以下、コメント欄より・・・・
先日、本を二冊買いました。その中にこんな詩がありました。
ママ
田中大輔
あのねママ ボクどうして生まれてきたのかしっている?
ボクね ママにあいたくて
うまれてきたんだよ
大輔君の詩に感動しました。まいったよ。大輔君にかないません。
あなたは、どうして生まれてきましたか?と問われればうーんと考
え込んでしまいますね。言葉が出て来ません。大輔君ははっきりと
言っている。なんの迷いもなく、ボクね ママにあいたくて
うまれてきたんだよ
大輔君にはかなわないと思いました。
こんにちは。ほんまに子どもは詩人だと思いますね。田中大輔君の詩といい、どうして、子どもは、こんなにいい言葉が口をついて出てくるのでしょうね。感服します。わたしも子どもの言葉と申しましょうか、詩といいましょうか、いくつか常に頭に入っている句があります。その中で一番好きな句が下のものです。
おかあさん、ぼくの机の引き出しの中にできた湖をのぞかないでください。
「日本一短い母への手紙」(1994年)
作ったのは福井県丸岡町の11歳の男の子さん。この句ばかりは忘れられません。93年に丸岡町で募集した「一筆啓上賞」で一等賞となった句です。丸岡町は例の「一筆啓上 お仙泣かすな 馬肥やせ」で有名な処。それにあやかり、町おこしの一環として「日本一短い母への手紙」を募集したと聞きます。後日、優秀作をまとめて一冊にされました。私は、その本で読んだのです。
思うに、子どもたちが言葉を発するときは、かならず聞き手がいるということです。当然、文字に書かれたというよりは、会話の中で発見される。大輔君も、丸岡町の少年も、はっきりとお母さんに対面して、お母さん個人と話をしている。その場面が目に浮かびます。
これは意地悪で云うのではないのですが、おそらくお子様のある日のおしゃべりを母親なりが覚えていたか、または筆記しておいたかしたものを募集元に届けたのではないでしょうか。
田中大輔君の「あのねママ」という詩にも同じような背景がしのばれるのです。子どもさんが、直に文字で書いておいたものではない。おかあさんに向かって、そのようにしゃべった。そのときのお子さんの言葉が感銘深く、忘れられずにお母さんが頭の中で覚えていた。または筆記しておいた。
子どもは詩人だといいます。でも、その作品なりを世に出すためには、まず文字化しておかねばなりません。さらに版元なりに送らなければならない。ここに大人が、重要な役割を持たされていると思うわけです。
親であれ、教師であれ、誰でもよいですが、まるで聞き取り者か、翻訳者のように、その子の詩心に満ちた、ある日の驚嘆すべき言葉を、広く、われわれまで伝えてくれている、そうした役目を持っている大人たちの存在です。子どもさんのおしゃべりを、感銘深く、大切に聞き取った大人が存在していなければ、上の句なども私の目には触れることもなかったでしょう。
最初に、その子の言葉を耳にした大人が、子どもの、そのときの言葉をとどめておかなければ、また発表しなければ、広く知られることは、まずありません。
子どもは通常、なにも詩を作ろうとして話しているわけではない。子どもの詩の多くは、たまたま口をついて出てくるのです。機嫌よく遊んでいる子どものおしゃべりを聞いていると、本当に楽しいものです。
しょっちゅう「詩」らしきものが発せられている。どんな子でもそうです。こうした現象も面白いことだと思います。
そう云えば和歌集などには、本歌を説明する「詞書(ことばがき)」というものがありますね。短い解説文です。この詞書(ことばがき)によって、歌の本体の意味や状況が理解できるということがある。歌によっては詞書がないと、何を歌っているのかさっぱり理解できないものも多い。いつ、どういう状況で読まれたのか、数行の説明があって、歌人がおかれている環境や歌の本懐が、はじめて読者に伝わってくる。
これを広義に解釈すると、文学にとって翻訳者、仲介者、編集者という役割の重要性という問題が浮かんできます。音楽でいえば演奏者の存在であり、さらに楽器の存在ともいえるでしょうか。
子どもの詩などを発表するにいたる、この過程における、例えばおかあさんなり大人たちが果たすべき役割に文化的文学的に大切な意味があると思いました。
もちろん、子どものおしゃべりをいちいち書き取っておき、発表しなければならないという義務も仕事もないわけで、問題は、どんな子どもでも日々、発しているであろう詩心に満ちた言葉を、お子さんと、対面している大人が、たっぷりとした幸福な感覚で聞き届けることができるかどうかだと思うわけです。
急に涙が流れ落ちたり母上に裾からそっと蒲団をたたかれ・・・北原白秋