今月号の『文藝春秋』を読んだ。芥川賞の受賞作が掲載されていたので、さっそく買い求めたのだが、最近は毎度のことながら、やはり今回も失望を禁じえなかった。
本誌中、何より興味を引いたのは、『ローマ人の物語』を完結させて今や推しも推されもしない歴史小説の大家、塩野七生(しおのななえ)さんの連載物だった。タイトルは『日本人へ 百六十 ローマ帝国も絶望した「難問」』とある。塩野さんは書いている。
歴史に親しむ歳月が重なるにつれて確信するようになったのは、人間の文明度を計る規準は二つあり、それは人命の犠牲に対する敏感度と、衛生に対する敏感度、であるということだ。と同時にわかったのは、この敏感度が低い個人や民族や国民のほうが強く、負けるのは文明度の高い側で、勝つのは常に低い側、ということである。
これは驚きだった。一般にわれわれが学校などで教わり、また信じてきたいわゆる発達史観では文明国こそ世界を支配してきたのであって、野蛮な民族や国家に負けるはずはないと、一般にはそのように思われきたのではないか。現在でも、わたしなどは単純に、そのように信じている。
そこで、もう一度、塩野さんの上の文章を噛み砕くようにして読んでみた。
二つの問題があって、ひとつは「人命の犠牲に対する敏感度」と塩野さんは言う。たしかにそうだ。今昔では、死についてばかりは大きな考えかたの差があるようだ。70年前までは、お国のためとか親方様のためなら死んでもよいとおおぴらに高言でき、またそうした死を許容する思想上の環境があった。大東亜戦争だけのことではない。近代戦争以前となれば武士には切腹という美学もあったし、敵(あだ)討ちなどという公認殺人すら日常茶飯事だった。
ほんの七十年前からなのだ。「人の命は地球より重し」などというおかしな世迷言が流行したのは。つまり、昔は人命に対しては、現代ほど生きるか死ぬかについて、いちいち全国ニュースで取りざたされるほど、やかましくはなかったのである。たとえは良くないが、ようするに昔は、それも昔にさかのぼればのぼるほど、人というものは、子どもでも大人でも老人でも、男も女も、実に見事に、ばったばったと片っ端から死んでいったのである。よしあしは、別にしても現代を敏感というなら昔はたしかに鈍感だった。そして塩野さんは鈍感のほうが強く、敏感のほうが弱いとおっしゃる。そういわれてみれば、徐々にだが、だんだんと分かってきたような気がする。
もうひとつは「衛生に対する敏感度」があると言う。わたしは戦後まもなく、農村で育ったものだから、あの不衛生な便所の汚らしさたるや恐るべきものだった。やがて水洗便所というものが現れて、使用できるようになり、生きていてよかったと思ったほどだ。かように便所の進歩と変遷については身をもって経験してきた。便所についていえば、かなりのところまで進歩してきたことは間違いない。これも塩野さんは、衛生のほうが弱く、不衛生のほうが強いのだとおっしゃる。わたしも、もはや昔のボットン便所には便秘を我慢してでも入りたくない。入れないように生理が漂白されてしまっているのだ。
ようするに免疫力のようなことなのか。少々汚くても臭くても、目的さえ達せれば、細かいことは、こだわらないとなれば、言うまでもなく、不衛生でも、かまわないというほうが生き物としては強いに決まっている。どうやら塩野さんは、このようなことに警鐘を鳴らしているのである。
地球温暖化とは、よく耳にする話だが人間それ自体が、昔に比べれば生き物として、むしろ退化しているとなれば、こちらのほうがよほどヒト科にとっては根源的な存亡の危機たる問題なのである。
塩野さんは、さらに言う。ようするに古代ローマ帝国が滅亡したのも、ローマに比べれば、よほど非文明であったゲルマンの蛮族に侵入を許すがままだった。
子どもがドナウ河の波に呑まれようと、女が何人死のうと、いさいかまわずに河を渡って押し寄せてくる蛮族の数の前に圧倒されてしまった。
カエサルが作った国境線を、次々と越えてくる蛮族の力を目の当たりにしてドナウ河のこちら側で砦を守っていたローマ兵たちは、もはやなすすべもなく、ここに帝国の滅亡を予感し「絶望」していただけではなかったのかと。