赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼彩雲の下で恵方巻を食ふ

2016年01月28日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.01.27 葛飾区

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼美しが丘のマルちゃん正麺

2016年01月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.01.26 横浜市青葉区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼鬼虫とりの日々

2016年01月25日 | ■かもめ文庫


2008年 栃木県

 

一九五六年より、ぼくたちの一家が父の精神病による長い入院生活で、やむなく寄宿していた祖父の家と、栄ちゃんの家とは一枚の水田をはさんで東西のそれぞれ山ぎわに建てられていた。

少し迂回した所に馬車が通れる程の巾を持った道があり、栄ちゃんの家への行き来には、その道を利用するよう常々祖父から言い渡されてはいたのだが、二歳年下の弟とぼくとは、もっぱら祖父の目を盗んでは、栄ちゃんの家とを直線的に結ぶ水田の間の細い畔を走ったものだった。

祖父はよくこの事で、4キロほど離れた町の工場から帰って来たばかりの母を呼びつけては「人様の田んぼが駄目になってしまう」と長い時間をかけて嫌味を言った。

すでに栄ちゃんの家の存在がぼくと弟の生活の中で、不可欠のものとなっていることをよく知っていた母は、祖父の言葉をそのままぼくたちに伝えるような事はしなかったが、そんな夜は、祖父から解放されて、やっとぼくたちの所へ戻って来てからというもの、夕飯の準備をする間中、眉間に皺を寄せ祖父たちの部屋には聞こえない程度の低い声で鍋や釜に向かって悪態をついた。

「つるっぱげじじいめが、めかけにたきつけられて人をいじめてよろこんでいやがる」とか「めかけに男がいるのも知らねえで」とか、さんざんに祖父と祖父と共に暮らしている、ぼくたちが「おばちゃん」と呼び慣らされていた若い女を罵ってはみたものの、それでも腹の虫が納まらない時もあって、石油ランプの「火屋(ほや)を磨いていない」とか「じいさまの所へ行っている間のうちに飯ぐらいたいておけないのか」とか、ぼくたちを叱ってみたりした。

父は時々病院を脱走して来た。十キロ以上はあっただろう隣町から夜の闇にまぎれて逃走して来たものらしく、翌朝隣りの布団でいびきをかいている父を見つけて、びっくりしたことが幾度かあった。

次の日からは、さっそく父と祖父の間で板戸をはさんでの激しい悪罵の応酬が始まり、一週間もたつと、何することなくゴロゴロしている自分の息子の姿にごうを煮やした祖父の辛辣な小言に端を発っして、一人が鎌を振り上げ、もう一人は鉈を振り上げつ家の囲わりを追いつ追われつの大運動会や、庭のブドウ棚の下のあたりでプロレスまがいの取っ組み合いが見られたりした。

いずれにしても、ぼくと弟とは、気を遣ったつもりの教師によって、こっそり職員室の隅の方へと導かれ、生活保護によるノートやら鉛筆やらの現物支給品を手渡され、それらをどうやって級友たちに知られずに自分の机まで運んだものかといったような、細かな悩みはあったが母ほどには毎日を深刻に受けとめてはいなかった。

禁じられた細い畔を渡ってしまいさえすれば、ぶざまな父の姿も恐ろしい祖父の禿頭も母の嘆きさえも栄ちゃんの母さんが屋根のひさしに手を伸ばして取ってくれる乾燥イモをしゃぶっているうちには、すべて忘れ去ることができたのである。

さて、一九五八年の夏休みの間中、六年生の栄ちゃんは町の合板工場に勤めていた兄さんからのお下りである茶色のチェック柄のシャツを着て過ごし、すこぶるご機嫌だった。栄ちゃんには随分と大きめだったが、サラサラとした薄地のそのシャツは、いかにも涼しげで、明朗な栄ちゃんの表情によく映えていた。

一年生になっていた栄ちゃんの弟を加えてぼくたち三人を庭の真中に整列させて、そのまわりを栄ちゃんが両手を広げて走りだすと、栄ちゃんの背中が風船のようにふくらんだ。栄ちゃんは「ほら、ほら」と言いながら自分の背中から目を離さないよう、ぼくたちに強要するのだが、栄ちゃんの息が切れる頃には、ぼくたち三人もまた、すっかり目を回わしてしまったものだった。

ところでこの年の夏は、なぜか鬼虫の発生が例年になく少なくて、その事が多分にぼくたち四人の団結を一層、強固にしていった。ぼくたちは茶色のシャツを着た栄ちゃんを先頭に鬼虫とエサ場を競合する巨大なスズメバチを叩き落すための、鞭のようにしなう思い思いの細枝を手にして山へ入って行くのだが、コクワガタが数匹、たまにノコギリクワガタのつがいが一組見つかるかどうかといった状態で、黄金色の産毛につつまれて輝やくミヤマクワガタは、ほとんど見つからなかった。

本村の水浴び場で、ぼくたちの到着を待ちわびているであろう「橋田の定」への貢ぎ物としての鬼虫の数匹だけは、なんとか採取しなければと、午前中の大部分が、朝露に濡れた下草をかきわけながら、それらしいコナラやクヌギといった類の木の幹をゆすったりゴム長靴のかかとで思いっ切り蹴ってみたりすることに費やされた。

定は栄ちゃんと同じ六年生だったが一学期より続いていた二人の確執は夏休みになって一層きわだってきていたようだ。栄ちゃんは多勢に無勢という事情もあり、あからさまな抗争をさけるため努力しているようだったが定の方は本村のこどもたちに対する圧倒的な支配力と、自らの体力に自信を得て、なにかとぼくたちを挑発してくるのであった。

本村へ通ずる三本の道のうちの一本であるとともに、ぼくたちの通学路でもあった山道を登りきると眼下に広々とした水田が開け、学校が見え、ひときわ大きな橋田の定の家が見え、そして父の実家、すなわち祖母たちが暮している祖父本来の家が見える。水田の広がった村の中程を北から南へと川が流れ、大きく蛇行しているあたりに、こどもたちの水浴び場があった。本村に住む人々からは、多少見下しの意をこめて「赤田(あかた)」と呼ばれていたぼくたちの集落の水田は、実際いつも赤い水垢に被われていた。赤田には祖父の隠居宅を含めて五軒の農家が、狭い田を囲むようにして、それぞれ山ぎわに点在している。

赤田のこどもは栄ちゃん兄弟にぼくたち兄弟の四人だけで、そこに泳げる程の川はなく、ぼくたちは橋田の定の嫌がらせを別にしても毎日水浴び場に出かけていくのは、いかにも億劫(おっくう)であったけれど真夏の暑さには打勝てずタオルを首に巻いては山道を登って行った。

夏休みの始めに、「泳がせてやるから、鬼虫、持ってこいや」という定からの一方的な要求を、栄ちゃんが何の抵抗もせずにのんでしまったのは、多分にぼくたちへの思んばかりと、この夏は、いつになく鬼虫が少ないという事情を、まだ正確には察知していなかったせいであったと思う。

当初「鬼虫の一匹、二匹、まかせておけ」と豪語していた栄ちゃんは、ぼくと弟が朝食をすませ、いつもの畔を渡って栄ちゃんの家へと集合して来る前に、自分一人で山に入り、さっさと見つけてくるつもりではあったらしいが、この夏の場合、そうは問屋がおろさなかったのである。こうして、ぼくたちの懸命な採集活動にもかかわらず、鬼虫とりは不猟がつづいた。

まもなく定は「黒や兵隊ばかりでなく、大将をつかまえて来い」と居丈高に、この不猟の有様ではとてもかなえられない要求を掲げてきたのであった。定の言う「黒」とはコクワガタの別名であり、「兵隊」とはノコギリクワガタの事であった。ぼくたちの間で「大将」と異名をとったミヤマクワガタの発見は、ほぼ絶望的だった。だが栄ちゃんには気落ちした様子など全然見えなかった。なによりの特徴である左右がつながった眉毛を逆立て、すごんで見せるしか能もない定への対応を楽しんででもいるような余裕すら見えていた。

ぼくたちが水浴び場で服を脱ぎ始めている時だった。

「鬼虫、持ってきたか」と言いながら近づいてくる定の前で、栄ちゃんが茶色のシャツを脱ぐと、腹全面に墨で描かれた定の似顔絵が現われて、そばにいた子どもたちが一斉に爆笑した。このときばかりは、さすがの定も一瞬ギョッとし、たじろいだ。ある日、午前中の鬼虫とりが、コナラの根元のあたりに、アリにたかられてあお向けに引っくり返り、足をもがいていた年老いたノコギリクワガタ一匹だけで、ぼくたちは道々、これだけでは橋田の定にどんな嫌味を言われるかわかったものでない、などと話しながら水浴び場への山道を登って行った。

そこを通る時には、必ず、みんなして蹴っとばしてみるクヌギの若木が道から少しはずれた藪(やぶ)の中に立っていたのだが、この日は、栄ちゃんとぼくが話しに夢中で歩き過ぎてしまっていた。その事に気がつき後を振り返ると、すでにぼくたちの弟が藪を入って行ったらしく、二人の姿は見えなかったが、藪の上から覗いているクヌギの葉が激しく揺れていた。鬼虫が見つかるかどうかという事よりも、スズメバチの攻撃からあまりに無防備な二人を思って、栄ちゃんとぼくがあわてて藪の中をくぐろうとした時に、栄ちゃんの弟が「いたぞー、いたぞー」と叫ぶ歓喜の声を耳にしたのである。

それは、この夏最大の鬼虫で、すばらしいミヤマクワガタ虫のオスだった。栄ちゃんは、大将を見つけた事を絶対に言ってはならぬと、喜びに興奮が続いていて、いささか心もとない弟たちに厳しく口止めすると、手早く、自分の首に巻いてあったタオルに樹液をこすりつけた。栄ちゃんは「オレが持っているより目だたないから」と言ってタオルにくるまった大将をぼくに手渡した。

こうして、その日、ぼくは栄ちゃんと弟たちが何くわぬ顔をして水浴びをしている川縁(かわべり)にしゃがみこみ、時々、いぶかしげに近寄ってくる橋田の定への疑惑を解くため、「腹が痛くて」泳げない、とウソをつきつつ、両手で腹のあたりを押えつづけていたのであった。鬼虫は、もちろん手の中にあって、時々、タオル地の奥の方から角を持ち上げては、ぼくのたなごころをつついていた。弟たちをうながして早めに水から上り、ぼくの横で着がえを始めた栄ちゃんに、定と定の支配下にある本村の五・六年生の数名がつめ寄り、「大将を持ってこなければ、もうここでは泳がせない」と最終的な通告をしてきた。栄ちゃんは、依然としてそこに座り込んでいたぼくに立ち上るよう指示を送ると、橋田の定に面と向って「たとえ大将が見つかっても、ここへは持ってこない」と強く言い放った。

夏休みは残りわずかであったが、以後ぼくたちは本村への山道を登ることはなかった。鬼虫とりの苦役から解放されたぼくたちは、さっそく次の日、栄ちゃんの家の裏側を流れている小川をせき止め、水浴び場を作った。水は冷たく、泳げるほどの広さはなかったが、一人づつ交代でそこにつかっては涼を得て楽しんだ。次の年の春、栄ちゃんは自転車で、町の中学校に通い始めた。同じ頃、父がまた病院を抜け出してきた。いや、このときばかりは正規に退院してきたのかも知れない。それからややあって、ぼくたちの一家もようやく母の念願がかない町に安いアパートを見つけて引越して行った。

<1985/05/10 記>

 

 

 

 

 

 

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▼義民六人衆

2016年01月23日 | ■歴史的なあまりに歴史的な弁証法

 

今日は池上通りを、大井町駅から蒲田駅まで歩く。大森駅をすぎてすぐのところに善慶寺がある。ここに、以前より何度か話を聞いていた「義民六人衆」の墓がある。今日は、義民六人衆の墓参りが目的で、ここまで歩いてきたわけではなかったのだが、時間もあったことで念入りに線香をあげてきた。境内に東京都教育委員会が建てた案内看板があって、そこに次のように書かれてあった。



江戸時代の荏原郡新井宿(えばらぐんあらいじゅく)村は幕末にいたるまで旗本木原氏の知行地であった。延宝元年(1673年)の旱魃(かんばつ)、翌年の多摩川の氾濫(はんらん)による洪水や長雨などの天災で農民の困窮ははなはだしく、過酷な年貢収奪に耐えかねた村民は、十九ヶ条の訴状を提出して年貢の免除を願い出た。この訴えは黙殺されたため、主だった百姓六人が将軍家継に起訴(おっき)しようとした。だが、決行直前に捕らえられ処刑された。

<2008.06.02  記>

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▼薔薇と珈琲

2016年01月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.01.19 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼街道沿いの昼下がり

2016年01月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.01.16 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼カレーを食って夕焼けを見て餃子を食って

2016年01月15日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2015.01.15 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼府中街道の味噌ラーメン

2016年01月11日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.01.11 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼うれし涙をかみしめて

2016年01月10日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

 

 

 

第37回よみうり写真大賞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼バス停横入る古道具屋の帰り道

2016年01月07日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2016.01.07 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼平成二十八年 元旦

2016年01月02日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

    あけましておめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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