赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

ロボット化する人間

2006年11月11日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
こんにちは。ネットに書き込むのは二週間ぶりです。先週、ちょっとした事故がありました。ネット回線が壊れてしまった。パソコンの置いてある居間の壁面まで回線がきており、ジャックからは有線でアダプターまで通し、パソコンにつないでいるのですが、その壁面のジャックを足で蹴飛ばして壊してしまったのです。少し曲がった程度だったのですが、つながらなくなってしまった。それで回線保有業者に頼んで修理に来てもらった。壊したのは23日の深夜、次の日、電話で事情を説明し、修理に来てもらい直るまでに四日もかかってしまいました。なにか、ネットと距離ができてしまったのか、掲示板に書き込むような気持ちにもなれず、二週間ほどたってしまったというわけです。この間、回線ばかりでなく、パソコン周りのシステムについて、次々とアラが目立ってきて、回線が回復してからというもの、連日、ヤフオクめぐりで物欲解消、衝動買いに終始していたような按配でした。ヤフオクで買ったものは、以下のとおり。

シーリングライト(居間の証明器具)、パソコン用内蔵ハードディスク(20G)、キーボード(ハッピーなんとかのブランド品、いつかやすまるさんから教えていただいたIBMのスペースセーバーも何点か出ていて欲しかったのですが、見る見る値が上げったしまい、手が出なかった次第)、子供部屋用のカーテン、息子が使っているパソコン用に液晶モニター、無線LANアダプター、プリンターの4色インク3組・・・計2万円ほど散財した。インクを除いてすべて中古です。そんなことをしている間にも、今度は私が使っているパソコンのモニターがおかしくなってしまった。色が表示しなくなっているのです。そこでまたまたヤフオクの画面とにらめっこの最中というわけ。液晶にするか、かなり安くなっているブラウン管にするか。悩みどころ、というよりもはや金がない。難ありジャンク品を探しているところなり。予算は、そうさなぁ、5000円までしか出せない。

さて、あなたは次のように書いている。「コンピュータが人間以上の知能を持てば完全主義者になりそうです」。私は、これは逆だと思いますね。コンピュータの進化はそうでしょうが、わたしが懸念するのは人間そのものが限りなく数値化されて自他共に、それで良しとするような、人間になってしまうのではないかということです。ようするにコンピュータが人間のように進化するのではなく、人間がコンピュータのようになってしまう。なにもかも数値で理解しなければならない生き物です。感情は二の次三の次。できれば感情や私情なんていう反社会的なものはまっさらのゼロ状態にしておきたい。感情の入る余地はない。まさに人間それ自体が科学の塊です。それが恐ろしいことだと思うわけです。現在の教育は、あんがいにそういうことをやっている。「数理」について理解し、納得し、はては、あらゆるものを数値化して、よしとする思想と手段を子供たちに与えている。人間より社会が大事だと思い込む「私」を作る。この場合の社会とは限りなく数値化された社会に相違ない。これを目指す。それが現代の教育ですよ。コンピュータは、どんなに進化しても「自分」を持ちません。物質をどこまで組み立てても、それは「私」にはなりません。人間自身が誰からも公明正大に計量可能な物質そのものに、なってしまいそうで怖いのです。
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▼英国パブリックスクールの場合

2006年11月11日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
イギリスのパブリックスクールは、当掲示板でもよく引き合いに出されるので、少し調べてみたら現地で実際に調べてきた方がWeb上で次のように説明されているのを見たので、そのまま引用させていただく。
 
H校はロンドン近郊ではイートン校に次ぐ伝統と規模を持つ、典型的なイギリスパブリックスクールである。生徒数約800人。13才から18才までの男子生徒が、全寮制のこの学校に在籍し大学へと進学する。言わば、一流エリート養成機関である。学費は寮費その他全て含めて各学期4000ポンド。一年で12000ポンド。1ポンド200円とすれば、240万円という額である。ある家庭では5人の子を同時にハーロウに通わせているので、1年で6万ポンド、約1200万円の授業料を収めているとか。声も出ない我々である。

要するに、この全寮制を特徴とする学校形式も、イギリスの場合はほんの少数の貴族の末裔その他、いわば特権階級に属する子弟のための教育機関ということで、ほとんどわが国の教育意識やその理念には合致するところはないのである。われわれの目が美化しているだけなのである。現実的には参考にはならないということだ。もちろん、似たような学校でよいというなら金に物を言わせれば真似事ぐらいは、いつでもできる。真似が上手だというのがわが国民性の自慢でもあることだし、似たような学校でよいというなら真似て作ることなら、いつでもできるだろう。その際にも、上記のように金に物を言わせなければならないのである。誰が金を出すのか。問題は、それだけだ。だがそれは教育の本道とは筋違いな話である。衆愚は学校の建物を見て、学校のよしあしを決めたがる。馬鹿なものだ。さらに、真似事が得意なのは、古代よりわが国民の長所であったと耳にする。

だが、考えておくべきは、英国には英国の伝統があって、それがパブリックスクールなどいう特異な学校を成り立たせているという実際だ。わが国の伝統と英国のそれは違う。学校とか教育という概念が常にぶれて、いつまでたっても曖昧なままなのだと思っている。では、もう少し具体的に「伝統」とは何かについて、今思うところをお話したい。

英国のパブリックスクールに見られる伝統は、あきらかに旧時代から続く「身分」である。制度とは言わないまでも、「身分」というひとつの伝統が行き続けている証左に他ならない。身分とは換言すれば、職のことではないか。百姓は米作り、同じように武士には武士の、公家には公家の、貴族には貴族の役割に基づく業務と社会的責務というものがあったはずである。貴族だからといって毎日、遊んで暮らしているばかりでもないのである。この職と身分というものは、われわれの想像を絶するほど、旧時代には、代わり映えもしないまま何百年も続いていたはずである。古い時代は、家制度が幅を利かせて、子どもたちの教育に枷をはめていたと言われている、その「家」を証明するのは親の「職」に他ならないだろう。ならば、親はまず子どもに何を教えなければならないのか。武士の家に生まれた子どもは武士になるより他に道は無い。
 
この身分制度がえんえんと引き継ぎ、一定の社会の秩序を作ってきた。よってわが子に何を教えるのかは、家によってまったく違うという現象が現れる。百姓の子どもは米作りを教わる。米作りに関するありとあらゆる知識を、教えなければならないだろう。子どももまた、それが当然だと思うだろう。よい知恵を教われば教わるだけ、収穫が増えるだろう。本を読む必要はめったにないのである。まずは田んぼに出て行く。それが実地の教育だった。なんの迷いもない。武士は支配階級である。そのまま役人である。読み書き算盤、さらに教養と品格が体力が応分に必要とされていた。これまた何を教えるべきかははっきりしていたのである。近代に突入し、身分制度は廃止された。職業の選択は自由となった。

人生の夢は四方八方に広がった。それは良い。だが、何者になるかも分からない彼らに何を教えればよいのか。学校が混迷するのは、当然のことなのである。言うに事を欠いて、命を大切さを教えますとか、夢を与えますとか、夢を捨てなければ、かならず実現されます、がんばれ、がんばれ。たわごとばかりである。少女漫画だ。学校が混迷するのは当たり前なのである。当板でも、数日前に、どなたかが「なぜ勉強しなければならないのか?」というトピックスをあげておられたが、当然の疑問なのである。学校で、子どもたちが悩んでいるのは、まずは、そこにあるとは思わないのか。何のために学校に通わなければならないのか。何の保障があるのか。学校で勉強すれば、餅でも食わせてくれるのか。なんのために勉強をしなければならないのか。この根底的疑問に誰が答えてやれるのか。簡単なことだろう。飯を食うためだ。稼ぎのためだ。人を搾取すれば、儲けも大きい。金勘定も上手になれば、儲けも産まれようと数学の授業の前に、なぜはっきりとそう言ってやらないのだ。根無し草となった貧しき仮面かぶりの現代人よ。<2154字>
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▼不登校を美化しても始まらない

2006年11月10日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
私には息子が二人いて、二人とも小学校の高学年から、中学校のほとんどすべてを不登校で通してしまった。今は20代の好青年となり昔、自分が不登校していたことなど影も形もないようで助かっている。息子たちの真情は分からないが、一応元気に暮らしているのだから、それでよしと思っているだけだ。そういえば子どもに尋ねたこともない。どうして学校に行けないのだと、行きたいくない、学校に足が向かない、その理由というものを聞こうとしたことはない。だからいまだに、どうして長い間、不登校だったのかは、親の私にも分からないのである。上の息子の場合は、いささか自己主張が強く、小学校高学年のあたりから何度か教師とやりあったというようなことはあったらしい。ある日、授業の途中から家に舞い戻ってきてしまったということがあった。教師が、出て行けといったから、家に帰ってきたと言うのである。当時は私も勤めていたから夫婦共働き家庭ということで、昼間は家には誰もいない。息子は家に帰ってきたなり鍵をかけてしまった。あわてて追いかけてきた教師が何度ドアをたたいても息子はドアを開けなかった。
 
そんなことが幾度か重なって結局登校しなくなったように覚えている。教師にしても息子にしても、それはそれで元気いっぱいの健全な行為だと思っている。下の息子の場合は、上の息子とは性格がだいぶ異なっているようで教師とやりあったことも、クラスメイトから嫌がらせを受けたようなことも、まったく見られなかった。ある日、ランドセルを背負って玄関を出た。10分後、私が出勤の時間になり玄関を開けてみると、そこに息子が泣き顔で呆然とたたずんでいたのである。その日は学校は休ませた。だが以後、通学路の途中まで送っていったり等々と登校させようと何度か試してみたが、どうしてもうまくいかなかった。学校のすぐ近くまで行っても、そこで足が止まってしまう。仕方なく引き返してきたものである。

当時、私は職場へは毎日一時間程度、遅刻していた。だが、息子に対して登校しないことを叱ってみたり、理由を問いただすようなことはしなかった。それでもなお親の面子がつぶされたような本音がなかったといえばうそになる。その後、結局、学校には行かないというのが我が家の通弊になってしまったのも、息子がそうしたまでで、親はそれに従ったまでのことであり登校しないことを容認したとはいっても、息子の不埒を真から許せるというまでになるには、緩慢に流れる時間が必要だった。徐々に徐々に分かってきたのである。それは息子にしても同じことだったのではないのだろうか。最初からなにもかも分かっていたわけではないと思う。
 
一方、息子の不登校の話よりずっと以前のことだが、近所に住む母親が息子さんを自転車の荷台に乗せて小学校まで送り届けている光景を出勤途中によく見たのである。息子さんは母親の後ろで大声を上げて登校を嫌がっていた。母親は、それこそ髪の毛を振り乱して自転車のペダルをこいでいた。なんとしてでも、このごうつくばりの息子を学校に送り届けようと必死の面持ちだった。近所ではちょっとした話題にも上っていた。母子家庭とのことだった。
 
数年後のある休日に町内で小さな催し物が行われている最中に、その男の子が母親と一緒にやってきた。私は知り合いではないので言葉を交わすことはなかったが、ひさしぶりに見る息子さんは、以前の彼とは見間違えるほど体も大きくなっていて中学校の制服がよく似合っていた。イベントの間中、彼は小さな子どもたちの遊び相手になってくれていたのである。数年前、毎朝、母親のこぐ自転車の後ろに乗せられて半強制的に登校させられていた、あの子かと目を疑うばかりだった。思うのだが、この母親も、そこまでして登校させるべきではないという一種優しいイデオロギーが流行している昨今のことなら地域PTAなどから糾弾されていたのではないだろうか。
 
こんなこともあるのである。不登校がごとき美化するに値しない。いっそ「不登校」などという曖昧糢糊なる言葉は死語にしたいほどだ。学校といい教育といい、いずれの方法が子どもの幸いとなるか、などということは、いずれにしても個別子どもと、深くかかわってみなければわからないものなのだと思った次第である。

<1779字>
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