赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼母子心中に詩情を見るとき

2013年05月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.28 産経新聞より

昨日、上のような新聞記事を読み落涙する自分を止められなかった。

こうした事件は、後を絶たないが、別に社会的要素というものは感じられない。

かといって誰しものことだと断言するつもりは毛頭ないが、武士道なき今、男には、こうした行為は、でき得まい。

誰に恨みを訴えるのでもなく、自分の運命と心得て、幼子とともに、静かに死を迎える。

その場の覚悟を、わたしは一つの精神の美と見るのである。

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▼つゆ草の詩

2013年05月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.29 横浜市

 

 

 

 

 

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▼がんばれ福島ゴジラ

2013年05月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.29 産経新聞より

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▼憲法の話をしよう

2013年05月26日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

以下、「鉄から読む日本の歴史」(窪田蔵郎著 講談社学術文庫)より
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「諸国百姓刀狩りの令」(天正十六年 1588年 秀吉治世時)

(一)百姓が武器を持つ必要はない。よって所持をいっさい禁止する。これらを持つことは一揆の原因となり、やがてみずからを滅ぼすもととなる。

(二)武具類は没収しても、それらは無駄にはしない。鋳潰して寺の大仏殿を建立する釘などに再生し、百姓たちはその功徳で現世来世とも救われるであろう。

(三)百姓は刀や鉄砲のことなど考えず農耕に専心していれば、子孫繁盛はまちがいなのだ。
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さて、わたしが、なして、かような五百年も前のふるい文書を引っ張り出してきたのかといえば、現代のわが国の憲法に、その主旨たる処が実によく似ていると思ったからだ。もしや、マッカーサーは、秀吉による「刀狩り令」を知っていたのではないか。

それはともかく「刀狩り令」は、当時の為政者秀吉が、全国の百姓にたいして命じた。比して現行憲法は、日本を占領していた米軍が日本国民に対して施行してきたものである。いずれの場合も、戦勝者が、敗北した民人に対して、最終的な武装解除の思想を念押ししてきたのである。元来、「武装解除」とは、現状に不平不満を持つ世直し派にとっては、敗北を決定的に認めたことであり、以後、武器がなければ二度と抵抗することはできがたい。

よって、民人にとっては、その文言からして屁理屈以外のなにものでもないのだが、モノは言い様というように、支配者側からの飴と鞭が、巧妙に使い分けられている。このあたりの方便が、現行憲法の、とりわけ前文と9条に酷似しているように思った次第だ。

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▼古道具屋の裏玄関

2013年05月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.21 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

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▼つゆ草の詩

2013年05月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.21 横浜市

 

 

 

 

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▼古道具屋にて

2013年05月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.21 横浜市

 

 

 

 

 

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▼ドクダミも咲く五月のある雨の日の物語

2013年05月20日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.20 大和市

 

 

 

 

 

 

 

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▼現場を厭う薄汚いインテリ玄米茶

2013年05月17日 | ■軍事を知らずに平和を語る資格なし

以下、教育年金掲示板より

 

泥炭さん、こんにちは。

さて拙者は、過去のわが国の歴史の総体に対して、ある時期を捉えても、「薄汚い」とは思えませんね。

かといってもちろん日本の歴史が、すべてこれ、輝かしいものであったと強弁するつもりはないのですが、

薄汚いとは、口が裂けても言えませんね。わたしは、日本人だと確信しておりますからね。

そりゃ、歴史の本を紐解いてみれば、個々人に及ぶ悲惨な現実というものは数知れない。

神風特攻隊しかり、中国侵略しかり、戦死者は数百万。広島原爆、長崎原爆。

とにもかくにも、あなたも私も、こうして生きている。生かされている。

考えても見なさい。過去の歴史の中には、わたしたち父や母もかかわっているのです。

一からげにして、否定できますか。

彼らは、みな、立派に生きて、そして死んだのだと思いますよ。

さて、二等兵として中国戦線に出征され、終戦直前に戦死されたときく、泥炭さんの父上も、立派だったのではありませんか。

よくは知りませんが、わたしは立派だったと思うのですよ。

そうした時代の中でなんとか子どもたちを健やかにと思いやりくりしてきた父や母のおかげで、わたしもあなたも、

こうして、いまだに生き恥さらしているのだす。

話は少々かわりますが、最近つとに思うことがあるのだす。

よするに共産党とか社民党とか、9条の会とか、左翼思想とか世間から後ろ指さされて、そう呼ばれている、

この手の輩連中こそ、よほど歴史認識においては、非科学的であり、口先だけの特権小僧のように、見えてきますね。

きゃつらこそ、どれだけ薄汚いないか。

これっぽっちの現場感覚というものさえ持ち合わせてはいない。

書斎にふんぞりかえって、口ばかり達者なやつらだ。旧態スローガンを、繰り返し繰り返し、がなっているだけだ。

よほどノウが足りないのだろう。

生きている以上、どんな人にも存在する周囲から及ぼされる人間関係に達する状況というものがある。

我、今、なにをなすべきかという問いに、いかに答えるか、という難問に他ならない。

もちろん、ここには、言葉だけではない。行為こそが、試される。

わきまえておくべきはネットも道具だ。政治も道具だ。

なにを誰に対して、モノを申すのか。それが問われているのである。

金銭も道具だ。資格取得も道具にすぎまい。現場は応分に、誰しもに与えられている。

さて、行為とか思想を点検するに格好の材料が東日本大震災である。震災から二年あまりがたった。

そこで、君たちに問うのだが、日本人たる、一人一人が、なにをどうしたかったのか。どうしてきたのか。

君たちは、どのように、何を、くっちゃべってきたのか。どのようなことが田吾作新聞等に書かれてあったのか。

そうしたことを、よくよく反省してみるがよい。

被災したトーホグ地方のために、君は、この二年間に、何をやったのか。

何をやれたのか。君は何を、行為してきたのか。行動してきたのか。

ひたすら東電やら原発を攻撃してきたなどと法螺を吹いているイデオロギーの半キチガイのような馬鹿が、

いまだに少数ながら、徘徊しているが、きゃつらこそ人類史的な恥知らず、というものだろう。

現場で現場の人々を、時には死を賭して、働き、救ったのは、誰だったのか。

なにゆえの人間関係だったのか。江戸期、明治期では、こうはいくまい。

現代の力が、あったのだと思うぞよ。ニッポンの近代化も捨てたものではあるまいに。

かといって、単なるシステムばかりが社会の救済手段ではない。

力を尽くした人々がいた。わたしは、そのことを強調したい。こ

うしたことを一顧だにしない馬鹿どもがいる。

進歩主義者の一党一味だ。

きゃつらは、都会の真ん中付近で、自室にこもり、目を皿のようにして、己のイデオロギーの正当性を

主張しているだけだったのではないか。

ひたすら日本と日本国を蔑視してやまない、自虐史観家の、きゃつらこそ、薄汚い恥知らずと言わずなんと言う。

きゃつらは困っている人のために、腰を上げたためしがないだろう。

腰を上げるのはデモがあった時だけだ。後は自室にこもりっきりではないか。一向に手を下そうとはしない。

一向に、現場に向かって足をはこぼうとはしないのが、彼らの思想の原点だ。

言葉だけで、なんとかなるとすら、思っていやがる。これが恥知らずの元凶思想なのである。


※「自虐史観」なる概念については、後日詳述するつもりなり。乞うご期待。

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▼五月の第三金曜日(快晴)

2013年05月17日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2013.05.17 横浜市

 

 

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▼母のための十五夜お月さん

2013年05月16日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法


「日本童謡集」岩波文庫より

それにしても、なんと言う悲惨な歌詞か。ようするに一家離散の顛末を詠っている。父親が事業に失敗したか、働き口を失ったか。おそらく、そんな事情があったのだろう。とうに母親も家を出てしまい、妹も田舎の親類に引き取られた。詠っている「わたし」だけが、甲斐性もなく、つまらそうに日々を送っている父親のもとにいるのだろう。寂しく悲しい情景なのである。現代では、想像を絶する家族の姿だ。野口の詩からは、歴史とは、そんなものなのだという達観もうかがえる。

さて、大正九年といえば、わたしの母親が生まれた年でもあった。母は9人姉妹の末っ子だった。このうち、これまでに、わたしに面識があるのは、4人の叔母だけなのである。それも、いまは誰一人生き残ってはいない。わたしの母は、この春で93歳になった。母の場合も、何度も何度も子どもたちを手放すか、または一家離散の土壇場まで行きながら、こらえてくれたのだと思う。ひたすら子どもたちを守るため、働きに働いた。そのことを思うと、万感の思いがつのってくる。

 

わが母の そで持ち なでて わが故(から)に
泣きし心を 忘らえぬかも 
・・・・ 万葉集 防人の歌

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▼年金で老母のためのシャツを買ふ

2013年05月13日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

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▼年金で老母のための靴を買ふ

2013年05月13日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

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▼知られざるドイツ

2013年05月10日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

ドイツと言えば英、仏とともに欧州ユーロ圏の中核的国家であることは、いくらモノを知らないわたしでも、頭の中にこびりついている。さらに、第二次大戦当時は、日本、イタリヤ、ドイツが三国同盟を組み、世界制覇を狙ったものだ。敗戦後のドイツは東西二つに分断されてしまった。それが名だたるベルリンの壁の物語である。日本も敗戦処理も複雑多岐だったが、ドイツにおかれても、苦労は、山積していたのである。日本もそうだが、戦争については、よくよく反省し、国家の復興にいそしんだ。

日本に届くドイツのイメージは平和を指向しつつ経済を立て直し、また人々の人権を重んじるという点で、おおむね芳しいもので、ジャパンとしてもドイツを見習い、ドイツのように行こうじゃないかという掛け声が、時にはまるで念仏のように聞こえてきたものだ。

原発政策などにおいても、早々と脱原発を宣言した国だと、喧伝された。実際はどうだったのか。確かにドイツ政府も脱原発を宣言したらしいが、現に8基もの原発が稼動中なのである。これを止めるなどとは、誰も言っていない。国民の声というものを、うまいぐあいにコントロールしている老獪な政治手法に頭が下がる思いだ。下の記事で紹介したが、世界原子力協会理事長のアグネタ・リーシング氏によれば、ドイツの場合もおっつけ、原発推進に舵をとるだろうとのことである。

さて、ドイツの軍事は、どうなっているのだろうか。下の写真は、一月ほどまえの新聞を切り抜いておいたものである。寡聞にして、ドイツに英軍が駐留していたなどとは、わたしは知らなかったので、いささか驚いた。英軍が駐留しているぐらいだから、ほど同数の米軍も駐留しているのではないだろうか。さらに、これは米軍所有のものだろうが、核ミサイルも過不足なく装備しているのである。こうした現実を、わたしたちは、よく見て、わが国の現状と比較対照することが大切だろう。

闇雲に、なんでもかんでもドイツに学べとは言えないのだし、明治以来の脱亜入欧のイデオロギーは、古いとも思わないし、一からげにして廃するものだとは、思わないけれど、わが国にはわが国固有の事情と地勢と歴史と、さらに文化がある。まずは、これを学ばずして、なんとすると思う。

2013.04.02 産経新聞

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▼がんばれ福島ゴジラ

2013年05月10日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

一週間ほど前の読売新聞に、世界原子力協会理事長のアグネタ・リーシングさんのインタビュー記事を見た。リーシングさんは、58歳なるスウェーデンの女性なり。長らくスウェーデンで原子力政策に携わり、このたび世界原子力協会の理事長に推挙された。読売の記者が問う。スウェーデンは、過去半世紀、原発推進から脱原発、そして再び原発維持へと方針を変えてきましたが、このことについてのご感想は。

リーシングさんが、答える。

私たちは環境保護の意識が強い。原発を導入したのはダム建設をやめ、河川の自然を守りたかったからだ。石油依存から脱したかった。1979年のスリーマイル島原発事故で、脱原発論が起き、国民投票で2010年までに脱原発すると決めた。その後、原発に替わる他のエネルギーを模索したが、無理だと分かったのです。国民も徐々に原発を支持するようになったのです。国民の声に後押しされて、政府も脱原発を撤回したのです。

また記者が問う。脱原発宣言をしたドイツの場合をどう見ますか。
リーシングさんが答える。

ドイツにおける脱原発論も感情的なものだ。現在8基が稼動している。あと数基はストップされるだろうが、いずれ数年後には、スウェーデンと同じように脱原発を見直すのではないかと考えている。日本も事故を克服して、同じ道を歩みだすと、考えている。原子力の未来は、決して暗くはない。日本の原子力技術は、世界で高く評価されている。


以上、原発について感情論を廃した、よい記事であった。福島第一原発について廃炉とするか、または再稼動を目指すのかについては、記事中ではリーシングさんは、答えていなかったが、いずれにしても脱原発は、どこの国にとっても感情論にしかすぎないということが、よく分かる。

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