赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

白鷺

2003年12月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
夜はともかく、ちょっとした外出にも、カメラを携帯するようにしている。今朝も、コンビニまで牛乳を買いに出たのだが、ふと頭上を見やると電線に白鷺がとまっていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スズメの子

2003年12月20日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
今日は「ふみの会」の忘年会。赤坂から歩き始め紀ノ国坂の途中から麹町側の散歩道を行く。ここは、春になれば都内でも有数の桜の名所である。四谷までの散歩道に沿って上智大学、聖イグナチオ教会などが並んでいる。立ち止まって、しばらく景色を眺めていると、足下のすぐ近くまで雀の群がやってきた。何十羽という雀が一団で少しずつ移動しながら、落ち葉をひっくり返しては餌をついばんでいる。ピヨピヨと鳴きながら土手の下のほうから日当たりのよい散歩道まで上がってきて砂浴びをしているところである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紙飛行機と家族

2003年12月18日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
写真は、今月14日に「子どもの国」に行ったおりに撮ったもの。この一枚も今年撮った中でベストテンに上げておきたい一枚である。家族総出で枝にひっかかってしまった紙飛行機を落とそうとしているところだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「秋刀魚の味」 小津安二郎

2003年12月11日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法
今夜は小津の遺作となった『秋刀魚の味』を観た。あらすじは、ほとんど『晩春』(1949)の焼き直しなのだが親子の葛藤や家族の絆を描出するのが小津の一貫したテーマのようで前作に比べればいっそう「若さ」と「老い」、大げさに言えば生と死という対局的な陰影が1シーンごとに見事に刻み込まれており、胸を打たれた。写真は岩下志麻。結婚式の朝、父親役の笠智衆に三つ指をついて別れの挨拶をしているところである。小津が没したのは1962年。明日、12月12日が命日だそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムクロジの木の下で

2003年12月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
頭上高いところに「むくろじ」の実がなっていた。昨年の今頃、靴を放り投げて実を落としている人がいたあの場所である。今日、その木に近づいていくと、ちょうど木の真下で近所の方と思われる婦人が二人で話をしていた。私は、カメラを頭上に向けながら、「今年もたくさん実がなっていますね」と二人に声をかけたのである。こうして、しばし楽しい「むくろじ論議」が続いた。別れ際に、二人のうちの一人が「これお持ちになりますか」とポケットから黒い実を取り出して私の手のひらに載せてくれた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼「早春」 小津安二郎

2003年12月07日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 今夜は小津の『早春』(1956)を観る。主人公役のサラリーマン池部良が、丸ビルにある本社から転勤を命ぜられ山奥の転地に向かう途中、広島にいるかつての職場の先輩であり仲人をしてくれた笠に会い、これからの夫婦の問題などを相談している場面があった。写真は妻役の淡島千景。夫の浮気を知り池辺良を問いつめているところである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東京暮色」 小津安二郎

2003年12月05日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

夜、TVで小津安二郎監督作品『東京暮色』(1957)を観る。妹役の有馬稲子の熱演が光っていた。写真は姉役の原節子。二十年以上も生き別れたままだった実母が妹の死を聞きつけて突然たずねてきた。自分も北海道に旅立つので、もう会えることもないと花を持ってきた。嫁ぎ先の夫とうまくいかずに父親の家に子どもを連れて出戻っている姉の原節子。実母から花をわたされたのだが言うべき言葉もでてこず、しばし悲嘆にくれている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする