赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼就学前後の話

2024年05月30日 | ■かもめ文庫

 以下、相変わらず大昔も大昔の話ばかりで申し訳がない。 

 

 先日、母に連れられて幼稚園に行った話しを書いたが、言い直しておく必要があった。私は幼稚園児ではなかった。幼稚園にも保育園にも通った形跡はない。あの日幼稚園に行ったのは、たまたまその日、入園説明会か見学会のような行事があったのだと思う。もちろん、そうした園の行事に私を連れ出したことは、私を幼稚園に入れることも、少しは考慮していたのだろうが当日のわたしの様子をみて、母も入園させることを断念せざるを得なかったのだろう。わたしなりに母の魂胆に察しがついて、これに激しく抵抗してみたのだろう。幼稚園の記憶は、その日だけのことで他には思いつかないし、誰に聞いても私が一時なり幼稚園に通っていたという話は出てこない。それより当時の父母の関係は非常にやっかいなものになっていて、のん気に長男である私を幼稚園に通わせるどころの話ではなかったようだ。

 だから、母も参考までに幼稚園に私を連れて行って見学してきたという程度のことかもしれない。私も就学前のこの時期は、記憶が錯綜している。しばしば北関東の父の実家で暮らしていたこともあった。都営住宅と父の実家とが入り組んで思い出され、この頃の時間の後先がかなり錯綜しているのである。今となっては、詳しい事情を母から聞き出すことも難しくなっている。弟と会って飲んだ折など、よく、この頃のことが話題に出るのだが、それでも、なかなか頭の中で上手に整理ができないのである。なにしろ長男のわたしの記憶が定かではないのだから、どうしようもない。いずれにしても、わたしは都下にあった都営住宅から小学校に入学したのだが、そこにいたのは二学期の終わりまでで、年が明けてすぐ都営住宅を引き払い、二度と、そこに帰ってくることはなかった。私たちの一家は父の実家の世話になることになったのである。父の実家は典型的な農家で父は、その家の次男坊だった。

 父の実家のある村の小学校に転入したのは一年生の三学期の途中からだった。母の手を引かれて戦前は父も通ったというその学校を訪れたのはもう一月半ばかあるいは二月に入ってからだったか。先生は黒板に私の名を大きく書きクラスのみんなに紹介してくれた。この時驚いたのは、辞めてきた学校の先生と今度の先生がそっくり似ていたのだ。女の先生である。もちろん名前は違っていた。私のためにわざわざ向こうの先生がこっちの学校に来てくれていたと自分勝手な妄想に走った。我ながらあまりにばかばかしくて、それは誰にも漏らさなかったが、しばらくの間、密かな愉悦となった。さて、先生は私を紹介するとそのまま教壇に立たせ、靴箱の使い方を説明するからと母だけを導いて教室から出ていってしまったのである。50名近い坊主頭と頬の赤い女の子たちに、一人向き合わされて、わたしはすっかり困ってしまった。先生と母がいなくなり、わずかな沈黙の時があって、突然誰かが私を指さし何事かはやし立て笑い出したのである。するとクラス全員が一斉に唱和してきた。歓迎とも排斥(はいせき)ともつかない実に奇妙な哄笑だった。
 
 私はいわゆる「坊ちゃん刈り」のままだった。それが異様に見えたらしい。たしかに男の子は全員が坊主頭だった。最初私は、彼らが何をおかしがっているのか分からずに困りはて恥じ入るばかりだったが、泣き出した風には覚えていない。むしろ豪快で明るすぎるほどの笑い声に同調させられ照れ笑いぐらいは浮かべていただろう。彼らの笑いに悪い気はしなかったのである。さっそく次の日には母に頼んで頭を丸めて登校した。

 以後、その学校を卒業し町の中学校に自転車で通うようになるまで、祖父やら叔父やらによくいじめられ、ひどい貧乏を強いられたまま矢面に立たされていた母の苦労は並大抵のものではなかったが、私にしてみれば山間の自然に恵まれ友達に恵まれ、おおむね幸せな子ども期を過ごせたと思っている。もし、あのまま東京都下の暮らしをしていたならば、おそらく私は尋常には育たなかったかも知れないと、最近はそんな感じがしているのである。父が病気になり実家に帰っていたのである。私の弟ふたりも父の実家の近くの縁者に預けられていたような状態だった。収入は閉ざされていた。母としては、このまま都下に住んでいても、にっちもさっちも行かない状態が続いていた。おびえたような戦々恐々たる日々が続いていたのである。父の家のものたちは、母を良くは思っていなかった。父が病気にいたった責任の半分ぐらいは妻にもあるだろうというのが彼らの言い分だった。八方塞りになっていた母の心理が、二人暮しをしていた私の性格にたぶんに影響していたように思われるのである。都営住宅での暮らしは、年を追うごとに私を内向的にさせていった。

 父は療養と称して一足先に実家に舞い戻っていてわたしが小学校に入った時には都営住宅には影も形も見えなかった。父は母と結婚前から自分の縁者ばかりに左右されていたようなところがある。それがいつも母をないがしろにする結果となった。病気と言えば仕方はないが、気持ちの上で妻子を見捨てていたようなところがあった。この時期のわずか2年ほどの間に父の失職とか発病とかいろんなことがあった。母としては、次から次へと父によって引き起こされてくる心痛に絶えながら自活の道を探っていた。離婚することも考えていたらしい。必死に職を探していたようだが、子どもたちのことが気になってまともな仕事は見つからなかった。それでもときどきはパートタイマーのようなことをしていたようだ。家計はいよいよ逼迫(ひっぱく)していた。母と二人きりの食事もおかずが一つもなく、ご飯に醤油(しょうゆ)をまぶしながら食べたこともあった。とりわけ昼下がりのわびしい食事を覚えているのは、私が登校していなかった時期で、家で母と二人きりだったからか。醤油ご飯も子どもにはさほどの苦ではなかったし、どんなものでもまずい感じはしなかった。大人の気持ちは子どもとは違う。同じ事でも大人には耐えられないということもある。だが、親の心理はそっくり子どもにも伝わってしまうだろう。母と私は、完全に孤立していたのである。

 当時4歳と2歳になる弟がいたはずだが、家の中にその姿が見えないのは、二人ともすでに父の実家に移されていたのだろう。ある日母が町に働きにでも出ていて留守にしていた昼下がり、弟たちと庭先で遊んでいると、母の姉がやってきて下の弟だけを連れていこうとするのである。もちろん母と叔母との示し合わせがあった上のことだったに違いない。弟があまりに激しく泣くので、隣の家の母親がパンを持ってきて弟に持たせた。パンをしゃぶっている弟を叔母が抱きあげ連れていった。別離にともなう寂しい実感はないのだが、衝撃は大きかった。泣きながら連れられていく2歳の弟よりもそれを見ているすでに物心つき始めている兄のほうがうける痛手は大きい。しばらくすると今度は母が上の弟をともなって父の田舎に行き、帰ってきたときには弟の姿が見えなかった。

 話は戻るが都下の小学校に上がった当時のことで鮮明に記憶している場面がある。それがずっと気になっていた。前後に関連のない独立した一こまの残像だが、幼稚園の時のように学校に行きたくないという強烈な感覚がはり付いている。その感覚がどこから来ているのか。長い間、我ながらさっぱり説明できないままだった。自分の傾向を振り返ってみれば、学校嫌いはいくらでも証明できるのだが、その場面と前後の生活的事実が必ずしもつながってこない。どうしてあの場面だけに学校が嫌だという強い感じが貼り付いているのだろうか。

 その日学校を休んだことは確かに覚えている。だが実際は、傘を捨てた日以前から私はほとんど登校しなくなっていたらしい。とすれば年を越えて3学期より田舎の学校に転入するまでの結構長い期間、私は学校を休み続けたということになる。四月に入学してからまともに登校したのは夏休みまでの三ヶ月だけならば、最初の学校のことが記憶にないのも当然だった。台風でも来ていたのか激しい風雨の朝だった。雨をついて私は学校に向かっている。林を抜けたところに小川があり橋が架かっている。そこをわたりながら下を見ると、いつもの優しい流れとはうって変わって、この日は橋もろとも足下がすくい取られるほどまでに増水していた。視点を固定して水面を見ていると吸い込まれそうだった。

 私はしばらくはそこに佇み、いつもに違う暴力的な流れを驚嘆して見ていた。そして何を思ったのか、さしている傘を閉じ川の中に放りこんだ。コウモリ傘は濁流に飲み込まれ、見る見る流れ去った。買ったばかりの傘なのに、という母の難詰が待っている。だがこの朝ばかりは登校するよりは母の小言の方がよほど心地よいように思えた。傘がない以上、この雨の中をこれ以上進むことはできない。今になって弁明するわけではないのだが、登校しない理屈を作るために傘を捨てたというよりは、傘を捨ててから理屈が思いついたように覚えている。真新しい傘を川に投げ捨てる。その犯罪的快挙を成し遂げる自分の力を確認したかったのか。正直なところ、行為にいたる最初の動機はこれ以外に考えられない。

 5年ほど前に母から聞いたところによると、先の都下の小学校では二学期の途中から、私はすでに登校しなくなっていたという。自分のことながら初耳だった。記憶の彼方にうっすらとそんな感触がないではなかった。そう言われてみれば、覚えているあの一こまに説明がついてきたのである。母親から引き離される不安に怯え、捨てられる夢にうなされた。私の場合は不安だけですんだのだが、この時期、弟たちは父の実家の祖母とか、叔母のもとで育てられていた。母が都会での生活を断念して田舎行きを決めざるを得なかった大きな理由がここにもあった。家計は最終的に破綻を迎えていた。こうして間もなく都営住宅を引き払い、田舎に身を寄せることに決めたらしい。夜逃げ同然だった。「父さんさえ、まともだったら」という嘆きは以後母が昔のことを話すさいの枕言葉になってしまった。

 その日、もちろん家に引き返してきた。登校できない理由を傘のせいにすることだけは分かっていたが、母には傘をなくした状況の説明が必要だった。あれこれ考えながら家の玄関にたどり着いたときには、もうすっかりずぶぬれだった。傘が途中で風に飛ばされてしまったので、登校できないと、言い訳したのだと思う。子どものウソはすぐ見抜けたはずだ。だが、この時母から叱責された覚えはない。彼女は「ああ、そんなんじゃ風邪を引くよ」と言いながら、あわただしく体中をタオルで拭いてくれた。やっとのことで学校に向かわせた息子が間もなくずぶぬれで引き返してきたのでは、母もさぞかしがっかりしたことだろう。だが帰ってきてしまった子どもにそれ以上何を言っても無駄だった。

 雨の中を再度子どもの手をつかんでまで強行には出なかった。それが登校しなくなる最初の日だったのか、それとも事前から休みがちだったのか。後者だったとすると、前日のうちに台風襲来(しゅうらい)を聞きつけて、新しい傘で私の機嫌をとり登校させようとしてみたのか。多分そんなところだろう。子どもは親の本意などだいたい察知してしまうものだ。学校に行きたくなかった私を無理矢理追い出した母の下心の形象が、玄関を出たとたんにコウモリ傘に乗り移った。だから私はその傘を川の中に投棄したのだ。しのつく雨に打たれながら仁王立ちしている。そんな傲慢な姿が浮かんでくるのだ。

<2007.01.30 記>

 

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▼平和憲法と女郎思想

2024年05月29日 | ■かもめ文庫

以下、十年ほど前に書いた記事で悪いが・・・

2012.11.30 朝日新聞投稿欄より

 

 今日の朝日新聞の投稿欄で上のような文章を読んだので、一言感想をば。投稿者は二十歳の大学生香取さんという方なりき。まずは、きちんとした立派な文章を読ませていただき感謝感激の念やみがたし。タイトルのように「集団的自衛権」は「参戦権」にほかならないとは、誠をもって、そのとおりだと思うのである。香取くんは続けていう。参戦権を放棄してしまっている日本は、誰が考えても「普通の国」とは言えないと。だが、その普通でないところが日本の誇りではないのかと。

 わたしは、それは違うと思う。端的に言って、日本もやはり「普通の国」として、必要とあれば武力を行使できえる「参戦権」を当然の権利として自覚的に所持し、いっそ憲法なりに明文化し、それだけにまた責任があるのだが、いわば独立国ならば一様に帯びなければならない責任を痛感し国際政治の中でも、とりわけ平和のために尽力していくべきだと思う。

 わたしは平和のための戦争も否定すべきではないと思っている。かの米国大統領オバマ氏でさえ明言せざるを得ないようにである。仮に、専守防衛だけに限っても、槍や鉄砲だけでは、なにほどの目的も達せられないのは、日を見るよりも明らかだ。軍事もまた大いに文明論に関わってくるのである。悲しいことだがモータリゼーションや原子力というものが、そうであるように議会制民主主義に代表される政治的手法もまた悪しき文明の一つにほかならない。だが問題は、ヒト科の誰に文明を否定できようぞ。

 文明を否定しても、個人としてなら生きていくことだけなら可能だろう。だがそれは乞食根性、奴隷根性を満載して、言いたいことも言えずに、口にチャックをしめたまま生涯を送っていくことではないのか。威張れた話では毛頭あるまい。あらゆる意味で自己に一定の文明に基づく政治的強度がなければ他者への優しさは実現不可能なのである。そのひとつが、軍事であることは言うまでもない。口先だけで、「平和、平和」と何万回連呼しても、真の平和がやってくるはずはない。

 力の発露は、自己中心的だとか、第三者は、いろいろと言うだろう。だが、平和のための戦争もありえるという逆説の要諦は、強いものが、弱いものを助けるという、実に単純な道徳の発露にすぎまい。ヒト科が、大昔から育て上げてきた、この普遍的な道徳を、せいぜい一国内の「平和」の美名のもとに、誰が貶めることができようか。文明を否定することは、社会を否定することだ。国家を否定することだ。

 いっさいの武力を否定する憲法9条が存在する限り、日本国は真の意味で文明的であるとも、ましてや独立国家だとは言えないのである。とある左翼政党(日本共産党)の綱領で正しく指摘されているとおり日本国は半植民地のままなのだ。いつまでたっても他国に守っていただいている従属国家または擬似国家のままなのだ。

 青年よ。日本という国は、まるで子どものようにイノセントで優しさに満ちた、それだけに弱々しい、いざとなったら何の力も出せない、隣国の温情だけにすがりついて、やりくりする以外にない、ひたすら衰退していくだけの、そんな国のままで、それで良いのかね。

 もっぱら「癒し」とか「優しさ」「弱さ」という心性を、メルヘンチックに飾り立て売文稼業を持って、喧伝させ自慢してきたのが大江健三郎氏に代表される戦後民主主義者らの「平和思想」と呼ばれている代物だが、私に言わせれば、彼らの考えは卑劣な亡国論であり愚劣な終末思想だ。単純な話だ。つまるところ彼らは、「政治の現場」から逃げたがっているだけなのである。同じことは同氏らが叫んでいる「原発反対」のスローガンについても言えるのだ。つまるところ、これらのスローガンも「文明の現場」から逃亡したがっている敗北主義者の戯言(たわごと)に過ぎないのである。

 まさに憲法9条はセンチメンタルにしてメルヘンチックな性根だけが取り柄といえば取り柄の彼らにとっては実に居心地のよい「子ども部屋」か、または隠れ家としてはもってこいの「癒し、かつ憩いの場」であり、なによりの「避難場所」となっている。当「子ども部屋」は、一般に行為することを気嫌い、体を使って働くことを蔑視する心根優しき近代に特徴的な知的おっさんおばさんらのために米国政府と日本政府が、割り勘して分担し、心根優しき彼らに無償で提供してくれているのである。

 なかには70、80にもなっても、いまだ「子ども部屋」の「ぬるま湯」から脱出できない半人前の小説家などがいて近隣諸国から失笑を買うばかりなのである。 

 さて、2014年7月8日付東京の田吾作新聞紙上に、次なる鎌田なにがし氏の、やはり憲法9条を問題にしているコラムがあったので一言感想をば。

 鎌田なにがしが言う「憲法が殺された七月一日」とは、いわゆる集団的自衛権なるものの行使容認が閣議決定されたことをさしているのだが、憲法が殺されたなどとは、いかにも大げさだ。己の歴史的政治的無知蒙昧をさらしているだけだ。何度、同じようなことを言ってきたのかね。1952年、米国との安保条約締結のさいに言わなかったか。憲法が殺されたと。戦争になると。

 つづいて1960年、安保改定においても、同じことを言わなかったか。憲法が殺されたと、戦争がはじまると。さらに続けて1970年、10年ごとに見直すとある安保がまた改定時を迎えていた、そのとき、鎌田なにがしは、憲法が殺されたと言わなかったか。で、どうだったのかね。戦争になったのかい。

 それにしても何度殺されたら気が済むのかね。あ~ん。鎌田のなにがしよ。口先男よ。オオカミが来る男よ。君は一顧だにしていないが憲法が殺されたと君が言う、その7月一日は、奇遇なことだが、われら自衛隊の創設60年にあたっていたそうだ。今から60年前、晴れて日本に自衛隊が組織された。当初の兵員は10万人ほどで、装備もきわめて貧弱なものであったらしい。だが、軍隊には違いなかった。武力を否定した憲法のもとで軍隊が創設されたのだ。

 君の言い方に倣うなら、このときこそ憲法が殺された日とよばずになんとする。この歴史的事実に比べれば自衛権がどうたらこうたらなどという話は、いかにも瑣末な話だ。60年前、すでに9条はすっかり骨が抜かれていた。憲法制定後10年もたっていなかったのである。骨の抜かれた憲法を後生大事に、ありがたがって念仏がわりに「憲法を守れ」とさわいでいる馬鹿な連中こそ、よほど偽善者ではないのか。繰り返す戦後政治史を額面とおりに読めば残念ながら日本国憲法の第九条にかぎっては、すでに空文と化して久しいのだ。

 問題はだ。突きつけられてくる現実を無視し、または現実におびえて、現実には目を配ることもせず、部屋に閉じこもっては念仏化したお題目を唱えていることに、なんの意味があるのかということだ。誰が考えてもわかりそうなものだ。なにかね、鎌田のなにがし君のばやいは、現実がどうあれ、念仏を唱えていたほうが幸福だとでもいうのかね。そりゃ、一種のカルトじゃないのかね。

「わたすたちのいのちである九条の輝き」?

 馬鹿を言うなよ、これカルトっ屁のなにがし君よ。もはや何一つ中身のない空文が、いかに輝いているというのかね。詐称詭弁もいい加減にしたまえ。それほどカルトがすきなら、この際だ、拙者が君たちに新しい教団名を授けてやろう。その名もオオエ真理教。どうかね気に入ってくれたかね。そうかい、そりゃよかった。世界のどこにだしても恥ずかしくない立派な教団名だ。教祖様も老いぼれたとはいえ、かつては一流の小説家だったと聞く。

「平和憲法がひっくり返された」?

 君たちが言う平和憲法とは、そもそもの始めは誰の創作だったのかね。何度もいうが、今から70年前の話だ。連合国司令官マッカーサー元帥に他なるまい。戦争放棄、交戦権放棄、武力放棄とうとうを詠っている第九条において日本国は手足をもぎとられ刀狩りされ、思想的に女郎化された。だが数年後、たちまちにして、この童話は崩れかけた。

 大陸では蒋介石は台湾に追い飛ばされ共産革命が成立した。目と鼻のさきの朝鮮半島で戦争が勃発した。現実の前には、理念なんぞは、なんの役にもたたずじまい。忸怩たる思いに浸ったマッカーサーは考えに考えた。日本政府に対して頼むから憲法をいじらずに適当な軍隊を作ってくれまいかと要請してきたのである。もちろん実際は命令だった。てめが作った平和憲法をひっくり返したのは他ならぬマッカーサーではなかったのかね。60年、70年前の話だ。なにがし君も、も一度よく戦後史なりを勉強してみたまえ。文句があるなら、今はなきマッカーサーの墓前にて雄たけびをあげながら積年の憂さ晴らしをしてくればよい。

 さりながら70年を費やしてきた戦後日本の来し方の全貌を端的にまとめてしまえば、これ以上は望めもしないほど平和であったことは間違いない。だからと言って、カルトっ屁の諸君が言うように平和憲法が存在していたからだなどとは、これぽっちも思わない。むしろ平和憲法が早々と内実のところ「ひっくり返って」いたからではなかったのか。上で記したように、憲法制定後、十年もしないうちに自衛隊が創設されたのだ。平和を言うなら、自衛隊の諸君こそ、わが国を守ってきたのではないのか。もちろん日米安保条約によっても、多々守られてきたのだ。アメリカさんによって日本は守られてきたのではなかったのか。

 左巻きのカルトっ屁の諸君らは、おそらく、これらの真実は口が屁曲がっても認めたがらないだろう。だが、大現実たる現状を認めねば近将来にわたる政治的実際の話には一向に戻ることはできやしない。書斎の穴蔵にふんぞりかえったままで自分の手だけは汚すまいと戦争はいやだ戦争は悪だと口先ばかりで架空の平和を求めるのが、なにがし君のような左巻きの連中がとりことなっている女郎思想の特徴である。

 ゆりかごから墓場まで、とにもかくにも守っていただかねば生きた心地もしないというのだから開いた口もふさがらない。戦後七十年、あきもせずに同じことを口走ってきた。妄想大国か、または信仰上の空想的教条の傘の下で、てめたちだけはちゃっかり安逸と平和が楽しめますよと、プロパガンダに励むがなんほだ。これが彼ら左巻きカルトっ屁連中の卑猥な本音と綱領に他なるまい。これぞ女郎思想と呼ばずになんという。

 

 

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▼とある候補者の落選日記

2024年05月20日 | ■売名坊主の日記より

 またしても昔の記事で悪いが・・・

 自称ジャーナリスト有田芳生氏の個人サイトにあるブログを読んでみた。彼は、この数年来、すっかり選挙ずいている。惜しいことには、先にも落選したし、このたびの総選挙においても今一歩というところで当選には及ばなかった。だが、わたしが彼に興味をもつのは、選挙のことではない。
 例によって例の如し、ブログそのものことであり、言ってみれば彼の文体そのものである。文章に刻印されるべきその精神の深浅の問題だ。だが、有田氏の日記の中で、これといって彼の思想らしきものは、どこにもない。無残なものだ。探しても探しても見当たらない。
 だが、生活はある。書名と人名の固有名詞だけが、文中で踊っている。昔から、彼の文章の特徴が、これだった。読んだ読んだと、書名を挙げておきさえすれば、多少は知的な男に見えるだろうという期待があるのか。いささか矮小な教養主義だ。またしきりに誰に会った、彼に会ったと、いちいち人名を挙げては、知己の広さを自慢する。これまた矮小な徒党根性の表れに他ならない。
 田舎から出てきた成り上がりおやじの言辞が、まさに、こんな調子だ。俺は有名なだれそれのことを知っている。だれそれと友達だ。最後のせりふは決まっている。「俺を誰だと思っている」。笑うのである。彼の文体は、むかしから、こればっかりなのである。そこに彼の精神の性質がある。それにしても、このたびの落選は惜しかったが、次なる選挙に臨むのだろう。国政選挙か首長選挙かは知らないが、当選しようと落選しようと、その人の精神の構造は、変わりない。
 多く当選すれば、事前の俗物度がさらに増長するだけだ。考えてみれば、今回も有田氏に限っては、全党を仕切って民主党を大勝利に導き株をあげ男を挙げた選挙対策委員長、その名も自民以上の自民党であると噂もたかい天下の小沢一郎様に雌伏して、彼から正式な子分格、すなわち小沢チルドレンとして公認をいただいておけば、よかった。
 小沢一味として当初より早々と表明しておけば、有田氏も、いまごろ落選の感傷にふけっている暇はなかっただろう。

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▼専門ブタとアンポンタンPTA

2024年05月17日 | ■売名坊主の日記より

 またぞろ、大昔の記事を持ち出してきて申し訳ないのだが、昨今の、一部の輩らによる卑劣な皇室攻撃と似たような事件が二十年ほど前にも、あったことを思い出したのである。確立して、まだ間もなかったインターネットのSNS上で繰り広げられた案件だった。無知蒙昧の衆愚らが匿名のまま、特定の人(詩集やエッセイを本にした12歳の少年と、その家族)をして、あることないこと事挙げては、誹謗中傷の限りを尽くしたのである。理不尽な言葉の暴力に見るに見かねて微力ながら、その弱いものイジメの出る杭は打つ方式の「つるし上げお祭り」の中に殴り込みをかけたのだった。はてさてその顛末やいかに。下の記事は、それらのいきさつの、ほんの一部を記したものではあるのだが、なんと言っても昔書いたものには外ならず、いまさら何を言いたいのかと、いささか気恥ずかしい思いもする。それらの気持ちは、そも自分可愛さの「うぬぼれ」に他ならず、多少は、我ながら困ったものでもあるにはあるという自覚もなくはないのであったのであったのだった。

 

 

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以下、「奇跡の詩人」情報収集掲示板(2002年当時)より

 

何がどう、まどろっこしいのでしょうか?

それは私が聞きたいほどです。 あなたのほうこそ、2002/04/28にNHKテレビで放送された「奇跡の詩人」という番組の何を知りたいのか、その放送から何を明らかにしたがっているのでしょう。あなたご自身、よく分かっておられないようではありませんか。あなたの気持ちは、どうすればおさまるのか。その視点が定まっていないのです。

そこでもう一度おたずねします。あなたは何を知りたいのですか?何をNHKに言いたいのですか?せめて三行ぐらいで、答えていただけるとまどろっこしくなくなると思うけどね。NHKに何をどうやってもらえばあなたの気持ちは満足するわけなのだろう。NHKに対して質問状も数回にわたって送り、NHKはきちんと回答もしてきました。だいたいの疑問は解明されたのではないですか。それともまだまだ聞いておきたいことがあるので、この先、50回ぐらいNHKに質問状を送りますか?

それほどまでにして、何を明らかにしたいのですか?ということです。そこがあなたは、ぼやけているのです。 すべてが曲解から始まった邪推と妄想だ。あなたの脳内事情なのですよ。人の家の子どもを無闇に批評したり、指図をするなと言いたい。隣の芝生は青かったというねたみ以上の話ではないでしょう。あなたの気持ちを聞きたいわけですよ。なぜ、そこまで首をつっこんでみたがるのか。そこまでムキになって何を知りたいのか。

かもめ氏は1次的に物事を体験したものでなければ、その物事の正否を判定できないと仰るのでしょうか?

そんなことは言っていません。この場合1次も2次も大した意味はないと言いたいですね。いいですか。今回の問題では一人の子どもの読み書き能力の実現度が問われているわけでしょう。あなたの場合もここに疑問があったのではないのですか?それはね。どんなに立派な公のシステムを用意しても判定できないことだと思いますよ。判定することに何の意味がありますか。他人の子どもの教育とは、少しでも伸びるように応援するしかないではありませんか?咎めだてして、なにか良いことでもありますか。

現在の読み書き能力をできるだけ伸ばすように、いかに具体的に支援できるか、というスタンス以外の批評は無益です。それを「反教育」と言う言葉にしてみたのです。保護者でもない他人が子どもを判定しても、何の意味もないでしょう。保護者またはそのために雇われた教師以外の人にその子の能力程度を知らせる必要がありますか。世に広く判定結果を知らしめるという意見があるとするならその意図はどこから出てくるのでしょう。私は偏見と差別を肥大させること以外に効果はあり得ないと思いますよ。能力を伸ばす上で次のプログラムを与える必要上、どうしても判定したいということはある。

だが、それは保護者と保護者と契約している教師だけの特権です。関係のない他者が、話しに加わる必要はこれっぽっちもありません。

私は2次的な資料であっても、その情報が正確なものであれば、物事の正否を判定できると思います。

この場合の物事の正否って、なんですか?言葉を発する能力と言っても随分程度差があるのだと思いますよ。その程度差を計る科学的な物差しというものがあるとは聞いたことがありませんね。むしろあっては困るのではないでしょうか。あなたは、物差しが欲しいのだと思いますか。よほどご自身の推察力や想像力の過少について、考えてみたらどうですか。額に読み書き能力は、1だとか3だとか公社会から配られたレッテルを貼り付けて生きていくのが正しいとでも言うのですか。それが秩序だとでも言うのですか。我が子用にそんなレッテルを欲しいと思いますか。

私も物事に於ける真実が1つであり必ずしも結論を出す必要があるとは思っておりません。 がしかし、公の場で「この出来事は真実である」と発表し、それに対し他者が異議を唱えた場合は、発表した者はそれが事実であると証明する義務があるとのではないでしょうか。

今回の問題で私が憤激した人たちの言い分が、そこにあります。あなたの言うことも典型例ですよ。あなたがたは、言葉の問題だという。では、言葉とはなんですか。言葉の「真実」って何でしょうね。意外に人それぞれなのではないのでしょうか。多くは主観の問題のように思いますよ。それではダメですか。では真実を基準づける物差しでもあるのですか。私はそんなものは見たことがありませんよ。あなたが言葉を図れる物差しを持っているというなら、それを見せてください。

子どもの読み書き能力については前述しました。物差しのようなものはないほうがよいと。世間には選抜試験とかテストというものがある。だがそれは学校の主観、会社の主観、家庭の主観でよいではありませんか。社会に一律のテストなどやられては、私などはたまったものではありませんね。新しい差別の原因を作ります。ですから、そのような物差しはあり得ないということで、良いではありませんか。

少しは自分の頭で考えなければ。NHKNHKと騒いでいる方々は、どうも「お上頼み」の気持ち強いようですね。私がよくいう、なんでもお上にすがってお上に解決してもらうという代行主義に陥っているのです。強烈な依存体質がある。それに、番組に対してものを申すという方々の中には、NHKに警察の役割をさせたがっているような方もいましたよ。検証しろという要求が、それです。要するにあなたの結論は決まっているのではありませんか。強いて言わせていただければ、最初からH家は悪いことをしているような、決めつけがあるのではありませんか。それにしても、子どもが本を出したごときのことで騒ぎ立てるとは、随分と情けない大人がいるものです。

今だからこそ影響が小さくてすむ可能性もあります。 例えば、放送された内容を見て、内容を信じ、多くの障害をもつ家庭がドーマン法を採用し、結果、なんら「奇跡」的結果が現れ無かった場合はどうなるのでしょう? そのときのことを想像した事が無いのでしょうか?

よく考えてごらんなさい。放送から、もう半年たっているのですよ。あの番組によって被害をこうむったとか、なにか精神状態がおかしくなったとか、そうした方がおりましたか。あの番組から影響されてドーマン法を採用し酷い目にあったとか「奇跡」的結果が得られないと嘆き訴えている方がいましたか。人間、それほどバカでもありますまい。いるなら示してください。それはあなたの取り越し苦労。そんな言葉には、なんの美しさも価値もありません。あなたの曲解、邪推だというのです。その手の言い分は、人心を撹乱するために広められる論理ですよ。悪く言えば相手を貶めるための言葉以上のものではありません。

大変なご苦労をされているご家族は、たとえ可能性が低くとも、わらにも縋る思いで、色々なことにトライしているでしょう。そこに、NHKのドキュメンタリーに於いて「真実」であると放送されてしまえば、そこに縋りついて見たくなるのが人情じゃないでしょうか?

またまた、おかしなことを言う。何度も繰り返しますが、それほどバカな保護者はいませんよ。ドーマン法とはリハビリテーションにおける一つのプログラムでしょう。あまたある手法のなかの一つの方法でしょう。子どもにあっているのか合っていないのかは、やってみれば、すぐ分かることでしょう。手法を妄信してもいけません。また、やってみもしないうちから、全面的に否定するとは、デマもよいところです。すぐ結果を求める盲信タイプです。早い話教育ママというものはどこの世界にもいるようですよ。子どもに合っていなければ、すぐやめさせる。それで良いではありませんか。ピアノを買ってやったのだからどうしてもピアニストにさせなければ気が済まないというのは、貧乏性ですよ。ちなみにドーマン研究所の場合は、保護者は子どもを守るために、常に研究所と対決的立場をとることを薦めているそうですよ。さすが米国発祥ですよね。徹底した個人主義。これをわきまえていなければ、とうてい研究所の与えるプログラムをこなすことはできないそうですよ。

文化の違いと言いましょうか。生半可な気持ちでは「買えない」プログラムなのです。いくらお金があるからと言って、自分を主張しない保護者は、むしろ研究所から入会を拒否される場合すらあるとか。日本のムラシャカイ文化とお上主義では、とうてい追いつけるものではありませんよね。だから、なんとかやりくりしてそれなりに貫徹された方はご立派だと思いますよ。かといって、中途で気がつきやめた方もご立派ではありませんか。

ドーマン法が確かに効果のある手法であるならば何ら問題ではないのでしょうし、そのような人々の助けになるでしょうが、未だ疑問が多く上げられる中、「真実」であると報道したことに問題があるのです。

ですから、これが唯一と絶対化する思い込みが間違いを起こすのではないですか。ところであなたのお子さまの場合も重度の障害をお持ちだということですか?それでドーマン法が気になってならないわけですか。下の文はそうではないようですね。そうでないなら、あなたがムキになる必要もないでしょう。誰よりも当事者に選択権があるのですから。当事者こそ発言権があるのですから。他人の子どもの教育に口出しするものではありません。

そういった、後に続きたいと思っている人のためにも、本当に正しかったのかどうなのかを、証明する義務がNHKにはあるのではないかと、私は思っております。

「本当に正しかった」というのも、個別です。真摯に向き合わなければ、本当に正しかったのか間違っているのかは、誰にもわかりませんよ。正しかったとは言っても、その子にとっては正しかったのであり、他の子の場合は間違っていたということもあるでしょう。メソッドやプログラムというものは、すべて、そうしたものです。頭ごなしに、当否について、はっきりすることはできないものです。

あなたの場合も、自分の都合のよいように解釈したがっている、以前から刷り込まれている固定観念が表に出てきているだけの話ですよ。そこをもう一度、解体しておきなさい。人はみな言葉使いも価値観も一人一人違うのです。同じ兄弟でも、兄は野球が好きだが、弟のほうはスポーツなんぞ、まったく興味もしめさないということがあるでしょう。

 

 

講談社などの出版社が契約しているのは親なのか日木流奈本人なのかわかりませんが,現在の日木流奈の執筆は,通常の子供のお遊びを大きく逸脱して両親を養っている状態と思われます.父親は日木流奈の執筆をサポートするために仕事をやめたことになっています.つまり父親は一家の大黒柱を息子の受け渡したらしいのです。


こんちには。あなたの上の意見についてですがどうでしょうかねぇ。あなたの願望は、それとしてもH家についてなら、それはさまざまな家族の暮らし方があることを認めたうちの一つの現象だと思いますよ。父親が外に働きに出て母親が家事子育てをするというのは確かに一般的な家庭運営の方法でしょうが、それにしても決めつけることはできませんよね。そこからどれだけ外れているとしても、別に悪いことではないのですから。他人が口を差し挟める余地はないと思います。

あなたはR少年については「通常の子供のお遊びを大きく逸脱して・・・」と言うけれど。それにしても遊びか学びかお手伝いかも、そうは他人が線引きできないし、するべきではないと思いますよ。何度も書きましたが、子どもだってその気になればものすごい力を発揮するものです。そうした場合の多くは、働いているのか学んでいるのか遊んでいるのかの区別は付けていないようですよ。

大人の場合は「趣味に生きる」などという言い方がありますが、趣味が高じて収入を得られるようになるなら、好きな道に邁進することと暮らしていくことが一致しているわけですから、これほど幸いなこともないでしょう。いずれにしても他人の子どもに遊びと労働の区別を、人様にも明確に見えるように暮らしていけなどとは言えるものではありません。

それからTGさんもご存じかと思いますが、よく映画や芝居などには子役が出ていますよね。ステージママなんていうのは別にしても歌舞伎など伝統芸能の場合は、子どもが幼い時から親が手取足取り教えていますよね。それに楽器演奏家などは、幼少時から才能豊かな人はコンサートを開いているようですよね。こうした場合は、児童福祉法や労働法の適用はどうなっているのでしょうね。

「番組によると日木流奈は長くても一日1~2時間しか執筆できないそうで,これでなぜ父親が仕事を辞めなければならないのかさっぱり分りませんが

そうですか、あなたには分かりずらいかもしれませんが、私はよく分かりましたよ。父親が仕事を辞めたというのは、それまでの雇用関係を辞めたということですよね。雇用関係をやめて所属を失った。ちょっと原理的な話ですが雇用されていないから働いていないとは言えませんよね。少年の父親は、これからはもっと息子をサポートしてあげたいと思ったのではないでしょうか。たいへんな決意だったと思いますよ。それだからこそ、かの番組を観ていて、少年が書いていることに間違いないという実感を得ました。少年がもっと書きやすいように、支援できることがあると父親は、そう思ったのでしょう。そうやって家族総出で本の執筆をしている。

父親が入力作業をしていましたよね。誰かが言うように、少年には「言葉など理解できないのだから文章を書けるはずがない」というのであれば10年以上同じ屋根の下で暮らしてきた父親が、わざわざ仕事を辞めてまで、虚偽の執筆活動につき合おうとするでしょうか。虚偽でないから、全力を挙げてR少年の執筆を助けているのではありませんか。少年から本物の言葉がでている確証があり、そのことをなによりも喜びをもって共にすることができるからこそ、収入が激減する不安を乗り越えてまで支援しサポートしたくもなるのではありませんか。

悪意をもって見るならば、この問題はおかしくなるばかりだと思いますよ。私も半年間、関連掲示板にカキコさせていただきながら、どうも悪意の目でしか見れない人たちがいる。どうしてもR少年の家族に罪をデッチ上げ、社会的制裁をくわえなければおさまらないという人たちです。公的機関であると見なして「NHK」に圧力を加えて、検証という中味のさっぱり分からない要求をする。NHKがダメなら、今度は児童相談所に隔離せよとか。それでも動きがみられないと、今度は児童福祉法違反の疑いがあると言いつのる。この場合は、労働基準監督署ですか。つぎはどこですか。最終的には警察ですか。詐欺罪ですか。

これはもう「魔女狩り」と言っても過言ではないでしょう。それもH家を糾弾しようとする人たちには熱情すら感じられるのですよ。いったい、集団心理がムキになったときほど恐ろしいものはありませんね。ですから今の私にとってはあなたの心根こそ大きな疑問なのですよ。どうして?そこまでH家のことをあれこれと詮索したくなったの?どうしてお上に制裁してもらいたくて仕方ないわけ?ひとつだけ分かるのは、そもそもかの番組を逆立ちして読みとった、ということがあるようですね。元気にしている姿を、そうじゃないという。文字を書いている姿を、書いていないという。ごく普通に見えることを悪いことを隠しているのではないかと詮議建てする。これはあの番組を悪意で見ていたということですよね。悪意で見るなら、TV番組だけでなく例えば一人の見知らぬ通行人でさえ、糾弾されかねませんよね。別件逮捕というやり方だってあるのですものねぇ。くわばらくわばら。

また仮に日木流奈少年の意志で一家の家計を支えているとしても両親の倫理的問題はあると思います。


専業主婦と言われている人などは、やはり倫理的問題があるのですか。切がないのですよ。あなたの詮議だて、曲解、悪意は。倫理的問題なら私にもたくさんあります。あなたはどうですか。あなたは完全無欠なお人ですか。反省点など一つもないと自信を持っていえますか。朝から晩までひとつのウソもつかず、正しいこと以外はやりませんと、言えますか。さて、滝本弁護士が最近、この問題で以下のように発言していた。

「奇跡」は、奇跡を主張する側に立証責任があります。

弁護士がこういう屁理屈を使ってはいけません。NHKは確かに番組を「奇跡の詩人」と銘打った。だがタイトルネーミングだけのことです。中味は別に奇跡でもなんでもない。少年と家族への賛意と賞賛の意味を込めた「奇跡」に過ぎません。これを、この世には決してあり得ない摩訶不思議現象という意味での「奇跡的事象」をそのまま放送したのではないかとNHKに食いついたのが滝本氏らだったのです。だからお聞きしているのです。

奇跡という言葉を放送局が使ってはいけませんか?番組のタイトルに「奇跡」という言葉を使うと、即人心撹乱するとでも言うのですが。それはあまりに大人げない話ではありませんか。つまり典型的な言いがかりであり、いちゃもんつけなのです。滝本氏らの本意は別にあった。番組名がなんであろうと、R少年が文字を書いている様子が放送を通じて広まってしまうことに「ノー」と言っているのです。滝本氏は私が下で紹介した「あとがき」に書いています。

なお、児玉和夫先生の寄稿は一見すると編著者と意見を異にする部分があるが、基本的には同様の見解であると読めるものであり、かつ愛情あふれるものであった

児玉和夫氏の場合は、滝本氏らと論拠が異なっているのです。児玉氏は確かに少年が書いていることは間違いないと言うのです。ここに滝本氏との違いが出てしまっているのですが、ここからが本質問題です。どうして根本問題において違っているのに「基本的には同様の見解」だと見なされたのか。少年が書いているのか母親の腹話術だったのかが問題ではない。つまり奇跡であろうがなかろうが本質上はかまわなかった。さて滝本氏の言う「基本的には同様の見解」とは何か、ですが。児玉氏は少年が確かに書いているに違いないと言いながら、FCを使って書いていることが許せないとR少年の執筆を否定しにかかるのです。なぜ、こんな横暴なことが言えるのか。児玉氏は次のように書いている。

おそらく知的能力は非常に高いのでしょうが、運動障害の方は軽いとは言えません・・・・・それなのに学校にも行かず、なぜ訓練を続けているのでしょうか?こうした訓練に打ち込んでいるとそのうち、この世界がすべて、といった自己満足、自己陶酔的な感覚に陥っていくことがあります

これで説明になっているでしょうか。専門家としての障害児への支援的言辞と言えるでしょうか。文字を書くなどのことより運動しろという。やっているでしょう。厳しい運動訓練を。その訓練法は「学校にも行かず」にやっている訓練だからいけないのだという。これを屁理屈と言わずして何を言う。そしてこうしたとんでもない印象批評だけで当人の人権を保障するに、もっとも大切なものと言える言語能力を全否定しにかかるのです。しゃべることより歩けるほうが大事なのだと、しゃあしゃあとこういう専門家というものを私は聞いたことがありません。差別もいいかげんにしろと叫びたい。いじめたい・・・ただそれだけではありませんか。社会に出てくるなと言うのか。歩けるようになってから、話をしろと言うのか。この児玉という専門家は。

さて、引用が長くなりましたが、滝本氏の「奇跡」こだわりも、ようは根拠薄弱といわなければなりません。では番組のタイトルが「奇跡」という文字がなければ、不問にできたのでしょうか。どっちにしても、滝本氏の言う「奇跡」にはなんの本意もない。いわば奇跡だと騒いでいるのは滝本氏のほうなのである。ならば滝本氏らこそ「奇跡」であるのかないのか挙証する責任があるのです。だから多くの方がいうように、なぜR少年に会ってくる必要にして最小限の挙証責任を果たそうとしなかったのか。これはたんに彼の怠慢を示すばかりでなく、ここにもまた真意があるようですね。奇跡か奇跡でないかはすでに児玉氏が言っている。会ってきてしまえば、以後の差別運動が進まなくなるからです。騒いでいれば圧力だけはかかるでしょう。やがて少年は児玉氏が言うような方向を取るかもしれない。言葉を拒否し児玉氏の言う通りにするかもしれません。これが滝本氏ら運動員たちの狙いなのです。

アメリカの研究者がしたようなテストなどをするなら、それは奇跡を主張する側がすべきこと。

上記に同じ。滝本氏一流の言葉遊びにすぎません。奇跡かどうかを解明しようなどとはこれっぽっちも思っていない。一歩も足を動かさない。奇跡のままのほうが彼にとっては都合がよいのです。奇跡のままにしておいて団扇配り検証会と、あたかもNHKを相手にしているふりを取りながら、家族に圧力を加え続けてきたのです。

私は、NHKその他の問題が片付いて、ドーマン法の問題点と、FCの欺瞞性が広く知られていき、そのうちに噂も出なくなり、ルナ君の所においても、あのFCもドーマンもしなくなるようになるように持っていきたいのです。

われわれが読まされているドーマン法やFCについての滝本氏の言説は、あくまで滝本氏個人のものだ。誰も変更を求めているわけではない。ただドーマン法に取り組んでいる人のことをとやかく言う権利や資格は誰にもないということをわきまえたまえ。弁護士資格者が他人から、教育プログラムを取りあげたり非難したり始めたらどういうことになるのか。人権蹂躙もよいところではないのか。自由な教育権の否定である。思想信条に対する強圧だ。

他人が、お宅の子どもさんの場合は、あそこの学校には行くべきでないなどという運動を起こしたなど聞いたことがない。もってのほかだとは思わないのか。 

さて先日「同時代社」より出版された『異議あり 奇跡の詩人』なる本を今日になってやっと手に入れた。これを入手するために新橋まで出てきたのである。本日、新橋で「奇跡の詩人」と題して4月末に放送された番組と、そこに出演していた少年を「否定」するために事上げした運動一派が「検証会」なるものを開催していたので、それに参加してきた。なんのことはない。当の放送録画をそのまま再放映しているだけの検証会だった。これを、一日3度ほど繰り返しているだけで、「会」の主催者からは、なんの主張も話もなかった。 

ビデオを見ていただければよくわかるという次第らしい。だが、そのビデオは、君たちが「否定」している放送だったのではないのか。それを集まってきた観客に黙って見せているだけで、なにが検証になるのか。彼らの魂胆たるや不信極まりないのである。 

 

 

私は、東京は新橋で挙行された集会の様子を、どこかの掲示板に以下のように書いておいた。

6/29日の新橋検証会では、NHKで放送された「奇跡の詩人」のビデオを参加者(運動員5名をのぞけば、わたしを含めて3名ぐらいだった)に見せたあと、会場のうしろのほうに運動家らしい主催者であるのだろう常連オバチャンたちの数名が集まっては、あの手の動きがどうしたこうした、あの指の動きがどうしたこうした、文字を書くより歩かせよ、母親の顔が気に入らない、変だ、おかしい、等々と井戸端会議に花を咲かせていた。その間、ずっとあざけりの笑い声。ババアたちの高笑い。話が終わるまもなく、次回の上映とあいなるのだが、彼女たちにとっては何度見ても、このビデオは私の宝のようで、飽きが来ないらしい、上映が終わるとまた後ろの方で集い合う。なんだかんだとまじめな「血祭り」 「検証」がはじまるわけである。 「怪しいに決まってるわよ!」 「しょーがいしゃが、こんなことできっこないわ!」 「ばっかみたい(ははははは)」 。ババアたちの醜い高笑い。偏見饅頭の大食い競争をやっていた。

私が「奇跡の詩人」の番組が放送された4月末より、ネット掲示板などに顔を出して、運動派の彼らを相手に議論してきたのは、同書出版もそうだが放送後、非常にあいまいな偏見に満ちた言葉が集中的にかつ意図的にネットなどで垂れ流されたことである。

それも二つの単語に収斂(しゅうれん)されていた。一つは「奇跡」であり。もう一つは「検証」という言葉であった。うまいぐあいに対をなす概念として都合良く使われる。言ってみれば「奇跡」とはイエスの時代を思い起こすまでもなく、さらにさかのぼってヒト種が言葉を得た最初から、ヒトと自然の不思議な関係にもとづく事象を言い表して見事な形象であるが、必然としてある色合いが施されている。すなわちその言葉によって指される事柄が不可思議なものであるかぎり、宗教的次元への入り口にもなる。

私が知るところによれば、ヒト種の社会に階位がもうけられて以来、最下層の「奴隷」たちが夢をみるとき、それを口にして待望する最初の呪文のような使途が含意されている。だが、記録にのこる歴史をみれば、なりふりかまわず豪勢を誇った貴族やブルジョアジーにとっては「奇跡」などは口にするのも厭わしいふるまいと思われていたに違いない。

彼らは、奇跡にせよ夢にせよ実際に手中にしようとして勝ち取るべき具体的対象物でありすでにその名を知っていた。可能性に語るにせいて、無言で夢見る習性を失っていたのである。言葉にできないものは、収益をもらすこともない。翻(ひるがえ)って「検証」とは何事にも道理と理屈があるとして自然を開発し、食いつぶし世界が滅してさえもいとわないとするヒト科の集団的欲望を、まさにそのまま言い当てた「近代の病い」のことなのである。

近代以降ヒト種は「検証」してみさえすれば納得できるという新しい信仰の歴史に突入してきた。ヒトによっては絶対にあり得ない事象を称して「奇跡」と呼んだり、別のヒトによれば滅多に見られないが、時々見られる事象だと言い、また別のヒトは人生に二三度ぐらいならきっと経験することのできる幸いの事だと抜かして口元をほころばせる。

もちろん、国語審議会なりが奇跡の概念を「検証」しても始まらないわけで、かといってこれほどの意味の差異が放置されたまま平然と公言するヒトの気が知れないというわけだ。滅多に使えない言葉だというたしなみを持つのがメディアをなくてはならない存在として肥大化させてきてしまった、我々の道徳の柱としておかねばならない。

「異議あり」を読んで笑ったのだが、著者10名の中にはかの少年の有様は確かな「奇跡」だと叫び、我が身に奇跡の起こらぬ不遇を号泣して愁訴した暁に、やはり「奇跡」は誰にとってもあり得ない話だと、ささやかな自己内「検証」でも行い得たのか、その後平静に戻って思い直し「無闇に私を泣かせた相手は誰か」とばかりに衆愚を集めて糾弾することにしたと言ってのける「母親」という役目の女傑がいた。 

言っては悪iいが、ここに言葉から見えてくる近代に生き残ってきた仮性奴隷の存在が浮き彫りにされてくる。女は奴隷に成りやすいと言っては差別になるが、これは歴史が証明するところである。話の筋道が通っていないなどと諭しても彼女たちには一向に通じない。ようするに「奇跡」などという概念は、感情の世界から噴出してきた抽象言語の一つなのだから、そもそも理屈もへったくれもないわけだ。以外に奇跡とか検証という言葉こそ、ヒトをかき集め、政治運動に直結させることができ易いのである。さて、すべからく行動を起こすのは、悪いことではない。また初動時の感じやすい心性も、また別に悪いことではない。感じやすいで自分をやりくりしてきて、ここまで過ごしてきたのだから、大方はこの先もその方針でやっていけばよいと思う。

だがこうした感じやすいおヒトがたに一つだけ忠告させていただければ、この先のやりくりとして、最低限分かっておくべきことがあるということだ。時の中に流行している衆愚らの脳内に流行している感情を翻弄され、振り回されることこそ、何者かに支配されている証なのである。そこに言葉、すなわち思想のあらかたが現れてくる。ここでわたしが言う「思想」とは支配者と女郎側の言い訳風言辞のすべてのことに他ならない。

子どもがそうしているように、ずっと黙して思考しなければならないこともあるように、時には世界を相手にしてまでも孤立を恐れず自分を弁明させなければならないときに、はじめて自律風の言葉が現れるのかも知れやせぬ。それこそ強く「美的」な言葉となる・・・と不肖わたしは、そう思う。「始めに言葉ありき」ということを「私」に置き換えてみるならば、言葉とは学校で教えられているほど安直なものではないのである。

少なくても私は仮性であっても真性「奴隷」であっても、そのままの「身分」で良しとするようなヒト種の口から出てくるものを「言葉」だとは認めたくない。「奇跡」に遭遇する度にびっくらこいて腰を抜かしたり泣きわめいたり自分なりのカタルシスを得た後、我に返って、今度は誰が私を泣かせたか「検証させろ」などと叫ぶ手合いのことである。こうした現象も昔から役割分科した「専門家」が「奴隷」たちにそう教えてきた形跡がある。多くの場合、女・子どもを出汁にする。専門家にそそのかされた奴隷達はもっぱら他人の責任ばかりを問うに忙しくなり、いつのまにか堂々たる被害者の仮面をかぶっていたりする。「専門家」との同調関係を主とする取引によって得た「知識」が結構な武器となる。

この先、自分一人で生きて行く勇断をするなら奇跡とも検証とも言うがままにすればよい。いっそ見つからなければカッパライでも、ウソをこくのも知恵のうちだ。その知恵を働かすことこそ、商売とか経済の王道をゆく能力各種となる。だが私が言いたいのは、すでに子どもを成して同じ屋根の下に共生しているというなら、話は違ってくるだろうという世間に対する不信だ。現代において倫理ということを考えて全般の状況を見るに私は首をうなだれるしかない。言いにくいことを言ってしまえば「奴隷」が子どもを育てるべきではないと思っている。

それは金の有無には関係ない。彼らは「奴隷の言葉」を方便として自分を語る。多くの場合、自分を語るより他人を語ることを好んで暮らすヒト種のことである。さて、同書のあとがきに滝本氏は次のような意味深なことを書いている。

昨年(2001年)5月末、5歳直前の四男を交通事故で亡くしてしまった。重度の自閉症かつ知恵遅れ、道路の怖さも信号の意味もまだわかっていなかった。でも少しずつは成長しウンチをトイレですることをようやく覚えたところだった。多動症も激しく、家族は鍵、チェーンや塀まで増設改造しつづけたが、戸外に出るための知恵はひどく進歩し何度目かの大冒険か、探している少しの間に自動車にはねられてしまい、そのまま死んでしまった。一度でよいから「とーたん」という言葉を聞きたかった。文字盤でもいいから聞きたかった。 

続けて、次のように日木流奈さんに嫌味な言葉を投げつけているのである。

流奈君がいつの日か「ママ」「大好き」と言うことを祈る。あの文字盤(FC)でもいいから、ゆっくりでいいから、真実自分の指差しで言うことを祈る。

ようするに流奈さんとお母さんが使っている文字盤はウソであると決め付けたうえでの先に自分の息子さんを亡くしたことの腹いせのつもりかか相変わらず、ねたみと嫉妬を流奈さんにぶつけているにすぎないのである。「異議あり」という本は滝本氏自身が編集したものである。その本の「あとがき」に、ちょうど一年前に5歳になられる息子さんを交通事故で亡くされていることを明らかにしていたのだ。私はそれを読んで、彼が以後「異議あり運動」の急先鋒となったいきさつと心境が一発で分かったと思った。

これが何を意味するか。すくなくても滝本氏自身の私事からわいてきた感情的問題から運動が始まったとみなされても文句は言えまい。滝本氏の私情と以後の運動がまったく関連がないと言いきれるだろうか。夭折した息子さんのかたきを、流奈さんやドーマンを相手に討って晴らすという心証が滝本氏の心の中になかっただろうか。いわゆる「江戸のカタキを長崎で討つ」ってヤツだ。

奇跡の有無について言うならば私は奇跡はあると思っている。長い人生の中で一度や二度なら誰しもに訪れてくるものだと思っている。だが徒党した衆愚らに饅頭を配るような具合にまんべんなくもたらされるような「奇跡」はあり得ない。奇跡と言えるような事象は、それはそれは実に小さくささやかな不思議のことで、多くの場合、我が子によってもたらされるだろう。見返りなしに子どもを育てる過程が嬉しいのは正真正銘の「奇跡の詩人」がときどき胸の奥深くまでたずねてきてくれるからに他ならない。


さくら   酒井健司  (神奈川県 三歳)

おばあちゃん
おはなみにいって
さくらのはなが
ごはんのうえに
おちてきたら
どうしたらいいの


「こどもの詩」(花神社 1995年刊 川崎洋編)より

 

<2005.10.15 記>

 

コメント (3)
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▼売名坊主の日記より

2024年05月17日 | ■売名坊主の日記より

またまた古い記事をば揚げたてまつりて恐縮至極。二十年近く前のことだが光陰矢の如しの感を深める春のよき日のワンカップ。

以下・・・<2005.10.14 記>

先日、神保町に出向いたおり、ある書店でジャーナリスト有田芳生氏の近著『酔醒漫録』(にんげん出版 05/07刊)を購入してきた。(1)と(2)の二冊が並んでいたが、私は(2)だけを買ってきたのである。周知のように『酔醒漫録』は有田氏が、2000年よりインターネット上のサイトに毎日、書きつづってきた日記である。

(1)は有田氏が日記を公開された最初である2000年6月から2001年1月6日までの分が収録され、(2)は、2001年1月7日より2002年6月いっぱいが収録されている。私が(2)だけを購入してきたのは理由があって、当時、有田氏らが中心となって、ある事柄に関わる運動が起こされた。その時期にあたっている2002年5月から6月あたりの記述を、再度、確認しておきたかったからである。(1)(2)とも奥付をみれば2005年7月 の刊とあるから、つい最近のことである。

私が気になっていた事柄とは、2002年4月28日のNHKテレビで放映された「奇跡の詩人」と題されたドキュメンタリー番組のことである。この番組は一種の「やらせ」であり「いかさま」だと騒ぎ始めた一群の者たちがいて、放映された次の日にはネット上に番組を攻撃するサイトが開かれ、一週間後には、似たようなWebサイトが百を越えていた。それらネットにおける付和雷同者らの中核的存在の一つが有田氏のホームページ「今夜もほろ酔い」であり、そこに付属する「酔醒漫録」という日記のページであった。当初から私は、「酔醒漫録」の記述に見られた有田氏の思い上がった考えをネット上で批判してきた。当時は、有田氏もご自分のホームページに付属する「憂国至情」と題された掲示板を運営していて毎日一度は短い記事を書き込んでいた。

当時、私は有田氏主宰の掲示板に出向いていき、何度か「ネットで一方的に非難されている少年と、その家族を取材しないままで、よいのですか」と彼に直接、質問を投げかけてみたことがある。だが、一度たりともまともな答えはなかった。

番組と、番組に出演していた少年とその家族に対する糾弾と抗議、告発の趣をとってネットは喧騒を極めた。あきらかに運動化が目されていた。有田氏とは別に、もう一人の確信犯的存在がいた。今日にいたるも、オウム真理教の犯罪性を告発し続けていてマスコミではすっかり著名となった滝本太郎弁護士である。有田氏はオウム事件に題材を求めた本を何冊か書いている。

有田氏と滝本氏はオウム事件以来、持ちつ持たれつの盟友であり日常的に情報を受け渡して双方の仕事を補完しあってきた仲である。今や業者仲間以上の義兄弟という間柄である。これ以上の恵まれた異業種交流というものもないだろう。一人は毎日のようにTVに顔を出しているコメンテーター及びジャーナリストである。もう一人は有名弁護士である。滝本氏も有田氏に同様、ネットに「日常生活を愛するもの」と題された日記サイトがあり、それは今でも続いている。二人の日記を比べてみるまでもなく、「奇跡の詩人」放送の以前も以後も彼らがいかに深く関わりあって同調しあい仕事を進めてきたかが手に取るように分かるのである。二人が協力しあえば、向かうところ敵なしの、まさに鬼に金棒だった。

「奇跡の詩人」問題もオウムのときと同じように二人の協力体制が密に構築できれば、なにもかもうまくいくに違いないと思われていた。だが、今回の場合は、そもそも挙証する段階から筋道が根本的に違っていたのである。オウムの時に使った手順は使えなかった。いや、ある時点までは、それが功を奏したともいえるだろう。

放送から 二ヶ月後、有田氏が中心となり突貫工事で「異議あり 奇跡の詩人」(同時代社)という本が緊急出版された。これによってネットでの運動は最高潮に達したかみえた。だが結局、それ以上に運動を担保する論拠や攻撃点が何一つ浮かばず、運動は早くも本心を失い途切れてしまったのである。ネット上の喧騒も、あとは収束されるのを待つだけだった。さて、神保町で『酔醒漫録』(2)を買い求めた日、私はすぐさま近くの喫茶店に入り、さっそく本の頁を開いてみた。月別に章立てされており、当初ネットでは見られなかったサブタイトルが打ってある。

2002年5月の章には『「奇跡の詩人」への大いなる疑問』とあった。私は頁を開くまで、かすかながら有田氏の良心を期待していた。「奇跡の詩人」に関する当時の彼の日記は、すくなくてもネット上では完膚なきまでに論破されていた。それが証拠に、放送から二ヶ月後より今日にいたるまで有田氏はいっさい、この件については言及することは止めている。そうした彼の姿勢を見て、彼の気持ちを察するに、いかに自分が迷妄に踊らされ、よく分かりもしない馬鹿なことを書いてきてしまったかと、さぞかし忸怩たる思いにとらわれているに違いないと、想像していたのである。

3年たった今、当時の日記を公刊するなら、せめて「奇跡の詩人」に関わる記述を削除したうえで出版したに違いないという、私の淡い期待も、決してゆえのないことではなかった。だが、そんな甘い幻想は薄暗い喫茶店の隅に腰を下ろしてまもなく、もろくも崩れてしまった。

「奇跡の詩人」放送からは3年がたっている。3年といえば短いようでもあるが、自省を深め自説の至らないところを見極め、思考するには、十分な長さである。3年たっても自説を翻すことも自省することの一つも見出せないというなら、何のための3年だったか。3年に及ぶ、この間の思考停止を自らで合理化してきただけではないか。3年たって、彼の言動に何も変化が見られないなら、この先何年たっても進展は見られないに違いない。3年前の疑問のことではない。3年前に記述した、そのことではない。3年前に書きなぐった日記を、新たに本にするに当たっての現在の心境と主張が問題なのだ。3年前の文章に冠して「大いなる疑問」と題して、はばからない当人の現在の確信を聞いているのである。

奇跡の詩人とは02年4月末にNHK・TVで放送された番組名のことだが、そこで紹介されていた少年は当時12歳の日木流奈さんという男の子だった。今は15歳になられている。番組では体の訓練もさることながら、何よりも問題にされたのが、この少年が本を書いたということが取りざたされた。

「あれほどの重度の障害児が本をかけるはずがない」という声がネットに起こったのです。最初はほんの少数に人たちが騒ぎ出したに過ぎなかったのである。番組の様子はお母さんのひざにだかれた流奈さんが、お母さんの示す文字盤を一文字づつ指し示し、それをお母さんが口述しているのです。

その際、腕の筋力のほとんどない流奈さんの右手を母親が支えている。見ようによっては、少年が指しているのではなく、少年の意志など無視して母親が演技しているのだという声が上がったのです。放送されたのは02/04/28です。有田氏がこの件を日記で言及しはじめたのは5月13日で放送からは半月後のことである。

NHKが放映した「奇跡の詩人」の評価でさまざまな意見が出ている。私としては・・・滝本弁護士の見解に同感だ。

この半月の間、当の番組はもとより録画さえも見ていないのです。滝本氏から個人的に連絡があり、滝本氏から番組の詳細を聞かされた。さらに滝本氏の主観的評価を。これに「同感」すると述べているのです。有田氏がやっと実際に当番組の録画を見たのは5月23日のことです。次のようにある。

NHKの「奇跡の詩人」と「検証番組」をじっくりと見た。やはりおかしい。たとえば・・・・講談社から出ている「脳障害・天才少年の魂の記」「奇跡の詩人」とうたった単行本を読んだ。怒りがわいてきた。内容ではない。ご両親の希望、愛情がこのような形で詐欺的に表現されていることにだ。無惨だ。私は断言する。12歳の脳障害児がこのような大人言葉の本を書けるはずがない。

上の文章が書かれた10日前の5月14日、すなわち最初に言及が始まった、次の日の日記では、早くも上のように断言してしまっていた。先に「書けるはずがない」と言い置いて、半月もたってから実際に録画を見てから「やはりおかしい」ではトーンダウンもいいところである。認識論理の時系が逆さになっている。繰り返して強調しておくのだが有田氏は13、14日の段階では番組を見ていないのである。まずは最初に見ないで断言を下している。では、何に対してそこまでの確信を得たのか。滝本氏から聞かされた情報である。滝本弁護士からもたらされた滝本氏の言辞について確信を得たということに過ぎない。

二次的な情報である。滝本氏を信用するあまり、彼の言うことに間違いないと、断言したのである。だが見もしないで、断言されたほうはたまったものではない。こうした言辞を平然と繰り出せる彼の言葉の性質こを問題なのだ。もちろん彼だけではない。ジャーナリズムに集う輩の多くが、こんな調子で言葉の大安売りにうつつを抜かしている。一種の職業病とさえいえるだろう。彼の言葉を耳にした人々は、NHKや講談社、また日木家族を悪者扱いにして憂さ晴らしに興じる構造が出来上がる。

さて有田氏も滝本氏から聞かされただけでは、さすがに心もとなかったのだろう。14日に実際に書店に足を運んで、話題の少年の書いたとされる本「人が否定されないルール」を見てきた。購入したようには描かれていない。書店で一瞥した程度ですましている。まともには本を開いても見なかったに違いない。書店で得た感想から、さらに何度も上記の断言が繰り返される。

相変わらず、なんの裏づけもないままである。考えてみるまでも無い。特定者の言語、または言語力の存否について否定的に断言するとは、人権の根幹に及ぶ根底的な問題である。他人の人格の根底的な存否がかかっている。精神の存否のことだ。これを二次的な情報だけで、他には何一つ知ろうともせずどこのだれが否定できるのか。医師ですら言明することはできない問題だ。かように有田氏、および滝本氏の当時の言動は実に許しがたい愚劣にして偏見に満ちたものだった。

滝本弁護士は、番組放送の二日後からネットを使って騒ぎに騒ぐ「2ちゃんねらー」らと接触し早くも運動化を目指していた。弁護士なりに確信を持って最初から番組攻撃と本を書いたあのような少年はありえないと、あの番組は虚偽だとして反NHKの運動に立ち上がった。有田氏は5月も半ばになり、その滝本氏から当番組のことを聞かされ滝本氏に行動を同調させてきた。さすがの有田氏もこの時ばかりは、一匹の尻馬に成り下がっていたといわざるを得ないのである。確かに番組では重い障害を持つ流奈少年は両親によって厳しく訓練させられていた。なぜ、あのような子どもに対する厳しい教育が必要なのだろうという邪推と予断による感想が、集められ組織化されたのである。それらの中には流奈少年と同じような境遇にある子どもの親御さんもいた。

それらはいずれも少年に対する教育的干渉でありセンチメンタルな感情が爆発したにすぎないと私は思った。いわゆる「出るくいは打つ」方式の、才能著しい子どもが必ず、直面しなければならない世間の冷たい風である。出来過ぎる少年にたいする、ねたみや嫉妬の感情が集結されつつあったのである。それが運動である。この手に意見が集約されて、滝本弁護士と有田氏が中心となり放送から一月半後には「異議あり 奇跡の詩人」という糾弾本が出版されたのである。

番組に疑念を抱いたのは何百万人という視聴者の中のほんの少数だった。そして彼らの言う疑念とは、一言でいうなら流奈少年が本を書けるはずがないというものだ。つまり番組に写されていた文字盤は、ウソだという。言葉をだしているのは少年ではなく、母親だというものだった。これが疑念の主たるもので、あとはつけたしです。ここをNHKは、少年が文章を書いていることを確信を持って放送したし、その後、上記の者どもの、いちゃもんに対しても、わざわざ時間をとって説明していた。それ以上の何の説明ができるだろうか。

だいたい疑惑を持ったというなら、持った人間がある程度は立証してみるのが筋ではないか。私は有田氏に対して掲示板の上で直接質問してみた。あなたは、そこまで疑問だと言うならどうして少年に会ってこないのかと。

少年が文字盤を操ってみる様を見てくればよい。見てこなければ、NHKがなんと言おうと有田の疑惑は解消できないだろう。驚いたことに、私が有田氏の憂国掲示板で、その質問を有田氏に投げつけた時点では、有田氏は、番組も見ていなかったのである。書店で話題の流奈本を一瞥してきた程度だ。つまり確たる疑問などすら、彼らにはなかったのである。滝本氏らの騒ぎに付和雷同していただけなのである。

滝本氏のほうは、その年のちょうど1年前に自閉症の幼い息子さんを事故でなくされたという私情があった。少なくても有田氏に比べれば滝本氏のほうが一種の当事者感覚というものがあったと思われるが、それだけにまた妄想は攻撃的だった。カルトと戦っている弁護士がここまで狂信的かつカルトっぽい人物だったとは、悪い夢でも見せられているのか。冗談も休み休みにしてほしい。

彼らは一様に検証検証と叫びだした。だが考えてもみたまえ。仮に、誰かが少年の家に出向き文字盤を使う様子を逐一見てきたとしても、それで何が分かる。番組以上のことは分かるまい。誰でもそうであるように、少年の言葉は少年の脳内で発生されてくるものだからだ。彼らの浅はかな疑問は結局、どうすることもできないものなのである。番組ではあれほど、接近して実写していたのだから、それ以上の何が見えるだろう。もう少しゆっくりと、こちらにも分かるように文字盤を操作してくれとでも頼むのか。

有田氏は、5月14日の自分の日記に、流奈少年と同じような障害を持つ子どもを育てているという母親から手紙が届いたと、それを全文引用していたが、彼女の心証に現代お世間の馬鹿さ具合が、すべて露見されている。彼女の、言ってもしょうがないような感傷主義的な見苦しい文体上の不平不満は読まされているこちらのほうがよほど恥ずかしくなるほどだった。彼女は次のように有田氏に宛てて書いている。だが、彼女以上に、こうした偏見饅頭のアンコがつまった文章をなによりの自己証明として後生大事に援用してくる有田氏の愚鈍さというものも際立ってくるばかりなのである。

やっぱりこれはインチキです。インチキを検証するのに、比較サンプルが欲しいのなら喜んで娘を連れて行ってあげましょう。あのこっくりさんみたいなのやりますよ。普段あのように動かしてないので娘の腕や手が硬くやりにくいでしょうが、練習すれば、私たちにだって同じに見えると思います。ルナ君を助けてあげて下さい。あの母親は、追いつめられたあげく、おかしくなっています。あわれで、見ていられません。学校へ行かせてあげて、遊んだり歌ったり友達とふれあって欲しいのです。おいしいもの(うちの娘は甘いもの大好き)を食べさせてあげてほしいのです。そして母親にも、同じ立場の仲間といっぱいぐちを言って、お茶やカラオケに行って騒いで歌って笑わしてあげたいです。

子ども可愛さは分からぬわけではないが、ここまで愚直になれる母親もそうはいないだろう。有田氏はこうした意見に、心根が扇動されてしまったのである。思想が甘いからだ。自分の思想こそ「大いなる疑問」であることを知らねばならない。問題は、放送された番組にあるのでも、番組に登場していた少年にあるのでもない。有田氏自身の精神にあるのだ。当の母親は、「我が子の障害はまるで社会のせいで、われわれは、せいぜい愚痴をこぼしあっていればよいのです」と説教を始める始末である。

わが子を育てるに最初からの敗北主義である。感傷主義からくる彼女の被害妄想はすさまじい。親の意識がこれでは子どもが可哀想なのである。浮かばれるものも浮かばれまい。日木一家の場合は、こうした地平からどれほど人として尊厳に満ちた生活と考え方に達しているか。私は番組から、文字盤うんぬんのことよりも、そこに感動した。流奈さんの障害についても、なんの不足もない。堂々たるものだ。したがって、自著にも、決してめそめそしていないのである。各個たる一個人としての主張。これが古くされたた意識の閉じ込められているセンチメンタル運動派には我慢がならなかったのかもしれない。出る杭は打つというやつだ。頭のよい少年に対する、ねたみと嫉妬。それ以外のなにがある。

私も偶然に、その番組は直接見たのですが、感想や批評を述べる以上、対象に直接触れるということが強みである。滝本弁護士と有田芳生氏は最初の出発からして、間違っていた。お二人は、番組を直接、見ていなかったのです。番組を見るより先に、番組を否定したり中傷したりしている人たちの発言に動かされてしまった。その人たちはネットにいた。主として2ちゃんねるで発言し始めた人たちでした。

なんと番組の放送が始まる前から、ある意図のもとに大いなる予断をもって番組を中傷する掲示板が立ち上がり大騒ぎが始まっていた。NHKスペシャル「奇跡の詩人」は4月28日の21時から放送された。下の引用部分は、当日放送の直前に立ち上がったいくつかの中傷掲示板のひとつから抜粋したものである。同じような掲示板が同時にいくつか立ち上がっていた。投稿時間を見てほしい。この掲示板が立てられたのは放送40分前である。事情通らしく番組のおおよその内容は見る前から知っていた。最後の「始まりますね」と書き込んで扇動している馬鹿と掲示板を立てた人間は同一人物であることがリモホから分かる。

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【アヤシイ】日木流奈くん【疑惑】

1 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:22 ID:hhVQy2tB
今夜9時からNHK総合「NHKスペシャル」にて、“脳障害を抱えながら驚異的な才能を発揮して、本や詩集を次々と発表している”男の子のドキュメンタリーが放送されます。彼のHPを見ると、とても子供が書いた文章とは思えない文が載っています。文字盤を指して文を作るとのことですが、どうもお母さんが手を動かしているようにも見える…。こんなことってありえるのでしょうか?

3 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:29 ID:ojykFc/f
        新スレワッショイ!!
     \\   新スレワッショイ!! //
 +   + \\  新スレワッショイ!!/+
                           +
     +. ~oノハヽo~oノハヽo~oノハヽo~ ワショーイ
        川 ^▽^)||( ^▽^ ) .( ^▽^) ∩
    +  (( ⊂   つ⊂    つ⊂   ノ    +
         ( (⌒)  ( (⌒) .( (⌒)
         (_)三  (_)三  (_)三   +

5 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:31 ID:Ur4JFlRp
「流奈君の知識の源泉はその驚異的な読書量にある。哲学から宇宙論まで大学レベルの本をこれまで2千冊も読破してきた。」 これなら語彙が豊富で、文章を書く力があっても不思議じゃないと思うが、子供だし、なおかつ脳に障害があるから、怪しいっておもっちゃうの??

8 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:40 ID:VK4b4H+n
基本的に壊れた人や20歳前の子供の書く文章だと思うけどお母さんもこういう文章書きそうな壊れた感じの人なの?

9 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:42 ID:Ur4JFlRp
ああ、なるほど~ 今回がはじめてじゃないのね・・・・テレビ 子供って意味不明なことはいうけど、確かに歳相応でない言葉はいわないだろうからなぁ・・・・・・ テレビってこわいねぇ・・・・・

10 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:59 ID:VK4b4H+n
私自身幼稚園くらいからこんな感じの子供だったから、子供らしくないとは思わなし、子供特有の世界観だと思うけど、真偽はテレビで明らかになるだろうから早速見よっと。

11 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:59 ID:sttuRsKQ
あ・・もうすぐ始まりますね。

12 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 21:00 ID:hhVQy2tB
さあ始まりました。



滝本氏がネット上の、この騒ぎに気づいたのは次の日かさらに次の日でした。番組は途中から見たと後日弁解していますが、これもどうだかわかりません。批判的立場からでもかまいませんが、少なくても当日、その番組を、きちんとは見ていなかったのです。滝本氏が、まともにビデオを見たのは数日後のことです。有田氏にいたっては、約一ヶ月後でした。番組を見る前から、出演していた家族の行っているプログラムは霊感商法に決まっている。やれどこかの宗教家にだまされている等々とうとうの、まるでオウム教が再来してきたかのごとき二番煎じの芝居に明け暮れる。

笑えるのは有田日記「酔醒漫録」に書き記されている当時の文言が、上の2ちゃんねる投稿者の言辞をそっくりそのままだったのである。番組を見もしないうちから発していた輩たちの中傷言辞を、ほとんど、そのまま番組を見ないで疑念を抱いたとホラを吹く、もう一人の馬鹿にそのまま伝播されていくのである。これでは、物書きとして自他共に「大いなる疑問」が氷解するはずもないのです。繰り返す。「大いなる疑問」とは有田氏の脳内の出来事なのである。自分の判断に確信がもてず、「大いなる疑問」が何年たっても、沸いてきてしまうことに対する感傷なのである。有田氏も、自身の脳内不信を人のせいにしてはいけない。

今日 (2002.05.01)はジャーナリスト有田芳生氏のホームページ『今夜もほろ酔い』をじっくりと読んでみた。最近有田氏が毎日のようにweb日記に書き、関心を深めていることに、本を出したとある子どもさんの言語能力を「検証」しなければ気持ちがおさまらないということがある。以下、ここに、その全文を引用しておく。

 講談社から出ている「脳障害・天才少年の魂の記」「奇跡の詩人」とうたった単行本を読んだ。怒りがわいてきた。内容にではない。ご両親の希望、願望、愛情がこのような形で詐欺的に表現されることにだ。無惨だ。私は断言する。12歳の脳障害児がこのような大人言葉の本を書けるはずがない。いや一般的な発達をした12歳もこんな子どもらしくない文章は絶対に書けない。いや書かない。これは議論以前の問題だ。文章と文体というものは、それぞれの人生体験に対応しながら、段階を追って深まっていくものだからだ。社会経験が乏しい発達段階において、こんな文章を12歳の子どもが書けるわけがない。

しかし、そうした批判に対してはちゃんと逃げがある。「子どもらしくない文章だ」と言われたときのこと。「それは私の問題ではないのです。その人が私を勝手に作り上げ、勝手に想像して、自分が気に入らなかったりする部分をそう感じてしまうのですから、しかたがないことなのです」。大人がこんな内容の本を書いても、まともな出版社なら出版しないだろう。しかし脳障害をもった子どもが書いたというのなら出版しようというものが出てくるだろう。ある関係者は語っていた。「あれは『五体不満足』のようなヒットを狙っていたんですよ」と。講談社の編集担当者(古屋信吾、青木和子両氏)とNHKの担当者は、この単行本の執筆過程を詳細に明らかに説明すべきだ。

元原稿は誰が書いたのか。それが文字盤によるというのなら、その原稿と「執筆過程」は照合するのか。まずは単行本のもとになった原稿を公表すべきだろう。ほんとうに脳障害児が書いたことをどう説明できるのだろうか。私は93年に統一教会系病院を絶賛したNHKのひどさを昨日の日記で書いた。しかし、今回の問題はそれを上回ることだろう。

ある脳障害児のお母さんからメールをいただいた。了解を得たのでここに紹介する。東京都在住のお母さんの訴えだ。

今週の「奇跡の詩人」疑惑の記事を見て、あわててルナ君のホームページや関連の掲示板を読み、ショックを受けました。私は10歳の重度心身障害児(重症児)の母です。

生まれてすぐから痙攣発作をおこし硬膜下水腫(脳が萎縮)、早期乳児てんかん性脳症と診断され入院して、薬の調節や手術をしました。1歳過ぎて退院後、脳神経専門の小児科や訓練に通院する一方で、「なんとかして治してやりたい」とあらゆる民間療法(ドーマン法も含めて)をためした時期がありました。今思えば、このころが一番精神的に追いつめられていたようです。

都の療育センターに通い、同じ立場の母親と毎日話せるようになってだんだんと、障害があってもそのままでもいいのだと思えるようになりました。小学校に通うようになって初めて、自分の時間ができ、気分転換ができるようになると、ずいぶん気が楽になり、このごろは、障害児だからウンヌンーなんてまるで考えることもなく、車椅子でじろじろ見られても、気にしないようになりました。普通の明るい家族やってるつもりでした。しかし「奇跡の詩人」の件で、久しぶりに悔しくて号泣して眠れませんでした。

ルナ君が我が子の症状とよく似ている事、ドーマン法をやるぞと夫をフラデルフィアまで行かせたのに結局すぐに挫折したこと、ニューエイジ系の本にはまっていた時期が私にあったことなど、他人事とはとても思えません。「奇跡の詩人」がいるわけ無いのは、私たちには自明のことです。奇跡を望んで望んでのたうちまわって、かなえられなかったことです。私だけではなく、母親仲間もみんなそうです。その奇跡が真実ならば、私は自分のやってきたことに激しく後悔、自己嫌悪せねばなりません。チャンスの側まで行って手ぶらで帰ってきたなまけものと。

でも、どう考えてもあの「奇跡」は、ありえない事なのです。脳性麻痺や筋ジスの人は体のコントロールができないだけで、知性は保っています。彼らは、ボードなどで意志を表す事ができます。しかし、乳児期に難治性てんかんで脳萎縮だった子は、身体障害はなくとも、知的障害は必ずあります。重症児にもなりやすい。重症児は、心と身体の両方の発達がものすごくゆっくりで大きくなります。ある方は30歳をすぎて寝返り始めたそうです。うちも4歳で初めてにっこり笑顔をみせてくれました。

重症児の親が、ドーマン法をやっても、新興宗教に入っても、本を出版しても、個人的にやるのであればかまわないと思います。ただ、まわりの人に迷惑をかけたり、よく似た症状の仲間をひっぱりこもうとするのは許せないのです。だから、天下の「NHKスペシャル」が、それらの宣伝をしてるとは、信じられませんでした。NHKの制作者?に電話しました。

*ドーマン法は賛否両論で医学的根拠がなくトラブルも多い
*母親の思想背景を調べる
*重症児の家族への影響を考慮する
*責任者が真剣に説明検証する

そう、せつにお願いしました。宗教思想の疑惑をしつこく聞いたのですが、「本人(ルナ君!)と家族が否定している、信じている。」でした。NHKにメールも2回出しました。とにかく今日のスタジオパークでの釈明、謝罪を待っていたのに、責任者は出てきましたが、なんと「インチキではない証明」を始めたのです。ルナ君の様子、動きを見て、絶望感さえ覚えました。この子は、どうみても娘の仲間、重症児です。上の娘(高1)も、「どう見たって、自分で書いてないよ。文字盤が指に近づいてるし、母親、手掴んでるじゃん」と言いました。ルナ君の手が、赤く腫れ上がっているように見えました。手の大きさは似ているのに、うちの娘の手は白くて細い。ルナ君が、かわいそうでかわいそうで、胸がつまりました。

やっぱり、これはインチキです。インチキを検証するのに、比較サンプルが欲しいのなら喜んで娘を連れていってあげましょう。あのこっくりさんみたいのやりますよ。普段あのように動かしてないので娘の腕や手が硬くやりにくいでしょうが、練習すれば、私達だって同じに見えると思います。

ルナ君を助けてあげて下さい。あの母親は、追いつめられたあげくおかしくなっています。あわれで、見ていられません。学校へ行かせてあげて、遊んだり歌ったり友達とふれあって欲しいです。おいしいもの(うちの娘は甘いもの大好き)食べさせてあげてほしいです。そして母親にも、同じ立場の仲間といっぱいぐち言って、お茶やカラオケに行って騒いで歌って笑わしてあげたいです。この2日、怒り過ぎて眠れず食欲も無かったのですが今日の釈明で、体中から力が抜けてしまいました。

アメリカではこうした疑惑がすでに起きていたようだ。海外からの反響もあるので、改めて紹介したい。

 

実に滑稽な話である。このようなおおよそ不可能なことに血道を上げはじめた一群のアンポンタンがいた。そこに食いついてきたのが、有田芳生氏だった。彼は現在、毎日、民放のワイドショーに出演して芸能時事問題などについて長ったらしい蘊蓄(うんちく)をたれて視聴者を感心させているらしい。わたしは、芸能問題には興味がないのでほとんど観たこともない。TVで顔をさらしている分、ファンも多いようだ。ホームページも活況である。

著作もあるようだが私は読んだことがない。私が彼に関心を持ったのは同世代者ということもあるのだが、彼のHPの主題の一つとしてたえず蒸し返されているスターリニズムとの距離にあったといえば詮索好きと言われても甘受する。

それ以外には、知らない男に興味をもつ意図も出てこない。すでに20年ほど前になるだろうか。有田氏もやっとのことスターリニズムから足を洗いTV出演はともかく、健全な市民派に鞍(くら)替えできためでたさを陰ながら私も応援していたのである。以後、彼に対してはひとかたならぬ親近感を抱いていた。

ところが『今夜もほろ酔い』HPに付属する彼のWeb日記)を読んで愕然(がくぜん)とした。とんでもない事を言い始めていたのである。心身ともに及ぶ重度の障害を余儀なくされていっさい学校には通わずに暮らしている12歳の少年が父母の全面的支援を得て数年前より旺盛な執筆活動をしているという。

4月28日には、この少年が実際に文字を綴(つづ)る様子が詳しくTVで放送されて大きな反響を呼び起こした。ところが有田氏は、HP日記において、この少年から言葉が出てくるはずがないとまで断定し、ましてや文章を綴ることなどウソ八百とまで言う。非常に攻撃的であり、こした事実いっさいを全面否定にかかってくるのである。したがって彼によれば、これまで刊行された著作もすべて実際には親が書いたものであり子どもの名で出版することは詐欺まがいである等々、まるで自分だけはなにもかも知っていると、見てきたように自信たっぷりに言う。

検証もされず、あり得ないことを本にしたり放送したりすることは「藁にもすがりたい」思いで教育上のプログラムを探している障害者とその関係者を無用に混乱させ傷つけることだとさえ言い切っている。まるで、重度の障害者は本を書いてはいけないと言わんばかり。ただしHP日記もどうやら毎日手が入るようで、前言を翻(ひるがえ)すことたびたびに及ぶ。少しは自省することもあったのか、当初からは攻撃の矛先をそれとなく替えてきている。少年とその家族を直接非難する非道に気がついたのか、このところは出版社と放送局の責任を追及するにどめるようなそぶりを示す。

だが矛先が一家族から大手メディアに替わったからといって自分の根っこにある差別意識が正当化できるわけではない。障害を持つ少年の「読み書き能力」を根底から疑ってかかるという、彼の内心に凝り固まった「発達史観」とでもいうべき下劣な思想だけは露(あら)わに表出されたままなのである。発達、進歩と言えば聞こえはよいし、それだけならまだしも概念があいまいなぶん許される。問題は「民主主義」とか「平等」を奉じるあまり子どもや個人に対して一律進歩、平準発達を押しつけがちな教育的功罪の大きさを忘れてはならないということだ。

こうした構造に理解が及ばない場合に、いわゆる「出る杭は打たれる」というねたみと嫉妬をベースとしたムラ社会が出現してくる。多数派の力学が政治圧力となって、障害があろうとなかろうと個性にフタをする役目をはたしてしまうのだ。なによりスターリニズムこそ個人に無闇強引な一律進歩、平準発達を押しつけてきた思想の代表格ではなかったのか。この件についてはその徒党から足を抜くために苦労してきた有田氏ほど骨身にしみた識者というものも思いつかないほどである。ならばなぜ、他ならぬ「有田芳生」が弱者攻撃の先陣を切ってしまうのか。今度ばかりは私も相当に驚いた。なにが彼をここまで「ごうつくばり」にさせているのか。

今のところ私にも、これがさっぱり不明なままだ。若い頃、制度における政治変革を夢見たのは私も有田氏に同じだった。セクトまで!だからその後、スターリニズムにはこりごりしたという有田氏の言動すべてに、同じような経緯を踏んできた私も大いに共感してきたのだ。彼の存在をひとつの励みとしてきたほどである。「有田氏よお前もか」という次第だが、こうなるとマスメディアのどこをどう信じればよいのかという話にもなる。その実体が彼のごときとなるならば、健全にして善良な市民派を標榜するその他大勢の識者などというものも実にいかがわしい存在に見えてくる。もっぱらTVが言論活動の舞台となると誰しも眼が曇ってきてしまうとは、昔からよく言われてきたことである。5月16日の絵日記で指摘した評論家:有田芳生氏の、その後の有様と成り行きを彼のHPから読みとれる範囲で、少しここに書いておく。昨日付けの有田日記には次のように記されていた。

「奇跡の詩人」検証本の打ちあわせ。出版社は同時代社。発売は6月末という異例のスピードだ。この同時代社から私は2冊の本を出してもらっている。はじめはオウム事件の年の『私の取材ノート』、次が『闇の男 上祐史浩』だ。こんどの緊急出版の編著者は滝本太郎さんと石井謙一郎さん。滝本さんはオウム真理教と最初から闘い、その途次でサリン攻撃を受けた弁護士。石井さんはこの10年間、私とともに統一教会問題やオウム問題などを取材してきた「週刊文春」記者。NHK報道の問題点を取材して記事にしたのも石井さんだ。この布陣で決定。専門家などの検証をはじめ、脳障害家族の証言など、最大限の内容を盛り込めるはずだ。私も寄稿することになるだろう。タイトルは『異議あり! 「奇跡の詩人」』。いずれ国会で問題となる可能性さえ出てきた。。


一昨日のことだった。当初の大騒ぎに比べるとトーンダウンもはなはだしく、検証も反証も、まともにはするつもりはないようなので、有田氏の掲示板に顔を出して「当の少年の言語能力をそれほど探りたいなら、じかに訪問するより他に方法はないのではないか」と有田氏に直接問いただしてみた。どうして当の家族を直接取材しないで、その代わりにNHKの下っ端職員から話を聞いたなどなどと、犬みたいに家のまわりをかぎまわっているだけなのかと。

すると掲示板に有田氏がひさびさのご登場。次のような応酬があった。彼が言うに、当の家族を直接取材するのは「イロハのイ」であり、もとより承知している。君に言われるまでもない、などとホラを吹いてきたのである。

ところがである。反証本の企画ができあがってみると「イロハのイ」はどこにもないのだ。それにしても「いずれ国会で問題となる可能性さえ出てきた」とは恐れ入った。一少年の「読み書き能力」を国会で「検証」してもらわねば納得できないのだという。何を考えているのか彼は。自分で検証(取材)すればすむことを、それが面倒だと言って、今度はお上にお願い。それも国会で取り上げられるはずだとは、話が穏やかではない。かようにして「出る杭は打たれて」当然だとするニッポンムラ発特有の「下司の勘ぐり」「ミーハー」状態の田吾作現象は、とどまるところを知らない。

 

 

 

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▼意外に短気な老小児科医

2024年05月17日 | ■売名坊主の日記より

  

以下、2002年当時の某掲示板より

 

●スギ券
僕ちゃんのの掲示板の読者ののみなさま。あけますておめでとさんだす。ご挨拶が遅れました。遅れた理由はたいしたことではないのですが、年末の父母の田舎スティ・年越し外泊のつきあい等々。うるさくてやりきれません。ふんで、まさに「当直明け」状態で、寝正月でした。
実は母の方が年末に「入院」と言われ、「それはないやろう」と、こどもの立場でストップかけました。GHには訪問診療のドクターが最低月二回診察し、主治医としての判断がありました。
でも今回は年末ゆえ、そして発熱していましたので、「なにかあったらたいへん」ということで「主治医判断」で保佐の息子にも了解なく、入院に連れて行って、というのです。「おかしいやないか」、といえるのは介護保険証をもつ息子医者だからでしょう。
・・・ということで息子が父母の主治医になりました。いっぱいいいたいことや書きたいことがあって、これらの制度矛盾を自らの体験として持っていますが、暴露的なものになりますのでやめます。
そんなこんなで年賀状は一切だしません(だせません)でした。年賀の挨拶ができませんでしたことを、古腹様とてるさん、どうかお許し下さい。ふんで、日本小児神経学会の理事・評議員が定年になります。これを皮切りに全国区の仕事から手をひこうと考えています。


●古腹
テルテルさんをはじめスギ券先生のファンのみなみなさま。あけましておめでとうございます。さて、わたすはわたすは新年そうそう、またまた例の「奇跡の詩人」のビデオをみて感動を深めたところです。

 

●スギ券
さて古腹さん。常に冷静ですじみちを大切にしてきた古腹さん。僕ちゃまは昔っから、あなたの大ファンだす。ふんで今回のかきこみの主旨や想いもよく理解できます。でもやっぱ、僕ちゃまは奇跡の問題についてばかりはテルテルさんの論理に賛成します。そすて「奇跡であるかないかは、テレビののNHKをみただけで一目瞭然だったのだった」というテルテルさんの一語が、強烈ですた。僕ちゃまとしても、「奇跡の詩人」のうそを追及したころは僕もまだ若さがあったのでしょうか絶対に許せない、と思いました。今回は「語り」のなりゆきを後ろの方から見物している自分の姿をみました。ああ、児玉ドクターも滝本弁護士も、そして僕ちゃまも老いたのでしょうか・・・・・

 

●古腹
スギ券さん、こんにちは。お元気そうでなにより。それで、さっそくですが、上の記事で、あなたは次のようにおっしゃる。
-------------------
「奇跡の詩人」のうそを追及したころは僕もまだ若さがあったのでしょうか
絶対に許せない、と思いました。
-------------------
「奇跡の詩人」と銘打ったテレビ番組がNHKで放送されたのは、いまや約十年前のことなりき。十年がたった。当の番組の主人公、日木流奈さんも、いまや22歳の好青年。スギ券さんは、「うそ」だと追及したのだという。なにが、ウソだったのですか。わたしはあなたの当時の脳内妄想こそ、多大なる「うそ」だったと思うのですよ。やはり、いまだに「絶対許せません」か。よく考えて御覧なさい。己の当時の脳内妄想を、はてまた若気の至りといえば、許されようが、その独特の進歩主義的イデオロギーを。わたしがおもうに、なにもかもが、あなたの「うぬぼれ」だったと思いますね。自分は医師資格者だという。なんですって、文章もかけるのですって。そりゃ傲慢でしたね。いかに自分が権威を鼻にかけて、偏見にみちた差別をしているか。してきたか等々は、案外に、老いても、老いても、自分では気がつかないものですよね。ま、それが老いた証拠だといわれれば二言もなしでしょう。考えてもごらんなさい。当時スギ券さんが頭ごなしに、「うそ」だと糾弾した、日木流奈さんは12歳でしたよ。その流奈さんが書いた本がありましたね。「人が否定されないルール」日木流奈著(2002.05.07刊 講談社)でした。スギ券さんも、一度、お読みになってみたらどうですか。

 

●スギ券
意見を書くのはよしとしよう。どんなレベルののでも納豆。ただし、小児科医資格者としての、わたすに対すてのの、汚い言葉やいいかげんな呼び名で記載するのはやめることだな。老いたりとは言えども、わたすも、これでも国家公認の小児科医資格者だっつーの。わたすをして券吉呼ばわりでは、せっかく当掲示板にアクセスしてくださるわたすのファンの皆様が「不快」になる。
もし、わたくすこと、杉本のの券吉を攻撃するのが目的に、当掲示板に、かきこみされるのであれば、わたすのことをへいへいと、券吉さん呼ばわりして、反省もなきような、イデオロギーの半キチガイにも等しい以下のお人のカキコはすべて消す。以上、わたくしこと、杉本券吉が、万感のお思いを込めて、宣言たてまつる最初で最後の管理者としての注意である。 ふんで、上の古腹さんのの記事は削除すますたよっと。
よって、わたくしこと小児科医杉本券吉ファンのみなさまにおかれましては、これからも、どんぞ、安心して当掲示板に、お書き込みくだされませ。ああ、今日は、さんざんな一日だった。ふんで、わたくすこと、小児科医のの券吉様をして、攻撃してくる、同年代のの、これ、古腹よ。いざとなったら、おめさんを営業妨害で訴えてやるつもりだから、そのつもりでいろっつーのよね。あせ あせ さって寝よ。

 

●テルテル
「奇跡の詩人」といっても、今となっては、知らない人も多いと思うので、一応、関連のサイトをリンクしておきます。

トピック21
NHKスペシャル「奇跡の詩人」パート2  ~日木流奈くんについて~
http://hp1.cyberstation.ne.jp/negi/DEMO/topic/t021.htm

奇跡の詩人 FAQ
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/kiseki_faq/

 

●スギ券
ああ、テルテルさん、ありがとう。過去ログを公開してくれたおかげで、多少はわたすの正当性も、ファンの皆様には分かってもらえたと、思っています。久しぶりの古腹様が、わたすのの掲示板に書き込みされたお正月。一時はどうなることかとひやひやすますた。
いい年こいてアルバイトをやっている古腹君ごときにわたすのわたすの医師としての人格まで否定されてしまっては、元も子もあるません。あのね。てるてるさん。だっから、わたすはわたすは最初っからネットなんか、やりたくはなかったのだった。
わたすの本音を言えば、当初から掲示板なんかやりたくは、なかったのだった。どこで、どう道を誤ったのか。「奇跡の詩人」問題を論ずる第一発見者として、ネットに面を出してみたところ、まんずまんずの調子であったのだった。ところが、あにはからんや。古腹様によってわたすの掲示板への営業妨害じみた書き込みが始まったのだった。
それよりもなによりも、奇跡の詩人がウソをこいたことが悪かったのだった。「奇跡の詩人」問題以来、わたすはわたすは医師としての、信用をすっかり失ってしまっただす。
京都のの祇園付近では、すっかり、わたすはヤブだとか間抜けだとかの噂が立っているという噂を耳にしたところだす。それが証拠に、わたすのクリニックのの方には、さっぱり患者様が、来てくれません。日に一人か二人あるかないかの状態だす。そこで、これ息子よ、おめさんは、なぁーにをやっているのだね。小児クリニックとネットのの掲示板と、どっちが大事なのだ。あ~ん、とただいま入院中の老母から意見されてしまったところだす。
それに、わたすは、若い頃から臨床よりも研究のほうが魅力的であったのだった。それも医療と社会のすり合わせ。もっと言えば医学と政治のすり合わせこそ、現代における最大の問題だったのであったのだった。理論的に、そこを解明することこそ、わたすの研究と言えば研究課題なのであったのだった。
だが、この世は衆愚に満ちている。よするに医者以外のすべての人間は病人なのである。なんらかの病気を患っている。よって医師こそ、彼ら患者どもの全面的な教師にならねば、おっつかないのである。都市はすべてこれ、医療都市として再構築することが必要だ。先端的国家を標榜するならば、都市の施設という施設は、すべてこれ医療を優先しなければ、話にならないのであったのだった。
町を病院だらけにしていいのかという批判は甘んじて受けようが、現代社会というものは、極言すれば、患者と医者しかいないのである。今日のように、医者の権威が失墜しては、医療技術が遅れるばかりで、日本もやがて野蛮国になってしまうのだ。患者は医者を信用せずに、医者の言うことを聴かなくなる。そのような世の中になって、いいのか。こうした反進歩の思想は着々と進んでいるのだ。
繰り返す、医者の権威をとりもどし、病人やら障害者は片っ端から必要な施設に収容して、必要な治療を受けさせることが肝要である。
これらの実際を社会的理論的に解明するのが若い頃からの私の夢なのであったのだった。じゃが、わたすの本当の気持ちなど誰も分かってくれやせぬ。このままでは世界は障碍者と病人だらけになる。それで良いのか。そこが問われているのであったのであった。あせ あせ さって寝よ。

 

●テルテル
今回の件は、長年興味を持って見続けてきた分野だけに、ちょっと待って下さいという意味で書き込みをしました。この件で古腹さんと議論をするつもりはありませんので悪しからず。すかす疑問があるなら、なんぼでもお答えしますよ。第一、テレビののを一目見ればわかるでしょう。老いたりとはいえど、もともと頭のよい小児科医ののスギ券先生なら10秒以内に頭のてっぺんから湯気が出でしまいます。奇跡の詩人一家はどのように微妙な動きを感じ取って通訳しているのでしょうか。手が離れた間はどう感じとっているのでしょうか。空気の微妙な振動でしょうか。微妙な動きは音波となって空中を飛ぶのでしょうか。・・・そんなことは起こり得ないのは自明のことだす。私は文字盤でコミュニケーションが取れる人を何人か知っています。しかし、その方法は奇跡の詩人の方法と完全に異なります。家族しかサインを理解できない場合もありますが、慣れてくればヘルパーでも会話できる場合もあります。また、ことばの変換速度は非常に遅いです。当人以外の誰も真似できていないし、その原理も明らかにされていない事実があることを認識する必要があります。本当であれば堂々とその成果を論文にし、テレビにも出ればいいと思います。自分だけの技にせずに皆に広めればいいでしょう。「奇跡の詩人」を否定することが、なぜ幼い少年の表現する権利を奪うことになるのか私には理解できません。当時多くの人が批判したのは、その手法がでたらめであることを科学的な視点を含めて述べたにすぎません。何も障害児が考えていないとか、ことばを発することができないとか言ったわけではありません。ましてや障害者が表現する権利を奪ったものでもありません。なぜなら、NHKの映像をみれば一目瞭然だからです。どうか皆様、古腹さんの議論にかかわるのはバカらしいと言わずに彼の考えに異議ありをご表明願います。

 

●古腹
テルテルさん、こんにちは。さて、あなたは次のようにのたまえり。

>なぜなら、映像をみれば一目瞭然だからです。

ここが問題なのですよ。テレビの映像を見ただけで、そこに写されている人の脳内の状況の神経細胞の動きが、どうなっているかなど、分かったものではないと思いますよ。言葉の発生の最初は、脳内のことですからね。人様の脳内状況は、どのような専門家でも、外見をみただけでは、仔細には分からないものではないのでしょうか。もちろん、医者にも。

わたしに言わせれば、あなたが「映像を見れば一目瞭然」だと断言されてしまう、そのことの意味を、よくよく考えなければなりませんよ。医者が、患者を映像を見ただけで、病名を断言することができますか。大真面目に、また大威張りで病名を当てたと、法螺を吹く馬鹿な医者がいますか。わたしが心配なのは、映像に写された少年のことではないのです。あなたの脳内の状態こそ、そもそも大いなる先入見と「ウソ」が含まれているような気がするのですよ。

映像を見ただけで一目瞭然だとは、それこそまるで、奇跡の世界ではありませんか。テルテルさんは、どこかの手品師か、教祖様みたいですね。あなたの偏見と差別根性が、表現され、力説したがっているだけだと思いますよ。

一般に、われわれの先入見の多くが、他者に対する偏見と差別に満ちていることは、あなたも知っているでしょう。誰しものことですが、よくよく己の古層にある偏見と差別根性だけは、見据えておくべきですよ。 たとえば、当時、2002年5月当時のことでしたが「異議あり 奇跡の詩人」なる本の出版に際して、おれにまかせろとしゃしゃり出てきた有田芳生氏(現参議院議員)の次のような書き込みありましたね。

「私は断言する。12歳の脳障害児がこのような大人言葉の本を書けるはずがない」

だが、彼の書いた日記等を調べてみると、当の少年の書いた本も読んだ形跡なし。書店で表紙だけは、見たらしいのですよ。当のテレビ番組も、滝本弁護士から教えられ、半月遅れの録画ビデオで見た程度だったのですよ。上の断言は、ビデオを見る前のことなのです。笑ってしまうではありませんか。

当時この手の思想薄弱なる薄っぺらい各界ブタ饅頭が寄り集まって徒党し偏見差別運動に与したものです。なにをして彼らは、これぞ攻撃対象だと思ったのでしょうね。じつに、おかしな現象でしたよ。やれ医者だ、やれ弁護士だ、やれ大学教授だと自称する皮を被って言葉を発する、きゃつらの脳内古層にある古くされた偏見意識が恥も外聞もなく丸出しにされてきたのです。

 

●今井幸政
おいスギ券。おめぇが病人を作り出しているんじゃねぇのか。国民はすべて病人であるってか。医者は社会の指導者だってのか。自分以外の衆愚はすべてこれ患者だってのか。冠者はすべからく収容するとな。それじゃ、病院列島になっちまうよっつーの。病院どころか収容所列島だ。おめぇはとんでもないヤロだ納豆。

ふんで、よするにだ。スギ券が、言ってることも、てるてるさんが言っていることも間違いじゃないけど、双方ともに、微妙な問題に対して言葉が足らないのだわさ。だからフルつぁんと口論となる。で、てめたちが負けが込んできて、世間に誤解がはびこる。だっから、まんず奇跡なんて、当時は当たり前の出来事だったから、奇跡を始めた御仁は、当時としては、全然間違いではない。結果として、奇跡に、してやられたから、奇跡的に国策を誤り、なのであったのだった。ベトナム戦争に負けたアメリカは、この、国策を誤りの反省がないから、いつまでも、テロの対象にされる。結果、日本は負けたのだから、当時の政治家の罪は重い。いまの政治家は、負けない政策を持つべきだ。政策がダメで選挙に負けたとしても、ダメな政策を実行した政治家の罪は重い。

奇跡に乗じているだけの国政議員連中が、この反日のの罪の重さを理解してるとは思えないから、少し議員は熟考した方が良いのであったのだった。だっから、奇跡問題と、歴史問題とののは、学者にまかせて、政治家は政治を語れば良いのに、不毛な歴史問題に足を掬われてるから、つくづく今の政治家は、バカだと思うよ。いまは、とりあえず、景気浮揚だけに専念すれば、奇跡もへったくれもないのであるのだし、皆、真っ青になるだべし。だっから政治家とか医者とかののは、ちゃんと、税金を貰った分だけ、働けっつーの。口ばっかり達者になりおってからに。医者は医療、政治家は政治。それだけで評価されるわさ。おのおのがたはなぁーにやってんだか。

 

●スギ券
あれっ。誰だ。今井とかいう、お人は。この手の匿名者は、こりごりだったのだった。ふんで、テルテルさん、テルテルさん。上の記事をのっけてきた、今井とかいう、お人は、いったいぜんたい誰なのでしょうや。なにか、正論じみた、ご意見をのたまえり。あせ あせ。
テルテルさん、テルテルさん、今井なにがしについて、知っていることがあれば、教えてくだされ。世の中には面白い人がいるものだすね。テルテルさん、テルテルさん。こんな人が、わたすのの掲示場に初登場したとあっては、わたすはわたすは、もっ眠るに眠れなくなるのだす。



●テルテル

ああ、あの今井君ですか。あの人のことは別に小児科医のスギ券が気にすることもありません。約十年前に古腹様の掲示板で二三度やりとりをすますたが、ようするに見ての通りのただの馬鹿です。当年とって齢62歳になりますた。耳にしたところによれば十年ほど勤めていた倉庫会社を会社規定により二年前に首になった次第だす。幸政の親戚の伯母から泣きつかれて会社としても仕方なく現在嘱託アルバイトとして使っているらしいのです。この役立たずを再雇用するについて給料は以前の半分ということで政幸の叔母と倉庫のの方の社長との間でめでたく妥結いたした次第だす。以後、当人としては、なんとか生きていこうと無我夢中。老後の蓄えを気にするあまり半キチガイになって株式取引に退職金のすべてをつぎこんでしまい、三井住友とかヤマト証券会社では、飛んで火に入る三段腹がやってきたって調子で、ようするに資本主義的カモとなっている次第だす。大日本帝国バンクの小口株主全集によれば、現在のところ今井政幸様におかれましては、含み益は110万。含み損は、400万という統計が出ています。なにしろ、この今井政幸という馬鹿は生涯、異性には指一本ふれたことがないというのが彼の自慢の元となっておるのだす。一円でも儲かればネットで自慢できる。この男にとっては、これだけだけが生きがいのようだすよ。この馬鹿は。だっから小児科医資格者ののトロント留学経験者のスギ券が、この手のアホを相手にびくびくしてては世も末だと思うばかりの今日のよき日のワンカップ。

 

●今井幸政
このバカたれ掲示板が!箸にも棒にも屁かっかるまい。この腐れ外道の連中が!もっスギ券にもテルテルさんにも芋は送ってやらねぇよっと。

今日のお昼は、わたすは、大好きな吉野家で、実は、この一週間だけの特別メニューののちらし寿司を食べたのだった。ご飯少なめバージョンなんだけど、それでもご飯が多いんだよね。うれしくなっちゃうよな。やっぱ、都内の、どこの吉野家に入っていっても、わたすの面を一目みるなり、わたすが、他ならない吉野家の株主であることを、アルバイトの皆が、知っているのであったのだった。ま、吉野家のちらし寿司のばやい、具も多いからいいんだよ納豆。がははははは、満腹満腹。

ふんで、問題はだ。日本の国債の格付けが下がったのに、思ったほどの円安にならんなぁ。円安になれば、わたすの投資信託ももうけが出るから、円安になってくれにゃいのかにゃ。フルつぁんも、あんまし賢そうじゃなかったし、もっ、フルつぁんには、芋も米も送ってやらねぇよ。

フルつぁんは、レベルが低い。若い頃からのの唯一のおともだちとして、世話を焼いてきたわたすにとっては、じっつに、情けない。ったく。

だっから、何度も言うのだすよ。あのねフルつぁん。株価の落ち込みが華々しいなだろっつーの。ギリシャが、どうもユーロ圏を離脱しそうだからこんなものか納豆。わたす的には、世界恐慌になっても、いっきに膿を出し切るため、ギリシャはユーロ圏を離脱すべきと思うけどね。ドイツ、フランスの銀行は倒産するやもしれんがにゃ。国債が格下げになったし、貿易収支も赤字なのに、円はちっとも安くならない。この先もうしばらくは海外資産を押さえておく必要があるということだろうか。

ふんでも、いずれ円安が見えているから、わたすも、有り金すべて外国預金をしておきたい気分。がははははは。すかす、民主党に景気回復策がまったくない。これで増税したら、やはり、日本はダメかもかも納豆。あ~ん。フルつぁんは、どすて、わたすが経済のことをまじめに「ご議論」している処に、茶々をいれてくるのであったのだった。あ~ん。少しは経済のことを心配すれっつーの。ったく。

ふんで、つい、こないだのことですた。わたすの会社が引っ越しするというので、今日は朝から、引っ越し準備にみんなてんやわんやなのさ。で、いらないものは捨てようってことになって、空いた段ボール箱に、よするに、わたすの会社の派遣さんたちが、いらないものをわんさか詰めてたりする。そんなさなか、足元を見ると、古いビデオカメラがあったのだった。ナショナル製のの。でかい録画テープを差し込んで、録画するタイプののの。ったく。二十年ほど前ののの。松下幸之助とかののの発案ののの。

こんなもん、誰も使わないから、お前がもらって使ってみたらどうだと、最初に、わたすに言ってくれた優しい上司がいたのだった。すかす、やっぱ、録画テープを使ってのののだから、わたすは別に欲しくは無い。最初はお断りをしたのだが、その後色気が出てきて、もらって帰ろうか、どうしようか、ずいぶん悩んだが、もらってしまうことに決心したのだった。その旨を上司に報告したところ、上司が言うのであったのだった。

自分ではつかいもしないのに、どうして、もらって帰る気になったのだと問い詰めてきたのであった。わたすは、大汗かきかき、弁明にあい努める羽目におちいった。どうやら上司は、わたすの心変わりを疑っているらすい。わたすのことを、しげしげと、あきれたように、眺めながら、ようは分からんが、よするに、そのビデオカメラを一種のジャンク品として研究材料にしたいと、こういうことかと、納得してくれたのであったのだった。

ふんで、会社の引ける夕刻近くになって、黙ってわたすのデスクの上に置いておいてくれた。なんと心優しい上司であることかと、わたすは思った。よするに納豆。あのねフルつぁん。だっから、わたすは、ほしかったのではなく、しかたなく受け取ってきたのさ。上司が捨て場に、困っていると思うと、なにかと手助けしたくなるのが、わたすの心の優しさである。結局、ゴミ同然のジャンク品でも、自分でなんとかしようと引き受けてしまうのが、若い頃からの、わたすの習性なのであったのだった。

ま、十年前に、わたすが犯した、いまや迷宮入りとなっている神奈川県警保土ヶ谷署管轄下になる、高級蓄音機詐欺窃盗事件のことを、思い出してみても、やっぱ、にたような経緯をたどった次第であったのだった。ふんで、わたすは、このビデオカメラを誰ぞにやって、それから返せなどといわれない良識人を、きちんと見極めてから、あげようと思ったのだった。

最初は、わたすの腹違いの伯母のところに問答無用で宅配便にして送りつけようかと、思った次第だす。だが、いまや株取引の思想的問題でじっつに剣呑な関係となってしまっている伯母に、ゴミ同然のジャンクもよいところの旧型ののビデオカメラを送りつけても、即座に送り返してくるに違いないのであったのだった。ったく。

だが、伯母の場合、フルつぁんほど物がわかっていないということはない。じっつに常識をわきまえた、わたすの可愛い親類縁者なのであったのだった。すかす、よするにゴミも同然の邪魔っ気なビデオカメラの処分を最終的にどうしようか思案しながら、ボストンバックに隠し立てして、神奈川県警保土ヶ谷署裏のアパートに戻ってきたところ、ちょうどゴミを出そうと家から出てきた町内会の会長さんに、ばったり逢って、会長さんから、おや、今日は遅い帰りですね、と声をかけられた。おお、そうだそうだ。このビデオカメラを町内会長に進呈しよう。

そうだ、そうだ、そういうことにしよう。向こうも、ほとんど必要ないと思うけど、なにか天変地異やもめ事があったときの証拠映像を撮るのに必要だといいくるめたら受け取ることじゃろ。そうしよう、そうしよう。町内会に、寄付しよう。寄付だ。寄付だ。今日のわたすは冴えてるのだった。まる。

次の朝ですた。町内会のゴミ収集場に、昨晩食ったほか弁の空き箱を捨てようと、扉を開けて入ってみると、案の定、昨日のビデオカメラが、ダンボール箱に丁寧に包まれて、捨ててあったのだった。めでたし めでたし、これにて一件落着。さって寝よ。

 

●古腹
おい今井。十年前のことながら、わたしが何度も何度も今井が持ち去っていった昔ながらの高級蓄音機を返してほしいというのは、なんの理由もない。ただ、返してほしいから、お願いしているだけだ。使っていないと今井が言うのを聞いたからである。私の家に取りにきたはよいが、使い物にならず、引き取りにきた三菱ライトバンの荷台に、そのまま一年余りのあいだ、放置しておいたらしい。あまつさえ、わたしと蓄音機を侮辱してきたのである。あんなゴミ同然のものと。そこまで言うなら、もう、わたしまで、返してくるいがいに、詐欺窃盗および泥棒罪を逃れる道はあるまい。さっさと返してきなさい。わかったね。わかってくれるよね。これこれ田子よ。これ田子よ

 

      

 

 

●今井幸政
わたすは田子ではあるません。だからネットよ。あのねのねフルつぁん、わたすは持ち去っていないっつーの。フルつぁんが「もってけ泥棒」と、わたすを小バカにするようなことを言ってきたのでわたすはわたすは、いっそフルつぁんがそう言うなら、その通りに、いかにも古風な手回し型のの高級蓄音機をフルつぁん宅から男らしく堂々と奪ってきたのであったのであっただった。「もってけ泥棒」と言ったのは、あれは冗談だったと、いまごろ言い換えても遅かった納豆。がははははは。ばかたれ。

なにが泥棒だ。さびしくも都会の片隅で世間からは隠れるように、日々ただすい童貞人生を送っている、わたすが一度や二度、魔がさして、たまたま泥棒に走ったとして何が悪い。あ~ん、貧乏人は黙ってっろっつーの。それほど言うなら、フルつぁんは泥棒とは、どゆことなのか3000字で定義しろ。のーたりん。

そもそも、フルつぁんのような素人には、泥棒の定義すら分かってない。あのね、フルつぁん。一度奪われた高級なすなものは、二度と返ってこないのよ。普通は。わたすの前で泣きまねしても、例のすなものは質流れ。それほど返してほしければ、yahooオークションを探してみろっつーの。わたすの親友tpkn君が、出品した後の祭りだ。

この際、泥棒とはなんなのか辞書でも引いてみろっつーの。人前で気安くわたすのことを大げさに泥棒泥棒と言うんじゃないっつーの。泥棒にも、いろいろあらぁーな。わたすにはわたすの流儀がある。あほたれ。食糧難に陥っていたアルバイトのフルつぁんには、これまでさんざんに芋を送ってやった恩を忘れたか。わたすが汗水ながすて奪ってきたすなものを返すも返さないもわたすの自由だ。わたすの泥棒のやり方に、不正規労働者のフルつぁんは口出しするな。泥棒の悲しい気持ちも知らないで何様のつもりだ。すっこんでろっつーの。この腐れ外道が。もっフルつぁんには金輪際、芋は送ってやらねぇよっと。

株価が面白いように下がっている。もっと下がらんかな。もっともっと下がれ。もっともっともっと下がったら、わたすはここぞとばかりに買うぞ。株は下がった時買えるかどうかが勝負だわさ。わたすには、もうわずかしか3株にまわせるカネがないのであった。ところで、わたすが三年前に倉庫会社よりもろおた退職金ののは、どこに消えてなくなってしまったというのであったのだった。わたすとしたことが、かえすがえすも面目ない。どうやら、わたすは株の泥沼にはまりこんでしもうたようだ。

だっから、あのねフルつぁん。今日は、わたすは松岡美術館に東京都庭園美術館、それに、そごう美術館と、歩き回って、あ~あ、ちかれたちかれた。わたすは美術館に行くと決まったように必ず図録を買うから3冊持つと重い重い。だっから、なんぼ教養のためとはいっても美術館巡りも1日3館が限度だわさ。日曜に美術館巡りするのは平日はむろん倉庫会社でのの仕事をやってるからで、もう社員じゃないが会社に行けばカネになるから仕事するのは仕方ない。わたすの楽しみはカネ儲けでもあるから納豆。

これから経済は、中国とアメリカの沈降で一気に恐慌に行くかもかも納豆。他人がなんぼ恐慌に陥っても、わたすはわたすは、のんびりと美術館巡りをしたいわさ。ふんで今年の美術館は見どころ満載。せめて今年1年経済がもってくんかな。来年、ヒラリーが大統領になっても、トランプがなっても共にアホだから政治経済はぐじゃぐじゃになる。日本は賢くスマートに不況を回避せねば。知恵を結集しないと納豆。ふんで、今日は、サントリーホールで東京交響楽団のコンサート。昨日ハードディスクを買わなかったので、夜22:00までやってるヨドバシカメラで買ってきた。2テラのの。3テラののを買おうとカウンターに3テラののを出したら、店員のお兄ちゃんが動作確認をしたのかと問うてきた。

わたすのテレビは東芝のだしハードディスクも東芝だから大丈夫だべと答えたら、2テラならどのテレビも動くが3テラのは最近のテレビでしか動かないという。何年前のテレビかと訊くから、6年前に買ったと言ったら、微妙だと。うーん。買っても動かないのならね。15000円の3テラのを止めて、12000円の2テラにしたわさ。コストパフォーマンスが悪いにゃこりゃ。ヨドバシカメラのカードを出して、現金を出したら、お兄ちゃんは、カード払いにすればポイントが多く付くと力説した。おお、そゆものか。知らなんだ。さらに、お兄ちゃんは、セブンでもファミマでも大概のコンビニでヨドバシカメラのカードを使えば1%ポイントが付くという。おお、そゆのは教えてもらえて嬉しいぞ。これからは、コンビニでヨドバシカメラのカード払いにせねば。こゆのは、ちりつもよ納豆。後で大きく戻ってくるんだよね。

不幸なフルつぁんには、すこしでも、わたすの幸福をわけてあげたいぐらいだす。ただす、わたすのことを、これまでさんざんに小ばかにしてきた高級蓄音機の件では悪うござんしたと、わたすに対して謝るべきことは謝る、いたって尋常な精神さえ見受けられれば、わたすも鬼ではないのだすから、ほんの少しだけならフルつぁんにも本当の幸福をわけてあげてもよいのであったのだった。わたすの部屋には大型液晶テレビが4台、その他白物家電が、ぎょうさん転がっている。いっとう古いテレビ(21インチ)でよいのなら、フルつぁんに、与えてあげてもよかったのであったのだったと、ふと考えた。

それにしても、3テラでも使えるように、そろっと最新のテレビを買い換えるかな。今度は、最低、65インチのが欲しい。たたみ一畳ほどの画面が欲しい。さすれば録画録画でテレビの前に釘付けだわさ。さすれば、わたすはもっともっと幸福になる。みんな、テレビを見て、ふんでいい番組を、かたっぱしから録画して幸せになろう。

ふんで、わたすはわたすはここんとこ録画ばっかしやってて昨日なんぞは、NHK教育の漫勉を録画した。ここんとこ、三井住友ののねぇちゃんからの連絡が、さっぱりない。待てど暮らせど一度もない。どうやら、わたすは市況から見捨てられてしもうたようだ。で、すっかり十年前の録画豚に戻ってしもうた。録画した漫勉は、帰ってから見なくっちゃ納豆。日曜には、WOWOWで、ZOOの一気見がある。夜中に。いまのハードディスクはそんなこんなでいっぱいになった。ハードディスクでの録画だから見たら消去して別のを録画するのを繰り返したら一台でまかなえるんだけど、現実、何度でも繰り返し見たいのもあるから結局積もり積もってハードディスクは満杯になるのだ。

横浜駅前のヨドバシカメラに行ったら、3テラで15,000円ほどで、東芝のハードディスクがあった。わたすが見てる42インチのテレビは東芝のレグザだから動作確認済みというかちゃんと録画されるべな。キャッスルの7シーズンをスカパーのFOXでやるからこれは録画せねばねば納豆。何台もハードディスクを抱えるカウチポテト生活だわさ。そんなこんなで、あぁ~あ、ちかれたちかれた。さって寝よ。

 


●スギ券

テルテルさん、テルテルさん。この際、上記の記事は、すべてこれ、わが半期違いの脳死臓器掲示板より削除すますたので、ご安心ください。テルテルさん以外の、わたくすことスギ券ファンのみなさまにおかれましても、どんぞ、心置きなく、わが半期違いの脳死臓器掲示板にて、人間とは、これいかにの主題に基づく、従来から引き続く、重要にしてかつ形而上学的なる、ご議論を、ご遠慮することなく継続願います。わたすはわたすは老いました。今や観るも無残というべきか。わたすはわたすは、どうやらだいぶ老いぼれて耄碌が進んできたもようだす。

よって、新年迎えるにあたり、昨日の書き込みとは違った方針、チェンジをもう一度ローに入れ替えて、静かに、かつ力強い進みを目指します。(弁解が多く、良く気が変わる単純な奴なのです)。65歳からの新しい仕事に取り組む意欲が沸々と沸いてきています。今年もよろしくお願いします。あせ あせ

それにすてもだす。仮面かぶって嫌がらせして意見が違うからといって、わたすののHP荒らしして、たのしいのかいな。あ~ん あ~ん。荒らしている匿名者の記事を消すことはいとわない。わたすが管理人様であらせられる限り、わたすの専権事項だ。それにネットで戦うことはいとわない。人生60年余、それだけで生きてきたので正々堂々と立場を明かして正面から意見をいえよ。PCの陰にかくれたりするなよ。

ふんで、これまで何度も宣言してきたように、わたすはわたすは、もっNHKののテレビは見ないことにしたのであったのだった。だからといって何もかも見ていないとは申せまず。やっぱ、スタップ細胞についての番組は見逃すわけには、いかないのであったのだった。

見ました見ました見ましたよっつーの。NHKのの小保方様とスタップ細胞ののテレビ番組を。こったらくだらない放送をして世の大衆をたぶらかそうとしているのがNHKだ。ふんで、わたすはわたすは、もっ決してNHKのの受信料は払わない決心を、再三再四宣言するものであったのだった。悔しかったら集金に来いっつーの。わたすのことを誰だと思っている。スギ券スギ券と気安く呼ぶなっつーの。馬券売り場じゃあるまいし先生と呼べ、先生と。若い頃は、英語で論文を書いたこともある。ったく。言っておきますが、年はとっても、わたすはわたすは国家公認の小児科医であらせられてたてまつるのであったのだった。あせ あせ さって寝よ。

 

●テルテル
スギ券さん。あなたがふらふらしてては奇跡の詩人をめぐる大騒動はどうします。わたすは慶応大学にいってまいりましたよ。以下はそのときのレポートだす。

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2002年7月×日  

行ってきましたよ、三田にある慶應大学へ。こちらで森岡正博さんが授業を行なうという情報をゲットしたテルテルは、東京大学に続いて慶應大学に出没。東大、慶應といえば日本有数の歴史ある大学です。奇妙に偏差値の高い学校が続きます。

この授業で、森岡さんは4月に放送されたNHKスペシャル『奇跡の詩人』に対して、重大な問題提起をしていました。『奇跡の詩人』とは、放送から2ヶ月以上経った今でも現在進行中で物議を醸している番組です。歩くこともしゃべることもできない12歳の脳障害の少年、日木流奈(ひきるな)くんが、ドーマン法というリハビリプログラムを続けた結果、言葉を紡ぎ本を出版するまでになったというもの。そして番組放送直後に出版された流奈くん著『人が否定されないルール』はベストセラーになっています。

この番組がここまで物議を醸している理由はいろいろあると思うのですが、まず、流奈くんの言葉が母親の手を借りたFCによって紡がれているところにありますケロ。FCというのは、ファシリテイテッド・コミュニケーションの略で、介助者が身体的な介助をすることで、患者が文字盤等を触ってメッセージを綴るのを助ける方法のことです。問題となっているのは、流奈くんの言葉が本当に流奈くん自身が発しているものなのかということです。介助者である母親が、FCを使って発している言葉なのではないかという疑問が持ち上がってきているのですテル。

森岡さんはこの授業で、ビデオの上映はしませんでした。が、森岡さんが番組内容を具体的に説明していました。『奇跡の詩人』はインチキだと決めつけずに、なるべく中立をこころがけながらしゃべっていたのが印象的でしたけろん。以下、テルテルによるレポートにつき文責もまたテルテルにあるのだと思っています。

 

みなさん、どれくらいの人が『奇跡の詩人』を知っているかな?(このとき、ざわつく教室。学生のみなさんは一斉に森岡さんの方に注目)実際に『奇跡の詩人』の放送を見たことがある人どれくらいいますか? (このとき100人中5人くらいの学生さんが挙手。ボクも実は見たことがあったので、どさくさに紛れて挙手したケロン)

ぽつぽついますね。私は、知人の方からビデオを送って頂いて、この番組を見ました。放送後、NHKには賛否両論の意見が届いたそうです。「感動した」という声と「信じられない」という声は半々だったと言います。確かに、この番組を見て癒やされたという声もありましたし、インチキではないかという声もありました。

 NHKスペシャル『奇跡の詩人』放送直後、『人が否定されないルール』(講談社)という本が出版されました。そして、『奇跡の詩人』放送から2ヶ月経って、それに疑問を突きつける内容の『異議あり!奇跡の詩人』(同時代社)という本が出版されました。この2冊を読み比べて見て下さい。(このとき教室前方の巨大スクリーンに、2冊の本の表紙がドーンと映し出される。すかさず書名をメモメモする学生さん)

流奈くんのご両親は、歩けるようになってほしい、よくなってほしいという一心で、朝から晩まで分刻みのドーマン法リハビリプログラムをしている。それはとても夫婦ふたりだけではできないので、ボランティアを募ってやっている。このドーマン法というのは、米国のドーマン氏という人が開発した脳障害児と健常児のための脳の発達をうながすプログラムのことで、時間も、人手も、お金もかかるんです。しかし、サイエンスの裏付けがあるものではない。いわば民間療法なわけです。それを講談社は書いていない。

お母さんの左手は、膝に乗せた流奈くんの左の手の甲の部分を、持つというより、上から覆って握っています。手はすごい早さで文字盤の上を動きます。(このとき森岡さんは実際に自分の左手に右手を乗せて、その状況を再現)

普段の流奈くんのゆっくりした動作からはまるで想像がつきません。お母さんが右手に持った文字盤が、素早く動いていることもあります。このとき、流奈くんの手を持つお母さんの左手より、この文字盤を持つ右手の方が激しく動いています。そして、文字盤を流奈くんの左手に叩きつけるかんじです。

(このとき森岡さんは持っていたルーズリーフを文字盤に見立てて、忠実に再現。両手を使って熱心に再現するあまり、マイクが持てなくなった森岡さん。司会の先生が見かねて、壇上に駆け上がってマイクをもってあげるという状態に。)

 「お母さんが書いている」のではないかと非常に強く疑われるシーンです。あくまで間接証拠からですが。なお、介助者が文字盤等を使って患者の発語を助けるFCという方法に対しては、いくつかの国際的な学会から、人権侵害の危険性があるという声明が出されています。

検証本『異議あり!奇跡の詩人』はNHKの報道姿勢も批判しています。多面的な検証を行なっていなかったからです。報道の倫理の問題だから、これは当然考えてゆくべきことです。また、検証本では、日木家の家庭の問題には踏み込まないようにしようという意識が働いています。ドーマン法は、ご両親が流奈くんがよくなってほしいと思ってやってきたこと。お金をさき、時間をさき、この子を歩けるようにさせてあげたいと思ってやってきたこと。そんなご両親の気持ちがわかれば、大人の見識としては、外部からこの家庭のことを糾弾できない。

だけれども、このケースにおいては、ある種の児童虐待がないとは言い切れない。可能性は2つある。ひとつ目は、奇跡は本当に起きた。この子は本当に天才だった。ふたつ目は、流奈くん本人ではなく母親が言葉を指さしていた。もしこの後者の場合だったら、これは流奈くんの人権侵害なのではないか。

NHKと講談社によって、私たちは一家庭の問題を知ってしまった。この子の人権はどうなるのだろう。親による流奈くんへの大きな人権侵害が進行中である可能性はないか。日木流奈の著者名で、すでに数冊の本が出版されている。私はいま、この子のために、何らかのテストを受けてもらいたいという考えに傾いています。本当に流奈くんが書いているのか確かめるテストを。ただし、公表する必要はまったくないと思う。この家庭とその周りのみでやるべきことです。これは私個人の思いですが。ちょっと前までの先進国では、ドメスティックバイオレンスや家庭内暴力には、警察や法等の公権力は介入しなかった。公共の問題ではないからというのがその理由です。しかし、今は、それがひっくり返っていて、家庭の中であれ、暴力は暴力、犯罪は犯罪だという価値の転換が起きました。「家庭の中の出来事に我々は介入してはいけない」という社会に、我々は今いないのかもしれません。

しかし、お金をさき、時間をさき、この子を歩けるようにさせてあげたいと心から願う親たちに「お前がやっているのは暴力かもしれない。テストしろ」と外部から言えるのでしょうか?重い障がいを持った子どもに、奇跡が起きてほしいと思う親の心は、よくわかるからです。これは本当にデリケートな問題です。だが、いま私はやはりテストが必要ではないかという考えに傾いています。

 

以上 ああちかれたちかれたワンカップ。文字起こしで徹夜してしもうたわい。こうして衆愚どもがなんだかんだと騒ぐたびに、わたすことテルテルさんも、衆愚らが食え食えとすすめてくるので、ついつい浮かれておいしいキャベツを生のまま、むしゃむしゃと食ってしまうのであったのだった。さって寝よ。

 

●スギ券
テルテルさんテルテルさん。おひさしぶるだす。ふんで、ふんであぁ~んあぁ~ん。慶應大学における森岡正博教授の講演を文字起こししてくれてありがとう、とは言うものの、なにがどうしたのか、またどこが差別なのか分別なのかは一向にわかりません。それ以外のことがらについては、わたすはわたすは極左ヘイトの活動家の方から刑事訴追の恐れがあるので、いっさいがっさい証言を拒否します。ああ滅入った滅入った。あせ あせ さって寝よ。 あ~あぁ~ 若い頃は世界の小児医学会をまたにかけて華々しく活躍してきたものだったのだが、ここにきて急に年を取ってしまい、クズと化しカスと化してしもうたわい。わたすの人生もこれで終わりだ。

 

 

 <2005.12.10  記>

 

 

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