赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼「数の論理」の大笑い<12>

2010年04月30日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
<2010.04.30 東京新聞>
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▼「数の論理」の大笑い<10>

2010年04月28日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
↑<小沢氏「起訴相当」の議決が出た同じ日、参院選に向けたキャラバン隊結団式が開かれ、民主党女性議員は気勢を上げた=27日午後、東京・永田町の党本部>

思うに昨年総選挙において小沢田吾作の金と力によって、国会議員という地位があてがわれたと、もっぱらの評判である上の写真の彼女らのはしゃぎぶりは、田吾作親分の窮地を、知らぬ存ぜぬと、どこふく風だ。いったいぜんたい、どういうことなのか。彼女たちは、ようするに馬鹿なのかアホなのか、いずれにしても、どちらかだろう。
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▼現代とは未来にとって何なのか?

2010年04月28日 | ■歴史的なあまりに歴史的な弁証法
<2010.04.27 品川区>

さきほど、ネットニュースで次のような二つの記事を見た。ともに、いわゆる地球温暖化現象の進み具合を説明している文面なのだが、これらの事実が意味するところの先行きのこととなると、わたしにはよくわからない。わからないながらに驚くばかりである。

●アンデス山中の湖に氷河崩落、高さ23mの津波発生
2010年 04月 13日 10:16 JST
南米ペルーの首都リマから北に約320キロ離れたアンデス山中にある湖で11日、巨大な氷河が崩落し、高さ23メートルの津波が発生した。この津波により、少なくとも3人が行方不明になっているほか、地元住民約6万人が使う水処理施設が破損するなどの被害が出た。政府当局者らが12日明らかにした。調査を行っている専門家によると、湖に落ちた氷塊の大きさは、全長500メートル、幅200メートルほどの巨大なもので、それによる津波は高さ23メートルの土手を越える大きさだったという。地球上の熱帯氷河の70%が存在すると言われるペルーだが、科学者らは、温暖化によって同国の氷河が向こう20年以内に消失すると予想している。

●カナダ極北の北極圏で降雨、「異常な現象」と関係者
4月28日13時52分配信 ロイター
[オタワ 27日 ロイター] カナダ極北の北極圏で先週末、雪ではなく降雨が記録されていたことが分かった。現地で活動する英国のチームが27日に明らかにした。雨が観測されたのは、首都オタワから北方約3900キロにあるエルフリングネース島の補給基地周辺。基地に滞在するペン・ハドー氏によると、雨は約3分間降り続き、同じころに約145キロ離れたカナダのキャンプ周辺でも雨が降ったという。極寒の地での降雨に、ハドー氏は「本当に驚いた。4月にこの場所で雨が降るのは異常な現象だと思う」とコメント。北極圏の気温上昇で、こうした体験が増えるとみる科学者もいるだろうと語った。北極圏の気温上昇は、ほかの地域に比べて3倍のスピードで進んでいるとされ、専門家は地球温暖化の原因といわれる温室効果ガスとの関連が指摘されている。
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▼「数の論理」の大笑い<9>

2010年04月28日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
<2010.04.28 産経新聞>
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▼正論は老人に聞け<2>

2010年04月26日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
<2010.04.25 東京新聞>
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▼すみれの花咲く頃<48>

2010年04月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.04.26 川崎市>
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▼「数の論理」の大笑い<8>

2010年04月19日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
<2010.04.19 産経新聞>

題して「法事と政事(民主主義とは数だよ数)・・・小沢田吾作」
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▼テレビ豚を相手に映画論

2010年04月17日 | ■今丼政幸君との対話
<2010.04.17 川崎市>

以下、「赤っ恥の田舎っ屁」掲示板より

>以前、塚原は、ワイダを語ったりしてたが、いまはすっかり映画を目の敵としてしまったな。おろかだ。

これタゴよ。そんなことはないのだよ。先日も重い腰を上げて「ボヴァリー夫人」を観てきたところだ。映画を映画館で観たのは、約6年ぶりの晴れ姿。よかったな、これタゴよ。ところで、君は「ボヴァリー夫人」は観てきたのかね。

>わたすが学生の時、共産党系の評論家が活躍してたものだ。いまでも赤旗には映画評が載ってるのじゃないだろか。

その映画評論家はよく知っていたはずなのだが、名は、のどまで出掛かっているところで、出てこない。おっつけ「戦争反対」「アメ帝は出て行け」「万国の労働者は団結せよ」のスローガンに基づく、よいか悪いかただすいかの二項対立黒白漫才に明け暮れていたのだろう。つなみに、この十五年ほどは、拙者のばやい共産党機関紙「アカハタ」は見たことも聞いたこともないので、紙面で最近の映画が、どのように評じられているのかは、知らぬ存ぜぬ。

>映画は、世の中、世界情勢をそのまま描くから、外国映画を見るのが、他国の事情を知るにいっとうてっとり早い。

なるほど、そりゃその通りかも知れないが、タゴの言うとおりであるならば、それは単純なプロパガンダの道具と言うことでもあるのだぞ。

>映画は、その国の国民性、道徳倫理を描いているから、他国の情感を教えて貰える。

これタゴよ。では映画では観ることのできない国のことは、どうして知ればよいのかね。地球上には映画なんてアホちんなものを、一本たりとも製作していない「国」というものもあるはずだ。反して、わたしはいつかタゴに聞いたが、タゴは、最近インド映画を観たことがあるのかね。インドでは年間数百本ほど製作されている映画王国だ。なにかインドの映画をタゴは観たのかい?観たこともないというなら、その理由を述べよ。このように、タゴの言うところは、実に狭隘に閉じ込められた自らの知的環境を前提としているに過ぎないのである。ジャーナリズムもそうだが、日本語に置き換えられた、図書を読むより、一般に、われわれ日本人は、他国の素性に、脳内だけで、触れることは不可能なのである。百聞は一見にしかずという。インドの事情を知るには、インドに行ってみるしか、他に方法はない。さらに一二度行ってみただけで、なにを知ることができるだろう。せいぜい年間に数十本ほどの映画を観たからといって、タゴの無知は、解消されまい。いずれにせよ、ネコの額ほどの脳しかないくせに、威張るんじゃない。この法政上がりのアンポンタン。

>映画を大事にしない国の文化はろくでもないのだ。

皮肉で言うのだが、映画を大事にしていたのは、かのヒトラーでありスターリンであり、今日では北朝鮮の王様だ。彼らは、まったくもってB級映画大好きのタゴの趣向に価値観も同一だ。北朝鮮の王様などは私設映画館まで作らせたという話だ。えらくタゴが褒めている映画と、当の王様が感動した映画が、ほぼ同じというのだが、笑い事ではすまされまい。やつもタゴと同じく、いまだに「ボヴァリー夫人」だけは、観ていないらしい。

>ニッポン映画を大事にしないニッポンなら、この国に明るい未来なんてない。

タゴのいう「ニッポン」とは、政府のことかい?それとも国民のことかい?だが、広義に映画を解釈すれば、それは動画のことだろう。テレビは動画の世界だし、インターネットで流されてた、最初の記号は文字によるテキストのみだったが、以後、スチール写真、音響、さらに動画へと代わりつつある。ニッポン人も動画が大好きだ。映画(テレビ・動画)が嫌いな奴なんて、拙者ぐらいなもんじゃないのか。

>知識人がどうあるべきかを知ってる本当の知識人なら、映画についてきちんと論評できる。

拙者の場合、一般に映画も嫌いだが、それ以上に知識人ってのが、大嫌いだ。知識人なんてのは、世間にとって、クソの役にもたたないものよ。

>映画について語れないお人って、愚者でしょ。爆

一応、そういうことにしておいても、よいのだが、さてタゴは映画について、何かましなことを語ったことがあるのかね。拙者から見るに、映画を語っているというよりは、チケットを語っているようにしか写らないのだが、拙者の錯覚であろうか。

>真理を語れない、レベルの低い塚原のいう、ましなこと、って何か?ってことが問題なんだよ。

で、おまえは真理とは、何かをわかっているのかね。おまえが語っているのは、真理なのかい。おまえは真理だけを、語っていると断言できるのかい。相当の馬鹿だね。この男は。

>塚原にとって、映画について考察するとか、文学について考察するとか、政治について考察するとか、まるで出来ていないことかや。

拙者のばやい、タゴの概念上にある「出来るか出来ないか」なんてのは、屁も同然の問題だと思っている。ましてや、タゴの言う「考察」なんてもんは、まったくもって個人的な問題なのであり、他人が知ろうと知るまいと、それが何なんだという話だ。ところで、タゴが使っている「考察」というものを、タゴ自身は、行為化したことがあるのかね。君は考察したことがあるのかね。タゴのような、脳の足りない川っかむり男に、それは無理な話だと思うばかりにござ候。

>なら、わたすにいっさい絡んでくるなよ。

おびえるな。たかがネットの上のことではないか。たかが言葉の上のことではないか。拙者としても、脳のたりない、おまえごときに、絡んでなんぼとは、思っても今井。実に、友好的に、お話をさせていただいている、ところなりけりや。

>塚原は、自分のばかたれさを、界わいに晒してることだ。

それがネットにおける、拙者の望みだ。拙者の真理だ。拙者の欲望だ。拙者の生活だ。これタゴよ。その他、何か問題でもあるのか?

>塚原が、なぜ、わたすこと新潟県出身の法政上がりにして、なおかつ中途採用で倉庫会社でがんばっている還暦間近の今井政幸が川っかむりの脳の足りない男であることを暴露したいかというと、塚原が、社会の低階級に位置してて、絶えず、わたすのような百姓あがりの法政あがりでも、やりようによっては社会の高級階層に属することに嫉妬し、わたすや有田芳生さんのような一定の成功者に怨みすらもっているからだ。

ふーむ、図星だ。タゴもまんざら馬鹿ではないようだ。 ああ滅入った滅入った四月に雪ふる朝ぼらけ。寒さ暑さもくれないの春のよき日のワンカップ。
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▼「数の論理」の大笑い<7>

2010年04月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.04.13 産経新聞>
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▼代々木公園<8>

2010年04月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
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▼代々木公園<7>

2010年04月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.04.14 代々木公園>
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▼代々木公園<6>

2010年04月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.04.14 代々木公園>
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▼代々木公園<5>

2010年04月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.04.14 代々木公園>
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▼代々木公園<4>

2010年04月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.04.14 代々木公園>
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▼代々木公園<3>

2010年04月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.04.14 代々木公園>
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