赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼夕暮れ時の雨上がり 三井住友等級沿線

2012年03月31日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,31 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼老犬と老人

2012年03月31日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,29 葛飾区

聞けば、当のワンちゃんは、15歳になるのだそうだ。犬も15歳になれば老齢といえる。いまや耳も遠くなり、目も見えていないようですと、飼い主さんは言う。せめて少しでも体を動かさせようと毎朝、この公園に連れてくるのです。

 

 

 

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▼春の嵐の今日この頃は

2012年03月31日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,31 川崎市

 

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▼春淡き夕暮れ時の散歩かな

2012年03月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,30 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

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▼お地蔵さんと花束と

2012年03月28日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,28 川崎市

 

 


だいこんの花


さくら草

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▼国家の幸福 国民の幸福

2012年03月28日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、「教育について語ろう21」掲示板より

●投稿者:かもめ
 
  泥炭さんの「ご議論」が拙者には、ナショナリストそのもののように見えてくるが、これは皮肉な現象か、拙者が、見誤っているのかや。だが、これはまあ、仕方のないことですよね。拙者に言わせれば、経済や産業における社会=組織(企業)がグローバル化すればするほど、意外なことに「国家」は、その体制を引き締めにかかり国民の中にナショナリズムが蔓延してくるものですよ。

  ざっぱくな話だが、日本を一つの近代国家として、日本人自身に自覚を強制したのは、他ならない黒船の来航ですよ。黒船来航は日本が「グローバル化」の波にさらされた最初の象徴的事件です。黒船来航こそ、日本人にナショナリズムのなんたるかを、教えてくれたのではなかったのですか。換言すれば、日本人に国家とは何かを教えるために、黒船さんが、来てくれたとも言えますね。

  経済や生活の「グローバル化」が、即、国境の希薄化につながり、国家の解体につながるなどと、目に見えやすい現象や数量的な側面だけを、さらに計量して、理屈らしき教義を作ったのが、マルクス主義ですが、マルクス主義ばかりではないのです。近代学問の多くが、この迷妄の中で、さまよっていたし、今でもそうだ。経済学も政治学も心理学も、わたしには株の予想屋以上には見えませんね。

  一年前の大地震を、直前に予知できた地震学者は皆無でしたね。このように、大きな事件に、国家と国民がさらされるたびに、学者や理屈っ屁は、総じて地に落ちた感に見えてしまう。その代わり、「がんばれ日本」の標語に象徴されるように、国民の団結こそ幸福への道だと信じる、いわゆるナショナリズムの昂揚感が見られてくるのです。

元寇襲来時、しかり。
明治維新時、しかり。
関東大震災時、しかり。
太平洋戦争終結時、しかり。
東日本大震災時、しかり。

さて、泥炭氏は次のように書いている。

-----------------
政府も固有の領土もないグローバルなシステムの中で、専門の壁さえ越えて私達一人一人が主体的自律的に動き出すことを求められている。もはや政府は当てにならない。国境は限りなく希薄化する。
-----------------

「政府も固有の領土もないグローバルなシステム」?そのような有りもしない、出来もしない幻想物は、あなたが言葉の上だけで造作してみたものですよ。宗教的に解釈する以外方法は無い。「人類はみな兄弟」風の、たわごとですよ。

「国境は限りなく希薄化する」?
ウソをおっしゃい。あまりにも子どもじみている。逆ではありませんか。それぞれの国家というものが、ますます頑強に国境線を閉ざそうとしているのが、現代の特徴ではありませんか。わたしは、国家という社会体制こそ、人類が死に絶えるまで、さらにますます強固にして、ぬきさしならない存在となっていくような気がいたしますよ。これが、人間にとって、幸か不幸か、または良いことなのか悪いことなのかは、神のみぞ知る。

上のあなたが書いた文中にある「私達一人一人が主体的自律的」の「私達」を国家とみなしてごらんなさい。「国家のひとつひとつが主体的自律的」と言い換えるなら、まさに、そのように世界史は進展していくのです。それがあなたの口癖、決まり文句、または金科玉条とされている「民主主義」の、もう一つの読み方でしょうや。

 史的唯物論という一種の「言葉の遊び」に似た「ご議論」では、否応もなく世界は共産主義にむかって進展し、やがて国家は解体され、階級も国境もなくなり、絶対平和の楽園がやってくるとのことですが、これは、はっきり言って愚の骨頂ですよ。仮に、そうした方向に人類が「民主主義」風な社会を作ろうと、意識的に向かっているとすれば、それはそれで人類の自滅を証明しているのです。こうした完全に平準化された社会で、平々凡々と生きられる生物とは、それは人間とは似て非なる生き物でしょう。もちろん、その前に、人間は人間のままで死に絶えるはずです。

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▼昨夜見た口裂け老婆の夢物語

2012年03月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.03.26 川崎市

 

 

 


 

 

 



 自室においてある円筒形のゴミ箱に、二三日まえから、濃いブルーのビニール袋で内側を覆っておいた。上の写真は、その底に出来た光の紋様が作り出した拡大写真である。老婆の身長は、三センチというところであったが、このたまたまの光の造作物が口の裂けた老婆に見えたのは、わたしばかりではない証拠を残しておこうとカメラを向けたのである。夢かうつつか、見ればみるほど老婆は生きているようだった。着物姿、頭巾のようなものをかぶっていた。時刻は、すでに誰もかれもが寝静まった丑三つ時だった。
 朝方、夢を見た。ゴミ箱の底にいた老婆が、今度は電動モーター付のママチャリにのって街路の中空を駆け回っていた。理由は分からないのだが、わたしを追いかけてくるのである。その様が、いかにも恐ろしげで、このままでは殺されるかと思い、夢中でわたしは逃げるに逃げたのであったのであったのだった。

 

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▼フェンスの向こう側

2012年03月27日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,0,27 川崎市

 

 

 

 

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▼朝の駅前

2012年03月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

 

 

 

 


2012,03,25 亀有駅前

三日に一度のアルバイト。多摩川のほとりから朝一番の電車に乗って眠い目をこすりこすり
東京を横断して千代田線(常磐線)亀有駅に着けば、まずは仕事の前にカフェで一服。
あぁ~身を粉にして働く喜び。なにはともあれ体が資本だ。

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▼すみれの花の咲く頃

2012年03月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,26 川崎市

今季はじめて、野生のすみれを見た。

以下は、いぬのふぐり

 

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▼さいたさいたサクラがさいた

2012年03月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,25 葛飾区

 

 

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▼雨が上がってカフェに入る

2012年03月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,24 川崎市

 

 

 

 

 

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▼雨上がりのフラワーショップ

2012年03月24日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,24 川崎市

 

 

 

 

 

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▼小雨降る春の一日

2012年03月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012,03,23 横浜市

 

 

 


ミモザ

 

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▼小沢田吾作動向

2012年03月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法


「週刊文春」三月二十九日号

滅多に週刊誌は、買わない性質なのだが、小沢田吾作に関する記事が一つでもあると、やはり買ってしまうのである。上の最新号も、なかなかに面白かった。記事によれば、いまや時の人である小沢田吾作は世田谷区に約600坪の豪邸に住んでいるとは、何度も聞いて耳にたこだが、周囲は4メートルのコンクリート塀をめぐらせて、ねずみ一匹入れさせないように囲んであるそうな。

だが実際は、十年ほど前より、この広々した豪邸から家族の姿は影も形も消えてしまったのだそうだ。寂しいことではある。なにが、この仏頂面のアンポンタンに、かようにも偏屈な生活を強いているのか。謎は深まる一方である。

 

逃~げた女房にゃ未練はないが~♪
「票」をほしが~る子~分が可愛い~♪

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