以下、2002年当時の某掲示板より
●スギ券
僕ちゃんのの掲示板の読者ののみなさま。あけますておめでとさんだす。ご挨拶が遅れました。遅れた理由はたいしたことではないのですが、年末の父母の田舎スティ・年越し外泊のつきあい等々。うるさくてやりきれません。ふんで、まさに「当直明け」状態で、寝正月でした。
実は母の方が年末に「入院」と言われ、「それはないやろう」と、こどもの立場でストップかけました。GHには訪問診療のドクターが最低月二回診察し、主治医としての判断がありました。
でも今回は年末ゆえ、そして発熱していましたので、「なにかあったらたいへん」ということで「主治医判断」で保佐の息子にも了解なく、入院に連れて行って、というのです。「おかしいやないか」、といえるのは介護保険証をもつ息子医者だからでしょう。
・・・ということで息子が父母の主治医になりました。いっぱいいいたいことや書きたいことがあって、これらの制度矛盾を自らの体験として持っていますが、暴露的なものになりますのでやめます。
そんなこんなで年賀状は一切だしません(だせません)でした。年賀の挨拶ができませんでしたことを、古腹様とてるさん、どうかお許し下さい。ふんで、日本小児神経学会の理事・評議員が定年になります。これを皮切りに全国区の仕事から手をひこうと考えています。
●古腹
テルテルさんをはじめスギ券先生のファンのみなみなさま。あけましておめでとうございます。さて、わたすはわたすは新年そうそう、またまた例の「奇跡の詩人」のビデオをみて感動を深めたところです。
●スギ券
さて古腹さん。常に冷静ですじみちを大切にしてきた古腹さん。僕ちゃまは昔っから、あなたの大ファンだす。ふんで今回のかきこみの主旨や想いもよく理解できます。でもやっぱ、僕ちゃまは奇跡の問題についてばかりはテルテルさんの論理に賛成します。そすて「奇跡であるかないかは、テレビののNHKをみただけで一目瞭然だったのだった」というテルテルさんの一語が、強烈ですた。僕ちゃまとしても、「奇跡の詩人」のうそを追及したころは僕もまだ若さがあったのでしょうか絶対に許せない、と思いました。今回は「語り」のなりゆきを後ろの方から見物している自分の姿をみました。ああ、児玉ドクターも滝本弁護士も、そして僕ちゃまも老いたのでしょうか・・・・・
●古腹
スギ券さん、こんにちは。お元気そうでなにより。それで、さっそくですが、上の記事で、あなたは次のようにおっしゃる。
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「奇跡の詩人」のうそを追及したころは僕もまだ若さがあったのでしょうか
絶対に許せない、と思いました。
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「奇跡の詩人」と銘打ったテレビ番組がNHKで放送されたのは、いまや約十年前のことなりき。十年がたった。当の番組の主人公、日木流奈さんも、いまや22歳の好青年。スギ券さんは、「うそ」だと追及したのだという。なにが、ウソだったのですか。わたしはあなたの当時の脳内妄想こそ、多大なる「うそ」だったと思うのですよ。やはり、いまだに「絶対許せません」か。よく考えて御覧なさい。己の当時の脳内妄想を、はてまた若気の至りといえば、許されようが、その独特の進歩主義的イデオロギーを。わたしがおもうに、なにもかもが、あなたの「うぬぼれ」だったと思いますね。自分は医師資格者だという。なんですって、文章もかけるのですって。そりゃ傲慢でしたね。いかに自分が権威を鼻にかけて、偏見にみちた差別をしているか。してきたか等々は、案外に、老いても、老いても、自分では気がつかないものですよね。ま、それが老いた証拠だといわれれば二言もなしでしょう。考えてもごらんなさい。当時スギ券さんが頭ごなしに、「うそ」だと糾弾した、日木流奈さんは12歳でしたよ。その流奈さんが書いた本がありましたね。「人が否定されないルール」日木流奈著(2002.05.07刊 講談社)でした。スギ券さんも、一度、お読みになってみたらどうですか。
●スギ券
意見を書くのはよしとしよう。どんなレベルののでも納豆。ただし、小児科医資格者としての、わたすに対すてのの、汚い言葉やいいかげんな呼び名で記載するのはやめることだな。老いたりとは言えども、わたすも、これでも国家公認の小児科医資格者だっつーの。わたすをして券吉呼ばわりでは、せっかく当掲示板にアクセスしてくださるわたすのファンの皆様が「不快」になる。
もし、わたくすこと、杉本のの券吉を攻撃するのが目的に、当掲示板に、かきこみされるのであれば、わたすのことをへいへいと、券吉さん呼ばわりして、反省もなきような、イデオロギーの半キチガイにも等しい以下のお人のカキコはすべて消す。以上、わたくしこと、杉本券吉が、万感のお思いを込めて、宣言たてまつる最初で最後の管理者としての注意である。 ふんで、上の古腹さんのの記事は削除すますたよっと。
よって、わたくしこと小児科医杉本券吉ファンのみなさまにおかれましては、これからも、どんぞ、安心して当掲示板に、お書き込みくだされませ。ああ、今日は、さんざんな一日だった。ふんで、わたくすこと、小児科医のの券吉様をして、攻撃してくる、同年代のの、これ、古腹よ。いざとなったら、おめさんを営業妨害で訴えてやるつもりだから、そのつもりでいろっつーのよね。あせ あせ さって寝よ。
●テルテル
「奇跡の詩人」といっても、今となっては、知らない人も多いと思うので、一応、関連のサイトをリンクしておきます。
トピック21
NHKスペシャル「奇跡の詩人」パート2 ~日木流奈くんについて~
http://hp1.cyberstation.ne.jp/negi/DEMO/topic/t021.htm
奇跡の詩人 FAQ
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/kiseki_faq/
●スギ券
ああ、テルテルさん、ありがとう。過去ログを公開してくれたおかげで、多少はわたすの正当性も、ファンの皆様には分かってもらえたと、思っています。久しぶりの古腹様が、わたすのの掲示板に書き込みされたお正月。一時はどうなることかとひやひやすますた。
いい年こいてアルバイトをやっている古腹君ごときにわたすのわたすの医師としての人格まで否定されてしまっては、元も子もあるません。あのね。てるてるさん。だっから、わたすはわたすは最初っからネットなんか、やりたくはなかったのだった。
わたすの本音を言えば、当初から掲示板なんかやりたくは、なかったのだった。どこで、どう道を誤ったのか。「奇跡の詩人」問題を論ずる第一発見者として、ネットに面を出してみたところ、まんずまんずの調子であったのだった。ところが、あにはからんや。古腹様によってわたすの掲示板への営業妨害じみた書き込みが始まったのだった。
それよりもなによりも、奇跡の詩人がウソをこいたことが悪かったのだった。「奇跡の詩人」問題以来、わたすはわたすは医師としての、信用をすっかり失ってしまっただす。
京都のの祇園付近では、すっかり、わたすはヤブだとか間抜けだとかの噂が立っているという噂を耳にしたところだす。それが証拠に、わたすのクリニックのの方には、さっぱり患者様が、来てくれません。日に一人か二人あるかないかの状態だす。そこで、これ息子よ、おめさんは、なぁーにをやっているのだね。小児クリニックとネットのの掲示板と、どっちが大事なのだ。あ~ん、とただいま入院中の老母から意見されてしまったところだす。
それに、わたすは、若い頃から臨床よりも研究のほうが魅力的であったのだった。それも医療と社会のすり合わせ。もっと言えば医学と政治のすり合わせこそ、現代における最大の問題だったのであったのだった。理論的に、そこを解明することこそ、わたすの研究と言えば研究課題なのであったのだった。
だが、この世は衆愚に満ちている。よするに医者以外のすべての人間は病人なのである。なんらかの病気を患っている。よって医師こそ、彼ら患者どもの全面的な教師にならねば、おっつかないのである。都市はすべてこれ、医療都市として再構築することが必要だ。先端的国家を標榜するならば、都市の施設という施設は、すべてこれ医療を優先しなければ、話にならないのであったのだった。
町を病院だらけにしていいのかという批判は甘んじて受けようが、現代社会というものは、極言すれば、患者と医者しかいないのである。今日のように、医者の権威が失墜しては、医療技術が遅れるばかりで、日本もやがて野蛮国になってしまうのだ。患者は医者を信用せずに、医者の言うことを聴かなくなる。そのような世の中になって、いいのか。こうした反進歩の思想は着々と進んでいるのだ。
繰り返す、医者の権威をとりもどし、病人やら障害者は片っ端から必要な施設に収容して、必要な治療を受けさせることが肝要である。
これらの実際を社会的理論的に解明するのが若い頃からの私の夢なのであったのだった。じゃが、わたすの本当の気持ちなど誰も分かってくれやせぬ。このままでは世界は障碍者と病人だらけになる。それで良いのか。そこが問われているのであったのであった。あせ あせ さって寝よ。
●テルテル
今回の件は、長年興味を持って見続けてきた分野だけに、ちょっと待って下さいという意味で書き込みをしました。この件で古腹さんと議論をするつもりはありませんので悪しからず。すかす疑問があるなら、なんぼでもお答えしますよ。第一、テレビののを一目見ればわかるでしょう。老いたりとはいえど、もともと頭のよい小児科医ののスギ券先生なら10秒以内に頭のてっぺんから湯気が出でしまいます。奇跡の詩人一家はどのように微妙な動きを感じ取って通訳しているのでしょうか。手が離れた間はどう感じとっているのでしょうか。空気の微妙な振動でしょうか。微妙な動きは音波となって空中を飛ぶのでしょうか。・・・そんなことは起こり得ないのは自明のことだす。私は文字盤でコミュニケーションが取れる人を何人か知っています。しかし、その方法は奇跡の詩人の方法と完全に異なります。家族しかサインを理解できない場合もありますが、慣れてくればヘルパーでも会話できる場合もあります。また、ことばの変換速度は非常に遅いです。当人以外の誰も真似できていないし、その原理も明らかにされていない事実があることを認識する必要があります。本当であれば堂々とその成果を論文にし、テレビにも出ればいいと思います。自分だけの技にせずに皆に広めればいいでしょう。「奇跡の詩人」を否定することが、なぜ幼い少年の表現する権利を奪うことになるのか私には理解できません。当時多くの人が批判したのは、その手法がでたらめであることを科学的な視点を含めて述べたにすぎません。何も障害児が考えていないとか、ことばを発することができないとか言ったわけではありません。ましてや障害者が表現する権利を奪ったものでもありません。なぜなら、NHKの映像をみれば一目瞭然だからです。どうか皆様、古腹さんの議論にかかわるのはバカらしいと言わずに彼の考えに異議ありをご表明願います。
●古腹
テルテルさん、こんにちは。さて、あなたは次のようにのたまえり。
>なぜなら、映像をみれば一目瞭然だからです。
ここが問題なのですよ。テレビの映像を見ただけで、そこに写されている人の脳内の状況の神経細胞の動きが、どうなっているかなど、分かったものではないと思いますよ。言葉の発生の最初は、脳内のことですからね。人様の脳内状況は、どのような専門家でも、外見をみただけでは、仔細には分からないものではないのでしょうか。もちろん、医者にも。
わたしに言わせれば、あなたが「映像を見れば一目瞭然」だと断言されてしまう、そのことの意味を、よくよく考えなければなりませんよ。医者が、患者を映像を見ただけで、病名を断言することができますか。大真面目に、また大威張りで病名を当てたと、法螺を吹く馬鹿な医者がいますか。わたしが心配なのは、映像に写された少年のことではないのです。あなたの脳内の状態こそ、そもそも大いなる先入見と「ウソ」が含まれているような気がするのですよ。
映像を見ただけで一目瞭然だとは、それこそまるで、奇跡の世界ではありませんか。テルテルさんは、どこかの手品師か、教祖様みたいですね。あなたの偏見と差別根性が、表現され、力説したがっているだけだと思いますよ。
一般に、われわれの先入見の多くが、他者に対する偏見と差別に満ちていることは、あなたも知っているでしょう。誰しものことですが、よくよく己の古層にある偏見と差別根性だけは、見据えておくべきですよ。 たとえば、当時、2002年5月当時のことでしたが「異議あり 奇跡の詩人」なる本の出版に際して、おれにまかせろとしゃしゃり出てきた有田芳生氏(現参議院議員)の次のような書き込みありましたね。
「私は断言する。12歳の脳障害児がこのような大人言葉の本を書けるはずがない」
だが、彼の書いた日記等を調べてみると、当の少年の書いた本も読んだ形跡なし。書店で表紙だけは、見たらしいのですよ。当のテレビ番組も、滝本弁護士から教えられ、半月遅れの録画ビデオで見た程度だったのですよ。上の断言は、ビデオを見る前のことなのです。笑ってしまうではありませんか。
当時この手の思想薄弱なる薄っぺらい各界ブタ饅頭が寄り集まって徒党し偏見差別運動に与したものです。なにをして彼らは、これぞ攻撃対象だと思ったのでしょうね。じつに、おかしな現象でしたよ。やれ医者だ、やれ弁護士だ、やれ大学教授だと自称する皮を被って言葉を発する、きゃつらの脳内古層にある古くされた偏見意識が恥も外聞もなく丸出しにされてきたのです。
●今井幸政
おいスギ券。おめぇが病人を作り出しているんじゃねぇのか。国民はすべて病人であるってか。医者は社会の指導者だってのか。自分以外の衆愚はすべてこれ患者だってのか。冠者はすべからく収容するとな。それじゃ、病院列島になっちまうよっつーの。病院どころか収容所列島だ。おめぇはとんでもないヤロだ納豆。
ふんで、よするにだ。スギ券が、言ってることも、てるてるさんが言っていることも間違いじゃないけど、双方ともに、微妙な問題に対して言葉が足らないのだわさ。だからフルつぁんと口論となる。で、てめたちが負けが込んできて、世間に誤解がはびこる。だっから、まんず奇跡なんて、当時は当たり前の出来事だったから、奇跡を始めた御仁は、当時としては、全然間違いではない。結果として、奇跡に、してやられたから、奇跡的に国策を誤り、なのであったのだった。ベトナム戦争に負けたアメリカは、この、国策を誤りの反省がないから、いつまでも、テロの対象にされる。結果、日本は負けたのだから、当時の政治家の罪は重い。いまの政治家は、負けない政策を持つべきだ。政策がダメで選挙に負けたとしても、ダメな政策を実行した政治家の罪は重い。
奇跡に乗じているだけの国政議員連中が、この反日のの罪の重さを理解してるとは思えないから、少し議員は熟考した方が良いのであったのだった。だっから、奇跡問題と、歴史問題とののは、学者にまかせて、政治家は政治を語れば良いのに、不毛な歴史問題に足を掬われてるから、つくづく今の政治家は、バカだと思うよ。いまは、とりあえず、景気浮揚だけに専念すれば、奇跡もへったくれもないのであるのだし、皆、真っ青になるだべし。だっから政治家とか医者とかののは、ちゃんと、税金を貰った分だけ、働けっつーの。口ばっかり達者になりおってからに。医者は医療、政治家は政治。それだけで評価されるわさ。おのおのがたはなぁーにやってんだか。
●スギ券
あれっ。誰だ。今井とかいう、お人は。この手の匿名者は、こりごりだったのだった。ふんで、テルテルさん、テルテルさん。上の記事をのっけてきた、今井とかいう、お人は、いったいぜんたい誰なのでしょうや。なにか、正論じみた、ご意見をのたまえり。あせ あせ。
テルテルさん、テルテルさん、今井なにがしについて、知っていることがあれば、教えてくだされ。世の中には面白い人がいるものだすね。テルテルさん、テルテルさん。こんな人が、わたすのの掲示場に初登場したとあっては、わたすはわたすは、もっ眠るに眠れなくなるのだす。
●テルテル
ああ、あの今井君ですか。あの人のことは別に小児科医のスギ券が気にすることもありません。約十年前に古腹様の掲示板で二三度やりとりをすますたが、ようするに見ての通りのただの馬鹿です。当年とって齢62歳になりますた。耳にしたところによれば十年ほど勤めていた倉庫会社を会社規定により二年前に首になった次第だす。幸政の親戚の伯母から泣きつかれて会社としても仕方なく現在嘱託アルバイトとして使っているらしいのです。この役立たずを再雇用するについて給料は以前の半分ということで政幸の叔母と倉庫のの方の社長との間でめでたく妥結いたした次第だす。以後、当人としては、なんとか生きていこうと無我夢中。老後の蓄えを気にするあまり半キチガイになって株式取引に退職金のすべてをつぎこんでしまい、三井住友とかヤマト証券会社では、飛んで火に入る三段腹がやってきたって調子で、ようするに資本主義的カモとなっている次第だす。大日本帝国バンクの小口株主全集によれば、現在のところ今井政幸様におかれましては、含み益は110万。含み損は、400万という統計が出ています。なにしろ、この今井政幸という馬鹿は生涯、異性には指一本ふれたことがないというのが彼の自慢の元となっておるのだす。一円でも儲かればネットで自慢できる。この男にとっては、これだけだけが生きがいのようだすよ。この馬鹿は。だっから小児科医資格者ののトロント留学経験者のスギ券が、この手のアホを相手にびくびくしてては世も末だと思うばかりの今日のよき日のワンカップ。
●今井幸政
このバカたれ掲示板が!箸にも棒にも屁かっかるまい。この腐れ外道の連中が!もっスギ券にもテルテルさんにも芋は送ってやらねぇよっと。
今日のお昼は、わたすは、大好きな吉野家で、実は、この一週間だけの特別メニューののちらし寿司を食べたのだった。ご飯少なめバージョンなんだけど、それでもご飯が多いんだよね。うれしくなっちゃうよな。やっぱ、都内の、どこの吉野家に入っていっても、わたすの面を一目みるなり、わたすが、他ならない吉野家の株主であることを、アルバイトの皆が、知っているのであったのだった。ま、吉野家のちらし寿司のばやい、具も多いからいいんだよ納豆。がははははは、満腹満腹。
ふんで、問題はだ。日本の国債の格付けが下がったのに、思ったほどの円安にならんなぁ。円安になれば、わたすの投資信託ももうけが出るから、円安になってくれにゃいのかにゃ。フルつぁんも、あんまし賢そうじゃなかったし、もっ、フルつぁんには、芋も米も送ってやらねぇよ。
フルつぁんは、レベルが低い。若い頃からのの唯一のおともだちとして、世話を焼いてきたわたすにとっては、じっつに、情けない。ったく。
だっから、何度も言うのだすよ。あのねフルつぁん。株価の落ち込みが華々しいなだろっつーの。ギリシャが、どうもユーロ圏を離脱しそうだからこんなものか納豆。わたす的には、世界恐慌になっても、いっきに膿を出し切るため、ギリシャはユーロ圏を離脱すべきと思うけどね。ドイツ、フランスの銀行は倒産するやもしれんがにゃ。国債が格下げになったし、貿易収支も赤字なのに、円はちっとも安くならない。この先もうしばらくは海外資産を押さえておく必要があるということだろうか。
ふんでも、いずれ円安が見えているから、わたすも、有り金すべて外国預金をしておきたい気分。がははははは。すかす、民主党に景気回復策がまったくない。これで増税したら、やはり、日本はダメかもかも納豆。あ~ん。フルつぁんは、どすて、わたすが経済のことをまじめに「ご議論」している処に、茶々をいれてくるのであったのだった。あ~ん。少しは経済のことを心配すれっつーの。ったく。
ふんで、つい、こないだのことですた。わたすの会社が引っ越しするというので、今日は朝から、引っ越し準備にみんなてんやわんやなのさ。で、いらないものは捨てようってことになって、空いた段ボール箱に、よするに、わたすの会社の派遣さんたちが、いらないものをわんさか詰めてたりする。そんなさなか、足元を見ると、古いビデオカメラがあったのだった。ナショナル製のの。でかい録画テープを差し込んで、録画するタイプののの。ったく。二十年ほど前ののの。松下幸之助とかののの発案ののの。
こんなもん、誰も使わないから、お前がもらって使ってみたらどうだと、最初に、わたすに言ってくれた優しい上司がいたのだった。すかす、やっぱ、録画テープを使ってのののだから、わたすは別に欲しくは無い。最初はお断りをしたのだが、その後色気が出てきて、もらって帰ろうか、どうしようか、ずいぶん悩んだが、もらってしまうことに決心したのだった。その旨を上司に報告したところ、上司が言うのであったのだった。
自分ではつかいもしないのに、どうして、もらって帰る気になったのだと問い詰めてきたのであった。わたすは、大汗かきかき、弁明にあい努める羽目におちいった。どうやら上司は、わたすの心変わりを疑っているらすい。わたすのことを、しげしげと、あきれたように、眺めながら、ようは分からんが、よするに、そのビデオカメラを一種のジャンク品として研究材料にしたいと、こういうことかと、納得してくれたのであったのだった。
ふんで、会社の引ける夕刻近くになって、黙ってわたすのデスクの上に置いておいてくれた。なんと心優しい上司であることかと、わたすは思った。よするに納豆。あのねフルつぁん。だっから、わたすは、ほしかったのではなく、しかたなく受け取ってきたのさ。上司が捨て場に、困っていると思うと、なにかと手助けしたくなるのが、わたすの心の優しさである。結局、ゴミ同然のジャンク品でも、自分でなんとかしようと引き受けてしまうのが、若い頃からの、わたすの習性なのであったのだった。
ま、十年前に、わたすが犯した、いまや迷宮入りとなっている神奈川県警保土ヶ谷署管轄下になる、高級蓄音機詐欺窃盗事件のことを、思い出してみても、やっぱ、にたような経緯をたどった次第であったのだった。ふんで、わたすは、このビデオカメラを誰ぞにやって、それから返せなどといわれない良識人を、きちんと見極めてから、あげようと思ったのだった。
最初は、わたすの腹違いの伯母のところに問答無用で宅配便にして送りつけようかと、思った次第だす。だが、いまや株取引の思想的問題でじっつに剣呑な関係となってしまっている伯母に、ゴミ同然のジャンクもよいところの旧型ののビデオカメラを送りつけても、即座に送り返してくるに違いないのであったのだった。ったく。
だが、伯母の場合、フルつぁんほど物がわかっていないということはない。じっつに常識をわきまえた、わたすの可愛い親類縁者なのであったのだった。すかす、よするにゴミも同然の邪魔っ気なビデオカメラの処分を最終的にどうしようか思案しながら、ボストンバックに隠し立てして、神奈川県警保土ヶ谷署裏のアパートに戻ってきたところ、ちょうどゴミを出そうと家から出てきた町内会の会長さんに、ばったり逢って、会長さんから、おや、今日は遅い帰りですね、と声をかけられた。おお、そうだそうだ。このビデオカメラを町内会長に進呈しよう。
そうだ、そうだ、そういうことにしよう。向こうも、ほとんど必要ないと思うけど、なにか天変地異やもめ事があったときの証拠映像を撮るのに必要だといいくるめたら受け取ることじゃろ。そうしよう、そうしよう。町内会に、寄付しよう。寄付だ。寄付だ。今日のわたすは冴えてるのだった。まる。
次の朝ですた。町内会のゴミ収集場に、昨晩食ったほか弁の空き箱を捨てようと、扉を開けて入ってみると、案の定、昨日のビデオカメラが、ダンボール箱に丁寧に包まれて、捨ててあったのだった。めでたし めでたし、これにて一件落着。さって寝よ。
●古腹
おい今井。十年前のことながら、わたしが何度も何度も今井が持ち去っていった昔ながらの高級蓄音機を返してほしいというのは、なんの理由もない。ただ、返してほしいから、お願いしているだけだ。使っていないと今井が言うのを聞いたからである。私の家に取りにきたはよいが、使い物にならず、引き取りにきた三菱ライトバンの荷台に、そのまま一年余りのあいだ、放置しておいたらしい。あまつさえ、わたしと蓄音機を侮辱してきたのである。あんなゴミ同然のものと。そこまで言うなら、もう、わたしまで、返してくるいがいに、詐欺窃盗および泥棒罪を逃れる道はあるまい。さっさと返してきなさい。わかったね。わかってくれるよね。これこれ田子よ。これ田子よ
●今井幸政
わたすは田子ではあるません。だからネットよ。あのねのねフルつぁん、わたすは持ち去っていないっつーの。フルつぁんが「もってけ泥棒」と、わたすを小バカにするようなことを言ってきたのでわたすはわたすは、いっそフルつぁんがそう言うなら、その通りに、いかにも古風な手回し型のの高級蓄音機をフルつぁん宅から男らしく堂々と奪ってきたのであったのであっただった。「もってけ泥棒」と言ったのは、あれは冗談だったと、いまごろ言い換えても遅かった納豆。がははははは。ばかたれ。
なにが泥棒だ。さびしくも都会の片隅で世間からは隠れるように、日々ただすい童貞人生を送っている、わたすが一度や二度、魔がさして、たまたま泥棒に走ったとして何が悪い。あ~ん、貧乏人は黙ってっろっつーの。それほど言うなら、フルつぁんは泥棒とは、どゆことなのか3000字で定義しろ。のーたりん。
そもそも、フルつぁんのような素人には、泥棒の定義すら分かってない。あのね、フルつぁん。一度奪われた高級なすなものは、二度と返ってこないのよ。普通は。わたすの前で泣きまねしても、例のすなものは質流れ。それほど返してほしければ、yahooオークションを探してみろっつーの。わたすの親友tpkn君が、出品した後の祭りだ。
この際、泥棒とはなんなのか辞書でも引いてみろっつーの。人前で気安くわたすのことを大げさに泥棒泥棒と言うんじゃないっつーの。泥棒にも、いろいろあらぁーな。わたすにはわたすの流儀がある。あほたれ。食糧難に陥っていたアルバイトのフルつぁんには、これまでさんざんに芋を送ってやった恩を忘れたか。わたすが汗水ながすて奪ってきたすなものを返すも返さないもわたすの自由だ。わたすの泥棒のやり方に、不正規労働者のフルつぁんは口出しするな。泥棒の悲しい気持ちも知らないで何様のつもりだ。すっこんでろっつーの。この腐れ外道が。もっフルつぁんには金輪際、芋は送ってやらねぇよっと。
株価が面白いように下がっている。もっと下がらんかな。もっともっと下がれ。もっともっともっと下がったら、わたすはここぞとばかりに買うぞ。株は下がった時買えるかどうかが勝負だわさ。わたすには、もうわずかしか3株にまわせるカネがないのであった。ところで、わたすが三年前に倉庫会社よりもろおた退職金ののは、どこに消えてなくなってしまったというのであったのだった。わたすとしたことが、かえすがえすも面目ない。どうやら、わたすは株の泥沼にはまりこんでしもうたようだ。
だっから、あのねフルつぁん。今日は、わたすは松岡美術館に東京都庭園美術館、それに、そごう美術館と、歩き回って、あ~あ、ちかれたちかれた。わたすは美術館に行くと決まったように必ず図録を買うから3冊持つと重い重い。だっから、なんぼ教養のためとはいっても美術館巡りも1日3館が限度だわさ。日曜に美術館巡りするのは平日はむろん倉庫会社でのの仕事をやってるからで、もう社員じゃないが会社に行けばカネになるから仕事するのは仕方ない。わたすの楽しみはカネ儲けでもあるから納豆。
これから経済は、中国とアメリカの沈降で一気に恐慌に行くかもかも納豆。他人がなんぼ恐慌に陥っても、わたすはわたすは、のんびりと美術館巡りをしたいわさ。ふんで今年の美術館は見どころ満載。せめて今年1年経済がもってくんかな。来年、ヒラリーが大統領になっても、トランプがなっても共にアホだから政治経済はぐじゃぐじゃになる。日本は賢くスマートに不況を回避せねば。知恵を結集しないと納豆。ふんで、今日は、サントリーホールで東京交響楽団のコンサート。昨日ハードディスクを買わなかったので、夜22:00までやってるヨドバシカメラで買ってきた。2テラのの。3テラののを買おうとカウンターに3テラののを出したら、店員のお兄ちゃんが動作確認をしたのかと問うてきた。
わたすのテレビは東芝のだしハードディスクも東芝だから大丈夫だべと答えたら、2テラならどのテレビも動くが3テラのは最近のテレビでしか動かないという。何年前のテレビかと訊くから、6年前に買ったと言ったら、微妙だと。うーん。買っても動かないのならね。15000円の3テラのを止めて、12000円の2テラにしたわさ。コストパフォーマンスが悪いにゃこりゃ。ヨドバシカメラのカードを出して、現金を出したら、お兄ちゃんは、カード払いにすればポイントが多く付くと力説した。おお、そゆものか。知らなんだ。さらに、お兄ちゃんは、セブンでもファミマでも大概のコンビニでヨドバシカメラのカードを使えば1%ポイントが付くという。おお、そゆのは教えてもらえて嬉しいぞ。これからは、コンビニでヨドバシカメラのカード払いにせねば。こゆのは、ちりつもよ納豆。後で大きく戻ってくるんだよね。
不幸なフルつぁんには、すこしでも、わたすの幸福をわけてあげたいぐらいだす。ただす、わたすのことを、これまでさんざんに小ばかにしてきた高級蓄音機の件では悪うござんしたと、わたすに対して謝るべきことは謝る、いたって尋常な精神さえ見受けられれば、わたすも鬼ではないのだすから、ほんの少しだけならフルつぁんにも本当の幸福をわけてあげてもよいのであったのだった。わたすの部屋には大型液晶テレビが4台、その他白物家電が、ぎょうさん転がっている。いっとう古いテレビ(21インチ)でよいのなら、フルつぁんに、与えてあげてもよかったのであったのだったと、ふと考えた。
それにしても、3テラでも使えるように、そろっと最新のテレビを買い換えるかな。今度は、最低、65インチのが欲しい。たたみ一畳ほどの画面が欲しい。さすれば録画録画でテレビの前に釘付けだわさ。さすれば、わたすはもっともっと幸福になる。みんな、テレビを見て、ふんでいい番組を、かたっぱしから録画して幸せになろう。
ふんで、わたすはわたすはここんとこ録画ばっかしやってて昨日なんぞは、NHK教育の漫勉を録画した。ここんとこ、三井住友ののねぇちゃんからの連絡が、さっぱりない。待てど暮らせど一度もない。どうやら、わたすは市況から見捨てられてしもうたようだ。で、すっかり十年前の録画豚に戻ってしもうた。録画した漫勉は、帰ってから見なくっちゃ納豆。日曜には、WOWOWで、ZOOの一気見がある。夜中に。いまのハードディスクはそんなこんなでいっぱいになった。ハードディスクでの録画だから見たら消去して別のを録画するのを繰り返したら一台でまかなえるんだけど、現実、何度でも繰り返し見たいのもあるから結局積もり積もってハードディスクは満杯になるのだ。
横浜駅前のヨドバシカメラに行ったら、3テラで15,000円ほどで、東芝のハードディスクがあった。わたすが見てる42インチのテレビは東芝のレグザだから動作確認済みというかちゃんと録画されるべな。キャッスルの7シーズンをスカパーのFOXでやるからこれは録画せねばねば納豆。何台もハードディスクを抱えるカウチポテト生活だわさ。そんなこんなで、あぁ~あ、ちかれたちかれた。さって寝よ。
●スギ券
テルテルさん、テルテルさん。この際、上記の記事は、すべてこれ、わが半期違いの脳死臓器掲示板より削除すますたので、ご安心ください。テルテルさん以外の、わたくすことスギ券ファンのみなさまにおかれましても、どんぞ、心置きなく、わが半期違いの脳死臓器掲示板にて、人間とは、これいかにの主題に基づく、従来から引き続く、重要にしてかつ形而上学的なる、ご議論を、ご遠慮することなく継続願います。わたすはわたすは老いました。今や観るも無残というべきか。わたすはわたすは、どうやらだいぶ老いぼれて耄碌が進んできたもようだす。
よって、新年迎えるにあたり、昨日の書き込みとは違った方針、チェンジをもう一度ローに入れ替えて、静かに、かつ力強い進みを目指します。(弁解が多く、良く気が変わる単純な奴なのです)。65歳からの新しい仕事に取り組む意欲が沸々と沸いてきています。今年もよろしくお願いします。あせ あせ
それにすてもだす。仮面かぶって嫌がらせして意見が違うからといって、わたすののHP荒らしして、たのしいのかいな。あ~ん あ~ん。荒らしている匿名者の記事を消すことはいとわない。わたすが管理人様であらせられる限り、わたすの専権事項だ。それにネットで戦うことはいとわない。人生60年余、それだけで生きてきたので正々堂々と立場を明かして正面から意見をいえよ。PCの陰にかくれたりするなよ。
ふんで、これまで何度も宣言してきたように、わたすはわたすは、もっNHKののテレビは見ないことにしたのであったのだった。だからといって何もかも見ていないとは申せまず。やっぱ、スタップ細胞についての番組は見逃すわけには、いかないのであったのだった。
見ました見ました見ましたよっつーの。NHKのの小保方様とスタップ細胞ののテレビ番組を。こったらくだらない放送をして世の大衆をたぶらかそうとしているのがNHKだ。ふんで、わたすはわたすは、もっ決してNHKのの受信料は払わない決心を、再三再四宣言するものであったのだった。悔しかったら集金に来いっつーの。わたすのことを誰だと思っている。スギ券スギ券と気安く呼ぶなっつーの。馬券売り場じゃあるまいし先生と呼べ、先生と。若い頃は、英語で論文を書いたこともある。ったく。言っておきますが、年はとっても、わたすはわたすは国家公認の小児科医であらせられてたてまつるのであったのだった。あせ あせ さって寝よ。
●テルテル
スギ券さん。あなたがふらふらしてては奇跡の詩人をめぐる大騒動はどうします。わたすは慶応大学にいってまいりましたよ。以下はそのときのレポートだす。
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2002年7月×日
行ってきましたよ、三田にある慶應大学へ。こちらで森岡正博さんが授業を行なうという情報をゲットしたテルテルは、東京大学に続いて慶應大学に出没。東大、慶應といえば日本有数の歴史ある大学です。奇妙に偏差値の高い学校が続きます。
この授業で、森岡さんは4月に放送されたNHKスペシャル『奇跡の詩人』に対して、重大な問題提起をしていました。『奇跡の詩人』とは、放送から2ヶ月以上経った今でも現在進行中で物議を醸している番組です。歩くこともしゃべることもできない12歳の脳障害の少年、日木流奈(ひきるな)くんが、ドーマン法というリハビリプログラムを続けた結果、言葉を紡ぎ本を出版するまでになったというもの。そして番組放送直後に出版された流奈くん著『人が否定されないルール』はベストセラーになっています。
この番組がここまで物議を醸している理由はいろいろあると思うのですが、まず、流奈くんの言葉が母親の手を借りたFCによって紡がれているところにありますケロ。FCというのは、ファシリテイテッド・コミュニケーションの略で、介助者が身体的な介助をすることで、患者が文字盤等を触ってメッセージを綴るのを助ける方法のことです。問題となっているのは、流奈くんの言葉が本当に流奈くん自身が発しているものなのかということです。介助者である母親が、FCを使って発している言葉なのではないかという疑問が持ち上がってきているのですテル。
森岡さんはこの授業で、ビデオの上映はしませんでした。が、森岡さんが番組内容を具体的に説明していました。『奇跡の詩人』はインチキだと決めつけずに、なるべく中立をこころがけながらしゃべっていたのが印象的でしたけろん。以下、テルテルによるレポートにつき文責もまたテルテルにあるのだと思っています。
みなさん、どれくらいの人が『奇跡の詩人』を知っているかな?(このとき、ざわつく教室。学生のみなさんは一斉に森岡さんの方に注目)実際に『奇跡の詩人』の放送を見たことがある人どれくらいいますか? (このとき100人中5人くらいの学生さんが挙手。ボクも実は見たことがあったので、どさくさに紛れて挙手したケロン)
ぽつぽついますね。私は、知人の方からビデオを送って頂いて、この番組を見ました。放送後、NHKには賛否両論の意見が届いたそうです。「感動した」という声と「信じられない」という声は半々だったと言います。確かに、この番組を見て癒やされたという声もありましたし、インチキではないかという声もありました。
NHKスペシャル『奇跡の詩人』放送直後、『人が否定されないルール』(講談社)という本が出版されました。そして、『奇跡の詩人』放送から2ヶ月経って、それに疑問を突きつける内容の『異議あり!奇跡の詩人』(同時代社)という本が出版されました。この2冊を読み比べて見て下さい。(このとき教室前方の巨大スクリーンに、2冊の本の表紙がドーンと映し出される。すかさず書名をメモメモする学生さん)
流奈くんのご両親は、歩けるようになってほしい、よくなってほしいという一心で、朝から晩まで分刻みのドーマン法リハビリプログラムをしている。それはとても夫婦ふたりだけではできないので、ボランティアを募ってやっている。このドーマン法というのは、米国のドーマン氏という人が開発した脳障害児と健常児のための脳の発達をうながすプログラムのことで、時間も、人手も、お金もかかるんです。しかし、サイエンスの裏付けがあるものではない。いわば民間療法なわけです。それを講談社は書いていない。
お母さんの左手は、膝に乗せた流奈くんの左の手の甲の部分を、持つというより、上から覆って握っています。手はすごい早さで文字盤の上を動きます。(このとき森岡さんは実際に自分の左手に右手を乗せて、その状況を再現)
普段の流奈くんのゆっくりした動作からはまるで想像がつきません。お母さんが右手に持った文字盤が、素早く動いていることもあります。このとき、流奈くんの手を持つお母さんの左手より、この文字盤を持つ右手の方が激しく動いています。そして、文字盤を流奈くんの左手に叩きつけるかんじです。
(このとき森岡さんは持っていたルーズリーフを文字盤に見立てて、忠実に再現。両手を使って熱心に再現するあまり、マイクが持てなくなった森岡さん。司会の先生が見かねて、壇上に駆け上がってマイクをもってあげるという状態に。)
「お母さんが書いている」のではないかと非常に強く疑われるシーンです。あくまで間接証拠からですが。なお、介助者が文字盤等を使って患者の発語を助けるFCという方法に対しては、いくつかの国際的な学会から、人権侵害の危険性があるという声明が出されています。
検証本『異議あり!奇跡の詩人』はNHKの報道姿勢も批判しています。多面的な検証を行なっていなかったからです。報道の倫理の問題だから、これは当然考えてゆくべきことです。また、検証本では、日木家の家庭の問題には踏み込まないようにしようという意識が働いています。ドーマン法は、ご両親が流奈くんがよくなってほしいと思ってやってきたこと。お金をさき、時間をさき、この子を歩けるようにさせてあげたいと思ってやってきたこと。そんなご両親の気持ちがわかれば、大人の見識としては、外部からこの家庭のことを糾弾できない。
だけれども、このケースにおいては、ある種の児童虐待がないとは言い切れない。可能性は2つある。ひとつ目は、奇跡は本当に起きた。この子は本当に天才だった。ふたつ目は、流奈くん本人ではなく母親が言葉を指さしていた。もしこの後者の場合だったら、これは流奈くんの人権侵害なのではないか。
NHKと講談社によって、私たちは一家庭の問題を知ってしまった。この子の人権はどうなるのだろう。親による流奈くんへの大きな人権侵害が進行中である可能性はないか。日木流奈の著者名で、すでに数冊の本が出版されている。私はいま、この子のために、何らかのテストを受けてもらいたいという考えに傾いています。本当に流奈くんが書いているのか確かめるテストを。ただし、公表する必要はまったくないと思う。この家庭とその周りのみでやるべきことです。これは私個人の思いですが。ちょっと前までの先進国では、ドメスティックバイオレンスや家庭内暴力には、警察や法等の公権力は介入しなかった。公共の問題ではないからというのがその理由です。しかし、今は、それがひっくり返っていて、家庭の中であれ、暴力は暴力、犯罪は犯罪だという価値の転換が起きました。「家庭の中の出来事に我々は介入してはいけない」という社会に、我々は今いないのかもしれません。
しかし、お金をさき、時間をさき、この子を歩けるようにさせてあげたいと心から願う親たちに「お前がやっているのは暴力かもしれない。テストしろ」と外部から言えるのでしょうか?重い障がいを持った子どもに、奇跡が起きてほしいと思う親の心は、よくわかるからです。これは本当にデリケートな問題です。だが、いま私はやはりテストが必要ではないかという考えに傾いています。
以上 ああちかれたちかれたワンカップ。文字起こしで徹夜してしもうたわい。こうして衆愚どもがなんだかんだと騒ぐたびに、わたすことテルテルさんも、衆愚らが食え食えとすすめてくるので、ついつい浮かれておいしいキャベツを生のまま、むしゃむしゃと食ってしまうのであったのだった。さって寝よ。
●スギ券
テルテルさんテルテルさん。おひさしぶるだす。ふんで、ふんであぁ~んあぁ~ん。慶應大学における森岡正博教授の講演を文字起こししてくれてありがとう、とは言うものの、なにがどうしたのか、またどこが差別なのか分別なのかは一向にわかりません。それ以外のことがらについては、わたすはわたすは極左ヘイトの活動家の方から刑事訴追の恐れがあるので、いっさいがっさい証言を拒否します。ああ滅入った滅入った。あせ あせ さって寝よ。 あ~あぁ~ 若い頃は世界の小児医学会をまたにかけて華々しく活躍してきたものだったのだが、ここにきて急に年を取ってしまい、クズと化しカスと化してしもうたわい。わたすの人生もこれで終わりだ。
<2005.12.10 記>