赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼春のきざし

2013年01月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.01.30 川崎市

 

 

 

 

 

 

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▼あの町この町残り雪 Ⅴ

2013年01月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.01.29 川崎市

 

 

 

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▼あの町この町残り雪 Ⅳ

2013年01月28日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

昨夜、首都圏には、ほんの少しだが積雪があった。

2013.01.28 横浜市

 

  

 

 

 

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▼年金で餃子を食ふ

2013年01月25日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.01.25 横浜市

 

 

 

 

 

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▼題して「相続と世襲」 または貧しい富裕層の税金対策

2013年01月24日 | ■教育年金管理人泥炭氏との対話

以下、教育年金掲示板より

 

●投稿者:泥炭

今回の相続税の引き上げは2方面から行われます。累進率の引き上げと基礎控除の見直しです。親の家で共に暮らしながら、親の看病をしていた富裕層が親の死後、遺産相続税を払うためにその家を売らなければならなくなる等と言う悲劇も起きそうな気がします。 これは、富裕層に対する極端な増税と言うべきもので、一般富裕層増税と呼ぶのは正しくないし、この様な貧しい富裕層に対して増税を行うのは良くないと思った次第だす。少なくとも富裕層増税と宣伝しながら、貧しい富裕層を狙い撃ちするかのごとく相続税を増税するのは詐欺と言うべきです。今回の富裕層増税案から、特に貧しい富裕層に対する増税だけは是非とも削りとってもらいたいものです。 

 

●投稿者:かもめ
  
相続税が高すぎるという不満の出所は、拙者には富裕層の自己弁護のようにしか聞こえませんぞ。もそも相続というもんが実に、遺憾だと思っているのが拙者の極言です。
世襲に反対しておいて、なにが相続だ。相続するから世襲も生まれるのだろう。相続は、いっさいがっさい、やめるべきだ。
親の残した土地建物は、すべて国家なり地方自治体が接収するって、新方針は、いかがかな。さすれば、この先二三十年後には、すべての土地建物が国家または、地方自治体のものとなる。農地は国から借り受けて、農作業を営む。のんべぇで、ちっとも農作業にはげまい農民各種からは、さっさと土地を取り上げて、以後、貸し出さない。別途、有能な農民に貸し出す。
住宅もすべて私有は許さず、地方自治体の所有物となし、低価格で住民に、貸し出す。まるで社会主義のようだが、いたしかたもなし。
人間は、土地や建物を私有するから、諍いを起こし、頭が、馬鹿になるという定説がある。
拙者を見ろ。拙者のおとちゃんが死して後に、残したものは、下着類などが入った手荷物一つだった。拙者のおかちゃんは入院中だが、青息吐息だ。やはり、おかちゃんが残していくものも、手荷物一つだ。
拙者自身も、おとちゃんはおかちゃんに見習って、かくのごとくに死ねればと思っているところなり。
この世には、何も残さないで天国に行く。もちろん、誰に対しても貸し借り無しだ。
これほど、すがすがしい人生行路というものがあるだろうか。
泥炭さん、あなたも、相続から開放されなければ、人生は浮かばれないと思いますよ。相続を拒否できるか、田舎や。
すくなくても民主主義国家は、それを狙って、やけに相続税を上げてくるのでしょう。相続したいなら税を払え、そして、おまはんも、すっからかんになれと。それは正論でしょうな。
相続税を払うのが嫌なら、相続しなければよいだけのことなりや。

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▼映画「渾身」を観る

2013年01月24日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

2013.01.24 大和市

映画館で映画を観るのは、今年度初ということになる。 「渾身」は、隠岐の島に現在でも残されている古典相撲が丹念に描かれている。年一度、神社の前で執り行なわれる奉納相撲のようなものは、いまでも全国各地にありそうだが、隠岐の場合は、その規模がまるで違うのだ。若者たちの多くが人生をかけて番付の高位を狙って修練を重ねる。また全島の老若男女が、この相撲に熱中している。礼節に基づく、数多くのしきたりや規則が保守されてきたのだ。日本文化とは、かくも勇ましく、つつましやかなものだったかが心底に響いてくる。

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▼あの町この町残り雪 Ⅲ

2013年01月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.01.24 大和市

 

 

  

 

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▼町工場の魅力

2013年01月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.01.21 品川区

 

 

 

 

 

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▼あの町この町残り雪 Ⅱ

2013年01月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.01.21 品川区

 

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▼あの町この町残り雪

2013年01月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.01.18 横浜市

 

 

 


 

 

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▼題して「尖閣型老人性戦争反対耳鳴り症候群」

2013年01月18日 | ■教育年金管理人泥炭氏との対話

以下、教育年金掲示板より

 ●投稿者:泥炭

戦争の近づいて来る足音が聞こえてきます。最近の中国側の言動は、日本の動向に対する反応としては、いささか度を過ごした反応の様にも感じられなくもないが、彼の国は7、80年程前に日本から暴虐の限りを尽くす大変な被害を蒙った被害者である。日本に対する経験に基づいた恐怖心を持っているだろう。中国が日本の言動に、過敏に反応するのも仕方がない。しかし、このようにして緊張は高まり、戦争は始まる。これまでの戦争の多くがそうだった。
すかすながら、指摘したいのは開戦必至だと言うのではない。軍国主義を賛美したり軍事対立を扇動するような発言は厳に慎むべき時だと言いたいのである。それは只、相手国側の反日感情を高め、反日勢力を勢いづかせる事しか結果しない。それに、今はこんな火遊びをしている時ではない。地球温暖化に対して全人類が一丸となって協力し知恵を出し合わねば遠からず大変な事に成る。そこを指摘したいのである。


●投稿者:かもめ

ようするに、泥炭氏は、中国には中国の考えや立場があることは一顧だにしないようですね。中国という国は、はまるで、石原氏のような好戦的な日本人の発言によって、右にも行き左にも行くのですか。
石原氏のような発言さえなければ、日中関係は、すべてこれ平和裏にことが運ぶのですか。
中国という国は、そんな単細胞な国なのですか。
逆に、日本という国は、中国を戦争に引きずり込んだり、引きずり込まなかったりできるほど、そこまで強大な影響力を持っているのですか。
日本次第で、中国の国策は右にいったり左に行ったりするのかね。
あなたこそ、中国を見下しているような感じがしてなりませんよ。
いくらなんでも、10億の民が集う中国とは、泥炭氏が捉えているほど日本次第で、どうにでもなるほどの無方針な弱小国家ではないと思いますよ。

さて、以下は一般論として述べておくに過ぎないのだが、昨年末の総選挙の際の、社民党党首の福島瑞穂さんの次のようなコメントを覚えている。彼女は言う、憲法を改正しようと自民党はたくらんでいるが、憲法が改正されたら、日本は「戦争のできる国になってしまう」。ここはなんとしても自民党に勝たせてはなりません・・・と。
とういうことは、現在、日本は憲法が、それも9条が盾となって、「戦争のできない国」であるようだ。少なくても福島さんの認識では、そうなのであろう。
わたしに言わせれば、戦争のできない国とは、ようするに主権のない国のことである。独立していない国のことに相違ない。それは決して福島さんが考えているように、「平和」なことでも、幸福なことでもない。むしろ逆に、不幸なことであると思う。
ご存知のように、日本は自衛隊という規定上、半分だけ軍隊のようなものを持っている。事実上は、軍隊と言って間違いない。一昨年の東日本大震災の折、彼らの活躍は目覚しかった。全国の部隊から10万自衛官が、津波にのまれた東北の海岸に向かって、一斉に出動し、その後数ヶ月にわたって救援活動にあたった。日本に駐留している米軍も総軍を挙げて「ともだち作戦」と称して、応援してくれたのである。
福島さんがなんと言おうと、すでに日本は、実際のところ「戦争のできる立派な国」として成立していることは間違いない。問題は、非現実的な理想を歌う、憲法の条文の存在であるが、これはまた国会なりで議論を盛り上げていけばよい。
問題は、「戦争」という概念を、嫌悪するにせよ否定するにせよ。あまりに誇大に振り回さないほうが、多少は教育的だろうとは、思っている。もちろん、他国のことだ。ミサイルをぶっぱなしてくるのやら、刀を振り回してくるのやら、皆目わからない。前者と後者では、同じ戦争とは、いっても、その実態たるや、雲泥の差があるのである。もちろん、どんな場合にも、毅然として対処しなければならないことは、現代の自衛隊なら、そのいずれの戦争にも応戦する技術も誠意もあるだろうと信じている。
そのような場に備えるために、彼らが日夜奮闘してくれているのである。これは政治家も同じだ。できるだけミサイルなどは使わせず済ますのもまた、政治と軍事の役割だ。刀を振り回す程度の小競り合いで、ことを収めることができるなら、これ幸いの平和の世の中が、続いていく保障が生まれる。そのために尽力しているのだと、思いますよ。あなたの嫌いな、自民党も自衛隊も。それに石原氏もだ。
ただし誤解なきように申しておくのだが、日本の場合も、自衛隊ががんばってくれているおかげで、すでに、立派に「戦争のできる国」だという認識はあるものの、だからといって、さっそくその実力を試すがごとくに実戦してみればよいとは、これっぽっちも思ってはいない。これは中国サイドも同じことなのである。一発の銃声の持つ政治的意味が、昔と今では、天と地ほどの違いがあるのだ。どちらが先に手を出したかは言うに及ばず、その一発の銃声で、どちらかの国が悪にもなり、善にもなってしまうからだ。悪だと決め付けられた日には、これによって世界の世論から見捨てられ、孤立させられてしまう。おのずと慎重にならざるを得ないだろう。こうした意図に基づく戦略戦術に収斂される、大小さまざまな情報が、海峡の水面下でめまぐるしく交錯し流されているのである。これまた政治というものだ。われわれ市井の人間になど、その幾分たりとも知れることはないままにだ。政治家でもなし、自衛官でもない拙者は、別に知ろうとも思わないがね。
ところで、あなたは何か働いてますか。日本の平和のために。世界の平和のために。何もしていないというなら、この際、自衛隊宛てに、平和のためにがんばれと寄せ書きするなり、または小額でよいのだから、寄付でもしてみたらどうですか。
さすれば、いっそ気が晴れて、あなたの若い頃からの持病である「戦争反対耳鳴り症候群」も、多少はよくなること、うけあいますよ。

 

●投稿者:泥炭

「武力衝突は時間の問題」と英BBC放送が懸念を示すております。みなさん。いよいよ日本と中国のの、戦争が始まりそうですよ。 
不吉な予言だが英BBC放送が17日、日本と中国が沖縄県・尖閣諸島の領有をめぐり対立を激化させているとし、武力衝突は時間の問題だとする見方を伝えたと、複数の韓国メディアが報じたと言う。 
英メディア、日中対立に懸念「武力衝突は時間の問題」=韓国
同放送は英経済誌エコノミスト最新号を引用する形で、日本は保守系の安倍晋三内閣が発足してから対中強硬路線をとり、一方中国はこれに真っ向から反発するなど対立は深まっているとした。
同じ日、米高官の懸念としてこんなニュースも伝えられている。
偶発的な日中衝突の危険性…尖閣で米高官懸念
さらに、日中の対立を日本の大陸侵略に対する深い後悔の欠落にあるとするこんな見方も流布されている。
すかす不思議な事に日本のTVは昨日は阪神大震災から18年目の記念日と言う事でその関連の話題ばかり流していたし、今日は朝からアルジェの人質事件に掛かりっきりだ。 中国との開戦が迫っていると言う緊迫した雰囲気は感じられない。 あろう事か、東南海地震の食料などの中国や韓国からの食糧の緊急輸入の必要性が語られていた。 また、今日18日の読売新聞社説では中国の大気汚染問題を取り上げ、中国大気汚染 成長至上主義の限界露呈したなどとのニュースを流すばかり。
この記事の結びとして < 日本は中国に対し、環境問題の重要性を粘り強く訴え、中国が日本の公害対策のノウハウを活用するよう働きかける必要がある。> と結んでいる。 もっともな意見ではあるけれども、中国側が尖閣問題で戦争も辞さじと沸き立っている中での議論としてはなんだか的外れな気がしないでもない。中国との戦争問題を採り上げても石原慎太郎氏の様な扇動家を調子づかせるだけとの配慮からだろうか。しかし、真に平和的事態解決を望むならば、ほかに何かやる事があるんじゃないか。大新聞にできぬなら私達が考えなければならない。
ああ、戦争はどうなっているのだ。開戦するのかしないのか。日本と中国とは戦争するのか、しないのか。早いところテレビでニュースを流してほしい。ああ、明日のテレビを見るのが楽しみだ。テレビはなにをやっているのだ。この大事な時期に、お笑い番組なんぞ、流しているのは、ごまかしているからだろう。テレビは恥を知れ。ったく。バラエティーなんぞ、やっている暇があるのか。そこで、誤解なきように言っておくのだすが、わたすはわたすは戦争反対だす。わたしほど心の底から戦争を憎んでいるものは、この日本には、いないと思っています。だからこそ、戦争だけは、しないように日本と中国が仲良く手をつなぐ場面を、早くテレビに映ってほしいと願っているのだす。ああ、それにしてもしんぺぇで、しんぺぇで、明日のテレビがどうなっているのか、待ち遠しくてなるません。

 

●投稿者:かもめ

あなたもだいぶ単細胞のようですね。武力衝突とは言っても、銃声一発の小競り合いから、ミサイル発射までの幾層にも分かたれる段階があるものですよ。戦争は一語だが、その実態は、一様ではありませんよ。あなたの戦争概念は、太平洋戦争及び日本の中国侵略ぐらいしか、頭に浮かんでこないようだが、それは無知というものです。今と昔は大違いだ。まずは情報合戦がある。戦闘機を相手国内の、どこまで飛ばすのか等々さえも計算ずくなのですよ。警告のために射撃するとはいっても、玉の方向、玉の性質は、何段階にも別れている。最初は、相手機と並走しつつ、正面方向に、なにか光る玉を打って相手に警告を与えるそうだ。これを打つか打たないかも、大きな政治判断が必要とされるのです。昨年のことだが、海上保安庁の艦船と台湾のそれとの間で、水のぶっかけっこをしていましたね。あれも、一種の戦争といえば言えるだろう。いずれにしても最初は、そんなものなのだから、びくびくしなさんな。

2013.01.25 産経新聞

 

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▼震生湖に遊ぶ

2013年01月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.01.17 秦野市

 

  今日は母と私の転出証明書を取りに、秦野市役所に行く。昼前に手続きは終わり、これで、しばらく秦野市には来る予定もない。そこで、午後から以前より、一度は見たいと思っていた震生湖に足を伸ばした。丹沢山系は秦野市の北側にそびえている。震生湖は、丹沢山とは反対の市街を挟んで南側の丘陵の頂上付近にある、ほんの小さな湖である。その名の通り、今から90年ほど前の関東大震災によって山が崩れ小川がせき止められ、この湖ができたという。いまやヘラブナ釣りの名所なり。

 

 

 

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▼小沢田吾作動向

2013年01月14日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法


下の記事に対しての拙者の感想は、さもありなんの一語につきる。例によって例の如しの田吾作手法の常套手段たる「数の論理」と、その魅力に、まんまと乗せられてしまった嘉田氏もまた、政治的に、あまりにナイーブ過ぎていたのであり、彼女の弁に共感は抱けない。かような内情は、投票日までには有権者の多くが、うすうすながら分かっていたことなのである。灯台もと暗しとは、このことで、小沢氏の魂胆といい、その本音の有りどころを知らなかったのは、意外なことに、当の嘉田氏、その人だけだったような気もするのだ。

以下、朝日新聞オンラインより。

「あなたが出たら100人当選」小沢氏、嘉田氏を説得?
1月13日(日)20時57分配信

 滋賀県の嘉田由紀子知事は13日、大津市での後援会新年会で講演し、昨年12月の総選挙に向け日本未来の党結党を表明する3日前の同11月24日に小沢一郎衆院議員と会談し、「時間がない」「国政にかかわり得ない」と難色を示したのに対し「あなたが出てくれたら100人通る(当選する)」と説得され、結党を決断した、と明かした。

 嘉田氏は「後から思えば信じるべきではなかったが信じてしまった」と改めて陳謝した。嘉田氏によると、小沢氏とは結党までに3回ほど関西地方で会い、「(嘉田氏が初当選した)2006年の知事選の時に私はあなたを応援したかった」との話を切り出され、結党を促されたという。

 嘉田氏は総選挙では未来の候補者の多くが小選挙区で民主党と競合し、原発ゼロが十分争点にならなかったとし、「負けるべくして負けた」と述べた。講演後には記者団に「(結党前に)候補者リストを見ていたら100議席取れるなんて信じない」と話し、競合が多いことが分かっていれば、党の代表に就かなかったとの考えも示した。

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▼とある60年代安保青年との対話

2013年01月11日 | ■教育年金管理人泥炭氏との対話

以下、教育年金掲示板より

さて泥炭氏は次のように書いている。

>再生エネルギーでの展望が開けるまでは、選択肢としての原子炉とその技術の維持を計らねばならない。 取り分け技術の維持・発展は脱原発をやり抜くためにも必要だ。 

まったくもって正論です。脱原発屋さんたちが、間違っているのは、スローガンを美化するあまり、実際の現実に目をやることができなくなっていたのです。脱原発をわめいていれば、票が集まると・・・・思い込んでいた。ところが有権者は、泥炭氏のような慎重性を、心の中で、すでに携えていた。脱原発の、恐ろしさ。稚拙な単純さ。こうしたことを、わかっていたのですよ。ところが、上の一文に続く下の文章は、たんなる誹謗抽象に堕ちてしまう。こうした有様に、泥炭氏の政治的センスというものが、いかに皮相なそれにしか過ぎないことが見えてきてしまうのである。

> しかし、石原氏の台頭は原子炉の危険性や地球温暖化問題に劣らぬ危険性を孕んでいる。 彼は平地に乱を求める戦争屋だ。 

石原慎太郎氏のことであるらしいが、石原氏が選挙で勝ったりすると「原子炉」が危険になり、地球温暖化が進むのだすか。それ以上の危険性さえあるとは、なんのこっちゃ。彼は戦争屋ですか。どこから、そういう形容が、あなたの頭の中に、沸いてくるのでしょね。

はてまた泥炭氏は次のように書いている。

> 勿論、共産党一党支配や軍政に郷愁を捨て切れぬ守旧派は存在する。 しかし、保守を克服しなければならないのは日本も同じ。 歴史認識については侵略の過去を持つだけに日本に辛い仕事に成るが、大東亜共栄圏の実現のためには必要な事だ。

冒頭の一文は、まるで白を黒と言いくるめているかのようですね。中国におかれましては、「一党支配や軍政に郷愁を捨てきれない守旧派」とは、いったい中国指導層の中の、誰のことかね。郷愁などとごまかすのではありゃしませんぜ。ちっとも郷愁なんかでは、ありゃしませんぜ。そりゃ国民の中には、いろいろと意見もあるだろう。じゃが、今後とも、ますます一党支配を強め、世界第一の軍事国家を、いままさに目指しているのが、中国の政策的第一の柱ではないのかね。中国軍は、いまや300万とも400万とも言われている。あなたは、何を考えておるのかね。国防費は毎年10%の勢いで伸びている。

どうやら、あなたの大好きな「歴史認識」なんてものは、現代の中国人にとっては屁のごときものなのではありませんか。中国は、いまや世界のガンですよ。世界の悪徳の象徴だ。世界平和をおびやかす、最大の脅威的国家ですよ。

さてさて、泥炭氏は次のように訴える。

>私達は何故、「日本は欧米に比べて平等な国」と言う誇りを持てなくなったのでしょうか。 その事を問わねばなりません。

早い話が、拙者には泥炭氏の言っていることが、なにがなにやらさっぱり分からないのである。「日本は欧米に比べて平等な国」という言説が、どこにあったのか。かつてどこの誰が、そんな無意味なことを述べていたのだろうか。日本は欧米に比べて発展しているとか遅れているという話なら、明治以来何度も話されてきた。戦後にいたってさえも、よくその手の話は耳にした。この場合、発展とか進歩とかを見る指標としては、政治的に、または経済的にということだろう。さらに学校教育という面からも、よく比較の対象にされてきた。欧米の学校に比べて日本の場合は、等々とうとう。いずれの場合も、ようするに追いつけ追い越せという卑近な感情に訴えかける、国策として喧伝されてきたように思うのである。もっと言うならば、日本は一等国か、それとも極東の島国は、相変わらず二等国のままなのか、というような子供だましの論法が、まかり通ってきたのである。社会福祉というような場合も、此れはいまだにそうだが、やはり北欧を見ろ、スウェーデンを見習え、などと言う。ある面、確かに有効なのであろう。良いものは手本にすればよい。

だが、平等という価値が、日本と欧米とで、比較されたという話は聞いたことがない。どのように、比較すればよいのか。平等において、日本が欧米に誇れるものが、かつてあったのだろうか。または反対に、卑下するようなことが、あったのだろうか。いったい、泥炭氏は、なにを考えているのであろうか。こうした泥炭氏の、問題提起の仕方が馬鹿げているとは前言した。

よって、またかと、思うのである。自分では何一つ、親身には、感じていないところから、あたかも知ったかぶりして、問題を持ち出すのが泥炭氏の常套手段だ。さて、笑ってよいやら、泣いてよいやら。

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▼とある街角の片隅で

2013年01月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.01.09 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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