赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼生まれ変わってバカになる

2024年04月25日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

ま、今日のところは、とりあえずタイトルのみで申し訳ないが、このタイトルにこめられたわが人生の意味こそ、七十五歳になったバカの現在の思想生理に及ぶ認知現象のすべてだと思っている。さても先日の健康診断では対面し診察してくれた医師より血圧が高すぎるとのお達しがあったところなり。あせ あせ・・・こんなこと、あんなこと、総じて、利口者とはいい難し。いっそ、俺様はバカの典型例だと言い張って、この先の世間を渡っていったほうが、なんぼか気が楽だと思った次第である。

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▼ヴォーカル大好き<早春賦>

2024年03月25日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

三月も末となり、花はまだかと思うばかりにて、それにしても
ああ~、今年ほど春本番の到来が待たれてやまないことはない。
このところカラオケ屋に行けばまずは最初に歌う一曲は
文部省唱歌の『早春賦』である。

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

 

以下、むかし撮った写真・・・

017.04.06 川崎市  小田急線にそって生田駅から登戸駅まで歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.04.07 川崎市   南武線にそって府中街道を武蔵小杉駅より川崎駅まであるく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.03.23 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.03.25 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.04.08 品川区~大田区

池上通りはこぬか雨がふっていた。大井町から大森さらに東急池上線池上駅まであるく。その後多摩川のほとりまで出たようだが記憶に定かではない。今日はあるきながらいささか呑みすぎてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.04.02 上野  日光街道を千住より上野新橋まで歩く。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼カラオケ屋の帰り道

2024年03月07日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、あいかわらず昔の記事の再掲で申し訳ない。

 

2017.02.09 横浜市

 

 昨夜から、「蛍の光」が繰り返し脳裏を流れていた。時節柄か。そこで今日のカラオケは「蛍の光」を中心に唱歌を主として選曲し声を張り上げてきた。「蛍の光」「仰げば尊し」「荒城の月」「花かげ」「十五夜おつきさん」などなど。

 

 

 

2017.02.17 川崎市

 

  

 

 

 

 

 

2017.03.03 横浜市

 

 

>演歌は時代遅れ

その俗論はよく耳にするところですがカラオケの実態を見てみれば、世代にもよるのでしょうが実際に歌われている多くの曲がいわゆる懐メロや流行歌が多いのではないでしょうか。カラオケシステムに登録されている曲数は、どのメーカーのシステムでもおおよそ3000曲余りと聞きますが過半数は演歌・流行歌の類のようですよ。昔の流行歌は誰にでも歌い易くできているからでしょうね。さらに唱歌はもっと歌い易い。

わたしは中島みゆきのファンで彼女の歌はどれもこれも大好きですが、今のところは聞くだけですね。もちろんみゆきさんの曲はカラオケにも登録されていますが、いざ歌わんとしても難しくてとても自分では何一つ歌えません。


> それと演歌は日本の音楽ではない。

滝廉太郎の「荒城の月」にしても日本の音楽ではなく西洋の声楽だといえば言えなくもないのですから。明治以降、和洋折衷があらゆる文化芸能分野で計られたのですから。せんもないことです。日本的な音楽といえば、小唄、長唄、清元、浄瑠璃ぐらいなものだったのですから。楽器は三味線、尺八、笛、太鼓に限られています。各地の民謡、盆踊り歌なども多くは明治以降に作られたもので、すでに十分に「洋」が入っているのです。

 

 

 

2017.02.06 川崎市 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしのばあい、あと数年はカラオケ三昧だ。健康ならば75歳まではカラオケ声楽を満喫できるだろう。それが終わったらMOKU氏(『転居のいきさつ』新潮社)のように小説を書こうと思っている。これで生涯の総決算だ。言っておくが、あとは野となれ山となれが拙者のモットーだから葬式墓場は無用だ。

 

 

 

 

2017.02.23 横浜市

 

 

 

 

 

 

先ほど上のように書いたが、いくら健康であったとしても75歳から小説を書きはじめるのは遅すぎるような気がしてならない。今や夢中になっているカラオケも後二三年たてば飽きてくるにちがいない。そんな気分になったらもうけモノという按配で、そのときはさっそく小説を書き始めようと心得る。いっそ満七十を境にカラオケから文学へと転向するのがよいだろう。そんなことを考えていると、ますます、わが老後が楽しみになってくる。取らぬ狸の皮算用だという周囲からの声が聴こえてくるがまっ何が起こるかしれたものではない。

わたしの一人カラオケは、ただ歌うことを楽しんでいるというよりは、よほど音楽と声楽の訓練、またボイストレーニングであることを念頭においている。こうして連日カラオケに通うようになって半年ほどがたち自分から言うのもなんだが成長は著しい。

昨日もそうだったのだが最近はマイクを使わない。伴奏はスピーカーから流しておき歌声は生のままで勝負できるようになった。若い頃からのわたし持ち前の朗々とした歌声は、マイクなしでも部屋中に響き渡る。

また最近は声の調子さえよければほぼカラオケシステムが設定している通りの原曲キーのまま歌えるようになった。素人には高い音がでないものだから設定されているキーからフラット一度か二度は下げて歌うのが一般的だ。

さらに先日も申したことだが流行歌よりは唱歌を好んで歌うようになったのも音楽の妙に近づいてきた証拠だと思っている。流行歌は誰が歌っても上手に聴こえるようにそもそもがそのように出来ている。それは「こぶし」と「ビブラート」を多用しているからだ。

クラシックの声楽曲にこぶしやビブラートはまったくないとは言わないが過小である。あくまでも正規の音譜通りに声をどこまでも伸ばしていかなければならない。それに流行歌のばあい、音程差がすくない。たとえばナポリターナとして有名な「オーソレミオ」や「サンタルチア」にしても、その音程差は唱歌や流行歌の比ではない。

わたしの最近の成果は「荒城の月」をハイバリトンで歌い上げることができるようになったことと若い頃からの憧れの歌ナポリターナの何曲かをカタカナ風イタリア語で歌えるようになったことだ。

 

 

 

 

 

2017.03.07 川崎市

 

 

  

 

 

 

 

 

結局、今日はカラオケ屋を二軒はしごし、またぞろ唱歌を歌ってきた。



十五夜おつきさん

     作詞:野口雨情
     作曲:本居長世


十五夜おつきさん ごきげんさん
ばあやはおいとまとりました

十五夜おつきさん いもうとは
田舎にもられていきました

十五夜おつきさん かかさんに
わたしはもいちどあいたいな





替え歌を作った。


十五夜おつきさん 鈍角さん
屋台のおでんが大繁盛


十五夜おつきさん 泥炭さん
人付き合いにはこりごりしたと申します


十五夜おつきさん 渡邊さん
モクモク文書改編中


十五夜おつきさん やすまるさん
もいちどわたしはあいたいな


十五夜おつきさん ヨニウムは
ふんどし洗いに銭湯にいきました


十五夜おつきさん ピージーエムは
すべってころんで大分県


十五夜おつきさん かもめさん
数え70になりました


十五夜おつきさん 政幸君は
焼く肉食いにいきました


十五夜おつきさん MOKUさんは
田舎にもられていきました


 

 

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▼野良と交番

2023年10月12日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2002.12.15  世田谷区 

 以下も大昔の記事につき、恐縮至極。

 おい、そこを行くネコくん ネコくん。ちゃんと 横断歩道を渡りなさい。交通ルールを守ってネ。

 うっるせいなぁ。あの声はこの秋より本署から左遷されて交番勤めしている交通課のオマワリだな。へっ、知ったことか。アホ種ヒト科のガキと一緒されてたまるか。おいらは、毎日、いかに食っていくかで必死なのさ。今は、道路のあっち側に渡らなければ、おまんまに見放されるってなものだろう。今日は日曜だから車も少ない。週末ぐらいなものだぜ。こうしてゆったりと道路をわたれるのはよ。
 ネコの事情もしらないで、バカの一つ覚えみたいに、なにが交通ルールだ。ネコにはネコのルールがある。機会があれば、交番に入っていって講釈してやってもよいんだが。あいつらに聞く耳があるかどうか。
 そういえば今年はまだサンマを食っていないな。去年は二匹ほど食ったが、この不景気では今年はあきらめなければならないか。まったく世知辛い世の中になったものだぜ。おい、そこのオマワリ。おまはんは今年、サンマを食ったかね。ネコのために頭と尻尾ぐらいは残しておけよ。それが昔からのルールだったぜ。今はなんだい、ネコのことも考えずにあらかた捨てっちまいやがってよ。
 それも誰にも触れさせない見させないとばかりに後生大事に包み込んでから捨てるってか。においも嗅がせないうちによ。そこまでオラたちネコを小馬鹿にするのか。てめたちだけ小ぎれいに暮らせればそれでいいってんだからな。いくらなんでもアホ種のヒューマニズムにネコの存在を考慮しろとは言えないけどよ。ヒト科ばかりにのさばられたんでは、世も末だぜ。
 まあ、小難しい話をしても交番のオマワリはんにはわからんだろう。そこでオマワリさんよ。こうとなったら取引だ。サンマの頭と尻尾をここに持って来てくれるなら、きちんと横断歩道を渡ってやらないこともないんだぜ。

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▼秋深しのぞき見ている野良の朝

2023年09月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2011.11.09 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼真夏の夜の蜘蛛の巣城

2023年07月31日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

フルつぁん、許せ。相変わらず、昔とった写真集だ。

 

2012.08.01 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼謹賀新年

2023年01月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 明けましておめでとうございます。

 

        令和五年 元旦

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▼有馬街道

2022年12月05日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、昔の記事で恐縮だ。つい先日も、下の街道を歩いてみた。冒頭の写真に写っている商店などは軒並み昼間からシャッターを閉じていた。写真は五年前のものである。この道を、20分ほど行くと東急の鷺沼駅にぶつかる。

 

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2017.04.20 川崎市 

本日は他にやることもなく東急田園都市線の鷺沼駅より南武線武蔵小杉駅をめざして有馬街道を南下した。

 

 

 はなみずき

 

 

 

 さきほど例の赤っ恥掲示板に書き込み候や以下の記事をば投稿せむ。

 
>上智大の渡部昇一名誉教授に訃報。

半年ほど前のこと、書店で渡部昇一さんの近著を立ち読みしていた。新書版だったと思うが書名はわすれた。おそらく当のご本が彼の遺作となったであろう。老人問題のことが書かれてあった。なぜ、近年、日本人はこうも長生きするようになったのかという命題に、一言の下に答えられていた。たくさんの人々が、ああでもない、こうでもないと中途半端な俗論を小出ししてくるばかりで、老人問題には食傷気味の昨今。さて、みなさんはどう思われるだろうか。それは何と言っても、電化による冷暖房完備のせいだと渡部教授は書いていた。ヒトという動物だけは、とりわけ現代日本にいたっては、めったに寒風にさらされることも何時間も酷暑にさらされることもなくなった。年中常温の温室のなかに入っているようなものなのだから、そりゃなんぼでも生きられるだけ生きられる・・・ようになったのである。これは屋内で飼われている犬猫のペットも同じで、昔に比べれば彼らの寿命も倍は増えていると聞く。もちろん冷暖房機器ばかりではない。電気釜、電気洗濯機、電気冷蔵庫等々の家電の普及がヒトサマの寿命をどれほど、のうのうと延命させているかは自明のことであろう。

 

 

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▼野良と街

2022年11月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

再三再四、旧い写真ばかりを持ち出して来て申し訳ない。
なにしろ、今や私はカメラもないし、写真など取りたいとはこれっぽっちも思わないのである。
ただ、むかし自分が撮った写真を、自分で懐かしがっているだけなのである。

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2014.11.03 足立区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼ぼうじぼったれ や~まいも

2022年11月23日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

昨日と同じで昔の写真なれけれど・・・

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今日は、例によって夜勤明け格安レンタカーを借り出し母を訪ねた。母の病室のロッカーを覗き込み、数日前に買っておいた冬物衣類を詰め込み、担当の看護師さんが用意しておいてくれた段ボール箱に夏物衣類を詰め込んで、これを持ち帰ってきた。

2013.11.16 熊谷市

 

 

 

 

 

 

南天

 

 

 

 

 

 


病院からの帰り道、たばたの中の街道筋に懐かしい、ぼうじ棒が柿の枝にぶら下がっていた。古来、農村には日本版ハロウィンとも言うべき年中行事があった。芯にサトイモの茎を入れ藁を巻き、細縄で外側を縛り上げ野球のバットのようなものを作る。持ちやすいように、手元に輪っかをしつらえておく。よかったと思うのは、子どもたちめいめいが作り上げるまで、いっさい大人は手出しをしなかった。これを作り終えると幾人かの子どもたちの集団が秋のある夜に村の農家をねり歩き、その庭先である決まり文句を歌いながら、ぼうじ棒を振り回しては庭の地面にたたきつける。パァ~ンパァ~ンと大きな音がする。ややあって家の主人が出てきて子どもたちに、お菓子をふるまってくれるのである。ぼうじぼったれ や~まいも~ ぼうじぼったれ や~まいも~と、それだけを繰り返していたように覚えている。その夜は、決まって月が出ていたような気がする。中秋の名月と、なにか関係のある年中行事だったのか田舎や。はたまた魔よけの占いか。さては収穫の喜びか。

 

 

 

 

 

 

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▼秋はてむ花見月

2022年11月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、だいぶ昔の記事にて恐縮なれど

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今日は勤務日。最寄り駅より職場まで行く途中に小規模の公園がある。片隅にはなみずきが植えられている。みるみる赤く色づいていたので、今朝は、ぜひとも、この色づきたるハナミズキを写真に撮ろうとカメラをぶら下げて出勤した。

 

2013.11.23 足立区

 



 

 

 


 

 

 

 

 

  

 

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▼わたしが嫉妬した野良の風格

2022年08月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、今や十年前の記事なのだが・・・

 

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2011.04.24 川崎市 多摩川堤

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.

 

 

 

 


桜の次に開花するハナミズキ

 

 

 


川向こうのビル群は世田谷区二子玉川駅周辺
いわゆる「開発」がさらに進んでいると聞く



 

 

 

 

 

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▼新しいみどり みどり みどりが萌える

2022年04月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

今日は初夏のように暖かく 
なにもかもが陽光に照らされる中
隣町のカラオケ屋までバスにのって出向いた

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▼謹賀新年

2022年01月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

  明けましておめでとうございます。

   

             令和四年  元旦

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▼古本屋の帰り道

2021年12月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、昔の記事だが、さすが三島由紀夫だ。根源にある問題、根本的な問題から目をそらさない三島の罵倒から、そのことに気が付かされる。「きけわだつみのこえ」も最初の最初から特権階級の子弟の感傷ではないか。笑わせるな。こちとら百姓あがりだ。

 

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2015.08.08 横浜市

 

 

 

 

思うに、『きけわだつみのこえ』と名づけられらた、この一冊ほど戦後日本を象徴するものはないだろう。戦争に反対し進歩と平和を願う戦後日本の若き男女のバイブルと化して久しいのである。

発刊当時、さすがに三島由紀夫ばかりは、この偏向した偽善的特権思想を見抜き次のように罵倒している。

テメエらインテリだから偉い、大学生がむりやり戦争に狩り出され殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなるんだ

 

 

 

 

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