赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼古道具屋の帰り道

2023年10月27日 | ■かもめ文庫

 むかし撮った写真で恐縮するが、それに品川区とあるが区内のどこの町のどこの古道具屋だったのかは思い出せないのである。

 

2016.05.01 品川区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼雨の日のアルバイト

2023年10月27日 | ■かもめ文庫

以下、大昔の記事で悪いが・・・

 

 

2002年12月21日

雨の中を次男がアルバイト先から帰ってきた。
週日は昼過ぎまで赤い自転車をこいで郵便配達をしている。
夕方からは電車に乗って都心に向かう夜間高校の二年生。

 

我が子は二十歳になりぬらん
博打してこそ歩くなれ
国々の博党に
さすが子なれば憎かなし
負けるな 負けるな
王子の住吉 西の宮

      梁塵秘抄

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▼野良と交番

2023年10月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2002.12.15  世田谷区 

 以下も大昔の記事につき、恐縮至極。

 おい、そこを行くネコくん ネコくん。ちゃんと 横断歩道を渡りなさい。交通ルールを守ってネ。

 うっるせいなぁ。あの声はこの秋より本署から左遷されて交番勤めしている交通課のオマワリだな。へっ、知ったことか。アホ種ヒト科のガキと一緒されてたまるか。おいらは、毎日、いかに食っていくかで必死なのさ。今は、道路のあっち側に渡らなければ、おまんまに見放されるってなものだろう。今日は日曜だから車も少ない。週末ぐらいなものだぜ。こうしてゆったりと道路をわたれるのはよ。
 ネコの事情もしらないで、バカの一つ覚えみたいに、なにが交通ルールだ。ネコにはネコのルールがある。機会があれば、交番に入っていって講釈してやってもよいんだが。あいつらに聞く耳があるかどうか。
 そういえば今年はまだサンマを食っていないな。去年は二匹ほど食ったが、この不景気では今年はあきらめなければならないか。まったく世知辛い世の中になったものだぜ。おい、そこのオマワリ。おまはんは今年、サンマを食ったかね。ネコのために頭と尻尾ぐらいは残しておけよ。それが昔からのルールだったぜ。今はなんだい、ネコのことも考えずにあらかた捨てっちまいやがってよ。
 それも誰にも触れさせない見させないとばかりに後生大事に包み込んでから捨てるってか。においも嗅がせないうちによ。そこまでオラたちネコを小馬鹿にするのか。てめたちだけ小ぎれいに暮らせればそれでいいってんだからな。いくらなんでもアホ種のヒューマニズムにネコの存在を考慮しろとは言えないけどよ。ヒト科ばかりにのさばられたんでは、世も末だぜ。
 まあ、小難しい話をしても交番のオマワリはんにはわからんだろう。そこでオマワリさんよ。こうとなったら取引だ。サンマの頭と尻尾をここに持って来てくれるなら、きちんと横断歩道を渡ってやらないこともないんだぜ。

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▼レンタカーで故郷に遊ぶ

2023年10月10日 | ■かもめ文庫

2009.06.23 栃木県さくら市

以下またぞろ、大昔の記事で申し訳ない。

 昨日一昨日と仕事の休みが続いたので、ふと朝から思い立って宇都宮まで電車で行き駅前でレンタカーを借り、県北部に位置する故郷を巡りあるいた。幼馴染の何人かに会ってこようと思ったのである。アポイントメントは不要である。アポを取らねば会えないような慇懃無礼の愚の骨頂には最初から会いたくもない。
 数年前にやはり、同じように衝動的な行動に打って出て、とりあえず故郷の駅まで行ってみたのだが、電話帳にある何軒かのレンタル会社は、乗用車のたぐいは貸し出ししていないという。在庫があるのは、農作業用の耕運機かトラック、または工事用の重機しかない。それでよければいつでも貸しますと言う。なにもトラックを運転してまで懐かしい友人に会いに行くまでもないと、そのときは、駅前でコーヒーを飲んだきりで、のぼり電車に乗って引き返してきてしまった。
 さて、今回、宇都宮で途中下車して車を借りたのは正解だった。宇都宮から四号線を小一時間北上したあたりに、わが懐かしき田舎がある。結局、一泊二日の小旅行で、会えた男もいれば、会えなかった男もいた。最後は高校時代の旧友を駅前まで呼び出して政治談議にカラオケざんまい。彼は駅前から10キロほど離れた隣町にいる。「おう、ひさしぶりだなぁ」などと言いながら、やはり車でやってきたのだが帰りは運転代行を頼んで帰宅していった。にわかには信じられなかったが、彼がいうに運転代行のほうが、タクシーより安上がりだという。わたしの場合は、町外れの公園入り口あたりにレンタルカーを留めておき、飲み屋から千鳥足の状態で、街灯もない暗い道をほうほうのていで、なんとか公園までたどりつき車中で一泊したのである。

 

 
 〃  大田原市
 
 
 
 
 
 〃  矢板市
 
 
 
 
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▼映画「ダイアナ」を観る

2023年10月09日 | ■かもめ文庫

 

 

 

以下、十年ほどまえの記事なれど・・・

 

 

2013.10.18 産経新聞

 数日前に読んだ新聞の映画評に好感を持ち本日、当の作品を観てきた。結果、上品な劇映画として仕上がっており、すこぶる満足して帰宅した。だいたい戦争映画でもないのに、やたらに銃をぶっ放したり、刀を振り回したり、たいした問題でもないのに馬鹿と馬鹿が出てきて、双方、応分にののしりあって満足しているような下司な映画は最初から観ないようにしている。映画館を出ると霧雨が降っていた。映画の余韻を楽しみたいと、ものは試しで、もひとつ先の駅までぬれて歩いた。

 

大和市

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼病みてもなお革命のこと口に絶たねば・・・啄木

2023年10月03日 | ■かもめ文庫

相変わらず、昔の記事で悪いが・・・

 

2015.03.18 上野駅

 

ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく


思うにおそらく啄木は、一度たりとも、こんなことだけのために上野駅には来なかったに違いない。そこが啄木の啄木たる所以と言えるかもしれない。感傷的かつ革命的な三行詩が、書物から得たのだろう覚えたての西洋の新思想の風情に乗せて、いくらでも湧いてきた。言葉に酔うという作用が詩歌文学には多分に含まれている。非現実の空想が自分の発した言語からさらに妄想されて、まぶたの裏側に出現してくる。これが後々まだ物の知らない青少年相手に伝播されて悪さをするのである。

 五歳になる子になぜともなく ソニヤという露西亜名をつけて 呼びてはよろこぶ

 「労働者」「革命」などという言葉を 聞きおぼえたる 五歳の子かな

 友も妻もかなしと思うらし 病みてもなお 革命のこと口に絶たねば



東海地方には一度も足を伸ばしたことがないにかかわらず次のようにやすやすと詠ってしまう。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる

 
啄木の生前に「資本論」はまだ翻訳途上で刊行されてはいなかった。

我が友は、今日もまたマルクスの「資本論」の難解になやみつつあるなん

明治末年、飛行機はまだ試験飛行の最中だった。高度十メーター飛行距離百メーターぐらいであったらしい。まともに空を飛ぶ飛行機はまだ誰も見ていなかった。

見よ、 今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを


虚構を並べて詩歌を作っていたことは啄木自身よくわきまえていたようで、まれには次のような歌もある。

何となく、自分を嘘のかたまりの如く思いて 目をばつぶれる

 

 <2015.03.18 記>

 

 

 

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▼ようするに言葉とは何なのか

2023年10月01日 | ■文芸的なあまりに文芸的な弁証法

 今日もまたカラオケ屋に行ってきた。私が歌うカラオケ・メニューは昭和の歌が大部分である。「雨のブルース」、「下町の太陽」、「美しい十代」、「津軽のふるさと」などなど、その他いろいろあるのだが、それらすべてに、「あ~」または「あぁ~」の歌詞がある。そうして、その「あぁ~」の部分が、だいたい絶唱たる部分のようで歌っている本人からして、天にも昇る心地がしてならない。
 それにしても浮かれているばかりでは、なにほどの研究にもなりはせぬ。拙者なりに考えたのである。どうして、これほどまでに歌謡曲、詩歌に多用されているようにヒトは「あ」が大好きなのかと。
 そこで、この度、浅学非才のおいらなりに、その「あ」の意味たるやなんなのかと自問自答してみたのである。
 さても皆の衆、考えても見よ。われらヒト科の最初の発声をだ。なんの意味も分からずに母の胎内から産み出されて、この世の空気を吸ったとたんに、発声するのが赤ちゃんの産声というものが、やはり「あぁー」と喜びの時の声を上げたてるではないか。これこそ世界共通であり、世界の共通語であるとは思わんか。どこの赤ちゃんでも、「あ~」と泣き叫ぶ。悲しい時もうれしい時も、最大の表現は「あ」の発声からはじまり、「あ」につきる。
 近代のインテリ風情は、その「あ」には何の意味はないと言う。馬鹿を言うなよ。最初の発声に、そこにすべてのヒト科の「生」たる意味のすべてが込められていたとは思えんか。
 「あ」と聞こえる音声から始まっているのだよ。言葉のすべてが。記号のすべてが。貨幣、デジタルのすべてが・・・

 

▼「あ」は、言語学の根幹の原基だが「か」もまた引けを取らない。最初の「か」は交(まじ)わるの意味に召集されているようだが、それを言うなら、やはり「買う」だろう。物を買ったり売ったりすることこそ交わるの社会的原基の根幹がある。人は、物を売ったり買ったりして人と交わり、社会を構成するのである。いっそ家畜を「飼う」も同じことだ。「か」に込められた意味内容の、大きさたるや、なんと大儀なことよ。

交う、飼う、買う・・・それらの動詞は言語学的に言えば、みな同じことを指し示している。

 

▼「き」の語源は、ようするに「絹」につきる。衣を総称して「きぬ」と呼ばわっていたにしても、この場合、現物よりは言語が遅れているのである。絹の出現以前にもヒト科は麻やら綿やらから織りなす布をまとっていたことは周知の事実であろう。

 そこで話しは少し変わるが我々、昭和の人間は、布(ぬの)一般を称して「きれ」と呼ばわっていた時期があった。多分、大昔からそうだったのである。悲しいかな「布地」を称して「きれ」とは今や死語と化して久しい。

 言っておくが、「きれ」とは、「切る」の語源ではないのか。映画でもよくある場面だがキレ(布)を割いて、包帯をつくって、恋心を示したまえる・・・等々の。

 絹=布=きれ=着る=切る・・・これが「き」の発声に意味を持たせた源であることは間違いない。いずれにしても、発声に文字、とりわけ漢字を当てたとたんに、もとよりの意味内容が分断されしまうのが、悲しいとは思わんか。

 

 そこで、前もって言っておくのだが、この記事は、この後、なん百回となく、訂正加筆また書き換えが横行されることあたわず。許せよ。学校の宿題でもあるまいに、取って付けたような結論は何の意味もなさしめまい。言葉とは、その最初の泉がどこにあったのか・・・などとは、なにしろきわめて難儀な話なのである。

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