2012/06/30 川崎市
以下、泥つぁんの掲示板より。
●投稿者:かもめ
さきほどの報道で知ったのだが、インドでバスが橋から川の中に転落し、乗客50名余りのうち30数名が死亡したとのことである。そのニュースに驚いたのではなく、ちなみにとアナウンサーが明かしてくれた数字に驚いた。近年、インドでは交通事故が多発し、昨年度だけでも13万5千名あまりの死者が出ているとのことなのである。インドの人口は中国についで世界第二位を誇っていることは、何かの本で読んだことがある。それにしても、昨年度だけで一気に、13万人あまりが自動車に引かれておっちんだとは、笑い事では済まされまい。
わたしが言いたいのは、日本の福島の原発事故のことである。いまだに、一人たりとも、この事故による明白な犠牲者というものは出ていない。なんという幸福な国なのか。日本という国は・・・・などと世界から、思われているのではないだろうか。
別に皮肉で言うのではない。こんなことを言うと反発する二束三文もいるには違いないが、声を大にしていいたい。
福島原発の事故処理は、おおむね大成功裡に推移しつつある。なにしろ直接の、犠牲者を一人も出さずにすんでいるのだから。
もちろん、もうしばらくは、現地から避難している10万人あまりの方々には、苦労をしょってもらわなければならないのは重々承知だ。
以後、全国の原発は、福島の事故のあおりを食って、ピタリと、活動を止めてしまったが、このたび、大飯原発が再稼動に入ると、耳にし、それはめでたいことだと、心の中で快哉をさけんでみた次第である。
考えてもみたまえ。一基の原発も動かない場合、関西地方では、節電はおろか停電もやむなしとは、目前に迫っているのである。これは別にウソ偽りではあるまい。わたしは、別に電気に郷愁を感じているわけではないが、電気が来ないという時に、何が起こるか、そのときの社会現象が、想像できるだろうか。まず電車が止まる。それに病院が止まる。そしてコンピュータが止まる。多くの企業がその活動を止めなければなるまい。都会は、そのままシェルターと化す。人々は、引きこもる。やがて食料が尽きてくる。パニックが起こる。暴動が起こる。明らかに、制度が壊れ国家が壊れるのである。
脱原発とか反原発とかの旗を担いで騒いでいるノウテンキな輩がいるが、彼らに、それらの十分に想定される実際的な不幸が想像が出来ないのだろうか。
電気を起こすに原子力は強力だ。原発一基で、火力発電所の十倍の能力がある。原発が動かないなら、全国に数百の火力発電者を構築せねばなるまいぞ。都会は煙突だらけだ。地球温暖化もへったくれもなくなる。燃やす油は、どこから調達してくるのかね。
繰り返す。福島原発の事故は、一人の犠牲者も出すことなく、見事に収拾された。日本の原子力技術は、恐るべき・・・手に負えない・・と喧伝されていた原子力を、まあまあなんとかコントロールしつつあるのである。この事実は、世界から賞賛をあびるに値する。
算段腹の、これ田子よをはじめ大衆のみなみなさまよ。衆愚諸君。
われわれは放射能から逃げるのではなく、堂々と、放射能なにするものぞと、立ち向かっていこうではないか(笑)。
わたしが幼少時に暮らしていた北関東の山の中では、電気はなかった。
毎夜の照明は石油ランプであった。田畑を越えた向こうの家で、トランジスターラジオというものを買ったということが、小さな村の評判だった。そのラジオで、夏休みのある日中、作新学院の大進撃に、胸をとどろかせたことを覚えている。だがトランジスターラジオの時期もつかのまだった。
その後、二三年して、村には電信柱が立てられ電線がはってきて、隣家にはテレビジョンが導入された。
貧しい我が家には、テレビどころかラジオさえも買えなかった。電気といえば裸電球が、ただ一つ、天井の中ほどに、灯っていただけだった。
電気の恩恵といっても、初期の初期には電球だけだったのである。最初の電気の実感は、石油ランプが電球に替わったという、それだけだった。
この当時なら、電気が来ようとくるまいと、日常には、なんの変哲もなかったに違いない。実際、停電は、日常茶飯事のことだった。誰も何の文句も言わなかった。電気の恩恵といっても、どの他家を見ても、だいたい照明とラジオかテレビだけだった。
電気炊飯器も、まだ先の話しだったし、冷蔵庫、洗濯機も、庶民には、夢のまた夢だった。
この当時なら電気がこようと、こまいと、誰も、たいした文句はいわなかったに違いない。
すなわち、当時、電気は、まだまだ国民的には「制度」には、なっていなかった。
いまや、電気は制度である。さらに国家制度である。
電気がなければ、一時たりとも国民の暮らしはなりたつまい。
諸君。
この歴史的文化的相違を、少しは形而上学に思考してみたまえ。
モータリゼーションも、右同様である。電気の今日的形状と思想的には同様だ。
この二つほど、現代の人々の心証を、形作ってきたものはないだろう。
人類は、電気と自動車によって、生物学的に変容したのである。
これをもって「進化」というのは、おこがましいが、たしかに、もはや引き返せないという点では、進化と言える。
それが証拠に、誰一人として、電気は嫌だ。ランプのほうが、ずっと人間的で、幸福だったとは、一言もいわないではないか。
わたしは、反原発とか脱原発とかを騒いでいる、センチメンタルな彼らに言いたい。
君たち、原子力を否定するなら、まずは脱電気ではないか。
脱自動車を、少しは実践してみたまえ。電気も自動車も、心からいらない!
という生活を十分に実験して後。
反原発を叫ぶ倫理的資格が出てくるものだと・・・・思うのだが、いかがなものか。
こんな論理を繰り出してみると、思い出されることがある。
小林秀雄の講演録音を聞いたことがある。これまた、いまや何十年も前の講演だ。若い頃の話をしていた。大正末から昭和初期のことであろう。学生時代のことである。当時、言論界では、左翼風潮が圧倒していた。小林が所属していた東大にも、大きな面をして左翼学生またの名を、マルクスボーイが大手を振ってのしあるいていたのである。たとえば中野重治などは、その口だろう。中野は小林に同年である。小林は仏文であり、中野は独文であった。もちろん両人とも、めったに学校には面を見せなかった。当のご両人も、どうやら学生時代に面識はなかったらしい。さて講演の話である。小林は言う。当時、左翼学生がたくさんいたが、彼らは、みな金持ちだったようですよと。親のすねでもかじっていたのでしょうねぇと。自分は、金がなかった。女を養うために、一銭でも多くかせぎたいと思っていた。(ここで彼が言う女とは中原中也のもとから、小林のもとに夜逃げしてきた長谷川泰子のことではあるが)。いずれにしても、左翼ではない小林にとって、左翼学生というものは、そのように見えたのである。貧民を救え、労働者の政府を作ろう、とうとうのスローガンを叫んでいる左翼学生は実のところ、地方の素封家の息子連中だったというわけだ。暮らしにはなんの不自由もない輩にかぎって、反国家反政府スローガンを用い狂信的なふるまいに、及ぶ。
こうしたことは現代でもまったく同じ様相を呈しているのである。
左翼とは、革命待望児童のことであろう。私も昔はそうだったから、よく分かるのである。
こいつらはスローガンと、その教条に酔っているだけなのである。女こどもらが陥りやすい、小児病の一種であることは間違いない。
わたしは散歩が稼業みたいな日常だから、あちこちの私鉄沿線の駅に途中下車して、写真をとりまくる。すると反原発の署名活動を挙行している、じいさん、ばあさん連中が、署名してくださいと近寄ってくる。若い頃、共産党の手下をやっていた経験からして、一目みるなり、わたしには分かる。
彼らは、近隣の共産党支部の人たちであることが。
彼らが用いている二三の看板や、のぼり旗などを見てもそこには、共産党の文字は一行もない。だが、彼らは共産党支部のみなさん、なのである。
こうして、大江健三郎の言説に象徴される、やれ平和がほしい、暴力は否定する、危険なところには近づくな。癒しと、清潔こそ、モットーだ等々の、女こどもらを泣かせるセンチメンタルな心情がていよく組織され、政治的に利用されている。
もちろん、彼らの存念と活動は、誰がどうみても政策的には、ほとんど実現不可能で成功するはずもないのだが、スローガン人間にとって、それはそれでよいのである。適当に街頭にたってガス抜きさえしておけば、いつだって大衆の心情は安泰であることは、彼らが一番、よく知っている。
「週刊文春」6月21日号
●以下、読売新聞オンラインより
小沢氏資質、妻が告発…「放射能怖くて逃げた」
2012年6月23日(土)09:13(読売新聞)
昨年3月11日の東日本大震災後に、小沢一郎元民主党代表(70)の妻(67)が支援者に宛てた手紙の中で、小沢氏が「放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました」と指摘し、小沢氏に対する不満を吐露していたことが22日、分かった。
「一番苦しい時に見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本の 為 ( ため ) になる人間ではないとわかり離婚いたしました」として、小沢氏の政治家としての資質を疑問視している。
手紙は今月中旬に週刊誌が報じ、民主党所属議員などの間にも出回っている。小沢氏の言動に不信感を抱く議員も出ており、小沢氏が目指す新党結成の動きにも影響を与えそうだ。
読売新聞が入手したのは手書きで記された11枚の便箋の写し。被災地の衆院岩手4区を基盤とする小沢氏の地元支援者に宛てた文面で、東京電力福島第一原子力発電所事故を受け、昨年3月16日の朝、東京都世田谷区の自宅を小沢氏の秘書が訪れ、「内々の放射能の情報を得たので、(小沢)先生の命令で秘書 達 ( たち ) を逃がしました。先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えて下さい」と言ってきたと明かしている。
同21日には書生が「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と伝えてきたと指摘し、小沢氏側が、行政当局から独自に未公表段階の情報を集め、行動していたのではないかと推察している。小沢氏が同25日に自宅のある東京から「旅行カバンを持ってどこかに逃げ出しました」とも記している。
小沢氏が初めて地元入りし、盛岡市の岩手県庁で達増拓也知事と会談したのは同28日だった。妻は、それまで小沢氏が地元入りを避けていた理由について「放射能がこわくて行かなかった」と断じている。妻の関係者は、筆跡が真正のものと証言している。
以下、妻の手紙より
未曽有の大災害にあって本来政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて、秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。
三月十六日の朝、第一秘書の**(本文は実名)が私の所へ来て「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書達を逃がしました」と胸をはって言うのです。あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えて下さい」と言うのです。
国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げだすとは何事ですか」と怒鳴りました。**はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。小沢は「じゃあしょうがない。食料の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。
三月二十一日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と書生が言いに来ました。しかしそのような情報は一切発表されていませんでしたので、私が「他の人と同じ様に水道水を使います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。三月二十五日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。
天皇、皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称して釣りに出かけました。千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。
続けて、読売オンラインより
議員失格・ついていけぬ・不信…切り崩し工作も
2012年6月23日(土)17:49
民主党の小沢一郎元代表の妻が支援者に送った手紙が、社会保障・税一体改革関連法案の衆院採決で揺れる民主党に波紋を広げている。
小沢氏は手紙で「放射能が怖くて逃げ出した」と指摘されており、執行部とも小沢グループとも距離を置く中間派から「もう小沢氏についていけない」との声が上がっている。新党結成を視野に入れる小沢グループは、手紙を使った執行部側の「切り崩し工作」とみて警戒を強めている。
民主党内で問題とする声が強いのは、昨年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、放射能漏れを恐れた小沢氏が秘書を連れて逃げたとの記述だ。
福島県選出で中間派の増子輝彦参院議員は「内容が事実だとすれば、小沢一郎という政治家に対する考え方が大きく変わる。『信念を持った強い政治家』というイメージは作られたものだったと言わざるを得ない。国民の間には強い嫌悪感、不信感が生まれたのではないか」と語った。
小沢氏に距離を置くベテラン議員は「多くの議員が現地に赴いた中で、本当に逃げたのだとしたら、議員失格と言われてもやむを得ない」と指摘した。野田首相に近い副大臣も「これでは輿石幹事長もかばいきれないのではないか」と述べた。
これに対し、小沢氏が会長を務める「新しい政策研究会」の東祥三事務総長は「手紙の内容は事実ではない。逃げたと言われる昨年3月25日、小沢氏は東京にいた。消費増税や原発に関する我々の主張を支持してくれる国民に、この手紙が影響を与えることはない」と一笑にふした。
続けて朝日新聞オンラインより
菅氏「小沢氏の駒になるな」 ブログで訴え
「小沢グループと呼ばれている皆さん、小沢氏の個利個略のために、駒として利用されることがないように、目を覚ましてほしい」。菅直人前首相は23日付の自身のブログで、消費増税関連法案への反対を明言している小沢一郎民主党元代表を痛烈に批判した。
昨年6月、小沢グループは菅内閣への不信任決議案に賛成しようとしていた。これについて「目的は小沢氏の思う通りにならない私を引きずり下ろすため。今回もテーマは違うが目的は全く同じ」と指摘。さらに小沢グループの所属議員たちを「小沢氏個人の駒として使われているという構造は変わらない」と評した。
ブログは、小沢グループ所属議員への呼びかけで結ばれている。
「小沢氏の呪縛から離れて、自らの判断で、行動してほしい」
母の用事で鎌倉市役所に参ったのは、先月に続き二度目だが、今日は雨も降っていたことだし用事を済ますとそうそうに帰路につく。だが、近日中に、別途書類を作成して、もう一度来なくてはならない。
2012.06.19 鎌倉市
小町通り
江ノ電鎌倉駅