日本の春は今度帰って(欧州より)久しぶりに眺めてみると世界に類のないほど美しいと私は感じました。されば世界に類のないほど美しい詩を日本語でつづることは、われわれが日本の美しい風土に対する唯一の任務でしょう・・・・永井荷風
スタイルのために骨身を削ることこそが作家にとっての本当の意味での倫理なのであって、人生の求道やら何やらを作品のなかに持ち込むことなどは、要するに田舎者なる小説家の勘違いにすぎない・・・・澁澤龍彦
純粋の日本人から生まれた純粋の日本文学は明治三十年頃までにまったく滅びてしまった。その後の文学は日本の文学ではない。形式だけ日本語によって書かれた西洋文学である・・・永井荷風
<歩=18200>
純粋の日本人から生まれた純粋の日本文学は明治三十年頃までにまったく滅びてしまった。その後の文学は日本の文学ではない。形式だけ日本語によって書かれた西洋文学である・・・永井荷風
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「党派根性こそかもめさんの敵なのでしょうか」と渡辺さんから、下の記事のコメント欄で問われましたので、「党派根性」についてはわたしも大いに興味があるところですので、あれこれと文章を書きたくなった次第です。とはいうものの、いまやすでに夜も夜中と成り果てて、明朝の起床がきつくなります。明日以降、当欄に自分なりに気づいた点や関連事項などについて感じたところなりを、ぼちぼちと書き連ねてみるつもりです。
<歩=13000>
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碩学なるMOKUMOKU氏が某掲示板に次のような文章を書いていた。
小説家は勝手なイメージで現代語訳をつくるから(そういうのは、わしの好まないところである)、機会があったら、想像や妄想解釈の全く入っていない学者による源氏の現代語訳(不明の箇所は不明として残す)を読んでみたい。
実にMOKUMOKU氏らしい存念である。彼の場合、似たような口ぶりは、しばしばあって、いつかはきっと、このように歴史的社会的に、既出している言説というもの、または文芸上の作品というものについて、一言のもとに断定する所存を明確に述べてくれるに違いないと、わたしなりに予測していた。上の一文は、まぎれもなくMOKUMOKU氏の文芸思想なのである。わたしにはそう見える。そこで、もう少し具体的にわたしがMOKUMOKU氏について、なにを予測していたのか等々を以下書き記してみたい。(つづく)
<歩=14200>
小説家は勝手なイメージで現代語訳をつくるから(そういうのは、わしの好まないところである)、機会があったら、想像や妄想解釈の全く入っていない学者による源氏の現代語訳(不明の箇所は不明として残す)を読んでみたい。
実にMOKUMOKU氏らしい存念である。彼の場合、似たような口ぶりは、しばしばあって、いつかはきっと、このように歴史的社会的に、既出している言説というもの、または文芸上の作品というものについて、一言のもとに断定する所存を明確に述べてくれるに違いないと、わたしなりに予測していた。上の一文は、まぎれもなくMOKUMOKU氏の文芸思想なのである。わたしにはそう見える。そこで、もう少し具体的にわたしがMOKUMOKU氏について、なにを予測していたのか等々を以下書き記してみたい。(つづく)
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