赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼散歩無題

2017年11月26日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.11.26 横浜市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼パチンコ屋右入るインドカレー

2017年11月21日 | ■文芸的なあまりに文芸的な弁証法

<以下2008年記> 

 


2016.10.04 横浜市


文章が上手だという、よく耳にする言葉がある。一種の人物評にもつながります。さらに普通に使われている言葉として人を批評するに、「頭が良い、悪い」というような言い方もある。問題は、これらの評価が、ただちに文章作成能力に連結されて理解されてしまう。

このように文章というものこそ、その人の知能の有無、能力の有無をはっきりと、見せてくれるものだと、信じられている。はたしてそうだろうかというのが、最近のわたしの主題なのです。

一方、「文は人なり」という昔から言い伝わってきた言葉もあります。文に、その人の人格、人間性、また能力などが直接的に現れると信じられている。これもまた真なり、だとは思いますよね。いい言葉ですが、もう少し考えてみると、この「文は人なり」とは、文体や文意ということよりも、文字そのものの形から伺われる個性のことであり、もっと分かりやすくいえば、作文というよりは習字のことだったのはないか。

コンピュータ以前は、活字以外の文字は、個人が紙なりに記した直筆だけでした。印刷術のなかった、さらに昔は文字とは、かならず墨と筆で記されたものだった。一字たりとて、個性の現れていない文字はなかったのです。これを指して「文は人なり」と呼んだと思われるのです。これを喜んだ。異国に嫁いだ娘に、たどたどしい文字をしたためて手紙を送る。文字を書き記す最大の機会は、親しい人に、手紙を書くときですよ。文字を知ってはいても、日記をしたためるという慣習を持っている人は、ほんの一握りの知識人ぐらいなものだった。

米国にいる野口英世に当てた母親の手紙がよく知られていますが、ひらがなだけで、綴られている。母親は英世に手紙を書くためだけに、文字を勉強したと言われています。米国にいったきり、帰ってこない息子にに、たまには帰ってきてくれ、顔をみせてくれという、ただ、それだけの訴えが、繰り返し繰り返し、ひらがなで綴られています。母親が息子にあてたラブレターですよ。

これは、すでに文章の巧拙や頭が良いか悪いかなどの基準を用いて、英世の母親のことは、計れない。最高の文章とは、こういうものですよ。もちろん、最高の文章を残したのは、英世の母親だけではない。さらに古代から、さまざまな文書が、残されて、わたしたちの言葉の枠を構成している道徳的規範というものを示してくれています。万葉集もそうでしょう。源氏物語や平家物語も、さらにまた近代の作家たちのそれぞれが、多少なりとも、その規範の前に苦闘してきたような気もします。こちらも妄想なら、あちらも妄想でしょう。

英世の母親は、上手な文章を作りましょうなどとは、毛頭考えていなかった。ともかく、自分の思いを伝えたかった。息子の気持ちを動かしたかった。文章の巧拙などより、よほど息子の顔を見たかったのです。この場合、文字も文章も二義的三義的なものに、すぎなかった。では、われわれには、なにが残されているのか。英世の母親の強烈な、また素朴な人間味あふるる、至極生活的な精神だけですよ。文字は形がある。すなわち美がある。だが、本当のところ、文章それも文意などには、誰一人、「美」は見てこなかった。

最近の私は、そもそも「文章の巧拙」などという基準は存在しないのではないかと思っています。一見したところ、そのように見えるという、一種の信仰ではないのでしょうか。文章というものは、かならずなんらかの粉飾があるのです。自己正当化、自己弁護、自己保身、自己美化等々の生活的根性から逃れられた文章というものはありえないと思っています。

英世の母親も、息子の事情など、なんら考慮していない。なにも知らないのです。ひたすら帰ってこい、顔をみせてくれと、哀願しているだけです。これ以上健全な思考と、文章というものは、ありえないのです。すくなくても「文章の巧拙」と人間の精神性、その誠となすところと、義なるものとは、まったく関係がないように思われます。

 


野口英世記念会 昭和34年10月刊 「野口博士とその母」

 



 おまイの。しせにわ。みなたまけました。
 わたしもよろこんでをりまする。
 なかたのかんのんさまに。ねんよこもりを。いたしました。
 べん京なぼでも。きりがない。いボしわこまりをりますか。
 おまいか。きたならば。もしわけかてきましよ。
 はるになるト。みなほかいドに。いてしまいます。
 わたしも。こころばそくありまする。
 ドかはやく。きてくだされ。
 かねを。もろた。こトたれにもきかせません。
 それをきかせるト。みなのまれて。しまいます。
 はやくきてくたされ。はやくきてくたされ
 はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
 ・・・
 ねてもねむられません


世慣れた奴ほど口も達者で書式定式にのっとって文章も上手に書いたりするものである。されば自分の文章が上手だなどと人様に褒められはじめたら、そろそろ墓場行きが近くなったと思えばよい。

 

 

  

 

 

 

昨年の夏のことだったが、隣区の大きなお寺を散策しているときに同じように境内を散策されていたKさんと出会った。お寺の近くに住んでいらっしゃる方で半日、寺のあちこちを案内していただいたのである。後日Kさんから手紙をいただいた。Kさんは81歳になられる元小学校の先生という方だった。この日、山を下ったりまた上ったりと私よりよほど健脚で驚いた。例によって私はデジカメ散歩のつもりでもあるから、失礼ながらKさんの写真なども何枚も撮らせていただいたのである。さっそく帰宅してからこれをプリントしKさんに送り届けた。そのお礼としての手紙であった。

Kさんのお手紙の文章もさりながら、わたしにとってうれしかったのは毛筆で書かれていたことだ。毛筆の手紙をいただくなど何年ぶりだろう。聞けば定年後も学校に勤めていたらしく計60年近く教職にあったという。戦後すぐからのことである。教えた生徒は合計すれば4000人近くに上りますと微笑まれた。退職して久しいが毎日のように教え子の誰かから手紙が届き、またKさんからも毎日のように最低一通はしたためているというのである。わたしのようにインターネットやコンピュータなどはいっさい使わないと述べられていた。

毛筆といえば昨年の初夏、神奈川県近代文学館にて挙行されていた三島由紀夫展を見てきた折の印象が思い出される。三島由紀夫の原稿、書簡類などが会場いっぱいに並んでいたが、わたしに、ひときわ印象深かったのが、徴兵検査のために本籍地に帰り、そこから両親に充てた手紙だった。この手紙が毛筆で書かれてあった。終戦の直前のことである。彼は大正14年生まれで昭和の年次と満年齢が一致している。昭和20年には二十歳だった。書簡の冒頭に、お父さん、お母さんとかかれてあって、すでに死を決意したかのごとき文言が続いていた。

まだ出征前のことだったから死の決意とは、後年の三島の意識が露骨に現れたているような感じがして気になったが、当時の青年はみなこんなものだったのだろうと思い直した。死の決意にいたるような緊張を強いられて、親宛に襟を正して文章を書き記している二十歳の三島の姿が浮かんできた。墨字は当人の命をはるかに超え、歴史の波にもまれていく。いつまでも墨跡鮮やかなまま後世に残されていく。なにかの本で見たのだが、わが国は古写本の宝庫であると耳にした。和紙というものも丈夫なものであるらしい。和紙に記された墨跡は、さらに何百年と残されていく。

別の折に近くの美術館で藤原定家の日記である「国宝 明月記(めいげっき)」の展覧会があり見てきたことがある。もちろん無学の私などには、文意は読めないが、字というよりは、やはり書なのであり、いっそ画を見ているようにしか感じなかったが、それはそれは黒々とした墨の跡がいっそう鮮やかで見事なものだった。定家は鎌倉時代だったと思うから、すでに900年近く経っているのである。墨による「書」にこめられた文章の強さ、文字の強さ、筆を取った当人の精神の強さ、その静かなことなどに圧倒される思いだった。紙背から、なにかが立ち上ってくるような不思議な感じがしたものである。これに比べればわれわれが使っているパソコンなんぞというものは、いかにも貧弱である。ハードディスクがカタカタとうなりを上げて貧乏ゆすりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼靖国通りのカキ玉うどん

2017年11月20日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.11.20 千代田区

 

 

 

 


靖国神社

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼古道具屋右入ル晩秋

2017年11月15日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.11.13 横浜市

 

エノコロ草

 

 

 

 

 

 

南天

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼パチンコ屋横入ル南京ハゼの紅葉

2017年11月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.11.09 川崎市

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼秋日和

2017年11月06日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

夜勤帰りの朝。京成町屋駅で途中下車し道灌山通りを西日暮里駅へさらに不忍通りを千駄木、根津、湯島そして上野、秋葉原から神保町まで歩く。

 

2017.11.06 昌平橋付近

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼カラオケ屋右入ル南京ハゼの紅葉

2017年11月02日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.11.02 川崎市

 

午前11時より、わたすの行きつけのカラオケ屋の玄関ドアのノブに「オープン」の看板がかかる。

いの一番で乗り込んでいく。

一時間かっきりでええのだすと頭を下げて窓口で釈明する。

わがお友達なき団塊の世代の誉れと情けなさ今日もまた一人カラオケ。

まずはノドのためしをマイク無しで教科書風のベルカントなる高音低音。

いつでもどこでもわたすはわたすはぶっつけ本番。

さても本日のカラオケメニューは以下のごとし。

 

マロニエの木陰

雨のブルース

別れのブルース

哀愁の街に霧がふる

街のサンドイッチマン

カスバの女

トロイカ

ウラルのグミの木

コサックの子守唄

郵便馬車の御者だった頃

十五夜お月さん

月の沙漠

美しい十代

下町の太陽

 

以上十五曲に及んだ。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▼美しが丘のいわし雲

2017年11月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.11.01 横浜市

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする