赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼母を訪ねる

2004年11月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
下の弟と一緒に母を見舞った。当年85歳になる母が入っている病院は隣県の山里にある。例によって駅前で自転車を借り、秋深まる野中の街道を病院に向かった。駅から自転車で、片道30分ほどだ。二年ほど前だったがカメラをぶら下げ徒歩で往復したこともあったが、さすがにこの時は足が棒になって閉口した。途中、街道筋の寿司屋が開いていたので、にぎり寿司の小さな折り詰めを作ってもらい、刺身が食べたいと訴えていた母への手土産とする。
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▼不合格通知

2004年11月17日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

 今日は朝から晴れた。息子宛に速達が届いた。先日、AO入試を受けた大学からのものだった。合否を知らせる通知である。残念ながら不合格ということだった。息子は小一時間、無言のまま頭を抱えていた。
 「甘いものじゃなかったね。でも、やれるところまではやったのだから。たいしたものだった。気持ちを切り替えて次の学校の入試を目指せよ」と私が声をかけても返事がなかった。
 午後から4歳下の弟に会う。近くの児童公園で酒を酌み交わしつつ歓談していると雨が降ってきたので別れた。われら兄弟の話題は、おのずと半年前に急逝してしまった妹のことに及ぶ。弟は、あれ以来、気持ちの張りが保てなく、しばしば空虚な感じに襲われると言うので、それは俺も同じだと答えた。

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AO入試に挑んだ息子

2004年11月05日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

次男は明日、某私立大学のAO(アドミッション・オフィス)入試の2次試験を受ける。中味は、すでに提出していたレポートをめぐる口頭試問風面接とのこと。次男にとっては、そのレポートこそ事実上の入学試験と言っても過言ではない。レポートを作成する息子を親の私はもちろんはたで見ていただけだが、問題に立ち向かって格闘していた、そのときの彼の姿が当分の間、脳裏に焼きついて離れないだろう。このレポートは1次試験合格通知に同封されて届いた「設問」に答える解答集ということである。提出締め切り日は去る10日ほど前だった。息子は、提出締め切り直前の三日ほどはアルバイトを休み寝る間も惜しんで完全解答を目指して取りくんでいた。こうしてレポート用紙18枚に及ぶなかなか立派な解答集をホッチキスで綴じたのは、締め切り最終日の夜11時になっていた。それからタクシーを飛ばして郵便局に向かった。窓口に提出し、その日の消印を押してもらったのは11時半だった。郵便局まで私も次男に同行したのである。自宅までの帰り道は、のんびりと肩を並べて歩いてきた。息子は一つの大仕事をやり遂げた直後で気持ちが高揚していたようだ。彼の熱い幸福な感覚が私にも乗り移ってきた。私もいいものを見せてくれた息子に胸の中で感謝したのである。
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