赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

花見の宴

2004年03月31日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
明け方には雨も上がり快晴の朝がやってきた。朝、河原に出て約50枚ほど写真を撮る。春である。小動物が出没しはじめてきた。草むらの中に、小さなテントウムシとシジミチョウを見つけた。朝の散歩から帰りぎわ、今日こそ桜を写してこようとそのまま電車に乗った。現地に到着し、しばらくパチパチとシャッターを押していたのだが、何枚撮っても感興というものがわいてこない。桜の花ほど写真に撮ってつまらないものはないと気がついた。花の下では、あちこちで花見の輪が出来ていた。やはり被写体の面白さを言うのなら、人間様をおいて他にはない。こうして満開の桜を見に行ったはずが、結局、花見に興じている人様を飽きることなく見てきたという一日にあいなった。写真は沖縄の人たちだろうか。座りながら上手に踊っているのだが手の動きが沖縄らしかった。
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夢で見た娘の話

2004年03月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
起きる直前に見た夢を覚えている。私には二人の娘がいた。二人ともまだ就学前で幼く、可愛い盛りである。性格が反対で、上の娘は大人しく聞き分けもよい。下の娘は一日中、家の中を駆けずり回って遊んでも、なお飽きない元気もので、その分、手もかかる。どこに行ってなにをやらかすか分からないので、目が離せない。私は、とくにこの活動的な下の娘が目に入れても痛くないほど可愛くてしかたないのである。

ある日、二階で下の娘と遊んでいたのだが、私がちょっと目を離したすきに、一階にいるお姉ちゃんのところにいくと言って、窓の外のベランダを乗り越えて下りていってしまった。体をつかまえて止めさせようと、あわててベランダに身を乗り出してみたときには、もう一階におりていて、下から大笑いしながら私を見上げているのである。体の身軽さが、なにより取り得の快活な娘である。私もそれ以上は叱れなかった。

まもなく娘が階段をあがってきて私のところにやってきた。部屋の中ほどであぐらを組んで新聞を広げていた私に、楽しくてしかたないというような笑い声をあげながら胸の中に飛び込んできた。すると、まもなく娘は、またさきほどの危険な遊びをやってみたくなったのか、ベランダのとこに行くのである。子どもはスリルがあって楽しいことは、何度でも繰り返す。それが遊びの原動をなしている。

その時も、もちろん、「やめなさい」と何度か言ったのだが、それ以上きつく叱責はしなかった。下の娘は親の言うことなど聞きやしない。このとき、体をつかまえてしまえばよかったのだが、さきほども成功したのだから、まさか手を滑らせて落ちるようなことはないだろうと、そう思って見ていたのである。

娘はベランダを乗り越えて、向こう側にぶら下がった状態だった。鉄柵を握っている手だけが見えていた。片手を離したまでは通常だった。だがもう片手を離す、その時の様子が変だった。滑ったように一気に見えなくなったのである。背筋に冷たいものが流れた。ベランダから下を覗くと庭の中ほどに仰向けになった娘が落ちていた。

どうして止めなかったのかと、自分を責めるのだが、かと言って、危険だからと止めさせることが良かったとは思えないのである。悔やんでも悔やんでも、自分の判断した行為の当否について自分では決着がつけられなかった。それが苦しかった。
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▼焼肉とサンダル

2004年03月13日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法
息子二人は二人とも3月生まれなのである。上は26、下は20になった。そこで、かあちゃんの発案で、息子らの誕生祝いとして今夜は家族みんなで焼肉を食いに行こうということになった。どう転がって見ても金の出所のあてのない、とうちゃんはわが身が恥ずかしくて、しばらく行くのか行かないのか、うじうじとすねていたのだが、「もう、かまわんからね」と下の息子から言われてしまい、どうすることもできなかった。とうちゃんのことなんか知らんと3人で決断を下し、さっそく玄関に殺到するのを見て、ようやくとうちゃんも重い腰をあげた次第であった。外は寒かった。七時は過ぎていた。とうちゃんは、昼からなにも食べていなかったので腹の虫も鳴きやまない。暗闇の向こうに姿を消そうとしている家族を見うしなっては、ひさしぶりの焼肉をくいっぱぐれてしまう不安に襲われた。うまそうなカルビの焼ける油のにおいが脳裏をよぎった。そこで、あわててコートの襟をたてたかと思うと、小走りになって3人を追いかけていったのである。去年の夏、隣町のスーパーの店頭販売に出くわして、とうちゃんの趣味に合う色合いを見せていたサンダルである。色合いよりもなによりも、なんといっても安かった。以来、毎日はいているのに、まだ壊れない。こんなに丈夫で長持ちなサンダルは見たことがないと常々とうちゃんが自慢する中国製ビニイルサンダルの音が、暗い路地の奥の方で楽しげにひびいた。

<2004.03.13記>
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送辞を読む

2004年03月03日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
次男が通う夜のガッコでも、卒業式が間近となった。在校生を代表し次男が送辞を読むそうだ。一週間ほど前から、これにかかり切りで何度も推敲を重ねていた。草稿は昨夜ようやく完成し、学校で巻紙に清書してきたとのこと。それで家に持ち帰ってきた原稿用紙のほうを、読ませてもらったのである。

卒業生のみなさん。ご卒業おめでとうございます。毎年、この時期になると卒業生が去った後の○○高校を心に思い浮かべます。それは残されたものにとっては、不安で淋しいものです。私は別れが嫌いです。なごやかな時期が過ぎ、一つの時代が終わったような悲しい気持ちになるからです。

特に今年の卒業生の中には、私がこの学校に入学するきっかけを作ってくれた方もいるのです。私が最初に、この学校の校門をくぐったのは、その先輩に学校説明会に誘われたからでした。

クラスメイトと楽しそうに会話を交わしている先輩の姿を見て、私もこんな仲間を作りたいと強く感じ、それが○○高校定時制入学への動機となりました。三年間、私たちは先輩たちの学校生活を見続けてきました。先輩たちは、学業と仕事を両立させ、部活動に励み、行事の進行や生徒会活動などで、私たちの手本となって活躍されました。

卒業生の皆さんはお気づきではなかったかも知れませんが、私のように、たえず先輩方の何気ない行動の中に希望をさがし、それに勇気づけられた後輩も決してすくなくはなかったと思います。

今日の悲しみは今、始まったわけではありません。先輩たちとの出会いのときに、時計は動きはじめ、今日の別れを知っていたからこそ、これまでの時間の中で、私の中にも忘れることができないほど一日一日が確かに刻みこまれてきたように感じるのです。

別れは、新たな出会いの兆しだと、聞いたことがあります。卒業後、先輩たちは、それぞれの道を進まれるわけですが、新しい道で、また新しい出会いがあり、新しい人間関係の中で、様々な困難も、きっと惜しみなく協力しあい、互いに乗り越えていかれるでしょう。

卒業生のみなさん、今日のこの時まで、私たちから感謝の気持ちを言葉にあらわすことのないまま、とうとうお別れの日を迎えることになってしまいました。お別れをおしみつつ、みなさんへの感謝の気持ちをいっぱいに込め、お別れの言葉とさせてください。三年間、ありがとうございました。

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