだが、今日は朝のことだった。今朝の停電で、まず思ったのはマスメディアからの情報がまったく届いてこない場合の異様な不安感と社会から孤立させられてしまったような喪失感である。まるで予期しない国家級の大事故なり戦争か、またはクーデターでも起こったかと大げさなことが脳裏をかすめたのも事実である。停電であることが分かっていても、四六時中、自動的にニュースを耳にしていなければおさまらない現代人は、電気の不通というそれだけで、情報の自動受信が不能になると、空白の時間を余儀なくされているように底知れない不安感に襲われる。停電は、私の地域では30分ほどで回復した。さっそくテレビも写るようになりまずは安心したのである。停電の原因は都県境の旧江戸川を船で運んでいたクレーンが送電線を引っ掛けたとのことだった。電線が切れたのだろう。一時は都内の電車も信号機もエレベータもとまってしまい、今朝の停電は、何十年ぶりかのかなり大規模なものだったらしい。その後、いつものようにデジカメをもって町内の散歩に出た。少し行ったところで私に同年代の知った人に出会った。今朝の停電のことが話題になった。彼は、開口一番、原子力発電所にテポドンのミサイルでも落とされたのかと思いましたよと臆面もなく、そう言ってきた。私は停電そのものよりも、単なる電気の不通によってテレビなどが見ることができず、その不安感から惑乱された人心こそ、一番怖いものですねと皮肉の意味をこめて言ったのだが、彼にはその意味は伝わらなかったようである。
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▼「ごんぎつね」 新美南吉

2006年08月11日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

 

某掲示板より・・・私は、新任以来、この「ごんぎつね」の研究授業を数十回やった。自分の学級だけではなく、多くの他の学級で「飛び込み授業」もさせてもらった。そして、今のところ自分として、たどり着いた究極の問い(子供たちに投げかける課題)は、「ごんは、不幸だったか、幸せだったか」である。この問いを投げかけ、真剣に考え始めた子供たちは、それは大人もたじろぐほどの議論を展開し、深く深く作品の世界に入り込んでいく。そして、もちろん、子供なりの言葉ではあるが、「生きることの悲しさと切なさ」「「他者とつながり合うことの喜びと難しさ」などを、語り、あるいは綴っていくのである。そして、こんな世界を共有できた時から、その学級は確実に変わっていくのである。

一つの童話の読みと解き、生徒の感想あれこれとあるから「国語」の授業ということでしょうが、最後は、ようするに「ごんぎつね」は幸福だったか不幸だったかと生徒に問うたとある。その質の拙劣さが学校教育の限界を示しているように思いますね。少なくても私には、小学校の授業の手法なんていくら聞かされても、教師の法螺話にしか聞こえませんよ。なぜ、生徒に無理やりに感想文を書かせようとするのか。ここからして、そも作品から得た感興を、誤操作させているような気がしてくる。 昔、耳にした話では、学校で読書感想文を書かされるから、読書を毛嫌いするようになったと言う子どもたちが多いと聞いた。なるほどと思った。そりゃそうだろうと思った。読書感想というのもテストですからね。生徒にしてみれば。教師から褒められるような答え方を探すのですよ。真性からの感想なんて、そうはやすやす言葉にできるものではないでしょう。作品が傑作であればあるほど、疑問を残すのです。その疑問の大きな印象が、生涯、忘れられないのです。文学なんてものは、そこから始まっていると言ってもよい。 さいわい「ごんぎつね」は、勧善懲悪の黒白漫才ではないようだが、おっつけ早々に結論が出てくるようなものは、二束三文の駄作ですよ。それを言うなら教科書に取り上げられた、その時点で、傑作も駄作に成り下がるという逆説もありそうな気もしている。ここが難しいところです。生徒が教師の狙い通りに感想文を書いてきた、なんてのは、言葉の世界の豊饒性に比してみれば、ずいぶんあっけないことです。それで良しと思っているなら世話もないのです。教師の自己正当化に他ならないでしょう。

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ヒゲコガネ虫

2006年08月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
近くの路上に数日前からカラフルな子どもの長靴の片方が置き忘れられている。今日は、その長靴にコガネ虫がたかっていた。ヒゲコガネという虫だと、この写真を見た祝鶏翁さんが別途掲示板で教えてくれた。

私の住まいは世田谷区で、水田はないのだが近くには森もあり畑もある。すぐそばには多摩川の広い河川敷が広がっている。まだまだ豊かな自然に恵まれている地域と、言えるだろう。だが、いつかも書いたけれど、昔はよく見たカエルや蛇などは、この数年まったくお目にかかることができなくなった。多摩川にはたくさんの鯉が泳いでいるが、その他の魚もいるとはあまり聞かないのである。先日TVで聞いた話だが、どういう理由でそうなってしまったのか。多摩川の鯉はメスばかりになっているのだそうである。これをメス化と言うらしい。オスは十匹に一匹ぐらいなのだそうだ。ふーむ、人間もやがて、メス化して、オスは滅亡してしまうのだろうか。

さて、ここらで目につく、その他の虫といえばクワガタ虫やカミキリムシなどが、ほんのたまに飛んできてはコンクリートの建物の廊下などに仰向けにひっくり返っていたりする。だがその種類は限られている。セミもアブラゼミはたくさん見かけるが他の種類は滅多に見られない。
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セミのぬけ殻

2006年08月01日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法
「かもめの文章なんかゴミだ」とよく言われるが、なんのなんのどうしてどうして。じゃがよく考えてみれば、その通りで忸怩たる思いにひたるばかりにござ候や。面目ない。それを否定はしないが、また考えようによっては、誰が書いたものであれ、さらにネットであれ新聞雑誌であれ、日々われわれの眼前に現れるてくる文章群など、はなからゴミだと見なせれば、当人の言語観も一定の成熟を見せていると言えるだろう。大江健三郎の文章も三島由紀夫の文章も、左翼の文も右翼の文も歴史的には、どんぐりの背比べ以上のものではない。

誰が書いたものであれ現代文章なんぞ、一般にゴミだとタカをくくっておいたほうが、間違いは少ないし、なによりの精神衛生と言うものである。読むべき価値が発見できるのは、かろうじて古典のみである。古い書物であればあるほど、これぞ文章だと思えるものがある。

人間、伊達に年をとっているのではない。歴史は伊達に古くなっていくのではない。文章というもの、古ければ古いほど、そこに人間に関する、あらゆる真実が隠されている。人間というもの、ときに利口に見えるのは歴史が人間を庇ってくれているからだ。生き恥さらしながら苦労を重ねている人間個々など虫けら同然である。これ以上の馬鹿な生き物もあるまい。
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