赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼プロ野球ストライキ突入

2004年09月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 明け方にかけて、TVでパラリンピック・アテネ大会の開会式を観る。開会式も終わりちょっと目が疲れたので外に出てみると、もう夜明けも近く新聞配達のバイクが行き交っていた。
 さてもパラリンピックはともかく、昨夜からTVのニュースなどでは、今日明日の土日、我が国でプロ野球始まって以来のストライキが行われるということで喧噪をきわめていた。このことに気が付き、すぐ先にある終夜営業のコンビニエンスストアで新聞を買ってこようと思ったのだが、あいにく小銭がなかった。もう一度、家に引き返して小銭を持ってこようかなどと逡巡しているときに目の前のマンションの階段を降りてくる配達氏がいた。玄関先に止めてあった彼のバイクのカゴを見れば、この朝の配達も終盤にさしかかっているようで、朝刊の残りは少なかった。虫の良い話だが、断られても、それはもともとだと心して、余っている朝刊がありますかと聞いてみたのである。有れば、分けていただきたいと。すると「有りますよ」と快い返事があって、カゴから一部をとって手渡してくれた。

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映写技師W氏を訪ねる

2004年09月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
夕方、ネットで知り合った映写技師のWさんを訪ねた。狭い映写室に案内されて入ってみると、そこには想像以上に大きな映写機がうなりを上げて映画を上映しているところであった。写真のように、まるで蒸気機関車である。車輪のように見えるのがフィルムを巻き取るリールだが、直径1メートルはあった。所要二時間半のフィルムが、このリール一本に収まってしまうという。
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▼ふんどし協会ミヤケン親方

2004年09月01日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
これ、かもめよ。

おい、結局何年たっても幕下以上には這い上がれずに、引退寸前のおめさんが、前途有望なる東の小結を張って久しい拙者を気安く呼ぶなよ。かもめ関と呼べ。かもめ関と。小結も前頭も関取だ。これからは相撲人として、たがいに畏敬の念をもって付き合おうではないか。いつの日かカラオケでもディエットしてみよう。フンドシ協会のお偉方が、おめさんの無礼なる、ものの言いようを耳に入れたりしたら、ただではすまないぞ。相撲界から追い出されるぞ。気をつけろ。いい話を教えてやろう。来場所はおめさんも、ふんどしの色をもう少し派手にしてみたらどうだ。赤フンドシでよいなら貸してやってもよい。

さて、わたくしこと、かもめ関におかれましては先場所まで負け越しが続きフンドシ協会には多大なる迷惑をおかけし、また多数のネットファンのみなさまを悲しませる一方でした。巷では引退説がまことしやかに流されておりましたが、このままではいけないと数日前より新規まき直しにいたる気分が高揚してまいったところです。浅学非才は生まれながらの持ち味ですが、この先も、少しはフンドシの普及活動および言論の自由のために、奮闘努力をしてみようと思った次第です。周知のように番付上では、ワンカップ小結まで上り詰めたのが、数ヶ月前のことでした。だが、小結風情のままで、これ以上の出世を断念しフンドシの着用をやめて、猿股を用いるというのでは、誰よりもフンドシが似合うのが自慢で、ここまでやってきた男がすたるだろうと、田舎では不評でした。こうして、フンドシの件については世間を騒がせた結果、なかば励まし、なかば抗議をよせてくる心あるファンからメールやらレターが殺到しておりました。

実際、この暑さの中、ここであきらめては葬式代も出せないぞとフンドシ協会上層部より脅しをかけられ、それでなくても体の弱い老母と妻子をかかえ塗炭の苦しみを味わいました。さいわい協会の温情により、長い夏休みがとれまして、この間に鋭気を養うこと幾ひさしく、だいぶ助かりました。物は試しと数日前より、ネットで名高い赤っ恥掲示板管理人様であらせられます今井どんべぇ氏を相手に、稽古を一番とってみたところ、なかなか調子よく上手投げで勝利を得た次第です。心身ともにほどよく回復してきたようだとフンドシ協会内のワンカップ大関審議会より、お墨付きをいただいたところです。

それにしても今場所はまだ、中日(なかび)をむかえたばかりでごんす。親方衆のお気持ちは重々承知しちょりますが、なんともはぁ、拙者も寄る年波には打ち勝てず、奮闘努力の甲斐もなく、ただいまのところ、1勝6敗にございます。あと2回負けると先場所に続く負け越しが決定し、いよいよカド番となり、おそらく引退説が再度盛り上がってくることと思われます。小結風情のままで引退となれば、年寄り株も所有するにあたわず、着のみ着のまま部屋から追い出される憂き目にあいます。この年で路頭に迷っては、田舎で拙者の出世を待ちくたびれているであろう老母も、紅涙をしぼって泣きの涙です。どうか、お助けください。

そこで謹んで親方衆にお願いするのですが、千秋楽にでも、再度ワンカップ審議会を開いていただき、フンドシ協会憲法第9条、すなわち小結の規定を、改訂し、いま少し緩やかにしておいていただくわけにはいかないでしょうか。つまり今場所の私の成績は千秋楽を待つまでもなく、負け越してしまうことは誰の目にも明らかです。審議会の先生方に、今場所の拙者の負け越しは、見て見ぬふりをしていただければ、来場所までにはなんとか手をうって生活の手段を講じたいと思っております。家族と相談もしなければなりません。拙者としても今場所かぎりで協会から身を引くことはやぶさかではありませんが、なんと言っても体の弱い妻子の手前というものがあります。面子といわれても、返す言葉もありません。どうか、拙者の気持ちを汲んでやってください。さすれば、審議会の先生方一人一人にワンカップを一ビンづつ、お土産に持たせます。

最近は、足腰が弱くなってきまして、土俵にあがっても、どうも最初から腰が引けて、仕切っている途中からふらふらして、ぶったおれそうになりました。従来より拙者の持ち味であった、立会いと同時に横っ飛びになり、相手の面に張り手をくれて、脳震盪を起こさせ、くらくらしているところに乗じて、つっぱりに移行する一連のすばやさが出てこないのです。

パソコンばかりいじくっていて、稽古をなまけているせいだと、イデオロギー部屋のミヤケン親方から叱られました。こうなっては、最後の切り札を出すつもりです。ここだけの話ですが、ふんどしの色を奇抜なものに変えて、土俵にあがるつもりです。ミヤケン親方からは真っ赤なフンドシを薦められました。70年代に旧ソ連を訪問した際、ソ連共産党より贈られたボリシェビキの国旗が押入れにあったので、それをフンドシの代わりにケツにまいてみれば、すこしは相撲に気合が入るだろうと言うのです。

私は、若い頃より、社会主義はあまり好きではありませんでしたが、ここは親方のお言葉に甘えることにしたのです。大きく真っ赤な国旗です。柄物ではなく無地です。私も、自分の好みでフンドシを選べるほど威張ってもいられません。根っから百姓の根性を持ちあせておりますから、フンドシに柄があろうとなかろうとかまったことではござりません。落ちるところまで落ちたら、もうなりふりかまわず、行くしかありません。見栄は捨てました。ミヤケン親方からいただいた赤フンドシをおっかって懸命につっぱりを繰り出しても、繰り出しても、負けがこむようでしたら、いよいよ来場所は小結から降格されることになるのでしょうが、その際は、もう相撲はやめて、いち早くホームレス新党を立ち上げるつもりです。そして、家族一丸となって、次の総選挙の準備にかかろうと思っています。何事も来場所における成績次第です。では、取り組みが近づきましたので、これにて失礼します。ドスコイ、ドスコイ、ごっつあんです。

<2004.09.08記>
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