赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼午後の散歩の道すがら

2016年11月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2016.11.30 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼エセーのまえがき

2016年11月08日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 

以下、2012.11.01 記


 

『エセー抄』まえがきより 

 

 

  読者に
 
 世間で評判になりたいのならば、このわたしでも技巧をこらしきらびやかに身を飾ったに違いない。だが、細工もなしに単純で、ごく自然でふつうのわたしという人間を見てほしいのだ。

  わたしは、わたしを描いているのだから、ここには、わたしの欠点がありのままに読み取れるし、至らない点や自然の姿が、社会的な礼節の許す限りで、あからさまに描かれている。

  原初の自然の法にしたがって、いまだに幸福で自由な生き方をしている人々のなかで暮らしていたならば、わたしは喜んで、わが姿をまるごとに、はだかのままに描いたであろうことは、読者に誓ってもいい。

 つまり、読者よ。わたし自身が、この本のなによりの題材なのだ。

  それにしてもこんな他愛もないむなしい主題のために読者諸氏の労をわずらわせることは、そもそもわたしの主義には反することなのである。

 さようなら。

 

 モンテーニュ 1580年6月12日

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼戦後日本の俗物二匹

2016年11月03日 | ■歴史的なあまりに歴史的な弁証法

 

そういえば70年代だったと思う。「教師聖職論」というものが共産党から提起されたのは。当時の日教組は、共産党と社会党が指導権を争って、二分されていた。ことごとく労組の方針をめぐって喧嘩していた。社会党は、むしろ教師をして「教育労働者」であるという認識だったと覚えている。当時は、教師もたまにストライキを行ったりして、国民の反感を買っていた。

そこで共産党は教師は一般労働者などとは違った「聖職者」であり、ストライキなどすべきではないという理屈を持ち出したのである。これがしばらく教育界に賛否両論の物議をよんだ。教師は聖職なのだろうか。考えてみれば、なんとなくそれらしく思えるときもあって面白い議論ではあるが、いかにもインテリ好み、生産力好み、知識、科学好み、おまけに役人好み、ようは階位性というものから逃れられない共産党らしい屁理屈であった。当時の共産党の中央幹部の数十名は委員長の宮本顕治をはじめ、ものの見事に東大卒がずらりと並んでいて、そのインテリぶりは壮観なもので他党を圧倒していた。

見方を変えればお笑い草だ。主義者の思想と本音が、これほど見事に露呈されていた事実もない。宮本は論文を書ける人間から優先して幹部に重用していたらしい。人を見る彼の基準はガッコ教育の延長なのである。政府官僚の仕組みや大手企業になんの変わりがある。これで、よくも働くモノの味方だとか、労働者の政党だとか革命政党だと言えたものである。現在の共産党委員長志位氏も東大卒だが、彼などは当時、宮本顕治が雇った私的な家庭教師である。教師聖職論も宮本が言い出したことである。さもありなんと思うばかりにござ候。

宮本たるや戦後日本が産み出した稀代の俗物である。池田なにがしという宮本に似た俗物がもう一匹いた。ともに組織をそのまま集金マシンと化し、さらにこれを私物化し、自分は椅子にふんぞり返っていただけだ。腹のふくれたブタだ。この大物両人に比べれば先日、死刑を言い渡された麻原なにがしとかいうまた素性の違う俗物は、だいぶ小粒である。

さて「教師聖職論」とは職業に貴賎なしの建前から言えば、誰も文句は付けられません。大工であれ百姓であれ、政党の親分から君たちの仕事は「聖職」だと褒められれば、そりゃ喜びますよ。さらに一般的に「教育者聖職論」などと言うならば、これはもう大昔から良いことを教えてくれる先達を「先生」と呼ばれてきたごとく、まったく理にかなったことなのであり物議を呼ぶこともなかったでしょう。70年代なかばに、共産党の提案した「教師聖職論」で言う「教師」とは、世に教育者は数多かれば、そのうち、どの種の「教師」を指して「聖職」と褒め称えたかが問題だったように思う。ストライキ無用論として提案されてきた以上、これは明らかに当時の日本教職員組合、すなわち日教組に所属する教師たちのことであり公務員をさす。

教員であるとともに彼らは役人である。私学教師は含まれない。日教組の教師たちをして、その仕事を「聖職」とみなした。私はこうした理屈の中に、いかにも共産党の思想たるものを見るのです。社会主義を背景に出てきた役人主義または官僚主義。さらに文化における「教養主義」、その内実はインテリ好み、作文好み。異常にプロパガンダに固執する政治活動上の特性がある。

当時の共産党の党首宮本は、若い頃文芸評論を書いたことが唯一自慢の俗物である。人々を衆愚扱いして党首や幹部の本をやたらに売りつける。早い話ガッコ大好きの「結果の平等論」などなどの、臭い旧態思想が露骨に描出されていることを難じてみたまでにござ候。事実、この党の現在の階層構成を推測してみれば、教員や公務員が党員のあらかたを占めているらし。一般の労働者や勤労者は、いたって少なくなっちまったと、つい最近、今でも活動している知り合いの党員が70年代とは隔世の感があると嘆いていたのを耳にした。さもありなん。日本共産党は労働者の政党というよりは、インテリと役人の政党なのである。

よって、誰かさんが申していた「日共下部党員諸君と創価学会員とは何か似ている」にははまったく同感です。共産党にしても創価学会にしても、イデオロギーなどを別にして暮らし向きのことを言えば、生活圏内における信仰心を共鳴させて安住する共同生活社会をつくっているわけですが。70年代は、双方、下町では拮抗していたが、いまや完全に創価学会のほうが庶民的であることが証明され、理屈っぺの共産党は追いやられたということでしょうマルクスの階級論も、地に落ちたといわざるを得ません。つまり、私もそうですが最下層と言われていた労働者諸君は、社会主義(共産主義)を見限ったということですね。いうなれば、そもそもインテリ好みアカデミック好みの共産党自身が、そもそも最下層の人々などには目もくれなかったようなところがあったのです。思想的に。ミヤケンの言動などをつぶさに調べてみれば、よく分かりますよ。その通りになってきたということでしょう。日本の庶民はマルクスより日蓮のほうが思想的指導者としても、親しみがあったということでしょうか。これまた当然至極のことだと思いますね。

ま、私の場合は、創価学会であれなんであれ新興宗教団体というものにアレルギーを持っていますから、どうも好きにはなれませんが。同時に、年をとるとともに、若い頃はあれほど心酔していたマルクス主義や社会主義思想というものも、いかに眉唾ものであったかという感想を深めるばかりにございます。いまさらと言うなかれ。やはり思想とか理屈が先にあるものではないということでしょうね。現実社会のさまざまな位相が、真実を教えてくれるのです。イデオロギーなんてものは、すべてこれ、お先走りのようなものですよ。マルクスにしてもミヤケンにしても、彼らの理屈は、株の予想屋に大差はないように思いましたね。社会がどうなるか。人類の将来はどうなるかなど、どんな偉い思想家にも、こればかりは分かりませんよ。マルクスとミヤケンが違っているのは、マルクスには哲学があった。ミヤケンには哲学といえるようなものは何一つない。好意的に見ても、ただの政治屋、または経営者というところである。この二束三文の柔道二段、老いては猟犬をともなって「鉄砲ぶち」に行くことが唯一の趣味だったらしい。

宮本が本部に出てくるのは、週のうちせいぜい半分である。あとは自宅にこもり、用事があれば幹部であろうと誰彼と無く電話一本で呼びつける。都下多摩市にある彼の自宅には、別棟の防衛が住む三軒の家があるが、そこには自宅に呼びつけた幹部たちと討議を交わすための会議室が用意されている・・・この三軒の家にしても、純粋に防衛の任にあたる党員のために使用されているわけではない。宮本の趣味はピンポンと将棋だが、この三軒のうちの真ん中にある家にはピンポン台がセットされていた・・・代々木の本部における宮本の生活も、贅沢そのものである。彼の執務室が本部の六階にあるが、そこに行くためには、まず防衛たちがたむろする五階の関門を通らなければならない。ここには電動式の防弾ガラス張りの扉があり、あらかじめ用件を告げてOKが出ない限り誰も中に入ることはできない・・・執務室は三つの部屋からなり、すべて部屋の窓は防弾ガラス張りになっている。まず手前が応接室、真ん中の部屋が執務のためのもの。奥の部屋は「委員長用休憩室」でベッドが置いてある。そしてこの部屋には十年来身の回りの世話をさせているお気に入りの看護婦意外には寄せ付けない。だから内部がどうなっているのか、何のために使用されているのか、私ですら今日に至るもわからない。執務室や応接室の内部はまるで大企業の社長室のようなものだ。床は部厚いフェルトを敷き詰め、その上に毛足の長い絨毯が敷いてある。調度品も豪華なものばかりである。一般の党員が、この有様を見たら、なんと思うであろうか。全国の党員が、楽ではない生活の中で宮本の号令一下、日夜「赤旗」の拡大に走り回って紙代の回収に腐心している。集金が思うようにいかない場合は、乏しい給料を割いて上納している。そうした血のでるような貴重な金で、宮本は個人的な贅沢をほしいままにしているのだ。代々木の本部の近くには、地方の党員が上京した場合に利用する「千駄ヶ谷寮」と呼ぶ鉄筋四階建ての宿泊施設があるのだが、その四階全フロアを宮本は「委員長用」に確保して誰にも使わせない。部屋の入り口は鋼鉄の扉で、窓も防弾ガラス。内部に入るのは、例の看護婦か防衛ぐらいなもので、これまた何のために必要なのか、誰しもいぶかるところである・・・「昨日の同志宮本顕治」袴田里見著より

創価学会元会長の池田大作はなぜに頭を丸めて出家しないのだ。彼の場合もミヤケンに、なにひとつ変わりはない。死ぬまで世俗的欲望にまみれていたいのである。インドにおけるガンジーを見ろ。金と欲にまみれた、この二匹の豚に、静かに糸車をまわすガンジーの痩身と哲学および信仰は見えるはずもない。大笑いの似たもの同士が下っ腹をふくらませては大威張りで演壇に立ち、衆愚庶民を相手に「2×2=4」だと、分かりきった理屈を材に説教をたれてきただけのことである。これらの現象も戦後日本の思潮における歴史的な「負」の軌跡を示しているに違いないのだ。

(2006.10.20記)

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▼ポピュリズムの台頭

2016年11月02日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

 

<以下 2009.07.28 記>

 

ポピュリズムなる単語がジャーナリズムに飛び交っているが、いずれにしても語源はピープル(人間)であり、ポピュラー音楽という場合のポピュラーもそうだし、おもしろいのは日本語の「人口」を英訳すると「ポピュレーション」である。これはいささか強引な感じがする。人口とは、文字通り「人」の「口」の数のことであろう。口は口でも、この場合は、くっちゃべるための「口」ではなく、ものを食うための「口」である。確かに、一人にひとつづつ食べるための「口」がある。食い扶持(ぶち)に相当する「口」のことだ。だが英語のそれは、「口」というよりは、頭のことではないか。文化の違いとは、かくものなりや。西洋では、人を頭数で数えたのである。わが国の場合、人の数を数える場合、その「食い扶持=口」をもって数えたのである。いまや悪しき「人頭税」とは西洋に発するのは周知のことだ。このように、西洋では人を「頭」で数えてきた。さて、ピープルから派生した類語はたくさんある。ポピュラー音楽が、大衆音楽と訳されているように、ポピュリズムも、もとはと言えば人の頭数に依拠された類語である。よって「大衆思想」とでも言っておけば、より正確だろう。ところで、大衆とは「国民」という概念とはやや違う。されば、いったいぜんたい大衆とは何なのか。それは誰にも分からない。人の数のことなのか。さもなければ人々が主張する欲望の発露の出口ちかくにあるものか。または、それらの言説を寄せ集めたものなのか。だが、これでは、まるで「お化け」ではないか。それで、この際「ポピュリズム」を、いまや辞典馬鹿になりきったネット上の某サイトで見てみると、次のように書かれてあった。

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ポピュリズム (Populism) は、政治学概念の1つであり、政治過程において有権者の政治的選好が直接的に反映されるべきだとする志向を指す。エリート主義(elitism)に対する対概念である。代表的事象としては、19世紀末~20世紀初頭のアメリカにおける革新主義運動が挙げられる。なお、この学術用語が転じて、マスコミにおいては「衆愚政治」という意味で用いられることもあるが、その場合の「ポピュリズム」の定義は曖昧であり、単に支持率の高い政権を「ポピュリズム」と表現することもある。ポピュリストは、既存の政治エリート外から現れることが多い。選挙戦においては、大衆迎合的なスローガンを掲げ、政党、労組等の既存の組織を利用せず大衆運動の形を採る。ここでは、しばしばマスコミを通じた大がかりな選挙キャンペーンが打たれる。ひとたび政権に就くと、ポピュリストはいわゆる既得権益への攻撃(民営化、大企業の解体、規制緩和、減税、外国資本の排除、資産家に対する所得税率の上昇、反エリート・官僚キャンペーンなど)を行う。経済政策に関しては、近年は南米の諸政権の様に財政肥大化を伴う労働者層への政治的・経済的厚遇(平均賃金の上昇、年金政策の強化、医療・福祉の充実など)を行うなど、左派的な側面の強い政策を行うものが代表的なものとして知られる。逆に、ポピュリズム的な既得権益を攻撃するスローガンを掲げつつ新自由主義的な改革を推進することもある。
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ポピュリズムについての上記サイトが解説している意は、一応踏まえておくとして、わたしの懸念は、多大に残されている。上の写真記事もそうなのだが、一言のもとにいうなら馬鹿馬鹿しい限りではないか。数の成果さえ上がってくれば、それでよしとするのが、この手のアンポンタンの処世術である。ネット上ばかりではない。ジャーナリズムをはじめ、マスメディアは言うに及ばず、話を始めるやいなや、最初からポピュリズムを前提した上で、とっかかってくる。実際、ネット上などには、ポピュリズムとデモクラシーを混同して偉そうにくっちゃべっているアンポンタンが相当数いることに、昨今のわたしは大いなる危惧を抱いている。ポピュリズムとは、早い話、安かろう悪かろうという大昔からの真理を、まずはもって隠すことから、話を始める手法のことで、あるらしい。結果も真理もどうでもよい。目標数(政治家=選挙得票数、経営者=純利益)さえ達成できればそれでよい。早い話が、人気取り政策のことである。だが、これでは、まるで「子供だまし」だ。こんな安易な「机上の空論」に載せられて、すでに成り立ったかのような幸福を感じてしまう、大衆というものの馬鹿面を見てみたい。

大衆とか人の数を根拠とする「ポピュリズム」というものが近代思想の支柱となっている感がある。逆に言えば、思想などという腹の足しにもならない観念物が、大衆化されてきた結果だとも言えるだろう。高じれば無知な大衆が、無知な大衆を相手に「よいか悪いかただすーか」と喧々囂々と議論している見苦しい様相を呈してくる。フランスはクーベルタン男爵が、古代ギリシャのスポーツ大会に擬して国際的大会(近代オリンピック)を再開させたおりに述べた「オリンピックは(勝敗よりは)参加することに意義がある」とする名言はアマチュアリズム(大衆参加)に対する賛辞というよりは、やはりポピュリズムに根をもっていたように思われる。もちろん「多数決の原理」などは、ポピュリズムの典型例だ。さらに、いまやあらゆる現場でまかり通っている「数の論理」こそ「ポピュリズム」の根源であり、かつ濫用なのである。だが考えてもみたまえ。数の多寡と人の幸福は関係がないではないか。一人の人間は、一つの口をもって、人生が足りているように、いつだって必要なものが、一つだけあれば足りるのである。青少年にとって授業料が安かろうと高かろうと自分の通う学校は、ひとつだけだ。授業料の多寡をはじめ「数の論理」に基づくあらゆる俗論と、教育の実践的価値は何の関係もないということを知らないのはポピュリズムに頭がやられた政治屋と一見小ざかしげにくっちゃべって憂さを晴らしている矮小な大人たちのほうである。

27日になって、以下のような報道文を読んだのだが、これは図星だと思う。

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麻生太郎首相は27日夜、民主党のマニフェスト(政権公約)に盛り込まれた子ども手当の支給や公立高校の無償化などについて「財源(の裏付け)が無責任で、極めてあいまいだ」と批判した。また、インド洋で給油活動を続ける海上自衛隊の撤収を同党が主張していたにもかかわらず、マニフェストに明記しなかったことに関しても「『ぶれた』と言われることになる」と指摘した。首相官邸で記者団の質問に答えた。(時事通信)
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ただし、麻生現首相にしても、先般「定額給付金」などという前代未聞の愚策を講じて国民から笑いものにされたばかりであり、ようするにどっちもどっちなのである。ま、わたしは個人的には麻生氏のことは嫌いではない。迫りきた総選挙においても、どちらかに決めろといわれれば民主党よりは自民党を選ぶだろう。麻生氏については首相になる以前から親近感を覚えたほどだった。それに現在わが国の政治的性格からして、首相をはじめ政治家にカリスマ性は不要であり、むしろ麻生氏のような少々ぬけたところのある凡庸な人間のほうがリーダーとしてはふさわしいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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