赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ヴォーカル大好き<津軽のふるさと>

2024年07月27日 | ■大江健三郎論

本日は「津軽のふるさと」を無性に歌いたくなりカラオケ屋にはせ参じ奉りけり

 

(昭和28年)

作詞:米山正夫
作曲: 〃  
 唄:美空ひばり

りんごのふるさとは
北国の果て
うらうらと 山肌に
抱かれて 夢を見た
あの頃の思い出 ああ
いま いずこに
りんごのふるさとは
北国の果て


昨夜読んだ本『大江健三郎 江藤淳 全対話』(中央公論新社2024.02.24刊)の中で、若い頃の大江が江藤淳を相手に「美空ひばり的なるもの」と呼ばわって、それらに象徴される大衆芸能と、俺様(大江)が目指している文学:芸術は雲泥の差があるのだと威張っていたのでカチンときてしまったのである。


 

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▼弔意と詩魂

2023年05月05日 | ■大江健三郎論

 以下は半年前の記事だが・・・

 

 小説家大江健三郎さんが老衰により亡くなられたとの訃報を今朝の新聞で見た。享年八十八というのだから大往生である。まずは、大江さんの、ご冥福をお祈りしたい。長い間、お疲れ様でした。
 ただ、ひとつだけ大江さんについては文句をつけておきたいことがある。大江さんは晴れて1994年にノーベル文学賞を受賞された。氏自身、59歳のことであった。今から約30年前のことである。オスロだったかストックホルムだったかで受賞記念講演というものがあった。わたしたち日本国民は歓び勇んでテレビ中継に釘付けだった。だが、その講演は外国語(英語)でなされた。日本語ではなかったのである。なぜに、この晴れ舞台で受賞の喜びを、たどたどしい外国語で表明しなければならなかったのか。大江文学に日本語は切っても切れないものではなかったのか。
 母語にたいして全幅の信頼が保てずに何やら疑義を残したまま、その母語を用いて売文商売に現(うつつ)を抜かしていたとなれば、それは不実なことである。さらに言わせていただければヒト科の生存にかかわる一般論として母語または祖国をして相対化した挙げ句に国際性とやらの個別言語にとっては実に不毛なる概念を今更ながらに事挙げては科学性および政治性などを具として他国、または他言語と比較するばかりなら、われら日本語しか知らない詩人の魂はどこに、その活路を見出せばよいのだろうか。大江さんには、そこのところを、もう少し真摯に考えてほしかった。

 

写真の左は川端康成のノーベル文学賞授賞講演集 右は大江健三郎の、それである。

 

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▼大江健三郎に見る金太郎飴の茶番劇

2016年06月12日 | ■大江健三郎論

 

川端康成に次ぐわが国二人目のノーベル賞作家大江健三郎の現況にまつわるあれこれについて以下2ちゃんねる風に・・・・

 ▼まずは参議院議員たる有田芳生氏(民進党)のツイッターより。

大江健三郎さんが加藤周一文庫のある立命館大学で「最後の講演」を行ったことを朝日新聞で知った。「私たちがいなくなった後も、子どもたちが担っていく問題。一つの家庭で、親子が、夫婦が、兄弟が語り合えるようにしておかなければならない。加藤周一という人も、そういう考えを持った人でした」。

さて大江氏の「最後の講演」と言うが、まだまだ元気なようで、これで最後にしなくても、よかろうと思うのですよ。大江さん。この先も、まだまだ、お話して頂戴と、人様からお願いされたら、やはりあなたはのこのこと出かけていくでしょう。そのたびに、今度こそ最後です最後ですと深刻癖の大宣伝。今や「最後の」は大江氏特有の常套句となった観がある。もう小説は書きません、これが最後の小説です。もう人前で話すことはありません。これが最後の集会です等々とうとう。その実、ちっとも最後じゃない。なんなのでしょうや。この口先だけの二枚舌による大江風「最後の」真意は。

 

 
▼2014.07.02 東京新聞より

写真右端は、先般都知事選挙において分派活動に暴走し共産党の内外から「人間のクズ」とまで罵倒され涙に暮れる鎌田なにがし。そのとなりで首都圏の空を席巻する外来種ハシブトカラスの巣のようなものを頭にのっけているのが猫なで声で有名な落合恵子様。彼女様は次のように述べる。

「国民の命を守るというが、日本が戦争して敵国と見なされれば、国民の命を危機にさらすことになる」と、相変わらずの童話調でようするに憲法の何の話をしているかよくわからない。

写真左端は金太郎飴をしゃぶりしゃぶりのおいちゃんおばちゃん段腹世代の共産党員を前にして「私は憲法が定める平和主義、民主主義を一番大切に思っているが、安部首相は戦後日本を悪い時代と考え、憲法を大切なものと考えていない」と語っているのが集会用小説家大江健三郎氏。

呂律が回っているのかいないのか、すでに耄碌して久しい。例によって彼の話は「私は私は」から始まるアジテーションに終始し自身の信仰と感情以上には一向に広がらずこれといった憲法論にはなっていない。

数日後の田吾作新聞の報道によれば当の老作家は、この日だいぶ、いい気になっていつもの集会では10分ともたないご挨拶程度の話を伸ばしに伸ばし40分ほどを費やした。何の話に熱中していたのかとのたまえば、ひたすら現総理安部氏に対する個人攻撃に走っていたらしい。なんともはや嘆かわしい。当老作家の言語的品性たるや、すでにだいぶ耄碌が進んでバケツの底が割れきた。これぞめでたし。いよいよ教祖らしくなってきたという按配である。

 

▼佐野なにがし氏がデザインした、来たる東京オリンピックの公式エンブレムは、盗作の疑いが濃いとの結論により白紙撤回と決定された。昨日今日にかけて首都圏内では、関係各位におかれましては、ポスターその他TVのCMなど、大わらわで撤去作業が挙行されたのであったのだった。
ところで二ヶ月ほど前、沖縄は宜野湾市で予定されていた大江健三郎氏の講演会が直前になって中止とあいなり候。やはり大わらわで沖縄各所よりポスターが撤去されたという事件があった。 

 

 

 

 

 
▼沖縄を本土政治の出汁につかうのはええ加減にしてください。お願いします。大江様。それにしても物騒な老作家だ。またまた裁判沙汰にでもなりかねない。実際講演会の前日には大江健三郎が、どの面下げて沖縄の土を踏めるのかという抗議運動もあった。

同志の皆様、お集まり下さい!
"大江健三郎講演会弾劾スペシャル街宣"
明日6/20(土)
11:30?13:00 県民広場にて
14:30?15:30 那覇市役所前にて

 

  
▼仮に当講演会が無事成立したとしても、彼の演説の中味はおおよそ想像できる。最初は、沖縄を持ち上げられるだけ持ち上げてみせる。いかに自分は若い頃から沖縄と深い関係があるかと沖縄のみなさまに平身低頭証明してみせずには話は何も始まらない。だが次の話がほとんどない。しきりに時計を見ながら残りの時間で何を話すのか、苦し紛れの思案顔で、ふと聴衆のほうを見れば、今日は沖縄九条の会のみなさんが、ぎょうさんにお集まりだった。彼らの顔を見て勇を得たのか老作家。現政権を倒せと、アジってみせて講演のまとめに入ることができたのである。現在沖縄県内には35支部があるという。ちなみに全国の九条の会は現在7500余りとのこと。十年前に九条にひっかけて語呂合わせのつもりだったのだろう九名の呼びかけ人を騙って作った「九条の会」たるや大江健三郎を含めても二三を残すのみと成り果てた。これといった著名人は、年々歳々、ばったばったと次々と死んでしまったのである。生き残った大江氏は、会の行く末を、だいぶ危惧しているらしい。だが、そもそも九条の会とはなんぞや。それほど立派なものなのか。大江氏は共産党の側から単純に利用されていただけではないか。

大江は神輿の上に担ぎ上げられていただけではないか。九条の会とは、当時健在だった共産党のナンバーツーの立場にあった上田耕一郎と流行作家の井上ひさしの両名が結託謀議して作った日本共産党の別働部隊である。「会」を大衆的に見せるため、また「知的」に見せるために、ノーベル賞作家の高名が必要だった。十年前、しきりに接触を図ってきた井上ひさしの猫なで声によってさんざんに褒め殺されてしまい、それほど自分は日本の平和運動にとって欠かすことのできない男だったのかとすっかり思い込んでしまう。それで今度は倍返しの思いをこめて井上ひさしこそ大作家であると思い込んでしまう。

一時などは芸術も文学も平和もなにかも、井上ひさし一辺倒になってしまっていた。じかに自分を褒めてくれる者は、誰よりも最高の善人であり、最高の思想家である。最高の芸術家に他ならない。逆に自分を批判する人間は、最悪の人間に間違いないという分別こそ政治的認識の最初の事件だ。かねてより抱いていた思想も信仰も、改めて生あたたかく耳元でささやかれる褒め殺しにくらべればたいしたことはないようだ。意外なことに名の売れた著名人こそ毀誉褒貶の波風にさらされれば実に簡単に篭絡されてしまうものであるらしい。大江の場合はその典型的事例といえるだろう。こうして九条の会は、日本共産党がその全党を挙げて隠密裏に暗黙の了解のもと大江健三郎を事実上の筆頭者として立ち上げられた。「会」とは言うものの、その実態は、すべてこれ全国に散らばる日本共産党の支部であり、中には、三つも四つも片っ端から九条の会に入会したと自慢する首都圏在なる役場を定年退職した団塊世代の陽気なひょっとこオヤジがいたが、彼の場合、地域の九条の会(これが彼が所属する党支部)、その他職場の九条の会、学校同窓会の九条の会、おまけに故郷の九条の会にまで入会してしまったらしい。

どこにいくにも金太郎飴だけは忘れずに持ち歩く。早い話が、共産党員ならば、全国どこの九条の会にも入会できるし、おそらく一人でも支部を開くことが可能のようだ。半纏(はんてん)さえ着ていれば誰でも祭りに参加できるように、金太郎飴を携えて、九条の会であると宣言しさえすれば「会」の数は、なんぼでも膨らんでいく。これらの総計が7500ということなのである。やれ駅前の九条の会、やれ路地裏の九条の会等々と。問題は大江健三郎氏が、これらの実情、すなわち九条の会と、共産党との組織的関係をどこまで知っているのか、知らないのか。はたまた知っていながら猫をかぶっているだけなのか。いずれにせよ、天下のノーベル賞作家が仮面をかぶった島国共産党の片棒かつぎのままで晩節をお過ごしあそばされている現状は嘆かわしいと言わざるを得ない。大江自身は、それでよいのか。彼の内面の声は一向に聴こえてこない。

 

▼昨年(2014年)、九条の会は10周年記念の集会を持った。この場で、大江氏は「私はもう小説を書かないのですから小説家の大江ですと自己紹介はできません。それで今日からは九条の会の大江ですと自己紹介することにいたしました」と述べて喝采を浴びたという。目の前の聴衆すなわち九条の会の会員へ一種の媚を売ったのだが、このような冗談は、九条の会にとっても、また大江氏自身にとっても大変に不幸なことであるという予感を禁じえない。九条の会の大江ですとは、共産党の大江ですと、自ら公言したことに他ならない。されば会場に集まった共産党の衆愚諸君から大喝采を得たのも当然といえば当然至極のことである。考えておかねばならないことは、同じセリフを、さまざまなセクトが集合してきた、たとえば反原発集会などで言えるのか。わたすは九条の会の大江ですと。わたすは共産党の大江ですと。

では、隠すのか。ここに大江の現在置かれた混迷があり、これまた孤立を深めている要因のひとつとなっている。井上ひさしから、何を吹き込まれたのかは知らぬ存ぜぬが、あまりにも政治的にナイーブ過ぎる。大江の旗印は、あっち行ったりこっち行ったり右往左往するばかりだ。こうして自分の本当の味方、自分を最終的に救済してくれる存在はなにかと模索している老後の日々の秋の空。いっそ、入党したらどうなのだ。共産党員となって毎朝自転車にのって赤旗新聞でも地区内にくばってあるけば、ちったぁ己の社会的政治的価値がいかほどのものかが分かるだろう。わけのわからない小説なんぞ書いているよりは、よほど世のため人のためだ。草葉の陰から井上ひさしも、上田耕一郎も、加藤周一も、渡辺一夫も、それに釜石に存命中のひさしのおっかさんも、さぞかし喜んでくれるだろう。売文稼業にあきがきた大江健三郎が毎朝、成城付近を、元気はつらつに自転車に乗って、赤旗配りにでかけているとなれば、それこそ「奇跡の老人」現れるってな調子で、このニュースは全世界に流される。あ~ん。

 

▼大江は、なぜ、きちんと議論をしようとしないのか。論争しようとしないのか。論陣を張ろうとしないのか。馬鹿なのか、アホなのか。性格なのか。これが彼の小説世界の枠組みの総量を決めている。自分を擁護してくる者を選びだしたとたんにべったりと張り付き猫なで声で甘えるばかり。おっつけ嫌がられて捨てられる。少しでも自分を批判する者に対しては陰湿な感情をいつまでも抱き続ける。齢八十。こんなことばかりを繰り返してきた。

おかしいのは、前日の20日には大江は沖縄に到着していた。そして新聞社が用意したボートに乗って辺野古を視察した。ネットに掲載されていた写真を見たことがある。その写真は沖縄タイムズの記者が撮影したとのキャプションがあった。上陸した大江氏が辺野古に常駐する基地反対派の諸君の前を通り過ぎていく光景が写されていた。

反対派とはいうものの首都圏あたりから変わりばんこに動員されているおばちゃんおじちゃんらの風情が印象的だった。彼らは道路のわきで簡易イスのようなものに座って大江に拍手を送っていた。みな白髪頭であるのがおかしかった。彼らの前を、まるで社会主義国家の書記長然としたこれまた白髪頭の大江が、実に偉そうに閲兵して歩きすぎていったのである。結局、その夜大江は、腹を下したか熱が出たのかは、いざ知らず一目散に東京に舞い戻ってしまっていた。

ネット上でのその写真を見て思ったのだが。辺野古の基地反対派らの様をみて、大江も何か感ずるところがあったのではないか。大いに失望したのではないか。なぁ~んだ反対運動とは言っても、この手のおっさん連中が首都圏あたりから、年金を使って代わりばんこに出張ってきているだけなのかと。さらに、大江が東京から沖縄に降り立ったとき、大江講演会に反対する人たちの抗議する姿なりポスターなりを見たのではないだろうか。

こうしてかならずしも自分は沖縄に歓迎されているばかりでないことを痛感した。いずれにしても大江は講演を断念した。よくよく考えてみれば、沖縄の人たちに、別に話すことなどなにもないという自責の念に襲われた。こうしてさっさと、尻尾をまいて沖縄から逃げ出してきたのである。齢八十の老作家。二度と沖縄の土を踏むことはあるまい。

 

 
▼さきほどネット上にて次なる動画を見たので、その感想をば以下。
http://www.youtube.com/watch?v=Rs74mSkL7g0 
動画のタイトルは「大江健三郎さん(九条の会第5回全国交流討論集会)2013.11.16」とある。同時期、国会にて「特定秘密保護法案」なる法律が可決された。当集会は、この法案に反対する意思を示すための集りであったらしい。動画では、小説家の大江健三郎さんが、よほど時間が気になるらしく時計を何度となく見やりながら法案反対演説をなされているところである。さても、大江さんの話が、例によって例のごとくと言うべきか、これといって何一つ新味もなしだったので、この際彼の思想のあり方問題とうとうに対する大いなる不満を表明しておくものである。

彼の話は、まるで新興宗教団体の教祖様のごとくだ。この集会に参加された9条の会の会員諸君は9割がたが、共産党員の諸君である。いまや「9条の会」とは共産党そのものであることは周知の事実だ。上の動画にあるように全国に「9条の会」が広がったと大江さんは自慢して言うのだが、全国数千の共産党支部が、そのまま「9条の会」を名乗って街頭宣伝活動やら駅前ビラまきをやっているのだから別に不思議でもなんでもない。全国津々浦々に及ぶ共産党支部の溜まり場には、押入れやら便所やらのどこを探しても、今や共産党の旗は隠されている。朝方のうちに町内に配り終えたアカハタ新聞の残りであろう二三部が部屋の片隅に転がっているほかには、どこからみても共産党支部であることはうかがい知れぬ。代わりに「9条の会」の旗やらチラシやらが部屋中散乱している有様だ。笑い事ではすまされまい。

例えばネットで公開されている千葉県の場合をみてみよう。県内九条の会の総数は約300ほどあるらしい。その一覧が次のアドレスで、臆面もなく堂々と公開されている。http://chiba-9jou.net/chiba9jou.html

冒頭に、県段階の会    行政区の会    地域の会    分野の会とあって、これは共産党の組織と同じで階位があるのである。金太郎飴だというのは、この仕組みが担保する。同じ党員活動家がそれぞれの階位に、登録されているのである。地域での学校でもよいが、一度どこかの九条の会に入れば、自動的に四つほどの上級の九条の会にも入会しているという仕組みだ。面白いのは、県段階の会の部類の最後に、ただいま発足をめざして準備中とのことだが、「千葉県年金生活者九条の会」というものがある。笑う。いっそ「千葉県生活保護者九条の会」ってものも作ってみたらどうだ。常に名前やスローガンが先行する。いずれにしても、発起者はすべて共産党員であり、参加者もまた99%、党員なのである。


さらに昨今の日本共産党における年代構成、階級構成なりを見てみれば泣きの涙だ。党員構成者の7割がたが中高年である。さらに7割がたが60っ面半ばの団塊世代であり、その彼らの多くが都道府県市町村自治体からたんまりと退職金をせしめた者たち、または全国義務教育小中学校教員の退職者といったところなのである。ともに彼らは、死ぬまで法外な共済年金のお世話様という按配である。20万とも30万とも言われている現状日本共産党員の過半数が、上記の方々によって成り立っている。彼らは日本国民の中でも老後の生活がもっとも安定している小金餅だ。勤労者には違いないだろうが、彼らほど、めぐまれた人種もいないだろう。労働者の味方だとか、貧乏人の味方だというご託宣は偽善にすぎまい。できもしないことを、同類同士でがなっているのは小金餅の自分たちに対する、せいぜいの慰撫と罪滅ぼしと言ったところか。週末に予定されている9条の会の旗を掲げての街頭宣伝に参加するには、できるだけみすぼらしく、できれば古きよき時代であった70年代の古着でも身にまとって活動しましょうなどという内規があるとかないとか。いずれにしても現代共産党の、これ以上は望めもしまい穏便にして健全なる小市民性たるや、めでたしめでたしという按配である。問題は、かかる組織的内情が党の政策や教義、スローガンにいたる言辞思想に対して、いかなる影響を及ぼすかは、ここで、くどくどと述べたてる必要はないかも知れぬが、一つだけ言っておけば、昔から多くの識者が指摘しているように暴力革命を否定して以後、ようするに体制内政党に収まった結果当然のことながら、お世間的な思想的保守性が堅固に内在してきていることは間違いない。

党内でのマナー違反は許されない。極言すれば禁酒禁煙、品行方正四角四面の毒にも薬にもならないヒラメばかりが集いあい日がな一日、戦争反対、原発反対の念仏を交互にとなえあっては、満足している烏合の衆と化している。南無妙本蓮華経と、どこに違いがあるのやら。さて、いまや役所や学校を定年して退き第二の青春を謳歌しようと「9条の会」に集いあい党中央から配給された金太郎飴でもしゃぶりしゃぶりの小金餅のおじさんおばさん共産党員を前にして、当の老作家がお説教を繰り出しているというのだから、これは一体なんなのだという疑心も生まれるが、ようするに演者か聴衆かの、どちらかが仮面をかぶって演技しているだけらしい。または、どちらとも仮面かぶりか。双方ともに、当集会の成功を夢見るあまりに演者の話に、完全に信仰信者風に陶酔状態なのだから、ここはなんとも評することもできがたし。まっ、双方ともに政治運動とは、こんなものだといった予定調和で、終始了解ずみのことなりけりや。こうして大江健三郎という老作家について、その文芸上の労働価値における巧拙は別にして、いまや日本共産党の広告塔になりさがってしまったという事実だけは、ますますはっきりしてくるところである。

公党と老作家が小指と小指を絡ませて暗黙の了解のもと互いに利用しあっているのである。見苦しいこと限りなしとも言えようが、これまたプロパガンダの有効活用というものだ。天下のノーベル賞作家が、最後の小説を書き終えたいま、これからは身を挺し鼻の下を長くして、みなさんとご一緒に運動すると宣しているのだから、これ以上に心強いことはなにもない。同時に徒党根性および念仏合唱とスローガン嫌いのわたしは、ますます、これら昨今の大江健三郎の言動については失望を禁じえない。大江氏の場合、相変わらずの度し難い深刻癖とその根源にひそむ教養主義的センチメンタリズムから発生してくる欺瞞と偽善のにおいばかりが鼻につく。どうやら集会用文学に堕ちた当老作家の無国籍風猫なで声による脆弱文学は、すでに大方のところ底が割れてきたようだ。

 

<2016.06.12 記>

 

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